心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

遠くに「春」を思う季節

2011-02-27 10:01:09 | Weblog
 「入院してないよ♪」。先週の月曜日、職場でトップと打合せをしているとき、携帯にこんなCメールが送られてきました。??....。その後の続報によると、風邪をひいている患者には救急処置を除いて全身麻酔手術は「お薦めできない」のだそうです。メールに珍しく♪印をつけるところをみると、強がりを言っていた家内も内心は不安だったご様子。私からの返信は「ずっと風邪をひいてたら♪」でした。
 こんな私的なことで始まった2月下旬の1週間、なんとか大きな山の頂上まで登りつめて、「さあ、あとは焼くなりなんなりしてくれ!」というところに辿りつきました。年明けから2カ月、例年になく厳しい日々を過ごしました。良い経験にはなりましたが、還暦を過ぎましたからこんな緊張感はこれで最後かもしれません。
 そんなある日、夜遅く自宅に帰ると玄関先に見慣れない動物の気配。以前にも出会ったことのある狸さんでした。暗闇の道端でじっと私を見つめる姿がなんとも滑稽に見えましたが、人懐っこさが可愛くて手を差し伸べると、どこかに静かに消えて行きました。狸さんも長い冬を耐えて、なんとか春を迎えようとしているようです。





 さて、きのうの土曜日は、珍しく職場に足を運ぶでもなく、ゆったりとした時間を過ごしました。朝、愛犬ゴンタとお散歩をしたあと、庭に咲くクリスマスローズやサクラソウの花を愛でながら、なんとなく嬉しい気分になりました。そして昼前には家を出て、中之島の朝日新聞社にあるカルチャーセンターに向かいました。ドタキャン覚悟で申し込んでいた講座は、文藝評論家・湯川豊先生の『須賀敦子を読む』でした。
 須賀さんとの出会いは、季刊誌「考える人」2009年冬号の特集「書かれなかった須賀敦子の本」でした。そこで湯川先生の小論に触れ、その後、河出文庫「須賀敦子全集(全8巻)」を集中的に読みましたが、以後忙しさにかまけてご無沙汰をしていたので、少し体系的に整理しておこうと思っての受講でした。教室をのぞくと、なんと200名ほどの規模の教室が超満員でした。予想はしていたのですが、男性は数えるばかり、ほぼ全員が女性ファンの方々でした。それでも物怖じすることなく前の方の席に座り、昨年「須賀敦子を読む」で読売文学賞を受賞された湯川先生の90分の授業を楽しく拝聴いたしました。
 回想エッセー(私小説)でありながら自分の考えを前面に出すことなく、登場人物を生き生きと描くなかで25年前のイタリアでの出来事を浮き彫りにする形で、自らの生きざまを表現されている。先生は、そのようにお話になりました。「生きる」ことに真正面から向き合ってきた須賀さんの姿勢を改めて思いました。湯川先生は「文學界」編集長をお務めになったご経歴で、もちろん須賀さんがご存命のときは編集者として身近におられた方のお一人でした。しかし、須賀さんのふだんの言動については決してお話にはならなかった。須賀さんの世界は「作品を通じて理解してほしい」、これが湯川先生のご主張でした。なんとなく判るような気がしました。
 その須賀敦子さんは、13年前の1998年の3月20日、お亡くなりになりました。その須賀さんが初めて刊行された「ミラノ 霧の風景」は須賀さんが61歳の時と、極めて異例の文壇デビューです。以後、生前に「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「ユルスナールの靴」「トリエステの坂道」の5冊を刊行されました。昨夜は、これらの作品をぱらぱらとめくりながら週末の夜を楽しみました。


 さて、きょうは春の陽気に誘われてもうひとつ話題を添えます。先週の日曜日、ブログの更新を終えたあと、市民合唱団の定期コンサートに出かけました。歌が大好きの老若男女の混成合唱団でしたが、なかなか楽しい演奏会でした。おもしろいなあと思ったのは組曲「おおさか風土記」でした。
 大阪で生まれて♪
 大阪で育って♪
 好きなんは 大阪ことば♪
 なんでて♪
 それは わたしのことば♪
で始まるこの組曲は、「ほんまにほんま」「かわり橋」「なにわの祭り」の3部構成ですが、大阪ならではの合唱組曲でした。
 第二部では、80歳を超えるであろう方も混じった弦楽アンサンブルの演奏や地元中学校吹奏楽団の演奏もあり、地域をあげての定期演奏会でした。700名収容の大ホールが超満員という、これまた驚きの盛況ぶりでした。久しぶりに大阪の「元気」を実感しました。
 ここ大阪も、長い冬を越えて、遠くに「春」を思う季節を迎えました。さあて、2月最後の日曜日は、愛犬ゴンタと一緒に花壇の土づくりに精を出すことにいたしましょう。
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愛用の中古PC

2011-02-20 09:48:44 | Weblog
 ここ1週間、我が家に花の香りが漂っています。家内になんの花?と尋ねると、ストックなのだとか。南ヨーロッパ原産で、古代ギリシャやローマ時代には薬草としても利用されていたようですが、日本では房総や淡路島で栽培され、いまが出荷のピークらしいのです。花の少ないこの時期に花の香りを嗅ぐのは楽しいものです。
 ところで、多忙な1週間が終わり、きのう土曜日は久ぶりに淀川の堤防を歩いて職場に向かいました。家やビルの密集した街中から横道に入って階段を登ると視界が開けます。悶々としていた日々が嘘のような爽快な気分になります。天空には伊丹空港から飛び立った飛行機が2機、それぞれの方向をめざしています。やはり人間は時々こうしてだだっ広い景色を眺める必要がありそうです。目先のことに右往左往するのではなく、もっと大局的にものごとを見つめる必要がありそうです。この日は、やり残していた仕事がスムーズに捗り、午後2時過ぎには自由の身になることができました。

 直帰するには中途半端な時間だったので、久しぶりに日本橋界隈を散策することにしました。お目当てはLPレコードだったのですが、ふらりパソコンショップ「PCワンズ」を覗いたら、安い増設メモリーを見つけてしまいました。業務用だからでしょうか、BUFFALO製のMV-DD400(1G)2枚が市価の4割程度で売っていました。
 今使っているPCは2003年秋製で、3年半前の秋、そう孫君が生まれた日に日本橋のPCショップで購入した中古デスクトップ本体なのでした。その後、HDDを増設したり液晶ディスプレーやキーボードやらを新調し、今も現役真っ最中です。最近やや重く感じていたので2Gへとメモリー増強とあいなりました。
 「中古PCに投資するなら新品のPCを買いなさいよ」。これが家内の主張です。でも私には高機能PCは要らないんです。このPCで十分、日々私に馴染んでくれていて一心同体なのです。ブログ「心の風景」を綴っているのもこのPCなのです。潰れるまでは簡単に手放せません。今もせっせと働いております。ありがたいことです。

 さて、2月もあと10日ほどで終わろうとしていますが、実は明日からしばらくの間、独身生活となります。昨年の2月に足を骨折した家内が、その際の手術で足首に埋め込んだ金具を取り外すための手術をするのだそうです。お医者さんの話では、欧米人はそのままにしておく人が多いそうですが、なぜか日本人は外す例が多いとか。死生観の違いなのでしょうか。よくわかりません。いずれにしても、3月春に、元気にご帰還となることを祈っておきましょう。
 さて、きょうは午後、職場がある街の市民合唱団の定期コンサートにお誘いをいただきましたので、顔を出してきます。
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狸さんの強かさ

2011-02-13 09:08:51 | Weblog
 先日の夜、姪が暮らす豪州のパースで山火事が発生し数千人が避難したというニュースが飛び込んできました。さっそくメールを送ると「大丈夫」との返事。「BushFireは車で40分もかかる場所」だとか。大阪のような地理感覚では駄目なようです。
 とは言え、1カ月以上にわたって雨が降らず乾燥しきった大阪に、11日、珍しく雪が積もりました。朝は2センチほどでしたが、昼前には5センチほどになりました。でも、午後には雲の合間から陽の光が差して、もちろん気温も上がって積もった雪の大半は夕刻までに消えてしまいました。

 田舎に電話を入れると、2メートルを超える積雪があるらしい。これも驚きです。私が中学生の頃以来の大雪だろうと思います。当時は、玄関口の前に廂あたりまで雪が積もっていて、雪の階段を登って道の平地に出る、それほどの積雪がありました。もちろん学校はお休みです。雪の多い2月には例年1週間ほどお休みがありました。その分、夏休みが短くなっていました。

 久しぶりの雪景色でしたので、カメラをもって街を散策してみました。いつものバス停周辺も薄っすらと雪化粧でした。庭木の枝先には真綿のような雪が被っています。空からふわりふわりと降りてくる雪の舞いは幻想的ですらありました。

 そんな小雪が舞うなか、街の掲示版におもしろいチラシが貼ってありました。「狸がまた出現」の見出しで「身体がふたまわりもみまわりも大きくなった」狸さんの写真が添えてありました。昨年の春以来、街に出没する狸さんがまた現れた。それもずいぶん大きくなった。今後の成長を見守りたいので見かけた人はご連絡を!という内容です。ついついカメラに収めてしまいました。その夜、この写真を眺めながら熱燗を楽しみ、眠るときには柳田國男の『遠野物語』をもってベッドに入りました。久しぶりに雪を見て、なにやら温かな気分になったものです。

 ところで話はがらりと変わりますが、2月も半ばを迎えようとしているこの時期に、季節外れの採用試験を行いました。対象はこの3月に卒業予定の大学生です。昨年末から募集を始めて今月に入って採用選考を行い、きのう数名の方に内定のお知らせをしましたが、この時期ながらしっかりした若者に出会うことができました。昨今、採用する側の自信喪失が、彼ら彼女らに苛酷な試練を強いています。「就活」に翻弄される若者たちは、時にめげそうになりながら最後まで諦めずに、よく頑張りました。
 最終面接で気づいたこと。それはテクニックに拘りすぎて、自分の持ち味、強みをうまく表現できないでいる学生の姿でした。何十社受けてもなお内定をもらえないためか、無意識のうちに必要以上に自分を飾ろうとしている。笑みがぎこちない。初めの数分間の受け答えを見ているとすぐに判ります。そこで、「肩の力を抜こう」「もっと自分の言葉で話してごらん」とアドバイスすると、二コリと笑みを浮かべて、あとは驚くほど人間味あふれる1人の若者の姿が見えてきます。型どおりではない受け答えがきちんとできます。捨てたものではありません。.......大学と実社会とのギャップ、キャリア教育という言葉に翻弄される大学教育の混乱、教育の通用性の欠如。学生の皆さんには、超氷河期なんて言葉に惑わされないで、自分を真正面から見つめ、磨き、狸さんのように強かに生きてほしいと願っています。
 そういえば、きょうの朝日新聞朝刊の「仕事力」は建築家の安藤忠雄さんでした。題して「君の原動力は見つかったか」。「自分でやってみる、そして責任をとる」ことを勧め、「自分の志を大切にし、そして自分のやろうとする仕事を信じることです」と締めくくっています。
 おっと、念のために広辞苑で狸を調べたら「とぼけた顔をしながら実際には悪賢いこと」とありました。これは拙いですね。譬えが適切ではなかったようです。でも、「巧みに人をだます」譬えに使われる狐さんよりましかも。いずれにしても、逆境に屈しない「強かさ」をもって、この激動の時代を生き抜いてほしいものです。
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心象風景に戯れる

2011-02-06 10:07:07 | 愛犬ゴンタ

 今朝は早起きをして愛犬ゴンタと観月公園にお散歩にでかけました。ちょうど生駒の山から朝日が顔をのぞかせる、そんな時間でしたが、小鳥たちはもっと早起きでした。ネズミモチの樹には、何羽かのメジロが愛嬌のある表情をして朝のお食事中でした。天気予報では今日は3月下旬の暖かさだとか。ゴンタは草をかき分け、落葉をかき分け、嬉しそうに歩いていました。



 ところで2月1日は、私の母の命日でした。あれから、30年以上も経ってしまいましたが、先日、母と仲の良かった出雲の叔母が亡くなりました。父の末の妹にあたります。私も小さい頃から可愛がっていただき、母が他界した後もいろいろな場面で励ましの言葉をいただきました。気がついたら、父の兄弟姉妹で今も元気なのは松江の伯父1人になってしまいました。手の平に乗せた白砂が指の間からさらさらとこぼれていくような、私の古き良き時代の思い出が何事もなかったように手許から離れていくような、そんな淋しさがあります。

 さてさて、先週もめまぐるしく1週間が過ぎて行きました。後ろを振り返る余裕なんてどこにもありません。とにかく、これが終わったら、あちら。あちらが終わったら、こちら。家に帰って、やっと落ち着いて、本をもってベッドに横たわるのですが、気がつけば朝。休日と違って平日は目覚まし代わりのラジオの音で飛び起きる。洗面、髭剃り、整髪、食事(といっても立ったままで野菜ジュースを飲むだけ)、そして愛犬ゴンタに朝のご挨拶をして玄関口に。この間およそ15分の早業です。6時45分には自宅を出ます。
 私にとって本当の朝は、実は通勤電車を降りた駅近くの喫茶店で始まります。新聞3紙に目を通します。超整理手帳を取り出して1日のスケジュールを確認します。この間、およそ30分。バスに乗って職場に到着するのが午前8時15分。ここ数年、こうして心身をならしながらエンジン全開、となるのでした。
 それでも、ふっと立ち止まる時があります。都会の朝の、何気ない風景のなかに、遠い昔の風景を思い浮かべることがあります。そう、朝靄につつまれた都会の風景に出会ったとき、雨に濡れて疲れ切った都会の風景に出会ったとき、街の中を流れる小さな川面に鴨の一家の姿を見つけたとき、神社の大きな樹の下で寒そうに私を見つめる子猫に出会ったとき...「お~い、大丈夫か?お母さんはどこ?」と心の中で話しかけたとき。そんな朝は、これでいいんだろうか、こんな生活をしていていいんだろうか、なんて思いながら、かと言って何ができるわけでもなく足早に通り過ぎる、そんな日々。
 昨日、天満橋行きのバスに乗っていて、ぼんやりと車窓を眺めていたら、対向車線を走るバスの行先案内板の「焼野」と言う文字が飛び込んできました。その瞬間に目の前に広い原っぱに漂う何とも言えない煙の臭いが私を包みこみました。もちろん幻想に過ぎません。交通渋滞で止まったままのバスの中で、視界から都会の喧騒(風景)が消え、夕暮れの原っぱが頭の中をよぎる。妙な経験をしました。
 このところ少しお疲れのようです。すべてが自分の判断で動いていくことの躊躇、恐怖心のようなものが、私の心を弱気にさせます。現実逃避を誘います。
 いやいや、日曜日ぐらいは目いっぱい楽しいことを考えよう。仕事のことなんて忘れよう。そんな強がりを言う。いやですねぇ。なんだか病的になってきましたよ。いやいや、病気なんかではありません。甘えなんでしょうよ。きっと。誰かに甘えたい。ひょっとしたら母に甘えたい。そんな幼稚な妄想が忘れた頃にふっと浮かんでは消えていく。還暦を過ぎたいい大人が、こんな体たらくでは駄目ですねえ。
 今日は、グレン・グールドのCD「images」を聴きながらのブログ更新でした。きょうはこれから家内と一緒に近くの図書館にでかけます。そして午後は、彼の著作集を楽しむことにいたしましょう。

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