心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

フラクタルの不思議

2008-02-24 14:29:16 | Weblog
 昨夜は、久しぶりにかつての上司の方と美味しいお酒をいただきました。リタイアされて何年経ったのでしょうか。相変わらずお元気なご様子で、悠々自適のお暮らしぶりや職場の現況やらを酒の肴に、楽しい時間を過ごしました。ほろ酔い気分で家に帰ると、家の奥から赤ん坊の泣く声が聞こえてきました。そう、4か月になった孫がやってきていました。満面の笑顔で迎えてくれました。
 ところで、今朝は薄っすらと雪化粧でした。雪景色を撮ろうとデジカメをもって愛犬ゴンタの散歩にでかけましたが、撮ったのは小高い丘の上に聳える柳の木でした。通勤途上にあるこの大きな柳の木を見上げながら、私はいつも自然の不思議を思います。
 もう20年ほど前のことでしょうか。ある講演会でフラクタルという言葉に出会いました。講師の先生は数式を示しながら自然現象の不思議を自己相似性という難しい言葉を使ってお話になりました。複雑な構造を拡大していくと同じような形の複雑なものが現われてくる、といった趣旨のお話であったかと思います。そこで例示されたのが、樹木の枝分かれの姿でした。地面の下には同じように根が伸びていると。葉脈、血管などへと話が広がってきました。その不思議さを思いました。世に言う「複雑系」という言葉に関心をもったのも、この頃でした。複雑系と言っても、その範囲は広く、深く、残念ながら私にはきちんとした理解ができていません。それでも、創発や自己組織化といった視点から社会現象や企業経営を考える本を眺めるたびに、このときの講演を思い出します。
 私たちの身の回りには不思議なものがたくさんあります。それが解明され知識として受け継がれていく。でも、膨大な知識と情報量を1人の人間の頭脳に取り込むのは至難の業です。第一、すべての人間が地球上のこと、あるいは全宇宙のことのすべてを知り、理解するなどという傲慢なことは考えない方が良いのではないか。自然と共に生きる人間として、不思議なこと、判らないことがあってもいいじゃあないか。むしろ、その不思議さに感動する「こころ」の広さ、感性のようなものを大事にしたい。この写真を眺めながら、そんなことを考えました。
 きのう日本橋のDISC J.J.で手にしたキースジャレットのLPレコード3枚のうち「祈り」を聴きながらのブログ更新でありました。
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読書の楽しみ

2008-02-17 11:07:09 | Weblog
 寒い寒い日曜日の朝、愛犬ゴンタのお散歩が終わると、部屋中の窓を開け放ってお掃除をしました。冬の日差しが部屋の奥まで差し込み、きりりと身の引き締まるのを感じました。机の上もきれいに片付けて、グレン・グールドのLPを回しながら、さあブログの更新でもはじめましょう。
 先週半ばに東京に出張しました。新大阪を朝8時過ぎに出発すると10時30分頃に到着です。その2時間半の間に、滋賀県と岐阜県の県境で雪化粧をした伊吹山が楽しめます。関ヶ原あたりになると、30㌢ほどの積雪、雪国の真っただ中を通り過ぎます。でも、名古屋に近づくと、さきほどの雪景色が嘘のように晴れわたっています。少しうとうとしていると、山頂に雪をいただく富士山の雄姿を伝える社内アナウンスが流れます。あっという間に東京・丸の内です。快晴の冬空の下に林立するビル群の中に消えていきます。狭い国土でのささやかな時空間移動です。
 そんな東京での仕事を終えると、出発までに少し余裕があったので、神保町界隈を散策しました。手にしたのは、白洲正子著「両性具有の美」、そして雑誌「新潮」の小林秀雄追悼記念号(昭和58年4月号)でした。「新潮」には、小林氏の講演録「信じることと知ること」のほか各界の識者の追悼文が載っていました。白洲正子も、そのひとりです。
 わたしが白洲正子という人物に出会ったのは、2年前の今頃だったと思います。「目利きの肖像」というタイトルで細川護熙さんが白洲さんのひととなりを紹介したNHK教育テレビ「知るを楽しむ”わたしのこだわり人物伝”」でした。実は、その同じ講座のもうひとりの人物が柳田國男でした。それ以来、白洲さんの著書を何冊か読んで、それが小林秀雄へとつながっていきました。
 「両性具有の美」を手にしたのは、帯に添えられた「古事記から源氏、西行や南方熊楠、そして世阿弥。穏やかな自然に恵まれた日本には、両性具有という思想を育む豊かさがあった」という記述でした。「粘菌について」と題して南方熊楠にもふれてありました。白洲さんが南方熊楠にも関心を寄せていたことになります。その南方は、柳田ともつながっていきます。
 こんなふうに読書の幅を広げていくと、その人のものの考え方を、より相対的に眺めていくことができます。より、人間臭さが伝わってきます。そんな楽しみが、読書にはあります。仕事に追われる毎日ですから、仕事以外の本に目を通すのは土・日が中心になります。リタイア後に晴耕雨読の毎日を夢見ながら、目一杯、日曜日を楽しみたいものです。
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私の遠野物語

2008-02-10 10:38:19 | Weblog
 3連休の初日は大阪も雪景色でした。それでも少し職場に立ち寄って、やりかけの仕事に目途がたつと、遠回りをして帰途につきました。雪化粧した中之島界隈や大阪城が夕闇の淡い世界にぼんやりと浮かんで見えました。幻想的な風景でした。
 こんな雪の降る寒い夜は、熱燗を楽しみながら、柳田國男の『遠野物語』を紐解くのがよく似合います。遠野出身の佐々木喜善からの聞き書きをもとに明治43年に著したものですが、その地方の民話、昔話です。それで思い出すのは、田舎の実家のお隣にお住まいだった90歳代のお爺さんとお婆さんのことです。時々、声をかけられて、お茶(抹茶)のお相手をさせられました。今思えば子供たちが独立し夫婦2人だけになって寂しかったのでしょう、時には夕食を御馳走になることもありました。そんなとき、お爺さんは、1合ほどの熱燗を楽しみながら、お得意の昔話をしてくれました。八岐大蛇の話に始まって、あとは、どこそこの谷で起きた侍の戦いで小川が血で真赤に染まった話、隣町のどこそこであった幽霊の話、果ては小さい頃隣町の親戚に独りで出かけたとき、帰りの夜道に一つ目小僧に出くわしたこと、などなど。どこまで本当のお話なのかは定かではありませんが、子供の頃は信じ込んでしまいましたから、100㍍ほど先の我が家がずいぶん遠くに見えて、全速力で走り帰ったことが何度もありました。いま思えば、古き良き時代の思い出です。
 で、今朝はといえば、ド、ド、ドドーンという物音で目を覚ましました。2階の屋根からの「雪ずり」の音です。田舎にいた頃は、大量の雪が大屋根からずり落ちるのを何度も体験していますが、ここ大阪で、こんな経験をするのは初めてでした。たかだか7㌢程度の積雪でも屋根に積もった雪がずり落ちるわけですからずいぶんな量ではあります。それに高さがありますから「ドッスーン」ときます。覗いてみると、背の低い庭木がいくつか折れ曲がっていました。
 きょうは、NHK・FM放送「20世紀の名演奏」を聴きながらのブログ更新でした。曲目は、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で、グラズノフの「舞踊音楽“四季”」、リムスキー・コルサコフの「組曲“サルタン皇帝の物語”」プロコフィエフ「交響組曲“道楽むすこ”」でした。これまた寒い国の音楽でした。
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節分の日

2008-02-03 13:41:58 | Weblog
 きょうは節分の日です。広辞苑第5版で「節分」を調べてみました。「季節の移り変る時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称」「特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊ひいらぎの枝に鰯いわしの頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒いった大豆をまく習慣がある」。そういえば、昔、母親が玄関口でそんなことをしていた記憶があります。意味も判らず目に見えないものに対する恐怖心が育った頃です。別の説明では、「狂言の一。節分の夜に蓬莱の鬼が来て、小歌をうたい女を口説く。女は妻になると偽って、隠れ笠・隠れ蓑・打出の小槌をとり、”鬼は外、福は内”と豆をまくので鬼は逃げ去る」。これも面白い説明です。その豆を歳の数だけ食べる習慣もありました。でも、この歳になると、そんなに食べられません。
 ともあれ、季節の区切りでもあるので、今日は午前中、近くのお不動さんで行われた「節分祭(追儺豆まき式)」に出かけてきました。雪が雨に変わり肌寒いなか、大勢の人々が集まり、報道陣も詰めかけていました。政財界、人気タレントの方々から豆(落花生)をいただくのです。なんの用意もせず、デジカメを下げて行った私は、飛んできた10粒の豆をいただきました。
 ところで、話は変わりますが、きのうは3週間ぶりに京都に出かけました。在阪経済団体主催のお勉強会でした。今回は、同業他社ではなく異業種の会合に参加したわけです。同じ事象を違う視点から眺める方々との気持ち良いディスカッションは、ほんとうに楽しいものです。少し気取った会合の場より、その後の懇親会でお酒も入って、さらにパワーアップします。こういう「場」を、私はいつも大切にしています。
 帰途、ほろ酔い気分で四条河原町通りを歩きました。お買いもの帰りの家族づれ、若い恋人どうし、学生のグループ、着飾った女性たち、呼び込みのおじさん、それぞれの空間が雑踏のなかで蠢いています。30数年前と同じ風景です。違うのは、通りを走る市電がないこと。そんなことをぼんやり思いながら歩いていたら、音楽館清水屋の店先。学生の頃、よく行ったお店です。もちろん、当時はLPレコードがずらり並んでいました。今はCDとDVDに代わっています。ふらり店の奥にいくと、ドイツ・グラモフォンLP名盤100選(重量200gレコード)と題して、限定プレス版が置いてありました。枚数はさほど多くはなかったのですが、そのなかに「アルゲリッチ・ピアノ・リサイタル」をみつけました。半世紀前の1960年7月4日録音です。
 きょうは、このLPを聴きながら、過去と現在を行ったり来たりしながら、とりとめのないブログ更新でありました。 
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