心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

京都、京丹後、奈良を巡ったシニアの秋

2018-11-29 21:28:30 | Weblog

 1週間があっという間に過ぎていきます。それどころか今年もあと1カ月となり、なんとなくそわそわ感が漂う季節になりました。と言いながら、自分で自分を忙しくしているところがないでもありません。私の悪い癖ですね(笑)。アシスタントの仕事も必要以上に深入りしてしまい、家でじっくりと読書を楽しむ時間より、Google siteによるホームぺージづくりに没頭してしまう始末。先週の会議でゴーサインをいただいたので、いよいよ仕上げの段階です。ここにきて家内もあきれ顔です。
 そんな家内を京都の東福寺に誘いました。もちろん紅葉がお目当てでしたが、京阪電車の東福寺駅を降りると心斎橋筋を歩いているような賑わいです。これは大変と急遽コースを変更して西国15番札所・今熊野観音寺と泉桶寺に向かいました。こちらは観光客もぐんと少なく、ゆったりと紅葉を楽しむことができました。もちろん「ぼけ封じ観音さま」にもご挨拶をしておきました。では、しばし京都の紅葉をご覧あれ。
 帰り路、くねくねした京の路地道を歩いていると、窯元紅葉まつり(大陶器市)で賑わっていました。ギャラリーや陶器市、工房などをぶらり覗きながら駅に戻りました。ふだん陶器は弘法市(骨董市)で買うことが多いので、この日は見て歩いただけでした。
 今週は前々から計画していたシニア7人組のカニ旅行にも出かけました。行先は京丹後市は離れ湖畔のお宿。向かうバスの中でワイワイガヤガヤおしゃべりしていたら、あっという間に到着です。夕食は当然にカニ尽くしですが、美味しいお酒をいただきながら、ここでもワイワイガヤガヤ。それでも話し足りないと男性部屋に集まってまたもや話の続き。なんともお気軽なシニアたちでありました。でも、一体何を話していたのかと問われると、思い出せない。まあ他愛ないお話しだったんだろうと思います。いずれにしても、様々な人生を歩いてきた方々とのお話しは新鮮で楽しいものです。
 そうそう、帰りのバスの待ち時間に、丹後地域地場産業振興センター(アミティ丹後)に入ると、その一画に「野村克也ベースボールギャラリー」なるものがありました。京丹後市は野村監督の出身地です。野村さんから寄贈いただいたというトロフィーや楯等の寄贈品の数々が展示されてありました。野球ファンならため息が出そうなギャラリーなんでしょうね。
 今週はこれだけでは終わりません。一日おいて、校外学習で奈良は元興寺文化財研究所に出かけました。昔の紙や木管、貴金属など貴重な文化財を近代科学の粋を尽くして保存処理を行っている所です。若い技術者たちが気の遠くなるような繊細な作業を黙々とこなしている風景を目の当たりにすることになります。彼ら彼女らの努力によって、歴史に埋もれた文化財が陽の目を見る。驚くばかりでした。講義と見学のあと、元興寺にお参りして帰りましたが、ここ奈良も紅葉のまっさかりでした。
 聞くところによると、この研究所の建物は昔、LPレコードを作っていたテイチクの社屋だったのだそうです。LPからCDに変わりハイレゾに進化していく流れの中で、一度はパナソニックの工場になったようですが、いまは文化財保護の拠点に様変わりです。屋上から遠くに見える若草山や興福寺の五重塔を眺めながら、歴史の悪戯というのかなんとも感慨深いものを感じたものでした。
 こうして、京都、京丹後、奈良と巡った1週間が終わろうとしています。大きな時の流れのなかに戯れた1週間でもありました。少し飛ばし過ぎましたので、ここでいったん小休止することにいたしましょう。

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皇帝ダリアが花開く秋

2018-11-22 21:18:48 | Weblog

 今朝、出かけるときに庭を眺めたら皇帝ダリアの上部に大きな花が咲いていました。たくさんある蕾のうちのひとつですが、我が家にやってきて2年目にしての開花です。春先から伸び始め、今では私よりもすいぶん高く3メートル近くなりました。度重なる台風の到来で、残念ながらいくつかは倒れてしまいましたが、最後まで踏ん張ってくれた茎に花が開きました。高すぎて望遠レンズがないと細やかな花びらを確認することができません。
 そんな秋の某日、またもや上洛をいたしました。今回のお目当ては「没後50年、藤田嗣治展」(京都国立近代美術館)です。あまり深い理解もないままに会場内に入ると、西洋絵画を思わせる空気が部屋の隅々にまで充満していました。案内によれば藤田は、80年を超える人生のおよそ半分をフランスで暮らした画家で、20代後半にパリへ渡り、30代に入るとフランスにて頭角を現した画家です。その藤田の描く絵の変遷を辿りながら、一枚一枚を丁寧に観て回りました。
 第二次世界大戦の一時期、帰国した藤田は作戦記録画を多数発表しますが、そのために戦後批判を浴びることになり、1959年再びフランスの地に舞い戻ります。以後、フランス国籍を取得し、その地で生涯を終えました。西洋風の油絵でありながら日本の繊細な心が滲み出る藤田の絵画を楽しみました。パンフレットには「乳白色の下地と繊細な描線に代表される彼の香り高い芸術は、多くの人々を魅了してきた」と紹介されてありました。
 そんな美術館を後にして、いつも通り神宮通りを歩きながら青蓮院の前を通って知恩院に向かいました。法然上人御堂に上がって、お経が響くなか両親や亡き兄姉たちに手を合わせ安寧の日々に感謝します。ふと、ケルンの大聖堂の空気感に近いものを感じました。やはり宗教というものの根っこは同じなんだろうと思ったものでした。
 阿弥陀堂の付近に小さな人だかりがありました。よく見ると季節外れの桜の花(?)。考えてみると毎年この時期になると咲いているような気がします。ということは、毎年この時期にお参りをしているということなんでしょう。円山公園の紅葉を愛で、四条通りのお店を冷やかしながら帰途につきました。新装なった南座の姿も。
 話は変わりますが、今週の授業「近代文学」のテキストの中に、夏目漱石が誕生について綴った「硝子戸の中」の一節が紹介されてありました。
「二月九日、江戸牛込馬場下横町に生まれる。父直克五十歳、母ちゑ四十二歳。(中略)私は両親の晩年になって出来た所謂末っ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいふ話が、今でも折々は繰り返されている」と。
 これって私と同じだと思いました。夏目家の場合は五男三女、我が家は四男五女。末っ子という点は共通しています。なによりも、私を産んだ父母の年齢がほほ同じということです。漱石は一時期、養父母に預けられ、実の両親を「お爺さん」「お婆さん」と呼んでいたとか。私が小さい頃、一番上の姉を時々「お母さん」と呼んでいたと亡き姉が話してくれたことがありました。そういう点でも共通するものがあります。でも、だからどうだということではありません(笑)。なんとなくぼんやりと時代というものを思った次第です。

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紅葉の秋に文楽とコンサートを楽しむ

2018-11-15 21:34:47 | Weblog

 ブログの更新。ディスプレイに向かって、さて何を書こう。なかなか浮かんでこないときは「にっぽんの七十二候」を紐解きます。いつの間にか立冬を過ぎて第五十六候「地始凍(ちはじめてこおる)」。大地が凍り始める季節のようですが、どうやら来週は寒くなりそうな気配です。
 さて、今週の授業は古典文化「文楽」がテーマでした。名誉教授の先生から4時間にわたってお話しを伺ったあと、国立文楽劇場に引率して午後4時から始まる第二部の「?山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)中将姫雪責の段」と近松門左衛門作「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)徳庵堤の段・河内屋内の段・豊島屋油店の段」を観劇しました。心の機微に触れるお話しですが、どこまで理解しているのかと問われると自信はありません。でも、生駒の山並みと実りの秋を迎えた河内平野の田園風景が描かれた背景をバックに、いつの間にか3人の人形遣いの存在を忘れて「生きている」人形の仕草に惹き込まれていきます。日本の文化の奥深さを目の当たりにする瞬間です。
 数日前の日曜日には、ウラディーミル・アシュケナージが指揮するアイスランド交響楽団のコンサートにも出かけました。1曲目は、辻井伸行のピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18、2曲目は同じくラフマニノフの交響曲第2番ホ短調作品27でした。80歳を過ぎたアシュケナージのすばらしい指揮ぶりに、ただただ聞き惚れたコンサートでした。と同時にラフマニノフの再発見でもありました。
 7百名あまりの文楽劇場、2千人をゆうに超える聴衆が聴き入ったフェスティバルホール。日常の喧騒から離れて、ひとつの作品に皆が酔いしれる。そんな心を共有できる不思議な空間.......。
 そうそう、コンサートの前には、紅葉の季節を迎えた大阪城公園にも立ち寄りました。紅葉見頃とのことでしたが、もう一歩といったところでしょうか。それでも結構な人出で、大都会の小さなオアシスのようでした。人びとは何かを求めて、あちらに行ったりこちらに行ったり。
 きのうは京都にも行ってきました。カレッジの校外学習先である立命館大学国際平和ミュージアムを見学するための下打ち合わせです。現地集合・現地解散のため、JR・近鉄電車、阪急電車、京阪電車それぞれの拠点駅からのルートとバスの時刻を綿密に調べて、京都の街に不案内なシニアの皆さんに細心の注意を払います。
 そんな京都も、平日にもかかわらず多くの国内外の観光客が訪れていました。帰り道、市バスに乗っていたら外国人の女性客が運転手さんに不安そうに英語で道を尋ねていました。どうしよう。と、そのとき若い運転手さんが流暢ではないけれどもカタコトでもない英語で親切に受け応えしている姿を目の当たりにしました。これぞ”国際観光都市・京都”。四条河原町で降りた外人さんは、何度も何度も運転手さんにお礼を言っていました。嬉しいですねえ。かく言う私は、ふだん使う機会がないものだから、ここにきて日常会話にも事欠く始末。残り少ない人生を思うと、今ここで語学に打ち込む時間的な余裕もなく、ますます低下するばかりです。あとは当たって砕けろってことにしておきましょう(笑)。

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長男君と一緒に小旅行~伊勢湾周遊

2018-11-08 21:37:21 | 旅行

 夕方、バスを降りて自宅へ急いでいると、途中にある小さな公園の樹々が一部紅葉し始めていました。広場では子供たちがサッカー遊びに興じています。少子高齢化と言われる昨今、街に子供たちの声が響くのは嬉しいものです。そんな11月初旬の今日この頃です。
 さて、急に思い立った名古屋旅行ですが、出発の前日になってやっと宿が決まり、慌ただしく自宅を後にしました。朝7時過ぎに飛び出して名古屋駅に着いたのが9時過ぎ。名古屋がこんなに近いとは思いませんでした。新幹線口で長男君と合流して、まず向かったのは噂に聞いていた「名古屋のモーニング」でした。地下街を歩いて入ったのは、ネットでチェックしていたモーニングバイキングのお店。ドリンク1杯+パン、ゆで卵食べ放題で490円。量は申し分ありませんが、お値段相応といったところでしょうか。まあ、これも経験ってことに。
 次に向かったのは、名古屋駅から歩いて15分ほどのところにある「ノリタケの森」でした。ノリタケブランドで知られる洋食器のノリタケ。ギャラリーやミュージアム、クラフトセンターなどを見て回りました。都会のど真ん中にひっそりと佇む緑とレンガの空間にしばし心の癒しをいただきました。
 それにしても日本人持前の進取の精神には驚きます。1914年(大正3年)に日本で初めてディナーセットを完成させたのだそうですが、その歴史を紐解けば1876年(明治9年)に輸出業「森村組」を東京銀座に創業したあと、3年後の1878年(明治11年)にはニューヨークに輸入雑貨店「モリムラブラザーズ」を出店し本格的な海外貿易を開始しています。展示室には事業拡大に成功した当時の人々の自負が充満していました。
 名古屋駅に戻ると、いよいよ初日のメイン、渥美半島の先端にある伊良湖岬に向かいました。まずは名鉄に乗って豊橋に向かいました。軽く昼食休憩をとったあと、ホテルの送迎バスに乗って3時過ぎに到着しました。チェックインのあと三人でお散歩しましたが、ずいぶん昔に家族全員で伊良湖岬に来たことがありました。恋路ヶ浜を歩きながら皆で「椰子の実」を歌いました。名も知らぬ遠き島より ♪ 流れ寄る椰子の実ひとつ ♪♪。古き良き時代の思い出です。
 翌日は、長男君が行ったことがないというので、伊勢神宮にお参りすることにしました。朝9時半のフェリーに乗って、雨の伊勢湾を鳥羽に向かいました。最近フェリーに乗ったのは、イタリアはナポリからシチリアのパレルモ港に向かった時。夜の8時ごろに出航して翌朝の7時ごろに着きました。寝つかれず、船内の喧騒に紛れてバーでウイスキーをいただきながらあたりの風景をぼんやり眺めていたのは半年ほど前のことでした。
 あいにく二日目は小雨が舞っていました。鳥羽港に到着すると、CANバス(三重交通バス)
の「伊勢志摩みちくさきっぷ1DAY」を使って伊勢神宮の内宮に向かいました。すると、鳥居の前の広場に大勢の人だかりができていました。青山学院大学、日本体育大学、法政大学、東海大学といった旗が何本も立っていました。なんとこの日は第50回全日本大学駅伝対校選手権記念大会の日でありました。ゴールに近い広場のパブリックビューイングにも人だかり。遠くからは、各大学の応援団、チアガールと盛り上がっています。バスの時刻の関係でゴールの感激は味わえませんでした。この日の戦績は、1位青山学院大学、2位東海大、3位東洋大、4位駒沢大だったとか。

 バスでJR伊勢駅に到着すると、今度は伊勢神宮外宮にお参りをしました。そのあと、参道のお店をぶらり歩いていると「巾着伊勢うどん」の看板が目にとまりました。おうどんの中にお揚げが入っているきつねうどんではなく、「お揚げの中に、もちもちの伊勢うどんが入っていて、あわびのだし汁で茹でた伊勢うどん入り巾着をつゆにからめておめしあがりください」とありました。おいしくいただきました(笑)。
 そうこうするうちに午後3時。長男君にお疲れがでないように少し早めにお別れです。私たちは近鉄に乗って大阪「難波」方面へ。長男君は名古屋方面に向かって行きました。プロジェクトの関係で豊田市に単身赴任中の彼、月に数回は週末に東京の自宅に帰っているようですが、お嫁さんも3人の子どもを抱えて大変です。でも、うまくやっているのが垣間見えて、親としては安堵の旅でもありました。

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Google siteでホームぺージを試作??

2018-11-01 21:07:23 | Weblog

 先日、スマホのスケジュール手帳ジョルテを苛っていたら、なぜでしょうか。これまで蓄積していたデータが表示されず、真っ白な画面になってしまいました。どうしよう.....。PCとの同期もしていなかったので、ここ数年間の日々の出来事と今後半年先の予定がすべて消えてしまいました。年内の2カ月については、家内と予定を共有するために書き込んでいたカレンダーで何とか記憶を呼び起こすことができましたが、その先は闇の中。当分、お会いする方々にお尋ねすることになりそうです。というわけで、気分一新。Googleのカレンダーを使うことにしました。これならスマホもPCも同期していて安心です。ボケ防止に使っているKeepメモも、ここに来て陽の目を見ることに。
 それはそうと、この歳になってホームぺージを苛うとは思いませんでした。アシスタントのお仕事の延長線でHPの面倒もみてくれないかと。「いやあ、20数年前にMicrosoftのFrontpageを使って個人的にホームぺージを作って遊んだことはありますが、ひとつの組織のホームページの面倒なんてみられません」。と言いながら、ホームぺージ・ビルダーを買ってきて、この一カ月の間に独学でデータを更新する技は身につけました。でも、書店にはもっと簡単につくれるマニュアル本がずらりと並んでいます。そんなとき、システム屋さんからGoogle siteの利用を勧められました。ワード感覚で作れるとのこと。さっそく試してみると、最大公約数的な標準的なツールに限定されるけれども、素人でも肩の力を抜いてホームぺージを作ることができそうです。ということは、技術的な奇抜さよりも、何をどう伝えるかという根幹に力を注ぐことができるということでもあります。
 そんな次第で、この1週間、Google siteと睨めっこです。現在のホームぺージをちまちま修正する作業はどなたかにお願いして、新しいサイトを一から作り上げてみることにしました(笑)。この歳になって、こんなことをするとは。営利目的の組織ではありませんから、月末のホームぺージ委員会に試作品を提案して承認されれば、年内に切り替えることを目論んでおります。さあて、どうなりますことやら。(ここまでの写真、本文とは関係ありませんね。ネタ切れというか、先日、京都府立植物園に行った際に撮影したものです。)
 ところで最近、奥様がご機嫌斜めなのです(-_-;)。アシスタントのお仕事に振り回されていて、なんだか現役時代に逆戻りしたような日が続いたからでしょう。反省です<m(__)m>。そんなわけで、先日、気分転換に京都府立植物園に出かけました。台風の影響が生々しい園内でしたが、それでも秋の花が咲き始めていて、ほっとする時間を共にしました。

 その日は、地下鉄の一日乗車券を利用して、京都のアンティークフェアにも立ち寄りました。年に何回か開かれる催しですが、あくまでも冷やかしです。最近は、日本刀の鍔(つば)が人気なようで、結構なお値段で売られていました。かの小林秀雄が刀の鍔を集めていたことを何かの本で読んだことがありますが、私にはもうひとつ理解できませんでした。結局、この日は錫製の酒器セットを値切って買って帰りました(笑)。
 京都には、その二日後にも出かけました。こちらは大学サークル同窓会の最終打ち合わせのためです。いつもどおりビアレストラン「ミュンヘン」で、ビールを呑みながら2時間。しっかりとお話しができました。その後、古くからあるフランソア喫茶室で美味しいコーヒーをいただいて帰りました。帰りがけ、四条大橋を歩いていると、耐震工事が完成したばかりの南座が眩しく輝いていました。歌舞伎とはご縁がないので、入ったことはありませんが、その存在感だけは近しいものがあります。
 ざっとこんな一週間でした。きょうは一日中、アシスタントの会議と打ち合わせでしたが、夕食を終えてほっとしていると名古屋に来ている長男君から電話がありました。何か電話した?と。そういえば、お昼休みにスマホの住所録をgoogleに統合していて、誤って長男君のスマホに電話をしたようです。そんな話をしていたら、家内が長男君に「土曜日はお休み?名古屋に行っていい?これから温泉宿を探してみる」と。こんな行き当たりばったりの楽しい生活を送っている初老の夫婦ではあります(笑)。

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