心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

東寺の弘法市に行く

2016-02-27 23:52:27 | Weblog

 月曜の夕刻は3カ月ぶりに定期検診でした。娘のような女医さんから注意されたこと、それは「数値はずいぶんよくなっていますが、週に1回は必ず休肝日を設けましょうね」でした。「は、はい」とは言ったものの、あれから5日が経過するも、週の半ばには呑み会もあったりで、いまだ約束を果たしていません。だめですねぇ。
 その日は、前回予約をしていた成人用肺炎球菌ワクチンの接種もしました。若い頃、ヘビースモーカーでしたから、風邪をひかなくても咳き込むことが時々あります。65歳から5年刻みで市の補助が受けられるため、思いきっての接種です。でも、大人になってからインフルエンザを含めてワクチンというものを接種したことがありません。恐る恐る、といっても一瞬の出来事でした。良い歳をして.......。(笑)
 さて、週刊「仏教新発見」9号の特集は「東寺」でした。神社仏閣の内部は写真撮影ができませんから、その薀蓄を含めてこうした雑誌は助かります。そんなわけで、弘法市と日曜日が重なった21日、久しぶりに京都・東寺にでかけました。
今は京の冬の旅「五重塔」特別拝観の時期です。講堂、金堂、五重塔と、仏様と対面してきました。すごく印象に残ったのは、講堂に安置された真言密教の教主・大日如来でした。宇宙の中心、真理。そんな存在と言われる大日如来の前で、私は何もできなかった。何かを諭しているかのような眼差しに、しばし立ちすくんだものでした。立ちすくむというよりも壁際に身をゆだねてずっと見つめておりました。
 あまりにも強烈だった印象を引きずりながら境内を歩いていると、早咲きの河津桜や梅の花が私の心を和ませてくれました。ふっとひと息です。しばし休憩をしたあと境内の骨董、陶器、紙、盆栽や草花のお店などを見て回りました。家内は折り紙につかう和紙の選定に余念がありません。その間、私は植木をみたり骨董屋さんをひやかしたり。
 そんなお気軽な休日を過ごして始まった1週間でした。半ばには年度末でリタイアされる方と一献傾けたり、昨日は東京・神楽坂に出かけたり。そうそう、東京に向かう新幹線の中で、美しい富士山とご対面でした。いつ見ても雄大なお姿です。
 2月もあとわずか。きょうは縁あって地元の私立高校の卒業式を覗いてきましたが、「蛍の光」と「旅立の日に」の歌を聴きながら、若者たちの初々しい旅立を祝いつつ、私自身の卒業の日が近づいていることを思ったものでした。あれもしたい、これもしたいと夢ばかり広がりますが、とりあえずは近所のスポーツジムの入会手続きからはじめましょう。

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グレン・グールドの「ハイドン」を聴く

2016-02-20 23:04:47 | Weblog

 きょうは朝から小雨が降っていました。夕方には本降りになりましたが、この時間は静かです。雲の間からお月様まで顔を覗かせています。それにしても二十四節気「雨水」とはよく言ったものです。ものの本によれば、降っていた雪がいつしか雨に変わり、積もった雪や氷が解け始める時季なのだとか。春一番が吹き、寒くなったり暖かくなったりしながら、しかし確実に「春」は近づいています。
 そんな春を前に、出勤途上の公園では剪定された樹木が寒そうに立っています。夏には青々とした葉を広げて陽の光を全身に浴びていた樹木ですが、太い枝を切り落とされています。老木に刺激を与えることで樹木を活性化しようということなのでしょうが、こんな無残な姿にまでしなくてもと思います。老木には老木の生き方があります。そこまで人間が自然を支配しなければならないのかどうか。どうなんでしょうね。
 でも、みんな頑張っています。先日の日曜日には畑の片隅で蕗のとうを見つけました。大地が湿り気を帯びたばかりの季節ですから、まだまだ可愛い芽ですが、例年になく数が多かったので、いくつかを採取して、その日の夜、お鍋に浮かべて芳しい春の香を楽しみました。なんと贅沢な時間だったことか。
 そんな他愛ないことを考えながら、土曜休日の昼下がり、グレン・グールドのLPレコードからハイドンの「後期6大ソナタ」(2枚組)を聴きました。ハイドンを聴くのは久しぶりですが、その解説に、こんな記述がありました。
 「私がもしピアニストだったら、ハイドンのソナタを、こういうふうには弾かないだろう。かりにグールドと同じだけの腕が与えられたとしても、こういうふうには弾かないだろう。また、私がピアノ教師であったなら、この演奏のまねはするなと、生徒たちに言うであろう。万一まねができてもこういうふうには弾くなと、生徒たちにいうであろう。にもかかわらず、このハイドンはすばらしい。ひじょうに特異でありながら並外れた説得力をもち、わがまま勝手であるように見えながら、曲の真髄をこの上なくあざやかに伝えてくれる、グールドのハイドン。これを天才の業と呼ばずして、いったいなんと呼ぼう」(礒山雅氏)
 若い頃から聴いてきたグールドの真髄を突いた言葉です。一見矛盾しているように見えますが、多くのファンが同じような思いで聴いているのではないでしょうか。私も初めて聴いたとき、「これは誰?」という驚きがありました。でも「何か変だなあ」と。にもかかわらず聴き込んでいるうちに離れられなくなってしまう。そんな関係ができあがってしまいました。
 一人のピアニストにしては多すぎるほどの書籍が出版され、音と言葉を通じて、いろんな人々がグレン・グールドのひととなりに迫ろうとしています。手許にあるミシェル・シュネーデル著「グレン・グールド 孤独のアリア」も、そのひとつです。ゴールドベルク変奏曲にならい、アリアから始まり、第1変奏から第30変奏、そしてアリアで終わるこの本。以前、阪急古書のまちの「杉本梁江堂」さんで見つけました。 

 
 
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老犬と暮らす日々

2016-02-13 22:33:49 | 愛犬ゴンタ

 雨が降るようで降らない、そんな一日かと思いきや、夕方からは本降りになりました。お天気お姉さんに間違いはなさそうです。そんな土曜休日の朝、春を思わせる暖かさに誘われて、ゴンタ爺さんとお散歩にでかけました。いつもは、お布団の中で眠っていることが多いので、全身を動かすお散歩は欠かせません。でも、しんどくなると、散歩の途中でも道端にごろんと横たわってしまいます。それをなんとか起こしてお家まで歩いて帰ります。16歳。犬年齢93歳。少しでも長く生きてほしいから。....ところがゴンタ君、夕食に出た鳥の唐揚げをおすそ分けしたら、自力で立ち上がりました。「凄い!」。老夫婦の感嘆の声でした。(笑)

 お散歩から帰ると、身体を洗ってあげました。暖かい温水をかけながらシャンプーです。若い頃のように、毛がふさふさしているわけではなく、ずいぶん痩せてきたので壊れそうな骨格ですが、労わるようにお湯をかけてやると、目を細めてお風呂を楽しんでおりました。
 そんな2月の半ばの土曜休日ですが、家内お手製のお花をみると、菜の花畑でした。そのうえ、最近やりだしたという折り紙で、お雛さまが飾ってありました。なかなかの腕前です。聞けば、来月から仲間を集めて折り紙サークルを作るのだそうです。
 さて、ここで話題をがらりと変えます。先日、仕事帰りに梅田「阪急古書のまち」を通り過ぎようとして、一軒だけ気になって立ち寄りました。藤沢書店です。入口のところに廉価本コーナーがあって、時々面白そうな本に出会うことがあります。その日出会ったのはダンテの「神曲」でした。この本、岩波文庫などで何度か読み始めようとしましたが、日本の風景とはあまりにも違うので、その都度中断でした。今回見つけたのはB5版サイズで読みやすく、またギュスターヴ・ドレの挿画付きです。1989年出版。定価3800円のところ800円でのご購入でありました。

 「神曲」は、暗い森の中に迷い込んだダンテが、古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国の国を遍歴していくという不思議な物語ですが、仕事をしていると真剣に読み進む心のゆとりがないのも事実です。でも、この本は、文字が強調されていたり、挿画が入ったりで、なにやら楽しい装丁になっています。ここ数日、眠る前のひとときを楽しんでいます。
 そうそう、数日前、真夜中に目が覚めたので、枕元にあるラジオのスイッチを入れたら、ちょうど午前4時のニュースが流れていました。ラジオ深夜便「明日へのことば」の時間が始まろうとしていました。その日は、主婦・大学聴講生 内山章子さんのご登場で、「いつまでも”学びの心”を」がテーマでした。この人はいったい誰?そのまま聞いていると、なんと鶴見和子と鶴見俊輔の妹さんでした。姉、兄と違い、戦後の混乱期、満足な大学教育を受けられない世代。ご両親の介護に多くの時間を費やし、近年では、京都・宇治のゆうゆうの里に入居した鶴見和子の介護と看取りに尽くされた。「公人」と定義する姉・和子の最後の言葉は「怖いお姉さんでごめんね。ありがとう。サンキューベリーマッチ」だったのだと。三回忌を機に「鶴見和子病床日誌」を自費出版されたようです。80歳を超え、今もなお元気で日々楽しく学んでいらっしゃるご様子の内山さん。その前向きな生き方についつい聴き入ってしまいました。ここ数週間続いた鶴見ワールドは、まだまだ広がりますが、ここで小休止です。当分の間、ダンテの「神曲」と戯れることにいたします。

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三週続いて南方熊楠

2016-02-06 23:58:50 | Weblog

 きょうの土曜日は所要のため東京・汐留の某新聞社に行ってきました。お昼前に到着したので、昼食でも食べようと周辺を散策していたら、なんとご近所に築地市場がありました。ならば美味しいお寿司でも頂こうと向かいましたが、外国人観光客でいっぱい。歩くこともできない盛況ぶりでした。というわけで、少し離れた路地裏の小さなお店でリーズナブルな日替わり海鮮丼をおいしく頂きました。そのせいか、お仕事の方は存分に新しい空気を吸い込んで、今後半年のエネルギーを全身に充満させて帰阪することができました。
 そんな土曜日の出張になりましたが、きょうは帰宅時間が遅くなりそうなので、ただいま新幹線の中でノートパソコンを開いてブログ更新の作業を始めています。NHKFMでN響定期演奏会からマーラーの「亡き子をしのぶ歌」、ブルックナーの「交響曲 第5番 変ロ長調」を聴きながらの作業です。
 さてさて、話は変わりますが、先日の日曜日、孫君たちがやってきました。長男君の手には自作の凧。聞けば小学校の工作で作ったらしい。さっそく近くの公園に連れていきました。風はそれほど強くはなかったのですが、うまく風を受けて舞い上がりました。長男君の満足そうな顔。孫の成長をみるのは嬉しいものです。
 ところで最近のブログを眺めると、珍しく南方熊楠、鶴見和子が頻出しています。でも、その勢いが止まりそうにありません。「南方熊楠の謎」に続いてamazonから購入したのは鶴見和子著「南方熊楠・萃点の思考~未来のパラダイム転換に向けて」でした。既に鶴見和子曼荼羅全集に収録されているものもありますが、南方曼荼羅に関する松居竜五先生との対談は初対面になります。
 楽しいですねえ。ひとつのことに集中し出すと出会いも多い。南方熊楠顕彰館のサイトを覗いたら、NHKBSプレミアムで新日本風土記 吉野 熊野」が再放送されるとの告知に目がとまりました。早速録画をしておきました。森の神聖、宗教と人の生き様、森との共生.....。と、画面に南方熊楠の姿がありました。奇人変人と言われた熊楠が、ロンドンから帰国した後に籠った熊野の森。そこで彼は粘菌の採集に励むとともに、学術雑誌「ネイチャー」や「ノーツ・エンド・クィアリーズ」に英文論文を相次いで投稿していきます。そしてエコロジーの視点から、神社合祀反対運動を繰り広げた。
 テレビの画面には熊楠が土宜法龍に宛てた書簡に記した南方曼荼羅の原図とも言えるものが映っていました。森羅万象様々な因果律を見つめる視点としての萃点、図では「イ」の位置にあたりますが、これとて立ち位置によって微妙に移動しながら全体を見つめ考えていく、不思議な不思議な、私を虜にしてしまう絵なのです。
 ああ、前のめりになりそうなので、少し話題を変えましょう。週の半ば、経済団体主催のオープン・イノベーションに関する会合に出席しました。どうも日本は、こうした真新しい舶来言葉に弱いのですが、要するに「井戸端会議」「三人寄れば文殊の知恵」、日本人お得意の知恵出しです。これがいま脚光を浴びるのは、現状に閉塞感があるからなんでしょう。話しの中で興味をもったのは「組織慣性」という言葉でした。取り巻く環境が変わりつつあるのに、これまでの動きを止めることができない内的な力、それを組織慣性というのだそうですが、それを打ち破るひとつの手法としてクローズアップされているようです。でも、実際にやろうとすると、これまた大変。社内に妙な政治力学が働きます。きょう、ある方がおっしゃっていました。理念をカタチに変えるのは本当に難しいと。ここは宇宙人(異邦人)に来ていただくほかありません。(笑)
 おっと。東京出張の影響からか、このブログの主旨に反して、なにやら仕事を引きずっています。ダメですねえ。きょうはこれぐらいにしておきます。ただいま名古屋駅を通過。帰宅後に微調整したうえで、写真を添えてアップすることにいたしましょう。

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