心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

真夏の芸術鑑賞、そして読書

2017-07-27 21:34:10 | Weblog

 ほんとうに暑いですね。庭の草木もお疲れ気味です。夕方、庭中に水やりをするのが日課になってしまいました。そうそう、きのう皇帝ダリアの摘心をしました。もう少し早くやっておけばよかったのですが、まだ間に合います。高さを抑制することと花数を増やす効果があります。

 今夜、クーラーの効いた部屋でごそごそしていると、昼間の汗もどこへやら。アラン・プラネスのピアノで「ドビュッシー名演集」のレコードを聴きながら、ほっとひと息です。きょうは課外の音楽講座に出かけてきました。テーマは「近代フランス音楽のピアノの世界」。フルートとピアノの先生によるお話しと演奏で、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、メシアン、デュティユーの名曲を聴きました。ドビュッシーの「子供の領分」「ベルガマスク組曲」「前奏曲集」、ラヴェルの「鏡」などなど。メシアン、デュティユーあたりになると現代音楽に近い。.........終わった後は、知人たちと冷たいビールをいただきながら音楽談義でありました。
 その帰り道、ジュンク堂書店に立ち寄りました。お目当ては、先月発売された平凡社STANDARD BOOKS「南方熊楠~人魚の話」です。一カ月ほど前に南方熊楠に関するトークイベントに行って以後、久しぶりに南方熊楠の通史とも言える唐澤太輔著「南方熊楠~日本人の可能性の極限」を通読しました。鶴見和子著「南方熊楠~地球志向の比較学」に出会って以後、いろんな本を摘まみ食いしてきたので、少し頭の整理ができたような気がします。暑い夏の昼下がり、新進気鋭の若き南方研究者の熱い思いを肌で感じたものでした。
 暑い日が続くと、家の中でじっとしていられない性分です。先日は、家内を誘って大阪・中之島にある国立国際美術館に行ってきました。オランダのボイマンス美術館所蔵のブリューゲル「バベルの塔」展です。16世紀ネーデルランド絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲル1世、奇想天外な怪物たちがはびこる世界を描いた奇才ヒエロニムス・ボス。(下の「バベルの塔」は絵葉書から、「大きな魚は小さな魚を食う」は週刊西洋絵画の巨匠「ブリューゲル」から引用)
 会場に入ってびっくりしたのは、聖者の木彫像でした。アルント・ファン・ズヴォレ(?)の「四大ラテン教父(聖アンププロシウス、聖グレゴリウス、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス)」1480年制作。西欧キリスト教文化圏にあっても、日本の仏像文化に共通するものがあって、興味津々でした。
 基本的に宗教絵画が多いのですが、いろいろ見て回っているなかに「七つの大罪」という言葉にであいました。「強欲」「色欲」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「暴食」。なにやら弘法大師の「十善戒」のよう。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚 不邪見。識字率の高くなかった時代、絵画は宗教の教えを説く重要な役割を担っていたのでしょうが、どんな宗教も同じなんだと妙に納得した次第です。
 それにしても、オーク材木彫、油彩、板、エッチング、エングレービングと多彩な手法で表現された作品のひとつひとつを興味深く拝見させていただきました。人の感性というものが、一千年、二千年という年数が、なんとも近しいものに感じられました。科学技術が発展し、人の知識が深みを増していくなかで、1千年前の人々と現在のわたしたちと何がどう違うのか。基本的なところではなにも変わってなんかいやしない。いやいや、AI(人工知能)の進化により、むしろ人の在り様は退化している、なんてことはないでしょうね。真剣に考えてしまいました。

 今週は金・土と北陸の温泉に出かけてきます。日曜日は終日、京都。というわけで、今週はブログの更新を見送ろうと思いましたが、習慣とは恐ろしいものですねえ。週1回の更新は崩したくないなあということで、とりあえず手許の材料を集めてみました。あすはバックの中に「南方熊楠~人魚の話」を入れて、ゆったりと日本の原風景を楽しんでくることにいたします。

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シニアも夏休み。「世界を変えたレコード展」に行く

2017-07-21 21:12:17 | Weblog

 ここ大阪もやっと梅雨があけたと思ったら、連日35度を超える猛暑日が続いています。でも、この暑さはまだ始まったばかりです。「大暑」。暑い暑い夏を迎えました。
 そんな夏の清々しい朝、近くのお不動さんへお散歩にでかけます。ときには本堂で行われている護摩供祈祷を眺めたりもします。その間およそ1時間、歩数にして5千歩強。これがわたしの日課になっています。.....暑い夏が過ぎて秋を迎え、寒い冬を越えて春を迎える。四季の移り変わりを肌で感じながら、心身の健康を確かめてもいます。
 今朝、境内にいくと、蝉取りに夢中になっている母子に出会いました。きょうから夏休みなんですね。クーラーの効いた休憩所でひと休みしていると、広い空間の端っこに子供たちのグループがいます。宿題をしています。ゲームをしている子どももいます。いい場所を見つけたものです。
 それにしても1年が経つのはほんとに早いものです。この調子でいけば、あれよあれよという間に健康寿命が終わってしまうかもしれません。それは避けたいなあというわけで、昨年の10月からシニア向けのカレッジに通っていますが、今週、終業式を迎え、1カ月の夏休みに入りました。
 カレッジには、いろんな人生を送ってきた方々がいらっしゃいます。企業戦士だった方もいれば、コンサルタントやアナウンサーだった方、学校の先生だった方もいます。もちろん専業主婦だった方や今も自営業を営んでいる方もいらっしゃる。皆それぞれの人生をそれぞれのスタイルで頑張ってきた元気なシニアたちです。それにしても、世の中の柵から解放されると、言葉のひとつひとつが新鮮に感じられるから不思議です。日々、良い出会いをいただいています。時々集まっては冷たいビールをいただきながら盛り上がります。これもまた楽しいことです。
 なんとか留年することなく2年生に進級できそうです。きょう来期の学費を納めましたが、来期のプログラムも興味をそそるものばかりです。先日初めて学んだ風景画、まだまだ知らないことばかりなのに1枚の絵が描けただけで満足してしまい、秋からは「水彩画教室」にも通う予定です。半年後にどれだけ上達できるか楽しみでもあります(笑)。
 来期といえば、この秋から四国八十八カ所の「歩き遍路」に挑戦することを計画中です。挑戦というほど気負ったものではありませんが、この1年間、バスツアーで巡った際に見かけた「歩き遍路」さんに、妙な憧れをもってしまいました。期限は設けず、場合によっては途中で断念ということも織り込みながらも、とにかく歩いてみたい。
 幸い、「発心の道場」といわれる徳島県で「歩き遍路」をサポートしていらっしゃる方と出会うことができました。地元の銀行にお勤めのあと、先達や旅行関係の資格をおとりになってガイドをしていらっしゃる方です。1400キロもの距離を歩き通す自信は毛頭ありませんが、まずは9月の半ば、1番札所の霊山寺から11番札所の藤井寺まで歩いてみることにしました。弘法大師空海らが千数百年も前に創建した寺々を巡り、樹齢数百年の大杉の肌に触りながら、無心でただただ歩き続ける。これもありかと。
 話は変わりますが、先日、カレッジの帰りに、大阪駅前のグランフロント大阪北館で開催中(23日まで)の「世界を変えたレコード展~レコードコレクションからたどるポピュラーミュージックの歴史」を覗いてきました。主催はなんと工業専門の金沢工業大学です。この大学、2年前の秋には所蔵するコペルニクス、ニュートン、キュリー夫人、アインシュタイン等の初版本などを展示した「世界を変えた書物展」を主催した、懐の深い大学です。
 一歩中に入るとロックン・ロールやジャズをはじめとするポピュラーミュージックのLPレコードがずらり。この分野が好きな方にはたまらない内容だろうと思います。1枚のレコードのジャケットをじっと見入っている方があちらこちらにいらっしゃいました。
 ブース7「モノ~無形化」のパネルには、つぎのように記されていました。「1989年を境にアナログレコード生産が消滅してCDにとって変わられ、ポピュラーミュージックの世界にデジタル化の波が押し寄せた。レコーディングのスタイルが変化し、機材も含め、音楽の聴き方も変わっていった。そしてインターネット上での音楽配信が一般化し、世界中の町からレコードショップが消えていった。LPはもちろんのこと、CDも手に入れず、CDプレーヤーも持っていない新しい世代。ポピュラーミュージックは現在、デジタル波に乗って世界中を駆け巡るようになった」と。シニア世代としては寂しいような、楽しいような複雑な心境です。
 こうした進化に、どこまでついて行けるのか一抹の不安もあります。最近は、パソコンはもとより家庭電器製品に至るまで、便利さという名の付加価値がどっさりついていて、それを使い熟すのにひと苦労します。もっとシンプルであっても良くはないか。
 そんななかで少し元気をいただいた新聞記事がありました。数か月前の読売新聞だったと思いますが、「アナログレコードの人気が高まり、国内生産枚数が2009年に10万2千枚だったのが、16年には79万9千枚にまで増えた」とありました。また、つい先日、アナログレコードの人気再燃を受けて、ソニーがレコード生産を約30年ぶりに復活するという新聞記事も目にしました。
 レコードのもつ温かみと深みのある音は、何物にも代えがたい。シニアの熱い思いが若者にも徐々に広がっているということなんでしょうか。それともシニアの単なる回顧主義?帰り際に駅前のヨドバシカメラを覗いたら、ハイレゾ対応のオーディオ機器が並ぶ一画に、レコードプレーヤーがずらり並んでいました。
 暑い夏の昼下がり、シベリウスやグリーグ、ニールセンなど北欧の作曲家のレコードを取り出して聴くのも楽しいかもしれません。
(注)子豚さんの写真は、6月に北海道旅行をした際、帯広の「紫竹ガーデン」の売店の窓際に飾ってあったものです(笑)。

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慈尊院の高野山案内犬ゴン

2017-07-16 23:20:12 | 四国遍路

 先週末、四国八十八カ所遍路の旅の満願を祝って、和歌山県の高野山に「御礼参り」に行ってきました。1年前に始まった遍路の旅も、これでひと区切りです。
 この日、朝7時10分に大阪・梅田を出発したときは、まさに夏の朝でした。が、高野山が近づくにつれて雲行きが怪しくなり、奥の院まで20分というドライブイン花坂あたりで雨が降り出しました。1000メートル級の山々に囲まれた標高800メートルの盆地に、人口3千人の街が広がります。そのうち1千人が僧侶なのだそうです。そんな街に、幼稚園から小中高に大学まである聖地です。平日ということもあって、欧米を含む外国人観光客が多く、世界遺産としての霊場であることを思わせました。
 少し小降りになったところで、奥の院に向かいました。あたり一帯が聖地であるため、もちろん写真撮影禁止です。燈籠堂で満願の報告をしたあと、その地下に降りて、15メートル先にある弘法大師御廟に向かって手を合わせました。弘法大師空海は、この御廟で「即身成仏」されたそうで、いまも生きていらっしゃる。なので毎朝6時と10時30分に食事が届けられていますが、お参りする11時頃、食事の後片付けをする3名の僧侶に出会いました。この儀式が千数百年にわたり受け継がれています。
 宿坊・安養院で昼食(精進料理)をいただいたあと、金剛峯寺をお参りし、書院内部やお庭を拝見しました。
 空を見上げると薄っすら青空も見えてきました。次は女人高野・別格本山「慈尊院」に向かいました。こちらは弘法大師の母公のお寺です。本堂に掲げられた絵馬には「高野より母を尋ねて月に九度」と綴られています。大師は、月に九度は必ず高野山上より20キロもの山道を下って母公を尋ねられたそうです。そんな因縁から、この地は現在、九度山町と呼ばれています。
 高野山が女人禁止の聖地であったことから、女人高野と言われています。なので慈尊院は子宝、安産、育児、授乳等を祈ったり、病気平癒を願ったりするお寺として定評があります。なんと、本堂前には「乳房型絵馬」がたくさん奉納されていました。近年は乳がん平癒祈願がたえず、遠くは海外からもいらっしゃるのだとか。
 そんな慈尊院の安念清邦住職から「高野山案内犬ゴン」のお話しを伺いました。慈尊院近くに住みついていた白い雄の野良犬が、20キロも離れた高野山へ向かう参拝者の道案内をしたというのです。既に15年ほど前に亡くなっていますが、当時は新聞やテレビでも広く紹介されたのだとか。参拝者の先を歩き、時々振り返っては確かめたり、危険を知らせたりするゴンの映像を拝見させていただきました。本当かなあという方もいらっしゃいましたが、ワン君の賢さと従順さを身をもって知っている私には、なんの違和感もなく受け入れることができます。実は高野山には約1200年前、弘法大師を高野山に案内した犬がいたという伝説があります。http://jison-in.org/about/gon.html
 こうして高野山への日帰り「御礼参り」を無事終えることができました。帰りのバスの中で先達さんは般若心経のことに触れて、高僧の言葉を例に、三つのキーワードを紹介されました。「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」。今回の遍路の旅で200回も唱えてきながら、まだきちんと理解できていない般若心経ですが、確かに根幹をなす言葉のように思いました。
 もうひとつ、高野山をお参りして改めて認識したこと。それは「多様性」という言葉でした。奥の院は20万基とも言われる石碑が並ぶ霊場ですが、宗派を越えて親鸞聖人や法然上人など様々な仏教指導者のお墓があります。石碑ひとつひとつ見ても様々な宗派の石碑が混在しています。すべてを受け入れる度量の広さ、多様性を軸にしてあることを実感をいたしました。このあたりも、「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」に共通するものがあります。
 奥の院では、道中着(白衣)にお印を記していただきました。参拝記念のお札もいただいて帰りました。でも、まだまだ知らないことが多すぎます。少し涼しくなってきたら、もう一度、四国遍路の旅に出ることを思案中です。 

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いよいよ夏本番~心地よい「風の通り道」

2017-07-15 14:36:28 | 歩く

 ヨーロッパアザミの「アーティチョーク」に、先日、15センチほどの花が開きました。この植物、古代ギリシアやローマ時代から健胃・強肝作用が知られています。すいぶん大きくなったので、そろそろ葉っぱを収穫して「アーティチョーク茶」でも作りましょうか。効能は「肝臓の解毒、消化促進、利尿など」。
 ここ関西地方も梅雨明けが待ち遠しい季節になりました。そんな週の初め、家内のお供をして京都に出かけてきました。向かったのは祇園歌舞練場で開催中の「フォーエバー現代美術館コレクション 草間彌生 My Soul Forever展」。そのあと八坂界隈を散策しました。平日にもかかわらず観光客の多さに驚きます。
 ところで、京の裏通りをぶらり歩いていると、ときどき「風の通り道」のようなものに出くわします。気温32度の昼間、目には見えないのに、ひんやりとした微風を肌に感じます。
 この感覚、実は先週末、街歩きの会で京都・山崎の「聴竹居」を訪ねた時にも遭遇しました。こちらは、日本で最初に環境共生住宅を志向した建築家・藤井厚三氏の邸宅ですが、陽の光と自然の風をうまく家の中に取り込んでいる、そんなお洒落な日本住宅でした。実際に、窓の空き具合を少し変化させるだけでひんやりとした風を感じる、そんな体験をしました。部屋の入口側と窓側の寸法が微妙に違っていたりします。計算の結果であろうと、経験知であろうと、「風の通り道」を活かした家づくりに感心しました。室内の写真をネットにアップしてはならない決まりになっていますので、お見せできないのが残念です。
 歌舞練場を後にして建仁寺を歩き、ぶらりぶらりと散策しながら八坂の塔をめざしていると、八坂庚申堂が現れます。境内には、手足をくくられて動けない姿をしたお猿のお人形が至る所にぶら下がっています?????。「くくり猿」と言われ、これに願い事を託して自分の「欲」を一つ我慢することで願いが叶うのだそうです。何をお願いしたのか、小さな境内は若い女性たちでいっぱいでした。
 久しぶりに知恩院をお参りしました。そのあと、円山公園を通って帰ろうとしたら、なんとお馬さんがずらり。草を食んでいました。なんだろうと尋ねると、この日は祇園祭の神事があり、4時半から「お迎え提灯」の行列が八坂神社を出発するとのこと。じゃあ見物して帰ろうと歩いていると、境内の中にあるとあるお家から、お化粧をした子どもたちがぞくぞくと出てきました。慣れたもので、カメラマンの求めに応じて写真に納まったりもしていました。
 いよいよ行列が動き始めます。目の前を「お迎え提灯」が練り歩きます。夢中で写真に収めました。そのあと少し早いめの夕食、冷たい美味しいビールをいただいて帰りました。この日の万歩計は1万5千歩を優に超えていました。
 「祇園祭」。きょう7月15日は宵宮祭り、17日の山鉾巡行へとクライマックスを迎えます。そして来週には大阪で「天神祭り」があります。関西も本格的な夏を迎えようとしています。そんな三連休の初日の土曜日、孫君たちがお泊りにやってきます。

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京都「百鬼夜行の通り」ウォーキング

2017-07-08 21:46:43 | 歩く

 百鬼夜行という言葉があります。さまざまの妖怪が列をなして夜行することの意味ですが、縁台で夕涼みをしている近所のお爺さんから、怖い怖いお話を聞いた小さい頃の夏の思い出が微かに残っています。集まった子どもたちは、恐る恐るお爺さんの話に耳を傾ける......。蒸し暑さが続く夏の夜に、古き良き時代の遠い風景が蘇ります。

 そんな7月の初旬、京都府ウォーキング協会の「百鬼夜行の通り」に参加してきました。その日の京都は晴れ、最高気温が33度にものぼる梅雨の合間の蒸し暑さのなか、11キロウォークに挑戦しました。ところが、ゴール直前の相国寺に至って、大粒の雨がポツリ、ポツリ.....。出町橋の麓に至ると雷鳴轟くなか土砂降りの雨。雨宿りをする場所もなく、急ぎ賀茂大橋を渡って京阪電車「出町柳」駅に辿り着いたときには、全身ずぶ濡れでした。
 平安時代、京の夜は今のように明るくはなく、暗闇がひろがる百鬼夜行の街だったとか。協会の資料によると、「平安時代の人々は、現代人が失ってしまった霊的感覚(第六感)が敏感であったようです。だから”物の怪”を感知できたようです。鬼・妖怪・魑魅魍魎(ちみもうりょう)などの魔界の者たちが群れをなして大路を徘徊して、人々を襲う”百鬼夜行”が多発していた」。今回はそんな足跡を巡るものでした。真夜中のウォーキングだと子どもの頃の恐怖心がこみ上げてきそうですが、そうもいきません。昼の京の街を歩きました。
 午前10時、JR二条駅を出発したあと、二条城の「あわわの辻」→二条公園「鵺池」→地蔵院→大将軍八神社→大将軍商店街「一条妖怪ストリート」→東向観音寺「土蜘蛛塚」→北野天満宮東門→上七軒→浄土院→千本今出川→橘児童公園→晴明神社「一条戻り橋」→一条通り→京都御苑「猿が辻」→相国寺「宗旦狐」→鴨川河川敷に至る行程でした。
 まずは二条大路と大宮大路とが交わるところに、妖怪(鬼)たちの行列、百鬼夜行と出くわすという「あわわの辻」がありました。びっくりした人があまりの怖さに「あわわ」と言って腰を抜かしたことからこの名がついたそうですが、初っ端から怖そうな所を歩きます。といっても今は車の往来の激しい通り沿いです。
 その北西にある二条公園には、鵺池(ぬえいけ)があります。「サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足をもち、尾はヘビ」という鵺の妖怪が、妖怪退治の英雄・源頼政が放った矢にあたって奇妙な鳴き声をあげながら落ちたという伝説の池です。退治した鵺の死骸は見世物として都中に引き回されたそうですが、疫病がはやったため死骸はバラバラにされ丸木舟に乗せて鴨川に流したと言われています。このお話し、実はことし3月、山本能楽堂であった企画「流されて~能と落語と文楽と」のなかで、能楽師・山本章弘さんから伺ったことがあります。妙なところで遭遇したものです。ちなみに現在の鵺池は、近年整備されたもので、かつての面影はありません。
 次に、西大路通りを北上して、平安時代の一条通り(大将軍商店街付近)に向かいます。夜の町辻を妖怪が行列をなして行進したという百鬼夜行の怪異伝説をもとに、商店街活性化の一環でしょうか、「一条妖怪ストリート」の旗が立ち並びます。昼間だというのに、お店の前に妖怪のお人形もちらほら。お店の2階にもいくつかの妖怪がいました。
 北野天満宮の鳥居を横目に左に入ると、東向観音寺が見えてきます。その境内の奥に「土蜘蛛塚」はありました。配付資料によれば、「病床の頼光が大入道に襲われたが、枕元にあった名刀で切り付け難を逃れた。頼光は渡辺綱らに探索を命じ、血痕を辿ると塚があり、塚の中にいた人の背丈もあろうかという大きな土蜘蛛を退治したところ、頼光にとりついていた悪病もみるみる快方に向かった」のだそうです。医術が未発達の時代、こうした謂れは民衆にとって切実だったのでしょう。ちなみに、境内の看板には「土蜘蛛とは、我が国の先住穴居民族で背が低く、まるで土蜘蛛のようだったといわれる」と記されていました。
 智恵光院を経て、次に向かったのは陰陽師・安部晴明を祀る晴明神社でした。境内には、100メートルほど南にある「一条戻り橋」を復元した橋がありました。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名で、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしなんだそうです。安部晴明は十二神将の式神を橋の下において、必要な時に召喚して吉凶の橋占いをしていたのだとか。
 いよいよ京都御苑に入ります。お目当ては京都御所東北角の「猿が辻」です。築地塀が折れ曲がった部分の屋根裏に、一匹の木彫の猿がおいてあります。烏帽子をかぶり御幣をかついだこの猿は、御所の鬼門を守る日吉山王神社(大津市の日吉神社)の使者なのだそうですが、夜になるとこの付近をうろつき、通行人に悪戯いたずらをしたため、金網で封じ込められているのだと。なんとも楽しいお話しです。
 京都御苑を出ると、今出川通りをわたり、同志社大学正門を横目に相国寺に向かいます。レンガ造りの同志社大学啓明館(旧図書館)、アーモスト館、致遠館が立ち並びます。いずれもヴォーリズの建築です。
 この日最後のお話しは相国寺の「宗旦狐」でした。配付資料によれば、「偽りの千宗旦(千利休の孫)がお茶を点てたあとその場を去ると、もう一人の宗旦(本人)が遅刻したことを詫びながら登場するということが何度か起きた。弟子たちは宗旦の偽者がいると考え、あらかじめ宗旦の居場所を確認したうえで、茶会に現れた偽者の宗旦を問いつめた。すると、寺に住みついている狐であると白状し、狐の姿に戻って逃げていった。それからしばらくすると、宗旦狐は、宗堂で座禅をしたり托鉢に行くようになり、寺のために尽くした」のだそうです。境内の宗旦稲荷社には、千宗旦に化けた狐が祀られていました。
 このお話しを聞いた直後に雨が降り出し、間髪を容れず土砂降りの雨に祟られました。「宗旦狐」の顰蹙でも買ったのでしょうか。クワバラ、クワバラ。
 どうも最近、天候の変化が激しい。北九州地区では未曾有の大災害に見舞われています。被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。地震といい大雨といい、自然災害が目立って多くなりました。G20では、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」協議が難航しているようですが、地球という巨大なシステムに見えない負荷がかかっていないかどうか。森に元気がないのも気になります。人間の行為が災いしていることがないかどうか。ひょっとしたら、非科学主義のなかにさえ何かが隠されているかもしれません。この機会に冷静に幅広に検証してみる必要がありそうです。

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愛犬ゴンタの命日によせて(その3)

2017-07-04 00:26:37 | 愛犬ゴンタ

 かつてホームページにアップしていた「愛犬ゴンタの部屋」を3回に分けて再掲させていただきました。ゼロ歳から2歳までのゴンタの成長記録ですが、子どもたちと一緒にワイワイガヤガヤ過ごした日々が思い出されます。
 わたしにとってゴンタは、ゴロウ、ペロに続いて3匹目のワンちゃんでした。みな長生きをしてくれました。一周忌を迎えてこの際、新しくワンちゃんをお迎えすることも考えましたが、ワンちゃんたちも高齢化の時代です。初老の夫婦で最後まで面倒をみることができるかどうか不安な面があります。在りし日の愛犬ゴンタに思いを馳せながら、次の生き仕方を考えていくことにいたしました。でもゴンタは、飼い主の思いも知らず、天国でハナちゃんやまるちゃんたちと遊びまわっていることでしょうよ。きっと。 

 愛犬ゴンタの部屋(再掲3)

小雪舞う朝のお散歩
暖かくなったかと思うと、急に寒くなったりして、ゴンタも少し戸惑っています。でも、きょうはお父さんが久しぶりの連休とあって、朝早くからお散歩に出かけました。そうしたら、小雪が降ってきました。写真には写っていないのですが、これが結構寒いんです。でも、ゲートボール場公園を通りかかったとき、この寒さのなかで水仙が美しく咲いているのを見つけました。少しほっとした気分になりました。(2002.2.10)
陽だまり
ことしの冬は、生まれて初めてお家の外の小屋で過ごしました。だから、このところの”春”の陽気は、嬉しくてしようがありません。ついついウトウトと、気持ちよいお昼寝です。それなのに、お父さんったら無理やり起して、昨夜テレビで観た「南極物語」のお話しをするんです。あんなに寒い中でよくがんばったんだなぁと思いました。でも、ゴンタには真似できそうもありません。そう答えたら、お父さんに叱られました。(2002.3.17)
病院に行ってきました。
かかりつけの動物病院からゴンタにお葉書が届いたので、お父さんに連れて行ってもらいました。お休みの日とあって、けっこうお客さんが多く、待合室では右にゴールデンレトリバー君、左にはシベリアンハスキーさんに囲まれ、ときたま小さな柴犬まで僕の前にやってきたので、すっごく緊張しました。でも、きちんとお座りをして順番を待ちました。診察室では、お医者さんに肩を撫でてもらっている間に終わりましたが、8種混合接種ワクチンと狂犬病の予防注射だったそうです。緊張のあまり、病院を出るやいなや、電柱に向かって片足をあげてしまいました。お家に帰ったら、どっと疲れが出て、午後は小屋のなかでお休みしました。(2002.5.6)
ゴンタのレインコート
最近、近くにペットショップがオープンしたので、みんなで見物がてらお店を訪ねました。お母さんに、ゴンタの大好きなドッグフードをたくさん買ってもらったので、開店記念の愛犬グッズ(クッション)とレインコートを粗品にもらいました。、早くレインコートが着たいなぁと思っていましたが、お散歩の時間に限って雨が降らなくて、なかなか着る機会がありません。そんなある日の夜、やっと雨が降ってきて、待ちに待ったレインコートを着ることになりました。みんなが大騒ぎするので、照れくさかったです。暑苦しいので帽子を被るのは遠慮しましたが、どうです。なんとか様になっていませんか。でも、ちょっぴり歩きにくかったです。(2002.6.30)
木漏れ日の下で
暑い暑い夏も峠を越えつつあるのでしょうか。このところ、朝夕はわずかながら涼しさを感じるようになりました。でも、昼間はまだまだ暑いです。そんな夏の昼下がり、ゴンタは檸檬の木の下に小さな日陰をみつけてお昼ねです。幹から漂う甘酸っぱい檸檬の香を楽しみながら、気分だけでも避暑の気分。ゆったりとした時間を過ごしています。でも、時間と共に、どこからともなく木漏れ日がちらり。そのつど、眠たい眼をすこ~し開いて、上手に身体をずらして陽の光を避ける、そんな特技まで身につけました。これが僕の夏ばて防止策です。(2002.8.20)
食欲とお眠りの”秋”
ことしの夏はたいへん暑かったですね。ゴンタも夏疲れです。でも、このところの涼しさは格別。お隣の小猫ちゃんが遊びに来ない限り、昼も夜もぐっすりと眠ることができます。もちろん食欲も旺盛。器いっぱいでは足りないので、お替りをおねだりする毎日です。そんなある日、お姉さんにお昼ね姿をこっそり撮られてしまいました。あとで文句を言いましたが、どうしようもありません。お父さんまで乗り気になって、とうとうホームページに掲載されることになりました。以来、寝る方向に注意しています。(2002.9.29)
水仙の芽を踏んじゃった”
休日の朝は、お父さんと一緒に朝のお散歩にでかけます。そして、お家に帰ってきたら玄関口でひと休みです。朝の陽差しが眩しくて時々うとうとしてしまいそうになりますが、お父さんの庭掃除が始まるとゴンタもお手伝いをします。ところが、勢いあまって水仙の芽を踏んでしまいました。お父さんに見つかったらどうしよう。鼻先で立てようとしても、すぐに倒れてしまいます。あぁ、どうしよう、どうしようと思っていたら、見つかってしまいました。「もうしません。ワン」というのが精一杯でした。ところで、きのうゴンタも3歳の誕生日を迎えました。いろいろあったけど、今では楽しい毎日を過ごしています。(2002.11.24)
ゴンタの目標
新年あけましておめでとうございます。2003年元旦の朝、清清しい気持ちで4回目のお正月を迎えました。心身ともにすこぶる健康!わずかな陽だまりを見つけては暖をとるのが得意なゴンタであります。ゴンタのことしの目標?そうそう、なんだか最近、お父さんやお母さんの話す言葉が分かってきたような気がするんです。だからついつい僕もおしゃべりをします。まだ、ワウ~ンとかウォ~ンとかバウワウだけしか話せないのですが、それでもお母さんとお話しができるようになりました。だから今年は少しお勉強をしようかと思っています。2003.1.1

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愛犬ゴンタの命日によせて(その2)

2017-07-03 22:57:02 | 愛犬ゴンタ

 きょうは先日受けた精密検査の結果を聞きに行きました。「ポリープが確認できるけど、どうする?」と先生。「時間はたっぷりありますから、 手術しても良いですよ」と言うと、ほかの先生と相談され、「もう1年様子をみましょう」と。ということで、通常の3カ月検診に戻ることになりました。ポリープなんて言われると、気持ち悪いですけどねえ。まあ、先生にお任せしましょう。では、引き続き、愛犬ゴンタの部屋第二弾に入ります。

愛犬ゴンタの部屋(再掲2)

お父さんのお気に入りは”スラヴァ”
あけましておめでとうございます。ゴンタも無事2回目のお正月を迎えることができました。ことしもお便りをお待ちしています。
ところで、お父さんって最近、僕と夜の散歩にいくとき、オーバーの胸の奥にCDを忍ばせて音楽を聴いているんですよ。どうやら曲は昨年の暮れにコンサートに行って気に入った「スラヴァ」。Smile、When You Wish Upon A Star、 Over The Rainbow なんかがお気に入りのようで、僕そっちのけです。まっ、いいっか。そのぶん散歩の時間も長くなったことだし。でも、いくら星がきれいだからって、夜10時を過ぎての散歩はやめてほしいなぁ。特に冬場は、寒がりゴンタとしては、たいへん困るのです。(2001.1.14)
”待て”を覚えたのに...。
日に日に暖かくなってきました。縁側に毛布を敷いて、日向ぼっこをしながら、うつらうつらお昼ねです。でも、庭にやってくる小鳥たちが気になって、すぐに目が覚めてしまいます。どうして鳥たちは空が飛べるんだろうなぁ。僕も一度飛んでみたいなぁ。最近、家族の皆に喜んでもらえるかと思って、「待て!」を覚えました。そしたら、みんなで代わる代わる「待て!」「待て!」「待て!」の連発。僕は遊園地のお猿さんではありません。たまには、気持ちよく食事をさせてください。 (2001.3.18)
2年目の予防注射
防注射は去年で終わりだって聞いていたのに、先日動物病院から僕宛にお葉書が来て、またまた8種混合ワクチンの注射をすることになりました。お母さんが、ついでに狂犬病の注射もお願いしたものだから、同じ日に血液検査をあわせて3回も注射針の苦痛を味わいました。悪いことなんかしないんだから、予防注射なんて必要ないって。おかあさんも、うん万円もかかったって嘆いてたじゃない。誰でも病気になるときは、なる。そういえば、お父さんの風邪って、まだ治っていないのかな。ときどき咳き込んでいるみたい。ぼくより、お父さんこそ病院にいくべきだよ。保険ですむんだから。 (2001.4.15.)
お庭のお手入れ、まだ終わらないの?
このところ雨の日が続いて、お散歩ができない日があります。きょうも、目が覚めたら雨が降っていました。でも、お昼前には雨もあがり、晴れ間がのぞいています。さぁ、おとうさんもお休みだし、きょうはきっと散歩に連れて行ってもらえそう。でも、おとうさん、さっきからお庭のお手入れをしたり、洋ランを眺めたり...。いったい何時になったら僕のことに気がついてくれるのかなぁ。少し待ちくたびれてしまいました。ワン!(2001.5.27.)
暑さにも弱いゴンタです。
最近は、真ん中のお兄ちゃんが夕方散歩に連れて行ってくれるので、散歩の時間がずいぶん増えました。毎日、お兄ちゃんが学校から帰ってくるのを楽しみにしています。でも、雨の日は中止です。だから早く梅雨明け宣言をしてほしいです。それはそうと、このところの蒸し暑さ、なんとかなりませんか。お母さんに、籐の敷物を敷いてもらったので、寝心地は良いのですが、昼間はぐったりです。クーラーの効いた部屋は、気持ちはいいけど体調が悪くなるので、あんまり (2001.7.1.)
大好きなワンちゃんのぬいぐるみ
さすがにこのところの猛暑には耐えられません。もうぐったりなんです。朝と夜の散歩以外は家の中でごろごろ。つい最近まで、お外の陽だまりでお昼寝をしていたんですが、とてもとても、そんなことをしていたら干からびてしまいます。クーラーの効いた部屋でないと生きた心地がしません。お昼寝のお相手は、子供の頃から可愛がっている”ワンちゃんのぬいぐるみ”です。眠たくなるまで、舐めたり、噛んだり、撫でてみたりして、一緒に遊びます。でも、眠るときは、枕がわり。気持ちいいですよ。 (2001.7.22.)
初めて海を見たよ
先月末、湖北の山小屋につれていってもらいました。お家とは全くの別世界。見るもの、聞くものすべて初めてでした。最初、車酔いしないかと心配しましたが、コツを覚えたので、もう大丈夫。2日目には車で山を越え谷を越えて若狭に行きました。生まれて初めて海を見たよ。潮の香りが食欲を誘う、そんな感じがしました。港に停泊中のイカ釣り船をバックに、お兄さんに記念写真を撮ってもらいました。(2001.10.7.)   
ゴンタの”体験入学”
(注)ゴンタがおかあさんの足をガブリ。何針か縫う大怪我をしました。というわけで、訓練所に体験入学した次第です。
先日、縁あって、山城警察犬訓練所に”体験入学”をしてきました。過保護に育ててきたから、少し違った世界の空気も吸ってきたらどう?っていうのが理由でした。何がなんだかよくわからなかったけれど、遠足気分で出かけました。でも、いざ行ってみると、いろんな犬の仲間と一緒の団体生活、ちょっと戸惑いました。訓練所のお姉さんに面倒をみてもらって、何とか頑張り通すことができた、というのが実感です。でもねぇ、お父さんは最近物騒だからというのですが、別に”犬のおまわりさん”になるわけじゃあないんだから、「もう一度行っといで」って言われたら、断るだろうなぁ、きっと。
短期間ながら集団生活をしてきたためか、おうちに帰ってからは「お行儀がよくなった」とみんなから誉めてもらっています。食事もきちんと残さずいただきます。ご褒美に、犬小屋を作ってもらいました。でも、これから寒くなるんだけどなぁ。いつまでお外にいるんだろう.....。(2001.11.18.)
年目の年末を迎えます。
12月も下旬になると、寒さが厳しくなってきます。でもゴンタは大丈夫。お姉さんに、あったかいオーバーを買ってもらったので、どんなに寒くてもルンルン気分で夜のお散歩にでかけます。ぼくは、もう2歳になったんだから。
先月、お庭にお家を作ってもらったので、この冬はお外で頑張ってみるつもりです。小屋のなかには毛布がたくさん敷いてあって寒くはありません。そうそう、数日前、近所の家に泥ボーさんが現れ、大切なものがたくさんなくなったのだそうです。ぶっそうですね。でも大丈夫!我が家の周囲は、お隣のワン君と一緒に、完璧な警備体制を敷いています。(2001.12.24.)

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愛犬ゴンタの命日によせて(その1)

2017-07-03 22:10:12 | 愛犬ゴンタ

 2週間後に退任の日を迎えるという慌ただしい昨年の7月4日、愛犬ゴンタが亡くなりました。16歳8カ月でした。私のリタイヤが先か、それともゴンタが先かと思っていた矢先のことでした。人生いろいろ、山あり谷ありの仕事人生のなかで、常に傍にいて私を支えてくれていたゴンタの存在は、非常におおきなものでした。早いもので、もう1年が経過します......。昨年7月から始めた四国八十八カ所遍路の旅も、ゴンタと一緒の巡礼の旅でもありました。 
 そんなゴンタのかつての写真データを、きょう、パソコンの曳き出しから探していたら、昔の個人ホームページ(閉鎖)の『愛犬ゴンタの部屋』に、ゼロ歳から2歳までの成長記録(ひと口メモ)が残っていました。懐かしく眺め終わったあと、ふと、ブログ「心の風景」に再録することを思い立ちました。17年前の記録になります。以下、原文のまま再掲します。


愛犬ゴンタは、1999年11月23日に生まれました。
その年の12月、動物愛護団体を介して我が家にやってきました。

愛犬ゴンタの部屋(再掲1)

新しいお家
引き取られたときは、400グラムしかなかった体重も、いまは2キロ近くに増えました。ときたま、”おもらし”をして、おかあさんに叱られることもありますが、みんなからかわいがってもらっています。
きのう、おかあさんの電話をそばで聞いていたら、病院とか予防注射という言葉が聞こえてきました。なんだか怖そうです。一緒に行きたくないなぁ。(2000.1.16)
予防接種
2歳の誕生日(2カ月目)を迎えた翌日、おかあさんとお姉さんにつれられて動物病院にいってきました。な、な、なんと体重が3.2キロ。ちょっと減量しなきゃ。当面、家の中を走り回るトレーニングをすることに。ところで、予防注射の方は、お医者さんに「ぼく元気だね」と肩を撫でられたとたんにブスッと不意打ち。声を出す余裕もありませんでした。8種混合ワクチンとかで、ちゃんと証明書までいただきました。2月、3月と、あと2回あるそうです。(2000.1.30)

はじめてのお風呂
きょう朝、おかあさんに、生まれて初めて身体を洗ってもらいました。シャワーが少し苦手でしたが、石鹸で身体をきれいに洗ってもらって、気持ちよかったなあ。こたつのなかでお昼寝でもしようっと。(2000.1.30)
2階を発見
ぼくのうちに2階というところがありました。階段があって、おかあさんが買い物に出かけたあと、恐る恐る登っていったら、お兄さんやお姉さんの部屋がありました。少し眠くなったので、お兄さんのベッドでお昼寝をしました。ぐっすり眠ってしまって、あとでお兄さんに叱られてしまいました。先日23日で生後3ヶ月。2回目の予防接種時の体重は5.3キロでした。(2000.2.27.)
おもちゃ箱
3回にわたって接種した8種混合ワクチンも無事終わりました。これで、おとな(?)への仲間入りができそうです。現在の体重は約8キロ。でも、おうちではまだまだ子ども扱いです。先日、おかあさんが、おもちゃ箱をつくってくれました。ボール、紐、ガム、紙、積み木など、ぼくの大切な宝物がいっぱい入っています。ときどき箱から取り出して遊んでいます。でも、まだ元には戻せません。(2000.4.9.)
はしゃぎすぎは禁物
見るものなんでも興味津々。そんな僕だから、ときたまおかあさんの大事なものまで”おもちゃ”にしてしまいます。とうとう、先日の家族会議で、昼間はなが~い紐につながれることになってしまいました。半分はお庭で遊べるから、まぁいっか...。ただし夜寝るときは、廊下の一角が僕のテリトリーだからフリータイムです。(2000.5.7.)

フィラリア検査
予防接種はもうないと思っていたら、動物病院から僕宛にお手紙が来て、「フィラリア検査のためご来院ください」と。いくら予防しても病気になるときはなる、なんて思いながらしぶしぶ。結局フィラリア症予防・消化管内線虫駆除剤なる薬をもらって、ひとくちでゴクン!恐ろしい伝染病もこれで安心。(2000.5.21.)
大好きなスイカ
蒸し暑い夏を迎えて、僕も少しへたばり気味です。そんなとき、おかあさんが大きなスイカを買ってきてくれます。冷えたスイカを家族みんなで楽しみます。そのときは、もちろん僕も仲間入り。甘くおいしい赤い実をきれいに食べるのがぼくの特技。青い皮はきちんと残すことができます。種?種があったんですか?みんな食べちゃいました。(2000.7.9.)
ぼくのお父さん
きょうの朝、お父さんにお風呂にいれてもらいました。シャンプーでごしごし。はじめて湯船のなかで泳いでみました。きもちよかったです。最近、お父さんは、よく僕の目を見つめます。僕の目ってよほど悲しそうな目でもしているのでしょうか。そんなことはないのになぁ。散歩のときも、いろいろ話しかけてくれるけど、僕にはわからないって。(2000.7.23.)
大切な毛布
生まれて9カ月がたちました。そんな僕が大事にしているもののなかに毛布があります。この毛布、赤ちゃん用のものですが、このお家に引っ越すとき、ミルク缶と哺乳瓶と一緒に持ってきたものです。いつも寝るときは、その毛布を敷いて寝ます。それほど大事にしているのに、先日、僕に無断でとりあげるなんて...。と思ったらきれいに洗濯をしてくれました。(2000.8.20.)

生後10ヵ月
生後10カ月、もう十分おとなの仲間入りです。食欲も旺盛で、最近はドッグフードのほかに、家族みんなと同じ食事もいただきます。なかでも大きなな骨が大好物で、いつも美味しくいただいています。それにご飯も大好きです。最近、夜の散歩はお父さんとします。おとといも、お酒を呑んで酔っ払ってかえってきたお父さんと、真夜中の散歩を楽しみました。少し眠たかったです。そこまでしなくてもいいのに....。(2000.9.24.)
大好きなお姉さん
最近、散歩中に必ず立ち寄るところがあります。ガソリンスタンドです。いつも僕が傍をとおるとき、声をかけてくれる素敵なお姉さんがいるからです。やさしく頭をなでてくれます。それがうれしいんです。お客さんがいて、お姉さんも忙しいときがあります。でも、いくらお父さんに引っ張られても動きたくないのです。やはりお話がしたいです。僕も、もう少しで1歳。初恋なのかもしれません。(2000.10.29.)
1歳になりました。
11月23日は僕の1歳の誕生日でした。いろいろあったけど、あれからもう1年が経ちました。小さい頃は、数年前に亡くなったマルチーズのペロちゃんのお家を使っていましたが、さすがに狭くなってきたので、最近は大きなダンボール箱に毛布を敷いて、僕のベッドにしています。最近何をしてるかって?(2000.11.26)
寒がりゴンタ
ここ数日、ずいぶん寒くなってきました。小さい頃を思い出して、ついついコタツのなかに入ってしまいます。朝は、一番の早起きですが、ガスストーブに火がつくと、まん前に座って独り占め。「こんな犬がいますか」とみんなからからかわれますが、僕は寒さにはとにかく弱いんです。夜も毛布のなかにもぐって、じっとしています。(2000.12.24)

 
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