心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

オーディオケーブルの不思議

2006-07-30 09:48:22 | Weblog
 ここ数日、真夏並みの日差しが地面を覆い、いつ梅雨明け宣言があってもおかしくない、そんな天気です。きょうも朝早くから夏蝉の大合唱で目覚めました。ひとときの清清しさを楽しんでいます。きょうは気温が上がる前に愛犬ゴンタに水浴びでもさせてあげましょう。
 さて、7月もあとわずかです。いよいよ暑い暑い夏の始まりです。そこで、心の中まで熱中症にならないようにと、昨日は久しぶりに中古レコード店に出かけて、教会音楽を何枚が買って帰りました。ひんやりとした教会に響き渡る合唱歌、ミサ曲。椅子に腰掛けて高い天井を見上げると素晴らしい天井絵が私を見つめている。西欧の教会で体験した厳かな空間が、信者でもない私を温かく包み込みます。...きょうは、パレストリーナ曲「アヴェ・マリア」を聴きながらの更新作業です。
 ところで、あまりハードには拘らない私ですが、先日、スピーカーを新調しました。以前のものは、ずいぶん昔にセットで購入した機種で、それはそれで良い音を楽しませてくれましたが、たまたま立ち寄ったオーディオ店で最近のスピーカーの聴き比べをさせていただいたとき、あまりの違いに驚いたのです。そんなわけで少し思い切って新調しました。
 そのとき、若い店員さんからオーディオ機器を繋ぐケーブルについてアドバイスをいただきました。スピーカーケーブルも1m数百円から1万円前後のものまであります。アンプとプレーヤーなどを繋ぐケーブルも数千円から数万円までありました。たかが電線、と思ってしまいますが、あまりの熱心さに負けて初心者クラスのケーブルをいただきました。しめて5万円。う~ん、痛い出費でした。が、実際に繋いでみて納得しました。もやもや感がなくなり、非常に素直な音が部屋に充満しました。窓ガラスを磨いてぴかぴかにしたときの感動に似ています。ミサ曲ひとつを例にとっても、高い天井に覆われた教会内で聴いているような、そんなひんやり感を味わうことができました。プレーヤー自体は、どこにでもある機種ですが、その性能を最大限に発揮させてくれたように思います。たかが電線1本。音響技術を知らない私には、なんとも不思議な体験をいたしました。
 さぁ、新しいオーディオ環境のなかで、嫌なことは忘れて、この暑い夏を過ごすことにいたしましょう。机の上には読みたい本が山積みです。レコードを楽しんだあとは、冷やしたハーブ酒を味わいながら、蝉の声をBGMに読書三昧といきたいものです。これが、私の夏バテ防止法です。
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梅雨の中休み

2006-07-23 14:29:41 | Weblog
 数日来降り続いていた雨がひと休みです。今朝、愛犬ゴンタと近くの公園を散歩すると、夏を待ちわびる蝉の声でいっぱいでした。庭の片隅にある檸檬の木には、大きなアゲハチョウが舞い降りて緑葉に卵を産みつけています。熟した木苺が朝の食卓を飾ったことも嬉しいニュースでした。雨さえ降らなければ「夏」本番といっても良いでしょう。遠くから夏祭りの笛と太鼓の音が聞こえてきそうな、そんなゆったりとした休日を楽しんでいます。でも、きょうは午後の遅くからまた雨が降るとの天気予報です。なるほど空を見上げると、水分をたっぷり含んだ重たそうな雲が空を覆っています。ゴンタも恨めしそうに見上げています。
 ところで昨日は、縁あってテレビ局主催の鳥人間コンテスト選手権大会なるものの応援に出かけてきました。場所は滋賀県彦根市の琵琶湖の湖畔に設けられた特設会場です。久しぶりの炎天下に皆汗だくの応援でした。前日から泊り込んで愛機の手入れに余念のない若者たち。いろいろ工夫を凝らした応援合戦を繰り広げる面々。そんな楽しい風景を眺めながら、30数年前、同じ琵琶湖の湖畔でクラブ合宿をした頃のことを懐かしく思い出しました。
 最近、大声で叫んだり、汗だくになって議論をしたりする機会が少なくなってきたように思うのは、私だけでしょうか。オフィスで、一見、冷静に見える人の仕草に物足りなさを感じるのは、私だけでしょうか。日焼けで火照った身体を持て余しながら、ハーバードビジネスレビュー4月号に掲載されていた「脳の意思決定メカニズム」(ガーディナー・モース著)を読み返してみました。「優れた意思決定は理性と知性、論理の産物だという常識的な考え方が危うくなってきている」「脳内では、感情に関わる脳回路と情報を検討する回路がたえずやりとりをしている」「意思決定には、理性と感情の両方が必要である」。
 そういえば、小林秀雄の講演録CDにも、近代科学の方法について懐疑的な見解が登場します。合理と非合理。ユリ・ゲラーの念力の不思議を笑ってすませるべきではないとも。含蓄のある言葉です。理性だけでは気づかない何かがある。感情だけでは掴めない何かがある。そのどちらかに偏るのは宜しくないというのが、ふたつの論に一致している点です。「理」に走りすぎて様々な意思決定がゲーム感覚に陥っていることはないかどうか。頭は良いけれども「心」が育っていない。感性が育っていない。こんなことはないかどうか。”切れる”症候群の悩ましさ....。休日の昼下がり、長椅子に横たわってそんなことをぼんやりと考えていました。
 鳥人間コンテストでは、若い方々から清清しいご挨拶をいただきました。「お忙しいなか、応援に来ていただき、ありがとうございます」と。彼、彼女の汗が輝いて素敵でした。彼、彼女の生き生きした姿に接して、久しぶりに若さをもらったような、そんな気がしました。結果は残念ながら...。でも参加することに意義ありの一日でした。
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心の最適化

2006-07-16 16:50:40 | Weblog
 梅雨が明けてもいないのに、どこからともなく蝉の声が聞こえてきます。「夏」もすぐ目の前までやって来ました。でも、以前ほど街に子供たちの歓声が響かない。少子化のせいでしょうか。少し寂しい気もします。それでも、朝、ひんやりとした空気の中で蝉の声を聞くのは嬉しいものです。遠い昔の夏休みの風景を思い出します。
 きょうは久しぶりの連休ですから、少しお部屋の片付けをすることにしました。本も机の上に山積みになっていますし、部屋中にモノが無造作に放置されたままになっています。パソコンと同じで、人間さまも時には断片化したファイルを最適化しないと、頭脳の回線が複雑に絡み合っていて、同じことをするにも時間がかかりすぎたり、難しく考えすぎたり、隘路に陥ったりと、何やかやと大変です。2006年という年も半年が過ぎたわけですら、最適化をするにはちょうど良い頃かもしれません。
 というわけで、まずは「形」から。本棚やらレコード棚の整理に汗をかきました。でも、だめですね。ふと手にとった本に気を取られると、ついつい座って読み直してみる。嬉しいレコードを見つけると、休憩とばかりについつい聴いてしまいます。その間に時間はどんどん過ぎていきます。午前中にできたことはほんの僅かにすぎませんでした。でも、こうした時間が次の楽しい時間をつくってくれます。いつも時間に追われ、時間に振り回されていると、良いアイデアは生まれないし、人間関係もギスギスしてしまう。私が日曜日の休息に必要以上に拘るのも、実はこのためです。
 整理中に、レスピーギの交響詩「ローマの噴水」「ローマの祭り」「ローマの松」のレコード(ユージン・オーンマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団)を見つけました。それを聴きながら、そういえば最近、「ローマ」から離れていることに気づきました。比較的余裕をもって読書ができる夏に、ここ数年、塩野七生さんの歴史小説をずいぶんたくさん読みました。「ローマ人の物語」に代表される古代ローマ史、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」「海の都の物語」「わが友マキアヴェッリ」などに代表される中世イタリア史。ユリウス・カエサルのガリア戦記を読みながら、ベルリーニの歌劇「ノルマ」のDVDを興味深く鑑賞したこともあります。塩野さんの歴史小説は、単なる戦記ではなく、現代にも通じる歴史観・人間観を示唆してくれます。カエサルやマキアヴェッリのものの考え方は、現代のビジネス行動にも大きな指針を与えてくれます。妙な社内ポリティクスの渦に巻き込まれそうになると、俄然、読み出すのが、塩野さんの歴史小説でした。
 夏にイタリアを旅したことがあります。ローマ、ナポリ、ポンペイ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノ。そしてアルプス越えで「ガリアの国」に向かいました。一人では抱えきれないほどの「歴史の重さ」を感じて帰りました。あれから10年が経ちます。もういちど、訪ねてみたい国ですが、リタイア後でないと夢が適いそうにありません。当分の間は、前をみて突っ走るのみ、ということなのでしょう。.....で、どこまで最適化できたのかって?まだ作業完了を知らせる画面は現れません。
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心の絆

2006-07-09 10:37:08 | Weblog
 きょうは曇り。朝早くにカラスの声で起こされました。親子喧嘩でもしたのでしょうか。ぎゃーぎゃーと鳴き叫ぶカラス一家のために、この街の住民はいつになく早いお目覚めとなった次第です。なのに愛犬ゴンタは朝寝をむさぼっています。何事にも動じない姿勢(?)、これも見習っておくべきかもしれません。
 ところで、今朝、亀五郎夫妻の水槽を掃除しようと中を覗くと、白く輝く玉がたくさんころがっていました。産卵をしたのです。数えると20個をゆうに超える数。例年、この季節になると産卵をするのです。自分できちんと土を掘って産んでくれたらよいのですが、産みっぱなしで頓着しない。小亀が20匹育ったらどうしようと思いながら、そっと孵化器に移し変えますが、まだ成功したためしはありません。体力を消耗しただろうと、きょうの朝食は、小さく刻んだ鶏肉でした。かつて子供たちが育てていた亀五郎夫妻も、いまでは私が飼育係を務めます。
 さて、気分を変えて、きょうも朝は音楽三昧です。一週間の気持の高まりを鎮める、心の休息日です。久しぶりに、アンジェラ・ゲオルギューのCD「プッチーニ・オペラ・アリア集」を持ち出してきて、美しい歌声を聞きながら更新作業を楽しんでいます。きょうのテーマは「心の絆」です。実は昨日、あるシンポジウムに参加してきました。その中で著名な社会学の先生が興味深いお話をされていました。日本ほど、臨床心理学が盛んな国はない。家族、地域の信頼関係が希薄になってきている証かもしれない、と。カウンセラーに頼らざるを得ないほどに、日本の社会は「信頼関係」「共助」の意識が薄れているのかもしれない、と。先生は、学問としての心理学の重要性は認識しながら、しかし社会学的な見地から思い切った仮説を提言されました。「さもありなん」と思いました。昔の大家族の頃なら、おじいさん、おばあさんは、良きカウンセラーだったのかもしれません。でも、核家族化の波は、人の心の絆を希薄にした。もちろん、IT時代ですからE- mailが心の隙間を埋める、そんな役目を果たしているのも事実です。わが家の子供たちを見ていると、どんなに遠くで暮らしていても、父親や母親に頻繁にE- mailで相談してきますから、一定の機能は果たしているのでしょう。しかし、それさえ適わない状況に陥ると、悲惨な結果を招いてしまいます。
 ここ数週間、親と子の信頼関係の欠如に起因する悲惨な事件が多発しました。テポドン事件も、言えばその良い例でしょう。お互いに気持を伝える合えるチャンネルを見失った人間関係ほど怖いものはありません。愛犬ゴンタですら、目を見やると、何を求めているのか手にとるように判ります。美しい歌声を聴いて、素直に「美しい」と思える心。大事にしたいものです。プッチーニのアリアを聴きながら妙に納得する私でありました。ゲオルギュー、万歳!プッチーニ、万歳!
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古書、古本、中古

2006-07-02 11:22:00 | 古本フェア

 きょうは朝から雨。9時過ぎにはバケツをひっくり返したような豪雨となり、その後小康状態が続いていますが、「梅雨の季節」が末期で本領を発揮したといったところでしょうか。こんな日曜日は大音響で音楽を楽しめるから、これも良しとしましょう。
 さて、昨日は仕事帰り、市内散策に出かけました。このところ少し酸欠状態にありましたから、気分転換です。まず立ち寄ったのは、例によって中古レコード店でした。シベリウス、チャイコフスキー、ドビュッシーなど5枚ほど手にしました。まだまだ欲しいレコードは山ほどありますが、今後のお楽しみです。そのうちの1枚、シベリウス「クレルボ交響曲」を聴きながら更新作業を進めています。
 もう1軒立ち寄ったところがあります。それは天満橋のOMMビルで開催中の古書ブックフェアでした。67の古書店が一堂に会した関西では最大規模の催しだそうで、ずいぶん多くの方々が集まっていました。古書関係のサイトで知ったのですが、この種の催しに出かけたのは初めてでした。
 古書を広辞苑で引くと「むかしの書物。古い文書」「古本。新本でない書籍」とあります。古本を引くと「古くなった書物。読みふるした書物」「時代を経た書物。古書」とあります。自分なりには「むかしの書物」が古書、「読みふるした書物」が古本と読み分けています。ちなみに中古レコードの中古とは、「使ってやや古くなっていること。また、その物」とあります。そこに歴史的価値をどう読み取るかは人それぞれということなんでしょう。
 ブックフェアでは、ずいぶん高価な古書もあれば、現在も書店にならぶ定価が半値以下の古本まで売られています。前者は、私にとっては鑑賞の域を出ませんが、なかには子供の頃によく読んだ漫画雑誌が高価な値段で取引されていたりします。懐かしさを思う反面、ものの値段ってなんだろうと思うことも。映画のポスター、写真、書。こうなるとコレクションの世界になってしまいます。
 で、何を買ったかって?古書ではなく古本を4冊買いました。黒川紀章著「新・共生の思想」(徳間書店)、芦津丈夫・石井不二雄訳「フルトヴェングラーの手記」(白水社)。それに単行本のソロー著「森の生活」、「オペラ名歌手201」。4冊平積みで高さ12㌢。う~ん、読む時間がない。夏の楽しみが増えたということにしておきましょう。
 そんなわけで、昨日はビジネス鞄に中古レコード、古本と両手の自由が利かないほどの荷物を手に、最後は大学時代の友人と待ち合わせでした。冷たいビールを楽しみながら、買ってきたばかりの品々を開いては、ああでもないこうでもないと。楽しい時間が流れていきました。そんな彼も、日頃は第一線で活躍するビジネスマン。お互い楽しい時間を共有できたことに満足して帰途につきました。

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