心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

知的好奇心を誘う古書の匂い

2013-02-24 09:44:41 | 古本フェア

 最近、日が長くなった気がします。気がつけば2月も最終週に突入です。そんな日曜日の朝、いつものように愛犬ゴンタと散歩にでかけました。バス停下の崖では水仙の花が陽の光を浴びて輝いていました。さあて、きょうはNHKFMを聴きながらの気楽なブログ更新です。

 先週から読み始めた村上春樹の「海辺のカフカ」。その中に、家出をした15歳のカフカ君が香川県高松市で私設図書館に通う場面があります。1日中その図書館で過ごし、夏目漱石全集などを読んでいます。そのくだりを読みながら、私の子供の頃を思い出しました。
 私の実家には、壁面全体に特注の書棚を配した8畳ほどの部屋がありました。書棚にはガラス戸がついていて、ガラス戸越しに本を眺め、これはと思うものを取り出します。部屋の真ん中に置かれた椅子に座って読みます。テーブルにはスタンドもありました。その部屋に、私は小さい頃から出入りしていました。夏目漱石全集や石川啄木全集のほか様々なジャンルの和書、洋書に触れて育ちました。部屋に入ると、どこかで時間が止まってしまったかのような、そんな空気が充満していました。外の喧騒とは無縁の、安心感のようなものが、そこにはありました。古書の匂い、それが私の知的好奇心を刺激しました。
 古書に惹かれるのは、こんな経験があったからなんでしょう。きっと。どこに行っても街中で古書店を見つけると、何となく立ち寄ってしまいます。あの独特の手触りと匂いが、私と著者との距離感を近いものにします。それは新刊本や電子図書では得られない感覚です。

 昨日の土曜休日、急に思い立って、久しぶりに日本橋の古書店「山羊ブックス」を訪ねました。こじんまりしたお店ですが、時々びっくりするような古本に出会うことがあります。昭和21年9月初版発行の小林秀雄「無常という事」(百花文庫)、新潮古典文学アルバム「方丈記・徒然草」、「ブレヒト詩集」を買って帰りました。
 帰り際、若い店主さんに「店内の写真を撮っても良いですか」と尋ねると、「ブログに載せるなら店の名前も出して宣伝してくださいね」と。実はこの店主もブログを書いています。

 帰り道、日本橋界隈を散策しました。デンデンタウンといわれ、昔は電気の街のイメージが強かったのに、最近はコスプレ系の店が多く、何か寂しい街になりました。とりあえずLPショップに立ち寄りましたが特に欲しいものもなく、次にCDショップDISC・PIERに向かいました。大型店が次々と閉店に追い込まれるなかで、この店は健在です。クラシックとジャズ専用の3階は品揃えも良く、DVD、復刻LPまで置いてありました。

 そこで見つけたのが、アンジェラ・ゲオルギューのCD「ディーヴァ・ザ・ベスト」でした。以前、来阪の折に2度ほどコンサートに出かけたことがあるソプラノ歌手です。うち1回は会社のトップ主宰のお茶会を固辞しての敢行でありました(笑)。
 付録のDVDには、私の大好きな、ヘンデルの歌劇リナルドから「私を泣かせてください」、ベルリーニの歌劇ノルマから「清らかな女神よ」、ビゼーの歌劇カルメンから「ハバネラ」などが収録されていました。新装なったフェスティバルホールで再会したいものです。明日は再び広島入りの予定ですから、きょうは1日、古本とゲオルギューを存分に楽しむことにいたしましょう。

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如月の2月

2013-02-17 00:16:08 | Weblog
 陰暦2月を「如月」と言います。「生更ぎ」の意で草木の更生することを言うのだそうです。まだまだ寒い日が続きますが、1週間を振り返ってみると、この短い期間でもいろいろな出来事がありました。同業他社の親しい友人の昇進を祝って祝杯をあげたり、会議で熱い議論をしたり、孫とトランプ遊びに興じたり、庭でクリスマスローズの成長具合を確かめたり、....。
 そうそう、横浜にいた次男君が1月半ば、大阪に転勤しました。これで我が家も少し賑やかになると思っていたら、帰りが遅くなるからと会社の近くにマンション住まい。働き盛りなんでしょう。何かあったら駆けつけてくれるエリアに戻ってきただけでもましです。でも、家内には海外勤務になるかも、と。あれ、まあ。好きなようにしなはれ。君の人生は君のもの。とことんやってみなはれ。そんな週末の土曜の夜、愛犬ゴンタと夜のお散歩にでかけました。明日は朝からお客があるので、真夜中のブログ更新となりました。


 「上から与えられた、つくられた共同意識を僕は恐れる。意識的にしろ無意識的にしろ、安易なかたちで企業体に依存してしまうことを僕は恐れる。なぜなら、今日の巨大化した怪物は、しばしば人を裏切り、精神的・肉体的に殺してしまうものらしいから。それにもかかわらず、日々の忙しさにかこつけて、自分自身に、そして自分自身をとりまく状況に冷静な目をむけることを忘れがちだ。」

 今日、戸棚の奥で探し物をしていたら、一冊のファイルが見つかりました。就職2年目にして職場の労組執行委員を仰せつかったときに創刊した職場新聞でした。これはその創刊号に寄せた一文です。30数年を経て、今は使用者側の席に座っている、なんとも不思議な巡りあわせではあります。
 改めて読み返してみると、私は元々、組織とは馴染めない、そんな人間だったのかもしれません。得体の知れない怪物に警戒心を抱くのは、ひょっとしたら今も変わっていないのかもしれない。こういう素地があるから、無意識のうちにグレン・グールドに惹かれるのでしょうか。鶴見和子先生の「内発的発展論」に惹かれるのでしょうか。そんなことを思いながら、夜の街をゴンタとお散歩しました。リタイアすれば、その呪縛が解けて、もう一度自分を見つめなおす時がやってくるんでしょう。きっと。

 そうそう、1週間ほど前、狭い部屋で、ノートパソコンの画面を睨みながら顔を突き合わせて話し合った若い社員二人が、その翌日に相次いでインフルエンザに罹ってダウンしたようです。回復して開口一番、「風邪、うつりませんでしたか」と申し訳なさそうに心配してくれました。二人とも40度近い発熱があり数日間休んでいたようですが、こちらはなあんにもありませんでした。やはり私は鈍感なんでしょう。きっと。
 そうそう、一昨日はロシアのウラル地方チェリャビンスク州付近で、隕石が大気圏内で爆発し落下したという事件がありました。TVニュースは、映像を交えながら、衝撃波でガラスが割れ千人余りの人々が被害にあったと伝えています。私も以前、仕事を終えて帰宅する途中、夜空を焦がす炎に包まれた落下物を目の当たりにしたことがあります。夜空に明々と燃える物体が「サー」という音を立てて落ちていく光景は、今も鮮明に覚えています。今回とは比べものにならない規模ですが、やはり宇宙の不思議を実感します。人間、奢るに非ず、ということなんでしょう。きっと。

 そうそう、先日、水槽の水草を求めて熱帯魚屋さんを覗きました。いろんな種類があったので目移りしていたら、隣の水槽にいたヤマトエビが気になりました。1匹100円でした。3匹ほど家に連れて帰りました。数日後、エビの姿が見えません。水底にはエビの殻が浮いていました。えっ、熱帯魚さんの餌食になった?そんな馬鹿な。時間をおいて、もう一度覗いてみると、流木の隅に、いました、いました。どうやら新居に引っ越して早々「脱皮」をされたようでした。エビさんたちも、新しい棲家で生きていく覚悟、準備をされたようです。

 地球上では、いろいろな生物が自身の持続可能性を考えながら必死に生きていこうとしています。


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北欧神話と巨木

2013-02-10 09:32:41 | Weblog
 雲ひとつない快晴の朝を迎えました。いつものように愛犬ゴンタと朝のお散歩を楽しみながら、さあてきょうは何を書こうかと思案します。朝食をすませ、グレン・グールドのシベリウスを聴きながらのブログ更新です。 
 ところで最近、インフルエンザが流行っています。職場でも大きなマスクをして歩いている人があちらこちらにいます。「えっ、君も風邪?」と尋ねると「いや、予防のためです」と。彼の地からやってくるPM2.5のこともありますから、皆さんご用心、ご用心。
 私はここ数年、風邪らしい風邪をひいたことがありません。「元気なんですね」と感心されるので、「毎日、呑むアルコール消毒をしていますから」とお茶を濁していますが(笑)、外敵に鈍感なのかもしれません。しいて言えば、毎日紅茶を飲んでいること、時には濃いめのハーブティーを嗜んでいること、そのあたりに秘密があるのかも。その昔、ペストが流行った中世ヨーロッパでは、紅茶の薬効が重宝がられたという話を何かの本で読んだことがあります。どうなんでしょう。
 
 話は変わりますが、きのうの夜、変な夢を見ました。若葉が萌える頃、父と愛犬ゴロウと3人で杉林の中を歩いていました。そこには、樹齢100年ほどの大杉が天をも突き刺さんばかりに林立していて、足元には美しい山野草が頭を擡げていました。....5月の連休に東京から帰ってくる父は、よく私を山に連れて行ったものです。旨そうにピース(煙草)を吸いながら木々の成長を眺めていました。....次の瞬間、一筋の陽の光が辺りを照らし、数羽のアカゲラ(赤啄木鳥)がやってきました。ト、ト、ト、ト、ト、ト。アカゲラが樹を突く音が静まり返った森に響きます。いつの間にか、至る所で大杉の幹に大きな穴がぽっかりと空いています。驚いて父に告げようとしますが、周りには誰もいません......。

 なぜこんな他愛ない夢を見たのでしょう....。
 どうやら、昨夜、布団の中で読んだ杉原梨江子さんの近著「いちばんわかりやすい北欧神話」の影響かもしれません。世界の中心に立つ一本の宇宙樹「ユグドラシル」に象徴される北欧神話は、世界が「原初の巨人ユミルの肉体をバラバラに解体して作られた」という創生の物語です。カット満載の楽しい新書ですが、ワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」にも通じる神話の世界に、ずるずるとのめり込んで、そのまま眠ってしまいました。





 それはそうと、最近気になったニュースがあります。神社に立つ樹齢何百年ものご神木が、なんの前触れもなく立ち枯れてしまう事件です。調べると、根元にドリルで穴をあけ除草剤を注入したのが原因のようですが、犯人は枯れたご神木を安値で買い付け高く売る悪徳業者のようでした。これだけの大木は最近なかなか出回らないそうで、高値で販売ルートに乗るのだとか。この罰当りめ!悲しいお話です。
 ご神木と言えば、南方熊楠の神社合祀反対運動があります。その昔、国の施策で神社の合祀が決まると、吸収されてしまう神社のご神木が伐られてしまいます。鎮守の森がなくなると、村の祭の舞台がなくなります。人々が集まる場所がなくなってしまいます。何よりも自然が破壊されます。南方は身体を張って反対しました。ここでも悪徳業者が暗躍したようですが、いつの世にも同じようなことが繰り返される。人の性なんでしょうか。
 毎週、大阪と広島の間を行き来していると、山陽道の山肌の荒れ具合も気になります。花崗岩質の山だからでしょうか。それとも酸性雨のためでしょうか。山に元気がありません。砂の採取のためか通過するたびに形を変えていく山もあります。寂しいことです。
 私たちは自然を侮ってはなりません。この地球は人間だけのものではないのです。「共生」という言葉の本来の意味が問われています。

 さて、きょうは久しぶりに孫君が一人でお泊りにやってきます。弟が風邪をひいているためです。この孫君たちが大人になる頃には日本の森林は今よりも狭くなっているかもしれません。一方では、1億数千人を数えるわが国の人口は、今後100年の間に明治後期とほぼ同じ5千万人台にまで減少するという試算もあります。政治、経済、社会、文化、さまざまな分野でパラダイムシフトが進んでいるかもしれません。私の杞憂であれば良いのですが。

【写真説明】
上段の写真は、壁紙村さんからお借りしました。http://e-kabe.sakura.ne.jp/kabe/
中下段の写真は、Wikipediaから著作権の保護期間が満了した作品をお借りしています。

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便利さと幸せ度を天秤にかける

2013-02-03 09:48:03 | Weblog
 朝、庭の隅っこに小さな小さなフキノトウの芽を見つけました。2月も初旬だというのに春めいた陽気に誘われたのでしょう。「もう少し眠ってなさいよ」。机の前の窓を開けると、冬の朝の陽が街を照らし始めています。新しい空気を迎え入れました。
 そんな2月最初の日曜日の朝は、珍しく「Bill Evans - A Tribute」のLPに針を落としながらのブログ更新です。硬直した脳ミソに適度な刺激を与えたい、そんな気分ですが、学生の頃はよくジャズ喫茶に籠ったものでした。

 そうそう、「タマネギと人間」に添えた写真2点、ある方から「あれはなんですか」というご質問。なあんにも意味はありませんよ。村上春樹の「ノルウェイの森」を読んでいて、ついついPCの中から探し出した写真を添えただけのこと。ずいぶん前になりますが、左はフランクフルトの道端で出会った大道芸人のピエロさん、右はハイデルベルク城界隈で撮ったものでした。
 週末の新幹線の中で「ノルウェイの森」の下巻を読み終えました。なんだかふわあっとした、行き場のない心が宙を舞っていました。村上春樹の小説って、いつもこうなんです。いやいや、妙に結論や意味を求めすぎるのかも知れませんね。君は小説の楽しみ方を知らないんだよ。ありのままをそのまま受け止めることが大事なんだよ。「1969年」が脳裏にこびり付いて離れません。もう44年も前のことです。あの頃はあの頃で悩み多き多感な時代でした。

ところで話はがらりと変わりますが、購入して半年も経たないデスクトップの調子がおかしくて、修理に出しました。Windows7が起動しないのです。いろいろ弄っているとなんとなく起動する、そんな不具合が続いていました。製造元のテクニカルサポートセンターの教えに従順な私です。Cドライブのエラーチェックやシステム復元、BIOSの操作など、初老にとっては恐ろしい作業を次々に試みました。最後はリカバリーまで行ったのですが、埒があきません。
 結果は、HDDの故障でした。保証期間中だったのでもちろん無償で新品に変えていただきましたが、運が悪かったということです。でも、思いました。技術の進歩に高齢者はどこまでついて行けるのかと。世の中、便利になればなるほどブラックボックス化が進みます。
 先週末、縁あって福祉機器開発の最前線を覗いてきました。手足が不自由になっても、微妙な生体信号を捉えて人工の手首を動かすことができる。寝たきりになっても、ちょっとした身の回りの動作は自分でできる。PCと会話さえ楽しむことができる。なんだか夢のような世界です。でも私は、「お風呂が沸きました」と無機質な声で叫ぶ我が家の給湯システムを思い浮かべてしまいました。便利さと幸せ度は、少し違うような気がしないでもありません。
 なるほどなあと思ったのは、「シーズよりニーズ」という言葉でした。シーズを人の役に立てようという上から目線と、困っている人がいるから解決しようという下から目線。どちらも大切ですが、ちょっとした視点の違いが利用する者の幸せ度を左右するのかもと、そんな他愛ないことを思ったものでした。かくのたまう私も、いずれ「技術」の恩恵に預かる時が来ます。

 さあて、きょうは節分の日です。家内と二人で厄払いでもしましょうか。
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