心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

高がラジオ、然れどラジオ

2011-06-26 09:24:00 | Weblog
 きのうの土曜日は、時間の経過と共にぐんぐん気温が上がり、お昼には真夏の晴天を思わせる暑さでした。久しぶりの連休とあって、午後の昼下がり、自転車に乗って近くの散髪屋さんに出かけました。このお店、子供たちが幼稚園の頃から通っている老舗ですが、薄くなった毛髪を丁寧にさばいてくれます。さっぱりしたところで、ホームセンターに足を伸ばし、熱帯魚の餌やらラジオのアンテナ類を見て回りました。
 さて、きょうのお題は「ラジオ」です。18日付の朝日新聞”be between”の特集「ラジオを聴いていますか?」によれば、回答者4,500人のうち「はい」と答えた者が67%。そのうち、「毎日聴く」が49%、聴く時間が5年前に比べて「増えた」が30%、「変わらない」が55%、「減った」が15%、とありました。意外とラジオを聴いている方が多いことを知りました。「何をしているときに聴くのか」との問いでは、1位が運転中、2位が家事、3位が寝る前、4位が仕事、と続きます。これに年齢区分を加味したら、もう少しおもしろい分析ができたのかもしれませんが、とにかくラジオ世代は健在でした。

 それなのに、私がよく利用する広島の宿所(7階)は、ラジオの受信状態がさっぱりなのです。FM放送はベランダにFMアンテナを設置して解決できましたが、AM放送は駄目です。田園都市だから?それともコンクリート造のお家だからでしょうか。受信機のロッドアンテナをいろいろ回してみても雑音ばかりです。
 ところが、です。先週、帰阪する前夜、机の中にあった電線をラジオに繋いでベランダをうろうろしていたときです。手許からぽろりと線が落ちて、それを拾い上げようとした瞬間、部屋のラジオがけたたましく鳴り響きました。NHK第一放送の夜のニュースが聴こえるではありませんか。線の位置を微妙に変えると、徐々に感度がよくなります。さっそく電線をテープで固定して、地元の民放局にダイヤルを合わせてみると、ほとんどの放送を受信することができました。十分な感度ではありませんが普通に聴くことはできます。
 高がラジオ、然れどラジオ。以前ご紹介したように、私は、枕元にラジオを置いて、聴くでもなくNHK「ラジオ深夜便」をひと晩中つけっぱなしにするほど、ラジオ生活に馴染んでいます。ラジオ講座や講演会などなど、時間があれば聴いています。そんな私にとって、ラジオが受信できないというのは生活の一部を喪失しているに等しいのです。少し大袈裟かもしれませんが、私にとっては、テレビの地デジ対応以上に一大事なのでした。

 きのうは気分を良くして、ホームセンター内の電気屋さんで、SONYのポータブルラジオICレコーダーを購入しました。商品のキャッチフレーズは「ラジオを録る」。ラジオ講座、深夜番組を簡単操作で予約録音できます。MP3録音だから、パソコンやICレコーダーで持ち運びができる。なにやらラジオとの新しいお付き合い方が始まりそうです。今週は、夜な夜なベランダでアンテナ線の調整に苦心する私の姿がご覧いただけるかも(^^♪。
 忙しい忙しいと言いながら、適当に、けっこう、気分転換ができているようです。着任して3カ月、今週は、ひとつの大きなヤマ場を迎えます。これをクリアできれば、今後の展開が大きく変わります。わくわくするのに年齢は関係ありません。

 そうそう、以前ご紹介した我が家の枇杷(びわ)。今朝、初めて収穫しました。やや小ぶりながら、味はお店に並んでいるものと大差ありません。採れたてのブルーベリーと共に、朝の食卓に並びました。思えば枇杷は父の大好物でした。その父の命日が先週23日でした。広島から帰阪する新幹線のなかでふと思い出しました。あれから、もう24年が経ちます。私が老いるのも当たり前です。
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富山の街で

2011-06-19 10:26:40 | Weblog
 どんよりとした空気が漂う梅雨の日曜日、愛犬ゴンタと朝のお散歩にでかけました。その途中、バス停横の草むらにガクアジサイが咲いているのを見かけました。その昔、老夫婦が育てておられたアジサイですが、今はどうされているのか、ここ数年、お二人の姿を見ることはありません。でも、アジサイはいま、なだらかな斜面のいたるところで静かに花開いています。
さて、きのうは、富山に行ってきました。大阪は小雨が降っていましたが、特急サンダーバードに乗って福井を通過した頃から雨もあがり、終点の富山では雨の降った形跡は見当たりませんでした。大阪から片道3時間半、当初1泊2日の予定でしたが、特急列車が頻繁に走っていましたので、計画を変更して日帰り出張とあいなりました。
 出張の目的は夕刻の会合でしたが、いつものように少し早い目に家を出ました。富山駅に着いたのは午後2時過ぎ。まだ2時間ほど余裕がありますので、2年ぶりに富山市内を散策しました。といっても目的は限られています。事前にネットでチェックした古書店めぐりです。

 まずは富山駅正面玄関から、地図をもって県庁方向に歩き出しました。すると、さっそく市電のお出迎えです。昔、ドイツはケルンの街で乗った市電に似て、ゆったりとした車体が気に入りました。車体は数種類あるようで、市民の足になっています。改めてのその存在意義が見直されているようです。
 県庁を過ぎて富山城址公園が見えてくると、丸の内通りで左に曲がります。目印にしていた国際会議場のところで右に曲がると、総曲輪商店街が見えてきます。そのあたりに目指す古書店はありました。今井古書堂さんです。お客のいない静かな店内には、主人が独り。昼下がりの静寂のなか、古書独特の空気が充満する店で30分ほど品定めをしました。どこの古書店もそうですが、店ごとに選書に特徴があります。このお店は、富山に関する古書が豊富でした。また、やたら目についたのが小林秀雄でした。じっくり拝見したかったのですが、出張時の寄り道です。この日は「兄 小林秀雄との対話~人生について~」(高見沢潤子著)を手にしました。定価620円を1500円でご購入です。

 そろそろお時間のようです。本来の目的地に向かいました。その日の会合は、現地の技術者集団との懇談会でした。それも、相応の経験を積んだ方々ばかり。美味しいお酒をいただきながら、そこで話題になったのが「想定外」という言葉でした。お話を伺って、まさに技術者魂のようなものを強く感じました。
 「想定外」というこの言葉、東北大震災あるいは福島原発の問題で、最近よく使われています。彼らにしてみれば「想定外」なんていう言葉は使いたくない。常に最善を尽くすのが技術者であるとすれば、「想定外」という言葉で逃げることはできないというわけです。目の前の困難さえ解決できない厳しい状況のなかで、他人事のように「想定外」と言われても、どうしようもない。福島原発の第一線で踏ん張っている所長さんのことを思い出しました。
 じゃあ、いったい誰が使っているのだろうと思うに、それは、官僚たちの責任回避ではないか。あるいは経営者の責任逃れではないのか。自分の手に負えなくなると「想定外」という言葉で逃げようとする。それでなくても「時代」が脆弱になりつつあるのに、安易に「想定外」なんて言葉を使ってほしくない。日本の技術者集団の心意気に感服した次第です。
 まあ、そんな次第で、お酒の酔いもそこそこに、昨夜はぎりぎりまで粘って最終列車に飛び乗って帰りました。我が家に着いたのは午前0時を回っておりました。

 当初、潰れるかもしれないと思っていた日曜日ですが、天の恵みか、きのう無理した分、きょうは十分な骨休みができそうです。そうそう、先日、長男君から届いた父の日のプレゼントの中に2歳半の孫娘が描いた絵が入っていました。そろそろお姉さんになる孫娘も少しずつ成長しているようでした。
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人の心を繋ぐもの

2011-06-12 09:54:42 | Weblog
 地植えをして10日ほど経ったでしょうか。今朝、蓮を植えた鉢を覗いてみると、水面に小さな丸い葉っぱが浮かんで見えました。1枚、2枚、3枚、そしてあとに続く幼芽が3つ。我が家にようこそおいでくださいました。

 ところで、広島から帰る新幹線の中で、発売されたばかりの新潮文庫「広島学」(岩中祥史著)を読みました。原爆のことを除いて広島の地理・歴史・文化を掴みかねていた私ですが、時間を忘れて一気に読んでしまいました。県民性、原爆ドーム、お好み焼き、ヤクザ、チンチン電車、赤ヘル軍団、酒、海軍のまち呉、.....。筆者の「あとがき」ではありませんが、なんとなく広島が好きになっていく自分に気づきました。岩中さんは他に「札幌学」「博多学」を著しています。

 読み終えて、ふと思ったことがあります。地域に根差した文化、県民性って、最近薄くなってはいないでしょうか。地元の商店街が廃れ、全国チェーン店が幅を利かせています。田舎に帰っても、昔のように純粋な方言は聞けなくなりました。テレビ世代の子供たちの会話は、アクセントを別にすれば標準語に近いし、都市部でも大阪弁や京言葉が自然に使える人は限られています。昔なら大都市でしかありえなかった残忍な犯罪が、いまや全国いたるところで起きています。人と人との関係性が気づかないうちに綻びてきてはいないか。「広島学」では、古い時代の安芸門徒と呼ばれる浄土真宗に触れている個所がありますが、宗教性に乏しい今日の日本にあって、人の心を支えてきた倫理観のようなものが揺れ動いてはいないか。NHKラジオ講座「社会福祉セミナー」のテキストにあった「無縁社会」という言葉に、なにかしら時代の根源的な問題が凝縮されているような気がして、なんとなく落ち着きません。

 話は少し飛躍するかもしれませんが、きのうの朝日新聞土曜版「be on Saturday」に『童謡はなぜ消えたのか~加藤省吾作詞・海沼実作曲「みかんの花咲く丘」』という記事がありました。終戦から10年後「新しい子供の歌」運動が起きて、童謡は「廃頽した感傷趣味、営利目的」と批判されたようです。やり玉にあがったのが、「みかんの花咲く丘」で、その後童謡は徐々に影を潜め、代わって「月光仮面」「少年探偵団」「怪傑ハリマオ」の歌などが登場したとあります。まさに、私の子供時代に繋がっていきます。
 記事中、海沼さんのお孫さんに当たる方が、大事な問題提起をしています。東日本大震災の被災者の口から童謡が歌われたことを挙げ、「童謡は離乳食のようなもの。生きようとするときに立ちかえる歌です。日本人の血に流れている文化と言ってもいい」と。「子どものときに味わうべきものを味わわないで大人になる子が増えている」とも。
 街の図書館の一画で「童謡を歌う会」に出くわしたことがあります。高齢の方々が古き良き時代に思いを馳せながら歌っておられる姿を垣間見たことがあります。これを単なる懐古趣味と断じることができるのかどうか。機能性、効率性、快適性を求めるあまり、古いものを大事にする心を、私たちはどこかに置き忘れてしまった。大震災を機に、いまいちど時の歩み方を考え直してみてはどうでしょう。妙な理屈を捏ねまわすのではなく、美しいものを美しいと素直に言える社会に、いまいちど立ち返ってみるのも、決して無駄ではないでしょう。詩人・金子みすゞが再評価されているのも、決して偶然とは思えません。
 そう、6年も前のことですが、仙台市の駅構内で、松島行きの列車を待っているとき、伝統芸能の太鼓の演奏に出会いました。若者たちが揃いの法被を着て熱演していましたが、その強烈な音が身体の隅々に快く響き渡る快感を楽しんだものでした。東京一極集中なんてよく言いますが、実際のところ、集中している中身とはどれほどのものか......。

 さあて、梅雨の合間の日曜日、きょうは久しぶりに孫君がやってくるそうです。タマネギの収穫でも手伝ってもらいましょうか。
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京都散策~歩いて西陣まで

2011-06-05 10:24:31 | Weblog
 6月の第1週も淡々と過ぎて行きました。3日間を広島で過ごし、あとの4日を大阪で過ごす生活パターンも、最近やっと身についてきました。でも、宙に浮いている感がしなくもなく、彷徨の旅はまだ当分の間続きそうです。

 広島では、二か所の宿舎を利用しています。そのうちのひとつは田園都市にあって、7階でも夜になると、田植えの終わった田圃から、蛙の鳴き声が地鳴りのように聞こえてきます。数日前からは不如帰(ほととぎす)さんも仲間入りでした。そんな次第で、時に、動物たちの大合唱を聴きながら古き良き時代を思い、日本の原風景を肌で感じながら日本の行く末を思う、なにやら柳田國男の世界に足を踏み入れたような錯覚に襲われます。
 不如帰を広辞苑で調べてみたら、「山地の樹林にすみ、自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる。鳴き声は極めて顕著で”てっぺんかけたか””ほっちょんかけたか”などと聞こえ、昼夜ともに鳴く。夏鳥」とありました。他人の家で子供を産んで子育てまでも委ねてしまう図々しさに呆れてしまいますが、鳴き声は、実際のところ、もう少し哀調を帯びた感じがしないでもありません。
 ところで、きのうの土曜日は、久しぶりに家内と京都に出かけました。知人が関与する演劇公演にお誘いを受けたからです。場所は西陣。その昔、大学の友人が下宿していた近所で、西陣織の作業場の跡地を利用した空間が舞台です。来週、家内が機織りの手解きを受けるのも、この界隈なのだそうでした。

 あまり綿密な計画を立てずに家を飛び出したので、当初、出町柳から市バスに乗って行くつもりでしたが、開演までずいぶん時間があることが判り、急遽、京阪三条駅で下車。京都の街をぶらぶら散策しながら徒歩で向かうことにいたしました。というよりも結果的にそうなったということです。三条通りを直進して河原町通りに出て、そのあと寺町通りを北上しました。いろいろなお店をひやかしながら、鳩居堂さんではついつい孫たちにと万華鏡を2個買い求めました。.....市役所の横を通り過ぎて、横道をあっちにいったりこっちに行ったり。京都御所を過ぎ、同志社大学が見えてくる頃には、足もガタガタ。喫茶店で小休止したあと、目的地の西陣ファクトリーに到着したのは、開演の20分前でした。何度となく京都に足を運んでいますが、こんなに歩いたのは初めてです。最近、新幹線に乗ることが多い分、思うがままに京都の街を自分の足で散策できたのは幸いでした。
 演劇の方は、30ほどの客席が老若男女で満席でした。前の2列が畳座敷、その後の3列が椅子席で、私たちは椅子席に腰をおろしました。3人の役者さんの熱演に90分があっという間に過ぎて行きました。時には、全く違う空間に身を置くことの楽しさを満喫いたしました。

 帰途はさすがにバスに乗りましたが、河原町三条まで30分ほどかかりました。それだけの距離を行きは歩いたということです。これで家内の骨折も完治を証明したようなものです。昨夜は先斗町界隈で夕食を楽しんで帰りました。
 さあて、きょうは午後、お仕事で豊中市にでかけます。さ来週の土日には、富山に1泊2日の出張もあります。最近、連休がとれなくなっていますので、その分、人並み以上に時間の使い方にメリハリをつけて、日々を楽しんでおります。

【写真説明】
上段:広島の宿舎の窓から遠くに広がる田園風景を眺める。
中段:京都先斗町の中ほどにある小さな公園で、まるまる太っている猫を見つけました。
下段:この季節、鴨川沿いでは納涼床で大賑わいです。四条大橋から先斗町界隈を望む。
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