心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

私の2021年「10大ニュース」

2021-12-24 16:08:24 | Weblog

 きょうはクリスマス・イブ。子どもの頃のようなワクワク感はありませんが、アンドレア・ボチェッリのCD「my Christmas」を聴きながらのブログ更新です。ホワイトクリスマス、主の祈り、神の御子は今宵しも、もみの木、きよしこの夜.....。
  YouTubeにボチェッリのホワイトクリスマス(Andrea Bocelli - White Christmas - Live From The Kodak Theatre, USA / 2009)がアップされていましたので、右往左往しながら貼り付けてみました。しばしお楽しみください。


 さて、前置きはこのくらいにして、1年の締めくくり、私の2021年「10大ニュース」をまとめてみました。ことしもコロナウイルスに振り回された1年でしたが、振り返ってみるとその合間を縫って結構楽しく過ごした1年でもありました。

【1】四国八十八カ所歩き遍路「結願」
   2017年夏、リタイア後に出かけた四国八十八カ所お遍路バスツアー(区切り)を巡り終え高野山にお礼参りに行ったとき、「歩き遍路」を思い立ちました。以来、数カ月に一度の頻度で二泊三日のお遍路の歩き旅に出かけました。コロナ騒動で1年余りの休止を経て、ことし3月31日、やっと「結願」しました。山あり谷あり海辺あり。なんとか1200キロを歩き通すことができました。次は西国33カ所巡りです。こちらは気の向くままに電車・バスを利用してのお気軽な巡礼です。ことしは紀三井寺、粉河寺、施福寺を巡りました。
【2】心の友、新井満さん逝去
  「千の風になって」を作曲した新井満さんが、先日お亡くなりになりました。新井さんには、現役を退いて1週間ほど経った頃、仕事人生に終止符を打とうと家内と二人で北海道を旅行したとき、函館・大沼公園で開かれる「千の風音楽祭in大沼」のリハーサル中に出会いました。以来、新井さんの歌の世界に私の第二の人生を重ね合わせてきました。先日、追悼の気持ちを込めてDVD「千の風になって~四季~」を手にしました。環境映像が流れる中、新井さんの歌と著書の一節「死と再生の詩”千の風になって”は、いったい誰が書いたのだろう」の朗読で構成されていました。
【3】今年もコロナウイルスとの闘い
    今年もコロナウイルスに振り回された1年でした。NPOの講座運営も感染の波が押し寄せるたびに休講になり、その都度、補講計画に右往左往する始末。一方で観光地も飲食店も閑古鳥がなき、つらく厳しい風景が街のあちらこちらで見受けられました。そんななか、6月と7月にはモデルナワクチンを接種しましたが、さすがに2回目は発熱の副反応がありました。今はオミクロン株の動きに注目です。そうそう、数日前にお国の接種証明アプリをダウンロードしました。
【4】家内、癌治療で入院
   家内が癌治療のため7月に4日間ほど入院しました。コロナ禍とあって面会もままならず、なんとも落ち着かない日々を過ごしましたが、幸い早期発見だったため放射線治療を経てふだんの生活に戻りました。これを機に病院嫌いだった家内が定期的に通院するようになりました。昨年の私に続いての癌治療となり、夫婦そろってちゃっかり癌保険の恩恵を受けました。
【5】「老い」を考える
    年初に、84歳になる舘野泉さんの演奏生活60周年ピアノリサイタルに行きました。その後、NHKラジオ深夜便3月号の記事「80歳の列島縦断歩き旅:報道写真家・石川文洋」に目が留まったり、結願を終えて最後のお遍路宿となった大窪寺門前の「八十窪」さんで、これまで宿を切り盛りしてきた88歳になるお婆さんとお話しをさせていただいたりと、元気にお暮しの80代の方々に接し改めて「老い」を考える1年でもありました。広井良典先生の「死生観を問いなおす」(ちくま新書)、月刊誌Newton4月号「老いの教科書」、Eテレ「100分de名著」でボーヴォワールの「老い」について上野千鶴子先生のお話しを伺ったりもしました。
【6】能楽を楽しむ
    数年前から山本能楽堂の能講座「能活」に通っています。能楽師の前田和子さんからお能の楽しみ方を学び、定期公演「たにまち能」へと繋がるものです。今年は1月の「養老」「雲林院」、2月の「嵐山」、4月の「羽衣」「西行桜」、8月の新作能「オルフェウス」、そして12月の「班女」「遊行柳」と出かけました。そんな影響か、水彩画の題材もお能の一場面を描く機会が多い1年でした。
【7】自粛生活のお愉しみ~歌劇DVD
    コロナ禍にあって長く続いた自粛生活では、読書や音楽鑑賞に多くの時間を費やしました。久しぶりにテノール歌手アンドレア・ボチェッリのCDを聴く一方で、珍しく歌劇DVDを楽しみました。ビゼーの「カルメン」、プッチーニの「つばめ」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」、ロッシーニの「チェネレントラ」.......。ワーグナーの「さまよえるオランダ人」も観ましたが、「指輪」「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」などは未だ手つかずです。
【8】コロナの隙を狙って今年も旅行に出かける
     コロナのために自粛生活を強いられた1年でしたが、なんとなく下火になった頃を見計らって9月に横浜の次男君宅にお邪魔しました。閉園が迫った油壺マリンパークを1歳10カ月になる孫娘を連れて見納めです。結婚45周年を迎えた11月には、格安JALパックを利用した北海道旅行。積丹半島の岬を望む露天風呂で、ゆったりまったりのひとときを過ごしました。このほか、時々、近場の日帰りバスツアーにも出かけ気分転換しました。
【9】古本祭~夏の下鴨、秋の四天王寺
    関西では2年ぶりに古本祭りが再開したので、リュックを担いで嬉々として出かけました。3月には阪神百貨店の古書ノ市、8月には下鴨納涼古本まつり、10月には四天王寺秋の大古本祭り.....。電子書籍では味わえない古本の肌ざわりを楽しみながら、まだ見ぬ世界を彷徨うお爺さんでありました。残念ながら京橋TWIN21で開かれていた中古レコード即売会は、ことしで終わりました。
【10】悪戦苦闘したExcel関数
    NPOにExcelの達人がいたのですが急に病に倒れて右往左往するなか、テキストを買ってきて見様見真似で取り組みました。ふだんExcelは使いますが、関数まで使う経験がなかったので大変でした。でも、いったん使いだすと何とも便利なものであることを実感しました。私たちはWindowsやMicrosoftなどが搭載されたパソコンを使いながら、その機能を使いきっていません。

◇   ◇   ◇

   こうして振り返ってみると、結構賑やかな1年を過ごしたことに気づきます。さあて、こんな生活はいつまで続くんでしょうね。元気なうちは好奇心を持って生き生きと過ごしていきたいと思っています。
 さて、年末には子と孫をあわせて総勢14名が集まります。広くはない我が家が戦場と化します。というわけで、ブログ「心の風景」の年内の更新はきょうが最後になります。きょう、フランス文学講座を終えた帰り道、銀行に立ち寄って新札に両替してきました。お年玉の準備です(笑)。

   最後になりましたが、この1年、拙い「初老の雑記帳」にお越しいただきました皆様には心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

コメント (4)

リストを聴きながらブダペストに思いを馳せる年の瀬

2021-12-17 10:06:09 | Weblog

 昨夜から降り続いた雨が止んだようです。師走の庭がしっとりと濡れています。「大雪」の候も閉塞成冬→熊蟄穴→鱖魚群と進み、「冬至」を迎えます。1年で最も昼の時間が短くなる日です。そういえば最近、日の暮れるのがなんと早いことか。真夏なら公園から子供たちの歓声が聞こえていた夕暮れ時も、今では薄暗くなっています。春夏秋冬、さまざまな風景を楽しみながら時は過ぎていきます。

 さあて、きょうのブログ更新は、LPレコード「ザ・ベスト・オブ・シラフ~リスト・リサイタル」をBGM替わりに綴ることにしました。ハンガリーはブダペスト生まれのピアノの名手、ジョルジ・シラフが奏でるハンガリア狂詩曲、愛の夢、ラ・カンパネラ。お馴染みの曲ばかりですが、社会人になりたての頃、土曜の夜を四条河原町を徘徊しているとき都レコードさんで買って帰ったものでした。
 実は今週の講座は、同じくハンガリー生まれのフランツ・リストがテーマでした。ピアノ演奏を交えてリストの人となり、作品についてお話ししていただきました。その余韻に浸りながらペンを走らせます。(ペン?キーボードを操る??)
 ブダペストと言えば、数年前に中欧5カ国周遊8日間の旅の最後に立ち寄った街です。ウィーンから列車に乗ってスロバキアの首都ブラチスラバへ。そしてブダペストに向いました。翌日、ブダペストの街の観光に繰り出しましたが、雄大なドナウ川の流れに見とれながら、行く先々で戦争による崩壊と再生を繰り返したこの国の歴史に思いを馳せもしました。そんな街角で何度かリストの胸像に出会いました。
 その夜はドナウ川のクルージングを楽しんだりもしました。夕闇のなかに浮かぶ国会議事堂の雄姿を眺めながら、異国の風景に酔いしれたものでした。.....ここでブダペストの写真をいろいろ掲載したいところですが、実は、8日間の旅行の最後の場面、つまりウィーンからブダペストに至り、その後のブダペスト観光の模様を写した写真データがなくなってしまいました。どうやら、帰国して間もなくパソコンを新調した際に、操作を誤ってデータを消去してしまったようです。残念なことをしました。ここに掲載した写真は、以前このブログで使ったものばかりです。

 さてさて、お気軽なことを言っているうちに、いよいよ2021年も残り少なくなってきました。あと2週間です。早いものです。年末には子と孫を含めて総勢14人が勢揃いです。来年は高校受験する孫もいるので、全員が集まるのは今回が最後かもしれません。
 先週の土曜日、庭師の方に庭木の剪定をお願いしましたが、そろそろ受け入れ準備が本格化しそうです。お婆さん任せというわけにはいきませんから、お爺さんも何かとお手伝いです。家の大掃除と断捨離。粗大ごみの日までに決着をつけることにしましょう。
 そんなある日、和歌山の美味しい「たむらミカン」が手に入ったので、東京、横浜そして長女のお家にひと箱ずつ送りました。すると横浜から2歳の孫娘が美味しそうに食べている写真が送られてきました。孫と戯れるのも、爺さん婆さんの愉しみのひとつではあります(笑)。
 そうそう、来年は寅年です。年男になります。寅年生まれの守ご本尊は「虚空蔵菩薩」です。「虚空のように広大無辺の福徳・智慧を蔵して衆生の諸願を成就させる」菩薩と言われています。そんなわけで、私のスマートフォンの裏面には虚空蔵菩薩のシールが貼ってあります。四国八十八か所で言えば、遍路ころがしと言われる難所、12番札所の焼山寺と21番札所の大龍寺、そして室戸岬にある24番札所の最御崎寺のご本尊でもあります。
 次の寅年は12年後。ということは84歳。ムリムリ。残された時間をゆったりまったり有意義に暮らすことができればそれで良し。欲は申しません。

コメント (2)

現役を退いて5年。~新井満さん、逝く

2021-12-10 14:16:00 | Weblog

 先日、「千の風になって」を訳詞、作曲した新井満さん(75歳)がお亡くなりになりました。芥川賞作家でもあった新井さんにお会いしたのは、ちょうど5年前。現役を退いて1週間ほど経った7月の下旬、40数年に及んだ仕事人生に終止符を打とうと家内と二人で北海道を旅行したときのことでした。

 札幌、函館と巡り、最終日は函館駅から特急で30分ほどのところにある大沼国定公園(亀田郡七飯町大沼)のホテルに泊まりました。その夜は大沼公園で灯ろう流しが予定されていて、食後、ホテルの送迎バスで向かいました。愛犬ゴンタが亡くなって2週間余り経った頃で、園内に「千の風になって」の曲が流れていたためか、二人でしんみりと湖面に浮かぶ灯篭を眺めていました。
 翌朝、新千歳空港に向かう前にもう一度大沼公園に立ち寄りました。愛犬ゴンタに会えそうな気がしたからです。......すると、広場から「千の風になって」の歌が聞こえてきました。その日の夕刻に開かれる「千の風音楽祭in大沼」のリハーサルです。誰もいないステージの上で歌っていたのが新井満さんでした。リハーサルではトワエモアさんも歌っていましたが、ポスターを見ると、名曲「千の風になって」は新井満さんによって七飯町大沼湖畔の森の中で誕生したとありました。(2016-07-26付記事:「千の風になって」誕生の地~大沼国定公園)
 16年8カ月の間一緒に過ごした愛犬ゴンタが他界した直後だったこと、自らの意思で仕事人生に終止符を打った時期だったこと、これらが重なって新たな門出に期待と不安が入り混じり心が揺れ動いていた頃でもあったので、新井満さんの歌「千の風になって」は心に染みました。
 帰阪したあと、いろいろ調べもしました。新井さんは私より4歳年上で、作家、作詞作曲家、写真家、環境映像プロデューサー。小説家としては「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞。CD「千の風になって」では日本レコード大賞作曲賞を受賞。こんな多彩な経歴の持ち主でした。手元には自由訳「千の風になって」や「方丈記」などがあります。
 以来、新井さんが歌う曲をiPodに入れて持ち歩くようになりました。「千の風になって」「この街で」「ふるさとの山に向かいて」「万葉恋歌 ああ、君待つと」「富士山」....。海外旅行に出かける時も、四国八十八カ所歩き遍路に出かける時も、これらの曲を聴きながら歩きました。新井さんの歌の世界に私の第二の人生を重ね合わせてきました。不思議と心が安らぎました。
 ご冥福をお祈りします。
 
 話は変わりますが、先週、今年最後のお能を観に山本能楽堂に行ってきました。演目は能「班女」、狂言「蝸牛」、仕舞「鐘之段」「天鼓」、能「遊行柳」。4時間にわたってお能の世界にどっぶりと浸かってきました。
 能「班女」は、美濃国野上の宿で、遊女・花子が東国に下るときに立ち寄った吉田の少将と出会い、契りを交わします。少将が去った後、客をとらずに交わした扇ばかり見つめている花子に立腹した宿の主人は花子を宿から追い出してしまいます。以後、花子は気がふれて狂女になってしまいます。でも、めでたく京の都の糺の森で吉田の少将と再会を果たす、なんとも美しいお話しでした。一方の「遊行柳」は、諸国行脚の遊行上人が白河の関あたりで一人の老人に柳の老木を案内され、そこで柳の精に出会うというこれまた不思議なお話でした。
 笛や鼓や太鼓の音が響きわたる凛とした能舞台。現実の世界からふっと遠ざかってしまうような錯覚、不思議な時空間に放り出されてしまいます。夢うつつになったり、目の前で舞うシテの姿に魅了されたり...。これがお能の愉しみなんでしょうね。堪能いたしました。

◇  ◇  ◇

 函館大沼公園での出会いから5年が経過しました。その間、新しい出会いをいただきながら、今はNPOのボランティア活動に勤しんでいます。ただ、現役の頃の悪い癖で何事にものめり込んでしまい、気がつけば手を広げ過ぎた感なきにしもあらず。これはこれで困ったものです。どういうふうに上手に抜け出して行けるかが当面の課題になりそうです。でも、それだけ充実した愉しい老後を生きていると言えなくもありません。

コメント (2)

秋晴れに誘われて京の街を散策

2021-12-03 10:09:22 | Weblog

 今朝お散歩にでかけると家々のお庭も紅葉で華やかです。秋晴れに映えて気持ちの良い汗をかきました。
 さて、2021年も年の瀬を迎えました。七十二候を紐解けば、「朔風払葉(さくふうはをはらう=北風が木の葉を吹き払う)」から「橘始黄(たちばなはじめてきなり=橘の実が黄色く色づく)」。そして「大雪」を迎えます。ややもすると日々の忙しなさにかまけて季節感を失いがちの私たちにとって、昔人の「七十二候」は季節の移り変わりを気づかせます。都会にいてもちょっとした季節の変化を感じたい。これが「心の風景」の底辺にあります。
 我が家の庭では、ピラカンサの実が真っ赤に色づいています。すると、小鳥たちがやってきます。今年は餌が豊富なのでしょうか。例年に比べて実の減り方が遅く、枝先にはたくさんの実が付いています。でも、それも時間の問題かも。庭師の方には赤い実を残すように言っておきます。
 先週の日曜日、秋晴れに誘われて京の街を散策しました。今年最後の知恩院参りが目的でしたが、その道すがら、紅葉で賑わう有名なお寺は避けて、臨済宗大本山の建仁寺に寄り道しました。門を入ったところで、建仁寺塔頭・正伝永源院の「秋の庭園特別公開・寺宝展」のポスターに目が留まりました。さっそく覗いてみることに。
 案内パンフレットによれば、正伝永源院は1281年創建のお寺で、その後荒廃していたところ、織田信長の弟である織田有楽斎長益が1618年に再興したとあります。観光客で賑わう花見小路から少し入った位置にありながら入園者はまばら。なんとも落ち着いた雰囲気が漂っていました。
 庭園内には有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵」が復元されているほか、方丈には2013年の春に奉納されたという元首相・細川護煕(もりひろ)氏筆の襖絵が公開されていました。細川家の始祖細川頼有および以後八代の菩提寺でもあったご縁のようです。
 それにしても観光客のなんと多いことか。コロナ禍にあって四条通が閑散としていた時期に比べると雲泥の差です。人混みをかき分けながら八坂神社、円山公園を経て知恩院に向かいました。いつものとおり御影堂にあがってお参りしたあと、しばし堂内に響くお経に耳を傾けました。ほっとひと息です。(下の写真は納骨堂前で手にした紅葉です)
 祇園四条界隈にある南座の正面には、吉例顔見世興行に出演する歌舞伎役者の名前を書いた「まねき看板」が掲げられていました。これもこの時期の京の風物詩です。
 この日は久しぶりにビアレストラン「ミュンヘン」で美味しいビールをいただきました。学生の頃、アルバイトをしていたお店でもあり、半世紀にわたるお付き合いです。創業70年、さすがに常連客はシニアの方々が多く、かつての学友や仲間たち、あるいはご家族が集います。次男君が結婚したときの二次会もこのお店でした。
 今年もあと1カ月。年末には東京の長男君と横浜の次男君一家が帰ってくると言っています。長女一家が合流すれば総勢14人が勢揃いです。孫の中には中学生が2人いますから、こうして全員が集う機会はこれから少なくなることでしょう。オミクロン株で第6波が来ないことを願っています。

コメント (4)