心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

フィンランド 豊かさのメソッド

2008-09-28 09:20:42 | Weblog
 そろそろ10月のカレンダーが気になる季節。朝方は寒ささえ感じる今日この頃です。愛犬ゴンタと朝のお散歩に出かけると、ムラサキシキブやハナミズキの実が染まっていました。季節の変わり目は、人の目を楽しませてくれます。
 ところで、先週半ば知人とお酒を呑んだとき、集英社新書の「フィンランド 豊かさのメソッド」(堀内都喜子著)が話題になりました。欧州で長く働いてきた彼は、いま日本で話題になっている「ゆとり教育」「残業問題」あるいは「子育て支援」などが政争の具として議論されていることに違和感をもっています。もっと根っこのところを議論すべきじゃないだろうかと、熱っぽく語ってくれました。
 帰り際、私も1冊買って帰りました。新書の帯には「子どもの学力調査1位、国際競争力ランキング4年連続1位」とあります。フィンランドといえば、森と湖、シベリウスなどを連想してしまう私にとって、一定の存在感をもって受けとめていますが、そんな北欧の国の、別の一面を見る思いがしました。
 読み終わって、その国の国民性を思いました。農耕民族と狩猟民族の違いもあるのでしょうが、一面、日本人に近いものがないではない。少なくとも、EU諸国の一員でありながらフランス人やイタリア人の物の考え方とはずいぶん異なる気もする。むしろ、日本人が忘れかけている精神性のようなものが顕在なのかもしれない。やはり、北欧という自然環境が、その国の人を育んできたのではないか。そういう厳しさを知っているからこそ、教育もITに象徴される産業も他の国に注目されるのでしょう。かといって、ガリ勉を育てているのではない。本来の意味の「ゆとり教育」というものが実践されている。ものごとを自ら捉え、考える力を育てる。それを皮相的に理解して失敗した日本の教育システムにこそ反省すべき課題があるように思いました。
 読み終えて、その余韻が残るなか、翌日の土曜日はお休みにしようと決めてベッドに入ったのですが、次週のスケジュールを考えると、どうしても休むわけにはいかない。いつも通りに職場に向かいました。これも悲しい我が国民性か?ひと仕事終えて、帰途につきましたが、このまま家に帰るのはもったいないとばかりに街に繰り出し、またぞろ芸術散策(?)。やたらドビュッシーが聴きたくなって、ベルガマスク組曲などピアノ曲のLPレコードを2枚購入。ジュンク堂では、バッハのゴールドベルク変奏曲(クラヴィーア練習曲集第4部)の楽譜本を買って帰りました。昨夜はウイスキーを片手に、グレン・グールドの演奏を楽譜を眺めながら楽しみました。
コメント

淀川も秋の気配

2008-09-21 10:31:41 | Weblog
 台風一過、清々しい秋の空に惹かれて、淀川堤防を歩いて職場に向かいました。遠くに大阪の都心が小さく見える、そんな地点から、ゆったりとした土曜休日の出勤でした。
 所々にススキの穂が揺れ、すでに秋の気配。爽やかな風の音と秋の虫のほか何ひとつ聞こえません。都会の喧騒が嘘のようです。ランニング中の何人かの方々と出会いました。「おはようございます」。えっ?都会のど真ん中で、朝のご挨拶?難しい顔、疲れた顔が目立つ通勤電車の中とは違います。皆さん良い汗をかきながら、それぞれのペースで走っていらっしゃる。だから自然に挨拶が口に出てくるんでしょうね。これは、湖北の山小屋に行くときと同じです。自然の風景が人の心の和ませる。躊躇うことなく心のなかから言葉が自然に出てくる。なんだか嬉しくなりました。これからも、時々、堤防を歩いて職場に向かうことにしました。暑い夏も、寒い冬も、初々しい春も、四季折々の風景を楽しむことができるのだと思います。それがビジネスの世界で疲れきった心を癒してくれるのだと思います。
 考えてみれば、人間と川の関係は奥深いものがあります。世界の文明の発祥は、いずれも大河を抜きには語れません。この淀川も湖北の水源から琵琶湖を通って大阪湾に流れています。太古からの悠久の歴史が、そこにあります。京都・大阪・兵庫の住民に多くの恵みをもたらしてきたのです。飲み水として、産業用水として、あるいは交通路として、人の生活と深く結びついてきたのではないでしょうか。私たちは、この川によって生かされているのです。
 実は、私も小さい頃から川とは縁がありました。実家のすぐ近くには、古事記にも登場する肥の河(現在は斐伊川)が流れていました。スサノウノミコトが八岐大蛇の生贄になろうとしている娘クスナダヒメを助ける話として登場する、まさにその肥の河の傍で生まれ育ちました。ちなみに、クスナダヒメの両親は、スサノオが大蛇を退治したら娘を嫁にやると約束するのですが、このシナリオ、なんだかヘンデルの歌劇「リナルド」に似ていますね。どこの国にも、似たようなお話があるものです。
 悠然と流れる大川は、温かい心で人の社会を見つめています。しかし、人間様からダム建設など望まない仕打ちを受けると、牙をむき出しにして怒ることもあります。昔人は、川とうまく付き合ってきたとよく言われます。現代の私たちも技術を過信せず、川と共生する方法を考え豊かな心を育てたいものです。私を、そんな優しい気持ちにさせるのも大川です。
 きょうは久しぶりに、松下真一作曲の交響幻想曲”淀川”のLPレコードを聴いています。演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団、指揮は朝比奈隆です。ちょうど今、部屋中に第4楽章の合唱が響いています。

  ♪栄えあれ
  ♪歴史の証し
  ♪明日への生命たぎらせ
  ♪今日もとうとうと流れ豊かに
  ♪この水、淀の
  ♪母なる威容称え
  ♪われら、我等。おゝ淀川、 
  ♪母なる淀川。
コメント

カイくんとニッパー犬

2008-09-14 22:25:46 | Weblog
 ことしの仲秋の名月は、きょう9月14日です。さきほど愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。すると、淡い雲のベールを着たお月さまを望むことができました。道端には、秋の虫たちが元気に鳴いています。そんな夢心地で夜空を見上げていると、東の方から一直線に伸びる飛行雲。なにも、仲秋の名月の夜にお月さまと競い合わなくてもいいじゃない。
 秋といえば、自宅から自転車で15分も走ると、都会地ながら小さな田園風景が広がります。きょう、その田圃の横を走っていて、稲の香りに気がつきました。稲穂が色づき始めていますから、1か月もすれば刈り入れ時を迎えるのでしょう。こんなところにも、秋の風情を感じます。
 ところで、この三連休、我が家では長男君が1年ぶりのご帰還とあって、長女一家を交えて賑やかな休日を過ごしました。来月1歳を迎える孫君は、我が家に来て初めて「立っち」ができるようになりました。来月からの母親の職場復帰に向けて、今月からは保育所通いなのだそうです。「少し早くはないかい」と思いますが、女性の社会進出と子育ての兼ね合いの難しさを思いました。保育所では1か月をかけて徐々に滞在時間を延長していくのだそうですが、自己と外界の違いを、幼いながらも少しずつ体得していくのでしょうか。ずいぶんしっかりしてきたようにも思います。それにしても、核家族の時代、子供も働く親も、一緒になって「生きる」ことの意味を考えます。少しずしりと迫るものがあります。
 話は変わりますが、テレビCMで最近、幼児の関心をひくCMが話題になっています。我が家の孫も、話題のCMが流れると急に動作を止めてテレビ画面を見つめます。嬉しそうに身体を動かします。映像、音楽、音声が人の心に与える影響の大きさを思います。不思議ですが、かつてはこれを悪用した歴史もありました。音楽と人の心の関係は、なかなか奥深いものがあります。
 そんなテレビCMのなかで、私が珍しく気に入っているCMがあります。ソフトバンクのCMです。白い北海道犬の「カイくん」です。カイくんの動作もさることながら、CMの対象に合わせたセリフに何かしら惹かれるものがあります。これを考えている人って、どんな方なんでしょう。最近、放映されているCMでは、最後に「おやじ!がんも!」というセリフがあります。微笑ましい風景が、人の心を和ませます。
 そんなカイくん、先日、ビクターを象徴するニッパー犬と対面した新聞記事が目に留まりました。いつもCMをみて、ふっと笑いが込み上げてきますが、わたしにとっては心の疲れを癒し、また元気を与えてくれるCMです。といっても、わたしの携帯はauですが....。
 今晩は、いつもどおりの静けさのなか、ヘンデルのハープシコード組曲をグレン・グールドの演奏で聴きながら、遅めのブログ更新をしています。
コメント

やっと出会った歌劇「リナルド」

2008-09-07 10:32:20 | Weblog
 暑さがぶり返していますが、それでも朝夕はめっきり過ごしやすくなりました。夜には、窓の外で秋の虫の大合唱が始まっています。秋は、もう目の前です。
 そんな土曜休日に、珍しく宝塚の清荒神さんにお参りに行きました。大阪・梅田から阪急宝塚線に乗って急行で30分。駅に着くと、山の中腹にある神社まで、徒歩で15分ほどかかります。木陰に涼を求めながらゆっくり登っていきました。さすがに、この時期は参拝者も少なく、参道もひっそりとしていました。
 近くには安産祈願の中山寺もあり、我が家にとっては京都の知恩院に次いで馴染み深い場所です。今回、この暑い時期に敢えてお参りしたのは、来月、長男君に第一子が生まれるからです。私にとっては二人目の孫になります。そんなこともあって、どちらが言い出したわけでもなく、行先が一致しました。今週には、長男君、遅めの夏休みをとって、お嫁さんをご実家に預け、その足で我が家に帰ってくるのだと。しっかり祈願をしておきました。
 ところで、その帰り道、久しぶりに梅田界隈を散策しました。馴染みのCDショップでは、長い間探していた品を見つけました。ヘンデルの歌劇「リナルド」です。アリア「私を泣かせてください」で知られるオペラです。このアリアを聴きながら、いったいどういう物語のなかで歌われるものなのか、以前から気になっていました。CD3枚、時間にして3時間近い超大作でした。文庫本を読むような気軽さで楽しむことになります。
 ざっと目を通したところ、タッソーの騎士道叙事詩「エルサレム解放」がベースになっています。騎士リナルドは、十字軍総司令官の娘アルミレーナを愛している。司令官は、エルサレム解放の暁には、娘を嫁にやると約束する。ところが、エルサレムの国王アルガンテは、魔女アルミダを使って騎士リナルドとアルミレーナの仲を引き離そうとする。魔女の城に閉じ込められたアルミレーナに魅せられた国王アルガンテは、彼女の気を惹こうとする。しかしアルミレーナは「私を自由にしてください」「私をひとり残して泣かせてください」と嘆く。そして、かのアリアを歌う場面が登場します。
 この物語は、十字軍がエルサレムを解放すると、国王アルガンテと魔女アルミダはキリスト教徒に改宗し、アルミレーナはめでたく騎士リナルドの花嫁になって幕となります。考えてみれば、極めて宗教色の濃い昔話です。でも、キリスト教を抜きに西洋文化を語れないことを思うと、当然のこと。日本で言えば、古事記の世界、神話の世界に近いのかもしれません。さあ、きょうはリナルド三昧といきましょう。

(注)写真は、以前、塩野七生さんの歴史小説を読んでいた頃、1冊読むごとに百円ショップで購入した十字軍の面々です。リナルドのイメージを膨らますことができればと思い掲載してみました。
 
コメント