心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「みぞの鏡」の中に何を見る

2012-11-25 09:52:26 | Weblog
 きのう広島に向かう新幹線のなかで、朝日新聞のシンポジウム記事「グローバル時代に日本が生き残る道」を興味深く読みました。日本が世界で生き残っていくために、多様な人々が生き生きと働ける社会、ダイバーシティーの推進を考えようというものでした。久しぶりに金井寿宏先生のお姿も。
 基調講演された浜矩子先生のお話は、こうです。ハリー・ポッターに登場する、自分が望む理想の姿が映る「みぞの鏡」(のぞみ鏡)を例に、いまの日本で人々が鏡の中に見ているのは、高度成長期を中心とした若き時代の姿。鏡の中にあの頃の自分を見て、本当の姿を見ていない。では、鏡の中に見るべきものは何か。それを先生は、「老いは楽し」という精神性のなかで成り立つ「老楽国家」であると。国家の成熟度を上手に受け止め、生かし、展開することだと。
 そのためには、「シェアからシェアへ」「多様性、まさにダイバーシティーと包摂性(包容力)の出会い」が必要だろうと。前者は、奪い合いのシェアから分かち合いのシェアへの切り替え、後者は縦軸に包摂性、横軸に多様性を置いてその両方が高い象限が理想郷であると。そして、「グローバル時代に、ここまで成熟した経済社会は日本しかない。鏡の中に本当の自分の姿が見えるようになったとき、我々はグローバル時代という舞台で老楽国家の華麗な姿を見せる事ができる」と締めくくっています。
 そうなんでしょうね。納得した次第です。紙面には、「異なる視点を組織の強みに」「育児支援で社会進出を応援」「なぜの嵐は革新の第一歩」「多様性の実現はトップ次第」「女性役員増やし実証実験を」などの小見出しが並んでいました。さて、私は「みぞの鏡」の中に何を見るか。

 きょうのブログは少し小難しい話題から始まりましたが、晴れやかな秋の休日を迎えています。おととい13歳の誕生日を迎えた愛犬ゴンタ君は、朝の散歩を終えると軽い朝食を済ませて、今は小屋のなかでひと休みです。老楽の心境なんでしょう。きっと。


 この三連休、中日に広島にでかけましたので飛び石連休となりましたが、我が奥様はちゃっかり三連休を利用して長男宅にお出かけです。そんなわけで「勤労感謝の日」は音楽三昧の一日を楽しみました。ネットで購入したばかりのLPレコード洗浄機(SPIN-CLEAN RECORD WASHER SYSTEM MKⅡ)をさっそく試運転です。LPもずいぶん年季が入っていますから、20枚を超えるとさすがの洗浄液も濁ってくるのがわかります。洗浄を終えたLPたちはさっぱりした表情で、次の出番を待っています。

 まず針を落としたのは、グレン・グールドの数少ない協奏曲、モーツアルトのピアノ協奏曲第24番とベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番でした。前者はワルター・ジュスキント指揮、CBC交響楽団の演奏、後者はウラディミール・ゴルシュマン指揮、コロンビア交響楽団の演奏です。洗浄効果を如何なく発揮してくれました。このLP、1958年の録音ですが、ジャケットには今は亡き大フィルの指揮者だった朝比奈隆さんのエッセー「グールドの思い出」が掲載されています。曰く、

「私が初めて彼を知ったのは1958年11月、ローマのサンタチェリア・オーケストラの定期演奏だった。...(その練習会場で)私は指揮台に立ってオーケストラの立礼をうけたが、独奏者の姿が見えない。...私は「ミスター・グールド」と大きな声で呼んでみた。すると「イエス・サー」と小さな声がして、コントラバスの間から厚いオーバーの上から毛糸のマフラーをぐるぐる巻きにした、青白い顔をした小柄な青年が出て来た。その青年は、ゆっくり弱々しい微笑みを浮かべながら、右手を差し出した。....握ったその手は少女のそれのように、ほっそりとしなやかで、濡れたように冷たかった。....(楽団員の)一抹不安の視点が集中する。........やがてオーケストラは結尾のフォルティシモに入り、力強く変ロの和音で終止した。正しく8分休止のあと、スタインウェイが軽やかに鳴り、次のトゥッティまで12小節の短いソロ楽句が、桶を伝う水のようにさらりと流れた。それはまことに息をのむような瞬間であった。....長大な、時には冗長であるとさえ言われる第一楽章が、カデンツァをも含めて、張り詰めた絹糸のように、しかし羽毛のように軽やかに走る」。

 グールドらしいなあと思いながら曲を聴いていると、なんだかその練習会場に同席させていただいているような、そんな錯覚を覚えました。これも我が老楽のひととき?

 気分をよくした私は、その日の午後、ぶらり大阪駅前第1ビル地下にある中古CD店「WALTY」(ワルティ)さんに出かけました。クラシック専門の中古CD店です。そのお隣には中古LP店「DISK.J.J」さんも。楽しい時間を過ごしました。その日手にしたのはグールドのCD「エディション<7>」(グリーグ、ビゼー、シベリウス)2枚組、定価4800円が1980円、ヤナーチェックのCD「弦楽四重奏」、定価3300円が1200円でした。新品ではなかなか手の届かなかったCDが、お手頃な値段で入手できる楽しさがあります。
 そうそうネットをうろうろしていたら、誰かがWALTYさんの様子をYouTubeにアップしていました。クラシック大好きのご主人と店員さんのお人柄が、これまた最高のお店です。 http://www.youtube.com/watch?v=8U3DrY5xQrw
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静かな秋の休日

2012-11-18 09:40:51 | Weblog
 「誰か来てちょうだい」。暑い夏の静まり返った真夜中、窓を全開にして机に向かっていると、遠くからか細い声が聞こえてきました。何度も続くのでこれは大変と、家内と一緒にお隣の様子を見に行きました。家の中から「誰か来てちょうだい」の声。ただ事ではありません。急いで裏庭のガラス戸をあけて家の中に入ると、湯船から出られなくなっているお婆さんを発見しました。聞けば数時間この状態が続いていたようで、さっそく救急車を呼んで救急救命士さんのお世話になりました。
 そんな独り暮らしのお婆さんが、先日、介護施設でお亡くなりになりました。東京から娘さんがやってきて家の整理、大きなご自宅も売却される由。庭に大きな柿の木があって、秋になると電話で「私は採れないから、採ってくれない」というご依頼がありました。長い竿を巧みに使ってバケツ一杯の柿の実を収穫すると、形の良さそうな実を何個か手にとって、「あとは持って帰ってちょうだい」と。その柿の木、ことしは枝が折れそうなぐらいに実っています。猫大好きのお婆さんでした。小家族化が進む世の中、昭和の楽しいファミリーが1軒、姿を消します。

 そんな寂しい秋の休日、きょうは久しぶりにチャイコフスキーの交響曲第5番のLPを取り出しました。小沢征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏で、1977年2月16日の録音とあります。秋が深まってくると、なぜかチャイコフスキー。第一楽章の運命的な出会いのあとに続く第二楽章(アンダンテ・カンタービレ・コン・アルクーナ・リチェンツァ)、そして第三章(アレグロ・デモラート)。そして訪れる第4楽章では運命に対する深い思いと強い意思が伝わってきます。大好きな曲です。棚には様々な指揮者の第5のLPが並んでいます。
 
 それにしても我が家のLPもずいぶん増えました。整理をしなければと思いつつ放置したままです。いずれ自作のレコード収納棚を作ろうと思っていますが、それも手つかずのままです。
 私のLP収納はいたってシンプルです。1枚1枚にナンバーをふって番号順に収納します。あとはエクセルに番号と音楽情報を入力し、作曲家順、演奏家順のふた通りに並べ替えたシートを用意しておきます。そのときの気分で必要なLPをナンバーで探し出します。終れば、また元の場所に戻す。これも情報検索法のひとつでしょう。
 でも、同じ作曲家のLPの全容を眺めてみたいときは、出し入れが大変です。よく聴くLPはある程度固定化されてきますから、果たしてこの整理の仕方でよいのかどうかは分かりません。近代的な図書館のように書庫から自動的にもってきてくれるわけでもありません。作曲家別に整理すると演奏家別に探したいとき不便です。チャイコフスキーの交響曲第5番のように、同じ作品を様々な演奏で聴こうとすると、作品毎に並べる方法もありますが、これまた一長一短があります。

 LPは検索可能にしていますが、書籍は何もしていません。背表紙で簡単に探すことができます。年間を通じてずいぶん本を眺めますが、これはと思うもの以外は年に一度整理をして不必要と思うものは古本屋に送っているからです。これを繰り返していると、書棚に大切な本だけが残っていきます。リタイアすれば仕事関係の書籍はすべて整理しますから、結局手許に残るのは書棚2本もあれば十分です。
 そうそう、きのう書棚の奥から高校卒業アルバムを見つけました。その末尾に在校中に借りた図書カードが貼ってありました。1年の頃は「星の進化と宇宙」「コロイドとその応用」「証明の発見」「微分学」など理系の図書が並びます。でも2年になると「歴史学」「世界史」「現代政治」「哲学」「現代のヒューマニズム」「小林秀雄」などと人文系に移行しています。なにやら、その後の生き様の起点がこのあたりにあるような気がして、笑ってしまいました。

 情報過多の時代、情報に流されないための武装が必要に思います。自分の立ち位置を見失うことのないようにしたいものです。さあて、きょうは午後、ある方の講演会を覗いてきます。
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アプリ「健康生活日記」

2012-11-11 10:27:03 | Weblog
 朝、愛犬ゴンタとお散歩したときは降っていなかった雨が、PCに向かった途端に降り始めました。最近の天気予報はほんとうによく当たります。さて、きょうはNHKFM「名演奏家ライブラリー~20世紀の名指揮者 ブルーノ・ワルター(2)」を聴きながらのブログ更新です。マーラーの「交響曲“大地の歌”」(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)をモノラルSP盤で聴きます。
 きのう仕事帰りに散髪屋さんに寄ってきました。歳相応に頭髪が薄くなったとはいえ、散髪したあとの爽快感、気持ちの軽快さは何ものにも代えがたいものがあります。行きつけの床屋は、子どもが小さい時からお世話になっているお店です。最近は大衆理容におされて客足が遠のいていますが、御爺さんが独り頑張っています。その日も、私の前に一人、終わりがけに一人と、なんとなくお客が来ている程度ですが、通い慣れたお店のこと、何も言わなくても鋏を入れてもらえます。薄くなってしまった頭頂部分も丁寧に櫛を入れて散髪してくれる心憎さ(笑)に、技量の確かさを思います。ご主人となにやかやと話していると終ってしまいます。

 ところで、先日、大学時代の先輩から住所変更のお知らせが届きました。戸建住宅からターミナルのマンションへの引っ越しでした。お電話をしてみると、お子さんが独立され夫婦世帯になって10年、今後のことを考えると近くに病院のあるバリアフリーのマンションが安心だと。なるほど。言われてみれば、そうですね。
 厚生労働省の将来推計人口統計をみると、65歳以上の高齢者は30年後の2042年に3,878万人とピークを迎えるのだそうです。現在25%前後で推移している高齢者比率は、2035年に33.4%、2060年には39.9%に達し、2.5人に1人が高齢者になるとか。一方で、国民生活基礎調査は、1人暮らし、夫婦のみの世帯、親と未婚の子のみの世帯が増加の傾向にあって、サザエさんの磯野家のような三世代世帯は比率的には減ってきているのだと。介護保険制度の財源論が取沙汰されるなか、老老介護が現実味を帯びてきます。けさの朝日新聞一面には、「延命 苦悩の治療中止」との見出しで終末期医療の悩ましい現実を伝えています。.....急速に進む少子高齢化、小家族化の流れのなか、「子が親を介護して当たり前」そんな美徳を振りかざしていては共倒れになってしまいます。
 さあて、我が家はどうすべきか。日曜日の朝っぱらから難しい話題になってしまいましたが、病院嫌い、薬嫌いの私のこと、当面は少しでも長く健康でいられるように努めたいものです。

 それはそうと、一カ月ほど前にスマートフォンの機種を変更しました。画面が大きくなったこと、広辞苑などが手軽に使える統合辞書が付いていること、Wi-Fiデザリング機能が付いていること、などが機種変更の理由でした。そんなスマホを弄っていたら、「健康生活日記~かだらライフ」というアプリが入っていました。これがなかなかの優れものでした。

 ウォーキング/EXカウンタ(万歩計機能)は、日々の歩数を計算して「本日の歩数」「本日の消費カロリー」「今週の活動量」を教えてくれます。歩数データを蓄積して、東海道やら四国八十八カ所巡りなど「歩くたび」の仮想体験を楽しむこともできます。これを使い始めて意外と歩いていないことに気づきます。特に広島勤務のときは車移動が多いので、極端に少なくなります。にもかかわらず食事の量は変わりませんから、肥満気味になるのも当然です。きのうは努めて歩いたところ、金賞マークをいただきました。(笑)

 もうひとつの機能が「睡眠ログ」。枕元にスマホをおくだけで「寝返り」と「いびき」の両面から眠りの質を計測してくれます。睡眠時間、睡眠効率、1時間ごとに記録される温度・湿度などのデータを数値とグラフで示してくれます。1週間、1カ月と長期的に振り返ることもできます。昨夜の記録をみると、睡眠時間は6時間29分だけれども睡眠効率は43.4%と低め。ぐっすりと眠った時間帯がまばらでした。これを週単位で見ていくと、これも様々で、心的な変化、負荷を自覚させてくれます。ほかに、心拍数を簡易計測することができます。装置があれば血圧や体重などのデータも蓄積可能です。
 当面は睡眠ログと万歩計機能で、ちょっぴり健康にも留意することにいたしましょう。

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文楽と映画を楽しむ

2012-11-04 09:12:55 | Weblog
 11月に入って、愛犬ゴンタの小屋のまわりには、落葉したケヤキの葉っぱが目立ちます。そんな秋の日曜日、明るい快晴の空を眺めながら、きょうは舘野泉さんのCD「ひまわりの海」(セヴラック:ピアノ曲集)を聴いています。さあて、ブログの更新でもしますか。
 そうそう、先週の日曜日、家内が陶芸仲間のおじさんから花梨(かりん)の実を二個もらってきました。固くて食べれそうにない実ですが、嗅いでみると微かに芳しい香りが漂います。さっそくネットで調べてみると、花梨とは「バラ科の落葉高木で、果実は果糖、ビタミンC、リンゴ酸、クエン酸、タンニン、アミグダリンなどを含み、咳や痰など喉の炎症に効く」のだと。生食には適さず、砂糖漬けや果実酒に加工すると良い、とも。禁煙して12年、風邪でもないのに時々咳き込むことがあるので、砂糖漬けにしてもらうことにしました。

 きのうは全国的に祝日でした。「文化の日」です。我が家では、遅れ馳せながら36回目の結婚記念のお祝いを兼ねて、二人でお出かけでした。行先は、な、なんと国立文楽劇場でした。今夏、初めて「曾根崎心中」を見て気に入ったのでしょう。こっそりチケットを用意してくれていました。今回の演目は「仮名手本忠臣蔵」です。赤穂四十七士の仇討事件を題材に、当時の幕府の検閲を逃れるために太平記(室町時代)の世界に移して作られた義士劇でした。公演初日ということもあり、おおぜいの観客で賑わっていました。外国人の姿もあちらこちらに。英語解説のイヤホンをつけてのご鑑賞です。かく言う日本人の私たちも、舞台上に映し出される台詞を追いながらの鑑賞でした。

 私たちが入場したのは午後4時半に始まる「第二部」で、七段の「祇園一力茶屋の段」、八段の「道行旅路の嫁入」、九段の「雪転しの段」「山科閑居の段」、そして大詰めの「花水橋引揚の段」でした。文楽を見た後で食事でもして帰ろうと思っていたのですが、な、なんと終演時刻が午後9時とあります。実は「第一部」は午前10時半から始まっていたようでした。初めて知りました。夕食は25分間の休憩時間に劇場内で売っていたお弁当(柿の葉寿司)で済ませました。チケット代は各部一等席5,800円(ちなみに2等席は2,300円)。一二部通しだと9,800円という設定でした。和服姿の熱烈なファンの方々は、朝から晩まで一日中、文楽を楽しんでいらっしゃったのです。お隣の方は、わざわざ東京からお出かけのようでした。
 文楽素人の私たちです。前回来たときは後ろの席でしたから、人形使の方々に目が行ってしまいましたが、今回は正面中央8列目でしたから、人形の動作・表情が生き生きと伝わってきました。人形、義太夫、三味線によって繰り広げられる人形劇の世界。日本の「歌劇」なんでしょう。4時間あまりの間、退屈することはありませんでした。

 さて、実はこの日、もう一カ所立ち寄ったところがありました。欲張りにも映画館です。この夏、北海道は礼文島の香深港のターミナルで利尻島行きの定期連絡船を待っていたとき、吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」の大きなポスターが目にとまりました。11月3日全国ロードショーとありました。ロケ地は私たちが旅した稚内、利尻島、礼文島、豊富でした。ふだんあまり映画を見ない私ですが、珍しく「時間があったら見に行こうか」と話していました。
 それ以来忘れていましたが、な、なんと、2日金曜日の夜、夕刊を眺めていたら「北のカナリアたち」の全面広告に気づきました。さっそく家内に「文楽は何時から?」と尋ねると「午後4時半から」というので、「じゃあ、その前に映画を見に行こうか」とお誘いすると、映画大好きの家内は即刻オッケーでした。
 国立文楽劇場のある日本橋から徒歩で行ける範囲にあったのは、「なんばパークスシネマ」でした。昼の12時10分上映をめざしました。到着して驚いたのは、その賑わいです。レンタルやデジタルの時代、映画館はかつての賑わいはないだろうと思っていたのですが、その変貌ぶりには驚きました。ビルの8階に11のシアターがあって、60歳以上は千円のサービス料金のためか、老若男女、年齢層もさまざまでした。ビールとポップコーンを手にシアター内に入りました。
 映画の方は、北の海に象徴されるように、少し重たい内容でしたが、大画面と大音量のためか否応なしに映像空間のなかに身を置くことになります。.....「唄を忘れたカナリアは 後の山に捨てましょうか。いえいえ それはなりませんぬ....」。西條八十の「カナリヤ」を、島の子供たちが歌う最後のシーンには、心打たれるものがありました。

 映画と文楽のハシゴって大丈夫かなあという微かな不安。1日で二つのことを済ませようという欲張りなスケジュールでしたが、頭の切り替えが早いのが得意な夫婦です。全く問題はありませんでした。映画も初日、文楽も初日。楽しい結婚記念日となりました。
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