心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

梅雨が明けて『夏』

2007-07-29 13:08:25 | Weblog
 明け方の清清しさもつかの間、午前中だと言うのに気温は30度を超える勢いです。これに蝉の大合唱が追い討ちをかけ、とにかく暑い、暑い。でも、日中はよほどの事がないかぎりクーラーの助けは借りない主義。それが一番の夏バテ防止策と思うからです。庭に打ち水をして、窓際の扇風機のスイッチを入れて、長椅子に横たわって、決して無駄な動きはしないこと。手許に何冊かの本を置いて、時々、グレン・グールドのピアノ曲をBGM風に流す。そう、暑い日には、情熱のアルゲリッチよりもグールドのバッハがよく似合う。さぁ、ことしも暑さとの我慢比べが始まります。
 あまりの暑さに、亀五郎夫妻もさすがに参ったご様子です。食欲もペースダウンのようで、きょうは特別食として干し海老をあげたところ、俄然元気を取り戻してくれました。飼育箱のお掃除をして、少しの間、庭の草むらをお散歩させて、そのあとバケツのなかで身体を洗ってやりました。庭のお散歩がよほど気にいったのでしょうか。葉子亀がもういちどお外に出たいと言います。狭い飼育箱を思うと、狭いながらもお庭は大海原に見えたんでしょう。きっと。少し自由にさせてあげました。
 ところで今日は朝がた、伸び放題になっていた月桂樹の剪定をしました。20年ほど前に宝塚の清荒神さんにお参りにいった帰りに30㌢ほどの苗木を買って帰り、庭の片隅に植えておいたらぐんぐん大きくなって背丈も3㍍をゆうに超えるほどに成長しました。時々お料理に使っているようですが、いつもは眺めるばかりです。きょうは思い切って、芳しい月桂樹の葉っぱを集め、月桂樹酒を仕込むことにしました。ついでに大きく育った青シソも数株収穫してシソ酒づくりに挑戦することにしました。手許の薬酒のテキストを開くと、シソ酒には、貧血、せきどめ、鎮静、解熱、健胃、風邪、神経安定、血液の循環、健脳などに効果的とか。何か夢のようなお話しですが、まぁ信じることも大事。シソの葉が乾いたら仕込み作業に取り掛かることにいたします。我が家の健康酒は現在、タンポポ酒、ブルーベリー酒、木苺酒、ローズマリー酒、ラベンダー酒、ハッカ酒、アロエ酒、ヨモギ酒と品数も豊富です。薬局の薬を服用することなく健康でいられるのも健康酒のせいかもしれません。強がりかもしれませんが...。
 さぁ、きょうは参議院選挙の投票日。そろそろ、愛犬ゴンタと一緒に投票場にでかけましょう。
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蝉の声を聴きながら

2007-07-22 12:29:37 | Weblog
 梅雨明けまでには、もう少し時間がかかりそうですが、それでもきょうは、蝉の声で目を覚ましました。蝉の声を聴くと、やはり子供の頃を思い出してしまいます。夏休みに、麦藁帽子をかぶって里山を走り回ったこと、夏の昼下がり、一瞬、全てが死んでしまったかのようにしんとした中で蝉の声だけが聞こえてくる不思議な風景、そんなときに、ひょっこり姿をみせる甥....。
 きのうは久しぶりに日本橋に寄り道してきました。お目当てはLPレコード。ついでにCDショップにも立ち寄って、ゆったりとした時間を過ごしました。手にしたのはグレン・グールドのバッハ「平均率クラヴィア曲集」第1巻と第2巻。CDでは、アルゲリッチとマイスキーのライブ演奏(イタリア組曲&チェロソナタ)、伊藤京子さんとのピアノデュオなど。
 このところ、仕事から帰り食事を終えると、まずはLPかCDを聴いて気分転換することが多くなりました。昼間の精神的な昂りを静めるためです。最近はアンサンブルがお気に入りです。そう、お互いが奔放に個性を主張しながら、しかしおおきな流れを形成していく様は、妥協ではなく、まさしく「創造」の世界です。演奏者の「技」と「精神」が、その出来栄えを左右する、そんな音楽空間を楽しんでいます。
ところで、昨年ハワイに行ったとき、プルメリアという植物を買って帰りました。といってもビニールの袋に直径3センチ、長さ25センチほどの花木の茎が入っているだけですが、綺麗な花の写真がついていて、日本でも咲くのかなぁと思いながら、買って帰りました。その後、小さな植木鉢にさしておきました。寒い冬の間を通じて枯れるでもなく成長するでもなく、それでも春になると陽当たりの良い場所に出しておきました。すると、1ヶ月ほど前から頂点のあたりに動きが出てきました。で、そっとしておいたら可愛い葉っぱが出てきました。うまく育てられればと、プルメリアに関するブログも見つけて、育て方をチェックしています。大きくなって綺麗なお花を咲かせたら、このブログで紹介したいと思います。
 きょうは蝉の声を聴きながらのブログ更新でした。でも、蝉って、どうして必死に鳴き続けるのでしょう?何を表現しようとしているのでしょう。何年もの間、地中深くで過ごしてきて、やっと地上に這い上がり、孵化し、まさにメタモルフォーゼ(変態)を行動で示しながら、しかし僅か数日で命を全うする。環境変化に耐え種の存続のために必死で生きようとする蝉の、その「こころ」が知りたくなりました。
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祭詞奏上

2007-07-15 10:47:18 | Weblog
 前日の台風雨が嘘のような、そんな休日の朝を迎えました。それにしても2日間、よく降りました。音を立てて降り注ぐというよりも、音もなくサーと静かに、しかし滝のように降る。目の前に壁が現れたような、そんな雨でした。改めて自然の力(生命)を思ったものです。
 先週は、急逝した甥の葬儀に行きました。出雲の大社での葬儀(葬祭)です。しんとした社に神官の祭詞奏上が響きます。それを静かに拝聴していたら、「物事には、初めがあれば必ず終わりがある」「本があれば必ず末がある」「大地より生ずる草木は必ず大地に帰る」「霜雪は必ずふたたび水に変える」「鮭は生まれた川に帰る」と....。わたしのように宗教心のない不甲斐ない人間も、「あぁ、そうなんだ」と心に響く詞でありました。
 と同時に、厳しい競争環境下のなかで慌しく日々を過ごす日常性から少し距離をおいて、我が身を考える時間を与えていただいたような気がいたしました。その時間を、甥は私に与えてくれたようにも思いました。生きとし生ける物の関係性というものを思いました。もっとおおきな流れの中で自らの存在を見つめてみることの大切さ。家族の絆、地域社会との絆、もちろん仕事を通じての絆もあります。さらに自然との絆、地球との絆と考えていくと、「共生」という言葉が浮んできます。以前、両親の仏式の葬儀で、和尚さんから同じようなお話しをお聞きしたことがありますから、こうしたものの考え方というのは宗派を超えて、案外共通した部分があるのだろうと思います。
 ところが戦後世代は、宗教というものを真正面から考えることをしなかったように思います。学校教育でも、それはタブーだった。逆に言えば宗教批判からスタートしている部分もないではなかった。それがわたしの学生生活のスタートでもあったように思います。しかし、私たちはこの世を去るとき、何らかの宗派に沿ってお別れをする。何か大きなものが抜け落ちているように思います。
・・・・今日は、いや今日も、自分なりの結論を見出すこともなく、シベリウスの交響曲第1番をLPレコードで聴きながら、ぼんやりとブログの更新をいたしました。
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「よく頑張ったね」

2007-07-08 00:16:18 | Weblog
 わたしが高校生の頃、離れの一室で受験勉強をしていると、長い廊下にコトコトと可愛い足音が響きます。「オニイチャ~ン」。あぁ、またやって来たのかと振り向くと、くるりとした目を輝かせた甥が部屋に入ってきます。「ナニヲシテイルノ」。カタコトの話しができるようになった頃でした。ひとり、部屋の隅に座って、書棚の本を開いてみたり、ギターに触ってみたり、ラジオをいらってみたり。こちらが勉強に熱中していると、いつのまにか部屋の片隅でお昼寝をしているときもありました。
 そんな甥も、親の転勤で遠くに引越しました。数年が経って、そう、わたしが大学生の頃だったと思います。夏の暑い日に、彼は急に具合が悪くなって緊急入院しました。頭脳の大手術をすることになりました。当時、京都にいたわたしは、夏休み中のアルバイトを休んで帰省し、病院にお見舞いにいきました。頭を包帯でぐるぐる巻きにした痛々しい姿の彼に会いました。彼の照れ笑いが、今も印象に残っています。「よく頑張ったね」。これが私が言えた唯一の言葉でした。
 その後、彼は、元気になって、すくすくと育ち、東京の大学に進学しました。大学院にも進みました。奨学金受給その他の保障人にもなり、出来るかぎりのバックアップをしてきました。あれだけ大病をした彼が、めでたく工学博士の学位を得たときは、わが子以上に嬉しく思いました。そして社会人になりました。仕事も頑張っていました。時々、メールで仕事の相談を受けることもありました。遠くにいても、ずいぶん身近に存在を感じる彼でした。
 その彼が、40を過ぎたばかりの若さで、わたしより先に人生にお別れを告げました。昨日、急逝の知らせがありました。明日は、出雲にとんぼ返りです。そして、ふと浮んだ言葉、それは「よく頑張ったね」でした。
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チャイコフスキー国際コンクール

2007-07-01 10:04:56 | Weblog
 梅雨の中休みなのでしょうか。きょうの日曜日は「晴れ」。青い空に明るい白い雲が浮ぶという、なんとも気持ちの良い朝を迎えました。いつものとおり愛犬ゴンタとお散歩でした。道端に咲く、さままざな紫陽花が心なしか元気がなさそうに見えました。そろそろ、梅雨明けも近いのでしょう。あと数週間もすれば、こんどは蝉の大合唱で賑わう季節になります。
 今朝は窓辺の木々の梢で小鳥たちの囀りが忙しく聞こえます。子育ての季節なのでしょうか。そんなことを考えながら、さぁて、きょうは何を書こうかとパソコンの画面を眺めていて思いついたのは、昨日の夕刊でした。そう、第13回チャイコフスキー国際コンクールのバイオリン部門で神尾真由子さんが優勝したと大々的に報じられていました。日本人としては1990年に優勝した諏訪内晶子さんに次いで二人目の快挙です。テレビのニュースでもコンクールの模様が映し出されていましたが、ご自分の力を存分に発揮され、かつ演奏を楽しんでおられる姿を嬉しく拝見しました。コンクール後の、モスクワの街角でのインタビューでご本人は、反響の大きさに驚き、でもご自分としては妙に気負うことなく、地道に練習を積み重ねて行きたいと。日頃の厳しい練習を微塵も感じさせない、大阪出身のふつうの若い女性の雰囲気を清清しく感じたものです。8月には大阪でもコンサートがあるそうなので、いちど聴いてみたいと思っています。
 そんなわけで今日は、諏訪内晶子さんのCDをBGMに、ブログの更新を行いました。演奏会にもなんどか足を運んだことがあります。バイオリンという小さな楽器の奏でる音が、大きなコンサートホールに響きわたり、聴く者の「こころ」に演奏する者の「こころ」を伝える。そのとき、バイオリンという小さな楽器は奏者の身体と一体化し、それは大きな存在として、聴衆の前に現れる。なんとも素晴らしい体験をすることができます。
 わたしも、ある時期まで楽器とともに過ごした経験があるだけに、いっそう、そんな思いを強くします。若き演奏家のごとく、自分の「こころ」「思い」を身体全身で表現すること、そこに人間同士の『共感』が生まれる。それがすべての出発的であろうと思っています。『音楽』は、わたしに、そんなことを気づかせてくれます。
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