心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「考える人」の特集記事は「ことばの危機、ことばの未来」

2017-01-07 16:46:52 | Weblog

 年が明けて1週間が経ちます。でも旧暦のお正月はこれからです。小寒から大寒に移り変わるこの時期にお正月を迎えます。旧暦の方が日本の気候・風土にあっているような気もしますが、どうなんでしょう。
 そんな我が家の居間には、いま洋ランのひとつが満開です。我が家にお越しになって3年目ですが、名前はもう忘れてしまいました。花の少ない季節に潤いを感じます。
 きょうの昼下がり、近所の書店で季刊誌「考える人」2017年冬号に出会いました。今号の特集は「ことばの危機 ことばの未来」です。ふだん新聞を読んだり本を読んだり、はたまたブログを更新したり、メールを送ったり。なにげなく使っている「ことば」ですが、立ち止まって考えてみると深いテーマと言えます。
 「ことば」と「言葉」では微妙にニュアンスが違うように、同じ「ことば」でも、伝える側の思いが受け手にきちんと伝えられるかと言えば必ずしもそうでもありません。
 以前、ブログで「四角い言葉と丸い言葉」(2015.2.1)をテーマにしたことがありました。鶴見和子さんと石牟礼道子さんの対談「魂と”日本”の美~水俣から学ぶ」によるものですが、観念的な言葉、裃を着た言葉を「四角い言葉」、ふつうの人の言葉、ふだん使っている言葉を「丸い言葉」と言い、魂を入れて丸い言葉を磨いて玉にするべきとありました。私たちは意外と、もの知り顔に難しい言葉を使いたがる癖があります。
 「ことば」について広辞苑は、「ある意味を表すために、口で言ったり字に書いたりするもの。物の言いかた。口ぶり。語気。言語による表現。言葉のあや」などと言います。一方、同じ岩波書店の「語感の辞典」 には「人間が気持ちや情報を伝え合うために用いる音声や文字をさし、くだけた会話から硬い文章まで幅広く使われる日常の最も基本的な和語」とあります。そこには、ことばの「意味(概念)」と「語感」の微妙な違いがあります。
 「考える人」では、「使ってみたいこのことば」「響くことば、届かないことば」などの視点から複数の方々の小論が掲載されています。長椅子にでも横たわって季刊誌「考える人」を眺め考えてみたいと思います。
 「ことば」と言えば、ニューズウィーク日本版(ネット配信)は1月6日、「『言語の絶滅』で失われる世界の多様性」という記事を掲載しています。「現在、世界では7000の言語が使用されているが、そのうち半数は今世紀中に消滅すると言われている」と言い、「日本でもアイヌ語が危機的状況にある」と。「言語が失われることは、文化が消滅することを意味する。言葉は生物学的な多様性を反映しているので、言葉の絶滅は人類にとって大きな損失となる」とも。
 方言ひとつとってもそうです。最近は田舎に帰っても子どもたちの話ことばは標準語に近い。テレビの影響なのでしょうか。小さな島国で地方創生などと叫んでみても、ハコモノ投資の掛け声にしか聞こえてきません。もっと根っこの部分に対する検証を置き忘れているような気がいたします。その土地その土地の文化度は、しっかりと大切に守っていきたい、その意味でも「ことば」の果たす役割は大きいと思います。
 さて、昨年7月から始まった四国八十八ヶ所遍路の旅も7回目を迎えます。明日は「修行の道場」と言われる高知県を巡ります。小雨が降りそうな気配ですが、室戸岬の先にある札所を7カ寺歩きます。日付・住所・氏名・年齢を記入した御札を14枚、蝋燭14本、お線香42本、お賽銭。そして「納経帳」。あとは白衣と輪げさ、念珠、お経本、雨合羽。一式をリュックに入れて準備完了です。
 そういえば、これまで四国遍路に関する本は何冊か読みました。でも、実際に自分の足で歩いてみる、体感してみることで初めて本に書かれている「ことば」の意味がぼんやりと分かるような気がします。リュックの中に「考える人」も入れておきましょう(笑)。

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