心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

春一番に蘇る心

2010-02-28 09:59:00 | Weblog
 明け方まで小雨が降っていたため、愛犬ゴンタのお散歩は止めにしようと思っていたら、いつの間にか陽が差しはじめて、あたりが急に明るくなりました。朝食を終えると、少し遅めのお散歩に出かけました。その途中、今年初めてウグイスの囀りを聴きました。もう春はそこまで来ています。人々の様子を伺っているようでもあります。
 先日、通勤電車の中で、ふと周囲を見渡して驚いたことがありました。オーバーを着ている人が数えるしかいないのです。そうでしょうね。「春一番」の訪れとともに、いつの間にか暖かくなったんですから。独りで暮らしていると、誰も耳打ちしてくれないし、職場から家に帰って眠っては飛び出す毎日ですから、季節の変わり目に気づく余裕もない。きのう土曜日は、久しぶりに早く家に帰りましたが、なんとなく疲労が溜まっているようで、ベッドに横たわると夕方までぐっすりと眠り込んでしまいました。お昼寝といえば、須賀敦子さんの日記(全集第7巻)を読んでいると、日々の営みのなかでときどき登場します。心身をリフレッシュされていたのでしょう。私自身、久しぶりのお昼寝で、なんとなく重く感じていた疲労感から解放された気分になりました。無理をせず、時にはぼんやりと時間を過ごすのも良いかと。
 そうそう、先週の日曜日には、孫君がおばあちゃんのお見舞いにやってきました。少し遅れて病院に到着すると、おばあちゃんの横にちょこんとお座りをして、嬉しそうにお菓子を食べていました。その孫君、帰りがけに病院のロビーに飾ってあった雛人形に興味津津でした。車が大好きな孫君、「牛車」がお気に入りで、そおっと触ってみたり、中を覗いてみたり。ずいぶん長い間、一生懸命に見入っていました。
 駅までの帰り道、おばあちゃんのお見舞いに来てくれたお礼に、音の出る絵本を買ってあげました。もちろん車の絵が満載です。孫君、ずいぶん迷った挙句の選書でしたが、レジで支払いをしていると、後ろから大きな声で「おじいちゃん、ありがとう!」と。この程度のことでと、なんだか気恥かしいやら嬉しいやら。そういえば、先日、某経済学者の方の講演を聴いたとき、先生が導入部分で「孫にお金を使うしかお金の使い道のない世代になりました」とお話になったのを思いだしました。そうなのかもしれません。
 と言いながら、きのうは帰宅途中、日本橋のLPショップ「DISK JJ」さんに寄って帰りました。ここ1週間、3会場の管理職研修で若い方々を叱咤激励したり、会議で懸案事項の提案をしたり、その結果をもって広島に出張したりと、春の嵐に似て落ち着きのない日々を過ごしましたから、少し自分を労わる気持ちが働いたのでしょう。きっと。ショパン生誕200年というわけではありませんが、アルゲリッチとルービンシュタインのピアノ曲各1枚、その横にあったグレン・グールドのLPが気になって2枚。こちらはベートーヴェン。そして最後はマーラーの交響曲第5番、今回はアバド指揮・シカゴ交響楽団の演奏です。昨夜は、ウイスキーを片手に、そのうちの3枚を聴きました。

 きょうは2月28日、明日から3月です。庭に出ると、いつの間にかクリスマスローズが花開き、淡いピンク色のサクラソウが微笑んでいます。無造作に様々なものを植えている花壇では、何が芽を出すのか楽しみでもあります。そうそう、連日の雨でフキノトウが数個芽吹いています。ひと足先に春を味わいたいので、きょう病院にお見舞いに行ったとき、フキノトウの料理法を聴いてみようと思います。そんな家内も、啓蟄を迎える今週末には、退院の予定です。
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独り暮らしは4週間目に突入

2010-02-21 10:04:25 | Weblog
 きのうは夜遅く、NHKハイビジョンでミラノ・スカラ座の歌劇「アイーダ」を観たので、床についたのは午前2時を過ぎていました。それでも、サラリーマン生活が長くなると、いや年齢のせいでしょうか、不思議なもので朝6時には目が覚めます。きょうも、早朝から愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。遠く生駒の山肌から陽の光がのぞくと、小鳥たちの囀りにも力が入ります。須賀敦子さんが好んで訪ねたというアッシジの修道院にあるジョットの「小鳥に説教する聖フランチェスコ」ではありませんが、小鳥たちと会話ができたらどんなに楽しいんだろうと、愛犬ゴンタとお話をしながら小さな里山を歩きました。
 そうそう、きのうの土曜日は、気分転換も兼ねて、久ぶりに淀川河畔を歩いて職場に向かいました。大阪市内にあって数少ない自然を体感する空間、それが淀川河畔です。その広大さが、年度末を控えて緊張感が増す私の心を和ませてくれます。大切にしたい自然風景のひとつです。
 さて、日曜日の朝は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」「アラベスク」などを聴きながら、1週間を振り返ります。.....そう、火曜日には重要な会議がありました。そして、.....そうそう、週の半ばには、夜、家内から緊急メールが届きました。なんだろうと開けてみると、病院のお隣が火事だと。えっ”!大丈夫なの?10分ほどして、大丈夫のメール。翌朝、隣接する民家4軒が焼失する大火事だったとテレビニュースが伝えていました。救急病院で救急車を呼んだ今回の入院、こんどは火事騒ぎです。なにかと話題の多い入院です。抜糸も終わり、あとはリハビリだけですが、いつまで続くのでしょう。独身生活も、とうとう4週間目に入ろうとしています。

 そんな週末、お見舞いに病院に向かう途中、偶然にも古本屋を見つけてしまいました(^^♪。多くは漫画本をおく街の古本屋さんですが、少し奥まったところに、多種多様な書籍がずらり。そこで30分ほど道草をしてしまいました。手にしたのは、白洲正子の「十一面観音巡礼」、島田紀夫著「アルフォンス・ミュシャ」マリオ・アマヤ著「アール・ヌーヴォ」、そして雑誌ユリイカ(モーツアルト特集)、の4冊。しめて二千円なり。なんだか難しそうだなぁという思いもありますが、仕事とは全く異なる分野の本を手にしながら、けっこうルンルン気分で病院に向かいました。ちょうどお眠りでしたので、ベッドの横で読書の時間となりました。

 さて、独り暮らしが3週間も続くと、家事にもなれてきます。外食中心の生活から徐々に内食(?)に移行してきます。と言っても、基本的に料理が苦手な私ですから、比較的簡単な鍋料理のオンパレードとなります。寒い冬のこと、駅前スーパーでは、鍋用の材料が豊富です。野菜類も鍋用にパッケージしてあります。様々な具材が用意されていますから、飽きることはありません。それをたくさん買い込んで、日替わり鍋料理となります。時間があればご飯を炊くこともありますが、基本的にはおいしいバケットがご飯代わりです。鍋とパン、妙な取り合わせですが、洗いものを極力減らす作戦にもなります。あとは、お酒で騙してしまいます。でも、ひとつ気づいたことがあります。パッケージの多さです。週1回のプラスチック類のゴミ出しには、独りなのに結構な量になります。あれば便利なんですが、どうなんでしょうね。何か工夫の余地がありそうな気がします。
 先日は、かつての部下で現在は同業他社で大活躍の彼と久しぶりに楽しく呑みました。夜遅くのご帰還となりますが、そんな日も愛犬ゴンタは1日1回のお散歩をお待ちかね。家内に代わって夜の街を歩きます。その日は、午前1時を回っていたでしょうか。途中、おまわりさんに怪訝な顔をされてしまいました。こちらは皮靴を履いてオーバーにネクタイ姿、にっこり笑って挨拶しておきました。ずいぶんと冷え込んだぶん、夜空には星が輝いて見えました。それはそれは素晴らしい星空でした。今週後半には宿泊出張があります。愛犬ゴンタはどうしよう??
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アルフォンス・ミュシャ館を訪ねて

2010-02-14 10:07:42 | Weblog
 早朝、愛犬ゴンタとお散歩にでかけると、いたるところで水仙の花が満開です。我が家の庭でも、水仙が凛として花開き、その片隅ではクリスマスローズの花芽が首を擡げます。まだまだ寒いのでしょうが、立春を過ぎて、地面の下に春の胎動を感じるのは私一人でしょうか。きょうは2月14日、私の「独身生活」も2週間になりました。日曜日の昼下がり、家内のお見舞いに行くのが日課です。

 さて、きのうの土曜日は、関西空港にほど近い貝塚市での催事にでかけました。それが始まる午後2時までの時間がもったいなくて、以前から気になっていた堺市立文化館のアルフォンス・ミュシャ館を訪ねました。堺市は、数年前に大阪市についで府内二番目の政令指定都市になっただけに、広域で、文化館のあるJRの堺市駅と、海側を走る南海電車の堺駅とはずいぶん離れています。まずは、JR天王寺駅から阪和線に乗り換えて堺市駅へと向かいました。

 アール・ヌーヴォーを代表する装飾画家として知られるミュシャ。LPのジャケットで初めて彼の存在を知ったのは、いつの頃だったでしょうか。そのミュシャの作品の、その収集においては世界有数を誇る美術館が、大阪は堺市にあるのを教えてくれたのは、週刊「西洋絵画の巨匠」14巻でした。いつか、でかけようと思っていて、伸び伸びになっていました。
 文化館の4階の一画にミュシャ館はありました。土曜日の午前中だったためか、お客は、若い女性が独り、そして私だけ。贅沢にも、一枚一枚を丁寧にじっくり見て回ることができました。流れるような曲線と、しっとりとした美しい色彩が、私を虜にします。当時の大女優サラ・ベルナールが、ポスター(リトグラフ)のなかで微笑んでいます。広い展示室の真ん中の椅子に座って、ミュシャの作品に囲まれていると、都会の喧騒の中で乾ききった私の心に、そおっと温かい湿り気を与えてくれるような、そんな優しさに包まれます。
 ミュシャが生きたのは、1860年から1939年の間。日本では江戸の末期から明治・大正・昭和の時代。南方熊楠が英国大英博物館で勉強していた時代、作曲家グスタフ・マーラーが活躍した時代でもあります。第一次世界大戦を挟んで、歴史的にも政治的にも、また社会思想的にも大きく揺れ動いた時代、そんな激動の時代に、彼は、自らの信念を貫いた人でした。・・・・椅子に座りながら大きく深呼吸をしたとき、突然、携帯メールの受信音、職場からの連絡でした。現実世界に強引に引き戻されてしまいました。
 この文化館、3階には堺市生まれの与謝野晶子文芸館がありました。短歌の世界にはあまり詳しくないのですが、時間があったので、こちらも拝見。関西では羊羹で有名な駿河屋の子として生まれた与謝野晶子さん。掲示されている歌を読んでみて、どきっとしました。数少ない言葉を使って、こうまでも自分の心を表現できるものなのかと。この歳になって初めて短歌の「力」のようなものを感じました。当時の文芸雑誌「明星」の挿絵に、ミュシャの作品が取り入れられています。与謝野晶子の歌の世界がアール・ヌーヴォー(新芸術)的な要素をもっている、なんとなく判るような気がしました。

 さて、文化館を出ると、お昼前。駅の近くで軽く昼食をとったあと、JR堺市駅からは、車窓に仁徳陵古墳を眺めながら、鳳駅に向かいます。そこで乗り換えてひと駅、東羽衣という駅に到着すると、いったん駅を出て数分歩いて、南海電車の羽衣駅へ。関西空港に向かう本線の駅です。途中、だんじり祭りで有名な岸和田の街を眺めていると、貝塚駅に到着です。でも、そこでもう一度乗り換えます。水間鉄道という電車です。この電車、貝塚駅と水間観音駅間の5.5kmを走る小さな電車で、ワンマンカー。都会地にありながら単線というのも懐かしい風景です。初めて乗りました。そんな電車をひと駅乗って、この日の目的地である貝塚市役所前駅に到着です。
 用事を終えて、今度は貝塚市から大阪なんば駅まで直行です。土曜日とはいえ、夕刻の繁華街の人ごみを避けながら、やっといつもの電車に乗って帰途につきました。さすがにここまで帰ると、わたしの日常性がぐっと目の前に迫ってきます。途中、書店に立ち寄って、前夜、私の尊敬する先生から直々にご紹介をいただいた、坂本光司著「日本でいちばん大切にしたい会社」を買いました。ついでに「逆転の思考」という見出しに誘われてダイヤモンドHBRも。・・・・・ちょっとした時空間移動で、生気を取り戻した楽しい週末でした。
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救急病院に救急車を呼ぶ

2010-02-07 10:02:43 | Weblog
 2月最初の日曜日、愛犬ゴンタと少し遅めのお散歩にでかけました。バス停を通りかかると、陽の光が、崖の空き地に咲く水仙に温かな光をそそいでいる、なんとも和やかな風景に出会いました。この1週間、ずいぶん寒かったのだけれど、これから徐々に暖かくなっていくのでしょう。と、思いたい。
 さて、きょうは、淀川改修100周年記念合唱付き交響詩『MIO澪~水都物語』を聴きながらのブログ更新です。この曲は、淀川の治水翁と言われ私財を投じてまで治水に情熱を注いだ大橋房太郎氏のひ孫にあたる中村扶実さんが原曲を作詞作曲、自らも歌う作品で、昨年夏、大阪市中央公会堂で初演されました。私には、出口を探して右往左往しているとき、心の扉を開いてくれるような、いや、自ら閉じた心の扉を自分で開こうとさせるような、そんな気持ちにさせてくれます。好きな曲のひとつです。

 ところで、実は先週の日曜日、家内が家の中で足を挫いて歩けなくなりました。軽い捻挫かと思いながら、それでも大事をとって、車で近くの救急病院に連れて行きました。そこで、とんでもないことがありました。
 病院の窓口の方いわく、「きょうは日曜日なので担当の先生がいらっしゃいません」。それなら、どこかほかの病院に手配でもしてくれるのかと思いきや、そんなそぶりも見せない。「なんとかなりませんか」「そういわれましても」...。埒があかないので、携帯電話で救急車を呼びました。そして別の救急病院で診てもらいました。でも、なにか釈然としません。救急病院で救急車を呼ぶ不思議。これが今の日本の医療の現実なんでしょうか。
 家内の怪我は思いのほか重いものでした。2カ所を骨折していて、手術は3時間もかかりました。家の中でこけたぐらいで、いったいどうなっているのでしょう。寄る年波には勝てないということなんでしょうか。骨が脆くなっているのだと思います。手術前には、いわゆるインフォームド・コンセントのお時間がありました。若い先生から、三次元画像による骨折の説明を受け、6個所ほど金具で固定しなければならない、と。話しはそれからが大変です。稀に感染症を誘発することがあります、などと脅しの連続でした。まぁ、最悪のことを想定して、予測できる限りの説明をされた、ということなんでしょう。ともあれ、手術は無事終わりました。
 滅多に病院に行くことがなく、手術をしたことも入院をしたこともない私にとって、病院というのは、あまり楽しい場所ではありません。でも、そこで働く方々の姿を見ていると、頭が下がります。執刀いただいた若い先生も、術後に大変詳しく説明をしてくださいましたし、気を使っていただきました。看護師さん、理学療法士さん、賄いさん、掃除担当の方、医療事務の皆さん、みんなのチームワークで病院という職場が成り立っていることが、よくわかりました。みなさん、笑顔が絶えない。病院によって、こうも違うものなのでしょうか。ふだんさりげなく使う「顧客経営」という言葉の意味を思いました。いずれ私も、お世話になるときは、こんな病院に入りたいと思いました。
 リハビリを含めると、退院まで1カ月かかるかもしれないそうです。先週の1週間は、久しぶりに独身生活に戻りました。愛犬ゴンタがいるので、そうそう外食ばかりもしていられません。かといって自分で料理をすることもままならない。連日連夜、宴会料理(笑)で過ごすことになりました。出勤前にはゴミ出しもあります。ワイシャツのクリーニング出しもあります。きょうの日曜日は、これから洗濯が待っています。
 そんな家事をしながら、ふと不謹慎なことを思いました。もし、家内に先立たれたとしたら、この広い家で独り暮らしなんて耐えられない、と。連日の寒さで、家に帰ると部屋の空気も床も冷たく、なかなか温まらない。ふだんは、なにも思わないのに、そばにいて当たり前の人が、そばにいないのは、どうも落ち着きません。いかにこれまで、自由に自分勝手に生きてきたことか。改めて感謝です。午後には病院にお見舞いです。

追記
家内が入院している病院に向かう途中に、由緒ありそうな神社があります。毎日、陽が暮れてからのお見舞いですから、その前を通りすぎていましたが、きょうの午後、寄り道をしました。大きな楠の木が数本、聳えています。そのうちの一本は、驚くほど大きく、「1千年の楠」の看板があります。その樹肌に触ってみて、なんと自分が小さな存在であるかを思いました。その昔は、この村の鎮守の森だったのでしょう。いまはすぐそばまで民家が迫っています。
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