心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

関西らんフェスタ

2008-01-27 09:27:46 | Weblog
 バタバタしているうちに、1月最後の日曜日になってしまいました。これで1年の12分の1が過ぎたことになります。なんと時の経つのが早いものか。この調子だと、残り少ない私の人生も、あっという間なのかもしれません。それは、それで良いか......。ふと、そんなことを考えながら、愛犬ゴンタと朝の散歩を楽しみました。きょうは生駒山の山頂に大きな朝日を、その反対の天空に白いお月さまを見ることができました。陽が昇り、日が暮れる。これも人生なんでしょうよ。
 実は、金曜の夜から孫がやってきています。もう3か月が経ちました。首も座って「食い初め」。母乳だけでずいぶんしっかり育った孫を眺めながら、改めて母親の偉大さを思いました。それはともかく、表情も豊かになり、わたしを見て二コリとされると、なんとも可愛いものです。仕事の悩みも吹っ飛んでしまいます。「おじいさま」と呼ばせようか、「おじいちゃん」と呼ばせようか。それとも「じいじ」?。いやいや、娘からは嫌がられましたが、「じっチャン」と呼ばせることにしました。(^^♪
 さて、昨日の土曜休日は、京阪百貨店で開催されている「関西らんフェスタ」にでかけてきました。以前は天満橋の松坂屋でラン展が開催されていましたが、閉店になってしばらく経って、京阪百貨店で開催されるようになりました。デパートでの開催規模としてはずいぶん大がかりなもので、毎年、出かけています。
 私と洋ラン。実は数年前、仕事の忙しさにかまけて、夏の管理を怠ってしまい全滅させたことがあります。以来、細々とお付き合いしている程度。それでも洋ランには、日本の草花にはない美しさがあります。なかでも、カトレアはわたしのお気に入りで、大小さまざま、色さまざま、形さまざま。オペラのマドンナを思わせるカトレアの花に心惹かれます。ときに、深紅の大きな花を眺めながら歌劇「カルメン」を思い浮かべたり、薄いピンク色の花を愛でながら歌劇「ジャンニ・スキッキ」のアリア「私のお父さん」を聴くもよし。私にとっての洋ランは、あるところで音楽と繋がっています。 展示コーナーを見て回ったあとは、即売コーナーへ。今年はカトレア4鉢を購入しました。ひとつは開花株、あとは来年以降に開花が期待できる株。温室はありませんが、わたしの部屋の窓際に鎮座しております。
 きょうは、ソプラノ歌手キリ・テ・カナワが歌うプッチーニのアリアを聴きながらの更新でありました。
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非線形科学??

2008-01-20 10:12:24 | Weblog
 ぶるっと寒い日曜日の朝は、愛犬ゴンタとお散歩でした。出がけに家内から「これローソンに寄って送って」と言われて渡された郵便小包。宛先をみると一人暮らしの次男君です。いつまで経っても子離れができないのか、真新しいネクタイ、マフラー、靴下などが入っているようでした。
 ふだんとは違う道を散歩しながら、公園を横切ると、立ち枯れの大きな松の木が2本。またやられたのか。この公園は、以前は十数本の松の木があったのですが、もう数えるほどしかありません。自然界の変化は、日常さまざまなところで進んでいるようです。でも、寒い中、小鳥たちが元気に木々に群れているのを見て、ほっとします。
 最近、文系のわたしには珍しく「非線形科学」(蔵本由紀著)集英社新書を鞄の中に入れて持ち歩いています。なにせ物理というものには高校3年生の頃からお付き合いをしておりませんので、内容の半分も理解できないのですが、数式を極力抑えて概念の説明に力点をおいた筆者のご努力もあって、文系人間にも何かぼんやりと見えてきます。考えることができます。だから集中的に読むというよりも、通勤電車のなかで暇潰しにぼんやり眺めているといった方が正解かもしれません。
 以前から、複雑系、カオス、ゆらぎ、自己組織化、創発、エントロピーなどといった言葉が気になっています。デカルトに象徴される要素還元主義、近代合理主義、そうじゃあないだろうという思いがあります。そんなわけで、昨夜も、ベッドのなかでぼんやりと本を見つめ、考えながら深い眠りにつきました。人を相手にした仕事ですから、常に距離をおいて現実をみつめていないと自身がボロボロになりそうです。そんな他愛のない生活をはじめて、もうずいぶん年数がたちます。
 えっと、何を書こうとしていたんだろう。......きょうはNHKFM「20世紀の名演奏」でリヒャルト・シュトラウス「交響詩“ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら”」を聴きながらの更新でした。そうそう、長い間、騙しだまし使ってきたパソコンのディスプレーが数日前に昇天しました。ずいぶん使いこなした旧式ですから、わたしの机の大半を占めていました。さっそく、パソコンショップに出向いて、今度は液晶型を買ってきました。写真は私のデスク回り。いつも、この机に座ってブログの更新をしております。
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美術工芸に学ぶ

2008-01-13 10:30:07 | Weblog
 初出の日を過ぎて、はや1週間。ことしも、こんな調子で時間が過ぎていくのだろうと、いやに神妙な日曜日の朝を迎えました。前日までの雨もあがり、部屋の奥まで冬の陽が差し込んでいます。
 ところで、きのうは午前中、職場に顔を出したあと、京都に向かいました。ことし初めての上洛です。同業他社の方々の集まりに出席するためでした。いつも同じような顔ぶれですが、今回は、何年かぶりに旧知の方々にもお目にかかりました。ずいぶんお世話になりながらここ数年お会いする機会のなかった方、何年か前に同業他社に転職された方。みな、それぞれにお元気そうで安心をいたしました。
 これとは別に、会合のあと、何年か前にリタイアされた方とお会いする約束をしておりました。夕食までには少し時間があったので、ご一緒に四条河原町の高島屋で開催されていた「NHK美の壺展」を見て回りました。こういうテレビ番組があったのは知らなかったのですが、せっかくだからと古伊万里やアールヌーヴォーのガラス、切子、友禅など、日本の美術・工芸品がずらり展示された会場を楽しく見て回りました。私は、関連する知識をまったく持ち合わせていなかったのですが、桃山時代にまで遡って、「色」「模様」「形」のそれぞれに、時代を超えた人間の知恵、技能、感性が隠されていることを実感しました。と同時に、今という時代に右往左往している自分自身の小ささを思ったものです。
 人には、さまざまな生き方があります。職場の政争の犠牲になって一度は表舞台からお引きなったけれども、時の経過とともに改めてデビューを果たされた方、転職して満足だったかどうかは別にして、しかし前向きに第二の職場で頑張っている方、同業他社を転々としながら確実に足跡を残していらっしゃる方、ゆったりとした時間のなかで時代を見つめていらっしゃる方、......。まさに、人それぞれの素晴らしい人生をお過ごしになっている姿に接して、こういう多様な生き方のなかで、人の「こころ」が時代に刷り込まれていくのだろうことを思いました。それはある種、民の知恵であり、息吹であり、それが形として継承されたものが美術工芸なのだろうと。新しい年の始めの貴重な知見として胸の奥にしまっておくことにいたします。 
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今年も『小吉』

2008-01-06 10:21:11 | Weblog
 ことし初めての日曜日、快晴の朝を迎えました。といっても、ついさっきまでは、寒い朝霧に覆われ、屋根にはうっすらと霜のあとを確認することができるほどに冬の景色でしたから、どことなく開放感のようなものが漂っています。いよいよ2008年という年の始まりです。
 それにしても、お正月はずいぶんとお神酒をいただきました。元旦から新年互礼会が始まり、4日、そして昨日、明日もまた広島に出かけます。その合間には、初孫を含めて家族でのお正月。楽しいひと時を過ごしました。そんなわけで、ことしは2日に初詣にでかけました。今年の運勢は『小吉』でした。ここ数年、小吉が続きます。仔細に読んでいくと、「晴れ渡る 月の光に うれしくも 行く手の 道の さやかなりけり」。「闇くて(くらくて)見えない道も月がさし初め、明るくなる如く幸福(さいわい)次第に加わる運ですから あせらずさわがず静かに身を守って進むべき時に進んで何事も成就すべし」。
 ここ数カ月、溜まりに溜まったイライラ感を、今年こそは爆発させようかと考えていた矢先の、この小吉です。少し考え込んでしまいました。「我意を張れば損有」「自己の弱さに負けず勉学せよ」。ここはぐっと我慢して、ひたすら勉学に励むべきか。それとも一挙に革命的な進展をめざすべきか。なんとも悩ましい限りです。
 そんな複雑な思いを抱きながら、ふらり近所の書店に出かけ、ぼんやり雑誌を眺めていたら、「ユリイカ」という雑誌に目がとまりました。1月号の特集記事は「南方熊楠」です。わたしには、博物学者としてではなく、壮大な世界観を追い続けた拘りの思想家としての彼の生きざまに深い関心があります。強烈な知的好奇心をぞんぶんに発揮しながら、後年、「曼荼羅」の中に独自の世界観、宇宙観を見出した彼の思索に関心があります。この雑誌「ユリイカ」をぱらぱらとめくりながら、そう、思考の座標軸を見失うことなく、情に走ることなく、極めて冷静に事態をみつめ、次の手を考えることの大切さ思いました。「小吉」の今年1年の我が身の振る舞いを考えました。
 さあ、少し緩んだ「こころ」の紐を、寒気の中でぴしっと引き締めて、新しい年の第一歩を踏み出すことにいたしましょう。
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