心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

星空コンサート

2008-04-27 09:46:22 | Weblog
 さぁ、ゴールデンウィークの幕開けです。今日の午後には、子供たちが帰ってきます。そんなウキウキ気分の休日も、愛犬ゴンタとのお散歩で始まりました。
 ところで、きのうは午前中で仕事を切り上げたあと、天満橋界隈で時間を潰し、その後、大阪城・西の丸庭園に向かいました。大阪城野外芸術コンサート2008「星空コンサート」(大阪フィル)に行くためです。少し早い目に大阪城公園につくと、しばし城内の散策。大阪市内にあって唯一新緑を楽しむことのできる市民の憩いの広場に身をおいて、若葉が眩しく全身がオゾンで包まれるような、そんな心地よさを感じました。この自然は大切にしたいものです。
 入場料は1人千円でした。比較的ステージに近い芝生の上にシートを広げました。少し早かった分、本番に向けた練習風景を楽しむことができました。指揮者である大植英次さんの楽しいトークもあって、退屈することもありません。コンサート会場では必ず睡魔に襲われる家内も、軽いタッチの演奏会に、ほっとしたご様子でした。手作りの夕食弁当を広げながら開演を待ちました。
 オープニングは、R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」で始まりました。次いで、日没に合わせてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章。静かに日が落ちていくなかでの演奏は、なかなか憎い演出です。ほかに、中学1年生の登坂理利子さんの演奏でパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番第一楽章などが続きました。圧巻は、何といってもチャイコフスキーの序曲「1812年」。近畿大学や淀川工科高校などの高校吹奏楽部も加わって、それは迫力満点の演奏でした。写真は、そのひとコマです。
 会場には、老若男女、赤ちゃんからお年寄りまで、身体の不自由な方々も多数お集まりで、入場者は8千人だとか。しかめっ面をして音楽を聴くのではなく、音楽を「楽しむ」。これが星空コンサートのコンセプトのよう。大植さんの楽しいトークと温かいお人柄に会場から笑い声や拍手が絶えません。ノーギャラとのことですから、これも立派。世界の名指揮者です。最後は八木節で幕を閉じました。
 野外演奏会は初体験でした。以前、ドレスデンのゼンパーオーパー広場で開催されたオープン・エア・ガラコンサート(アラーニャ&ゲオルギュー出演・シノーポリ指揮)をDVDで観て以来、いちど行ってみたいと思っていました。日が落ち、暗闇が迫り、空を見上げると明るい星空が見える。そんな風景のなかでコンサートを楽しむ。それが実現したわけです。気持ちの良い時間を楽しむことができました。
 このところ、ややお疲れ気味でしたので、ずいぶんリフレッシュできたように思います。それもそのはずです。いつのまにか(?)、持参のワインを1本あけてしまったのですから。奥さまもあきれ顔でありました。(^^♪
 ちなみに、このコンサートの模様は、6月21日、朝日テレビで放映されるのだそうです。来年は行ってみたいとお思いの方はいちどご覧になってはいかがでしょうか。
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ラジオ生活

2008-04-20 09:24:23 | Weblog
 きょうは日曜日だというのに、朝5時すぎに目が覚めました。日の出とともに愛犬ゴンタとお散歩です。バス通りのハナミズキの街路樹が一斉に開花していて、気持ち良いお散歩になりました。
 先週につづいて、きのうも東京に出かけていました。こんどは市ヶ谷の一つ先の駅、四ツ谷が目的地でしたが、その前に少し寄り道をして秋葉原の街に。大阪の日本橋よりいくらかマニアックな雰囲気ですが、ヨドバシカメラが登場してから少し風景が変わってきたようにも思います。お目当ては実はラジオ会館。短波のアンテナを物色に行ったのですが、昭和の時代のラジオが所狭しと並んでいて、あっという間の1時間でした。
 いまさらラジオなんて、という向きもあろうかと思いますが、子供の頃からラジオに親しんできた世代ですから、それ相応の思いがあります。ほとんどテレビを見ない分、ラジオはよく聞き流しています。ニュース、音楽番組、教養番組、そして「ラジオ深夜便」。聞き流しながら、しかし時に貴重な気づきをいただくことが多々あります。短波ラジオを駆使して遠い国の匂いを楽しむこともあります。なかでもNHK「ラジオ深夜便」はよく聞きます。毎夜11時過ぎから朝の5時まで続くのですが、もちろん終わりまで耳を傾けるなんてことはありません。眠る時間になるとスイッチを入れて、そのままご就寝です。静かな夜に淡々と番組が進行していきます。昼間とは違った意味で、人の「生き方」を考えさせてくれます。妙に策を弄するのではない、素直な自分を取り戻す貴重な時間でもあります。でも、雑誌「ラジオ深夜便」の投稿欄をみていると高齢の方々が圧倒的に多いですから、この番組は別のもっと大きな存在意義をもっているのかもしれません。
 いま、窓の外に鶯の鳴き声が聞こえました。生駒山からやってくるのでしょうか。こんな都会の街にも毎年、鶯がやってきます。さあ、あと1週間もすれば、ゴールデンウィークを迎えます。横浜から次男が帰ってきます。私は暦どおりなのに、10日間の滞在だそうです。大手になると休むのもビッグです。次男帰省の噂を嗅ぎつけた長女も孫を連れて里帰りをするのだと。長男夫妻は、この秋の出産を控えて帰省できません。久し振りに我が家に賑やかさが戻ってきます。
 そうそう、その前夜祭というわけではありませんが、今週の土曜日には、家内と大阪城・西の丸庭園で開かれる大阪フィルの「星空コンサート」(大植英次指揮)に出かけます。春の夜気を楽しみながら、芝生に座ってコンサートを楽しむのも良し。雨が降らないことを願っています。その翌日の日曜に次男のご帰還です。
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「春」に想う

2008-04-13 10:02:06 | Weblog
 1週間が経つのは本当に早いものです。どんどん時が過ぎていくことに戸惑いを感じながら、しかし春の陽に包まれた休日の充実感に、ほっとひと息つくような、そんな日曜日を迎えました。きのうは、土曜日だというのに東京に出張でした。朝早く大阪駅のプラットホームで新大阪駅行きの電車をまっていると、湖西線敦賀行きの快速電車が到着しました。あちらこちらに、ハイキング姿の方々の姿が眼に付き、そのとき初めて土曜休日であることを実感したのでした。そういえば、最近、湖北の山小屋にでかけていません。
 新幹線に乗って、ぼんやりと外の風景を眺めていて、ふと浮かんだ言葉、それは「山は動く」という、かつて政治家の方がおっしゃっていた言葉でした。時代が大きく動く、という意味でお使いになったのでしょうが、私は、自然の営みとして、まさに「山が動く」風景を思います。寒い寒い冬の間、じっと寒さに耐えてきた樹木が春の陽の下で精気を取り戻します。あの固い樹皮の下から湧き出る生命の力。春の山の色彩は、日に日に変わっていきます。まさに、山は動いている。生きているのです。そんな風景を眺めると、日々の辛さなんて小さなものです。
 そんな春のウキウキ感は、東京のど真ん中にもありました。中央線市ヶ谷駅で電車をまっていると、市ヶ谷橋近くの外濠に、魚釣り場があって、おおぜいの方々が春の陽の下で魚釣りを楽しんでいらっしゃる。釣り師というよりも、背広を着たサラリーマン、若いアベックの方々など、気楽に釣りを楽しんでいる風景は、周辺の緑と葉桜の風景と相まって、ほっとしたものでした。アップした写真は、そのひとコマです。
 珍しくきょうは、ストラヴィンスキーのバレー音楽「春の祭典」のLPレコードを引っ張り出して聴いています。指揮はズービン・メータ、演奏はニューヨーク・フィルハーモニック。私が社会人になって4年目の1977年の録音です。原始的で強烈なリズムと大胆な不協和音が、当時の市民には耐え難かったのでしょうか。初演はさんざんだったとジャケットの説明にはあります。第一部が「大地礼賛」、第二部が「いけにえ」。古代ロシアを舞台にした春の躍動感と、異教徒の踊り、選ばれた乙女が踊り疲れて死にいたる。硬直した彼女(いけにえ)を高々と掲げ太陽の花嫁になったことを喜ぶ。という、なんとも不思議な、そして怖いシナリオですが、何千年、何万年にも及ぶ人類の歩みのなかで、「春」をどう受け止め、「春」にどう対峙してきたのか。感慨深いものがあります。 
 ところで、月周回衛星「かぐや(SELENE)」が先日、月面から眺めた「満地球」の写真を送ってきてくれました。それは素晴らしい風景でした。でも、月面では、春の風の音は聞こえない?恋人同志の囁きも、小鳥の囀りも聞こえない?無機質で、し~んとした静寂のみ?生命に満ち溢れた地球の姿に、改めて幸せを思うのは私一人でしょうか。この「かぐや」、以前にもご紹介しましたが、打ち上げにあたって広くメッセージが公募され、そのすべてがプレートに刻み込まれ、一緒に月を周回しています。私のメッセージ「地球に生きる人々の歩むべき道に灯火を」とともに......。
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京都の夜桜

2008-04-06 10:12:59 | Weblog
 春のそよ風にのって花びらが舞い始めました。でも、丘の上には、ソメイヨシノのような華やかさはないけれど、一本の山桜がひっそりと咲いています。その素朴な花姿に本居宣長を思いました。
 ところで、昨日は所要のために上洛しました。京阪三条駅を降りると、たくさんの人・人・人の波です。三条大橋を渡りながら、土曜休日とお花見がうまく重なったためであろうことを思いました。わかっているようでも、季節は、わたしの思うよりも早い足取りで進んでいます。
 京都に行ったついでに少し河原町界隈を散策しました。CDショップ清水屋で手にしたのは、チェチーリア・バルトリの「マリア」です。これまでベッリーニの歌劇「ノルマ」などを通じて、その素晴らしさは承知しているつもりですが、メゾソプラノ歌手のCDを手にしたのは初めてでした。さっそく、きょうは朝から聴いています。声域の違いなのでしょうが、少し暗めの声質というか、力強さというべきか、ぐっと心に迫ってくる声量がソプラノとは違った味わいを楽しませてくれました。
 と、春の陽気につられて綴っているようでも、心の中は実は平穏でもないのです。昨日の研究会で、非常に大きな課題をいただいて、以後、少し悶々としています。それは薄々いや当然に承知していたことでした。30数年の間、同じ職場に勤めてきて、何かおかしい、どうもおかしいとぼんやりと思いながら、先日、「不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか」(講談社現代新書)に目を通したとき、はたと気づいたことでした。それが現実の問題として浮上してくると、なんとも悩ましい限りなのです。人が集まり、様々な経験を経て徐々に形成されていった職場の風土、行動様式に風穴をあけようなんて、そんな大それたことはできるわけがないという自分がいます。一方では、同じ汗をかくのであれば、その先に明るい未来を描き切ることができなければ、それは、組織の自己満足を助長するに過ぎない。そう思う自分がいます。いずれにしても、いつまでも放置できる課題ではないのです。どうやら、わたしにとっては最後のご奉公となる具体的な課題となりそうです。でも、こういう深いテーマは、討ち死に覚悟でないと駄目なんでしょう。きっと。
 昨夜は、京都の夜桜を楽しみもしました。ほろ酔い気分で散策した高瀬川の夜桜のなんと素晴らしかったことか。「日本の春」を堪能するに十分な京の夜桜でした。夜桜風景を撮影しておけばよかったのですが、残念ながらアップしたのは、三条大橋の上から眺めた鴨川べり、もう1点は夕方の高瀬川界隈の写真です。
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