近畿地方で木枯らし1号が吹いた昨日、京都御苑の近くを歩いていると、いちょう並木の幹下にたくさんの実(銀杏)が落ちていました。最近では持ち帰る人もいないようで、無残にも踏みつぶされています。でも、ある人が話していました。京都大学構内の銀杏を拾い下処理をして受験間近い孫に渡すのだと。「落ちた実」ではなく「落ちた実を拾う」の意味なんだそうです。何とも意味深いことか。
先日、カナダはトロントにお住まいの畑中さんから久しぶりにメールをいただきました。カナダと言えば7年前のこの時期に「紅葉のカナダ・アメリカ」ツアーに参加したことがありました。関空からバンクーバー経由でトロント着。ナイアガラの滝を見た後、ローレンシャン高原(山頂はあいにくの小雨模様でした)の紅葉を楽しみました。その後、モントリオール、ケベックを巡り、カナダの清々しい空気感が印象に残っています。
その後、ボストン、ニューヨークを巡りましたが、ニューヨークの雑然とした街の風景に何となく居心地の悪さを感じました。そんなアメリカでは、次期大統領にトランプ氏が返り咲いたとか。日本では大騒ぎになりそうな口汚い差別発言やパワハラ発言を繰り返した候補が当選するとは、何たる皮肉なことか。
昨日、京都の講座でジャーナリスト・足立真理さんから「世界の分断リスクと日本の情勢」と題するお話しを伺いました。ポピュリズムが世界を揺るがす混迷の時代。専制主義が広がりつつある中、完全な民主主義といえる国は196カ国のうち24カ国に過ぎず、世界人口の3割に満たないとか。
戦後教育の中で私たちが学んできた「民主主義」とはいったい何だったのか。「グローバル化」と「自国第一主義」、そしてSDGs(持続可能な開発目標)........。先行き不透明感が漂うなかで、それらにとってかわる新たな指針が求められているのかどうか。改めて問いかけられているような気がいたします。
気分を変えましょう。先日、シニア仲間たち14名(男性は4名)が集いました。8年前に出会った講座の受講生仲間たちで、年数回の会合をもっていて、いつも全員参加が自慢です。今回は会員のご自宅に集まり、真っ昼間からビールやワインで大賑わい。その後は、元小学校の先生をしていたという方の企画で、カードゲームや黒髭危機一髪ゲームに興じ、後期高齢者にして童心に帰ったひと時でした。たまには小難しいことは横に置いて、ひたすら「遊ぶ」ことに集中することが健康寿命を伸ばすひとつの方法かもしれません。
昨日は昨日で、京都講座で水彩画の時間に先生から葉っぱの描き方や水彩絵の具の使い方についていろいろ課題をいただきました。その後の謡曲同好会では観世流能楽師の先生から謡いの手ほどきを受けました。まだよちよち歩きですが、終了後、ケーキ屋さんで反省会という名のお茶会を開いて帰りました。大阪でも京都でもシニアの皆さんは元気です。
そうそう。愛読している新潮社WEBマガジン「考える人」に、先月から恐山の禅僧・南直哉さんの連載記事「答えなんか言えません」が始まっています。第1回「仕方がないんだ。人生は」、第2回「悩み方が分からない若者たち」。ついつい読んでしまいます。ちなみに、前回の連載はその後、新潮新書「苦しくて切ないすべての人たちへ~生きているだけで大仕事」として出版されています。 さあて、週明けに神経内科の再診が待っています。ここで病名が確定すれば、いよいよステロイド系の投薬治療が始まります。その後週末には5歳の誕生日を迎える孫娘のお祝いに、横浜にちょっくら出かけてきます。
ひと雨ごとに寒くなっていく今日この頃、プランターで栽培している野菜たちはすくすくと育っています。
かく言う私は、原因不明の両肩&両腕の痛みを引きずっています。神経内科で精密検査をしてもらったところ、精緻な分析結果は出ていませんが、リウマチ性多発筋痛症の疑いありとのこと。今月半ばから投薬治療が始まります。1、2年かかりそうです。当分病院通いが続きます。
ところで、最近、自宅でのパソコンの利用が、精緻なデータ処理からネット閲覧、ブログ更新、メールの送受信など軽いものにシフトしています。ならばと、タブレットを新調しました(11インチ)。スマホより画面は大きく持ち運びも便利。文字も拡大表示できます。なによりも裃をつけないでソファーに座って気楽に操作できるのが良い。
初めてネットの世界に足を踏み入れたのは30年近く前のことです。当時はADSL形式で電話回線とパソコンをLANケーブルで繋いでいましたが、今では家中にWi-Fiが張り巡らされどこにいても簡単に繋がります。ブログを見たり、YouTubeを見たり、電子書籍を読んだり。
タブレットを新調したのを機会に、購読中の朝日新聞デジタル版を、記事を読むだけの「スタンダードコース」(月額1,980円)から新聞紙面も見ることができる「プレミアムコース」(月額3,800円)に変更しました。
数年前に新聞の宅配を止めてデジタル版に移行していますが、加齢と共に難儀なことに気づいたんです。社会に張り巡らす私自身のアンテナ感度が落ちてきたことです。興味本位にその日の記事を断片的に眺めることはできても、時代の大きな流れ(ダイナミズム)の中で自らの関心事を再定義する視点が弱まっています。
歳をとれば仕方ないことですが、新聞紙面に掲載されている様々な記事を視覚的に鳥瞰することで、読みたい記事を大きな時代の流れの中で問い直すことができます。書評もそう。新聞広告だってひとつの世相を反映しています。新聞との向き合い方の原点回帰です。
今回初めて気づいたんですが、読みたい記事に「音声読み上げ」機能がついていることにも驚きでした。AIによる機械音声ですが、シニアにとって文字を追うことに疲れたときは便利です。
月刊誌「Newton」の第一特集記事を見ることもできます。今月号のテーマは「不死のサイエンス~老化にいどむ最先端研究と未来の人体」でした。不老不死に向けて様々な研究開発が進めれている現状が紹介されていて興味津々です。
別に朝日新聞の宣伝をしているわけではありません。各社ともいろいろ創意工夫を凝らしています。超高齢社会を迎えて、新聞各社の購読者サービスに変化の兆しを感じます。
◇ ◇ ◇
明日から雨が降りそうなので、今日は午前中に京都・知恩寺の「秋の古本まつり」を覗いてきました。(いえいえ、この時間、もう降り出しています。)
連れて帰ったのはお能の謡読本「巴」「西行桜」「土蜘蛛」(3冊で500円なり)。他に山折哲雄対話集「こころの旅」(990円)と鶴見和子&頼富本宏「曼荼羅の思想」(500円)。
そのうち能「巴」の謡本は、来週の謡曲同好会で使うテキストです。文字だけ追っても臨場感がないので、タブレットで能「巴」のYouTubeを見ながら台本を追います。
墨で書かれた謡の台本。タブレットの画面に広がる能舞台。新旧取り合わせて新しい世界が広がります。
先月末から続いている原因不明の筋肉痛のこと。取り敢えずお医者さんから湿布と飲み薬をいただいて以降、全身に広がっていた痛みは和らぎましたが、まだ両肩の痛みは残ります。
そんなわけで、温泉に浸かって少し心身を休めることにしました。今回の行先は紅葉の北海道です。もう一度行ってみたい温泉の中から積丹岬の温泉「岬の湯しゃこたん」を選びました。
町営の立派な施設なのに、余市以北は鉄道が走っておらずお客の多くは町の常連さん。より多くの方々に来てもらうには課題がありそうでした。前回訪ねたときは来客は数組。3ヶ月後の2022年1月末で休業する旨の貼紙が掲示されていました。
ところがその後、有志で株式会社を設立し、再開にこぎつけたようです。若者たちの地方創生の取り組みに期待を寄せました。
泉質はナトリウム一塩化物・炭酸水素塩温泉で、とろりとした肌触りがなんとも心地よい温泉です。適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩など、私の症状にはぴったりです。
問題は近くに移動が便利な宿がないこと。3年前には、北海道中央バスの「岬の湯しゃこたんバスセット券」を購入し、札幌から高速バスに乗って小樽駅へ。そこで路線バスに乗り換えて行きました。
でも今回は違います。中央バスが「秋の絶景積丹岬コース」という定期観光バスを運行していて、途中、島武意海岸(しまむいかいがん)や神威岬(かむいみさき)などを下車観光しながら、ちょっとした小旅行気分です。
札幌駅前を9時過ぎに出発しお昼前に「岬の湯しゃこたん」に到着しました。施設の雰囲気は3年前と変わらず、昼食後に露天風呂に入ると、右に積丹岬、左には神威岬が一望できます。この日はバスツアー客のほか十数名がオートバイやマイカーで三々五々やってきていました。
ところで、今回の北海道旅行は、いつものように格安JALパック+誕生日優待〈-15,000円〉を利用しました。10日ほど前に航空機とホテルの手配だけ済ますと、あとは現地調達の行き当たりばったり。いつもの珍道中です。
2日間、夜の札幌を楽しんだあと、3日目の朝には地下鉄とバスを乗り継いで羊ヶ丘展望台に行きました。なんと、その路線バスを運転していたのは前日の定期観光バスを運転していた若い女性運転手さんでした。若者たちが頑張っています。
午後には次の温泉地・定山渓温泉に向かいました。こちらは3回目の訪問です。道内最大規模の温泉施設で、泉質と効用はしゃこたんの湯とほぼ同じ。ホテル周辺の紅葉を愛でながら温泉に浸かって美味しいお酒をいただきました。連日の温泉三昧でなんとなく肩の痛みも和らぎました。
帰阪した翌日、つまり昨日は朝から京都の講座に出かけ、絵画教室ではさっそく北海道の紅葉風景を描き始めました。お誘いをいただいたので、来月からは京都観世流の先生の指導による謡曲同好会にも入ることにしました。来年6月大阪・関西万博EXPOホールで開かれる能「2000人の”水の輪”」に備えます。
この日はそのあと夕刻、大阪に舞い戻ってシニア仲間と合流しました。このところの原因不明の筋肉痛は、生活リズムが激変したため身体が追いついていないのかもというのが元看護婦長さんの見立てでした(笑)。慌ただしくも呑気な1週間でした。
第五十一候「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり).....。戸口で秋の虫が鳴き始める時季になりました。お庭に金木犀の香が薄っすらと漂ってくるなか、バッタさん夫婦がやって来て、冬支度でしょうか、プランターに植えつけたばかりのロマネスコ(カリフラワー)の葉っぱを美味しそうに食べています。そんな秋の到来を肌で感じながら、ゆったりまったりの一日を過ごしています。
先週に続いて今週も、まずはお不動さんの話題から.....。5年前から建替えが進んでいた山門がやっと完成し、先日その落成法要がありました。施工は神社仏閣建築を手掛ける世界最古の企業、金剛組(578年創業)です。屋根を覆う銅板を寄進したこともあって参列させていただきましたが、四国八十八カ所の札所にも劣らぬ立派な山門のお披露目でした。
お寺繋がりの話題になりますが、先日、小学校がお休みの孫次男君を連れて東福寺塔頭・勝林寺に坐禅体験に行きました。塾通いとピアノの練習、ゲーム遊びに忙しい彼も、その日ばかりは神妙な面持ちで、僧侶が近づいてくると自ら手をあわせ、警策という木の棒で両肩を叩いてもらっていました。
お寺繋がりでもうひとつ。日本最古の大寺・四天王寺「秋の大古本祭り」にも行ってきました。ドナルド・キーンの「能・文楽・歌舞伎」、思想読本「西行」のほか園芸関係の本を何冊か連れて帰りました。秋を迎え、昨日から大阪天満宮で、月末には京都・知恩寺でも秋の古本まつり~古本供養と青空古本市が始まります。
ここでやっと本題に入ります。先日の日曜日、大阪市中央公会堂前の屋外で演じられた山本能楽堂「いのちの能/水の輪」を観劇してきました。この新作能は観世流能楽師・山本章弘さんの作で、「水都大阪2009」で初演以来、国内外で演じられ、私はこれまで2回山本能楽堂の舞台で鑑賞しています。(屋外であっても公演中の写真撮影禁止のため舞台風景のみ掲載します)
聞けば、来年6月18日、大阪・関西万博EXPOホールでの公演が決まっていて、「2000人の”水の輪”」と銘打って、二千人の観客がうたう謡いに合わせて舞うのだとか。なんだかグスタフ・マーラーの千人の交響曲のようです。万博に向けて年明けから山本能楽堂で「謡」のワークショップが予定されているのを知り、さっそく申し込みました。もちろん初体験です。
そんななか、昨日は、絵画教室の作品展準備のため京都に行ってきました。帰りに初秋の空気感漂う鴨川べりを丸太町から三条まで歩きましたが、途中、鴨川の淵を覗くとたくさんの魚たちが元気よく泳いでいました。アユ?オイカワ?都会の真ん中を流れる鴨川の水の美しさを思いました。この水が淀川に合流し大阪湾に注ぐことになります。ふっと「いのちの能/水の輪」のお能を思い出しました。
作品展の方は受講して未だ日が浅いので、今回はとりあえず最近描いたものの中から1枚を選んで出展しましたが、教室の皆さんの力作ぶりには驚きましたし、今後の励みにもなりました。
そんな折、先生から「月末に5、6人で信州に一泊二日の写生旅行に出かけますが一緒に行きませんか」と笑顔のお誘いをいただきました。北海道旅行から帰った直後の日程なので今回はお断りしましたが、次回から仲間入りすることにしました。それまでにもう少し上達しておかねばと気持ちを新たにした次第です(笑)。
【添書き】
今日のブログ更新は、久しぶりにレコード棚から松下真一作曲「交響幻想曲〈淀川〉」(朝比奈隆指揮/大フィル)を取り出して聴きながらまとめました。第一楽章は、安曇川、姉川、野洲川など琵琶湖に注ぐ淀川の源流。第二楽章は淀川のもうひとつの源流である鴨川、桂川。第三楽章はさらにもうひとつの源流である木津川。第四楽章<フィナーレ>は淀川によって育まれた世界都市・大大阪の輝かしい未来への賛歌で構成されています。1975年、大阪青年会議所創立25周年を記念して箕面市民会館で録音されたレコードです。これを私は日本橋の中古レコード店でずいぶん前に見つけました。別に、2004年秋、河川環境管理財団の河川整備基金の助成を受けた大学コンソーシアム大阪音楽祭でライブ録音されたCDもあります。こちらは酒井睦雄指揮、相愛オーケストラの演奏です。いずれも合唱は大学グリークラブ、混声合唱団等が歌っています。
十七節気「寒露」。朝お散歩に出かけると、爽やかな空気感に心癒されます。途中立ち寄るお不動さんでは、数年前から宮大工さんが丹精込めて四国八十八カ所の祠を新調していましたが、ついに完成しました。
そんなお不動さんで、先日、十三代目市川團十郎白猿と八代目市川新之助の襲名奉告参拝がありました。その場面にたまたま居合わせたところ、境内をお練りの際に「成田屋!」という「大向う」が飛び交っていました。
さてさて、この秋にNPOを引退して10日が経ちます。パソコンに保存していた関連データはすべて消し去り、紙ベースの書類も個人情報絡みはすべてシュレッダーで裁断しましたので、なんとなく肩の荷がおりた気分です。なによりも、毎日メーリングリストから届く膨大なメールから解放されたのは、予想外の収穫でした。
以降、時間の流れ、生活のリズムもがらりと変わりました。老夫婦でゆったり朝食をとった後、お散歩に出かけるのが日課です。帰ると少し休憩して花壇や菜園のお手入れ。午後にはお昼寝をしたり、本を読んだり、ステレオを弄ったり、次週の絵画教室の準備をしたり....。まさに晴耕雨読の日々を楽しんでいます。
これまで以上に家内と向き合う時間も増えました。今月下旬には久しぶりに北海道に出かける話もまとまりました。
今週の絵画教室では、5月に出かけたイタリア中世都市の写真を基に、茶系の混色をいろいろ試しました。クリムソンレーキ×バーントアンバー、バーミリオン×バーントアンバーなど。混ぜ具合によって微妙に色あいが違います。試行錯誤を繰り返しながら、このあたりの感覚を身につけていきます。
そうそう。京都講座のホームページに、先週クラスメイトと談笑する私の写真が掲載されていました。ぼちぼち新たな人の輪を広げていこうと思います。(念のためお相手のお顔はぼかしています)。
でもねえ。生活のリズムが変わると体調にも影響がありそうです。ここ2、3週間、全身が原因不明の筋肉痛に悩まされています。思い切って今日、病院に行ってきました。いろいろ検査をしてもらいましたが、数値に特段の変化はなさそう。気の持ちようかも知れません。主治医の先生からは、症状に変化がなければリュウマチ専門の先生を紹介すると言われました。ご用心、ご用心。
文の流れのアクセントで置いた下の写真は、今日近くの公園で撮りましたが、オオシロカラカサタケのようです。ネットで調べると毒性があるとか。こちらもご用心、ご用心。
話は変わりますが、先日、仙台にいる5歳年上の従兄から珍しくメールが届きました。来月、母親の3回忌で松江に帰るので、その際、父親の実家である我が家のお墓参りがしたいが、50年ぶりなので墓の場所を教えてほしいと。
一時は高知の大学に勤めていましたが、その後東北の大学に移り、先進的な研究成果は海外でも広く注目されていました。そんな従兄も、この春めでたく退官し悠々自適の生活に入ったところです。
私のパソコンの中に、昔々の写真を何点かデジタル化したものが残っています。70年近く前というと昭和29年前後でしょうか。祖父の法事に集まった縁者30名あまりがお墓で写真に納まっている集合写真があります。東京に嫁いだ長女のご主人が撮ったもので、両親も叔父叔母も兄姉も健在の頃。従兄は小学校低学年でした。そんな写真をメールの返信にそっと添えておきました。
すぐに返信がありました。「顔がわかる人とわからない人が混在していて時間の経過を感じる」「当時は松江から蒸気機関車に乗って行った記憶がある」「夏の暑い日に叔母さん(私の母)に頼まれて〇〇さん(私の姉)と一緒に祖母の実家にお届け物を持って行ったことがある」...........。セピア色の写真を眺めながらぽつりぽつりと古き良き時代を思い出した様子でした。
少子高齢化、東京一極集中と過疎化......。75歳以上(後期高齢者)の人口は、私が生まれた1950年当時は約100万人だったそうですが、2025年には約2200万人になるという推計があります。私の実家だけでなく片田舎の菩提寺や神社も跡継ぎ問題で揺れ動いています。数ヶ寺の住職を兼ねている和尚さんもちらほら。
事は深刻です。近く総選挙があるようですが、与野党問わず根本的な何か大切なものが欠けているように思います。
今朝はどんよりした曇り空でした。なんとかもつだろうと傘を持たずお散歩に出かけました。お不動さんの休憩所で一服して、さあて帰ろうかと思ったとき、なんと雨が降り出しました。さあ大変。散歩コースを短縮して急ぎ帰途につきましたが、5分も経たないうちに雨足が強まり全身びしょ濡れになってしまいました。
そんななか、雨音に混じって後ろから「すみませ~ん」と呼ぶ声が微かに聞こえてきました。「すみませ~ん」「すみませ~ん」。だんだんと近づいてきます。なんだろうと振り返ると、若い女性の方が傘をもって近づいてきました。「この傘を使ってください」と。あとワンブロックで我が家に到着するところだったので、丁重にお礼を申し上げて失礼しました。存じ上げない方でしたが、そのお気持ちに感謝です。何かホッとした気分になりました。
さて、あれよあれよという間に、今年も10月、神無月を迎えました。あと3カ月もすれば年末です。時の経つのはなんと早いことか。今年もいろいろありましたが、きょうはオンライン講座を話題にしようと思います。
先日、ロンドンにお住まいの方から、Zoomによるオンライン講座「ゴッホ:詩人の魂」(£18)のご案内をいただきました。数年前帰国された際にお会いしましたが、いま、ロンドンナショナルギャラリーで「大ゴッホ展」が開催されていて、展覧会をよりわかりやすく楽しむためのオンライン講座を企画しているのだと。ロンドンに行けない方も、晩年のゴッホの世界に浸ってみませんかというお誘いでした。オルセー美術館からは《星降る夜》が、シカゴ美術館からは《ベッドルーム》、アムステルダムからは《黄色い家》など、世界の大ミュージアムからゴッホの作品が一同に会しているそうで、来年の秋には、神戸市立博物館で「阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展―夜のカフェテラス」が開催されるというご案内もいただきました。
Zoomによる講演会は何度か参加していますが、その多くは一方通行です。今回は、時差の関係で午後9時開講でしたが、お話の途中に受講生の受け止め方をアンケート形式で求めたり、質問の時間をたっぷりとるなど双方向のやりとりも楽しいものでした。50数名の方々が受講していました。
ゴッホ晩年の代表的な作品1枚1枚を画面に映しながら、「色彩、筆使い、構成」「愛・詩・永遠なる生命」「複数作品の構成」「感想・想像力・記憶」の視点から、ゴッホの心と作風に迫る丁寧なお話しでした。Zoomの画質も、現物とは異なりますが、教室の大スクリーンに映し出されるものとは全く違い、色彩、筆使いを立体的に見ることができました。楽しい講座でした。
Zoomと言えば、この秋に開く大学のゼミ同窓会。OB会員の高齢化に伴い京都まで出かけることが適わない先輩諸氏に配慮して、今回、Zoomでの同窓会企画を考え、オンライン参加の希望を募りました。ところが希望者はゼロ。残念ながら80代の先輩方には敷居が高かったようです。でも、時代の進展と共に、居ながらにして世界各国の情報を知ることができる時代になってきているのは事実です。
でもねえ。オンライン講座ばかりでは味気ないですね。人と人の繋がりが希薄になります。それを補完する意味で、私は昨日から京都の秋季講座を正式に受講することにしました。午前中は一般教養講座を受け、午後は選択科目に分かれますが、私は絵画部を選びました。元気な95歳の女性もいらっしゃいましたが、みなさん水彩画だけでなく、鉛筆画やペンテル画、アクリル画、パステル画など様々な方法で絵画を楽しんでいらっしゃいました。さっそくグループLINEに仲間入りしましたが、その日のうちに全員の皆さんから歓迎のLINEをいただきました。
初日は、奥入瀬に行った時に撮った写真を画題に描きました。でも、川面の描き方が難しい。それに、光の変化で微妙に異なる色あいを見せる樹々。先生からは、原点に戻って色の出し方を教えていただきました。来週までに仕上げなければなりません。
秋季講座が始まって日が経たないのに、月末には作品展があるとか。さあて何を出品しようかと少し慌てています(笑)。この日は、帰りに三条通のお店で開催中の先生の個展を覗いてきました。
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。お彼岸を過ぎると朝のお散歩も気分爽快、何となく肌寒ささえ感じる気持ち良い汗をかきました。
ところで、先日、上の歯の詰物がぽろりと外れました。ずいぶん前に職場近くの歯医者さんで治療してもらって以来ですから、よく保ったものです。さっそく近所の歯医者さんに行きました。診察室では若い女医さんが待っていました。80歳近い院長さんはリタイアされたようです。先生は、なんと長女の同級生でした。なんとなく子供の頃の面影がありますが、丁寧な治療は父親譲りです。ほっこりした1日でした。巡り巡ってこの世は、いつの間にか私たちの子供世代が支えています。
2週にわたって3連休が続いた今週は、珍しく演劇と落語を楽しみました。
そのひとつは、豊岡演劇祭2024参加作品/読売テレビプロデュース「MOONLIGHT SERENADO~リーディング劇 ムーンライト・セレナーデを聴きながら」(作/演出 岡本浩一、共同演出/平田オリザ)です。ふだんあまり演劇を観劇することはないのですが、平田オリザさん演出ということで出かけました。
読売テレビの朝番組「す・またん」の立田恭三アナウンサーやお天気予報キャスターの蓬莱大介さんが出るというので、ややミーハー的な思いもありましたが、お話しそのものは、勉強に嫌気がさした高校生がジャズ「ムーンライト・セレナーデ」を聴くとなぜか80数年前、特高が睨みを効かせていた頃にタイムスリップして、反戦を説く出石出身の政治家・斎藤隆夫にまつわるお話しでした。
日本の現代演劇を牽引してきた劇作家・平田オリザさんが、自ら主宰する劇団「青年団」を東京から兵庫県豊岡市に拠点を移したのは5年前のことです。若き演劇人を育てつつ、世界最大の国際演劇祭の実現をめざしていますが、この「ムーンライト・セレナーデを聴きながら」は、豊岡演劇祭2024演劇祭の一環として出石永楽館でも上演されました。
豊岡といえば「コウノトリの郷公園」や出石蕎麦ぐらいしか思い浮かびませんが、全国から演劇を学ぶ(楽しむ)若者たちが集まっています。素晴らしいことです。機会を見つけて、泊まり込みで演劇を楽しみたいと思っています。
一昨日の夜には、ナカノシマ大学の関連で「天神寄席9月席」(大阪天満の繁昌亭)に出かけました。テーマは「秋の夜長の船づくし」。お目当ては「帆神」を書いた小説家・玉岡かおるさんです。髙橋幸次さん、桂春若さんとの鼎談という形でご登場でしたが、次から次へと長編歴史小説を発表する玉岡さんのエネルギッシュな生き仕方に、ついつい聴き入ってしまいました。
玉岡さんに初めてお目にかかったのは、ずいぶん前のことです。地元の電鉄会社の百周年記念シンポジウムで、名だたる経済界の男性お歴々の中で紅一点。物おじひとつせず持論を展開している玉岡さんの姿が印象的でした。以来、多くの作品を読んできました。その後、何回かお目にかかる機会がありましたが、今回は5年ぶりのことでした。
この日は、人の移動、荷物の運搬、娯楽など江戸時代の人々にとっては身近な存在だった「船」がテーマでした。船の帆布を改良し丈夫で耐久性のある松右衛門帆を発明した、小説「帆神」の主人公・工楽松衛門について語っていただきました。
落語は「遊山舟」「兵庫舟」「船徳」「宇治の柴舟」そして「桑名舟」と5席。ふだん落語に接する機会は滅多にありません。客席を盛り上げる独特な話しぶり、間の取り方に興味津々。時には、こういう異文化体験も楽しいものです。
さあて、来週から京都に本格デビューです。画材も新調しましたから、ゆったりまったりの時間をぞんぶんに使って楽しみたいと思っています。
敬老の日に、町内会から御赤飯をいただきました。それには、近所の子供たちの直筆で「けんこうに きをつけて げんきでいてください」と書いたカードが添えてありました。
同じ日に、横浜の孫娘から葉書が届きました。お絵描きが大好きなので、葉書にはいろんな色の絵具が塗ってあります。色使いが上手いと思うのは爺馬鹿でしょうか(文字は母親)。
ところで、現役をリタイアして今夏8年になります。その間、シニア向けの生涯学習教室に通い、いつの間にか運営する側にボランティアとして携わるようになって6年が経過しました。
小規模ながら、総務・企画・広報・募集等に関する事務全般を担って来ました。これを正社員でこなしたら人件費がいくらかかることやら。そんなことにはお構いなく、ただただ働き続けました。これが私の性格です(笑)。
慣れない事務作業、データ処理、ホームページやFacebook等の開設と運用など、現役時代に経験したことのない仕事をガイドブック片手に遣り繰りしてきました。以来、相応の成果を数字で示すことはできましたが、さすがに寄る年波には勝てません。
去年あたりから緊張感を持続できなくなり、単純なミスも目立ち始めてきたので、そろそろ辞め時だろうと思っていましたが、問題は仕事の引継ぎです。4月から3名の方々に順次引継ぎを進めてきました。そして本日、めでたく引継ぎを完了しました。若干の残務はありますが、今月末をもって心晴れやかに引退できる目途が立ちました。
じゃあ10月から何をするかって?家でじっとしている性格でもありません。22歳で社会に出て50数年にわたって仕事をしてきたことを考えると、そろそろ老後を楽しむ側に回っても良くはないか。
ということで、10月からは場所を京都に変えてお絵描き中心の講座に受講生として仲間入りすることにしました。私が大学を卒業した頃に開設された、この業界では古い歴史を持つ教室です。先日、体験講座を覗いてきましたが、皆さんから温かくお迎えいただきました。
この日は何も用意せず手ぶらで出かけたのですが、先生から画用紙をいただいたので、スマホに保存していた写真の中からクリスマスローズの花を取り出して描いてみました。しばしワイワイガヤガヤと楽しい時間を過ごしました。
なんと、この教室、私が学生時代に通っていたアルバイト先に隣接するビルにありました。大学から市電(路面電車)に乗って通っていた頃を思い出します。50数年経って再び古巣に戻ってきました。これからは何かに急かされることなく、悠々自適な毎日が送れそうです。
本屋さんで俳人黛まどかさんの本を検索したら、「山折哲雄こころ塾」(読売新聞大阪本社編)がヒットしました。でも在庫なし。そこで近所の図書館で探しました。配架はされていなかったけれど、書庫から出していただき借りることができました。
発行は2004年。20年も前の本ですが、大槻能楽堂の舞台で、山折さんと当時ご活躍の13名の方々との対談が掲載されています。
お目当ての黛さんのテーマは「旅と恋〜かなわぬ思い俳句に」。黛さんが四国遍路に出かける前、スペイン巡礼道や熊野古道あたりをお歩きになった、まだお若い頃の対談で興味深く読みました。
もうひとり目に留まったのは、「精選女性随筆集・須賀敦子」の編者・川上弘美さんです。テーマは「心の行方〜科学的見方と宗教の人間観」、小説家にしてはやや硬そうな見出です。経歴を拝見すると、生物学科を卒業後しばらく中学や高校の教員をしていた由。その生き仕方と独特の世界観に何となく興味をいだき、さっそく「蛇を踏む」を手にとりました。
公園を歩いていて踏んでしまった蛇が、いつの間にか部屋に棲みつき、時に人の姿(母親)に変身して女性を蛇の世界に誘う.........。上田秋成や村上春樹の世界を彷彿とさせるものがあります。読み終わったあとの春樹作品に似て落ち着きのなさを感じたので、少しこだわって読んでみようかと。
さてさて、ここで話題はお気軽バージョンに移ります。先日、息抜きに南紀白浜に行ってきました。大阪駅前から高速バスに乗って3時間弱。南紀白浜とれとれ市場下車。
この日泊まった「とれとれヴィレッジ」は、別荘感覚で楽しめるリゾート型宿泊施設が謳い文句のドームハウス群です。
夕暮れどきにはヒグラシが、夜になると秋の虫の音が聞こえます。温泉に浸かったあとは静かな部屋の中で冷たいビールをいただきながら、「山折哲雄こころ塾」や「蛇を踏む」を読み比べ、ゆったりまったりの時間を過ごしました。
翌日の帰りに海産物や地元和歌山名産品がずらりと並ぶ「とれとれ市場」に立ち寄りました。取れたての鮮魚が格安で販売されていて、マグロの解体ショーまでやっていて、大勢の客で賑わっていました。因みに我が家は新鮮な鯛を1匹とアジをひと箱、それに南高梅を連れて帰りました。
2日前に急に思い立った小旅行でしたが、ちょっと違う風景に身を置くことで、少し元気をいただいたような気がします。秋を前に心晴れやかな日々が待ち構えています。
迷走した台風10号は全国各地に雨と風の被害をもたらしました。その1カ月前には日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が発生し南海トラフ地震情報(巨大地震注意)が発表されたばかりです。3日には大阪府下全域を対象にした防災訓練「大阪880万人訓練」があり、何通もの緊急速報メールが届きました。なんとなく自然災害への恐怖と備えを考えるようになりました。
我が家も簡単な防災グッズは用意しているのですが、停電により家族に安否を知らせる手段が寸断されるのは避けたい。そんな思いから先日、ソーラーパネル付き充電器なるものを購入しました。スマホに11回、パソコンに2回程度充電できるコンパクトなものですが、スマホやPCに飼いならされているシニアにとっては「備えあれば憂いなし」....。
台風一過。暑さは残るものの心なしか「涼しさ」を感じるようになったところで、この夏たくさんの実が採れたゴーヤの蔓を処分しました。その翌日、テキストを片手に野菜の種蒔きをしました。ガーデンレタスミックス、ラディッシュ、小松菜の3種類です。広い畑があるわけではないので、今回はプランターで栽培しようと思っています。早くも2日後には発芽しました。間引きをしながらしっかりした苗を育てていくことになります。
このほか園芸店で元気そうなブロッコリーの苗を2本連れて帰りました。ついでに以前から気になっていた柚の苗木もお連れしました。これで、すべての物流が止まっても数日間ぐらいは生き延びることができるでしょうか(笑)。そうそう、今年もたくさんの実がなった庭の無花果。ことし最後の実を収穫しました。
話しは変わりますが、先日、東京に暮らす姪から久しぶりにメールが届きました。甥と一緒に母親(私の姉)のお墓参りに行って来たそうで、急に叔父さんと話がしたくなったと。
姪と言えば、子どもの頃(学生の頃)の面影しか浮かんで来ません。私と7歳しか違わないので相応の年齢なのに、数年前に会ったときもお婆ちゃんではなくいつもの姪でした。返信メールでは、今でも「〇〇ちゃん」と呼んでいます。
姪はご主人の仕事の関係で、長くオーストラリアのパースで暮らしていました。その頃にヨガ教室に通い始め、それをきっかけに時々インドにまで修行に出かけるようになりました。帰国後は一端のインストラクターとして東京を拠点に全国各地で指導していました。最近、ネットで見かけないと思ったら、今は一線を退き、近くの子ども食堂のお手伝いをしているとか。姉が後年、スポーツジムに通いながら介護施設のボランティアをしていたので、親子ともなんとなく似たような道を歩んでいます。この夏にはご主人と北欧旅行を楽しんできたとか。幸せに暮らしていることを知り安心しました。
心の中には遠い昔の風景が鮮明に浮かんでくるのですが、最近、目が見えにくくなり、本を読むときは、ついつい眼鏡を外してしまいます。数カ月前にメガネ屋さんでレンズを新調したのですが、一向に改善の兆しはありません。周囲には白内障の手術をされた方が多く、そろそろ私の番かなあと思いつつ、先日思い切って5年ぶりに眼科に行きました。
ずいぶん待って診察、ついで瞳孔を広げる目薬を投与して再度診察。先生曰く「前回より白内障は進んでいますが、今すぐに手術するほどでもありません。希望するなら手術をしても良いですがどうなさいますか」と。親からいただいた身体ですから無闇に痛めつける必要もないだろうと、見えにくさは当分我慢して1年後に再検査をすることにしました。
この日、病院には多くの患者さんがお見えになっていましたが、眼科を受診する方々の多さには驚きました。同じ世代の方々ばかりです。歳相応の病気なんでしょうか。目が弱ってくると、本を読むのが難儀になります。時々窓を開けて遠くを見つめるようにはしていますが、遠方を見るときの筋肉と近くを見るときの筋肉がうまく連携できていないような気もします。これが老化ということかもしれません。いましばらくこんな状況が続きそうです。
瞳孔を広げる薬の投薬の影響なんでしょうか、病院を出ると眩しく、街の風景が真っ白に見えました。人間の身体の不思議を思いました。
9月に入って、NPOの仕事もほぼほぼ目途が立ちましたので、この週末は白浜温泉に行ってひと休みです。