心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ホテルの部屋の窓から

2009-11-29 08:49:51 | Weblog
 先週、職場のデスクで仕事をしたのは1日だけ。正確には半日×2でした。あとは前半が広島、後半が神戸北区での宿泊出張となり、少し落ち着かない一週間を過ごしました。すると、移動の時間は、本を読んだり、ICレコーダーにイヤホンを繋いで音楽を聴いたり、ホテルの部屋の窓の外を眺めたりと、無意識のうちにも心を落ち着かせようとする、わたしがいるのに気づきます。
 広島では、仕事の関係で海辺に近いホテルに宿泊したので、窓の外は晩秋の瀬戸内海の風景がひろがっています。ときどき何隻かの船が行き交う、そんな風景をぼんやりと眺めていました。朝、食事を終えて、いざ出陣というとき、なんとも落ち着きのある風景が気にいって、鞄に忍ばせたカメラを取り出して、パチリ。..あれ?わたしの姿が窓ガラスに反射しています。ボチェッリやヘイリーの甘い歌声をICレコーダーで聴きながら、室内をうろうろしている不様な姿が、そのまま写ってしまいました。

 2枚目の写真は、週末、神戸市北区、といっても六甲山の裏、三田に近い所にある某社の研修センターで開催された経済団体主催の合宿会議に出席したときのもの。夜遅くまで討議した疲れが抜けきらない朝、部屋の窓から眺めた、秋の風景です。全く海の見えない、それでも神戸市内なのです。小さな森は紅葉の真っ盛りでした。神戸電鉄でJRの三田駅へ、そこで大阪駅に向かって帰途につく。およそ1時間の距離でした。
 そんなこんなで、先週の1週間は過ぎました。それでも、中日には、若いご夫婦と夕食をご一緒する機会がありました。なんとも心和む時間を過ごしましたので、帰り道、秋の夜気のなかで大きく深呼吸して帰途につくことができました。わたしにも、あんな時があったんだと。.....出張が多いと、移動時間が多く、須賀さんの文庫本を読む時間もしっかりありました。「ミラノ霧の風景」を読み終え、いまは「コルシア書店の仲間たち」に読み進んでいます。そうそう、出張から帰ると、アマゾンに頼んでいた文藝別冊「追悼特集”須賀敦子”霧のむこうに」(1998年11月15日発行)が届いていました。
 さてさて、今年も残すところあと一カ月となりました。今朝、愛犬ゴンタと散歩にでかけると、来月の半ばに行われる町内会主催の「餅つき大会」の幟が、至るところに立っていました。その日は、孫君を呼んで餅つきに汗を流しましょう。ところで、きょうの日曜日は、これから、田舎の町の出身者が集う関西ネットワークの会に出席します。久ぶりに旧友たちとの再会でもあります。
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河出文庫「須賀敦子全集第1巻」

2009-11-22 10:50:14 | Weblog
 晩秋の連休初日のきょうは、少し肌寒くはあるけれど、明るい陽の光が街を照らしています。でも、このお天気もどこまで続くことやら。予報では昼過ぎから小雨とあります。ブログの更新が終わったら、急いで庭掃除をしなければ。
 ところで、一昨日は広島に出張でした。新幹線から眺める山陽路も紅葉の季節を迎え、稲を刈ったあとの田圃には、稲穂を燃やす煙があちらこちらに立ち上る、そんな牧歌的な風景を楽しむことができました。そんな車中で、わたしは須賀敦子全集第2巻のエッセイを読んでいました。そのなかに「想像するということ」というのがあって、須賀さんは「人とのつながりで、私たちはよく勘を働かせて行動する」「その生まれつきの勘を、系統だてて、というのか、もう少し客観的に伸ばしていくのが想像力だと思う」「想像力という概念が、持てるものから持たないものへ、強者から弱者へと、一方通行的になって、縮んでしまったときに、思いやりということばが出てくるように、私には思える。」「なにかひとりよがりの匂いの抜けきらない”やさしさ”や”思いやり”よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする想像力のほうに、私はより魅力を覚える」。
 今回の出張の目的は、職場の些細な人間関係の調整のためでした。だから、なにげなく読んだこのエッセイに、妙に納得することになります。そうだよ。お互いに想像力を働かせたらいい。ボタンのかけ違いに違いない。メールだけのコミュニケーションでは、決して想像力は働かない。わたしたちは、汲々として生きるなかで、相手の立場になって相手を理解しようということをしなくなったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、この文脈に中に、いま、わたしが須賀さんの世界にのめり込んでいるわけが、何かしらぼんやりと見えてきたようにも思います。なにか独り善がりの匂いの抜けきらない「やさしさ」。ずいぶん昔、そう学生時代の一時期、わたしは「偽善」を否定することの先に社会変革を夢見たことがありました。自分自身の生きざまを、もういちど振り返ってみる。そんな時期がありました。それを須賀さんは廃品回収というエマウス運動を通じて、そしてわたしは、・・・・・。
 それはともかく、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「エッセイ(1957~1992)」で構成された須賀敦子全集第2巻は、帰りの新幹線のなかで読み終えました。夜、大阪に着いて、紀伊国屋書店に立ち寄りました。すると、なんと品切れで手に入らなかった全集の第1巻が、重版なって平積みしてありました。第1章は「ミラノ霧の風景」でした。
 それだけではありません。帰宅して、パソコンのスイッチを入れて、何気なく須賀敦子を検索すると、次の日の昼下がりにBS朝日で『イタリアへ・・須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話 ローマとナポリの果てに』という番組が放映されることが判りました。さっそく録画をセット、昨夜見ました。この番組、第1話が「トリエステの坂道」第2話が「アッシジのほとりに」とあり、その最終章の位置づけのようでした。それでも、2時間におよぶ映像のなかに、「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」に登場する文章と風景がちりばめられ、わたしは立体的に須賀さんの世界に入って行くことができました。ミラノのコルシア書店で共に活動したカミッロ神父は90歳にして未だ健在、須賀さんの思い出を語っていました。想像力の乏しいわたしには、文字だけでは得られない須賀さんの人となりを身近に感じることができました。
 須賀さんがフランス留学のために神戸港を出港したのが1953年、24歳の頃。わたしは3歳でした。最愛の夫ペッピーノを亡くしたのが高校2年、日本に帰国してエマウス運動に汗を流したのが、わたしが大学3年生の頃、エッセイをどんどん発表していったのが、....。わたしの幼稚な人生の足跡に重ね合わせて考えると、須賀さんの人間としての真摯な生き方に、おおくの気づきをいただきます。

注:きょうの写真は、BS朝日の『イタリアへ・・須賀敦子 静かなる魂の旅 最終話 ローマとナポリの果てに』から、霧に包まれたミラノの大聖堂の風景をお借りしております。
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トリエステの坂道

2009-11-15 09:05:16 | Weblog
 きのうは庭掃除をしました。この季節、2週間もほおっておくと、庭のあちらこちらで落葉が地面を覆います。竹箒で落葉をかき集めて、来春のための腐葉土づくりに汗を流しました。
 そんなゆったりとした秋の土日連休2日目は、少しひんやりとしていますが、思い切って窓を全開にして部屋の空気を入れ替えます。すると、窓の前に聳える樹木の梢で、ヒヨドリがぴーぴーと騒々しく囀ります。急に窓を開けたので怒っているのでしょうか。それとも、冬の準備のことを家族会議しているのでしょうか。ああでもない、こうでもない、と。
 そんな風景を眺めながら、おもむろにブログの更新作業に取りかかります。が、先週のブログを見て写真を1点アップしていないことに気づきました。新島襄の旧邸での小コンサートの写真です。きょうは、それをまず掲載することにしました。わたしの前の先輩たちの後ろ姿も、なにやら年代を彷彿とさせるものがあります。ペダルで空気を送って音を出すリードオルガン。幼稚園や小学校の頃、こんなに立派ではなかったけれど、田舎の教室にも必ずありました。
 .....ところで、先週もあっという間に週末を迎えましたが、仕事とは別の時間・世界もきっちりと守りました。帰りの電車の中や眠りにつく前には、毎日、須賀敦子さんの本を開きました。いま「トリエステの坂道」を読んでいます。ヴェネツィアよりも東、スロベニアに隣接するあたりに、トリエステの街はあります。須賀さんは、かつてミラノから飛行機でトリエステに向かいました。詩人ウンヴェルト・サバの足跡を追って。
 「私は、イタリアにありながら異国に生きつづけるこの町のすがたに、自分がミラノに暮らしていたころ、あまりにも一枚岩的な文化に耐えられなくなると、リナーテ空港の雑踏に異国の音をもとめに行った自分のそれを重ねてみた」....。トリエステはイタリアにありながらオーストリアの文化圏でもあります。
 そういえば、タレントの間寛平さんはどこを走っているのでしょう。アースマラソンのサイトを確認したら、今はハンガリーを南下してセルビア共和国内を走っているご様子。ベオグラードに向かっているようです。その現在地から西に目をやるとクロアチア、スロベニアとなり、そのすぐ横がトリエステになります。そんな遠い国々を寛平さんひた走っています。すごい。
 
 ところで、きょうのBGMは、辻井伸行君のピアノ曲です。クライバーン国際ピアノコンクールで金メダルを獲得して一躍有名になった辻井君ですが、その後、CDを何枚か聴きながら、だんだんとその魅力に惹かれています。受賞の際、お母さんは「盲目のピアニスト」ではなく一人前の「ピアニスト」として見守ってほしい、といった趣旨のお話しをされていたのを覚えています。いま、わたしは一人のピアニストとしての存在を実感しています。今朝、愛犬ゴンタと散歩に行った際に手にした落葉を添えてCDを写真に収めました。ちなみに、来週日曜日のNHKテレビETV特集は「TSUJII ~ピアニスト辻井伸行・栄光への20日間~」です。これも録画チェックしておきましょう。


追伸
 この夏、我が家の庭で育てた「ひょうたん」に、きのうやっとニスを塗りました。100円ショップで購入したマホガニー色とケヤキ色です。この「ひょうたん」の中に小豆を少し入れて蓋をしました。マラカスとまではいきませんが、なかなか良い音がしています。孫たちへのお土産です。(要らないと言うかもしれませんが(-_-;)。残ったニスで、前から気になっていたバンブーダックも塗ってあげました。
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「ヴェネツィアの宿」と京都散策

2009-11-08 21:20:56 | Weblog
 昨日は広島出張でした。あさ10時30分からの会議でしたので、夜明け前の出勤で、長い長い1日となりました。そんな週末を終えた今日の日曜日。少しお疲れ気味でしたが、大学時代のOB会に出席しました。
 集合場所は京阪三条駅から地下鉄東西線に乗り換えてふた駅のところにある蹴上駅。少し早く三条駅に着いたので、しばし鴨川の三条河岸に座って時間潰し。読みかけの須賀敦子さんのエッセー「ヴェネツィアの宿」を開きました。水鳥の羽音に気づいてふっと目をあげると、視点の遠近調整がつかないせいか、ぼんやりとフィレンツェの街並みを思い出してしまいました。違うのだけれども、アルノ川の風景を思いました。ここ数日、須賀さんの世界にのめりこんでいるためでしょうか。現実との差異がぼんやりしています。

 母校の創設者のお墓参りから始まったOB会では、なにやら「ヴェネツィアの宿」のなかの「大聖堂まで」に登場するフランスはシャルトルへの巡礼を思い浮かべながら歩きました。蹴上駅から南禅寺の横を通って、哲学の道を横切り、熊野若王子神社を過ぎる。「猪が降りてくるので入口の戸をしめてください」という注意書きのある鉄扉を開けて山に入ります。狭く急な山道を、そう20分ぐらい登ったところに新島襄のお墓はありました。42年前、新入生オリエンテーションでお参りして以来でした。本当の巡礼は、こんな楽なものではないのでしょうが、ふだんあまり使わない筋肉をめいっぱい駆使しての墓参でした。大先輩の中に牧師の方がいらっしゃったので、みんなで讃美歌をうたってお祈りしました。

 先輩のみなさんは健脚揃いです。そのあと御所の横にある新島襄の旧邸に向かいました。徒歩で。旧邸では、新島夫人の八重さんご愛用だったという古いオルガンによる小コンサートが催され、ジョルダーニの「われを信じて」など6曲を聴きました。演奏してくださった方の提案で、最後に全員で校歌を歌っておしまい。そのあと、古い洋風和風建築を眺めながら、今度は「ヴェネツィアの宿」のうち、京都を舞台にした「白い方丈」の風景を想起しました。その余韻は、なにかしら思い出せない音楽の調べとともに、京都御所から大学まで、引きずって歩きました。
 
 大学に到着したのは、もう午後2時を回っていました。神学館3階の教室に三々五々集まった仲間たちと、今度は地下鉄で御池通りまで移動して懇親会場へ。歩き疲れた長い1日は終わりました。帰りの電車のなかで、あとわずかとなった「ヴェネツィアの宿」を読みながら家路につきました。

 そうそう、先日、大学の後輩からいただいたメールに、『Learn To Live and Live To Learn』(生きるために学ぼう、そして学ぶために生きよう)という言葉が添えてありました。今朝、墓参の折、D.W.ラーネッド博士の墓石を見つけました。その墓石に、この言葉がはっきりと刻まれていました。わたしにとって残された年月、この言葉を大事にしていこうと、改めて思いました。実は、その後輩に、きょう、正門前でばったりあってしまいました。現役学生でもある彼女の助言に感謝しています。
 今晩は、アヴェ・マリアのCDを聴きながら、懇親会でちょっぴりお酒の入ったブログ更新でした。さあさあ、明日から1週間、慌ただしい日々が続きます。

【写真説明】
上から1枚目は三条河原から四条方面を望む風景、2枚目は紅葉まじかの哲学の道、3枚目は新島襄のお墓、4枚目は大学の教室から望む30数年前と同じ風景(遠方は京都御所)、5枚目はD.W.ラーネッド博士の墓石です。
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結婚記念日

2009-11-01 07:07:18 | Weblog
 一昨日の午後、天満橋のジュンク堂で時間潰しをしました。文庫本コーナーをぶらぶらしながら、河出書房新社「須賀敦子全集」第1巻を探しました。店員さんに伺うと在庫なし。重版中であると。しかたなく、第4巻を手にしました。この全集、すべて1冊500から600頁ですから、読む前からプレッシャーを感じますが、本を開くと、きらきら光るような文章がながれています。そのためか冷静に読み進むことができます。
 私の隣で選書に余念のない男性がいました。さりげなく振り返ると、1か月前にお会いしたばかりの某社の会長さんでした。珍しくお一人での選書を楽しんでおられるご様子です。「その節は」「いやあ、君か」ということで、しばし歓談。手にした須賀敦子全集を見つけて、ぱらぱらめくりながら、「須賀敦子って聞いたことがないなぁ」。「いやあ、私も最近読みだしたばかりなんですが、どうも離れられなくなって」。「君らしいね」.....。仕事を離れて読書談義に花が咲きました。
 そのあと、わたしは大阪府庁近辺のビルで開かれた業界主催のお勉強会に出席しました。会議室の大きな窓から大阪城の雄姿を眺めながら、そういえば去年の秋にも、この部屋での会議に出席したことを思い出しました。時間の経つのは早いものです。大阪城という歴史建造物を前に、年齢時計が確実に1歳進んだことを思いました。
 話は変わりますが、昨日、33回目の結婚記念日を迎えました。わたしの心の中にある原風景には未だ古き良き時代が浮かんでくるのに、田舎にいた年の倍にも達する年数を、ひとつの出会いを縁に同じ屋根の下で暮らしたことになります。その間、子供を3人育て、孫が2人。たかだか60年の間に、次代に引き継ぐひとつのお役目は終わったような、そんな気がしてなりません。
 つかず離れず。これが長く一緒に暮らしている間に形成された我が家の不文律のようです。お互いに好きなことをしながら人生を楽しむ。陶芸、お花、手芸、ボランティアと多彩な活動、最近ではフラワーアレンジメントの先生役までやりだした家内。それに対して、どちらかといえば仕事中心の、わたし。お互い何となく充実しているような、そんな思いがあります。
 でも、還暦という言葉が他人事ではなくなってきたことを実感しだすと、時々あと何年ぐらい生きられのだろうかと考えることもあります。いっそ、最後の10年くらいは誰からも束縛されず、二人で自由奔放に生きたい。先日、豪華客船世界一周旅行1千万円という新聞広告が話題になりました。リタイアしたら何もあくせくすることはないのだから、案外楽しいかも。でも、お決まりコースというのはどうも。気に入った国でコース離脱という選択肢がないと、わたしたちの性格からして持たないような気もする。ああでもない、こうでもないと話しながら、お互いに死期というものを頭の片隅に抱き始めていることを思ったものです。
 さてさて、昨日から長男の孫娘が帰ってきています。1歳です。昨年の暮れ、甲府の武田神社でお宮参りをして、はや1年。その後、5月の連休に帰ってきましたから、孫にとっては2回目の帰省となります。久しぶりに我が家に束の間の騒々しさが戻ってきました。彼は彼なりに仕事に揉まれ、家庭を愛し、頑張って生きている。そんな長男の姿を、父親としては嬉しく眺めました。きょうのお天気は午後から荒れ模様になるとか。急ぎ、午前中に、孫を連れて京都知恩院にお参りです。

※最後の力を振り絞って咲くコスモスの花に、いのち幾ばくかの蝶がとまっています。秋の終わりを感じさせる風景を、そっと写真に収めました。
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