心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

2009年を振り返る

2009-12-27 09:45:12 | Weblog
 3週間続けてトップの写真は、私の日常の場であるバス停の風景になりました。長くて寒い冬を耐えた樹木が、春を迎えて芽吹き、その後9カ月経った今、落葉の季節を迎えて、また静かに土に帰っていく。毎朝、バスの到着を待つ間、樹木を見上げながら過ごしたこの1年が、幕を閉じようとしています。手許にあるCD「葉っぱのフレディー~いのちの旅」は、イタリア系移民の長男として生まれた米国の哲学者レオ・バスカーリア博士が書いた絵本が台本です。朗読を担当した森繁久彌さんも、ことし同じように土に帰っていきました。

 中国大陸からやってくる黄砂のためか遠景がかすんで見えます。寒風吹き荒ぶ海辺の温泉で、私は首もとまでお湯に浸かりながら、日本海の荒波をぼんやりと見つめていました。夏の季節なら、むこうに見える砂浜からは、海水浴客の歓声が聞こえてくるんでしょうが、きのう日本海は荒れ狂っていました。
 年末の土曜休日に、家内を連れて日本海に蟹を食べに行きました。時間に余裕があったので、地元の温泉に寄り道しました。旅館の内風呂から一歩外に出たところにある露天風呂は、客も疎ら。頭だけが異常に冴える、そんな風景のなかに身をおいて、過ぎていく1年のこと、来たるべき1年のことを、荒海を眺めながら、そう30分近くぼんやりと考えていました。

 2009年という年も、あっという間に最終章を迎えました。仕事のことは別にして、私の精神生活を振り返ってみると、南方熊楠、柳田國男、相馬御風、いやいやそれ以上に鶴見和子さんの世界に、ぐうっと踏み込んだ一時期がありました。それが、9月に入って、須賀敦子さんと出会い、それまで読み進んできた「鶴見和子曼荼羅」全集をいったん閉じて、いま河出文庫「須賀敦子全集(全8巻)」に傾注しています。須賀さんより10歳ほど年上の鶴見さんが、米国留学でプラグマティズムの歴史観を学んだのに対して、須賀さんはフランス、イタリアに渡ってキリスト教左派の視点から人間の在り方を学んだ。切り口は違っていても、共に真摯に物事を見つめる視点は共通していて、私などは到底足元にも及ばない、そんな精神的な強さに、還暦を迎えようとする身でありながら、おおいに不足感を抱かせる。だから、気になってしようがないし、そこから何かを学びとりたい、学ばなければならない。そんな強迫観念のようなものに取りつかれている、そんな1年間であったような気がしてなりません。

 須賀さんのエッセイ「ユルスナールの靴」を先週末の夜遅く、広島から大阪に向かう新幹線の中で読み終えました。ワインを飲みながら。....この作品は「ハドリアヌス帝の回想」など多くの小説を著したマルグリット・ユルスナールの人となりを須賀さんの視点から綴ったものですが、それまでのエッセーに比べて、須賀さんの、ものの見方と考え方のようなものが、ずいぶんはっきりと出ているように感じました。須賀さんの抱く歴史観・芸術観がベースにあって、かなり注意深く読み進んだように思います。
 意外にも、ここにきて私のもう一人の心の師匠である塩野七生さんの作品に出会うことになります。現在中断中の「ローマ人の物語」29巻(終わりの始まり)の出だしがハドリアヌス帝だったからです。ここで二人が初めて私の目の前にぬっと現れた感じです。こんな調子で、今は日々の僅かな隙間時間を縫って、「須賀敦子全集」(3巻)を読み進んでいます。
 そうそう。温泉から上がって、何気なく新聞を開いたら、記事下広告欄にBS朝日が贈る年末年始の番組が紹介されていました。そこで目に飛び込んだのが「イタリアへ、須賀敦子静かな魂の旅3部作一挙放送」の見出です。先日放映された最終章「ローマとナポリの果てに」の前に2作が昨秋放映され、今年に入っていちど再放送されていたようですが、前2作を見逃した私としては嬉しい限りです。今回は元旦から3日連続での再放送。ちゃんと録画しておかなければ。

 こんな珍道中を繰り返しながら、今年もあと5日で幕を閉じます。きのうは日本海へ出かけましたが、きょう27日は午後、家内と京都国立近代美術館に出かけます。10月末から開かれている「ボルゲーゼ美術館展」の最終日なのです。ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」を見たい。須賀さんのエッセイに登場する「聖マタイの召使」は展示されてはいないけれど、カラヴァッジョの作品「洗礼者ヨハネ」は自分の目で見ておきたい。あす28日は、「行く年の神恩を感謝し来る年の除災招福を祈願する納三宝荒神大祭」にお参りするために、宝塚の清荒神さんに出かける予定です。この取り合わせはなんとも滑稽ではありますが。そして、29日は植木屋さんに庭木のお手入れをお願いしているので、大掃除の日。30日は次男君と孫君一家を迎える、そんな年末年始の我が家の段取りです。その合間に読書と音楽三昧の時間をみつける。なんとも能天気な1週間になりそうです。

 こういう次第ですから、このブログも、きょうが今年の書き納めとなります。この1年、「心の風景」にお越しいただきました皆さまには、貴重なお時間を頂戴したことに対しまして、改めて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。皆さまには、どうか良いお年をお迎えください。
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師走の気ままな休日

2009-12-20 10:08:25 | Weblog
 師走というのは、時の流れを加速させるのでしょうか。1週間が、あっという間に過ぎていきます。足早に。いや、それは師走が原因ではなくて、60歳ちかくになって思考が緩やかになり、外界のスピードに追いつけなくなっているのかも。それとも、慣性の法則が働いて否応なしに奈落の底に転がり落ちていこうとしているのか。そんな他愛ないことをぼんやり考えていたら、「いえいえ、それは貴方の気持ちの問題ですよ」と耳打ちする、もう一人の私がいます。「ご覧なさい。バス停横のくぬぎの樹の葉は、落葉もせずに頑張っているではありませんか」。気の持ちようねぇ。そうかもしれません。少し前のめりになりがちな私の昂る気持ちを静めた方がよいのかも.....。

 話は変わりますが、いま、宇宙航空研究開発機構JAXAが、2010年度打ち上げ予定の金星探査機「あかつき」に載せるメッセージを募集しています。題して「お届けします。あなたのメッセージ、暁の金星へ」(1月10日締切)。応募のあったメッセージは、アルミプレートに印刷されて「あかつき」に搭載され、来年金星をめざすのだそうです。この世知辛い世の中、夢のあるお話ではないですか。きのう、さっそく申し込みました。すると、記念乗車証(写真)が届きました。月周回衛星「かぐや」に次いで二度目の応募です。で、わたしのメッセージはと言うと、「プレートに乗って貴方の星の旅人になる」。書きながら思ったのですが、プレートより「あかつきに乗って」が良かったかも。モノにではなく、「あかつき」という夢に乗って。
 そんなお気軽な土曜休日の午後は、近隣の大型スーパーへ家内のお買いもの運搬係として同行しました。店内は、どこから人が沸いたのかと思うばかりの賑わいで、クリスマスソングのBGMが購買心を掻き立てます。むかし、子供が伸び盛りの頃には必死で買い物をした記憶がありますが、この歳になるとこの賑わいについていけません。なので、ペットショップを散策することにしました。
 愛らしいワン君たちがたくさんいました。このワン君がいい、あのワン君がいい、と言いながら、お互いふと思い返しました。愛犬ゴンタのことを。おそらく犬小屋でクシャミでもしたんでしょうよ。きっと。....首をかしげたのは、お値段でした。同じ種類で共に今夏生まれたワン君なのに、20万円をゆうに超えるワン君がいるかと思えば、SALE札のついた3万円のワン君がいます。家内、「この差って、いったい何?」と厳しい表情です。少し淋しくなって、ワンワンコーナーを出て、こんどは熱帯魚コーナーに行きました。
 我が家の水槽には、今夏オスカー君が亡くなって、いまはセルフィンプレコ君が淋しくくらしています。それも40センチ級。お店の方に、「一緒の飼える種類はありませんか」と尋ねると、2、3センチほどのスマトラなら大丈夫でしょうと。10匹ほど買って帰りました。いま、大きな水槽の中をすいすい泳ぎ回っています。プレコは草食性ですから大丈夫だとは思いますが、気になるので時々水槽を覗いています。大きなプレコの周りをちっちゃなスマトラがすいすい泳いでいるのは、なんとも愛らしいものです。

 ペットで思い出しました。我が家の居間の照明器具のなかに、最近何やら動く物体が。よく見ると、どうやらヤモリのようです。さきほど撮影した写真では、ずいぶん大きく見えますが、実寸は5、6センチ程度です。いったい、どこから進入したのでしょうか。それに何を食べているのでしょうか。心配しながら、いつも元気に動いているので、放置していました。でも、そろそろ手を差し伸べてあげなければと、きょうの午後にも、年末の大掃除のひとつである蛍光灯の入れ替え作業を行う予定です。...で、そのヤモリ君をどうするか、実は思案中です。家内は外に逃がしてやりなさいと言うけれど、お外はここ数日、北風が吹いています。(-_-;)
 そんなこんなで、この土日連休は、時間に拘束されないその場凌ぎの、脈絡のない、ゆったりとした時間を楽しんでいます。ことしもあと10日あまりになりました。
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師走の街を歩く

2009-12-13 10:01:00 | Weblog
 12月も半ば、師走を迎えて2009年もいよいよ終わりを告げようとしています。そんな休日の早朝、いつものように愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。毎朝利用するバス停を通りかかると、昨夜の雨に濡れた落葉は未だお目覚めではないご様子で、ひっそりとしています。くぬぎの葉っぱも、あと1週間もつかどうか。葉っぱのフレディー君を思い出しました。
 ところで、忘年の懇親会が続くのも、この季節です。それも大阪だけでなく、広島やら東京やら。そうそう、先週は広島にでかけました。新大阪を午後3時30分頃に出発すると、5時過ぎには広島駅に到着です。少し時間に余裕があったので、路面電車に乗って会場のホテルに向かいました。乗った電車がかつて京の街を走っていた車体でしたので、たいへん懐かしく思いました。辻井伸行君のピアノ曲を聴きながら、ぼんやり夕刻の広島の街を眺めていたら、10分たらずで紙屋敷西に到着しました。

 大阪・梅田での懇親会のひとつは新梅田シティにあるホテルが会場でした。そのホテルの横に聳えるスカイビル前の広場には、世界最大級と謳う大きなクリスマスツリーがあって、その周囲にドイツクリスマスマーケットのお店がずらり。若い方々が写真を撮り合う姿を見ながら、もうクリスマスなんだと、妙に季節を感じたものです。
 そんな落ち着きのない日々を終えた昨日、午前中職場に立ち寄って報告書を1本仕上げると、午後にはひと足早く退勤し、大阪の街に出かけました。お目当てはLPレコード店。久ぶりです。この日は日本橋のDISC・JJさんに向かいました。北浜から地下鉄堺筋線で恵美須町駅下車、歩いて7分ほどのところに、その店はあります。この日は、ピアニストの辻井伸行君に触発されて、クライバーンのピアノ曲を5枚買って帰りました。
 日本橋を歩くのは半年ぶりでしたが、どうも最近、街の様相が変わってきていて、いけません。歩道のあちらこちらにアダルトショップが増えてきて、こんなところで職場の方にでもお会いしようものなら、誤解を招きます。で、足早に目的地に向かいました。それでもせっかく電器街に来たのだからと、帰りには客で賑わうパソコンショップを何軒か覗きました。PCワンズというお店で、レコードなどアナログ音源をデジタルに変換する機器を購入しました。LPレコードの行く末を案じて。
 帰りは恵美須町から堺筋線でひと駅目の日本橋で千日前線に乗り換えて谷町9丁目、こんどは谷町線に乗り換えて天満橋へ。そこでジュンク堂書店とCDショップ「HMV」に立ち寄る。これがわたしの通常の行動パターンです。きのうは、今年わたしのイタリア熱に火をつけてくれたアンドレア・ボチェッリの新曲CD「クリスマス」を見つけて、これもゲット。なんとなく温かい気分で帰途につきました。

 これが師走の週末の1日です。きょうの日曜日は、これから町内会のお餅つき大会です。孫君を誘ったけれど、なんと風邪でダウン。新型でないぶんほっとしています。そんな折、山梨の長男君から電話があって、1歳1カ月の孫娘が、手を離して数秒間立てるようになったと。時の流れが身体にまとわりつくような、嬉しいやら悲しいやら、不思議な気持ちになるこの頃です。

【写真説明】
上段:今朝愛犬ゴンタと散歩の際に撮影した毎日利用しているバス停です。
中段:新梅田シティのクリスマスツリー
下段:忘年会で遅くなったとき、最終電車をまつ駅のプラットホーム。街灯の下で須賀敦子さんのエッセイ集「ユルスナールの靴」を読みました。
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「ふるさと」を想う

2009-12-06 09:53:27 | Weblog
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という室生犀星の詩(抒情小曲集)がありますが、先週の日曜日は、ブログの更新もそこそこに、地下鉄弁天町駅近くにある某ホテルで開かれた奥出雲「関西の会」にでかけました。
 集まったのは、そう、260名あまり。わたしよりも少し年配の方々が圧倒的に多く、「○○町の△△です」と自己紹介すると、人脈が芋づる式に広がり相手の世界に取り込まれてしまいます。そこに司会者から時々漏れる懐かしい出雲弁が加わると、大都会のホテルの宴会場には不思議な雰囲気が漂います。こんな会合に出席したのは初めてのことですが、参加を強要した旧友を責めるでもなく、美味しい地酒をいただきながら、時の流れを遡る楽しいひとときを過ごしました。
 そのとき、同窓生だと名乗る女性が寄ってきて、「△△さん?」と懐かしそうにお話になる。でも、高校を卒業して40数年、彼女も同様に初老の域に近づきつつある年代です。40数年前にどんな関係だったのか思い出すことができません。遠く忘却の彼方に置いてきた「時間」を取り戻すのに、たいへん苦労しました。ちなみに彼女のことは、帰宅して高校卒業記念アルバムを開いて初めてはっきりと思い出しました。「あぁ。生徒会で一緒に頑張った○○さんだ」。当時、「プラハの春」を熱っぽく語りあった仲間でした。
 この日のアトラクションは、奥出雲神代神楽。演目は八俣大蛇でした。中国地方の各地で演じられる神楽ですが、この神話発祥の地で数年前、町の有志で結成された神代神楽だそうです。なので、少し写真の枚数が多くなりますが、神代神楽の雄姿をご覧いただきましょう。











 古事記をひも解いてシナリオを若干ご紹介しますと、....その昔、スサノオノミコトが、斐伊川上流の地で、娘(クシナダヒメ)と泣き悲しむ老夫婦に出会う。泣いている訳を尋ねると、娘が八俣の大蛇という怪物の生け贄になるのを悲しんでいるという。そこで、スサノオは、老夫婦に強いお酒を用意させ、八つの入口のそれぞれに酒樽を置かせた。すると、酒好きの大蛇がやってきて、その酒をがぶ飲みする。酔っ払ったところを見計らって、スサノオは長剣をもって大蛇を退治し、大蛇の体内から取り出した、それは見事な草薙の剣をアマテラスオオミカミに献上する。そしてクシナダヒメとめでたく結婚する、...というお話です。悪者に拘束される娘を解放した暁には娘を嫁にやる、といった物語は、ギリシア神話をはじめ世界各地の物語に登場しますし、オペラでもよく上演されますが、年配の方に交じって演じる若い方々の姿に感心しました。
 さてさて、この日のお土産は故郷の新米1キロほか数種、旧友から別途いただいた新米5キロ、それに物産コーナーで買った地酒と重い荷物をもって帰途につきました。車窓に映る都会の夕陽を眺めながら、ふと思い出した詩があります。石川啄木の詩「一握の砂」です。「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」。
 ちょうど車内で読んでいた須賀敦子さんの「コルシア書店の仲間たち」の一節には、こんな描写もありました。須賀さんがミラノの郊外にでかけた際のことですが、「日本が、東京が自分の本当の土地だと思い込んでいたのに、大聖堂の尖塔を遠くに確認したことで、ミラノを恋しがっている自分への、それは、新鮮なおどろきでもあった」。浮き草のように揺れ動く自らの人生を、少し冷静に振り返る1日となりました。
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