心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

老楽国家を思う

2013-03-31 09:50:33 | Weblog
 今年は寒い季節に畑の土を掘り起こして自家製腐葉土をたっぷりと梳き込みましたから、上出来の仕上がりです。そんな3月最後の土曜休日は、暖かい春の陽を浴びながら、昨年採取したブルースターの種まきをしました。でも、きょうは曇天、肌寒い一日になりそうです。それでも、近所の公園の桜ソメイヨシノは満開です。その横の山肌に立つ山桜も風情ある桜花をみせています。我が家ではローズマリーの花が咲き、1カ月ほど前に植えたライラックの花芽もずいぶん大きくなりました。春は着実に歩み寄ってきています。

 さて、きょうのテーマは「老楽国家を思う」としました。先日、国立社会保障・人口問題研究所から日本の地域別将来推計人口が発表されましたが、2040年の総人口がすべての都道府県で2010年を下回る一方、65歳以上の高齢者は団塊の世代を巻き込んで増加すると言っています。少子高齢化の大波が足元にまで迫ってきたということです。
 その日の夜だったでしょうか、広島の宿所でTVニュースを見ていたら「デフレの正体」の著者である藻谷浩介さんが「アベノミクスは人口動態を直視していない」と厳しいコメントを述べていました。頑張っている人の足を引っ張りたくはないけれど、現実を冷静に見つめる視点は必要かもしれません。
 以前、このブログで紹介した浜矩子先生は、ハリー・ポッターに登場する「みぞの鏡」を例に、いまの日本で人々が鏡の中に見ているのは、高度成長期を中心とした若き時代の姿。鏡の中にあの頃の自分を見て、本当の姿を見ていない。では、鏡の中に見るべきものは何か。それを先生は、「老いは楽し」という精神性のなかで成り立つ「老楽国家」であり、国家の成熟度を上手に受け止め、生かし、展開することだとおっしゃっていました。
 ところで、先日、縁あって倉敷の高齢者専用住宅にお邪魔してきました。1階はほぼすべての領域をカバーする病院、2階と3階は病床。4階と5階が、いわゆるサービス付き高齢者向け住宅でした。エントランスホールに入ると美しい花々と自動ピアノの静かな音楽が私を迎えてくれます。ここが病院だと誰が思うでしょうか。レストランあり、コンビニあり。花の香に包まれ何かしらほっとさせてくれました。
 4階を見学させていただくと、個室は一人で生活するには申し分ない広さが確保され、和室仕様と洋室仕様があって、細部にわたって十分な快適性が追求されています。部屋にもキッチンはありますが、皆で食事をする部屋があり、他に談話室やカラオケルーム、シアターがあります。バリアフリー、見守り....。安心システムはナースセンターにつながっていました。
 採光にも工夫が凝らされています。広い廊下の一画には日向ぼっこができるスペースもありました。もちろん、車いすに乗って春の暖かい陽を浴びながら庭を散歩する方々の姿も。そろそろ咲き始めたチューリップの花を愛でながら春を満喫されているご様子でした。元気な方々は街にも散歩にでかけます。グループで旅行をすることもあります。なかには、そうしたレクリエーション行事が苦手な方もいらっしゃるようですが、それは戸建て住宅でも同じこと。とにかくゆったりとした時間が流れていました。

 単身高齢者にとって至れり尽くせりの住環境ですが、気になることも。人間のことだから、どんなに恵まれた環境でも住み慣れてしまえば別の不満も出てこようものです。......頭の中できちんと整理がつかないままに、広島市内に舞い戻った私は、地魚を肴に独り夕食をとりました。すると、隣の席に70代のご老人がやってきてお酒を美味しそうに呑み始めました。聞けば、毎週1日は居酒屋で一杯呑むのが楽しみなんだとか。奥さんを亡くして単身生活、時々娘さんやお孫さんが覗いてくれるのだそうですが、とりあえずは元気なので悠々自適の生活のご様子でした。会社勤めの頃のこと、老人会のこと、広島の歴史、話題は尽きません。楽しいひとときを過ごしました。

 財産を整理して安心安全の住環境を終の棲家にする人がいらっしゃる。一方では、不自由なりにも気儘に暮らす人がいらっしゃる。まさに「それぞれの人生」です。気になるのは介護が必要になったときでしょうか。最近は病院も無制限に入院できるわけではないらしく、特養への入居も順番待ち、老健は入所期間が限られているとも。こう考えていくと、高齢社会への備えは十分ではありません。
 しかし、よくよく考えてみると、私たちはついつい安心安全に夢を抱きすぎていないかとも思います。これから先何十年にわたって安心安全の基盤をつくるといっても、何が起こるか判りはしない。その時々に臨機応変、自在に生きる術を身に着けておくことの方が大事ではないか、そんな思いが頭をよぎりました。国土の強靭化計画も結構。でも、ハコモノだけではない、何か、そう人の生きる知恵、意欲、何かそんなものを大事にしなければと。と言いながら、まだ結論を見出しかねている自分に気づきます。

 きょうは、チャイコフスキーのピアノ曲「四季」を聴きながらのブログ更新でした。1月「炉辺にて」、2月「冬おくりの祭」、3月「ひばりの歌」、そして4月は「雪割草」と、1曲ごとに月名がついています。チャイコフスキーといえばピアノ協奏曲を思い浮かべますが、ピアノ小品もなかなか楽しい作品です。.....家内が長女と孫二人を連れて東京の長男宅にお出かけなので、午後は京橋の「ツイン21古本フェア」でも覗いてきましょう。
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やっちゃん、逝く

2013-03-24 09:57:28 | Weblog
 先日、従兄のやっちゃんが亡くなりました。63歳でした。地元の大学を卒業後、高校の理科教員になりましたが、若くして腎臓を患い、透析を続けながら教壇に立っていました。病状が悪化してからは定時制に配置換えを願い出て仕事をつづけました。40年近くにわたって透析をしながら生きているのは県下でも稀と自慢していました。昨秋、兄の葬儀のときにも駆けつけてくれました。
 そんなやっちゃんは、父の妹の長男で、私とは1歳違いでした。小さい頃、叔母さんに連れられてやってきた彼とはよく遊んだものです。でも、別れ際にはいつも喧嘩になりました。いま思えば、もっと遊びたい、別れたくない、お互いのそんな思いが、そうさせたのでしょう。
 幼少の頃から決して丈夫ではなかったけれど、1年早く大学生になった彼は、漕艇部に入部しました。身体が小さいからコックス(舵手)として頑張りました。夏休みには自転車で旅行をしていました。その途中、我が家にも立ち寄ってくれました。受験勉強をしていた頃です。勉強の進み具合を聞きながら、「大学って楽しいところだ」と何度も話していました。私にとっては、未だ見ぬ大学にある種の憧れを抱かせたものでした。
 そんな彼は、定年より少し早く職を辞すると、白墨を持つ手に鍬をもち、野菜作りをしながら悠々自適の生活を楽しんでいたようでした。同じく教員をしていた奥さんも定年前に退職して二人で余生を過ごそうとしていた矢先のことでした。63歳、私の母が亡くなった歳と同じです.....。

 寂しい話題になってしまいましたが、大阪では先週末、桜の開花宣言がありました。職場の構内にある桜も花が開き始めています。そんな春3月の日曜日、NHKFM「名演奏ライブラリー~ウォルフガング・サヴァリッシュをしのんで~」を録音しながらのブログ更新です。久しぶりに歌劇「タンホイザー」序曲などを聴いています。
 ところで、昨日は仕事帰りに梅田界隈を散策しました。接点改質剤に刺激されたわけでもありませんが、大阪駅前のヨドバシカメラでオーディオ用電源タップなるものを購入しました。なんのことはありません。タコ足配線のコンセントのようなものですが、これがまた優れもの。電気が汚れるという表現がよく理解できないのですが、機器の電源をすべてこの電源タップに繫いでいくと、音質が格段に良くなるのです。これには驚きました。

 駅前第一ビル地下のワルティさんでは、探していたグレン・グールドのCDが見つかりました。大江橋駅の天牛堺書店さん(古書店)では、1冊300円コーナーで、日本の近代文学の誕生に貢献したとされる坪内逍遥の「小説神髄」(復刻版)と「惜しみなき青春(竹下夢二の愛と革命と漂泊の生涯)」を手にしました。
 仕事を忘れ都会のど真ん中を闊歩するのは楽しいものです。最近、昭和より前の時代、特に江戸末期から明治にかけての激動の時代に生きた人々の生き様に関心があります。260年にわたる太平の時代から目を覚ます時代状況が、今日の状況と非常によく似ていると思うからです。次代に繫ぐ何か新しい知見を見出したい、そんな思いがあります。
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雨月物語と「海辺のカフカ」

2013-03-17 09:25:21 | 愛犬ゴンタ

 お彼岸の季節を迎えました。我が家の庭では、いまクリスマスローズが満開です。そんな春の昼下がり、愛犬ゴンタは暖かい日差しを全身に浴びて気儘なお昼寝です。老犬の余裕、それとも諦観なんでしょうか。


 きょうは館野泉さんのCD「夜の海辺にて(カスキ作品集)」を聴きながらのブログ更新です。最近、広島出張から疲れて帰った夜は、よくこのCDを聴いています。泉のほとりの妖精、牧歌、野の小川にて、無言歌、夏の朝、ブルレスケ、山の小人のセレナーデ、激流、秋の朝、バラの花園の乙女、夢、即興曲、森の精、夜の海辺にて、古い時計台、などの小品集ですが、現実と非現実の間を行ったり来たりしています。
 そうそう、知人から接点改質剤「SETTEN No.1」なるものが届きました。オーディオ機器の端子接点に塗布すると、接点の経年劣化を軽減し音質を向上してくれるというものです。小さな箱に入った「CI-S100」(容量2cc)で定価3,780円。それが3,050円でした。

 この接点改質剤は、クラスターダイヤモンドとスクワランオイルからなり、説明書には「オイルを塗布することで接点を洗浄し、更にクラスターダイヤモンドの微粒子が表面に付着して導電面積を増加させ、酸化と経年変化を抑えます。また、接点の抵抗値が減少すると同時に電流量を増加させ、接点の改質が可能となります」とあります。専門的なことは判りませんが、使用前と使用後とでは明らかに音質が違います。深みのある素直な音質を得ることができました。驚きました。
 アナログからデジタルに変わった精密音響機器も、機器の接続部分に特殊なオイルを塗るだけで機器本来のもつ特性を存分に引き出すことができるとは、なんとアナログ的であることか。機器と機器、機器と人、人と人を繋ぐ「インターフェース」。なにやら意味深いものを思わせます。

 そんな週末、私は江戸後期の作家・上田秋成の読本「雨月物語」(角川ソフィア文庫)を現代語訳で読みました。「白峰」「菊花の約」「浅茅が宿」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の淫」「青頭巾」「貧福論」の9話からなる伝奇小説、怪異小説です。怨念に燃える者あれば、食人鬼と化す者あり。鯉となって琵琶湖を泳ぎ回る者あれば、新妻に乗り移った蛇性の女まで登場する。化身、怨霊、亡魂、幽鬼の世界。何とも恐ろしいお話しの連続でした。
 実はこの本、村上春樹インタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」の「海辺のカフカを中心にして」の章で村上氏自身が紹介していたものでした。曰く、

「雨月物語なんかにあるように、現実と非現実がぴたりときびすを接するように存在している。そしてその境界を超えることに人はそれほどの違和感を持たない。これは日本人の一種のメンタリティーの中に元来あったことじゃあないかと思うんですよ。それをいわゆる近代小説が、自然主義リアリズムということで、近代的自我の独立に向けてむりやり引っぱがしちゃったわけです。個別的なものとして、精神的総合風景とでもいうべきものから抜き取ってしまった」「僕の場合は、物語のダイナミズムというよりは、むしろそういう現実と非現実の境界のあり方みたいなところにいちばん惹かれるわけです。日本の近代というか明治以前の世界ですね」。

 「海辺のカフカ」に時々登場するギリシャ神話や源氏物語、雨月物語などと同じように、雨月物語は昔の様々なお話を典拠にする翻案小説であるといわれています。通読してみると、なんとなく村上春樹の物語の世界が見えてきたような気がしないでもない。ある種の戸惑いに、ひとつの視点を与えてくれた感があります。そういう妖しさを通じて、人の生き様を追っていく。でも、結論めいたものが存在するのではなく、日々変化を繰り返しながら、永遠の旅に出る、そんな感じでしょうか。そのあたりが、若者の心を惹きつけているのかもしれません。
 雨月物語のお話は、小さい頃、近所の高齢のお爺さんから聞いた怖い怖い昔話に近いものがありました。おそらくその話もいろいろな言い伝えや昔話を拠り所にしたものなんだろうと思います。夕暮れ時、聞きたくはないけれど最後まで聞いてしまう。そんな多感な子供時代の記憶がぼんやりと浮かんでは消えていきます。

 人は、現実と非現実の間を彷徨いながら、自分の立ち位置を探し求めています。しかし、目の前には、抽象的な言葉では言い尽くせない世界(精神的総合風景)が横たわっています。それをむりやり解きほぐそうとするのではなく、ぼんやりと全体に目を向けたい。現実と非現実の接点、経年変化で接点不良を起こした人間同士の接点に注目してみたい。
.....今日は少しお堅いお話になってしまいましたが、朝から春の日差しが眩しい部屋の片隅で、館野泉さんのピアノを聴きながら、そんなことを思ったものでした。

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現実と非現実の間(はざま)

2013-03-10 09:46:56 | Weblog
 きょうは薄い雲に覆われた日曜日ですが、これって黄砂のためかもしれません。遠くが霞んで見えます。太陽もぼんやりと浮かんで見えます。それでも連日、4月並みの暖かい日が続いていて、2週間前に植えたライラックの苗木も、枝先の蕾が大きく膨らんできました。春は着実に近づいています。

 この冬、私は狸さんの死骸に二度も出会いました。最初は交通事故でした。その次は原因不明で道端に横たわっていました。小さな森を道路が分断しているためでしょうか。食べ物が少ない冬のこと、行ったり来たりしているうちに遭遇したのでしょう。可哀そうなことをしました。
 これで狸さんに逢うことはないだろうと思っていましたが、昨夜、愛犬ゴンタと散歩の途中、小動物の気配を感じました。街灯の光を避けながら目を凝らすと、なんと2匹の子狸さんが飛び跳ねて遊んでいるではありませんか。私たちに気づいても逃げるでもなく、じっと見つめていました。手を差し伸べると、さすがにお隣の庭に逃げ込んでいきました。.....寒い冬を強かに生き抜いた狸さん。その元気な姿に安堵しました。

 話は変わりますが、きのうの朝日新聞に「大阪国際フェスティバルの歩み」が特集されていました。こけら落とし公演まで1カ月に迫ったこともあって、興味深く読んでいると、カラヤンとワイセンベルクのツーショット写真が目に留まりました。奇遇と言うべきか、先週のブログで紹介した来日コンサート時のものでした。
 ネットで調べると、時は1977年11月10日、木曜日の夜。演奏はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤン、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクでした。その日の第一部は「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番」でした。ワイセンベルクさんと一緒に聴いたのは第二部の「リヒャルト・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》」でした。ラフマニノフの2番とばかり思っていましたが、LPのそれとごっちゃになって、曲目を勘違いしていたようです。
 1977年と言えば、就職して5年目です。その4月に広報部署に異動になり、8月には長女が生まれた年です。文章を書くのが苦手だった私が、いろいろ本を読み漁っていた頃です。鞄に入っていた新書「続・考える技術、書く技術」にワイセンベルクさんのサインをいただく。当時の私の姿がぼんやりと浮かんできそうです。

 ところで、隙間時間に読んでいた村上春樹の「海辺のカフカ」。先週、東京出張の新幹線の中で読み終えました。15歳のカフカ君、猫と会話ができた初老のナカタさん。トラック運転手だったホシノ君、本当は女性なのに男性の大島さん。15歳であり50歳でもある魅力的な女性の佐伯さん。どこまでが現実で、どこまでが非現実なのか。でも物語はどんどん先に進んでいく。これが村上春樹の世界です。
 村上春樹の読者の多くは若者なのだそうです。その作品を60代の私が読んでいる。どうなんでしょうね。昨年「1Q84」を手にして以来、長編小説の大半に目を通しました。特定の組織や団体とは一定の距離をおく村上春樹、そう言えばグレン・グールドもそうでした。いやいや南方熊楠だってそうです。そんな生き様への憧れのようなものが、私の中にあるのかもしれません。なによりも、私とほぼ同世代の作家が、15歳の少年の視点で物語を綴る。そんな純粋さって、歳をとっても失いたくないですね。4月には3年ぶりに長編小説がご登場のようです。

 今日は、ベートーヴェンのLP「ピアノ三重奏曲変ロ長調<大公>作品97」(1975年録音)をスーク・トリオの演奏で聴きながらのブログ更新でした。この曲、「海辺のカフカ」に登場するホシノ君が気に入っている曲でした。

 狸と人間の共生。村上春樹の物語。この世の中、現実と非現実の境界がわかりにくくなっています。だから始末が悪い。私たちは、何を見、何を考え、そして、どこに向かって生きようとしているのか。そこには、果てしない試練が待ち構えているとも言えるし、それに立ち向かう者の、ある種の強かさとリアリティが求めれれているとも言えます。
 あの「3.11」から2年が経とうとしています。
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卒業式とクラス会

2013-03-03 09:48:24 | Weblog
3月は陰暦で弥生と言います。草木がいよいよ生い茂る意味だとか。我が家の食卓には昨夜、フキノトウの天ぷらと菜の花のお漬物が並びました。食を通じて季節を味わう、これも楽しいものです。
 今朝目覚めたときはうっすらと青空がのぞいていたのに、愛犬ゴンタとお散歩にでかけると曇り空に変わっていました。....今日は珍しく、高校生の頃によく聴いたセルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」を聴きながらのブログ更新です。選んだLPは、カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ピアノはアレクシス・ワイセンベルクです。
 ワイセンベルクさんの演奏は、もうずいぶん前のことですが、大阪フェスティバルホールで同じ曲を聴きました。演奏が終わって小休止のあと、第二部の交響曲が始まる直前、隣の空席に静かに座る客。よく見ると、さきほど舞台で演奏していたワイセンベルクさんでした。口元に指を添えて「シー」という仕草です。びっくりしましたねぇ。コンサートが終わったあと、サインをお願いしました。今思えば失礼な話ですが、手元に紙がなかったので、鞄の中にあった板坂元著「続:考える技術・書く技術」(講談社現代新書)の表3にサインをお願いしました。私の万年筆を手に、笑顔で書いていただきました。私にとって初めてで最後のサインのおねだりでした。

 ラフマニノフの曲を選んだのには訳があります。先週、庭の片隅に白いライラックの木を植えました。何年か前、映画『ラフマニノフ ある愛の調べ』を見て、なぜか白いライラックの花が印象に残っています。私には、ラフマニノフのように美しい女性からライラックの花束をいただくことはあり得ません(笑)。花木を植え付けるのに最適なこの時期、ホームセンターで1メートルほどに育った苗木を見つけました。


 ところで先週末、私は縁あって高等学校の卒業式にご招待をいただきました。式場には、未だ初々しさの残る、そんな生徒たちが神妙な顔つきで座っています。卒業証書の授与、校長先生の式辞に続いて、在校生総代が送辞を述べ、卒業生総代が答辞を述べます。ここまでは定番ですが、答辞が終わると、急に卒業生全員が保護者席に向きを変え、総代の合図で「育てていただいて有難うございました」と。これにはカメラを手にした保護者の方々も感無量といったご様子でした。最後は校歌斉唱、次いで川嶋あい作詞作曲の「旅立ちの日に・・・」を一緒に歌います。目の前に座っていた女子生徒たちの目が潤んで見えました。久しぶりに素敵な卒業式を拝見しました。

 私が高校を卒業したのは44年も前、1969年のことです。偶然の一致というべきか、ちょうどその日の夜、大阪・淀屋橋界隈で開かれた高校のクラス会に出席しました。在阪の仲間8人(男性5人、女性3人)が集まりました。新年会が遅れに遅れて開催に漕ぎ着けたものです。
 御堂筋から少し横道に入ったところにあるお店ですから、三々五々、会社帰りの風情で仲間が集まってきます。リタイアを前に最後のお勤めに励む者、早々と第二の人生を歩いている者、孫の成長を楽しみにしている者など、様々です。その日の卒業式の模様を紹介すると、みんな44年前にタイムスリップしたようでした。
 「○○さんは今どうしているの」「お正月に田舎に帰ったら、ばったり○○君に会った」「お米だけは今も田舎から取り寄せている」など、話題には事欠きません。高校を出て直ぐに就職する友人も多かった時代、御堂筋沿いの道修町の会社に就職した彼は、初め都会の喧騒に戸惑い道に迷って苦労したことなど面白おかしく話してくれました。頑張り屋の彼も今は執行役員です。
 でも寄る年波には勝てません。最後はどうしても親の介護、自分の老後のことに話題が集中します。一線から退く時期もそう遠くない世代のこと、時間にゆとりが持てるようになったら皆で遠出をしよう、小旅行も企画しよう。意気投合しました。時空を越えて、昔と同じように会話が弾む、同級生ならではの絆の確かさを思ったものでした。成長期に、共に育った自然環境(場)が人の心を吸引するのでしょうか。

 社会に巣立つ者いれば、絆を確かめ合う初老もいる。こうして人間の歴史は流れていくのでしょう。楽しい時間を過ごすことができました。

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