心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

空海の次は広岡浅子の風景

2015-09-26 23:31:43 | Weblog

  今朝、ゴンタ爺さんと早朝散歩にでかけるとき、庭にキンモクセイの芳しい香りが漂っていました。ここ数年、開花の時期が早まっているように思いますが、どうなんでしょうか。我が街では、キンモクセイを生垣につかうお家が多く、当分の間、いたるところで清々しい香りを楽しむことができそうです。反面、数日前まで咲き誇っていたヒガンバナが終わりに近づいています。秋の深まりを感じる今日この頃です。
 そんな秋の週末、出雲の姉から新米が届きました。田舎にいた頃は当たり前のように食べていたお米も、今はブランド米として高値で販売されている懐かしいお米です。全山紅葉に包まれる田舎の風景がぼんやりと浮かんできます。
 さて、夕食を終えて一段落すると、なんとなくPCに向かいます。ブログの更新作業です。別に必ず毎週しなければならないわけでもないのに、体が動いてしまいます。といっても今週は5連休でした。お休み繋がりで、とっさには題材が浮かびません。こんなときは、音楽を聴くに限ります。LPレコード棚から「リヒテル/シューベルト(ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調《遺作》」を取り出しました。40数年前、正確には1972年の夏から秋にかけて、リヒテルがザルツブルク近郊のアニフ宮殿で録音したものです。
 ところで、この夏、高野山にでかけ、非日常体験に触発されて読み進んできた「空海の風景」。数冊の本を同時並行に読み進む私にとって、ところどころに現れる仏教用語と漢文は、時に読みづらく距離感を置くことになりましたが、先日なんとか最終頁にたどり着きました。1200年も前のこと、史料に準拠しつつも、想像の域を脱しきれないもどかしさがあります。それでも空海という人物のひととなりをぼんやりとイメージできたのは幸いでした。また、中国伝来の仏教が、いくつかの宗派に分かれ、とりわけ真言密教を立ち上げた空海と天台宗を拠り所とする最澄の関係、奈良仏教と平安京との関係、当時の遣唐使のことなど、セピア色の幻灯機を見ているようでもありました。
  四国は讃岐に生まれた空海という一人の人間が、「お大師さま」と言われる存在に変わっていくこのと不思議。まだまだ見えていませんが、その入口には立つことができたように思います。
 なによりも、インドを起源とする仏教の不可思議な世界、ある種、哲学でもある世界に足を踏み入れたようにも思います。そしてふっと思ったのは、南方熊楠の難解な「南方曼荼羅」のこと。深遠な世界観の奥底に、高野山、真言密教、大日如来といった風景が見え隠れしています。いまの私には、これ以上極めるゆとりはありません。当面、こころの奥底に寝かせて、熟成させましょう。いずれ適度に解きほぐされ、豊かな芳香を発してくれるのだろうと思います。
 その締め括りに、9月21日、京都の東寺に参詣しました。この日は、835年4月21日に入定した空海の「御影供」の日。弘法市が開かれ、数えきれないほどのお店が立ち並び、広い境内は参拝客でいっぱいでした。これほどに人を惹きつけるものはいったいなんでしょうか。
 振り返ってみると、5連休のうち家にいたのは2日、あと3日はすべて京都にでかけたことになります。嵯峨野、東寺、そして知恩院に行きました。次男君の結婚式場が高台寺の門前、日本画家・竹内栖鳳の元私邸の式場に決まったようなので、知恩院のあとそちらも覗いてみました。どこで探してきたのやら。少し遅めの結婚式ですが、ひとつの思い出づくりなんでしょう。それにしても、結婚式まで3か月というのに、来月から1カ月ほどフランスに出張だとか。私の若い頃に似て、仕事最優先の生活をしているご様子です。それでも良いと言ってくれたお嫁さんに感謝しなければなりません。

 お嫁さんといえば、京都の三井家から堂島の加島屋に嫁いだ広岡浅子の生涯を描いた、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が来週から始まります。それに関連してナカノシマ大学11月講座「広岡浅子の引力と土佐堀川」(講師:玉岡かおる)の受講票が昨日届きました。そんなこともあってきょうの土曜休日、テレビ小説の元になった古川智映子著「小説土佐堀川(広岡浅子の生涯)」を読み始めました。
 実際の浅子とは違い過ぎる女優さんの登用ということもあり、原典となった小説を通じて幕末から明治を生きた女性実業家の姿を見つめてみたいと思っています。 でも、三井家のお嬢さんが、胸にピストルを秘めて筑豊の炭坑夫たちとやりあう場面は、「九転十起」の信念とはいえ、少し不自然さを覚えます。それでも、誇張に耐えうるだけの存在感はあったのでしょう。当時、大阪実業界に君臨していた五代友厚との出会いも納得です。

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初秋の嵯峨野を歩く

2015-09-20 10:03:30 | Weblog

 土・日+敬老の日+祝日+秋分の日と続き、5連休となりました。お盆休みが終わり、徐々にスピードアップしてきたところでの連休は、なにやら出鼻をくじかれた気がしないでもありませんが、お休みがいただけるということはありがたいことです。といっても1年後には毎日が休日になるのですが.......。(笑)
 そういえば先日、採用面接に立会いながら、40数年前の自分の姿を思い出していました。まだまだ荒削りな世界観をひっさげて社会への扉を叩く。そんな若者たちに完璧性を求めてもしようがありません。おじさんたちの期待する答えを求めるのではなく、周到に準備してきた答えとは違う視点からさりげない問を投げかける、それにどう答えてくれるのか。彼ら彼女らの日々の生き方に目を向けます。そんな期待感をもって次代を担う若者たちを見つめました。
  さてさて、連休初日の昨日は、初秋の嵯峨野を歩きました。まずは家内が予約していた嵐山日帰り温泉と京料理です。お昼前に旅館に到着すると温泉につかって寛ぎます。そして昼食。3時間ほど滞在して、疲れを癒しました。さあてどこへ行こう?地図を見ながら、ああでもないこうでもないと、いろんなコースを考えます。観光客が集中する渡月橋界隈や天龍寺を避け、奥嵯峨に向かいました。
  まずは有名な竹林の道に入りました。観光客が少なくはなかったのですが、それでも周囲の風景に圧倒されます。大河内山荘、トロッコ嵐山駅を通過、小倉池を横目に常寂光寺に向かいます。次は、江戸初期の俳人・向井去来が晩年を過ごした草庵、落柿舎。師の松尾芭蕉が「嵯峨日記」を書いた所でもあります。私は、この風雅な佇まいが気に入って、学生時代にも友人と訪ねたことがありました。まだ紅葉には早いのですが、柿の実や水引や紫式部の草花が初秋の訪れを告げています。
 次に向かったのは平家物語の舞台となった祇王寺と滝口寺。なかでも滝口寺は観光客が訪れるでもなく、私たち2人だけ。ひっそりとしていました。手入れも十分ではなく、庭も自然任せで、やや寂しい風情のお寺でした。
 その昔、平重盛の侍・滝口入道と建礼門院付きの女官・横笛との悲恋の舞台です。平家物語巻第十「横笛」「高野の巻」に登場します。父の信頼と見初めた女性のどちらを取るか迷った滝口入道は、第三の道、出家の道を選び、この山寺に身を寄せます。風の便りでそれを知った横笛が滝口入道に会いに来ますが、そういう者はいないと突き返す。横笛は泣く泣く帰って行きました。未練が残ったまま別れた女性に住まいを見つけられたからには修行の妨げになると、滝口入道は高野山に移ります。のちに高野の聖といわれる高僧になったのだとか。これって男性の身勝手??
 もとは往生院三宝寺と言われていました。明治初期の廃仏毀釈で廃寺となったあと、昭和の初め滝口寺として再建されましたが、残念ながら茅葺き屋根は今にも朽ちようとしています。祭壇には、滝口入道と横笛の木像が寄り添うように配置してありました。生い茂った庭を眺めながら、この寺の悲しい歴史を思いました。
 連休初日の万歩計は1万6千歩を記しました。今朝は足腰が少し悲鳴を上げています。今日は自宅でゆっくりしましょう。先週種まきをした野菜も、みんな芽が出ています。 これから間引き作業が続きます。夏にたくさんの実がなったゴーヤは片づけましょう。あとは、音楽を聴きながら読書でもして過ごします。「空海の風景(下)」も残すところあとわずか。頭の片隅で平安時代の日本社会が走馬燈のようにぼんやりと浮かびあがっては消えていきます。
 そうそう、次男くんの結婚式の日程が決まったようです。年末の仕事納めが終わった頃だとか。明後日はお彼岸でもありますので、二人を連れて京都・知恩院にご報告の参拝です。夕刻からは京都のレストランに長女一家も合流して婚約お祝いの宴を開きます。私の子育ても完全に終わろうとしています。

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次の朝ドラの主人公は明治の女傑・広岡浅子

2015-09-12 23:38:48 | Weblog

  急に秋めいてきました。ゴンタ爺さんとの早朝散歩も、爽やかな空気が充満しています。ゴンタも一生懸命に歩きます。若い頃は私の前を歩いていましたが、今は違います。ゴンタの歩調に合わせて歩きます。
 今日は、国政調査のインターネット回答をしたあと、雨で伸び伸びになっていた秋冬野菜の種まきをしました。最後まで残っていた青唐辛子の実を収穫し、ニンジン、ホーレンソウ、シュンギクの種を蒔き、ネギとブロッコリーの苗を植えました。野菜作りの腕が上がってきているので(?)、年末には美味しくいただけるでしょう。
 そうそう、盆明けから始まったお隣の整地作業も終盤を迎え、ほぼ更地の状態になりました。それでなくても広い敷地がさらに広く感じます。遮るものがなくなったせいで、私の部屋からは遠くまで見渡せるようになりました。さあて、土曜の夜は、先日いただいたモーツァルト・ピアノ協奏曲のLPレコードを聴きながら、音源のデジタル化を進めることにいたしましょう。
 さて、今日のお題は、大阪・中之島界隈を拠点に新しい「学びの場」を提供するナカノシマ大学発行の「月刊島民」(無料)。橋を渡る人の「街事情」マガジンというサブタイトルがついています。今月の特集は「豪商、どうでしょう。」でした。ページをめくると、豪商「加島屋」の歴史を紐解きに、玉岡かおるさんと大同生命の特別展示室へ。そして記事は「この9月末より始まるNHKの朝の連続テレビ小説は、傾いた嫁ぎ先の豪商「加島屋」を立て直した明治の女傑・広岡浅子がモデル。土佐堀川にかかる肥後橋のたもとで創業113年を迎えた大同生命の礎を築いた人物だ」と続きます。
 玉岡かおるさんといえば、「お家さん」「天涯の船」「銀のみち一条」、そして昨年の夏に読んだ「負けんとき」の著者ですが、江戸末期から明治・大正期を力強く生きる女性の姿を追う作品が多く、いま注目している小説家の一人です。
 彼女との出会いは、何年か前、電鉄会社の100周年記念シンポジウムでした。歯に衣着せぬ物言いに、いったいこの人は何者?以来、文庫本を読みあさりました。「お家さん」では、幻の総合商社といわれる鈴木商店の当主を務めた鈴木よねに出会いました。「銀のみち一条」に触発されて生野銀山を歩きました。「天涯の船」は明治初期にアメリカ留学経験をもつ女性、そして「負けんとき」はキリスト教伝道のため来日し近江兄弟社を設立した建築家ヴォーリズと妻・一柳満喜子の生涯。いずれも藩主あるいは名士のお姫様が主人公です。
 ナカノシマ大学11月講座は、その玉岡さんを講師に「広岡浅子の”引力”と新しい風~ヴォーリズ満喜子、村岡花子、市川房枝~」を開講します。会場は、かつて加島屋のあった場所に立つ大同生命大阪本社ビル。さっそく受講申込をいたしました。
 朝ドラの主人公である広岡浅子は、「負けんとき」の中にも登場します。広岡の娘婿・恵三の妹がヴォーリズの妻・一柳満喜子です。広岡は企業経営だけでなく、日本女子大学の創設にも尽力します。その夏期勉強会に集まった学生の中には、「赤毛のアン」の翻訳で有名な村岡花子や、政治家・市川房枝の姿も。これまで、どちらかといえば男性を主役として歴史を見つめてきた私にとって、激動の時代を女性たちがどう振舞ったのかという視点は新鮮です。残念ながら朝ドラの放送時間帯は通勤電車の中ですが......。
 いろいろ興味が尽きないことが多い歳になりました。明日の日曜日は、久しぶりにお勉強会のために京都にでかけます。テーマは「こころと歴史性」。案内書には「複雑化した問題に直面している人間の「こころ」に焦点をあて、「こころ」という日本語に含まれる広がりや深いニュアンスを大切にしながら、豊かなこころがはぐぐまれる社会のあり方について議論します」とあります。遊んでこようと思います。
 ところで、ブログ「心の風景」を始めて11年目を迎えようとしています。オープン4000日記念、といったところでしょうか。でも、4000本安打なら凄いなぁと思いますが、日にちに置き換えてみると、なんとも実感が湧いてきません。そもそも何を記念する?なにもないですねぇ。そんなもんでしょうよ。きっと。(笑)  

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ソナタを聴きながら川の歴史を想う

2015-09-05 23:27:38 | Weblog

  雨が降ったりやんだり、急に寒くなったと思ったら暑さがぶり返したりと、落着きのない1週間でした。これも季節の変わり目ということなんでしょう。我が家の睡蓮もことし最後の花を咲かせています。
  先日、向かいのお家のご主人からこんなメッセージをいただきました。「レコード音楽を楽しんでおられるものと存じます。当方には、だいぶ前からレコードを聴く装置がありません。僅かに残っているレコードとしてモーツアルトのピアノ協奏曲(外国製)があります。昔、香港で買ったものです。数回聴いた程度ですから傷んでいないはずです。もらっていただくとありがたいです。その他、上方落語全集もあります。もし、よければ」と。
 さっそくお邪魔して、モーツアルトのピアノ協奏曲全集(洋盤5枚組)をいただきました。アルフレッド・ブレンデルのピアノ、ネヴィル・マリナー指揮のアカデミー室内管弦楽団の演奏です。このほか、アシュケナージ奏でるベートーヴェンのピアノ協奏曲ほか数枚。ご主人が長く海外勤務をされていたので、その折のものかと。これとは別に、NHK上方落語名人選10枚組までいただきました。時間を見つけて音源をデジタル化してお返ししたいと思っています。で、ふと思い出しました。父が愛用した蓄音機とたくさんのSPレコードはどうなったことやら。
 先週土曜の深夜、マルタ・アルゲリッチの演奏風景をEテレで観ました。若かりし頃とは異なるアルゲリッチの演奏。いつも最高の演奏を追い求める姿は、今も昔も変わりません。まっすぐ前を見つめて生きる、そんな姿を思ったものです。そのアルゲリッチさんは、骨折して療養中だった指揮者の小澤征爾さんの指揮で、ベートーヴェンの「合唱幻想曲」を共演されたよう。小澤さんの80歳のバースデイコンサートでした。
 ところで、きょうの毎日新聞「名作の現場」は「伊勢物語」がテーマでした。平安前期のころ、恋に生きた在原業平が、京の都を離れて「東下り」をする。三河の八橋や駿河で都を思い、隅田川で都鳥に遭遇して涙を流す。そんなお話しです。隅田川といえば東京スカイツリーのあるところ。私は7月に訪れました。千年という時を経て、あたりの風景は様変わりしています。今の姿は業平にとって想像すらできないでしょう。
 川は農耕民族にとって自然の恵みです。しかし、時に荒れ狂うことだってあります。人の移動を妨げもします。二千年も昔、ローマ帝国とゲルマンとの闘いは、どちらがライン川を征するかにかかっていたように思います。カエサルは小舟を並べて、そのうえに橋を架けた。千年前の日本でも、まずは渡し舟が登場します。業平も渡し舟に乗ったことです。その後、技術の進歩とともに、橋が架けられるようになります。
 私の実家も、すぐ近くに斐伊川が流れていました。川に行くと、いろいろな発見がありました。時に、川が怒り、ごうごうとうねりを立てながら流れていく場面を恐る恐る見つめたこともありました。でも、快晴の日は、浅瀬がかっこうの遊び場になりました。
 水の都と言われる大阪も、たくさんの川が流れ、たくさんの橋が架かっています。昨日、所要で大阪・北浜の大阪取引所界隈にでかけていましたが、京阪電車の北浜駅を降りてすぐのところに、大川にかかる難波橋があります。その南詰にライオンの石像があり、通称「ライオン橋」とも言われています。この難波橋も、元をただせば伊勢物語の時代とほぼ同じころ、704年ごろ行基によって架けられたそうです。商業の街大阪にとって、川は重要な移動手段「道」でもありました。
 この夏以後、8世紀の日本の風景の中に佇む私がいます。司馬遼太郎の「空海の風景」も、やや取っつき難さはあったものの、やっと上巻を読み終えたところです。全く異なる時代のお話しですから、なかなか心がついてきてくれません。それでも、行く手を阻む大河の流れ、砂埃の舞う唐の時代の長安の街がぼんやり見えてきます。不合理な現実世界とは異なる人の営みが、そこにはあります。

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