心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

2017年の運勢は「大吉」

2017-01-02 23:04:03 | Weblog

あけましておめでとうございます。2017年という新しい年を清々しい心でお迎えになったことと思います。本年もどうぞよろしくお願いをいたします。

 さて、ふだん老夫婦で静かに暮らしている我が家は、年末から孫5人を含めて総勢13名の大家族となり、食事どきは大騒ぎの毎日が続きました。ひと昔前なら当たり前の風景でしょうが、核家族化の時代にあって家内も大奮闘。きょう最後の一陣が東京に戻って、急に静かになった我が家です。ふたりで静かに「お正月」を祝いました(笑)
 元旦の早朝、いつもどおりお不動さんに初詣にでかけました。朝早く参拝したためか人出は少なく、静かに新年のお参りをすることができました。そのとき引いた今年の御神籤は「大吉」と出ました。「花も開けば散り 月も満ちかける 人生は巻き戻せず今この瞬間も時を刻む」「自然の理に従い 受け入れ生きることであなたなりの幸せの道筋も見えてくる」とあります。当たり前のことのように思いますが、読み込んでいくと意味深いものを感じます。言葉のひとつひとつを素直に受け入れる私がいました。
 御籤の中には、開運招福お守りとして、小さな「鷽鳥(うそどり)」の縁起物一体が入っていました。説明書には「一年中のよくない事を嘘にして吉と取り換える”うそ替え”神事」とあり、「幸運の守り神として信仰があり広く親しまれている」「財布の中に入れて大切にお持ちください」と記されていました。良いことばかりです(笑)
 信じるか信じないかは人それぞれですが、現役時代に近代科学の粋を凝らした高層ビル建設の地鎮祭に列席したとき、建築学の最先端を行く研究者の方に「なぜ氏神さまを信じるのか」と問いかけました。すると「地鎮祭をしないなんて考えられない」と。「どうして?」と思いましたが、ご自分ひとりで大きな責任を負うことはできないということなんでしょうか。
 そういえば以前、ブログで小林秀雄の講演CD「信ずることと考えること」に触れたことがあります。......「信じること」は責任をとることだ。信ずる力を失うと人間は責任を取らなくなる。すると人間は集団的になる。誰も自分の責任は問わない。「考える」とは付き合うという意味だ。だから、人間について考えるとは、その人と交わることだ。それは科学の方法では駄目だ。その人の身になって考えなければ駄目だ。しかし考えるためには、大きな想像力がいると。
 ひとりの人間の生き仕方も同じかもしれません。社会に対して、時代に対して、ひとりの人間としてどう向き合い責任を果たすことができるのか。今年1年の課題になりそうです。.....と、難しいことを書いてしまいましたが、ここは肩の力を抜いて、自分の置かれている環境を素直に受け止め、考えていきたいと思います。
 そんなお正月を迎えた元旦の夜、NHKテレビで「ウィーン・フィルニューイヤーコンサート2017」をオーストリア・ウィーン楽友協会からの生中継で見ました。といってもおおぜいの孫たちに囲まれていましたので、きょうその録画を見ました。指揮は、ニューイヤーコンサート史上最年少35歳のグスターボ・ドゥダメルさん。テレビ画面には、市立公園にあるヨハンシュトラウス像やカールズ教会など、半月前に歩いた風景も現れ、楽しい時間を過ごしました。
 ちなみに、今年は6月下旬にフェスティバルホールで開かれるプッチーニの歌劇「トスカ」のチケットを年末の先行予約でゲットしています。久しぶりにアンジェラ・ゲオルギュー(http://www.angelagheorghiu.com/)のソプラノが聴けるのが楽しみです。
 

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