心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

淀川の治水翁

2010-09-26 09:57:23 | Weblog
 9月最後の日曜日の気温は21度。つい半月前とはずいぶん違い、そう、間違いなく「秋」なのです。そんな早朝、いつものように短パンと半袖で愛犬ゴンタと朝のお散歩に出かけたら、寒さが肌に沁みます。でも、その肌寒さが四季の移り変わりを実感させる、そんな嬉しい秋の休日です。
 ところで、2週間ほど前、堂島で開かれたパネルディスカッションで初めてお目にかかった作家の玉岡かおるさんが気になって、そのあと先日発売された新潮文庫の「お家さん」(上下)を2週間かけて読み終えました。大正から昭和の初め、神戸の小さな洋糖輸入商から始まり、のちに世界をまたにかけた巨大商社へと急成長しながら、その姿を消した鈴木商店の生きざまを、オーナーの鈴木よねの視点から語ったものです。日本の近代経済史のひとコマをみるようで、ついつい読み進んでしまいました。丁稚から培った「商売」に軸足をおく大番頭の金子直吉と、近代経営手法を学んだ高商組(高等商業専門学校出身)との間にあった隙間がだんだん大きくなる、そんな時代の大きな流れの中で巨艦が瓦解していく、時代のスペクタルのようでもありました。私利私欲に走るではなく国家、社会のために、そしてなによりもお家さん(鈴木よね)のために働いた直吉は、時代の変化の前にその役割を終えました。でも、直吉の仕事にかける情熱、気骨、執念。現代人がどこかに置き忘れているような気もします。
 そんなことを考えながら、きのうは少し早い目に職場を離れると梅田の繁華街にでかけ、旭屋書店に立ち寄りました。こんどは、日本の資本主義の父とも称される渋沢栄一の新書と文庫本を買いました。渋沢はCSR(企業の社会的責任)の先駆者のような企業人。こちらも先のパネルディスカッションで身近に感じた方でした。どうも最近、この種の本を読みながら現実社会とのギャップをどう埋めようかと考える時間が増えています。ついでに、プレイガイドに立ち寄って11月の下旬にある指揮者の西本智実とチェロ奏者ミッシャ・マイスキーのジョイントコンサートのチケットまで買ってしまいました。今年の聴き納めになります。

 そんなお気軽な週末、夕刻には、中央公会堂界隈のイタリアン・レストランで開かれた小川清著「淀川の治水翁・大橋房太郎伝」の出版記念パーティーに出席してきました。大橋さんの曾孫にあたる歌手・中村扶実さんからご案内をいただいたものでした。照明に照らされた中央公会堂が夜の闇に浮かびあがる、そんな中之島の夜景をバックに、パーティーは旭区民合唱団リリオと中村さんによる合唱「MIO澪」で始まりました。

 大橋房太郎という方は、大阪の母なる川、淀川の治水に半生を捧げ淀川の大改修に取り組んだ明治の人です。その改修から数えて今年が100年に当たることで、郷土史家の小川さんが本を出版されたのでした。小川さんの進行で出版の裏話や出版をバックアップされた方々の紹介と挨拶が続きました。もちろん、談笑の合間には、中村さんの歌が流れます。ひとつのテーマで集う。ほとんどが初めてお会いする方ばかりですが、自然と話が弾みます。楽しいひとときを過ごすことができました。ちなみに、大橋房太郎は時の内務大臣後藤新平から「治水翁」の称号を与えられます。その後藤と親しく接したのが鈴木商店の金子直吉でした。時代の大きな流れを思いました。このパーティーでは、私自身にも不思議な出会いがありました。
 ワインのほろ酔い気分に、「ビバ!大阪! ビバ!淀川」と心の中で口ずさみながら、大川沿いの夜の遊歩道を歩いて帰途につきました。
コメント

村の鎮守の森

2010-09-19 23:56:37 | Weblog
 『近くに住んでいた綿屋が商用で狭山に行ったとき、狭山池のほとりに美しい娘が悲しそうな顔をして立っていた。声をかけると、「実はこの池の中に恐ろしいものが落ちているので、取り除いてほしいのですが、どなたさまも引き受けてくれません。」と訴える。綿屋は、「そりゃ気の毒に、こんなに深い池ではどなえもなりへん。」と言うと、「いいえ、水は私がなんとかします。」と着物を着たまま池に飛び込んだ。みるみる池の水は干上がってしまった。見ると池の底にピカピカ光った鍬が一本落ちていた。こんあもんかいな、と拾いあげて捨てると、娘は再び現れ、「御礼に何でも差し上げます。」と頭を下げる。「なんにもほしゅうはないが、村では干魃が続いて綿や稲が枯れてしまいことがある。そんな時に雨が降る方法があったら教えてほしい。」と頼みました。「おやすいごようです。」と娘はにっこり笑って、胸の中から鱗を三枚出してきて、「これを村の鎮守様に納めて、お困りの時にお祈りして下さい。」 綿屋は村に戻ってから、若宮八幡に奉納、以来、祈雨の霊験あらたかで、村は繁栄した。』(大阪伝承地誌集成)<旭神社の由緒から抜粋>


 きょうは朝から義父のお墓参りに行きました。その途中、街の一画にある神社に立ち寄りました。その名は若宮八幡宮旭神社(大阪市平野区)です。民家やお寺が立ち並ぶ街のなかに忽然と現れる、この神社は、733年頃に祭られたとあります。西洋で起きた十字軍の歴史よりもさらに古い1200年あまり前から、この土地の人の生活を見守ってきたことになります。

 旭大神(素盞嗚尊、旭牛頭天王)が祭られ、摂社は若宮八幡宮とあります。天照大神、春日大神、堅牢地神、諏訪大神、公守大神、勝手大神、丹生大神、嶋戸大神が合祀されていると聞くと、なにやら南方熊楠の神社合祀反対運動を思い出します。境内に入ると、いちょうの御神木を中心に左に旭神社、右に若宮八幡宮と、ふたつの社殿があります。この一帯は中世以来、環濠都市として独自の発展を遂げて来た「平野郷」といわれます。人の生活に必要な「水」にまつわる故事来歴が多いのも、そういう土地柄だからでしょう。樹齢600年といわれる「くす」が聳えています。樹齢400年の「いちょう」、樹齢300年の「むく」。この3本の樹は、現在、大阪府の文化財(天然記念物)にも指定されています。

 あまり時間がなかったので、今回は拝礼をしたあと足早に眺めただけで失礼をしましたが、境内には、少し変わった狛犬さんや意味不明の不思議な亀(?)の石像、果ては人間の首を置いた石碑(これは気持ち悪くて撮影しませんでした)など、なんとも不思議な世界に迷い込んだような錯覚に陥りました。

 そんな次第で、今日はそのあと家内の親戚を何軒か回ってきました。いつも失礼ばかりしていますが、なんと還暦祝いをいただいてしまいました。それも半端な額ではありません。こんな歳になって自分の生き様にお祝いをいただくなんて。帰りがけに立ち寄った実家でも、デイサービスを受け始めた病弱の義母までお祝いをいただき恐縮した次第です。昔、小さい頃、お正月になると親戚の方々からたくさんのお年玉をいただいたことを思い出してしまいました。
コメント

大阪・堂島界隈

2010-09-12 09:47:14 | Weblog
 9月に入って台風がやってきていくぶん過ごしやすくなったかと思いきや、またも猛暑日の到来です。それでも湿度が下がってきたせいでしょうか、愛犬ゴンタと清々しい朝のお散歩ができました。何よりも空気が澄みきっているのがいい。夏バテ気味の庭の草木も、秋にむけて体調を整えていただきましょう。きょうはこの後、麦藁帽子をかぶって庭のお手入れです。
 ところで、きのうは大阪・中之島の堂島リバーフォーラムであったパネルディスカッション「呼び覚ませ!関西力~渋沢と食いだおれのDNA」(京阪電車開業100周年記念フォーラム)に出席しました。渋沢栄一といえば、約500社の企業設立に関与した「近代日本資本主義の父」と称される人物です。その渋沢氏は京阪電気鉄道の設立にも関与しました。最初の軌道は大阪・天満橋と京都・五条を結ぶものだったそうです。
 実は1週間前の土曜日にも、とあるシンポジウムに参加しましたが、きのうのシンポジウムに出席してひとつ気づいたことがあります。どうも最近この種の催しは、パワーポイントを多用するために意見発表会のようで、気になっていました。電子紙芝居(パワーポイント)を用いて順番に自論を述べる。残りの時間を討議に費やす。しかし時間切れで終了。聴衆は消化不良のまま帰途につくのが一般的です。先週もそのパターンでした。ところがきのうは違いました。パワーポイントは一切なし。パネラーの人となりがそのままステージで輝いている。その何とも言えない語らいが聴衆の心を惹きつけました。これぞ饗宴。拍手あり、笑いあり。さすが大阪!。久しぶりに楽しい時間を過ごせました。

 会場となった堂島界隈は、その昔、全国から船で運ばれてくるお米の集積地だった場所です。様々な藩が蔵屋敷を構え活況を呈していた、とパネラーの一人、作家の玉岡かおるさんがお話になっていました。お帰りに是非、蔵屋敷跡を散策してみてください、とも。これを聴いてそのまま帰る私ではありません。少し辺りを歩いてみました。なんと会場の隣には「豊前国中津藩蔵屋舗跡」の石碑がありました。で、驚いたのですが、その石碑の横に「福澤諭吉生誕地」の記念碑が立っているではありませんか。渋沢栄一といい、福澤諭吉といい、玉岡さんが紹介された鈴木商店といい、近代日本を牽引した人々の足跡に思いを馳せながら、淀屋橋駅まで歩いて帰りました。

 そうそう堂島から少し下ったところに船津橋があります。ここには関西の経済団体が入居する中之島センタービルがあります。私も時々出かけるところですが、ふだんは車で通過することが多く、ゆっくり散策する機会がありませんでした。なんだか得をした気分になりました。途中、渡辺橋近くにあるモンシュシュ堂島本店に立ち寄って、「堂島ロール」と「シンデレラロール」を買って帰りました。いつもは橋の上にまで列ができるほどの盛況ぶりですが、この日は比較的すいていてあまり待たずに買うことができました。老夫婦にハーフ2本は多かったかな。

コメント

HMV天満橋店の閉店

2010-09-05 09:26:09 | Weblog
 9月に入ったのに、まだまだ暑さは続きます。きのう所用があって午後の3時頃に街中を歩きましたが、冷房の利いた室内から出て数分は急激な環境変化に頭が朦朧としてくる、そのうち汗がどっと沸いてくる、まさにサウナ状態でした。いくら元気でも炎天下で農作業でもしようものなら、身体が持たないでしょう。熱中症の怖さを思いました。そんな9月第一週の日曜日、午後にはお出かけの用事がありますが、やはり暑いんでしょうね。ネクタイはやめてクールビズで出かけることにします。
 さてさて、私はよく、大阪・天満橋界隈に出かけたときジュンク堂書店に立ち寄ります。心に余裕があると真向かいのHMV天満橋店にも寄り道して、奥の一画にあるクラシックコーナーで新着CDやDVDを品定めする、それが自然な流れでした。ところが今夏の半ば、ジュンク堂書店を出て当たり前のようにHMVに向かおうとしたら、店が白い板壁に覆われて「閉店いたしました」との案内。ネットで調べてみると、5月の下旬頃に閉店セールをやっていたようですから、つい最近に店じまいをしたのでしょうか。
 そんな折、読売新聞に「HMV渋谷店が閉店」「音楽業界変調」という見出しで特集記事が載っていました。音楽の主流がレコードからCDに移行していった1990年、「英国のHMVが若者の街・渋谷に1号店を構えた」とあります。一時は大勢の客で賑わったCDショップですが、確かに最近は客足が落ちています。私が時々立ち寄る、大阪駅前第一ビル地下1階のWalty堂島さんや京都のJEUGIA三条本店などでも、決して多いわけではありませんが、音楽愛好家の皆さんの熱い支持を受けて頑張っていらっしゃる。JEUGIAといえば昔の十字屋さんで、河原町界隈では清水屋さんと並んで学生の頃よくレコードを買いに行ったお店です。音楽業界は新しい時代に入ったということかもしれません。
 新聞記事によると、ネットによるCD販売やダウンロード販売が増え店舗販売が苦戦している様子です。確かにHMVのサイトを訪問すると、ネット販売に力を入れています。ネットを駆使してCD新着情報を瞬時に入手して、好きなCDを手にする。そんな時代になったということでしょう。でも、実際に現物を手にとっていろいろ眺めながら買う習慣が身についている旧世代人にとっては少し寂しいところがあります。だからついつい中古レコード・CD店に足が向いてしまことになります。とは言え、時代の流れにも一歩遅れながら付いて行くのもボケ防止なのかもしれません。

 今日はスーザン・ボイルさんのCD「I Dreamed A Dream」を聴きながらブログ更新をしています。半年ほど前に知人の方からいただいたこのCDは、知人がロンドン滞在中にHMVで購入していただいたものでした。そのHMVは、もとはと言えばグラモフォン社のトレードマークである蓄音機に耳を傾ける犬、ニッパー君に由来するもので、“His Master’s Voice”、すなわちHMVと命名されたものでした。
コメント