時の経つのは本当に早いものです。今年も早や、6月水無月(みなづき)を迎えようとしています。水無月とは、水を田圃に注ぎいれる月の意、なのだそうですが、いよいよ田植えの季節を迎えたということなんでしょう。日本の原風景が頭をよぎります。
そんなことをぼんやり考えていると、朝日新聞の社説「人口急減社会の問い~生き方の再検討を迫る」(5月26日)を思い出します。記事の詳細は忘れましたが、大都市への人口流出が続けば約半数の市区町村は消滅の可能性がある。国立社会保障・人口問題研究所は、我が国の人口が急速に減少し100年後には現在の3分の1になると推計している。人口を増やすには子供が増えなければならない。そのためには子育てのしやすい社会を作っていかなければならない。高齢者に偏った社会保障の在り方を再検討しなければならない、と。
なるほどと思いながら、しかし、そのまま受け入れられないのは何故か。私の頭の中には、都会の喧噪とは無縁の、田植えの終わった田園風景が浮かんできます。それに対峙するかのように、満員電車に揺られて職場に向かう無表情な人の群、方向性の定まらない海原に彷徨う人々の姿が浮かんできます。あまりにも対照的な風景ではあります。ひょっとしたら、消滅するのは地方の中核都市ではなくて大都市ではないか。行政、企業、教育機関が集中している大都市は、集中しているがゆえの無秩序と脆さのようなものが透けて見えてしまう。コンビニやネオンサインの明るさでは測れない文化度、価値観。年に一度のお祭りに町中が盛り上がる民度。「いえいえ、そう悲観的に物事を考えるのはおよしなさい」。もう一人の私が、耳元で囁きます。
なにやら妙な書き出しになってしまいましたが、自然とペンが動いたということにしておきましょう。明日は小学1年生の孫君の運動会に応援団長としてお誘いを受けていますので、この時間帯でのブログ更新となりました。
そんな土曜休日の昼下がり、久しぶりに大阪駅前第1ビル地下1階にあるWALTY(ワルティ)さんに立ち寄ってきました。いつものようにご主人と店員さんのお二人がいらっしゃいます。店員さんに「お店の中を撮ってもよいですか」と尋ねると、にこりと笑って「どうぞ」と。店の奥では常連さんがステレオの前に陣取ってお気に入りのCDを視聴しています。いつもの風景がそこにはありました。この日手にしたのは館野泉さんのCD「シューマン:クライスレリアーナ&幻想曲」と「シューベルト:ピアノ・ソナタ21番、20番、18番」でした。以前のお店の時から通い続けていますが、都会の喧噪から逃れたいという強迫観念にかられたとき、よくおじゃましてきました。今日もまた、どちらかといえばシニア世代の方々が三々五々いらっしゃっておりました。最近は、店先にアナログレコードも並んでいます。比較的格安のものもあれば、1枚何万円もする貴重なものまで盛りだくさんです。今夜は、館野さんのピアノソナタを聴きながらブログ更新を楽しんでおります。
WALTYさんから地下街を通って堂島のジュンク堂書店に向かいます。そこでは仕事関係の書籍を何冊かを買いました。ビルの外に出ると、30度を超える暑さ。中之島界隈は黄砂の影響でしょうか、遠くのビルが霞んで見えるほどでした。汗だくになりながら、やっとのことで淀屋橋に辿り着くと、堪らずビアレストランに直行です。冷たい生ビールをいただいてひと休みでした。CDの解説やら買ったばかりの書籍に目を通しながら、汗が引いたところで、電車に乗ってお家に帰りました。
家に着くと、庭の木々が初夏の陽に疲れ、草花はぐったりしています。一方で、先日植えた野菜の苗はすくすくと育っています。トマトはもう花が咲き始めました。ゴーヤやキュウリもしっかりとツルを伸ばし、この夏はどういう姿になろうかと思案中のご様子です。水無月を前に、たっぷりと水遣りをしてあげました。他愛ない土いじりを通じて、心の原点回帰を試みているのかもしれません。