心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

同行二人~空海と歩いた秋の四国路

2017-09-28 21:35:55 | 四国遍路

 音楽講座最終回のテーマは「音楽の楽しみ~日本歌曲の世界へようこそ」でした。会場は大阪市中央公会堂3階の小会議室。ソプラノ歌手、フルート、ピアノの演奏を交えて、日本歌曲の歴史、唱歌教育の流れ、滝廉太郎に続く日本歌曲作家についてお話しをお聴きしました。
 日本歌曲の起源は奈良時代、平安時代。入唐した空海と円仁により伝えられた真言声明、天台声明にまで遡ります。その後、戦国時代に宣教師によりキリスト教音楽が、明治期に入り政府による洋楽の積極的導入が行われ、小学唱歌、赤い鳥運動を経て日本歌曲が形成されていったのだそうです。
 きょうは、「ふるさとの四季(春の小川、鯉のぼり、村祭りetc)」「花」「かなりあ」「宵待草」「花の街」などの歌を聴きました。先日、二泊三日で「歩き遍路」をしてきたばかりの私です。ものごとを素直に受け入れられる高い感性をもって、心に沁みわたる感動を覚えたものでした。
 今回の「歩き遍路」は、1番霊山寺→2番極楽寺→3番金泉寺→(愛染院)→4番大日寺→5番地蔵寺→6番安楽寺(約17キロ)。安楽寺の宿坊に泊まった翌日に、7番十楽寺→8番熊谷寺→9番法輪寺→10番切幡寺→11番藤井寺(約22キロ)という流れで巡りました。秋の清々しい空気を全身で受け止めながら、気持ちよく歩くことができました。
 朝7時に宿を出発します。車道ではなく昔ながらの遍路道を歩いていると、自転車に乗って学校に向かう子どもたちが「おはようございます」と大きな声で挨拶をしてくれます。すれ違う大人の方々も気楽に声をかけてくださいました。庭先で遊んでいた幼児まで、「こんにちわ」と挨拶してくれました。地元ではお遍路さんはお大師さんの変り身という言い伝えがあるという話を聞いたことがあります。こうしたお遍路の文化は今も受け継がれています。
(注)下の写真は1番札所・霊山寺を出発する私です。他の写真で赤いリュックを担いでいる方は私ではありません。
 「お接待」も初めての経験でした。宿をでるとき、民宿のお母さんからサランラップに包んだ「おにぎり」2個をいただきました。小さな農道を歩いていると、後ろから軽自動車がやってきて、お爺さんが「これお接待です。どうぞ受け取ってください」と小さな袋につめたお菓子を差し出してくれました。お接待ということは知ってはいましたが、実際にあるとは驚きました。何かしら心温まるものを感じたものです。
 バスツアーと決定的に違うのは、自分の足で「昔の遍路道」を辿ることができたことでした。車道をはずれ細い畦道を歩いていく。竹林を歩く。足元には「マムシ注意」という看板もありました。2回、マムシに出くわしました。少し怖かった(笑)。
 一番印象深かったのは、切幡寺から藤井寺までの約10キロの道のりでした。刈入れが終わった田圃や畑が広がる田園地帯に伸びる遍路道をひたすら歩きました。圧巻は、一級河川である吉野川の、阿波市と吉野川市をまたぐ中州「善入寺島」(2キロ)です。そこに2本の橋が架かり、その間に広大な農地が広がります。なかでも川島橋の素晴らしい姿に見とれてしまいました。この橋、洪水に耐えられるように欄干がありませんので、通称「潜水橋」と呼ばれています。水は澄み、鮎がたくさん泳いでいました。
 昔の人は、歩いて旅をしました。次に向かう山の中腹を眺めると、あまりの遠さに怖気づいてしまいますが、中腹の藤井寺に行くという「目的」があると、足が自然に動きます。道端にあるお遍路道の矢印を頼りに、あとは自らの位置感覚です。時々、風景に見とれて写真をとったり水分を補給したり。そうこうするうちに目的地に着いてしまいます。
 今回は11ヶ寺を巡りました。昨年一度は訪ねたところですが、目の前に山門が見えてくると嬉しくなり、心の中で「またやってきましたよ」と言う私がいました。手水場で手を清め、本堂と大師堂をお参りをする。開経偈、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三昧耶戒真言、般若心経、光明真言、ご宝号、回向文という一連のお経を、意味も分からないままにすらすらと読み上げる私がいました。 今回歩いていて驚いたのは、外国人の多さでした。宿坊には30人ほどの客が泊まっていましたが、外国の方が5人いました。わたしは、これら外国人のほか、リタイア組3名、学生さん2名、1人旅の女性3名。そんな独り歩き遍路の仲間たち(?)と、追い越し追い越されながら、秋の四国路を歩きました。
 「歩き遍路」も緒についたばかりですが、力んでいた肩の力がなんとなく薄らいだような気がいたします。心穏やかになる自分に気づきます。次回は11月、「遍路ころがし」として知られる焼山寺をめざします。藤井寺の境内から遍路道を歩き、400メートルの山を越え、700メートルの山を越え、その先の900メートルの山頂にある焼山寺をめざします。ほぼ1日かかる難所として知られています。
 こうして初めての「歩き遍路」は無事終了しました。JR徳島線鴨島駅から徳島駅まで戻り、駅前の居酒屋で冷たいビールで独り慰労会(笑)をしたあと、夕刻6時45分発の高速バスに乗って帰阪いたしました。

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『歩き遍路』の前日、ドイツ館に遭遇

2017-09-26 23:57:44 | 四国遍路

 午前11時に大阪駅前のJR高速バスターミナルを出発して一路、四国は徳島に向かいました。渋滞に遭遇して20分遅れの午後2時過ぎに徳島駅に到着すると、急ぎ高徳線に飛び乗り、坂東駅をめざしました。そして坂東駅に到着すると、地図を頼りに歩き始めて10分ほどで第一番札所・霊山寺の山門に着きました。
 明日から始める『歩き遍路』へのご加護をお願いしたあと、さらに北上し、宿泊する観梅苑を通り越して、阿波一宮・大麻比古神社に向かいました。鳥居をくぐると、御神木の楠千年木が出迎えてくれました。本殿をお参りしたあと、広い境内を散策しましたが、なんとも歴史を感じさせる神社でありました。
 その本殿の裏で「ドイツ橋」「眼鏡橋」という矢印に目が留まりました。なんだろう?。鎮守の森を歩いて数分のところに「ドイツ橋」はありました。看板にはこう記されていました。
 「第一次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所に収容されていました。この間、地元住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。帰国を前に記念として母国の土木技術を生かして近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。」

 また、心願の鏡池の看板には、

 「(前略)ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ、当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋をかけた。坂東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯ともし続けている。以来70有余年を経て、この度当神社では上池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して「心願の鏡池」と命名した。」
 なんとも衝撃的な出会いでした。四国の片田舎(失礼)に、おおきな歴史の足跡が残されていたことに深い感銘を受けました。ヨーロッパとは異なる風土のなかで過ごした日々、母国を思うドイツ兵の心が透けて見えてきます。
 大麻比古神社を失礼して、夕刻4時過ぎに予約していた民宿・観梅苑に入りました。すると、部屋の窓から、遠くにヨーロッパ風の建物が見えます。地図を確認すると、鳴門市ドイツ館のようです。ネットで調べてみると、ドイツ兵たちの活動の様子や地域の人々との交流の様子を展示した資料館のよう。
 また、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏されたのが、なんと坂東捕虜収容所であったことも分かりました。来年2018年には「第九」アジア初演100周年を迎えるのだそうです。下の写真は鳴門ドイツ館のホームページに掲載されていた写真をお借りしたものです。素晴らしいコンサートです。100周年記念事業コンサートにはまた訪ねたいと思います。
 民宿の周囲は梅林が広がっています。第一日目の夜は、網戸を閉め窓を全開にして眠りにつきましたが、一晩中、秋の虫の音を子守唄に、久しぶりに深い眠りにつきました。
 坂東に到着した日の印象が強すぎましたので、翌日から始まる『歩き遍路』の模様については、日をかえて近日中にアップする予定です。 

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「自由期」と「新老人期」

2017-09-21 20:31:23 | Weblog

 ステンドグラス工房に通っている家内が、先日、嬉しそうに作品を持って帰りました。手先が器用なことは知っていますが、数か月でこんな作品ができるとは驚きました。不器用な私にはできませんが、モノづくりに熱中できるのは良いことです。
 きのうカレッジの終業式があり、来賓の方の祝辞に妙に納得してしまいました。この夏105歳でお亡くなりになった医師・日野原重明先生の言葉を引用する形でライフサイクルに触れ、35歳から65歳未満は「成年期」、65歳から75歳未満は自分の時間を自由に使える「自由期」、そして75歳以上は自立して生きる「新老人期」なのだと。シニア受講生全員に次への期待を寄せるお話しでした。確かにそうです。現役を退き、たっぷりある時間を思うがままに生きている「自由期」、その真っただ中に私はいます。

 話は変わりますが、家田荘子さんのブログには時々、お寺の香炉の写真が掲載してあります。無病息災を願ってお線香の煙を身体に浴びる風景はよく見かけますが、器としての香炉、それを支える足元に目を向けていらっしゃる。
 今朝、散歩がてらにお参りしたお不動さんの香炉をじっくりと眺めてみました。天邪鬼(あまのじゃく)が三体、一生懸命に香炉を支えています。それも一体一体に豊かな表情があって、宗教的な意味はわかりませんが、ついつい見とれてしまいました。新しい発見です。
 ものを見つめる「視点」によって違う風景が見えてくる、ということなんでしょう。「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」。閉塞感が見え隠れする時代状況のなかで、改めて多様な「視点」の大切さを思ったものでした。
 「視点」といえば、先日、京都こころ会議の第1回国際シンポジウム「こころと共生」に行ってきました。この日は、脳神経科学、分析心理学、宗教学、公共政策、臨床心理学の、国内外の先生方のお話しをお聴きしました。
 注目したのは、広井良典先生の「持続可能な社会、持続可能なこころ」でした。先生は、「現在」という時代を、「日本社会における文脈」「人類史的な文脈」そして「資本主義・ポスト資本主義という文脈」から解説されました。
 約20万年前に人類が誕生して以来今日に至るまでの間に、三つの大きな局面があったのだと。拡大と成長と成熟化へと進む過程で、物質的生産の量的拡大から「内的・文化的発展への転換」が認められるのだと。例えば、農耕社会が成熟段階に入った紀元前5世紀頃、仏教の「慈愛」や「空」、儒教やギリシャ哲学における「徳」、キリスト教の「愛」、などの新しい「価値」「視点」が、地球上に同時多発的に生まれたように.........。
 そして産業化(工業化)社会が定常期(成熟期)に入った現在、GDPに変わる新しい指標、「豊かさ」を表わす新たな「指標」「価値」が生まれてくる段階にさしかかっているのだと。モノが溢れ、情報が溢れる時代、物質の豊かさと心の豊かさが問われる時代、「多様性」の在り様が問われている時代。「こころと共生」というテーマ設定は時宜を得たものでした。
 この日、京の町は台風一過、久しぶりに清々しい秋の一日となりました。シンポジウムの帰りに、何気なく立ち寄った本屋さんで、「日経おとなのOFF」10月号に出会いました(笑)。今号の特集は『歩くの大正解』です。「歩くで医者いらず」「いい歩きはいい足から」「スゴイ歩き方6選」「1日8000歩、うち20分速歩きが新常識」などなど。「体幹ウォーキング」についても詳しく説明してありました。ついつい立ち読みしてしまいましたが、きちんとお持ち帰りでありました。以来、朝だけでなく夜もお散歩をするようになりました。
 あすは街歩き企画の下打ち合わせ(下見)のため仲間と近江八幡に出かけます。今回のテーマはヴォーリズ建築巡り。11月に予定していますが、既に30名近い申し込みがあります.......。そしてあさっては、いよいよ「歩き遍路」です。

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台風18号接近のため出発を順延

2017-09-14 20:53:47 | 四国遍路

 家田荘子さんという方がいます。ブログを拝見すると、「女優、OLなど10以上の職業を経て作家に」なり、「2007年、伝法灌頂を受け、僧侶になり、高野山奥の院、 または総本山金剛峯寺にて、不定期に法話を行っている」と紹介されています。
 そんな家田さんの著書「四国八十八ヵ所つなぎ遍路」に、先日、グランヴィア大阪で知人と待ち合わせをした際、蔦屋書店で出会いました。「つなぎ遍路」ってなに?と思いながらページをめくっていくと、四国一周約千四百キロを、連休をつかって二泊三日でつなげて歩くお遍路の方法なのだそうです。現在、車利用を含めて13巡目。11年間続けていらっしゃるとか。上には上があるもんです。もともと家田さんは、海行、滝行、霊山行など厳しいお勤めを経験された方のようですから、足元にも及びません。そんな家田さん、わたしが毎朝散歩がてらにお参りしている不動尊を、この夏お参りになっていたことをブログで知りました。
(参考)家田荘子ブログ「心のコトバ」 http://blog.excite.co.jp/shokoieda/
 わたしの本棚には、四国遍路に関する本がいつの間にか増えています。遍路に関するもの、空海に関するもの、仏教に関するもの.......。ひとつの特設コーナーができそうです(笑)。でもねえ。悪い癖です。頭でっかちになっていけません。それを切り崩すためにも、歩く。歩いて感じる。四国の風景の中に身を置いて考える。ただひたすら歩く。これしかありません。
 ところがです。明日から二泊三日の日程で「歩き遍路(その1)」に出かける計画でしたが、気がかりなのが台風18号の動向です。きょう夜7時のテレビニュースでは、四国横断もありそうな気配、17日の予報円のど真ん中に徳島がありました。さきほど現地の方に電話をすると、「無理はしない方がいい。日程を変更してはどうか」とのアドバイス。恨めしい台風18号め!急きょ予定を変更し、1週間ずらして来週末に出かけることにしました。ざんねんですが、今回は吉野川に架かる橋長300メートルほどの潜水橋も歩く予定ですから、強風が吹こうものなら足を掬われ吉野川にドボン?の可能性もあります。ここはじっくり構えて進めることにいたしましょう。
(注)下の写真は「橋の博物館とくしま」のHPから引用しました。
 今回の四国遍路には、もうひとつ災難がありました。いろいろ出発の準備をしていたとき、なんと、なんと。愛用のカメラの電源スイッチが外れてしまったのです。このデジタルカメラ(パナソニックLUMIXーGM)は、3年余り前のバレンタインに、家内からプレゼントしていただいたものでした。
 実は去年の秋にも同じ電源スイッチが外れて修理に出したばかりでした。押しボタン式ではなく、リングを横に回すものだったので、使い始めた頃から妙な方向に負荷がかからないだろうかと心配していました。案の定、心配した個所でこけてしまったわけです。ひとつの弱点なんでしょう。
 ともあれ、来月には海外旅行も控えています。急きょ、先日知人と呑み会をしたばかりの梅田に再び足を運び、ヨドバシカメラに向かいました。展示されている種類の多さに圧倒されましたが、上位機種はスルーして、気軽に撮影できる初心者クラスに絞って品定めをしました。お店のお兄さんに相談に乗っていただき、CANONのデジタルカメラ(SX720HS)にしました。ケース、予備のバッテリーなど含めて3万7千円。初心者マーク付きの使い勝手のよさそうなカメラでした。さっそくお花をパチリ。ミラーレス一眼に比べて、やや甘いかなあ?ブログ用ですから贅沢は言いません。
 というわけで、この週末から始まる連休の間、予定表がぽっかり空いてしまいました(笑)。家田さんの本を読んでしまう?カメラをもってどこかに出かける?先日、七五三の家族写真を撮ったという娘の家に行く?それとも断捨離?さあて、どうしましょう(笑)。

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ひたすら歩く~西国三十三カ所巡礼

2017-09-08 20:12:05 | 西国巡礼

  今週のカレッジのテーマは「おとぎ話の音楽~ラヴェルのピアノ連弾のための『マ・メール・ロワ』」でした。がちょうおばさんのお話、といったところでしょうか。お二人のピアニストの連弾やギュスターヴ・ドレの挿絵を交えて、4時間にわたって先生の講義をお聴きしました。
  楽しかったカレッジも、今月で1学年が終わり、10月から始まる新学期には班編成もがらりと変わります。授業のあと、同じ班の仲間たちと呑み会をしました。お別れ会?それとも慰労会?。名目はともあれ、お酒も進み、楽しいひとときを過ごしました。様々な仕事人生、家庭人生を終えた大阪のおばちゃん、おじちゃんたちと学んだこの1年。たくさんの出会いと気づきをいただきました。

 ところで、話は変わりますが、四国八十八カ所「歩き遍路」の出発が1週間後に迫ってきました。何かを思い詰めてのことではありません。ただただ、四国の畦道、原風景を歩きたくて.....。今回は、第一番札所の霊山寺から第十一番札所の藤井寺までの約38キロを、2泊3日の日程で歩いてきます。
 「歩き遍路」ということで、二巡目の今回から菅笠、金剛杖も事前に注文してホテルで受け取ることにしました。30Lのリュックも新調しました。テーピングや外傷治療セットも用意しました。きょうネットでJR高速バス(大阪駅⇔徳島駅)の切符の手配も終わり、いよいよ出発の日を待つばかりです。
 とは言え、夏の間はウォーキングへの参加を控えていましたので、2日間で38キロという距離は少し心配です。そんな折、古本フェアで手にした白洲正子著「西国巡礼」を眺めていて、急きょ、予行演習のために西国三十三カ所を巡ってみることにしました。行き先は、京都市内の第十五番札所の観音寺(今熊野観音寺)から第十九番札所の行願寺(革堂)までの5カ寺。およそ12キロの道のりを4時間かけて歩きました。
 まずは、京都駅からひと駅目の東福寺駅を出発して、第十五番札所・観音寺(今熊野観音寺)に向かいました。8月初旬に座禅と写経を体験した勝林寺、東福寺の横を通って、月輪山の麓に佇む泉涌寺をめざします。せっかくだからと泉涌寺を拝観しました。天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだことに由来するお寺のようですが、大門をくぐると、その先に大きな仏殿と舎利殿がみえます。仏殿に安置される三世仏にご対面したあと、境内を散策しました。
 第十五番札所・新那智山 観音寺はそのお隣にあります。鳥居橋を渡って境内に入ると大きな本堂が見えてきます。略縁起によれば、平安時代の825年頃、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創したお寺で、ご本尊は「大師が熊野権現から授かった一寸八分の観音像を胎内仏として自ら彫刻した十二面観世音菩薩」だそうです。
 西国三十三カ所巡礼用の「納札」を求め、持参した線香と蝋燭を供えて本堂をお参りしました。納経所で御朱印をいただいたあと、大師堂をお参りして失礼をしました。
 京都一周トレイルコース標識に沿って次に向かったのは、第十六番札所・音羽山 清水寺です。ご本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で、延鎮上人が778年に創建したお寺です。観音寺からはおよそ3.5キロほどの距離ですが、どうやら道を間違ったようで、40分もかかってしまいました(笑)。
 こちらはさすがに京都を代表する観光地です。仁王門前には午前中から多くの外国人観光客で溢れ、有名な「音羽の滝」には長い長い行列ができていました。あいにく「舞台」が工事中だったので、本堂でお参りし御朱印をいただいて失礼をしました。
 観光客を避けながら清水坂を下って東大路通りに出ると、今度は第十七番札所・補陀洛山 六波羅蜜寺に向かいます。ご本尊は十一面観世音菩薩、空也上人が951年に創建したお寺です。京の街中にあって、念仏をすすめ、病人や貧者を助け、橋を架けたり井戸を掘ったりしたことから「市の聖」と呼ばれているのだそうです。念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れる伝承を表した「空也上人立像」が安置されていることで有名なお寺です。
 松原橋を歩いて鴨川を渡ったところで、いったん昼休憩です。
 そのあと新京極通りを北上し、途中で六角通りを西に歩いていくと、ビルに囲まれるように佇む第十八番札所・紫雲山 頂法寺(六角堂)が現れます。こちらのご本尊は如意輪観世音菩薩。聖徳太子が587年に創建したという古いお寺です。太子が沐浴をされた池のほとりに小野妹子が始祖の池坊とよばれる住坊があって、そこの僧侶が御宝前に供えた花が、生け花の始まりなのだそうです。境内の隣には池坊会館が建っていました。
 この日最後のお寺は、第十九番札所・霊鹿山 行願寺(革願)です。御所に向かって北上し、裁判所のところで東に入ると、細い道の先の寺町通りと交差するところに行願寺が見えてきます。六角堂からは約1.5キロの道のりでした。ご本尊は千手観世音菩薩、行円上人が1004年に創建したお寺です。古めかしい立派な本堂が印象的でした。
 西国三十三カ所巡礼は、近畿2府4県と岐阜県にまたがる三十三の観音霊場を巡るものです。その始祖は大和国長谷寺を開いた徳道上人、再興の祖が花山法皇と言われています。この6月に第十番札所・明星山 三室戸寺に参拝したときに御朱印帳を戴いていましたので、今回の5カ寺を含めると6カ寺を巡ったことになります。ただ、京都を除いてお寺が広域に点在していますので、年限は設けず、気の向くままに1カ寺ないし数カ寺単位で根気よく歩いてみようと思っています。

 時々、家内から「うちは浄土宗なのに、なんで身体を酷使してまで真言宗のお寺巡りをするの?」という素朴な質問を受けます。私にも分かりません。ただ、千数百年にわたって庶民の信仰の対象であり続けた古めかしいお寺の、本堂や大師堂の薄暗い奥に安置されている仏像に対面したときの不思議な感覚。その一瞬であっても、長い仕事人生の過程で纏った鎧を、一枚また一枚と脱ぎ捨てていく清々しさ。最後に残るものが「私」なんでしょうか.......。答えはいずれ、歩いているうちにぼんやりと見えてくるんだろうなと思っています。 

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