心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「祝祭大狂言会2015」を楽しむ

2015-04-25 23:02:06 | Weblog

 今日は、鶯の囀りで目を覚ましました。街中が柔らかな若葉に包まれ、1年で最も「生命(いのち)」というものを実感する、そんな空気が街に充満しています。
 我が家の庭では、宝塚の清荒神さんにお参りした際に買ったクレマチスが一輪花開きました。山野草の一種ケマンソウも、日陰でひっそりと花をつけています。このケマンソウ、ケシ科に属し、花言葉は「あなたについていく」なのだそうです。なんとも古風な雰囲気を漂わせています。
 さて、ここ数ヶ月、私は古典の世界を彷徨っています。「平家物語」「伊勢物語」「土佐日記」と読み進んで、といっても表面をなぞっているだけですが、それでもなんとなく平安、鎌倉時代の人の考え方の一端に触れようとしている私がいます。この春からは、NHK高校講座「古典」の受講生となり、はるか彼方に置き忘れてきた古文の知識を思い出そうとしています。
 いま読んでいるのは「今昔物語集」(角川ソフィア文庫)です。時代環境はずいぶん変わっているのに、人の根源的なところは、今も昔も変わりはない。1千年という時空間を行ったり来たりしながら、少しおおらかに現実世界を直視する私がいます。
 今日の土曜休日は、家内と一緒に大阪・中之島のフェスティバルホールに出かけました。お目当ては「祝祭大狂言会2015」です。
 まずは茂山千五郎・七五三演じる「靭猿」。狩りに出かけた大名が、毛並みの良い子猿を連れた猿曳に出会い、靭の皮を張り替えたいので、子猿の皮を譲れと迫ります。初めは拒否していた猿曳も、最後は泣く泣く了承しますが、小猿を殺すことなんてできやしません。小猿を演じる子役・茂山鳳仁(7)の愛らしい仕草に会場からも笑い声が響きます。最後は大名と小猿が一緒に舞を舞う、なんともほのぼのとした曲でした。
 二つ目は、野村万作・萬斎演じる「川上」です。吉野の里に住む盲目の男が主人公。川上の地蔵に開眼を祈願すると願いが叶えられますが、それには長年連れ添った妻と別れることが条件でした。なんと理不尽なことを言うお地蔵さんなんでしょう。でも、二人は別れません。すると、夫の目は再び見えなくなってしまいます。夫婦の情愛が伝わってきます。
 そして最後は、野村万作・萬斎、野村又三郎、井上松次郎らが演じる「歌仙」。玉津島明神に奉納した絵馬から6人の歌仙が抜け出てきて月見の宴を張るというものでした。古今和歌集などに登場する歌仙。絶世の美女、小野小町に纏わる仲違いに騒動がエスカレートしますが、時々笑いを誘う楽しい曲でありました。
 暗い場内にステージが浮かび上がる非日常の世界に酔いしれ、ふだん使うことの少ない脳味噌の一部がびんびんと唸る、そんな時間を過ごしました。2700席と言われるホールは、ほぼ満席。老若男女たくさんの方々がお越しになっていました。なんだかほっとする空間でした。

 明日は、統一地方選挙の第二弾の投票日です。暖かい陽の光を浴びながら花壇のお手入れをしてから出かけることにいたしましょう。そのあとは、少し深刻さを増すお仕事の準備でもいたしましょう。
 このところ、土曜の夜のブログ更新が続きます。クラシックプレミアム34号のCD「リスト ピアノ作品集」を聴きながらの作業です。表紙を飾る若き日のマルタアルゲリッチ。私にとっては、若き日のLP時代の憧れのピアニストでもありますが、今も多方面でご活躍です。リタイアしたら別府アルゲリッチ音楽祭に出かけたいと、いつも思っています。 

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「土佐日記」の風景を楽しむ

2015-04-18 23:44:51 | Weblog

 清明(せいめい)の季節。「春の暖かな日差しを受け、天地万物が清らかで生き生きとするころ」(日本の七十二候)の意味だそうですが、まさにそういう季節になってきました。我が家にいち早く春を告げたクリスマスローズも、今は切花になって最後の晴れ姿です。さて、先週に続いて今週も、週末の夜のブログ更新です。今日は勢い余って京都・伏見に足を伸ばしました。
 スキマ時間をみつけては眺めていた「土佐日記」(角川ソフィア文庫)を、数日前に読み終えました。4年間の土佐守としての任務を終えて帰京する紀貫之御一行様の55日間におよぶ船旅を、ブログよろしく日記にしたためたものです。若い頃、職場の仲間と一緒に、大阪と高知の間を車で旅したときのことを思い出しましたが、一千年前の風景と人となりが蘇ってくるようで、仕事の疲れを癒してくれました。
 雨風によっては港に何日も停泊しなければなりません。海賊が頻出する場所では夜の出航もあります。あとは神頼み。楫取(かじとり)との微妙な関係もあります。持て余すほどの時間は、老若男女、歌を詠んで暮らします。なんとも悠長な時代、一部の貴族たちの生活の一端を思わせます。
 大坂に近づくと、住吉明神、難波から淀川へ。鳥飼、枚方、石清水八幡宮、山崎、桂川と現存する地名が登場します。「人に問えば八幡の宮といふ。これを聞きて喜びて、人々拝みたてまつる。山崎の橋見ゆ。嬉しきこと限りなし」。実は、この距離感覚が曖昧だったので、きょう仕事を終えると、京都に向かいました。その途中、京阪電車で八幡市を通過するとき辺りを見渡すと、淀川の向こうの比較的近い位置に山崎の里が見えます。納得です。
 というわけで、めざしたのは、かつての伏見港でした。観光船「十石舟」に乗って、あとは想像を膨らませるだけです。
 現代の船旅は30分程度でした。なんとお酒の香りが漂います。そうです。この一帯は伏見の酒処でもあります。舟を降りると、さっそく月桂冠、黄桜.....と酒蔵巡りを始めました。黄桜の内庭では、なんと「黄桜」という品種の桜が満開でした。家内と一緒に、おいしいお酒と地ビールで喉を潤しました。
 時計をみると、4時前。まだ時間がありそうです。急ぎ宇治に向かいました。日本の中世文化の象徴ともいえる平等院にお参りです。「平家物語」では「宇治橋の死闘と宇治川渡河作戦の敢行」に登場します。源三位頼政は平知盛軍の追撃をうけて、この地で自刃したと言われています。
 角川ソフィア文庫(ビギナーズ・クラシックス日本の古典シリーズ)は、単位毎に、現代語訳、次いで原文、そして解説と続きます。だから、肩肘はらず現代のエッセーでも読んでいるような気軽さで読み進むことができます。これが初心者の古典の楽しみ方なんでしょう。きっと。
 さてさて、この時間になると、足腰が悲鳴をあげています。きょうは少し頑張り過ぎました。スマホの万歩計を見ると1万5千歩になっています。来週は仕事の予定が盛りだくさんですから、明日は大人しくしておきましょう。 

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夜桜を楽しむ。ラジオ深夜便を楽しむ

2015-04-12 00:12:13 | Weblog

 ここ数週間、雨の日が続きました。その合間を縫うように、今日の土曜休日は午後になって久しぶりに青空が広がりました。待ってましたとばかり、延び延びになっていた宝塚の清荒神さんに、年に一度のお参りに出かけました。この時期、参拝客は少なく、参道もひっそりとしていましたが、いつも立ち寄る山野草のお店でケマンソウを、別の園芸店でクレマチスの苗を3種買って帰りました。
 お参りを終えて阪急梅田駅に着いたのが、午後の4時。さてどうしよう。いつの間にか、二人の足は天満橋に向かっていました。目的は9日から始まっている造幣局の「桜の通り抜け」です。大阪生まれの家内は何度も行ったことがあるようですが、私は初めてでした。まずは食事を済ませ、ほろ酔い気分で夜桜を楽しむことにしました。関山、普賢象、松月、紅手毬、芝山、楊貴妃など131品種、350本。大半は遅咲きの八重桜で、今が盛りと花開いておりました。
 それにしても、人の多さには驚きました。大川沿いにはたくさんの夜店が立ち並び、大勢の老若男女が行き交います。縁日の賑わいでした。船遊びを楽しむ者、花見酒を楽しむ者。皆それぞれに春を楽しんでいるご様子でした。

 ということで、慌ただしくも楽しい土曜休日が終わりました。疲れついでに、1日早いブログ更新をすることにいたしました。写真を整理して、あとはとりとめのない文字を連ねていきます。で、何気なく手元のラジオのスイッチを入れたら、ちょうどNHKラジオ第一放送「ラジオ深夜便」の本番。今日のアンカーは、森田美由紀さんでした。いま、「オトナのリクエストアワー」が流れていますが、今日のテーマは「新たなページを彩る曲」。ゲストは作詞家の阿木燿子さんです。
 この「ラジオ深夜便」が今年、25周年を迎えたのだそうです。若い頃、ラジオの深夜放送に慣れ親しんだ「ながら族」世代が、いま高齢期を迎えています。静かな寝室でベッドに身を横たえながら、ラジオのスイッチを入れる。夜の静寂、アンカーの静かな語りに耳を傾けます。私の身の回りには3台のラジオがあります。すべてSONY製ですが、最も古い機種とは20年来のお付き合いです。
 枕元のラジオは一晩中、静かに流れています。別に身構えて聴いているわけではありません。夢現、意識も途切れ途切れ。心の思うままに静かに時間が流れています。それが私の心のバランスを維持しているのでしょう。アンカーは、テレビでお馴染みだった遠藤ふき子さん、須磨佳津江さん、川野一宇さん、宮川泰夫さん、森田美由紀さんなど多彩。初期の頃は山根基世さんのファンでもありました。
 放送を補完するものに雑誌「ラジオ深夜便」があります。360円とお手頃なので、ついつい買ってしまいますが、いつも表紙を飾る中島潔さんの絵が気にいっています。4月号の作品は「春の風」でした。日本の原風景、四季の移ろいと子どもの姿.......。

 さて、明日は統一地方選挙です。投票に行って、その帰りに散髪でもしてきましょう。

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65回目の春

2015-04-05 09:14:36 | Weblog

 最寄りのバス停では、菜の花が満開です。何気ないこんな風景に春を感じます。それにしても最近の天気予報はよく当たります。当たるというよりも、科学的検証を踏まえて予測の精度が高まったということです。昨日は午前中の用事を済ませると、せっかく晴れているのだからお花見でも出かけようと家内を誘いました。でも、花粉症とやらでぐずぐず言っています。そんな家内には、もうひとつ理由がありました。
 先日、久しぶりに広島の知人と食事をしていた夜のこと。「ゴンタが変。出来るだけ早く帰って」のメール。でも、このメールに気づいたのは知人とお別れした後のことでした。電車に乗ろうとすると、「いまやっと落ち着いた。出かけて帰ってきたら紐が絡まったのか外で倒れてた。立てない。ずっと哭いていたみたい。痛み止めの薬を飲ませたら、今は落ち着いて寝てる」と。
 私が帰宅した時は、意識は回復していましたが、まだ立つことはできませんでした。その夜は静かに寝かせました。でもご安心。翌朝は元気な声で▽・w・▽。しっかりと自分の足で立っていました。ひと安心です。歳が歳ですから、ちょっとしたことで体調を崩したり骨折したりするかもしれません。以後、家内は外出を控えています。
 そんなわけで、昨日は近所を散策するに止めました。カメラをもってお出かけです。桜花爛漫の季節、街中が華やかに見えました。公園の桜はすべてソメイヨシノです。この街に引っ越してきた頃に植えた苗木が、いまは立派な花を咲かせて街の人を楽しませています。

 巻第一 春歌上
  見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)
 巻第二 春歌下 
  久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)

 小高い丘から都の春の景色を眺めて詠んだ歌、散っていく桜の花に思いを馳せて詠んだ歌。「古今和歌集」の一節ですが、身体全身で季節の変化を感じる。豊かな感性、心の豊かさ。現代に生きる私たちには少し欠けているのかもしれません。何かに急かされている間に時間だけが徒に通り過ぎていきます。
 公園の横の崖っぷちに、山桜が一本あります。一昨年、市の悪役お代官様がやって来て、大きな幹を選定してしまいました。でも桜木の生命力は凄い。今年は若枝に白い桜を咲かせて復活です。素晴らしい。そんな山桜を見ると、小林秀雄の「本居宣長」を思い出します。
 今日は朝からしとしとと雨が降っています。カーテンをあけると外はどんよりとした空模様です。そんな朝は気楽に聴ける曲がお似合いです。LP「ハンガリー舞曲 ホラ・スタッカート」を取り出しました。珠玉のオーケストラ名曲集といったところでしょうか。ハンガリー舞曲、メヌエット、夜想曲、ポルカ、ガボットなど聞いたことのある曲が2、3分毎に入れ替わります。さらっとした休日の朝、ブログ更新にとりかかりました。


 庭では、今年もアケビの花が咲いています。冬に地植えしたライラックも、青々とした葉っぱの間から花芽がでてきました。今年も何事もなく65回目の春を迎えました。と、ブログ更新を終えようとすると、雨も止み、空が明るくなってきました。

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