心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

高野山に四国遍路3回目満願のお礼参り

2023-12-16 22:53:28 | 四国遍路

 師走を迎えて「来年もよろしく」という言葉が添えてあるメールをいただくようになりました。内心、まだ早いのにと思いつつ、気がつけば12月も半ば。あと2週間もすれば2024年という新しい年を迎えます。そんな気忙しい年末土曜休日の今日、まだ薄暗い朝6時に家を出て和歌山県高野山に向かいました。
 今年1月から始まった四国八十八カ所遍路の旅バスツアーで3回目の満願を終えたお礼参りです。樹齢700年もの杉の木が林立する奥之院では、弘法大師が入定(即身成仏)されたという地下の御法場にお参りをさせていただき、改めて満願の意味を思ったものでした。
 高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地です。宗派は問わず様々な宗派の方々のお墓があります。今日は3回目満願のお礼参りの記念にと「弘法大師・両界曼荼羅図屏風」をいただいて帰りました。
 高野山の裾野にある慈尊院は、古くから女人高野と言われ、弘法大師御母公のお寺として知られています。雨が降りしきるなか、本堂と大師堂をお参りしたあと、お寺の来歴について法話を伺いました。紀の川を使って運ばれる物資を標高800mの高野山に運ぶ山裾の拠点でもあります。その昔、四国や兵庫から運ばれて来た巨大な墓石を高野山に人力で運んだ絵図を拝見して驚きもしました。
 こうして日の出前に出かけるのも今日が最後です。あと何年生きながらえることができるかどうか分かりませんが、高野山へのお礼参りは私にとってひとつの節目でした。

◇   ◇   ◇

 ブログ「心の風景」も年末には開設20年目を迎えようとしています。2004年12月30日付記事「心の風景オープン」はこう記しています。


日々の慌しさの中で、ふっと我に帰る瞬間があります。誰かが目に見えない力で私にブレーキをかけようとしている。そんな瞬間を、私は大事にしています。
何かの本で、人間は独りで「生きている」のではなく「生かされている」のだという話を読んだことがあります。少なくとも社会の動きと乖離して生きていくことはできません。時間と空間の座標軸の中で、自身の存在を見定めることの大切さを学びました。「風景」という言葉を好んで使うのも、そのためです。何千年という歴史を越えて、いま目の前に広がる「風景」の中に、私が生かされているという「事実」を素直に受け止めたいと思っています。
私は時々、都会の喧騒を離れて、小さな山小屋で過ごすことがあります。職場で管理職然としている私と、静かな森の中で樹木の下草を刈る私。超整理手帳を片手に仕事に励む私と、ゆったりと流れる雲を眺めて一日を過ごす私。そのはざまで思う心の葛藤...。何故そんなに急ぐのか、なぜ成長なのか、なぜ発展なのか、なぜ革新なのか。根源的な問いかけを避け、前のめりになって走っていく自分の姿が見えてきます。これでよいか。

 あれから20年、私を取り巻く環境も大きく変わりました。リタイアして7年になります。その間に、歩き遍路を含めて3回も結願(満願)したことになりますが、奥の院の地下御法場で2本の蝋燭の間にぼんやりと浮かんで見える弘法大師のお姿に手を合わせながら、心の風景オープン当時から何も成長していない自分を思います。そんなことに気づいた一日でもありました。

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リタイアして7年。3回目の満願

2023-11-19 10:29:01 | 四国遍路

 久しぶりに清々しい朝を迎えて、気持ちよくお散歩してきました。立ち寄る境内では、七五三を祝う家族連れがちらほら。和やかな風景が見られました。
 そんな初冬の週末、四国八十八カ所遍路の旅も満願を迎えました。振り返ってみると、仕事人生を卒業して7年。コロナのために中弛みもありましたが、その間に3回も満願したことになります。八十八番札所の大窪寺では、薄っすらと雪化粧のなか最後のお務めをさせていただきました。
 早朝、大阪・梅田を出発した頃は雨が降っていましたが、一宮寺、国分寺に到着した頃は晴れ間が覗くお天気に恵まれ、幸先の良いスタートになったと思いきや、根香寺あたりから小雨、その後白峯寺以後は土砂降りの中をお参りしました。
 翌日、屋島寺、八栗寺あたりまで小雨が舞っていましたが、その後は落ち着いたものの、今度は風が強まり、お山の上のお寺では立っているのもひと苦労。最後に向かった大窪寺のある女体山の山頂は薄っすらと雪化粧でした。こうしたお天気の急変にもめげず、結願を果たし、その後、第一番札所・霊山寺に戻って満願とあいなりました。 
 徳島の霊山寺に到着したのは夕刻4時半を回っていました。今年1月出発時に法話を聞いた高齢の尼さんから、読経と満願の祝福、さらにはこれからの生き仕方についてお話しを伺い、12回に及んだお遍路の旅は幕を閉じました。それほど宗教心があるわけではありませんが、なんとなく清々しい気持ちになったものです。
 今回はバスツアーという形で巡ったお遍路の旅でしたが、行く先々で前回歩いて巡った風景が重なり、感慨深いものがありました。よくも歩いて廻ったものだと感心しつつ、旅程に縛られることのない「歩く」ことの解放感に何かしら憧れのようなものを感じました。この歳になると、もう一度歩き遍路という選択肢は非現実的ですが、お天気の良い日を選んでピンポイントで「歩く」ことはひょっとしたらあるかもしれません(笑)。
 大窪寺では、結願を迎えた外国人の若い女性歩きお遍路さんがテレビ局の取材を受けていました。このところ外国人の方々のお遍路姿を見かけることの多かったのも今回の旅の特長でした。
 そういえば、今回のツアーに、シニアに混じって20代の若い女性が一人いました。いつもニコニコしていましたが、般若心経を流ちょうに唱えていました。「お寺の関係の方?」と聞くと「違います」と。夕刻遅く大阪・梅田に到着すると、満願証を手に「お世話になりました」と言って元気に帰って行きました。皆さん、様々な思いを胸にお遍路の旅を楽しまれているご様子でした。
 私はこのあと、来月半ばに高野山にお参りして3回目の満願を報告し、この1年を締めくくることになります。帰宅すると、訃報のため年賀のご挨拶を辞退する旨の葉書が2枚。中には、年賀状仕舞いのお知らせも。少しずつ歳相応の年末年始が近づいてきました。

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弘法大師空海の故郷を巡る

2023-10-22 11:20:11 | 四国遍路

 先週末、讃岐の国・香川県へお遍路ツアーに出かけてきました。66番雲辺寺、67番大興寺、68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、71番弥谷寺、72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺、74番甲山寺、75番善通寺、76番金倉寺そして77番道隆寺の12カ寺です。
 巡ったお寺が多すぎてまとめにくいのですが、ふっと浮かんできたことからご紹介しますと、まずは本山寺。広い境内でひときわ目立つ五重塔と美しい芙蓉の花が浮かんできます。
 今回のお遍路では樹齢千数百年の巨木に何度か出会いました。たかだか70年足らずの人生しか歩んでいない者にとって気の遠くなるような長い間、同じ場所にじっとしてあたりの風景を眺めてきました。
 善通寺では南大門から入ってすぐのところにその大楠はありました。今年は弘法大師空海生誕1250年の年にあたります。この大楠はひょっとしたら空海が幼少の頃からここに立っていたのかもしれません。
大興寺では、本堂に向かう石段の横に、樹齢千二百年あまりのカヤの木(イチイ科の常緑針葉樹)と大楠が聳えていました。
 観音寺では、本堂前に樹齢八百年と言われる大楠が聳えていますが、岩盤の上に立っているのでしょうか。根元が地上に盛り上がっています。凄い生命力です。鐘楼の屋根の下には大きなスズメバチの巣があり、しょっちゅうハチが出入りしていました。

 善通寺界隈は、弘法大師空海(774年~835年)が生まれた所、真魚と呼ばれた幼少期を過ごしたと言われています。その善通寺は、和歌山の高野山、京都の東寺と共に空海の三大霊跡のひとつと言われます。
 まずは、広い伽藍にひときわ目立つ金堂(本堂)に向かい大きな薬師如来坐像に再会しました。空海が生まれた佐伯家の邸宅跡に建つ御影堂近くの御影池には、修行中の空海を真ん中に、中央に弥勒菩薩、左に父(佐伯善通卿)、右には母(玉依御前)の座像が置かれています。
 そういえば、前回、本山寺から弥谷寺に向かうのにずいぶん歩いた記憶があります。やっと参道までたどり着いても、その先本堂まで540段の石段があり大変でした。大師堂の奥には獅子之岩屋という岩窟があり、空海が幼少の頃ここで勉強したと伝えられている神秘的な空間です。
 お参り中に土砂降りの雨に見舞われた出釈迦寺の奥の院には、捨身が嶽禅定と言う言い伝えがあります。弘法大師空海が7歳の頃、絶壁から身を投じたところ天女が現れ抱きとめたとされる遥拝所があります。さあてどうなんでしょう。なにかの拍子に足をすべらせた真魚がうまく木の枝に引っかかって一命をとりとめた、というのが私の見立てですが、信じる信じないは人それぞれです。 こんなお話しもありました。曼荼羅寺の境内に、近くの丘に庵を建てて7年余り暮らしていた平安時代末期の歌僧・西行法師が、時々本堂前の平らな石の上で昼寝をしていたという平らな石があり「西行の昼寝石」と呼ばれています。西行がこのあたりに来ていたことは歴史的事実ですが、昼寝石というのは、信じるか信じないか。
 今回の旅の圧巻は、四国八十八カ所の中ではもっとも高い911mの山頂に建つ雲辺寺です。ロープウエイで7分かけて上りました。山頂に降りると、参道に五百羅漢が建ち並び、聖地の空気が漂います。大師堂横には、優しいお姿の観音像が目に留まりました。なにやら西洋の彫刻を思わせます。そういえば、善通寺の境内には法然上人を祀る祠、親鸞聖人を祀るお堂などがあり、宗派を超えた一大聖地になっています。いま中東では新たな争いが勃発していますが、他を受容する「心」の大切さを思ったものでした。
 そういえば、前回雲辺寺をお参りしたときは、土砂降りの雨の中、遍路道を歩いて下山しましたが、途中で道に迷い次の大興寺に向かうのにずいぶん苦労したことを思い出しました。山を下りてもあたりは田圃ばかりで人家なし。道を尋ねる人もいない。やっとこさ境内裏の入口を見つけました。納経所で次に向かう道を丁寧に教えていただきましたが、この日は疲れ切ってやむなくコミュニティーバスで観音寺駅に向かいました。

 こうして今年1月から始まった四国八十八カ所遍路の旅も来月をもって3回目の結願となります。リタイアして7年、その間に3回巡ったことになります。これでひとつの区切りになります。

【追記】
ブログを更新してから気づきました。私は今週末から来週半ばにかけて、長男君と次男君一家に会うため3泊4日で横浜・東京に出かけてきます。そんなわけで次週の更新はお休みします<m(__)m>。

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四国遍路も伊予の国から讃岐の国へ

2023-09-10 13:53:52 | 四国遍路

 朝目覚めて窓を開けると一瞬ひんやりとした空気が部屋に充満します。庭の木々も幾分元気そうです。でも、朝のお散歩に出かけると次第に暑さが身にまとわりつきます。家に帰る頃には汗びっしょりになってしまいます。まだまだ暑さから解放されることはなさそうです。
 そんな折、先週末に四国遍路ツアーに行ってきました。今回は60番横峰寺、61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺、65番三角寺の6カ寺です。大阪からバスで4時間余りかけて向かいます。四国に行き来するようになって、この程度のバス移動には慣れてしまいました。スマホを見たり、本を読んだり、居眠りをしたりしていると、あっという間に到着です。私にとってはある種の休息時間でもあります。
 都会の喧騒から逃れて、山の中に佇むお寺に降り立つと、何とも別世界のよう。参道の道すがら、いろんな小鳥たちが賑やかに出迎えてくれます。ふと、歩き遍路の案内矢印に目が留まります。歩くときはこうした御印が唯一の頼りです。あたりの景色に見とれてついつい見落としてしまうこともありましたが、何かに取りつかれたように歩き通したことが嘘のようでもあります。(下:バスの駐車場に向かう道と歩き遍路の道は違います)
 今回ご一緒した中には、朗々と般若心経を唱える41歳の若者もいました。時々仕事の電話が入っていたようでした。何が彼を遍路に駆り立てるのか.....。食事を共にした京都から参加の61歳の男性は、休暇を取って参加したと言っていました。5年近く母親の介護をしながら仕事を続けてきたそうですが、残念ながら昨年お亡くなりになり自由になった時間をどうしようかと考えたとき、母の供養を兼ねて四国遍路を思いついたのだそうです。皆さんそれぞれの思いを胸にお出かけになっています。
 では、私は何のため?それがよく分からない。それほど宗教心があるわけではないのですが、ついつい日本の原風景の中に身を置くことで見えてるくものを追い続けています。まさにこのブログの原点に迫る思いがあります。
 最近は寺々の「言い伝え」にも耳を傾けます。吉祥寺では、くぐり吉祥天女、迎え大師、成就石、香園寺では子安大師、神前寺では御滝行場不動尊や招福猫の御守などなど。信じるでもなく、でも気になるお話に耳を傾けたり。
 6カ寺の中で香園寺さんはいつ来ても驚きます。お寺というより鉄筋コンクリート造の長方形の巨大な建物の中にご本尊とお大師さんがいます。境内には現在大きな仏閣を建設中ですが、そのお金はどこから沸いてくるのかと不思議に思います。やはり四国八十八箇所は素朴な佇まいが似合います。
 今回は7月に続いて道後温泉に1泊しました。耐震工事中の「坊ちゃんの湯」に浸かってささやかな旅行気分も楽しみました。こうして、伊予の国の巡礼を終え、次回からいよいよ讃岐の国に入ります。ことし1月から始まったお遍路ツアーもあと2回、23カ寺を残すのみです。
 連日、茹だるような暑さに見舞われた今夏でしたが、少しずつ涼しくなりそうな気配です。この夏は一人旅ばかりでしたので、NPOの仕事の間を縫って、明日は奥様と一泊二日の細やかな小旅行に出かけてきます。

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初夏に「旅」を楽しむ~三田、そして四国遍路

2023-05-16 16:13:30 | 四国遍路

 先週、ブログを更新した日、急に思い立って兵庫県は三田市に出かけました。特に思い入れがあったわけではないのですが、ちょうどお部屋が空いていたので神戸ホテルフルーツ・フラワーを覗いてみることにしました。自宅を出ておよそ2時間。宝塚を過ぎた辺りから車窓の風景が一変します。新緑につつまれた田園風景が広がり、ちょっとした旅行気分でした。
 西洋のお城のようなホテルは、道の駅神戸フルーツ・フラワーパーク大沢の一画にありました。有馬温泉と同じ泉質を誇る神戸大沢温泉「金仙花の湯」や遊園地などが併設されていますが、GW明けのこの日の客は私たちのような孫疲れ(笑)の老夫婦が大半でした。
 駅前の観光案内所でいただいたパンフレット「ぶらり歴史めぐり街めぐり」を開いてびっくり。「明治・大正・昭和の激動の時代を駆け抜けた白洲家三代」とあります。ここ三田市は白洲次郎を生んだルーツでした。つい先日、白洲正子の「西行」を読み直したばかりでしたが、心月院の白洲家墓地には白洲次郎と正子の五輪塔の板碑が寄り添うように建っているとも記されています。
 さてさて、そんな思いに浸った先週末、5回目の四国遍路ツアーに行ってきました。今回は「逆打ち」で、高知市の30番善楽寺から南下して室戸岬の24番最御崎寺まで7カ寺を巡ってきました。山々は若葉に覆われ、田植えが終わったばかりの田圃では初夏の光が眩しい、そんな日本の原風景を堪能しました。
 29番国分寺付近にはその昔、紀貫之が国司として数年間を過ごした土佐国衙跡があります。その任を終えて都に帰る模様を著わしたのが「土佐日記」ですが、貫之御一行様は25番津照寺辺りの室津港から船に乗って大阪に向かい、淀川をのぼって京の都に帰っていったのだそうです。
 その夜はバスでお隣にお座りの方と高知市内で一献傾けながら遍路談義に花を咲かせました。これも一期一会ということなんでしょう。
 翌日はまず27番神峯寺に向かいました。前回歩いて登ったのもちょうど5月の今頃の季節でした。今回はお山の麓で大型バスから乗り合いタクシーに乗り換えて楽々の登山です。200段近い石段を登って境内に向かいました。道中、遍路道の入口に「マムシ注意」の看板がやたら目につきました。そろそろ動き出す時季でしょうか。
 26番金剛頂寺、25番津照寺を経て、最後は室戸岬の灯台近くにある24番最御崎寺をお詣りしました。ここに来て心配していた雨がぽつりぽつり。灯台を見ることもなく足早にバスに戻りました。自由気儘な歩き遍路と違って、綿密な旅程に沿っての集団行動ですから、残念ながら空海が修行したという御厨人洞を覗いたり室戸岬公園を散策したりする時間はありませんでした。
 そう言えば数年前、徳島の23番薬王寺から室戸岬に向かって延々と続く海岸沿いの遍路道をほぼ1日をかけて歩いたことがありました。はるか遠くに見える岬をめざすも、そこに到達するとその先にまた同じような岬が遠くに霞んで見える。そんな繰り返しに心がめげそうになったこともありました。それでも歩き通した自分が信じられません。人間って本当に不思議な生きものです。その道程を今回はバスで2時間ほどで走り過ぎて行きました。

 今回も至るところでフランスやスペイン、ドイツ、アメリカ、韓国からやってきた歩き遍路さんに出会いました。シニアのご夫婦の姿もあれば「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を身にまとった20代の女性の姿もありました。アメリカからおいでのようでしたが、笑顔で「こんにちわ」とご挨拶をいただきました。見知らぬ国の薄暗い山の中の遍路道を独り黙々と歩き続ける辛さ。いやいや、何か巡礼を楽しんでいらっしゃるようにもお見受けしました。
 四国八十八カ所遍路の旅への思いは人それぞれです。国や宗教の違いを越えてなお惹きつけられる何かがあります。来月は二泊三日で高知市の31番竹林寺を皮切りに足摺岬を経て愛媛県は宇和島にまで足を伸ばします。

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阿波国「発心の道場」を巡り終える

2023-04-19 16:40:44 | 四国遍路

 先週末、4回目の四国遍路ツアーに行ってきました。初日の後半から小雨舞うあいにくのお天気でしたが、桜が散り始めた境内ではボタンやシャクナゲが温かく迎えてくれましたし、境内の片隅にひっそりと佇む苔むした石仏が私の心を和ませてくれました。
 今回のお遍路では、コロナ後ということもあるのでしょうか、外国人のお遍路さんに至る所でお会いしました。ほとんどの方が歩き遍路で、笑顔で「こんにちわ」とご挨拶いただきます。なかには僧侶姿の方もいて、静かに般若心経を唱えていらっしゃいました。白川密成さんがおっしゃっているように、「四国遍路を世界遺産に」という掛け声が現実味を帯びてきます。
 そう言えば昨日、「西国三十三所」がスペインの世界遺産「サンティアゴ巡礼路」と友好提携を結ぶことになったという新聞記事を目にしました。
 今回は16番札所から23番札所まで8カ寺を巡りました。効率的に巡るため順不同。最初にお参りしたのは18番札所の恩山寺でした。弘法大師の母・玉依御前が大師を慕ってやってきたというお寺です。
 次に向かったのは標高600メートルほどのところにある21番太龍寺。ロープウエイで登りました。空海が19歳の頃、阿波の国を一望できる舎心嶽で虚空蔵求聞持法を修行したことで知られています。虚空蔵菩薩と言えば寅年の守護本尊。寅年の私にとっては思い入れのあるお寺でもあります。
 山を下りて今度は22番平等寺。このお寺ではいつも手水場に目をやります。この日もさりげなく活けられた青もみじとランの花が遍路の疲れを癒してくれました。
 この日最後にお参りしたのは、ウミガメの産卵地で知られる日和佐湾を一望できる23番薬王寺でした。阿波国最後のお寺で、山門を出ると室戸岬の24番最御崎寺に向かう矢印があります。炎天下、太平洋を横目に一日中歩き通してやっと辿り着ける距離になります。
 徳島駅前のホテルに泊まった翌日は、朝から17番井戸寺、16番観音寺、そして20番鶴林寺と巡り、最後は19番立江寺をお参りしました。
 前回は立江寺から10キロほど歩いて民宿「かねこ屋」に投宿。翌朝早く宿を出て鶴林寺に向かいました。寒い冬の時期、延々と続く杉林の中を歩いて登ったことを思い出します。
 立江寺では、これまで二度お参りしながらいつも完売になっていた名物「たつえ餅」を門前のお餅屋さんで買うことができました。帰阪後、婆さんとおいしくいただきました(笑)。
 私は、リタイアした直後に1回目の遍路ツアーに参加しました。物足りなくて1年後に区切り歩き遍路で数年かけて一巡しました。そして今回が三回目の遍路ツアーになります。後期高齢者年代をひかえて人生ひとつの結節点を迎えつつあります。新たな生き仕方を考える時間でもあります。

◇  ◇  ◇

 さて、4月も半ば、ネットで全国旅行支援と格安JALパックプランを眺めていたら、運よく出雲行きのチケットを買い求めることができました。来週前半、お墓参りのため田舎に帰ってきます。急に思い立っての二泊三日の小旅行です。認知症が進行している姉にも会ってこようかと......。そうこうするうちに春の古本祭も迫っています。リュックを背負って大阪・四天王寺と京都・岡崎のみやこめっせに行ってこなくては。当分、なにかと落ち着きのない日々が続きます。

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歩いた頃を思い出した四国遍路バスツアー

2023-03-22 23:06:20 | 四国遍路

 きょうは、シニアの仲間たちと京都にでかけました。地下鉄東西線東山駅で集合し、まずは藤井斉生会有鄰館第一館に向かいました。1926年に武田吾一が設計した東洋美術のコレクションで知られる美術館です。ついで同じく1909年に武田吾一が設計した京都府立図書館(ファサード保存)を見学。その後、京都会館(ロームシアター京都)界隈にある京料理「六盛」で「手をけ弁当」のランチをいただきました。食後は、京都市美術館(京セラ美術館)で、学芸員の方から同美術館の建物に関するレクチャーを受けたあと、館内の見学、そしてコレクションルームを見て回りました。
 昨日とはうって変わってお天気もよく気温がぐんぐん上昇。白川沿いの桜も朝は二分咲きだったのに帰る頃には四分咲きになっていました。週末には満開となるのでしょうか。お天気が少し心配ですが..........。

 さて、今日のテーマは、先週土曜日に行ってきた四国遍路ツアーです。今回は12番札所の焼山寺、13番の大日寺、14番の常楽寺、15番の国分寺と廻りました。前回、歩いて廻った記憶が蘇ってきます。
 「遍路ころがし」といわれる焼山寺に歩いて向かったときは、6時間余りをかけてふた山を越え杉林の中を歩き通すという初心者にとっては辛いものでした。急な上り道あり下り道あり。目の前に一本杉庵が見え大きな弘法大師像が現れた時は、「同行二人」という言葉を全身で感じたものでした。
 それが今回は、大型バスで麓に着くとジャンボタクシーに乗り換え、山頂の駐車場に向かいます。雨は上がっていましたが標高830メートルの山頂ですから、境内まで400メートルほどの参道には靄が覆っていて、なにやら神秘的、身の引き締まる思いがしました。
 いくつもの灯篭が続く一画に、岩の上から様子を伺うお猿さん(石造)が私を待っていてくれました。1回目のお参り、2回目のお参り、そして3回目の今回も、私を迎えてくれました。「えっ?きょうは楽をしてバスでやってきたの?」「まあ、会えたから嬉しいけどね」と言っているように思えました(笑)。
 県道を挟んで向かいに一宮神社がある大日寺、こちらも神仏分離の歴史があります。天然の岩盤の上に立つ常楽寺は、境内のアララギの木の股に大師像が鎮座していることで知られていますが、このお寺は児童養護施設を併設していることを前回の歩き遍路のときに知りました。
 そこから少し歩いた所にある国分寺は、以前お参りしたときは境内が工事中でしたが、それも終わり立派な伽藍になっていました。その昔、全国各地に建立された官立の寺院で、当時はずいぶん広大な寺院だったようですが、今は田畑と民家に囲まれたお寺です。
 今回のツアーのお供に文庫本(眠れないほどおもしろい「密教」の謎)を持って行く予定でしたが、実は出発の前日に発売になった白川密成著「マイ遍路~札所住職が歩いた四国八十八カ所」(新潮文庫)を連れて行きました。密成さんと言えば、第57番札所「栄福寺」の住職で、私も日頃Twitterで投稿を拝見している「お坊さん」です。区切り歩き遍路をされたことを綴っていらっしゃっていて、読み始めてみると歩いているときの苦労、楽しさ、思いに共通するものが多々あり、すごく共感を覚えました。道々の風景と人との出会い、.....もう一度歩いてみたい気持ちにさせます。
 こうして1週間を振り返ってみると、このところ四国八十八カ所のことが私の中に充満しています。夜な夜な本を開きながら、私の心の中の終活が始まり出している感があります。「なんのために歩くのか」ではなく、ただただ歩く。ただただ歩いたなかで、過去の柵を捨て去り残された人生に新しい生き仕方を気づかせてくれた。そんな気がしています。

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日本昔ばなしのようなお寺の由緒~四国遍路№2

2023-02-24 21:02:51 | 四国遍路

 河津桜の開花便りが届く季節、寒暖を繰り返しながら「春」は確実に近づいています。庭先のカリンの枝には葉芽が顔を出し、鉢植えのクレマチスの枯れ蔓の先には葉芽が膨らんで来ました。そんなある日、花壇の土を鍬で掘り起こし、自家製腐葉土に牛糞肥料を混ぜて「土づくり」をしました。

 さて、ここ1週間を振り返ってみると、やはり四国遍路の旅が浮かんできます。小雨舞うなか大阪・梅田を出発しましたが、7番札所・十楽寺に着く頃には雨もあがり、時々晴れ間も覗く一日でした。三巡目とは言え、それぞれのお寺で改めて1200年前の時代に思いを馳せ、贅沢な時を過ごしました。
 10番札所・切幡寺では、バスツアーとは言え、駐車場から坂道を1キロ余り歩き、さらに550段もの石段を登りました。切幡寺のホームページによると、
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この山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた。乙女は、「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり、観音様をつくってお祀りし、わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。
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 こうした由緒は行く先々で伺いますが、「日本昔ばなし」のようで何となくほっこりします。
 今回訪ねたお寺では、ご本尊をまじまじと拝見することができませんでしたので、前回紹介した「仏像を訪ねて」に掲載されているご本尊・千手観音像の写真を載せておきます。
 このお寺のもうひとつの見どころは国指定重要文化財である切幡寺大塔です。明治政府の神仏分離令に伴い明治6年に大阪の住吉大社神宮寺から移築されたものでした。神と仏の長い歴史のひとコマです。
 11番札所・藤井寺の境内には、焼山寺へ向かう遍路道の入口があります。「遍路ころがし」と言われる難所で、前回は近くの遍路宿「吉野」を早朝暗いうちに出発し、ふた山を越えて7時間あまり。12番札所の焼山寺に到着しました。時々道を迷いながらよくも歩き通したものだと今でも思います。良い思い出ということにしておきましょう。
 3回目のバスツアーでは駐車場までバス、そこからタクシーに乗り換えて山頂の焼山寺に向かうことになっています。
 ところで、霊山寺の巡礼用品店で購入したものがあります。以前、歩き遍路でお会いしたオランダの女性が持って歩いていたガイドブック「Shikoku Japan 88 Route Guide」です。付箋をいっぱい付けていらっしゃいました。一体どんな紹介がされているのかという単純な気持ちで買い求めました。語学に長けているわけではないので、移動するバスの中でさらりと眺めていました。
 これから毎月1回、遍路の旅に出かけます。リタイアして7年目に入りましたので、ここで改めて初心に返り、後期高齢者に向けて次の生き仕方を考える1年にしたいと思っています。

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3回目の四国八十八カ所巡り

2023-01-20 00:09:11 | 四国遍路

 ものの本で知りましたが「お四国病」という言葉があるそうです。四国八十八カ所遍路の旅に出かけると、その後もなんとなく気になって何度も出かけてしまうのだそうです。どうやら私も、その病にかかったかも(笑)。

 先週末、第3回目のお遍路に行ってきました。といっても今回はバスツアーが主体ですが、久しぶりに訪ねた四国の風景に、なんとなく心安らぐ時間をいただきました。でも驚くなかれ、6番札所の安楽寺の門前に「四国遍路五百度満願記念」と記した石柱が立っていて、先達の福田何某という方のお名前が刻まれていました。上には上があるものですが、山あり谷あり海辺ありの1200キロの道のりを500回も歩かれたとは驚くしかありません。3回目で大騒ぎしている自分を恥じる思いがいたします。
 1番札所の霊山寺にお参りしたときは、あいにく小雨が降っていました。まずはいつも通り本堂の奥で高齢の尼さんから四国遍路に出かけるにあたっての心得、そして十善戒の講話を聴きます。

 「不殺生」「不偸盗」「不邪淫」「不妄語」「不綺語」「不悪口」「不両舌」「不慳貪」「不瞋恚」「不邪見」。文字を見ただけで何をしてはいけないかが一目瞭然です。こんな当たり前のことができないのが人の世の常です。改めて足元を見つめることになります。
 お話しをお聞きしながら、ぼんやりとウクライナのことを思い浮かべてしまいました。現在のロシアの為政者に十善戒のお話を聞いてほしいものです。
 2回目の結願の際に立ち寄った霊山寺の近くにあるドイツ村を横目に、2番札所の極楽寺では弘法大師お手植えと言われる樹齢千数百年の長命杉のお出迎えを受け、3番札所の金泉寺では覗き込んで水面に顔が写れば長寿という古井戸を今回も覗いてしまいます。でも、井戸の底は真っ暗でした(笑)。源平合戦の時に義経軍が屋島に攻め入る途中に立ち寄って束の間の休息をとった金泉寺です。そして4番札所の大日寺、5番札所の地蔵寺、そして最後は安楽寺と巡ってこの日の旅は終わりました。
 歩き遍路のときは、6番札所の安楽寺の宿坊で泊まりました。温泉に浸かって疲れを癒し翌朝藤井寺をめざしましたが、田圃の畦道などをひたすら歩いた記憶があります。それは、「遍路ころがし」と言われる焼山寺に登る前の静けさでもありました。今回はそんな苦労もよそに、バスの車窓から阿波の国の風景をぼんやりと眺めながら、日帰りの四国遍路の旅を終えました。

 帰阪した二日後、人間ドックを受けました。6年前はリタイア直後でもあり、夫婦そろってドック入りしたのですが、今回は「最近もの忘れがひどくない?」と婆さんに言われて脳ドック付きを単身受検です。癌検査もすべてこなしましたから、何もないことの方がおかしい年齢です。
 翌日、病院に進められていたCARADA検診サポートなるスマホアプリをインストールしてみました。すると過去に受けた検査結果がずらずらと出てきました。今回の結果もいち早くスマホで確認できそうです。さきほど覗いてみたら、既に「血液検査速報値」なるものがアップされていました。あとでゆっくり眺めてみますが、便利になったと思う反面、ここまで個人情報が一括管理されている時代の到来を思いました。でも超高齢化時代です。備えあれば患えなし、ということなんでしょう。

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ジャカランダの季節に「西行」を読む

2022-06-17 10:05:28 | 四国遍路

 先日、水彩画筆とスケッチブックを買いに天王寺の画材店KAWACHIあべのHoop店に行った帰りに、一心寺に寄ってきました。そろそろジャカランダの季節です。まだ咲き始めでしたが、至るところに淡い紫色の花が咲いていました。ここ大阪も4日前に梅雨入り宣言。雨が降ったりやんだりしていますが、この春小さな植木鉢に植えた我が家のジャカランダの苗もスクスクと育っています。
 その傍らでは、ブルーベリーとミニトマトの実を今年初めて収穫しました。まだ僅かですが、食卓を賑わしています。連日、朝早くからブルーベリーの収穫を小鳥たちと競いあっています。うっかりしていると啄んでしまいます(笑)。これも夏の楽しい光景かもしれません。

 
 さて、話は変わりますが、先日ご紹介した上田秋成「雨月物語」の世界を、未だ引きずっています。夜な夜なのめり込んでいるのですが、日本史に疎い私には、頭の中で人物と時代背景がもうひとつ繋がっていません。
   そんな折、NPOの帰りにジュンク堂書店を覗いて出会ったのが白洲正子著「西行」(新潮文庫)でした。崇徳院(1119年生まれ)、西行(1118年生まれ)。ほぼ同世代の人物が平安から鎌倉という時代の中でどう生きていたのか。怪談ではなく、歴史的事実に基づいて探ってみたいという知的好奇心が蠢いています。 「讃岐の旅」の章を読んでいたら「八十場の霊泉」という言葉が飛び込んできました。その霊泉は78番郷照寺から79番天皇寺に向かう途中にありました。さっそく当時の写真を探してみました。「サヌカイトの出る金山から流れ出る水は清らか」で、「崇徳院が崩御した際、(都から勅許が下るまでの約ひと月の間)遺骸をこの泉につけておいたという」とあります。
 1156年、後白河天皇と崇徳上皇が争った保元の乱。敗れた崇徳院は讃岐の国に島流しにあいます。その後も、天皇側の執拗な虐めに会った崇徳院の都に対する恨みつらみは想像を絶するものがあったに違いありません。
 白洲さんは「このあたりには陰鬱な空気がたちこめており、木にも草にも、崇徳院の怨霊が息づいているような気配がある」「実際に白峯の周辺を歩いてみると、院の亡霊が至るところに充満していることを実感せずにはいられない」と綴っています。一人でトボトボと歩いた山深い遍路道でしたが、いろんな歴史が刻まれていることを改めて知ることになりました。

◇   ◇   ◇ 

 ところで、NPOのお仕事もなんとなく忙しくなってきましたが、そんな折、大学時代の先輩からメールが飛び込んできました。「私もそろそろ歳だから、どうだろう、クラブの世話役を引き受けてくれないか」と。既に解散してしまった会なので今は存在しませんが、現在100名ほどのOB会員がいます。毎年、文集を発行したり、同窓会を開いたりして近況を確かめ合っています。さあてどうしたものか。とりあえず来週月曜日には、京都・四条河原町のビアレストランで打ち合わせという名の呑み会があります。
 おっと忘れていました。先週末は、京セラドームで30年ぶりの野球観戦(阪神&オリックス戦)でした。セリーグ最下位だった阪神ですが、この日の交流戦では大差で勝利。その勢いに乗ってその後も勝ち進み、いつの間にかセリーグ4位にまで上がっています。チームの雰囲気も良さそうです。頑張っていただきましょう。

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