師走を迎えて「来年もよろしく」という言葉が添えてあるメールをいただくようになりました。内心、まだ早いのにと思いつつ、気がつけば12月も半ば。あと2週間もすれば2024年という新しい年を迎えます。そんな気忙しい年末土曜休日の今日、まだ薄暗い朝6時に家を出て和歌山県高野山に向かいました。
今年1月から始まった四国八十八カ所遍路の旅バスツアーで3回目の満願を終えたお礼参りです。樹齢700年もの杉の木が林立する奥之院では、弘法大師が入定(即身成仏)されたという地下の御法場にお参りをさせていただき、改めて満願の意味を思ったものでした。
高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって開かれた日本仏教の聖地です。宗派は問わず様々な宗派の方々のお墓があります。今日は3回目満願のお礼参りの記念にと「弘法大師・両界曼荼羅図屏風」をいただいて帰りました。
高野山の裾野にある慈尊院は、古くから女人高野と言われ、弘法大師御母公のお寺として知られています。雨が降りしきるなか、本堂と大師堂をお参りしたあと、お寺の来歴について法話を伺いました。紀の川を使って運ばれる物資を標高800mの高野山に運ぶ山裾の拠点でもあります。その昔、四国や兵庫から運ばれて来た巨大な墓石を高野山に人力で運んだ絵図を拝見して驚きもしました。
こうして日の出前に出かけるのも今日が最後です。あと何年生きながらえることができるかどうか分かりませんが、高野山へのお礼参りは私にとってひとつの節目でした。
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ブログ「心の風景」も年末には開設20年目を迎えようとしています。2004年12月30日付記事「心の風景オープン」はこう記しています。
日々の慌しさの中で、ふっと我に帰る瞬間があります。誰かが目に見えない力で私にブレーキをかけようとしている。そんな瞬間を、私は大事にしています。
何かの本で、人間は独りで「生きている」のではなく「生かされている」のだという話を読んだことがあります。少なくとも社会の動きと乖離して生きていくことはできません。時間と空間の座標軸の中で、自身の存在を見定めることの大切さを学びました。「風景」という言葉を好んで使うのも、そのためです。何千年という歴史を越えて、いま目の前に広がる「風景」の中に、私が生かされているという「事実」を素直に受け止めたいと思っています。
私は時々、都会の喧騒を離れて、小さな山小屋で過ごすことがあります。職場で管理職然としている私と、静かな森の中で樹木の下草を刈る私。超整理手帳を片手に仕事に励む私と、ゆったりと流れる雲を眺めて一日を過ごす私。そのはざまで思う心の葛藤...。何故そんなに急ぐのか、なぜ成長なのか、なぜ発展なのか、なぜ革新なのか。根源的な問いかけを避け、前のめりになって走っていく自分の姿が見えてきます。これでよいか。
あれから20年、私を取り巻く環境も大きく変わりました。リタイアして7年になります。その間に、歩き遍路を含めて3回も結願(満願)したことになりますが、奥の院の地下御法場で2本の蝋燭の間にぼんやりと浮かんで見える弘法大師のお姿に手を合わせながら、心の風景オープン当時から何も成長していない自分を思います。そんなことに気づいた一日でもありました。