心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

7月豪雨の傷跡に接して~卯之町、大洲

2019-03-13 22:40:32 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰った翌日は、先週に引き続き講座日でした。この日は午前中が座学、午後は校外学習でした。でも意外と元気なのに驚きます。夕刻、家に帰ると、2日前に泊まった大洲の「ときわ旅館」さんからお礼のお葉書が届いていました。若いご夫婦で運営なさっている旅館でしたが、雛人形が飾ってあるお部屋で朝夕のお食事をいただきました。
 先週の金曜日、大阪・梅田から午後10時20分発の高速バスで宇和島バスセンターに向かいました。車中泊に慣れてくると、それとなく眠る術を覚えてしまいます。翌朝6時過ぎに宇和島に着くと、予土線に乗って務田駅下車。今回は、この駅がスタート地点になります。
 農道を歩いて半時間もすると、第41番札所・龍光寺の門前に到着です。久しぶりに般若心経を唱えてお参りをしました。次に向かう遍路道を捜していると、駐車場の中ほどに小さな階段があって、そこを登っていくと墓地。その後、遍路道が続きます。道端には菜の花が満開でした。
 そうこうするうちに、遠くに第42番札所・仏木寺の本堂が見えてきます。昔、牛馬の守り仏として信仰されてきたお寺で、最近はペットを慕う参拝者も絶えないのだとか。ここで少し休憩しました。
 次の第43番札所・明石寺へは、第一日目の難所・歯長峠を越えなければなりません。県道、農道を歩いて峠まで2.4キロの地点まで来たところで「この先、7月豪雨の影響で遍路道の一部が崩壊しているため、安全に通行する事ができません」の看板を発見。でも、ここまで来たのだからと、ダメモトで歩を進めると、今度は「この先、”四国の道”通行止め」の看板。これはヤバいと諦め、元の道に戻り県道を歩いて歯長峠を越えることにしました。
 その道すがら、所々に豪雨の傷跡が今でも生々しく残る箇所があって、復旧工事中。と、そのとき、すれ違った叔父さん、急にポケットに手を入れて五百円硬貨を取り出すと、「お気をつけて」と私の手にその硬貨を。とっさのことで状況がよく分りませんでしたが、これも所謂「お接待」のひとつであることに気づきました。「ありがとうございます」と丁寧にお礼を述べてお別れをしました。いただいた硬貨は、地元にお返しするという意味で、次の明石寺の納経代とお賽銭に使わせていただきました。
 そうこうするうちに、やっと歯長峠に到着です。すばらしい景色に見入って小休止。その後、小さなトンネルを抜けたところで、遍路道に入りました。あとは下るのみと思いきや、なんと道がズタズタで、コンクリートの橋げたまで豪雨で流されている惨状に出会いました。倒木を潜り抜け道なき道を下りながら、やっと県道に出ると、歯長地蔵の祠と遍路の墓がお出迎えです。さらに歩いて2時間。やっと明石寺に到着です。
 この日は、卯之町の「まつちや旅館」に泊まりました。女将さんの温かいおもてなしをいただき、ほっとひと息です。お客は私を入れて3名。いずれも区切り遍路でした。そのうちのお一人は、歯長峠の手前で北海道からやってきた男性と巡り合い、通行止めを無視して旧遍路道を歩いたのだと。「一人では到底できないこと」とおっしゃっていました。
 そういえば宿の女将さんから、集中豪雨のときの模様をお聞きしました。ふだんは穏やかな小川だが、ダムの放流を契機に荒れ狂いたいへんな被害が出たのだと。自衛隊が動員され、今も避難所暮らしの方もいらっしゃるのだと。お遍路さんはぱったりと止まってしまったが、代わってボランティアさんがたくさんお泊りになったのだそうです。
 こんな話もありました。街に大きな冷凍食品の製造工場ができ、フル操業のときは遠くからベトナム人の方々が応援にやってくるそうです。彼ら彼女らの真面目で真剣な仕事ぶりと生活態度が街の評判になっているのだとか。日本の若者たちも見習わなければなりません。その昔、農村地方の若者たちが集団就職で都会の工場にやってきた時代がありました。それが日本の後の高度成長を下支えしてきた。そんなことを皆でお話をしながら、美味しいビールをいただいてその日の疲れを癒したものでした。
 翌朝は、残念ながら雨模様。ポンチョに身をつつんでの出発と相成りました。この日は鳥坂峠越えです。宿の女将さんから「鳥坂トンネルは歩道が狭くて怖いから、少し時間はかかっても遍路道を歩いた方がよい」とのアドバイスをいただきました。2時間ほどで鳥坂峠に到着です。
 山道を降りると、雨の中をのんびりと歩きながら大洲の街をめざしました。この日お世話になる「ときわ旅館」の場所も確認。でも、少し早いので、さらに歩を進めて別格第8番「十夜ヶ橋」(弘法大師御野宿所・十夜ヶ橋永徳寺)に向かいました。1200年前、弘法大師が日が暮れたため小川に架かる土橋の下でひと晩野宿したところだそうです。そんな関係で、お大師さんに失礼にならないようにと、お遍路さんが橋の上を通るときには杖はつかないという風習が生まれたのだそうです。
 このお寺の納経所でお話を伺いました。このお寺も7月豪雨で大被害を被ったのだとか。大師堂の相当上の方まで水位が上がったということで、その目印が記してありました。卯之町、大洲の街は大変な被害に遭われたことを改めて思ったものでした。
 翌朝は、大洲の街を散策したあと、午前9時21分発の高速バスで大阪に帰りました。大洲から松山までは50数キロの道のりです。第1番札所・霊山寺を出発して区切り遍路で1年半。お寺の数は折り返し地点になりました。......ここ数週間、少し突っ走った感なきにしもあらず。明日の会議を終えたらしばらく休息日をとることにいたします。

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能「屋島」を観る。

2019-02-27 15:24:04 | 四国遍路

 久しぶりに朝のお散歩を楽しみました。少しずつではあっても暖かくなってきて気分も爽快。街角街角で集団登校する小学生の一群に遭遇しながら、今日も何か楽しいことがありそう、なんて子どものような気分でお散歩をしました。お不動さんに着くと四国八十八カ所の祠が並ぶ前を通ってお大師様に朝のお参りをします。花立には菜の花が活けてありました。
   さて、先週の土曜日は大阪城の近くにある大槻能楽堂の
自主公演能「四国巡礼」を観に行きました。まずは内田樹さんから「海民と騎馬武者~源平合戦のコスモロジー」についてお話がありました。お能は世阿弥の「屋島」です。
 季節は春、四国行脚の僧が讃岐国屋島を訪ね、老漁師に一夜の宿を所望します。最初は躊躇した老漁師でしたが、僧が都から来たと聞き招き入れました。その夜、僧に求められて屋島の合戦の話をした老漁師は、何を隠そう、源義経の亡霊だったのです。真夜中、僧の前に甲冑姿で現れた義経の亡霊は、屋島の合戦の折に弓を海中に落としながら、貧弱な弓ゆえ敵に取られまいと危険を顧みず取り戻した話などを語って聞かせました。そして、.......夜明けととともに消え失せる、そんなあらすじでした。

 屋島といえば一昨年の夏、バスツアーで巡った四国遍路の旅でお参りした八十四番札所・屋島寺を思い出します。展望台から壇ノ浦あたりを見渡しながら、その昔、源平合戦が行われたのが信じられないほど穏やかな海だったことを覚えています。園内には源平合戦の絵図がパネル展示してあって、まさに義経が海中に落とした弓を取り戻すお話は能「屋島」と同じ場面でありました。
 ところで、大槻能楽堂でお隣にお座りになった九州は福岡からお越しのご婦人、席に着こうとされて何故か座席が下に降りないアクシデントがありました。なんど試してもだめ。ならばとりあえずその隣の席にお座りになってはと促しましたが、しばらくしてその席のお客様がお越しになって、さあ大変。急ぎ、フロアー係の方を呼んできて対処していただきました。この日は満席とかで座る席が確保できない。何度も座席の下のネジを調整していただいて、なんとかお座りいただくことができました。そういえば大槻能楽堂、今夏から改修工事に入るそうです。座席を一新されるのでしょう。きっと。
 そんなことから、休憩時間にお隣のご婦人といろいろお話をすることになりました。聞けば、翌日は京都でのお茶会があって、そちらがメインの来阪ですが、せっかくだからと能楽をお楽しみになるのだと。でも、話していると出演者のお一人お一人のことをよくご存じで、博多だけでなく関西、関東の主だった能楽堂に足を運ばれているご様子でした。千駄ヶ谷駅から徒歩5分のところにある東京の国立能楽堂をぜひ一度おいでくださいと勧められました。いずれ機会をみて覗いてみたいと思います。
 とりあえず4月は、家内と一緒に、山本能楽堂の「たにまち能」で能「熊野」(「くまの」と読みそうですが「ゆや」と読むのだそうです)を観に行く予定です。

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「歩く」ということ。

2019-02-13 13:56:46 | 四国遍路

 10年ほど前のことでしょうか。紀伊国屋書店で一冊の本に出会いました。須賀敦子の「ユルスナールの靴」です。そのプロローグに「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」とありました。この言葉が妙に心に残り、河出文庫「須賀敦子全集」(全8巻)を一気に読みました。
 以来、いろいろな意味で『歩く』ということが、老年期に入った私のひとつのテーマになりました。玉岡かおるの小説「銀のみち一条」に出会うと、旅行会社企画の「銀の馬車道ウォーク(生野銀山から生野峠まで)」に参加しました。本格的なウォーキング・デビューです。
 四天王寺の春の古本祭では、ヘンリー・D・ソローの「ウォールデン~森の生活」に出会いました。森の中を何キロも歩いて自然を観察したり畑仕事と読書を楽しんだシンプルな生活が描かれています。そんなソローを追って、モントリオールからボストンに向かうツアーバスの車窓から、ソローが歩いたウォールデンの森を眺めたりもしました。
 そんな私が、次に出会ったのは高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)でした。大正7年、24歳の若さで四国八十八カ所を巡礼した若き女性の紀行文学です。根が単純な私は、さっそく「歩き遍路」を始めました。2泊3日という窮屈な区切り遍路ですが、今やっと伊予の国に入ったところです。
 田圃の畦道、山の尾根道、浜辺の砂浜。とにかく昔の遍路道を選んで歩きます。この1月には、宿毛と宇和島を結ぶ松尾峠と柏坂峠を歩きました。その昔、毎日二百から三百人もの人々が往来したという旧街道を、ただひたすら歩き続けました。
 そして今、私の手許には天神橋筋商店街の古書店・天牛書店で出会った稲本正著「ソローと漱石の森~環境文学のまなざし」があります。純文学を離れて「文学」と「自然」を繋ぐ新しい知見を与えてくれました。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。私の好奇心は当分衰えそうにありません。
 ・・・・これは先日、求めに応じてとある文集に寄せた作文の一節です。あっちに行ったりこっちに行ったりと、まだまだ迷える羊(笑)なのに、余計なものは省いて「歩く」をテーマにこの10年余りの生き仕方を辿ってみると、なんとなくひとつのストーリーができるから不思議です。良い機会をいただきました。
 近所のTSUTAYA書店でこんな新書にも出会いました。女流俳人・黛まどかの「奇跡の四国遍路」(中公新書ラクレ)です。黛さんと情報学者の西垣通さんとの巡礼問答も収録されています.......。夜な夜な、これまで歩いた第一番札所霊山寺から第40番札所観自在寺までの、その土地土地の光と空気と土の匂いを全身で思い出すという、そんな贅沢な時間を過ごしています。
 2月も半ば、そろそろ「歩き遍路」の計画を立てなければなりません。いろいろ考えたあげく、来月は宇和島から大洲まで、龍光寺、佛木寺、明石寺を巡ることにしました。さっそくお宿に電話を入れると、女将さんから「良い季節になりますよ。お待ちしております」と明るいご挨拶をいただきました。もう一軒のご主人からは「お宿から20キロほどかかります。お気をつけておいでください」と。電話の向こうから地元の人の温かい心が伝わってきます。
 高速バスの予約も無事に終わって、そのことを家内に伝えようと階下に降りると、........なんと、なんと。家内は家内でパソコンと睨めっこ。ネットを駆使して小旅行を企画中でした。私がやってきたことに気づくなり、唐突に「北海道に行こうよ」と。「えぇ!!」。それも「歩き遍路」の一週間前。慌ててカレンダーをめくってその前後のスケジュールを探ってみると、この時期しか空いていないことが判明したところで、「まあ、いいかぁ」......。ということで、3月の上旬に北海道へ3泊4日の小旅行。翌週の週末は伊予の国へ一人旅、と相成りました。なんともはや。
 孫次男君が小学校に上がるまで、地域のボランティアをお休みしていた家内ですが、4月から復帰の予定です。アレンジメントを教えたり、ステンドグラスを習ったり、小物づくりをしたり。それに加えて4月から駅前のオフィスでボランティアが始まります。老夫婦そろって健康寿命に挑戦、といったところでしょうか。

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高群逸枝の「娘巡礼記」を眺めて

2019-01-30 10:31:22 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰って一週間。どたばたしていたらあっという間に日にちが過ぎていきました。そんなある日の夜、ベッドの中で高群逸枝の「娘巡礼記」(岩波文庫)をぱらぱら捲っていると、こんなくだりがありました。

「七月二十二日細雨蕭々たり。雨具を纏うて出発、身はいよいよ名にし負う柏坂にかからんとす。痛みのとれない足を引きずりながら歩く。(中略)風が漸次酷くなった。それにつれて雨もばらばら横さまに降りかかる。「海!」・・・・私は突然驚喜した。見よ右手の足元近く白銀の海がひらけている。まるで奇蹟のようだ」

 ふうっとその瞬間を思い出しました。路に迷い、お婆さんに教えていただいた真ん中の路を、矢印を確認しながら歩いていると、緩やかな坂道を上ったところに突然現れた海。そのときの感動は、誰が歩いても同じなんだなあと思ったものでした。
 先週の水曜日にブログを更新させていただきましたが、どちらかと言えば松尾峠とりわけ旧赤坂街道の印象が強かったために、柏坂峠のことがやや薄くなっていましたので、ここで柏坂の峠越えについて追記させていただきます。
 お婆さんに路を教えていただいたあと、柏坂休憩地に向かって山の尾根道を歩いていると、その土地土地の由来を記した看板が要所要所に立っていました。「クメヒチ屋敷の由来」「鼻欠けオウマの墓」「狸の尾曲がり」「女兵さん 思案の石」。なんだか日本昔話のような雰囲気です。
 「猪のヌタ場」の案内板にはこう記してありました。「イノシシが水溜り(ここは電話線が通っていた電柱の跡)の泥の中で水浴みをし更に傍らの木に体をこすりつけ、付着している寄生虫を殺し毛づくろいをする所をヌタ場といい、この街道沿いにも数ヶ所あるが道ばたにあるのはここだけである」。えぇっ。猪が出るの?これまで山の中の遍路道をずいぶん歩いてきましたが、出会ったのはお猿さんぐらい。確かに猪の足跡を見つけたことはありますが、少し緊張してしまいました(笑)。
 そうこうするうちに「つわな奥展望台」に到着です。宇和海、由良半島を眺めながら、忘れていた(笑)朝食の時間。「歩き遍路」の醍醐味ってところでしょうか。
   再び歩き出してしばらくすると、「癒しの椅子」の案内板があって木製の椅子が置いてありました。と、その横に野口雨情の歌碑が立っていました。「山は遠いし柏原はひろし 水は流れる雲はやく」。以後、遍路道沿いに点々と雨情の歌碑が続きます。
 遠い深山の年ふる松に 鶴は来て舞ひきて遊ぶ
 梅の小枝でやぶ鶯は 雪のふる夜の夢を見る
 松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら
 空に青風菜の花盛り 山に木草の芽も伸びる
 松はみどりに心も清く 人は精神満腹に
 雨は篠つき波風荒りよと 国の柱は動きやせぬ
 沖の黒潮荒れよとまヽよ 船は港を唄で出る
 そういえば、牟岐駅から室戸岬に向かって国道55号線を歩いていた時にも、野口雨情の歌碑に出会ったことがありました。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。
 私には「十五夜お月さん」や「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」などの童謡を作詞した人という印象が強いのですが、なぜ四国なのかは分かりません。いずれにしても、歩きながら、景色を眺めながら、時には歌碑や案内板に向き合いながら、楽しく気持よく歩いた柏坂峠でありました。(参考:修業の道場・土佐の国へ~海辺の道をひたすら歩く 2018.03.15.)
 「歩き遍路」から帰った翌日、カレッジの授業がありました。今回は「古典文化/能楽」。能の歴史、能が演じられる空間、能の音楽(謡)についてお話しをいただきました。アシスタントの私も、ついつい授業にのめり込んでしまいました。音楽という視点から能楽を見つめ、謡の発声を試み、能楽に対する空間的な広がりを感じたものでした。先生のお薦めもあり、来月下旬には久しぶりに大槻能楽堂に行きます。お題は「四国巡礼」、演目は「屋島」です。「歩き遍路」繋がりで、能楽を楽しんできます。

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歩き遍路~柏坂峠と松尾峠を歩く

2019-01-23 15:16:01 | 四国遍路

 3カ月ぶりの「歩き遍路」は、高速バスの時刻の関係で初めての「逆打ち」(逆回り)。大阪・梅田を夜の10時20分に出発し、翌朝6時半過ぎに宇和島の岩松バス停に到着すると、まだ薄暗い中をさっそく歩き始めました。柏坂峠(標高460m)を越えて柏の街に降りると、ぽかぽか陽気のなか国道56号線をひたすら歩て10キロ先の観自在寺をめざしました。
 翌日は、観自在寺から伊予と土佐の国を結ぶ街道を歩いて松尾峠(標高300m)を越えて土佐は宿毛の街へ。翌朝、特急「南風12号」に乗って高知、高知から高速バスにのって大阪・梅田に舞い戻る、車中泊を含めて3泊4日の旅となりました。今回歩いた距離はおよそ55キロでした。
 岩松から大門バス停まで歩いたところで田舎道に入ると、道端には霜を被った草が寒そうに迎えてくれました。まずは茶堂休憩地をめざします。大きな案内板を頼りに前に進みますが、時々見落として道の選択に迷うことも。
  最初に迷ったのは路が三つに分かれる所。順打ちの矢印があった左の道を逆方向に歩きました。ところが、どんどん下っていく。おかしいなあと元に戻ってみると、ちょうど薪を燃やしているお婆さんがいました。聞いてみると、「ほら、真ん中の道。逆打ちの御方はよく迷う」のだと。でも真ん中の道が草木で隠れてよく見えなかったのです。草木に隠れるように柏坂峠への矢印がありました。そうこうするうちに「つわな奥展望台」に辿り着きました。お天気もよく、遠くに佐多岬と大分県佐賀関半島が見えます。ここで一服です。
 遍路道沿いの枝にこんな短冊がありました。「心をあらい 心をみがく へんろ道」。今回はこの言葉を胸に歩くことに。そうこうするうちに番外霊場「柳水大師(柏坂休憩所)」に到着です。このあと柏の街に降りるとちょうどお昼時でした。国道沿いにあるラーメン屋さんで昼食休憩です。
   その後は国道56号線をひたすら歩き続けます。2時間半ぐらいかかったでしょうか。今回唯一のお寺、第40番札所・観自在寺に到着です。2年前にバスツアーで訪れたことを思い出しました。

 冬の時期だからでしょうか。参拝者は少なく、ひっそりとした境内でしたが、それが逆にほっとする時を与えてくれました。本堂、大師堂と回って、境内を散策しながら写真を撮ります。春の陽気に誘われて山門横にある梅の木に花が咲いていました。
  そうそう、出発前日に愛南町で泊まる予定だった民宿から、臨時休業のお知らせがありました。何かあったのでしょう。取り急ぎ紹介していただいたビジネスホテルに泊まりました。素泊まりだけ。ということで夕食は街の居酒屋さんで美味しい地魚を堪能いたしました(笑)。
 翌日はあいにくの空模様。お天気予報の通りですが、朝から小雨が降っていました。ポンチョを着ての出発です。僧都川沿いに松尾峠に向かいます。豊田、上大道を経て一本松へ。簡易郵便局前に立派な休憩所がありました。ここで小休止、温かい缶コーヒーをいただきながら、置いてあった覚書ノートを眺めます。お遍路さんの思いがぎっしり詰まっていました。外国人の方もちらほら。異文化の中でご自分を見つめていらっしゃる姿を想像しました。
 この先は旧赤坂街道(旧遍路道)を歩きます。道路の上に黄色いペンキで記された矢印に沿って歩きました。「癒しの里道」という看板もありました。ほんとうに気持ちよく歩くことができました。やや急な坂道をのぼっていくと松尾峠です。
 看板にこんなことが書いてありました。「伊予と土佐の国境にある標高300mのこの峠には、南予と幡多を結ぶ街道が通り、幕府の巡見使をはじめとし、旅人や遍路の通行が盛んで、享和元年(1801)の記録に、普通の日で二百人、多い日には三百人が通ったと記されている。(中略)昭和4年宿毛トンネルが貫通してからは、この峠を通る者もなくなり、その頃まであった地蔵堂や茶屋も今は跡だけが残っている」と。
 ふうふう言いながら上ってきた峠、昔は移動するための大切な「道」だったのです。足が重要な交通手段だった時代でしょうから、私が5時間かかった道のりを2,3時間で歩いたのではないかと。街道というものを体感いたしました。はらりと落ちる椿の花に目をやる心のゆとりが芽生えます。
 宿毛に着くと秋沢ホテルにチェックイン。翌日は9時5分発の特急に乗って帰途につきました。高知駅に向かう車窓からは、室戸岬から足摺岬まで歩いた土佐の国の風景が所々見えてきます。4回にわたって高知を歩いた日々を懐かしく思いながら、こんな距離をよくも歩いたものだと。次回は3月の予定です。

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歩き遍路に頼もしい助っ人アプリ「地図ロイド」

2019-01-16 10:43:08 | 四国遍路

  きょうは6時半過ぎに朝のお散歩にでかけました。まだ街は起きていません。遠くの公園まで大きなシベリアン・ハスキーをお散歩に連れて行く近所の奥さんに出会いました。聞けばご本人の運動でもあるとか。毎朝2時間のウォーキングです。 
 私はいつもどおり近所のお不動さんまで行きました。さすがにこの時間はひっそりとしています。境内では朝のお勤めの準備や境内のお掃除と、お坊さんたちは忙しそう。そんななか私は明後日に迫った「歩き遍路」の道中の無事を祈ります。
 年明け2週目は、比較的ゆったりとした日々が流れていきました。お正月疲れからか、それとも今週の3日連続の新年会とその後の「歩き遍路」に備えてなのか、とにかく外出を避け自由気侭な時間が過ぎていきました。冬の花壇のお手入れをしたり、庭掃除をしたり。残り少なくなった山茶花の花が陽を浴びていました。山茶花の次は椿でしょうか。
 そういえば、先日までたわわに実っていたピラカンサの赤い実が、いつの間にか小鳥たちに食べ尽くされていました。食べ物の少ない時期、これで小鳥たちの空腹を満たすことができたのなら、それも良いか........。
 さて、ことしの新年会のトップバッターは、かのシニア7人組のメンバーです。昨夜、フグ料理屋さんに三々五々集まっては話が盛り上がります。今回新たなにメンバーが加わりシニア8人組になりました。男性4人、女性4人。ちょうど良い塩梅です。そして今日は夕刻、現役時代に懇意にしていた異業種・同業他社の方々5人組の新年会。こちらは少しお洒落にレストランで。
 孫長男君の小学校がインフルエンザで学級閉鎖になったので、これから出かけてどこかでランチを御馳走したあと向かう予定です。新年会という名の呑み会は、明日もあります。つい一か月前に忘年会ではしゃいだばかりなのに、なんともお気軽なシニアたちであります。

 それはそうと、ここ数日「歩き遍路」のイメージトレーニングに余念がありません。手許にあるガイドブックとネットを駆使して柏坂峠と松尾峠の遍路道を確認します。少しずつ空間的な理解ができるようになりましたが、まだ不案内。前回、足摺岬に向かう途中で道に迷ったトラウマから立ち直れていないのかもしれません(笑)。さあて、どうしたものか。
 そんなとき、おもしろいアプリを見つけました。「地図ロイド」です。国土地理院の地図データやらgoogle航空写真など地図情報が利用できる優れものです。遍路地図と見比べながら立体的に見つめることができます。
 これでひと安心と思いきや、難点がひとつ。GPS機能が山の中で使えるかどうかという問題です。これまでのコースでも、お山のてっぺんでは受信できないところがありました。......文明の利器もここまでか。でも、昔の人は星を眺めながら延々と歩いたわけですから、モノに頼り過ぎるのも問題あり、ということなんでしょう。
 と、自分に言い聞かせていたのですが、もう少し調べてみると、航空写真は電波圏外では使えないけれども、地形図はキャッシュ保存が可能であることが判明しました。ということでyahoo地図を表示し、かつ歩くルートを地図上に表示していきました。高度まで表示されます。ご覧のように、ゴールまでには二つの峠を越えなければなりません。念のためスマホの機内モードをオンにして試してみると表示できます。....なんとか使えそうです。あとはなるようにしかなりません(笑)。 ということで、明後日の夜、いよいよ出発とあいなりました。3カ月ぶりの「歩き遍路」です。相前後して、奥様はお友達と一緒にボジャギの布地を求めてソウルにご出張とか。お互い呑気なシニア生活を楽しんでいるということにしておきましょう。

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歩き遍路(高知編) 土佐の国を歩き終えました。

2018-10-18 23:37:26 | 四国遍路

 朝晩ひんやりする季節を迎えました。ここ半月、島根への帰省やら歩き遍路やらが続き、そのうえにカレッジの仕事も本格化。きょう一連の予定がひと段落ついて、やっとふだんの生活に戻ったところです。
 「歩き遍路」№7は車中泊を含めて3泊4日。次の旅程を考えると今回はぜひとも土佐の国を歩き終えておきたかったので、列車やバスも利用して、岩本寺、金剛福寺、延光寺と回りました。
足摺岬から室戸岬を望む
 今回一番印象に残ったのは、足摺岬から遠くに霞んで見えた室戸岬でした。今年は台風の直撃を受けた室戸岬ですが、あちらから足摺岬を見たのは5カ月も前のことでした。区切り遍路とは言え、あんなにも遠くから歩いてきたことに、ある種の感動さえ覚えました。そんな風景を眺めながら、その間の楽しかったこと辛かったことが浮かんできて、なんとも言えない気持ちになりました。
珍しく道に迷う
 今回の「歩き遍路」は、列車とバスを多用したとは言いながら、3日間で50キロを越える距離を歩いたことになります。その間、一度だけ辛い場面がありました。それは2日目のこと。中村駅前から足摺岬をめざしたときのことです。
 朝早くに宿を出て、今回のメインルートである足摺岬に向かう途中、下ノ加江、大岐海岸と順調に進みましたが、以布利トンネルを抜けた所で前方にジョン万次郎記念館の看板を見て「あれ?そんなはずはない」。このままでは西海岸に出てしまわないかと。さっそくGooglemapで確認すると、案の定、道を間違えていました。これは大変と以布利港をめざしましたが、その途中で以布利の住宅街に紛れ込んでしまいました。やっとの思いで本来の道に戻ったところで30分のロスです。
「遍路道」に四苦八苦
 そんなとき、道端に寂しそうな「遍路道」を見つけました。でも、地図をみると少し時間を稼げそうな道です。さっそく遍路道を歩き始めました。ところがです。歩き始めてすぐに樹々が横たわって道を塞ぎます。目の前にはだかるクモの巣を金剛杖で払いのけながら、アップダウンのある山道を歩き続ける羽目に。道でありそうで、道ではなさそうな、そんな遍路道をただひたすら歩くことに。方向感覚が麻痺するなかで、頼りは左側から微かに聴こえる潮騒の音だけでした。
 そんな寂しい山道を独り必死に歩いていると、木の根っこでも食べていたのか猪が掘り返した山道に足を滑らせて4メートルほどずり落ちる始末。筋肉痛を抑えながらやっとのことで出たところは墓地の中でした。でも、目の前には窪津漁港が見えてきて、ひと安心。慣れない古い遍路道の独り歩き、頼れるのは自分独りであることを改めて実感した「歩き遍路」でありました。
金剛福寺の宿坊に泊まる
 足摺岬の金剛福寺では、久しぶりに宿坊に泊まらせていただきました。お客は、関東からおいでのご夫婦と私の3名だけでしたので、夕食時一献傾けながらいろんなお話しをさせていただきました。私よりもう少し長いスパンで区切り遍路をされていて、移動は公共交通機関利用が原則というご夫婦、今回は観自在寺まで行っていったんお帰りになるとか。仏像彫りが趣味という温厚そうなご主人を温かく包み込む奥様。こちらまで心なごむ時間をいただきました。
老いの生き方
 宿坊だけあって、部屋は広いけれどもテレビもラジオもありません。部屋の鍵もありません。秋の虫の音が静かに聴こえてきます。早々に眠りにつきました。翌朝は5時半に起床、6時から「朝のお勤め」がありました。ご住職と般若心経を唱えました。そして、法話のテーマは「老いの生き方」でした。人生80年、100年と言われる時代の人の生き方。あまり早く介護施設に入ると、手取り足取りの介護サービスで逆に体力が萎えてしまう。元気なうちはできるだけ身体を動かした方がよいと。納得です。「歩き遍路」も、そのひとつかもしれません。
 「歩き遍路」を始めたのが一年前の9月下旬。以後2カ月に一度の頻度で出かけて、やっと修行の道場といわれる土佐の国を歩き終えました。88ヶ寺のうち39ヶ寺を巡ったことになります。次回から菩薩の道場といわれる伊予の国・愛媛県に入りますが、こちらもなかなかタイトな旅になりそうな予感がします。
岩本寺本堂の格天井
 さて、今回も前回同様、夜10時に大阪駅バスターミナルを出発して翌朝午前5時過ぎに高知駅前に到着すると、普通列車に飛び乗って2時間45分、窪川駅に降り立ちました。そして10分ほどのところにある37番札所・岩本寺に向かいました。このお寺の本堂の天井には全国から集まった600枚近い絵画で覆いつくされています。なかなかの圧巻でした。
雄大な入野松原と四万十川
 窪川駅に舞い戻ると、今度は土佐くろしお鉄道の特急列車に乗って土佐上川口駅を下車。まずは海岸沿いに入野松原をめざしました。延々と続く浜辺を1時間あまり歩いて辿り着いたのが道の駅です。ここで小休止。「シラス丼」をいただいたあと松林を楽しみながら、四万十川に向かいました。単調な風景を眺めながらひたすら歩き続けておよそ3時間。やっと四万十大橋に到着です。休憩所で一服したあと、雄大な四万十川を眺めながら堤防沿いに北上して中村駅に向かい、この日お世話になる民宿土佐に到着しました。
 翌日は足摺岬へ、そのまた翌日は足摺岬からバスにのって西海岸回りで中村駅に戻ると、列車で平田駅に向かいました。駅から歩いて40分ほどでしょうか。土佐の国最後になる39番札所・延光寺に到着です。関東のご夫婦とはここでお別れでした。
 こうして今回も、たくさんの気づきをいただいて帰阪することができました。さあて、次回は年末、それとも年明け?伊予の国の地理をお勉強してから計画を立てることにいたします。

 
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歩き遍路(高知編) ~ 竹林寺から青龍寺へ

2018-08-30 20:04:37 | 四国遍路

 さあて、いよいよ「歩き遍路」№6です。午後10時、大阪駅前から高速バスに乗って一路高知へ。翌朝5時過ぎに高知駅前バスターミナルに到着しました。今回は、31番札所の竹林寺を皮切りに、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺、青龍寺の六カ寺をお参りしました。
31番札所 竹林寺 ~ 牧野植物園内の遍路道を歩く。
 早朝、路面電車の「はりまや橋」駅に向かって歩き始めて5分、雨が降り出しました。慌ててポンチョを取り出しましたが、始発電車に乗って「文殊通」駅に着く頃には
雨も上がって、やれやれ。町中をしばらく歩くと前方に五台山が見えてきました。竹林寺はこのお山の上にあります。
 墓地が並ぶ薄暗い遍路道を足早に通り過ぎると、牧野富太郎植物園が見えてきました。遍路道はその植物園の中を通っています。早朝のため門は閉まっていましたが、お遍路さんのための出入口が別に用意されていました。
 竹林寺は、その植物園の門を出た所にあります。石段を登って山門をくぐり、雨上がりの静けさのなか本堂に向かいました。久しぶりに般若心経を唱え、さて帰ろうとしたとき、なんと土砂降りの雨が降ってきました。これは大変と、しばし雨宿りです。雨の音とお坊さんの唱えるお経の声が妙に絡まり、贅沢な時間を過ごしました。
32番札所 禅師峰寺 ~ 「お疲れ様でした」の看板に癒される。
 雨が上がるのを待って、禅師峰寺へ向かいました。下田川を渡ってしばらく歩くと武市半平太旧宅の案内板がありました
。......さらに進むと石土池、その先に禅師峰寺が見えてきます。この間7.4キロ。寝不足だったためか、結構な距離に感じました。それでも、石段下にあった「お疲れ様でした」の看板にほっとひと息でした。
炎天下の歩き遍路にかき氷のお接待をいただく。
 10時を過ぎる頃になると、気温もどんどん上昇して夏の日差しが戻ってきました。雪蹊寺までは9キロ近くあります。とりあえず、遍路道唯一の船の路、種﨑渡船場をめざしました。土佐湾沿いに平坦で変化のない車道6キロを、ただひたすら歩き続けました。次第に全身を熱の塊が覆い始めます。それでも前を見つめて歩き続ける.....。
 もう限界かと思ったそのとき、1軒の小さなハワイアンカフェGarlishを見つけて飛び込みました。店内は冷房が効いていてほっとひと息。生き返った心地でした。でも食欲はなく、頼んだのはフレンチトーストとコーラだけ。ところが、お皿に盛られたサイコロ状のトーストとフルーツに蜂蜜がたっぷりかかっていました。なんと美味しかったことか。生気を取り戻しました。
 このお店に40分近くいたでしょうか。食後しばらくすると、お姉さんがお接待といってかき氷をサービスしてくれました。ほんとうにありがとうございました。そのあと軽快に歩くことができたのは言うまでもありません。
 種崎渡船場につくと、待合室に先客が2名。そのうち東京からやってきた中年男性は、大きなリュックを背負って移動中で、夜はテントで寝泊まりしながら歩いているのだと。その馬力には驚きました。
33番札所 雪蹊寺 ~ 境内のベンチに寝そべってお昼寝
 渡船(無料)は5分ほどで対岸の梶ヶ浦に着きます。そこから新川川沿いに20分ほど歩いたところに雪蹊寺はありました。.....お参りが終わったのが午後2時30分。その日お世話になる民宿「高知屋」さんのチェックインが午後4時。ということで、境内でしばし時間潰しをすることにしました。
 まずはメダカまで売っていた露店の店主と世間話をしますが、もちません。広くはない境内を歩きまわったあげく、木陰にベンチを見つけてひと休みです。蝉の声と木の葉の擦れ合う音しか聞こえない、そんな贅沢な空間に身をおいてぼんやり空を見上げていたら、いつの間にか眠ってしまいました。こんなに気持ちの良いお昼寝をしたのは何十年ぶりだったことでしょう。
 高知屋さんにチェックインすると、女将さんが丁寧に金剛杖を洗ってくれました。部屋には小さな杖立も置いてありました。行き届いたお宿でした。この日のお客は3名。食事どきはお婆さんが賄いをしてくれました。聞けば今年はお客さんが少ないのだとか。これだけ暑いと夏のお遍路は躊躇するかもしれません。炎天下数時間も歩くのは、やはり堪えます。冷たいビールで喉を潤しました。

34番札所 種間寺 ~ 清々しい早朝の歩き遍路
 翌朝は午前6時半に宿を立ちました。比較的涼しい時間を有効活用するためです。6.3キロ先の種間寺に向かいました。見落としそうな小さな案内矢印を確認しながら、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら軽快に歩きます。私はこういうお遍路が大好きです。特段に急ぐ用もないので、土佐の国の風景を全身で受け止め、ただただ歩き続けます。
 と、どこからともなくNHKラジオ第一の番組「音楽の泉」が流れてきました。どこから聞こえるのだろうとあたりを見わたすと、前を歩いているお婆さんの籠のあたり。そう、お婆さんはクラシック音楽を聴きながら、田圃道をお散歩中でした。立派なコンサートホールではなく、自然のど真ん中で聴く音楽ってなんて素晴らしいことか。この86歳になるお婆さん、若い頃には何度もお遍路に出かけたのだとか。だから今も足腰元気だと。四国を歩き終えたら小豆島の八十八カ所巡りをしてはどうかと勧められました。2泊3日で巡ることができるのだそうです。
 そうこうするうちに、遠くに種間寺さんが見えてきました。すると草むしりをしていたお婆さんが「種間寺はほらあそこだよ。もう少しだよ」と教えてくれました。分かっていたけれど嬉しい言葉です。都会の雑踏の中では得られない人との出会いに心温まります。
35番札所 清滝寺 ~山門の天井に龍の絵 
 次に向かったのは清滝寺でした。種間寺からは10キロ先にあります。途中、仁淀川大橋を渡ると遠くの山懐に清滝寺が見えてきます。
 バスツアーでは、山の中腹にお寺がある場合、観光バスから乗り合いタクシーに乗り換えて細い車道を登っていくのですが、歩き遍路の場合はそうはいきません。高知自動車道を潜り抜けたあたりからミカン畑が見えてきます。しばらくして昔ながらの遍路道に入り、さらに上をめざします。汗をふきふき坂道を登っていくと、やっと山門の前に辿り着きます。
 山門の天井に立派な龍の絵が描かれてありました。さらに長い長い石段を登っていくと、見覚えのある境内が現れます。納経所で記帳をいただいたあと、しばらくベンチに座って街の景色を眺めながら休憩です。さきほど渡った仁淀川大橋が遠くに小さく見えます。
36番札所 青龍寺 ~空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠も
 清滝寺から青龍寺までは13キロもあります。暑い暑い夏のこと、この日はショートカットして高岡高校通のバス停から土佐市ドラゴンバスに乗って次の宿所「三陽荘」に向かうことにしました。時間にして約30分。到着すると宿に荷物を預けて、青龍寺に向かいました。歩いて15分ほどの距離にありますが、のんびり散歩がてらといった感じです。いつもどおり、左に金剛杖、右にカメラをもって歩きます。
 こちらも、山門から長い石段を登っていきます。本堂、大師堂、そして空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠をお参りしました。
青龍寺奥の院、そして五色の浜で海を眺める。
 納経所で奥の院の場所を尋ね、またもや遍路道を歩き始めました。ところが、先日の台風のせいでしょうか、途中で道が分からなくなるほど荒れていました。道なき道を登って辿り着いたのは車道。しばらく行くとさらに遍路道があります。長い長い坂道を登った上に、奥の院はひっそりとありました。「これよりさき、土足禁止」の看板があり、備え付けのスリッパに履き替えて本堂にお参りしました。
 帰りは横浪スカイラインを下ることにしました。猛スピードで走り去るオートバイや自動車を避けながら歩いていると、五色の浜の看板。細い道を下って海岸べりまで下りました。打ち寄せては砕ける波の動きをじっと見つめていると時間の経つのを忘れてしまいます。「海」の持つエネルギー、生命の不思議に思いを巡らせました。
 三陽荘は、以前バスツアーでも泊まったことのある宿です。遍路宿にしてはやや高めですが、温泉もあって歩き疲れた身体を癒すのには最適です。夕食時には、前夜も同じ宿に泊まった同世代の方とお酒を呑み語らいました。愛媛の彼は、あと数日歩いていったん自宅に戻ると言っていました。皆それぞれに思いは違いますが、土佐の道をひたすら歩きながら、人それぞれに何かを思う。これが「歩き遍路」の醍醐味です。
 今回は暑さのせいもあったのでしょうが、ややお疲れ気味の「歩き遍路」になりました。次回はいよいよ足摺岬。あと3カ寺で修行の道場「土佐の国」を歩き終えます。体調を整えておかなければ。........それにしても今日はだらだらと長くなり過ぎました。最後までお読みいただき恐縮です。

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雨のち晴れ~土佐の海辺と田圃道を歩く

2018-05-17 22:28:16 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰った翌日はカレッジの日。授業が終わると、友人たちとお約束していた大阪・鶴橋の焼肉店「小川亭とらちゃん」での呑み会でした。........4月半ばから出たり入ったりしていたドタバタ劇、これでひと段落といったところでしょうか。今朝は久しぶりにゆっくりと目覚めました。
 今回の「歩き遍路」は、高知県の室戸岬から歩き始めて高知市に向かう2泊3日の行程でした。途中、ショートカットしたところを除いて65キロの道のりです。初日はあいにくの雨模様。午後1時過ぎに室戸バスターミナルに到着すると、お遍路姿に着替えた上からすっぽりとポンチョを被って、いざ出発です。まずは、室津港の街中に佇む25番札所「津照寺」に向かいました。
 その後、雨も小降りになり、国道55号線やへんろ道をひたすら歩いて26番札所金剛頂寺に向かいます。道端にあった「女人結界の道しるべ」なる石碑に目が留まりました。案内板には、「この石碑は、貞享2年2月(1685年)に建立され、これより西寺領八町内へは女性は入ってはいけないの意で、昔は女性が参拝する事を拒んだ」とあります。女人禁制です。その昔、女性たちは、翌日に訪ねることになる不動岩(番外霊場)に参拝したようです。
 金剛頂寺の境内は標高165メートルのところにあります。平地を歩いていて急に山登りをすると堪えます。本堂、大師堂と回って納経所へ。運悪くツアーの方々と重なり、しばし時間待ちをしました。階段を降りたところで歩き遍路さん同士で写真を撮りあいました(笑)。
 その日は、民宿うらしまで泊まりました。泊り客は5名(男性4名、女性1名)。うち男性1名は欧米系の方でした。夕食時、冷たいビールで喉を潤していると、女将さんからコップ1杯の日本酒のお接待をいただきました。
 2日目の朝は、前日と打って変わって「晴れ」。幸先の良いスタートとなりました。6時30分出発。まずは金剛頂寺の奥の院といわれる行当岬の不動岩に向かいます。これから向かう羽根崎と室戸岬のほぼ中間に位置し、高さ40メートルの不動巌があります。弘法大師が修行した場所だったので「行当西寺」とも呼ばれ、波切不動として信仰を集め、女人堂として賑わったのだそうです。
 引き続き、左側に延々と続く海岸線を眺めながら、ひたすら歩き続けることになります。ときどき振り返ってみると、遠くに出発点の室戸岬が見えます。....と、休憩所が見えてきたので、ここでひと息。ここでも石碑が気になったので案内板をみると、「羽根崎と紀貫之の歌碑」とあります。「古くは、紀貫之が土佐日記に承平5年(935年)1月10日、羽根の泊に泊し、一行は11日昼頃羽根崎を過ぎる。幼童の羽根という名を聞いて、~ まことにて名に聞く所 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな~と詠まれている」と記されています。
 「土佐日記」(角川ソフィア文庫)の現代語訳によれば、「本当にその名のとおり、この「羽根」という土地が鳥の羽ならば、その羽で飛ぶように早く都に帰りたいものだなあ」という意味のようです。紀貫之は29番札所国分寺界隈で土佐の国司として4年間を過ごして帰京するわけですが、一行の都を思う気持ちが伝わってきます。ちなみに一行は土佐から和泉の国(大阪南部)、そして淀川を登って京都に帰りました。悪天候のため55日もかかったのだそうです。
 その後、中山峠、弘法大師御霊跡、奈半利町、田野町を経て、二日目の民宿ドライブイン27へ。やや古びたお宿でしたが、気さくな女将さんに元気づけられ、少し遅めの昼食をとると、荷物を預けて27番札所神峯寺へ向かいました。土佐の国では一番高い標高430mにあるお寺です。くねくねと走る車道を突きっ切るように山肌を縦に登っていく急こう配のへんろ道を登り詰めて1時間。やっと境内に辿り着きました。お参りしたあと、カメラ愛好家の方々に出会い、本堂前で写真を撮っていただきました。
  納経所前にあった土佐の名水「神峯の水」をいただいて山を下りました。駐車場横のお土産店で、さきほどのカメラ愛好家の皆さんにお会いしました。「はちみつ入りゆず飲料”ごっくん馬路村”お勧めよ」と。美味しかったです。「帰りは無理をせず車道を歩いて帰った方が楽ですよ」とも。というわけで、滅多に車が通らないくねくね車道を歩きながら下山しました。
 しばらくすると、樹木の切れ目から色鮮やかな初夏の土佐を一望できるところがありました。遠くに羽根崎の海岸線も見えます。なによりも、空気が澄んでいて山の緑が美しい。シチリアの景色に似た高揚感が身体に充満するのを覚えました。バスツアーでは見逃してしまう景色です。....そこでポケットから取り出したのがipod。またぞろ新井満さんの「千の風になって」を聴きながら、疲れも忘れて気持ちよくお山を下りていきました。
 街に降りると、宿には直行せず、唐浜海岸をお散歩しました。太平洋に向かって左に羽根崎、右には遠くに足摺岬が微かに見えます。打ち寄せる波にまん丸くなった小石を2個いただいて帰りました。
 3日目は、少しショートカットして土佐くろしお鉄道「のいち」駅から歩き始めました。これまでの海岸線とは異なり、街並み、農道、田圃道を歩くことになります。28番札所大日寺(香南市)は難なくクリア。初日の宿でご一緒した叔父さん、叔母さんとも、再び境内でお目にかかりました。
 29番札所国分寺までは9キロの道のりです。民家が立ち並ぶ小径、田圃の真ん中を歩きます。へんろ道の矢印を注意深く確認していないと方向を見失いそうです。なので、時々スマホのgoogle mapで立ち位置を確認します。.....戸板島橋を渡り、松本大師堂を通り、やっとこさ国分寺(南国市)に到着です。
 そして今回最後の札所となる30番善楽寺(高知市)へは約7キロの道のりです。時間とともに気温も上昇。肌がひりひりしてきます。国分川に沿って、まだかまだかと歩きながら、休憩所で一服。「神峯の水」に元気をいただきました。やっと到着しましたが、一宮神社の方が大きく、善楽寺の境内に辿り着くのに戸惑ってしまいました。
 こうして、2泊3日の「歩き遍路」を無事歩き終えました。開経偈、懺悔文、三帰、発菩提心真言、三摩耶戎真言、般若心経、大師宝号、回向文などを唱えるカタチも徐々に身についてきたように思います。行き帰りの高速バスの中では、空海「般若心経秘鍵」(角川文庫=ビギナーズ日本の思想)に目を通しました。まだまだビギナーの歩き遍路ですが、宿で先輩のお遍路さんにいろいろお話しを伺いながら、少しずつ深化させていくことになります。

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「修業の道場」土佐の国へ ~ 海辺の道をひたすら歩く

2018-03-15 21:57:11 | 四国遍路

 遠くに幾つもの岬が重なる山の麓を走る国道55号線。海岸に打ち寄せる波の音をBGM替わりに、ただひたすら歩き続けた3日間でしたが、高知県東洋町の野根を過ぎたあたりで、妙な音の変化に耳を澄ませました。ざあぁと打ち寄せる波の音のあとに、ゴロゴロォ~という音があたりに響き渡ります。
  以前、何かの本で読んだことがあります。このあたりは通称ゴロゴロ海岸といわれ、黒潮がうち寄せる波と引く波に石がまきこまれてゴロゴロォ~、ゴロゴロォ~と鳴り響きます。しばし立ち止まって、その風景と波の音に聴き入りました。
 どこまでも続く国道55号線。室戸岬はまだまだ先のようで視界のなかに入ってきません。5キロほど歩いたところにあった「法海上人堂」で、しばしひと休みです。荷物を下ろして水分補給。コンビニで買った2個のおにぎりをほおばりながら、ふっと心に浮かんだのは「歩いてよかった」でした。バスツアーでは素通りしてしまいそうな風景を全身で感じるのが「歩き遍路」の醍醐味です。
 10分ほど経った頃、一人の男性がやってきました。前日、別格4番「鯖大師」でお会いした方でした。わたしと同じ初心者ですが、私より長い区切りで結願をめざしているのだと。若い頃は山登りを趣味にされているようなので、間違いなく健脚です。お別れの言葉は「じゃあ、また、どこかで」でした。

 4月下旬を思わせる陽気のなか、私は大阪駅で高速バスに乗って一路徳島に向かいました。「歩き遍路」第四弾は「修行の道場」といわれる土佐の国、室戸岬をめざす65キロです。徳島駅でJRに乗り換えて牟岐駅下車。今回の出発点になります。 
 1日目は18キロ先の海陽町宍喰をめざしました。いくつかのトンネルを抜けて内妻峠を越えると太平洋が見えてきます。しばらくすると、野口雨情の石碑に出会います。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。北原白秋、西條八十とともに三大童謡詩人として知られ、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」などたくさんの童謡を作詞しました。ふと思い出しました。10年ほど前、東京・麻布十番界隈で呑んだとき、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する「赤い靴の女の子」の「きみちゃん像」に出会ったことがありました。(「秋に二話」2007-09-30)
 平坦な海沿いの道から本来のお遍路道に入ります。急に荒々しい道に代わりますが、それも束の間。別格4番「鯖大師」の多宝塔の裏に出てきました。本堂、大師堂をお参りして小休止したあと、ふたたび歩き始めました。
 海部駅あたりに来て、国道を離れ海辺の道を歩いてみることにしました。これが失敗。愛宕山の麓で行き止まりになってしまいました。ここまで来たら愛宕山に登って鳥瞰してみるしかない。これがたいへんでした。お山をぐるりと回って元の海部駅界隈に戻ってしまいました(笑)。
 野口雨情の詩に「八坂八濱」という言葉がありましたが、このあたりは10数キロの間に八つの坂と八つの浜がある難所だったところです。川かと思ったら海が内陸まで入り組むほどの地形でした。そういう道を歩きながら、初日の宿所である民宿「はるる亭」に到着しました。なんと温泉付きの民宿で、美味しい魚料理とすこしばかりのお酒をいただきました。
 2日目は朝7時に出発。この日は3日間で最も長い28キロになります。しばらく歩いて水床トンネルを抜けると、徳島を越え、土佐は高知県東洋町に入りました。しばらくして番外霊場東洋大師です。境内の縁台の上でワン君が気持ち良さそうに日向ぼっこしていました。
 さて、これからが長丁場です。道端には「ここ 最終自販機。この先10㎞ 佛海庵まで給水ポイントなし」との忠告看板。民宿のご主人からも「飲料水の用意を」と言われていました。コンビニも自販機もなんにもない、ただただ海沿いに歩く旅。ここからはiPodに入れた音楽(ラザー・ベルマンによるリストのピアノ曲「巡礼の年(全曲)」)を聴きながら、遠くに見える岬をひとつひとつクリアしていく、そんな歩き旅になりました。ところがです。ピアノの音の向こうに聴こえる波の音に変化が....。これが前段で綴ったゴロゴロ海岸です。
 法海上人堂、佛海庵を経て、2日目のお宿は民宿「徳増」でした。夕刻、食堂に行ってびっくり。「鯖大師」と「法海上人堂」でお会いした男性に再会しました。80歳を過ぎたベテランお遍路さんを交えて、一献傾けながら楽しいひと時を過ごしました。そのお爺さんは「歩き遍路」の常連さんで、各地に定宿をお持ちのよう。それを聞いた初心者二人は一瞬顔を見合わせてしまいました。この日の夕食では、かのマンボウ料理も堪能しました。
 3日目はいよいよ24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)です。今回唯一の四国八十八カ寺になります。体調はすこぶる良好で、夫婦岩、三津漁港を経て順調に歩を進めました。そうこうするうちに室戸岬が見えてきます。「室戸青年大師像」、弘法大師が悟りを開いたという「御蔵洞」へ。岩山に御厨人窟と神明窟という洞窟がありますが、いまは立ち入り禁止になっていました。納経書にお印をいただいて失礼をしました。
 いよいよ遍路道を歩いて山上の最御崎寺に向かうことになりますが、長らく平坦な道を歩いてきたためか、標高165メートルほどのお山の上に登るのにひと苦労しました。でも、白亜の室戸岬灯台から眺める太平洋は圧巻でした。仁王門から境内に入り、本堂、大師堂をお参りして納経所に向かいました。と、ここでまた、宿所でご一緒した男性にお会いしました(笑)。
 帰りは、室戸スカイラインを歩いて室戸岬の西側に下りました。その途中、次回に巡る予定の行当岬を一望できるところがあったので、そこで小休止。なんとも言えない風景にただただ見入ってしまいました。
 以上で今回の「歩き遍路」は無事終わりました。お参りしたのは一カ寺だけでしたが、気候が良かったこともあり、土佐の国はひと足早く「春」を迎えていました。田圃では田植えの準備が始まっていました。道中、蛙やウグイスの鳴き声が響き渡っていました。そうそう、途中でお猿さんに同行いただいたこともありました。またあるときは、頭上にトンビの姿も。海岸に打ち寄せる波も、なんだか生きているように思えてきました。山国育ちの私にとって海は神秘的な存在でもあります。独りで歩いていても決して独りではない。そんな気持ちの良い汗をかいた3日間でした。
 夕刻、室戸の高速バスターミナルから一路大阪へと向かいました。3日間歩いてきた道を遡る感じですが、なんと、出発点の牟岐駅まで戻るのにバスで1時間半しかかかりませんでした。もう一度歩いてって言われたら少し戸惑ってしまいますが、自分なりによく歩けた「歩き遍路」だったように思います。

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