心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歩き遍路(高知編) 土佐の国を歩き終えました。

2018-10-18 23:37:26 | 四国遍路

 朝晩ひんやりする季節を迎えました。ここ半月、島根への帰省やら歩き遍路やらが続き、そのうえにカレッジの仕事も本格化。きょう一連の予定がひと段落ついて、やっとふだんの生活に戻ったところです。
 「歩き遍路」№7は車中泊を含めて3泊4日。次の旅程を考えると今回はぜひとも土佐の国を歩き終えておきたかったので、列車やバスも利用して、岩本寺、金剛福寺、延光寺と回りました。
足摺岬から室戸岬を望む
 今回一番印象に残ったのは、足摺岬から遠くに霞んで見えた室戸岬でした。今年は台風の直撃を受けた室戸岬ですが、あちらから足摺岬を見たのは5カ月も前のことでした。区切り遍路とは言え、あんなにも遠くから歩いてきたことに、ある種の感動さえ覚えました。そんな風景を眺めながら、その間の楽しかったこと辛かったことが浮かんできて、なんとも言えない気持ちになりました。
珍しく道に迷う
 今回の「歩き遍路」は、列車とバスを多用したとは言いながら、3日間で50キロを越える距離を歩いたことになります。その間、一度だけ辛い場面がありました。それは2日目のこと。中村駅前から足摺岬をめざしたときのことです。
 朝早くに宿を出て、今回のメインルートである足摺岬に向かう途中、下ノ加江、大岐海岸と順調に進みましたが、以布利トンネルを抜けた所で前方にジョン万次郎記念館の看板を見て「あれ?そんなはずはない」。このままでは西海岸に出てしまわないかと。さっそくGooglemapで確認すると、案の定、道を間違えていました。これは大変と以布利港をめざしましたが、その途中で以布利の住宅街に紛れ込んでしまいました。やっとの思いで本来の道に戻ったところで30分のロスです。
「遍路道」に四苦八苦
 そんなとき、道端に寂しそうな「遍路道」を見つけました。でも、地図をみると少し時間を稼げそうな道です。さっそく遍路道を歩き始めました。ところがです。歩き始めてすぐに樹々が横たわって道を塞ぎます。目の前にはだかるクモの巣を金剛杖で払いのけながら、アップダウンのある山道を歩き続ける羽目に。道でありそうで、道ではなさそうな、そんな遍路道をただひたすら歩くことに。方向感覚が麻痺するなかで、頼りは左側から微かに聴こえる潮騒の音だけでした。
 そんな寂しい山道を独り必死に歩いていると、木の根っこでも食べていたのか猪が掘り返した山道に足を滑らせて4メートルほどずり落ちる始末。筋肉痛を抑えながらやっとのことで出たところは墓地の中でした。でも、目の前には窪津漁港が見えてきて、ひと安心。慣れない古い遍路道の独り歩き、頼れるのは自分独りであることを改めて実感した「歩き遍路」でありました。
金剛福寺の宿坊に泊まる
 足摺岬の金剛福寺では、久しぶりに宿坊に泊まらせていただきました。お客は、関東からおいでのご夫婦と私の3名だけでしたので、夕食時一献傾けながらいろんなお話しをさせていただきました。私よりもう少し長いスパンで区切り遍路をされていて、移動は公共交通機関利用が原則というご夫婦、今回は観自在寺まで行っていったんお帰りになるとか。仏像彫りが趣味という温厚そうなご主人を温かく包み込む奥様。こちらまで心なごむ時間をいただきました。
老いの生き方
 宿坊だけあって、部屋は広いけれどもテレビもラジオもありません。部屋の鍵もありません。秋の虫の音が静かに聴こえてきます。早々に眠りにつきました。翌朝は5時半に起床、6時から「朝のお勤め」がありました。ご住職と般若心経を唱えました。そして、法話のテーマは「老いの生き方」でした。人生80年、100年と言われる時代の人の生き方。あまり早く介護施設に入ると、手取り足取りの介護サービスで逆に体力が萎えてしまう。元気なうちはできるだけ身体を動かした方がよいと。納得です。「歩き遍路」も、そのひとつかもしれません。
 「歩き遍路」を始めたのが一年前の9月下旬。以後2カ月に一度の頻度で出かけて、やっと修行の道場といわれる土佐の国を歩き終えました。88ヶ寺のうち39ヶ寺を巡ったことになります。次回から菩薩の道場といわれる伊予の国・愛媛県に入りますが、こちらもなかなかタイトな旅になりそうな予感がします。
岩本寺本堂の格天井
 さて、今回も前回同様、夜10時に大阪駅バスターミナルを出発して翌朝午前5時過ぎに高知駅前に到着すると、普通列車に飛び乗って2時間45分、窪川駅に降り立ちました。そして10分ほどのところにある37番札所・岩本寺に向かいました。このお寺の本堂の天井には全国から集まった600枚近い絵画で覆いつくされています。なかなかの圧巻でした。
雄大な入野松原と四万十川
 窪川駅に舞い戻ると、今度は土佐くろしお鉄道の特急列車に乗って土佐上川口駅を下車。まずは海岸沿いに入野松原をめざしました。延々と続く浜辺を1時間あまり歩いて辿り着いたのが道の駅です。ここで小休止。「シラス丼」をいただいたあと松林を楽しみながら、四万十川に向かいました。単調な風景を眺めながらひたすら歩き続けておよそ3時間。やっと四万十大橋に到着です。休憩所で一服したあと、雄大な四万十川を眺めながら堤防沿いに北上して中村駅に向かい、この日お世話になる民宿土佐に到着しました。
 翌日は足摺岬へ、そのまた翌日は足摺岬からバスにのって西海岸回りで中村駅に戻ると、列車で平田駅に向かいました。駅から歩いて40分ほどでしょうか。土佐の国最後になる39番札所・延光寺に到着です。関東のご夫婦とはここでお別れでした。
 こうして今回も、たくさんの気づきをいただいて帰阪することができました。さあて、次回は年末、それとも年明け?伊予の国の地理をお勉強してから計画を立てることにいたします。

 
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歩き遍路(高知編) ~ 竹林寺から青龍寺へ

2018-08-30 20:04:37 | 四国遍路

 さあて、いよいよ「歩き遍路」№6です。午後10時、大阪駅前から高速バスに乗って一路高知へ。翌朝5時過ぎに高知駅前バスターミナルに到着しました。今回は、31番札所の竹林寺を皮切りに、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺、青龍寺の六カ寺をお参りしました。
31番札所 竹林寺 ~ 牧野植物園内の遍路道を歩く。
 早朝、路面電車の「はりまや橋」駅に向かって歩き始めて5分、雨が降り出しました。慌ててポンチョを取り出しましたが、始発電車に乗って「文殊通」駅に着く頃には
雨も上がって、やれやれ。町中をしばらく歩くと前方に五台山が見えてきました。竹林寺はこのお山の上にあります。
 墓地が並ぶ薄暗い遍路道を足早に通り過ぎると、牧野富太郎植物園が見えてきました。遍路道はその植物園の中を通っています。早朝のため門は閉まっていましたが、お遍路さんのための出入口が別に用意されていました。
 竹林寺は、その植物園の門を出た所にあります。石段を登って山門をくぐり、雨上がりの静けさのなか本堂に向かいました。久しぶりに般若心経を唱え、さて帰ろうとしたとき、なんと土砂降りの雨が降ってきました。これは大変と、しばし雨宿りです。雨の音とお坊さんの唱えるお経の声が妙に絡まり、贅沢な時間を過ごしました。
32番札所 禅師峰寺 ~ 「お疲れ様でした」の看板に癒される。
 雨が上がるのを待って、禅師峰寺へ向かいました。下田川を渡ってしばらく歩くと武市半平太旧宅の案内板がありました
。......さらに進むと石土池、その先に禅師峰寺が見えてきます。この間7.4キロ。寝不足だったためか、結構な距離に感じました。それでも、石段下にあった「お疲れ様でした」の看板にほっとひと息でした。
炎天下の歩き遍路にかき氷のお接待をいただく。
 10時を過ぎる頃になると、気温もどんどん上昇して夏の日差しが戻ってきました。雪蹊寺までは9キロ近くあります。とりあえず、遍路道唯一の船の路、種﨑渡船場をめざしました。土佐湾沿いに平坦で変化のない車道6キロを、ただひたすら歩き続けました。次第に全身を熱の塊が覆い始めます。それでも前を見つめて歩き続ける.....。
 もう限界かと思ったそのとき、1軒の小さなハワイアンカフェGarlishを見つけて飛び込みました。店内は冷房が効いていてほっとひと息。生き返った心地でした。でも食欲はなく、頼んだのはフレンチトーストとコーラだけ。ところが、お皿に盛られたサイコロ状のトーストとフルーツに蜂蜜がたっぷりかかっていました。なんと美味しかったことか。生気を取り戻しました。
 このお店に40分近くいたでしょうか。食後しばらくすると、お姉さんがお接待といってかき氷をサービスしてくれました。ほんとうにありがとうございました。そのあと軽快に歩くことができたのは言うまでもありません。
 種崎渡船場につくと、待合室に先客が2名。そのうち東京からやってきた中年男性は、大きなリュックを背負って移動中で、夜はテントで寝泊まりしながら歩いているのだと。その馬力には驚きました。
33番札所 雪蹊寺 ~ 境内のベンチに寝そべってお昼寝
 渡船(無料)は5分ほどで対岸の梶ヶ浦に着きます。そこから新川川沿いに20分ほど歩いたところに雪蹊寺はありました。.....お参りが終わったのが午後2時30分。その日お世話になる民宿「高知屋」さんのチェックインが午後4時。ということで、境内でしばし時間潰しをすることにしました。
 まずはメダカまで売っていた露店の店主と世間話をしますが、もちません。広くはない境内を歩きまわったあげく、木陰にベンチを見つけてひと休みです。蝉の声と木の葉の擦れ合う音しか聞こえない、そんな贅沢な空間に身をおいてぼんやり空を見上げていたら、いつの間にか眠ってしまいました。こんなに気持ちの良いお昼寝をしたのは何十年ぶりだったことでしょう。
 高知屋さんにチェックインすると、女将さんが丁寧に金剛杖を洗ってくれました。部屋には小さな杖立も置いてありました。行き届いたお宿でした。この日のお客は3名。食事どきはお婆さんが賄いをしてくれました。聞けば今年はお客さんが少ないのだとか。これだけ暑いと夏のお遍路は躊躇するかもしれません。炎天下数時間も歩くのは、やはり堪えます。冷たいビールで喉を潤しました。

34番札所 種間寺 ~ 清々しい早朝の歩き遍路
 翌朝は午前6時半に宿を立ちました。比較的涼しい時間を有効活用するためです。6.3キロ先の種間寺に向かいました。見落としそうな小さな案内矢印を確認しながら、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら軽快に歩きます。私はこういうお遍路が大好きです。特段に急ぐ用もないので、土佐の国の風景を全身で受け止め、ただただ歩き続けます。
 と、どこからともなくNHKラジオ第一の番組「音楽の泉」が流れてきました。どこから聞こえるのだろうとあたりを見わたすと、前を歩いているお婆さんの籠のあたり。そう、お婆さんはクラシック音楽を聴きながら、田圃道をお散歩中でした。立派なコンサートホールではなく、自然のど真ん中で聴く音楽ってなんて素晴らしいことか。この86歳になるお婆さん、若い頃には何度もお遍路に出かけたのだとか。だから今も足腰元気だと。四国を歩き終えたら小豆島の八十八カ所巡りをしてはどうかと勧められました。2泊3日で巡ることができるのだそうです。
 そうこうするうちに、遠くに種間寺さんが見えてきました。すると草むしりをしていたお婆さんが「種間寺はほらあそこだよ。もう少しだよ」と教えてくれました。分かっていたけれど嬉しい言葉です。都会の雑踏の中では得られない人との出会いに心温まります。
35番札所 清滝寺 ~山門の天井に龍の絵 
 次に向かったのは清滝寺でした。種間寺からは10キロ先にあります。途中、仁淀川大橋を渡ると遠くの山懐に清滝寺が見えてきます。
 バスツアーでは、山の中腹にお寺がある場合、観光バスから乗り合いタクシーに乗り換えて細い車道を登っていくのですが、歩き遍路の場合はそうはいきません。高知自動車道を潜り抜けたあたりからミカン畑が見えてきます。しばらくして昔ながらの遍路道に入り、さらに上をめざします。汗をふきふき坂道を登っていくと、やっと山門の前に辿り着きます。
 山門の天井に立派な龍の絵が描かれてありました。さらに長い長い石段を登っていくと、見覚えのある境内が現れます。納経所で記帳をいただいたあと、しばらくベンチに座って街の景色を眺めながら休憩です。さきほど渡った仁淀川大橋が遠くに小さく見えます。
36番札所 青龍寺 ~空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠も
 清滝寺から青龍寺までは13キロもあります。暑い暑い夏のこと、この日はショートカットして高岡高校通のバス停から土佐市ドラゴンバスに乗って次の宿所「三陽荘」に向かうことにしました。時間にして約30分。到着すると宿に荷物を預けて、青龍寺に向かいました。歩いて15分ほどの距離にありますが、のんびり散歩がてらといった感じです。いつもどおり、左に金剛杖、右にカメラをもって歩きます。
 こちらも、山門から長い石段を登っていきます。本堂、大師堂、そして空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠をお参りしました。
青龍寺奥の院、そして五色の浜で海を眺める。
 納経所で奥の院の場所を尋ね、またもや遍路道を歩き始めました。ところが、先日の台風のせいでしょうか、途中で道が分からなくなるほど荒れていました。道なき道を登って辿り着いたのは車道。しばらく行くとさらに遍路道があります。長い長い坂道を登った上に、奥の院はひっそりとありました。「これよりさき、土足禁止」の看板があり、備え付けのスリッパに履き替えて本堂にお参りしました。
 帰りは横浪スカイラインを下ることにしました。猛スピードで走り去るオートバイや自動車を避けながら歩いていると、五色の浜の看板。細い道を下って海岸べりまで下りました。打ち寄せては砕ける波の動きをじっと見つめていると時間の経つのを忘れてしまいます。「海」の持つエネルギー、生命の不思議に思いを巡らせました。
 三陽荘は、以前バスツアーでも泊まったことのある宿です。遍路宿にしてはやや高めですが、温泉もあって歩き疲れた身体を癒すのには最適です。夕食時には、前夜も同じ宿に泊まった同世代の方とお酒を呑み語らいました。愛媛の彼は、あと数日歩いていったん自宅に戻ると言っていました。皆それぞれに思いは違いますが、土佐の道をひたすら歩きながら、人それぞれに何かを思う。これが「歩き遍路」の醍醐味です。
 今回は暑さのせいもあったのでしょうが、ややお疲れ気味の「歩き遍路」になりました。次回はいよいよ足摺岬。あと3カ寺で修行の道場「土佐の国」を歩き終えます。体調を整えておかなければ。........それにしても今日はだらだらと長くなり過ぎました。最後までお読みいただき恐縮です。

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雨のち晴れ~土佐の海辺と田圃道を歩く

2018-05-17 22:28:16 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰った翌日はカレッジの日。授業が終わると、友人たちとお約束していた大阪・鶴橋の焼肉店「小川亭とらちゃん」での呑み会でした。........4月半ばから出たり入ったりしていたドタバタ劇、これでひと段落といったところでしょうか。今朝は久しぶりにゆっくりと目覚めました。
 今回の「歩き遍路」は、高知県の室戸岬から歩き始めて高知市に向かう2泊3日の行程でした。途中、ショートカットしたところを除いて65キロの道のりです。初日はあいにくの雨模様。午後1時過ぎに室戸バスターミナルに到着すると、お遍路姿に着替えた上からすっぽりとポンチョを被って、いざ出発です。まずは、室津港の街中に佇む25番札所「津照寺」に向かいました。
 その後、雨も小降りになり、国道55号線やへんろ道をひたすら歩いて26番札所金剛頂寺に向かいます。道端にあった「女人結界の道しるべ」なる石碑に目が留まりました。案内板には、「この石碑は、貞享2年2月(1685年)に建立され、これより西寺領八町内へは女性は入ってはいけないの意で、昔は女性が参拝する事を拒んだ」とあります。女人禁制です。その昔、女性たちは、翌日に訪ねることになる不動岩(番外霊場)に参拝したようです。
 金剛頂寺の境内は標高165メートルのところにあります。平地を歩いていて急に山登りをすると堪えます。本堂、大師堂と回って納経所へ。運悪くツアーの方々と重なり、しばし時間待ちをしました。階段を降りたところで歩き遍路さん同士で写真を撮りあいました(笑)。
 その日は、民宿うらしまで泊まりました。泊り客は5名(男性4名、女性1名)。うち男性1名は欧米系の方でした。夕食時、冷たいビールで喉を潤していると、女将さんからコップ1杯の日本酒のお接待をいただきました。
 2日目の朝は、前日と打って変わって「晴れ」。幸先の良いスタートとなりました。6時30分出発。まずは金剛頂寺の奥の院といわれる行当岬の不動岩に向かいます。これから向かう羽根崎と室戸岬のほぼ中間に位置し、高さ40メートルの不動巌があります。弘法大師が修行した場所だったので「行当西寺」とも呼ばれ、波切不動として信仰を集め、女人堂として賑わったのだそうです。
 引き続き、左側に延々と続く海岸線を眺めながら、ひたすら歩き続けることになります。ときどき振り返ってみると、遠くに出発点の室戸岬が見えます。....と、休憩所が見えてきたので、ここでひと息。ここでも石碑が気になったので案内板をみると、「羽根崎と紀貫之の歌碑」とあります。「古くは、紀貫之が土佐日記に承平5年(935年)1月10日、羽根の泊に泊し、一行は11日昼頃羽根崎を過ぎる。幼童の羽根という名を聞いて、~ まことにて名に聞く所 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな~と詠まれている」と記されています。
 「土佐日記」(角川ソフィア文庫)の現代語訳によれば、「本当にその名のとおり、この「羽根」という土地が鳥の羽ならば、その羽で飛ぶように早く都に帰りたいものだなあ」という意味のようです。紀貫之は29番札所国分寺界隈で土佐の国司として4年間を過ごして帰京するわけですが、一行の都を思う気持ちが伝わってきます。ちなみに一行は土佐から和泉の国(大阪南部)、そして淀川を登って京都に帰りました。悪天候のため55日もかかったのだそうです。
 その後、中山峠、弘法大師御霊跡、奈半利町、田野町を経て、二日目の民宿ドライブイン27へ。やや古びたお宿でしたが、気さくな女将さんに元気づけられ、少し遅めの昼食をとると、荷物を預けて27番札所神峯寺へ向かいました。土佐の国では一番高い標高430mにあるお寺です。くねくねと走る車道を突きっ切るように山肌を縦に登っていく急こう配のへんろ道を登り詰めて1時間。やっと境内に辿り着きました。お参りしたあと、カメラ愛好家の方々に出会い、本堂前で写真を撮っていただきました。
  納経所前にあった土佐の名水「神峯の水」をいただいて山を下りました。駐車場横のお土産店で、さきほどのカメラ愛好家の皆さんにお会いしました。「はちみつ入りゆず飲料”ごっくん馬路村”お勧めよ」と。美味しかったです。「帰りは無理をせず車道を歩いて帰った方が楽ですよ」とも。というわけで、滅多に車が通らないくねくね車道を歩きながら下山しました。
 しばらくすると、樹木の切れ目から色鮮やかな初夏の土佐を一望できるところがありました。遠くに羽根崎の海岸線も見えます。なによりも、空気が澄んでいて山の緑が美しい。シチリアの景色に似た高揚感が身体に充満するのを覚えました。バスツアーでは見逃してしまう景色です。....そこでポケットから取り出したのがipod。またぞろ新井満さんの「千の風になって」を聴きながら、疲れも忘れて気持ちよくお山を下りていきました。
 街に降りると、宿には直行せず、唐浜海岸をお散歩しました。太平洋に向かって左に羽根崎、右には遠くに足摺岬が微かに見えます。打ち寄せる波にまん丸くなった小石を2個いただいて帰りました。
 3日目は、少しショートカットして土佐くろしお鉄道「のいち」駅から歩き始めました。これまでの海岸線とは異なり、街並み、農道、田圃道を歩くことになります。28番札所大日寺(香南市)は難なくクリア。初日の宿でご一緒した叔父さん、叔母さんとも、再び境内でお目にかかりました。
 29番札所国分寺までは9キロの道のりです。民家が立ち並ぶ小径、田圃の真ん中を歩きます。へんろ道の矢印を注意深く確認していないと方向を見失いそうです。なので、時々スマホのgoogle mapで立ち位置を確認します。.....戸板島橋を渡り、松本大師堂を通り、やっとこさ国分寺(南国市)に到着です。
 そして今回最後の札所となる30番善楽寺(高知市)へは約7キロの道のりです。時間とともに気温も上昇。肌がひりひりしてきます。国分川に沿って、まだかまだかと歩きながら、休憩所で一服。「神峯の水」に元気をいただきました。やっと到着しましたが、一宮神社の方が大きく、善楽寺の境内に辿り着くのに戸惑ってしまいました。
 こうして、2泊3日の「歩き遍路」を無事歩き終えました。開経偈、懺悔文、三帰、発菩提心真言、三摩耶戎真言、般若心経、大師宝号、回向文などを唱えるカタチも徐々に身についてきたように思います。行き帰りの高速バスの中では、空海「般若心経秘鍵」(角川文庫=ビギナーズ日本の思想)に目を通しました。まだまだビギナーの歩き遍路ですが、宿で先輩のお遍路さんにいろいろお話しを伺いながら、少しずつ深化させていくことになります。

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「修業の道場」土佐の国へ ~ 海辺の道をひたすら歩く

2018-03-15 21:57:11 | 四国遍路

 遠くに幾つもの岬が重なる山の麓を走る国道55号線。海岸に打ち寄せる波の音をBGM替わりに、ただひたすら歩き続けた3日間でしたが、高知県東洋町の野根を過ぎたあたりで、妙な音の変化に耳を澄ませました。ざあぁと打ち寄せる波の音のあとに、ゴロゴロォ~という音があたりに響き渡ります。
  以前、何かの本で読んだことがあります。このあたりは通称ゴロゴロ海岸といわれ、黒潮がうち寄せる波と引く波に石がまきこまれてゴロゴロォ~、ゴロゴロォ~と鳴り響きます。しばし立ち止まって、その風景と波の音に聴き入りました。
 どこまでも続く国道55号線。室戸岬はまだまだ先のようで視界のなかに入ってきません。5キロほど歩いたところにあった「法海上人堂」で、しばしひと休みです。荷物を下ろして水分補給。コンビニで買った2個のおにぎりをほおばりながら、ふっと心に浮かんだのは「歩いてよかった」でした。バスツアーでは素通りしてしまいそうな風景を全身で感じるのが「歩き遍路」の醍醐味です。
 10分ほど経った頃、一人の男性がやってきました。前日、別格4番「鯖大師」でお会いした方でした。わたしと同じ初心者ですが、私より長い区切りで結願をめざしているのだと。若い頃は山登りを趣味にされているようなので、間違いなく健脚です。お別れの言葉は「じゃあ、また、どこかで」でした。

 4月下旬を思わせる陽気のなか、私は大阪駅で高速バスに乗って一路徳島に向かいました。「歩き遍路」第四弾は「修行の道場」といわれる土佐の国、室戸岬をめざす65キロです。徳島駅でJRに乗り換えて牟岐駅下車。今回の出発点になります。 
 1日目は18キロ先の海陽町宍喰をめざしました。いくつかのトンネルを抜けて内妻峠を越えると太平洋が見えてきます。しばらくすると、野口雨情の石碑に出会います。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。北原白秋、西條八十とともに三大童謡詩人として知られ、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」などたくさんの童謡を作詞しました。ふと思い出しました。10年ほど前、東京・麻布十番界隈で呑んだとき、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する「赤い靴の女の子」の「きみちゃん像」に出会ったことがありました。(「秋に二話」2007-09-30)
 平坦な海沿いの道から本来のお遍路道に入ります。急に荒々しい道に代わりますが、それも束の間。別格4番「鯖大師」の多宝塔の裏に出てきました。本堂、大師堂をお参りして小休止したあと、ふたたび歩き始めました。
 海部駅あたりに来て、国道を離れ海辺の道を歩いてみることにしました。これが失敗。愛宕山の麓で行き止まりになってしまいました。ここまで来たら愛宕山に登って鳥瞰してみるしかない。これがたいへんでした。お山をぐるりと回って元の海部駅界隈に戻ってしまいました(笑)。
 野口雨情の詩に「八坂八濱」という言葉がありましたが、このあたりは10数キロの間に八つの坂と八つの浜がある難所だったところです。川かと思ったら海が内陸まで入り組むほどの地形でした。そういう道を歩きながら、初日の宿所である民宿「はるる亭」に到着しました。なんと温泉付きの民宿で、美味しい魚料理とすこしばかりのお酒をいただきました。
 2日目は朝7時に出発。この日は3日間で最も長い28キロになります。しばらく歩いて水床トンネルを抜けると、徳島を越え、土佐は高知県東洋町に入りました。しばらくして番外霊場東洋大師です。境内の縁台の上でワン君が気持ち良さそうに日向ぼっこしていました。
 さて、これからが長丁場です。道端には「ここ 最終自販機。この先10㎞ 佛海庵まで給水ポイントなし」との忠告看板。民宿のご主人からも「飲料水の用意を」と言われていました。コンビニも自販機もなんにもない、ただただ海沿いに歩く旅。ここからはiPodに入れた音楽(ラザー・ベルマンによるリストのピアノ曲「巡礼の年(全曲)」)を聴きながら、遠くに見える岬をひとつひとつクリアしていく、そんな歩き旅になりました。ところがです。ピアノの音の向こうに聴こえる波の音に変化が....。これが前段で綴ったゴロゴロ海岸です。
 法海上人堂、佛海庵を経て、2日目のお宿は民宿「徳増」でした。夕刻、食堂に行ってびっくり。「鯖大師」と「法海上人堂」でお会いした男性に再会しました。80歳を過ぎたベテランお遍路さんを交えて、一献傾けながら楽しいひと時を過ごしました。そのお爺さんは「歩き遍路」の常連さんで、各地に定宿をお持ちのよう。それを聞いた初心者二人は一瞬顔を見合わせてしまいました。この日の夕食では、かのマンボウ料理も堪能しました。
 3日目はいよいよ24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)です。今回唯一の四国八十八カ寺になります。体調はすこぶる良好で、夫婦岩、三津漁港を経て順調に歩を進めました。そうこうするうちに室戸岬が見えてきます。「室戸青年大師像」、弘法大師が悟りを開いたという「御蔵洞」へ。岩山に御厨人窟と神明窟という洞窟がありますが、いまは立ち入り禁止になっていました。納経書にお印をいただいて失礼をしました。
 いよいよ遍路道を歩いて山上の最御崎寺に向かうことになりますが、長らく平坦な道を歩いてきたためか、標高165メートルほどのお山の上に登るのにひと苦労しました。でも、白亜の室戸岬灯台から眺める太平洋は圧巻でした。仁王門から境内に入り、本堂、大師堂をお参りして納経所に向かいました。と、ここでまた、宿所でご一緒した男性にお会いしました(笑)。
 帰りは、室戸スカイラインを歩いて室戸岬の西側に下りました。その途中、次回に巡る予定の行当岬を一望できるところがあったので、そこで小休止。なんとも言えない風景にただただ見入ってしまいました。
 以上で今回の「歩き遍路」は無事終わりました。お参りしたのは一カ寺だけでしたが、気候が良かったこともあり、土佐の国はひと足早く「春」を迎えていました。田圃では田植えの準備が始まっていました。道中、蛙やウグイスの鳴き声が響き渡っていました。そうそう、途中でお猿さんに同行いただいたこともありました。またあるときは、頭上にトンビの姿も。海岸に打ち寄せる波も、なんだか生きているように思えてきました。山国育ちの私にとって海は神秘的な存在でもあります。独りで歩いていても決して独りではない。そんな気持ちの良い汗をかいた3日間でした。
 夕刻、室戸の高速バスターミナルから一路大阪へと向かいました。3日間歩いてきた道を遡る感じですが、なんと、出発点の牟岐駅まで戻るのにバスで1時間半しかかかりませんでした。もう一度歩いてって言われたら少し戸惑ってしまいますが、自分なりによく歩けた「歩き遍路」だったように思います。

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「歩き遍路」に駆り立てるもの

2018-01-27 11:16:33 | 四国遍路

 きょうも大阪は寒い朝を迎えました。お散歩にでかけると、小さな池も凍っています。お不動さんの境内では鳩が朝陽に暖を取っています.......。もう少しで立春を迎えます。我慢の日が続きます。
  そんな寒波が押し寄せるなか、富山県黒部の宇奈月温泉に行ってきました。家族13名が勢揃いしたお正月に大奮闘した家内を慰労するのが目的でした。今回もバスを利用しての呑気な小旅行でした。永平寺のある福井市を通過して一路富山県をめざしました。時折、除雪車に先行されてノロノロ運転を余儀なくされましたが、除雪が行き届いている北陸自動車道は概してスムーズに走ることができました。幹線を外れた雪道では、車窓を流れる雪景色に見入ってしまい、雪国育ちの私を心の「古層」に誘います。古き良き時代の心の風景が走馬燈のように走り過ぎていきました。
 宿に到着するとさっそく温泉に浸かって冷え切った身体を温めました。頭上に舞う雪を見上げながら森の中の露天風呂に浸かってまったり。その夜は美味しいお料理を肴に雪見酒。家内の慰労といいながら私の方が楽しんだ、そんな温泉旅行でした(笑)。
 森といえば、「歩き遍路」をしていると、樹齢数百年にもなる大きな樹木に出会うことがあります。立江寺から鶴林寺に向かう途中に出会った八幡神社の神木、太龍寺境内の大杉、バス停に向かう途中にあった蛭子神社の大きな樹木、日和佐八幡神社の神木。何百年もの間、米粒のような人の動きを天から温かく眺めてきたのでしょう。こんな大きな樹に出会うと、その木肌に触って樹木の命(いのち)を感じとり生気をいただこうとする私がいました。アニミズムの原初的な出会いなんでしょう。きっと。
 そうそう、ひとつ書き忘れていました。日曜日に、京都大学「こころの未来研究センター」の上廣倫理財団寄付研究部門2017年度研究報告会「幸せに生きる知恵」を聴講してきました。この研究センターは、公共政策、思想、医療福祉、臨床心理学、脳神経科学、伝統知、宗教学、倫理学、哲学など多様な専門領域の先生方が、多種多様なアプローチで「こころと倫理」に関わる学術研究を進めていて、私のような一般人にも広く門戸を開いています。
 この日は、若手研究者の研究報告に続いて、「幸せはローカルから:GNHと日本」と題するパネルディスカッションがありました。GNH(Gross National Happiness)とはブータン王国が掲げる、GDPに代わる経済指標「国民総幸福度」のことです。「幸福」というある種主観的で多様なものをいかに公共政策に落とし込んでいけるか。成熟社会、ポスト成長社会が叫ばれるなかで、今日的な課題を提起します。広井良典先生のほか、GAH(Gross Arakawa Happiness)を進める東京都荒川区の自治総合研究所の猪狩廣美所長さん、関西大学の草郷孝好先生らのお話しをお聴きしました。
 この研究センターの存在を知ったのは、ちょうど5年前のことでした。経済団体主催の研究例会で、ブータン王国から来日中のブータン国立研究所長のダショー・カルマ・ウラ氏の講演「国民総幸福度(GNH)によるブータンの国づくり」があり、その通訳を担当されたのがこの研究センターの内田由紀子先生でした。講演を通じて、現代の日本人が置き忘れてきたものが全身に充満していくのを覚えたものでした。
 当時のブログに私はこんなことを綴っています。「足ることを知る。今の私の生き方とは正反対の生活が、そこにはあります。単調ではあっても自然の空気が充満した国土、私たちはそんな人の生き方を忘れ、右往左往している。様々な人為的行為が専門分化してしまい方向音痴に陥っている。それを誰でも判りやすい『幸福度』という視点から見渡そうとするおおらかな価値観。(同氏の)長寿とはただ漫然と齢を重ねることではない。活力をもって、なによりも楽しむ。常に自分自身に問いかけること.......。そんなお話しに頷くばかりでした」。(ブータン王国と「幸福度」2013-11-24)
 ひょっとしたら、この出会いがリタイア後の今の私の行動基準になっているのかもしれません。「歩き遍路」に駆り立てるものも、このあたりにあるのかもしれません。そんなことを思いながら、この日のパネルディスカッションを聴講していました。

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歩き遍路(徳島編)~恩山寺から薬王寺へ

2018-01-19 22:33:07 | 四国遍路

 四国八十八カ所の21番札所・太龍寺は「西の高野」とも称されるお寺で、標高520メートルほどのところにあって、樹齢数百年余の老杉が迎えてくれます。遍路道を少し登ったところには、弘法大師19歳の頃、岩山に座して修行したと伝えられる舎心嶽があります。
 遍路道からは岩山に座る後ろ姿しか拝むことができませんが、大師が見つめている風景を確かめたくて、道なき岩肌を這って前方に回りました。目に飛び込んできたのは、阿波の国の山並みと遠くに微かに見える海、その先には和歌山も。まさに「心の風景」にふさわしい空間に身をおいて、大師は100日間の修行に勤めました。「鳥瞰」という言葉の意味を改めて考えました。

 今週の初め、大阪駅前から高速バスに乗って徳島駅へ。そこでJRに乗り換えて南小松島駅下車。これが今回の「歩き遍路」の出発点でした。歩き始めて15分もすると、散歩中のおじさんから18番札所・恩山寺に向かう道のアドバイス。ランニング中のおじさんからは「弘法大師お杖の水」の場所を教えていただきました。さらに歩を進めていくと、うしろから洋菓子店の若い店員さんが駆け寄ってきて洋菓子二つのお接待いただきました。こんな調子で二泊三日の「歩き遍路」がスタートしました。
 久しぶりの遍路道の感覚を思い出しながら、弘法大師御母公・玉依御前ゆかりの恩山寺にお参りしたあと、19番札所・立江寺に向かいました。牛小屋の横を通り過ぎて、孟宗竹が林立する義経ゆかりの古道を歩きます。お京塚の横にある遍路小屋で一服したあと、さらに歩を進めると立江川にかかる白鷺橋の向こうに立江寺が見えてきます。かつては関所寺とも言われ、邪心のある者や罪を犯した者は先に進めないと言われた山門を、難なく通ることができました(笑)。
 門前の食堂で昼食をとったあと、10キロ先にある隣町の宿に向かいました。延々と続く遍路道や車道をひたすら歩き続けて2時間半。陽が落ちていく頃、無事、民宿「金子や」に到着しました。この時期に歩き遍路をする人は多くはなさそうで、宿泊者は私を含めて2人。もう一人は還暦を前に歩き遍路を思い立った北海道の男性でした。聞けば、先週から歩き始めて1月下旬までに松山まで進んだ後いったん戻るのだと。数日前に登った焼山寺では20センチほどの積雪があったのだそうです。1日45キロを目途にしているところをみると、ずいぶんな健脚とみました。

 翌朝6時45分、まだ薄暗いなか、標高500メートルの地にある20番札所・鶴林寺をめざしました。茅葺の遍路小屋、弘法大師が杖をつくと水が湧き出したという「水呑大師」を過ぎると、国史跡阿波遍路道「鶴林寺道」に入ります。なんとか踏ん張って境内に登ると、お寺の方から朝のご挨拶をいただきました。お参りを済ませた後、白衣の背に鶴のお印をいただいて山をおりました。
 麓の大井休憩所でひと息ついたあと、引き続いて標高520メートルの21番札所・太龍寺まで遍路道を歩いて登る予定でしたが、前日、宿の主人から遍路道が工事中のため通行止めになっているとの情報をキャッチ。やむなく歩く距離は長くなりますが太龍寺山をぐるりと回るかたちで那賀川沿いに平地を歩いて太龍寺ロープウェイ乗り場に向かうことにしました。
 その距離7キロ。数日前と打って変わってぽかぽか陽気のなか、気持ちよく歩くことができました。呑気なシニアお遍路は、iPadに入れたセヴラックの「大地の歌」「ラングドック地方にて」「水の精と不謹慎な牧神」「日向で水浴びする女たち」のピアノ曲を聴きながら、テンポよくウォーキングです。その間にすれ違ったのは4名のご老人。みなさんから励ましのご挨拶をいただきました。
 というわけで太龍寺にはロープウェイ(101人乗り)で登りました。時節柄お客は3人。帰りは私1人でしたので10分ほどの間、ガイドさんを独り占め、いろいろお話しをさせていただきました。大師堂のお参りを済ませて景色を眺めていると、先ほどお参りしたばかりの鶴林寺が遠くにぼんやり見えました。平地とは違って山の上、納経所の入口にあった手水場の水は凍っていました。
 太龍寺山を下りると、15分ほどバスに揺られて山口中というバス停で降り、そこから4キロほど先にある平等寺をめざしました。ちょうどこの日は「どんど祭り」の日、遠くの田圃の一画から高く黒々とした煙が立ち上っていました。
 22番札所・平等寺のお参りを終えて午後3時半に民宿「山茶花」に到着しました。この日の夕食は私ひとり、宿のお母さんと世間話をしながら美味しいお料理と少しばかりのお酒をいただきました。至る所に細やかな心配りを感じる素敵なお宿でした。(写真は平等寺の手水場。こちらは凍ってはいません。そっと添えられた季節の草花にほっとひと息です)

 翌日は、少しショートカットして、宿から歩いて30分ほどのところにある新野駅に向かい、ふた駅先の由岐駅を下車。海沿いの遍路道を歩いて14キロ先の薬王寺に向かいました。前日までの風景とがらりと変わり、冬の漁港、浜辺。句碑が点在する「俳句の小径」では、小鳥のさえずりと潮騒の音を聴きながら、独り歩きの醍醐味を味わいました。遠くに見える岬の、そのまた先の岬、さらに先の岬と、平坦な道のりをひたすら歩き続けました。
 疲れが見え始めた頃、遠くの山裾に23番札所・薬王寺が見えてきました。あとひと息です。ウミガメの産卵地で知られる日和佐の浜を眺めて小休止。桜町通に入ったところで道の向かいにある日和佐木偶人形館からお婆さんがやってきて、「おうどんがあるから食べていきなさい」とお接待。不意なことで一瞬戸惑いつつも、ちょうどお昼時、「ありがとうございます」と善意にすがりました。
 日和佐木偶人形館は、昭和の初めごろまで赤松地区の浄瑠璃人形座「赤松座」で使われていた人形を修復保存、復活をめざして活動されているご様子で、数体の人形が展示されてありました。美味しいおうどんの接待を受けながら、お婆さんから赤松人形についていろいろお話しを伺いました。帰り際ノートにお礼の記帳をして失礼をしましたが、お婆さんからは手縫いの小さな袋にみかんとお菓子を入れていただきました。ありがとうございました。
 薬王寺をもって徳島「阿波の国」の歩き遍路は終わりました。今回は若干ショートカットをしながらも2泊3日で55キロほどを歩いたことになります。その間、多くの方々から温かいお声がけをいただきました。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。次回、おそらく3月になりますが、高知「土佐の国」に入ります。.......帰阪した翌日、カレッジの帰りに京橋ツインビルで開催中の古本フェアで、空海の「三教指帰」(中公クラシックス)を買って帰りました。

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12番札所・焼山寺の「へんろころがし」

2017-11-16 21:17:09 | 四国遍路

 11月10日、大阪駅で11時発の高速バスに乗り、再び徳島に向かいました。今回の「歩き遍路」は、藤井寺から12番札所・焼山寺への山越え、そして翌日は13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺へと巡るものでした。
 阿波の国では「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」と言われ、「登り坂でころがる」「下り坂でころがる」「心がころがる(めげる)」、そんな意味で「へんろころがし」と呼ばれる嶮しい道のりです。藤井寺から標高938mの焼山寺山の中腹にある焼山寺までは12.9kmもあります。歩き遍路にとって最初の大きな関門になります。
 低気圧の影響で夜中に雨が降っていましたが、夜明け前には雨もやみ、6時10分に旅館「吉野」を出発しました。藤井寺の境内にある「へんろ道」入口から登っていくと、すぐに急な坂道が待ち受けていました。登っても登っても坂、坂、また坂。呼吸も荒くなります。やっと少し平坦な道に入って小休止。こんなに早くくたばるようでは先が思いやられます。さらに歩を進めると見晴らしの良い場所に出ました。
 上り坂となだらかな道が交互に現れます。落ち葉を踏みしめながらさらに歩を進めると、本で見たことのある「長戸庵」(標高440m)が見えてきます。四国霊場番外「修業山大師堂」です。ここまでが3.2kmの道のりです。リュックを下ろしてベンチに腰かけひと休みです。水分補給も欠かせません。ベンチの横に佇むお地蔵さんが可愛くてついつい写真を撮ってしまいました。
 案内板には「昔、弘法大師が四国巡拝中、当山に登り来て腰をおろし休憩をなされた時に、丁度、足腰を痛めた旅人が通りかかり、大師が加持するとたちまち痛みがとまった。足腰のなおった旅人は、お礼のため一宇の堂を建て大師の像を祭って、修業山長戸大師堂と名づけた」と記されていました。
 またしばらく歩くと、さらに見晴しの良い場所に着きます。尾根伝いの道には、すこし肌寒い風が吹いていましたが、汗がひいていく心地よさを感じました。その後林道に出たり、尾根伝いの道を歩いたり、急な坂道が目の前に現れたり.....。四国の山々の景色を眺めながらひたすら歩き続けました。聞こえてくるのは風の音と小鳥のさえずりだけです。.........急な坂道を滑り落ちそうになりながら、注意深く下っていくと、番外霊場「柳水庵」(標高500m)が見えてきました。ここまでが3.4kmです。
 「弘法大師がこの地で休憩をとられた時、水場がなく柳の枝で加持したところ、こんこんと清水が沸き出した」と伝えられています。いまも湧き出る清水を掬って喉を潤しました。境内に「巡礼中の皆さまへ」と題する真新しい掲示版がありました。最近焼山寺山周辺でツキノワグマと思われる目撃情報があるとの注意喚起でした。.....怖い話ではありますが、足の疲労感が半端ではなく、少し下ったところにある休憩所でひと休みです。ここは泊まることができて、前泊された叔父さんにお会いしました。
 その後、部分的に平坦な車道を歩くこともありましたが、引き続き嶮しい道のりが続きます。杉林の中に続くジグザク道、いつ終わるとも知れない急な坂道を山の斜面にへばりつくように登っていきます。もう限界に近い精神状態に陥りそうでした。「なぜ歩き遍路をしているんだ」「いまなぜこんなことをしなければならないんだ」「やめとけばよかった」.........。すると、背後から「もう少しだ。頑張れ」という声が聞こえてきたような気がしました。お大師さんの声?まさか。 そうこうするうちに、道の右側に突如、樹齢1200年の大杉と、その根元に立つお大師さんの大きな立像がわたしを迎えてくれました。「浄蓮庵」(標高745m)です。ここまで2.2km。大きく深呼吸です。
 「左右内の一本スギ」の案内板によれば、「稀にみる1株のスギの巨木で地域の人達から一本スギと呼ばれている。弘法大師が焼山寺へ向かう途中、木の根を枕に仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂を建立して安置した。その時にお手植えしたスギであるとの伝説がある」とありました。いくつかのお堂と家が建っていましたが、いまは誰も住んでいませんでした。
 ここで息を整えたあと再び出発です。今度は下り坂をくだっていきます。集落が見え、しばらく平地を歩いていると、遠くに焼山寺山が見えてきます。清流のせせらぎが心を和ませてくれます。そうかと思えば、またも目の前に急な坂道が現れます。この登ったり下ったりの連続が人の心を転がすのでしょう。いくら歩いても歩いても坂道が続く杉林の中を、最後の力を振り絞って登っていくと、遠くの方に見覚えのある焼山寺の駐車場に向かう車道が見えてきました。焼山寺(標高700m)もあと一歩です。
 紅葉が眩しい焼山寺山を眺めながら山門に向かって参道を歩いていると、昨年出会ったお猿さん(石像)がわたしを待っていました。やっと到着です。長い石段を登り山門をくぐって深呼吸。手水場で心身を清めたあと、本堂と大師堂にお参りをいたしました。バスツアーでは得られないほど大きな達成感が身体中に充満してきました。
 「健脚5時間、平均6時間、弱足8時間」と言われる焼山寺への道のりを、わたしは5時間半ほどで歩きました。かろうじて健脚グループの端っこに仲間入りです。一服したあと、旅館「吉野」さんからいただいたお接待「おにぎり」2個を美味しくぺろりといただきました。
 この日はこれで終わりではありません。お世話になる植村旅館まであと10.2kmもあります。アスファルト道から再び土道に入り、落ち葉を踏みしめながら歩き始めます。途中、大きな銀杏の木が見えてきました。番外霊場「杖杉庵」です。四国遍路の元祖として知られる衛門三郎の霊跡と言われるところです。
 その後も集落内の道を歩いたり、道路わきから嶮しい土道に入ったりしながら、なおも上ったり下がったり。玉ヶ峠を越えるとやっと平坦な道になり、しばらく歩いていると遍路小屋神山に辿り着きました。ここから旅館までまだ40分はかかりますが、こうしてこの日の歩き遍路は無事終わりました。
 12kmといっても平地と山の上り下りではずいぶん違います。宿の客に言わせれば、「へんろころがし」はウォーキングでもハイキングでもない。登山なんだと。全くその通りでした。疲れ果てたその日の夜は、9時半には床についていました。
 翌日は、朝7時に出発しました。平坦なアスファルト道を、鮎喰川に沿って延々14km歩きました。でも、坂道と違って気分は爽快でした。昔のお遍路さんたちのことを思いつつ、あたりの景色を楽しみながら、遍路小屋「おやすみなし亭」をめざしてただひたすら歩き続けました。その途中、農家の方に美味しい熟柿をいただきました。
 「おやすみなし亭」は、地元の有志の方々が建築され、運営されている遍路小屋で、外には電力会社から提供された風力発電施設が立っている本格派です。小屋の中に入ると、机の上に、お湯の入っているポットとインスタントコーヒー、お菓子などが置いてありました。ガラスケースの中にはお水も置いてありました。疲れを癒す最高のおもてなしです。地元の方々のお遍路さんへの思いを強く感じました。
 机の上に一冊のノートが置いてありました。ここを利用したお遍路さんの感謝の言葉が散りばめられていました。驚くのは、その3分の1が外国の方々だったことです。アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、オランダ、ドイツ、イタリア、オーストラリア.....。そういえば、初日に泊まった旅館「吉野」さんも、私を含めて12名の宿泊客のうち半数の6名がオーストラリアの方々でした。それが世界遺産登録をめざす推進運動を後押ししています。そのぶん家族経営の旅館はたいへんですが、なんとなく通じ合えているから嬉しい光景でした。無料wifi環境も完備しています。
 さて、「おやすみなし亭」を出ると、大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、井戸寺と、およそ2km間隔でつながる街中の遍路道を巡ります。といっても昔の遍路道です。今回も無事に歩き通すことができた満足感(達成感)に浸りながら、秋の深まる四国路を歩き通しました。
 今回の歩き遍路では、四国の山間部の高齢化と過疎化の現状も目の当たりにしました。山の斜面に開墾されたスダチなどの果樹をお世話する人手が減り、荒れ放題になっているところもありました。その意味で日本の将来に一抹の不安を感じさせる旅でもありました。一方では水資源のための森林保全が進んでいる現状にも触れました。山あいの川の青々とした水の美しさに見とれてしまいました。いろんなことを考えさせてくれた「歩き遍路」でした。
 次回は年明けを予定しています。18番札所・恩山寺を皮切りに、立江寺、そして「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称される鶴林寺と太龍寺、さらに平等寺と薬王寺を2泊3日の日程で計画中です。 

 
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同行二人~空海と歩いた秋の四国路

2017-09-28 21:35:55 | 四国遍路

 音楽講座最終回のテーマは「音楽の楽しみ~日本歌曲の世界へようこそ」でした。会場は大阪市中央公会堂3階の小会議室。ソプラノ歌手、フルート、ピアノの演奏を交えて、日本歌曲の歴史、唱歌教育の流れ、滝廉太郎に続く日本歌曲作家についてお話しをお聴きしました。
 日本歌曲の起源は奈良時代、平安時代。入唐した空海と円仁により伝えられた真言声明、天台声明にまで遡ります。その後、戦国時代に宣教師によりキリスト教音楽が、明治期に入り政府による洋楽の積極的導入が行われ、小学唱歌、赤い鳥運動を経て日本歌曲が形成されていったのだそうです。
 きょうは、「ふるさとの四季(春の小川、鯉のぼり、村祭りetc)」「花」「かなりあ」「宵待草」「花の街」などの歌を聴きました。先日、二泊三日で「歩き遍路」をしてきたばかりの私です。ものごとを素直に受け入れられる高い感性をもって、心に沁みわたる感動を覚えたものでした。
 今回の「歩き遍路」は、1番霊山寺→2番極楽寺→3番金泉寺→(愛染院)→4番大日寺→5番地蔵寺→6番安楽寺(約17キロ)。安楽寺の宿坊に泊まった翌日に、7番十楽寺→8番熊谷寺→9番法輪寺→10番切幡寺→11番藤井寺(約22キロ)という流れで巡りました。秋の清々しい空気を全身で受け止めながら、気持ちよく歩くことができました。
 朝7時に宿を出発します。車道ではなく昔ながらの遍路道を歩いていると、自転車に乗って学校に向かう子どもたちが「おはようございます」と大きな声で挨拶をしてくれます。すれ違う大人の方々も気楽に声をかけてくださいました。庭先で遊んでいた幼児まで、「こんにちわ」と挨拶してくれました。地元ではお遍路さんはお大師さんの変り身という言い伝えがあるという話を聞いたことがあります。こうしたお遍路の文化は今も受け継がれています。
(注)下の写真は1番札所・霊山寺を出発する私です。他の写真で赤いリュックを担いでいる方は私ではありません。
 「お接待」も初めての経験でした。宿をでるとき、民宿のお母さんからサランラップに包んだ「おにぎり」2個をいただきました。小さな農道を歩いていると、後ろから軽自動車がやってきて、お爺さんが「これお接待です。どうぞ受け取ってください」と小さな袋につめたお菓子を差し出してくれました。お接待ということは知ってはいましたが、実際にあるとは驚きました。何かしら心温まるものを感じたものです。
 バスツアーと決定的に違うのは、自分の足で「昔の遍路道」を辿ることができたことでした。車道をはずれ細い畦道を歩いていく。竹林を歩く。足元には「マムシ注意」という看板もありました。2回、マムシに出くわしました。少し怖かった(笑)。
 一番印象深かったのは、切幡寺から藤井寺までの約10キロの道のりでした。刈入れが終わった田圃や畑が広がる田園地帯に伸びる遍路道をひたすら歩きました。圧巻は、一級河川である吉野川の、阿波市と吉野川市をまたぐ中州「善入寺島」(2キロ)です。そこに2本の橋が架かり、その間に広大な農地が広がります。なかでも川島橋の素晴らしい姿に見とれてしまいました。この橋、洪水に耐えられるように欄干がありませんので、通称「潜水橋」と呼ばれています。水は澄み、鮎がたくさん泳いでいました。
 昔の人は、歩いて旅をしました。次に向かう山の中腹を眺めると、あまりの遠さに怖気づいてしまいますが、中腹の藤井寺に行くという「目的」があると、足が自然に動きます。道端にあるお遍路道の矢印を頼りに、あとは自らの位置感覚です。時々、風景に見とれて写真をとったり水分を補給したり。そうこうするうちに目的地に着いてしまいます。
 今回は11ヶ寺を巡りました。昨年一度は訪ねたところですが、目の前に山門が見えてくると嬉しくなり、心の中で「またやってきましたよ」と言う私がいました。手水場で手を清め、本堂と大師堂をお参りをする。開経偈、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三昧耶戒真言、般若心経、光明真言、ご宝号、回向文という一連のお経を、意味も分からないままにすらすらと読み上げる私がいました。 今回歩いていて驚いたのは、外国人の多さでした。宿坊には30人ほどの客が泊まっていましたが、外国の方が5人いました。わたしは、これら外国人のほか、リタイア組3名、学生さん2名、1人旅の女性3名。そんな独り歩き遍路の仲間たち(?)と、追い越し追い越されながら、秋の四国路を歩きました。
 「歩き遍路」も緒についたばかりですが、力んでいた肩の力がなんとなく薄らいだような気がいたします。心穏やかになる自分に気づきます。次回は11月、「遍路ころがし」として知られる焼山寺をめざします。藤井寺の境内から遍路道を歩き、400メートルの山を越え、700メートルの山を越え、その先の900メートルの山頂にある焼山寺をめざします。ほぼ1日かかる難所として知られています。
 こうして初めての「歩き遍路」は無事終了しました。JR徳島線鴨島駅から徳島駅まで戻り、駅前の居酒屋で冷たいビールで独り慰労会(笑)をしたあと、夕刻6時45分発の高速バスに乗って帰阪いたしました。

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『歩き遍路』の前日、ドイツ館に遭遇

2017-09-26 23:57:44 | 四国遍路

 午前11時に大阪駅前のJR高速バスターミナルを出発して一路、四国は徳島に向かいました。渋滞に遭遇して20分遅れの午後2時過ぎに徳島駅に到着すると、急ぎ高徳線に飛び乗り、坂東駅をめざしました。そして坂東駅に到着すると、地図を頼りに歩き始めて10分ほどで第一番札所・霊山寺の山門に着きました。
 明日から始める『歩き遍路』へのご加護をお願いしたあと、さらに北上し、宿泊する観梅苑を通り越して、阿波一宮・大麻比古神社に向かいました。鳥居をくぐると、御神木の楠千年木が出迎えてくれました。本殿をお参りしたあと、広い境内を散策しましたが、なんとも歴史を感じさせる神社でありました。
 その本殿の裏で「ドイツ橋」「眼鏡橋」という矢印に目が留まりました。なんだろう?。鎮守の森を歩いて数分のところに「ドイツ橋」はありました。看板にはこう記されていました。
 「第一次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所に収容されていました。この間、地元住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。帰国を前に記念として母国の土木技術を生かして近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。」

 また、心願の鏡池の看板には、

 「(前略)ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ、当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋をかけた。坂東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯ともし続けている。以来70有余年を経て、この度当神社では上池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して「心願の鏡池」と命名した。」
 なんとも衝撃的な出会いでした。四国の片田舎(失礼)に、おおきな歴史の足跡が残されていたことに深い感銘を受けました。ヨーロッパとは異なる風土のなかで過ごした日々、母国を思うドイツ兵の心が透けて見えてきます。
 大麻比古神社を失礼して、夕刻4時過ぎに予約していた民宿・観梅苑に入りました。すると、部屋の窓から、遠くにヨーロッパ風の建物が見えます。地図を確認すると、鳴門市ドイツ館のようです。ネットで調べてみると、ドイツ兵たちの活動の様子や地域の人々との交流の様子を展示した資料館のよう。
 また、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏されたのが、なんと坂東捕虜収容所であったことも分かりました。来年2018年には「第九」アジア初演100周年を迎えるのだそうです。下の写真は鳴門ドイツ館のホームページに掲載されていた写真をお借りしたものです。素晴らしいコンサートです。100周年記念事業コンサートにはまた訪ねたいと思います。
 民宿の周囲は梅林が広がっています。第一日目の夜は、網戸を閉め窓を全開にして眠りにつきましたが、一晩中、秋の虫の音を子守唄に、久しぶりに深い眠りにつきました。
 坂東に到着した日の印象が強すぎましたので、翌日から始まる『歩き遍路』の模様については、日をかえて近日中にアップする予定です。 

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台風18号接近のため出発を順延

2017-09-14 20:53:47 | 四国遍路

 家田荘子さんという方がいます。ブログを拝見すると、「女優、OLなど10以上の職業を経て作家に」なり、「2007年、伝法灌頂を受け、僧侶になり、高野山奥の院、 または総本山金剛峯寺にて、不定期に法話を行っている」と紹介されています。
 そんな家田さんの著書「四国八十八ヵ所つなぎ遍路」に、先日、グランヴィア大阪で知人と待ち合わせをした際、蔦屋書店で出会いました。「つなぎ遍路」ってなに?と思いながらページをめくっていくと、四国一周約千四百キロを、連休をつかって二泊三日でつなげて歩くお遍路の方法なのだそうです。現在、車利用を含めて13巡目。11年間続けていらっしゃるとか。上には上があるもんです。もともと家田さんは、海行、滝行、霊山行など厳しいお勤めを経験された方のようですから、足元にも及びません。そんな家田さん、わたしが毎朝散歩がてらにお参りしている不動尊を、この夏お参りになっていたことをブログで知りました。
(参考)家田荘子ブログ「心のコトバ」 http://blog.excite.co.jp/shokoieda/
 わたしの本棚には、四国遍路に関する本がいつの間にか増えています。遍路に関するもの、空海に関するもの、仏教に関するもの.......。ひとつの特設コーナーができそうです(笑)。でもねえ。悪い癖です。頭でっかちになっていけません。それを切り崩すためにも、歩く。歩いて感じる。四国の風景の中に身を置いて考える。ただひたすら歩く。これしかありません。
 ところがです。明日から二泊三日の日程で「歩き遍路(その1)」に出かける計画でしたが、気がかりなのが台風18号の動向です。きょう夜7時のテレビニュースでは、四国横断もありそうな気配、17日の予報円のど真ん中に徳島がありました。さきほど現地の方に電話をすると、「無理はしない方がいい。日程を変更してはどうか」とのアドバイス。恨めしい台風18号め!急きょ予定を変更し、1週間ずらして来週末に出かけることにしました。ざんねんですが、今回は吉野川に架かる橋長300メートルほどの潜水橋も歩く予定ですから、強風が吹こうものなら足を掬われ吉野川にドボン?の可能性もあります。ここはじっくり構えて進めることにいたしましょう。
(注)下の写真は「橋の博物館とくしま」のHPから引用しました。
 今回の四国遍路には、もうひとつ災難がありました。いろいろ出発の準備をしていたとき、なんと、なんと。愛用のカメラの電源スイッチが外れてしまったのです。このデジタルカメラ(パナソニックLUMIXーGM)は、3年余り前のバレンタインに、家内からプレゼントしていただいたものでした。
 実は去年の秋にも同じ電源スイッチが外れて修理に出したばかりでした。押しボタン式ではなく、リングを横に回すものだったので、使い始めた頃から妙な方向に負荷がかからないだろうかと心配していました。案の定、心配した個所でこけてしまったわけです。ひとつの弱点なんでしょう。
 ともあれ、来月には海外旅行も控えています。急きょ、先日知人と呑み会をしたばかりの梅田に再び足を運び、ヨドバシカメラに向かいました。展示されている種類の多さに圧倒されましたが、上位機種はスルーして、気軽に撮影できる初心者クラスに絞って品定めをしました。お店のお兄さんに相談に乗っていただき、CANONのデジタルカメラ(SX720HS)にしました。ケース、予備のバッテリーなど含めて3万7千円。初心者マーク付きの使い勝手のよさそうなカメラでした。さっそくお花をパチリ。ミラーレス一眼に比べて、やや甘いかなあ?ブログ用ですから贅沢は言いません。
 というわけで、この週末から始まる連休の間、予定表がぽっかり空いてしまいました(笑)。家田さんの本を読んでしまう?カメラをもってどこかに出かける?先日、七五三の家族写真を撮ったという娘の家に行く?それとも断捨離?さあて、どうしましょう(笑)。

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