心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

能楽を楽しむ

2015-01-25 09:26:31 | Weblog

 1月最後の日曜日、ゴンタ爺さんと早朝散歩を終えると、久しぶりにお風呂で身体を洗ってやりました。お風呂好きのゴンタ爺さん、暖かいシャワーを浴びて目を細めていました。
 さて、今週のクラシックプレミアム28巻は「ピアノ名曲集」です。グルダ、ルプー、アシュケナージ、ラベック、ワイセンベルク、ミケランジェリ、アルゲリッチ、ロジェに内田光子。ピアノのメロディーが、部屋に充満しています。さあて、ブログ更新でもしますか。

 今日の我が家は、私とゴンタ爺さんの二人だけです。実は昨日の午前3時、長男君に3人目の子が誕生しました。私にとっては5人目の孫になります。3200グラムの元気な男の子でした。連絡を受けた家内は、さっそく上京です。でも、いろいろと用事があるらしく、いったん帰阪したあと再度上京するのだとか。一昨日は、近くに住む長女宅で、インフルエンザに罹った孫長男君が病院に行っている間、孫次男君のお世話をしていました。お祖母さんの存在感を十分に発揮してくれています。やはり女性は強い!!
 一方の私は、お気軽なもので、昨日は仕事を片付けると、天満橋から大阪城を横目に、難波宮の跡地をぶらり散歩しながら、大槻能楽堂に向かいました。演目は能「正尊」。普段とは異なる時間の流れと空間に身をおいて、しばし幽玄の世界をさ迷いました。
 能「正尊」は、平家物語巻12の「土佐坊斬られ」の場面です。梶原景時の戯言を真に受けた頼朝が、義経を殺害するために土佐坊正尊を鎌倉から京に差し向けた。義経と武蔵坊弁慶から上洛の目的を問われた正尊は、熊野参詣のためと嘘をつく。しかし義経は、正尊が軍勢を率いて義経を討とうとする動きを見抜く。ほどなく義経暗殺計画は失敗する。ざっと、こんなシナリオでした。
 これまで観てきた能楽とは異なり、登場人物はワキ、シテ、ツレなど12名。静御膳役を務めた子役も凛々しい舞を見せてくれました。お囃子の笛、鼓、太鼓も、素晴らしい演奏でした。
 それにしても能は不思議な芸術です。舞台と橋掛りという限定された空間の中で、スローモーション映画でも見ているような演者の静の動き、しかしその動きの中にも緩急があります。地謡が場を盛り上げます。曲が終わり、演者が一人また一人と、橋掛りを通って退場していくと、場内から満場の拍手が湧き起こり、ふっと我に返ります。

 私の能楽体験は、まだ1年に過ぎません。日本古来の舞台芸術とはいえ、子役や若手の演者もいて、裾野の広さを思います。客席は概ね男女半々。和服姿の女性もちらほら。能楽堂独特の匂いが場内を漂います。
 昨日、開演前にぼんやり宙を見ていたら、高校時代の古文の授業を思い出しました。古文は苦手だったのに、東京の女子大を卒業したばかりの、美しい古文の先生に甘い憧れのようなものを抱いた時期がありました。そんなことを考えながら周囲を見渡すと、女性客の皆が古文の先生に見えてきました。(笑)
 開演前に詞章(セリフ)が配られるので、とりあえずざっと目を通しますが、舞台の上の演者の詞章は3割程度しか理解できていません。それなのに終わってみると、舞台にのめり込んでいる私がいます。現世の疑心暗鬼、泥々しい人間関係は忘却の彼方。頭の中が空っぽになり、だだっ広い草原の中に佇み心地よい風を全身に浴びている私がいます。これが能楽の楽しさなんでしょうか。
 帰り道、馬場町界隈を歩いて、天満橋に向かいます。ジュンク堂書店に立ち寄って「平家物語」(角川ソフィア文庫)を買って帰りました。

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師、逝く。

2015-01-18 09:24:29 | Weblog

 「わたしの学問上の師は、ふたりである。柳田国男先生とマリオン・リーヴィ教授である。ただし、柳田先生については、わたしは自称の(そして不肖の)、弟子である」
 ネットで注文した鶴見和子曼荼羅Ⅳ「土の巻(柳田国男論)」が、昨日アマゾンから届きました。その書き出しがこれです。寒い季節になると、なぜか柳田国男の「遠野物語」をもってベッドに入ります。何度読んでも飽きない物語です。それに触発されてのことですが、500頁にも及ぶ大書を、自称、不肖の弟子は寝っ転がって捲りながら考えることしかできません。
 1月15日、私は、いつもどおり朝6時30分に家を出て、最寄りのバス停に向かいます。遠くには薄らと夜明けの兆しがみえるけれども、まだまだ寝静まった街を歩きます。そうこうするうちにバスがやってきます。バスに乗ってターミナルに着くと、今度は私鉄に乗り換えます。最寄駅で電車を降りると、今度は喫茶店に立ち寄ります。温かいコーヒーをいただきながら朝刊各紙に目を通します。これが私の1日の始まりです。職場では3番目に早いご出勤となります。
 その日、私は何気なく新聞をめくっていました。すると、訃報欄に『脇圭平・同志社大名誉教授』の文字。「脇圭平さん(わき・けいへい=同志社大名誉教授・西洋政治思想史)が8日、脳梗塞で死去、91歳。葬儀は近親者で営んだ。東大で丸山真男に師事。マックス・ウェーバー「職業としての政治」の翻訳で知られる」(朝日新聞)。絶句です。
 つい先日、1月11日のブログで私は、政治学者・丸山眞男に触れました。それはイコール、恩師・脇圭平先生に繋がります。でも、ブログを更新した時、先生は既にお亡くなりになっていたということです。友人も知らなかったと。先生がかつてのゼミ生たちに天からお声をおかけになったのでしょうか。不真面目なゼミ生だった私にまでも。ほんとうにありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
 学生と社会人との間に横たわる大きな壁。すべてを忘却の彼方に置いて、一人淋しく社会に飛び出した私ですが、それでも私の心の奥に、大切にしまっていたのが脇先生の存在でした。手許にある先生の岩波文庫、新書は何冊目でしょうか。心が壊れそうになったとき、なんども手に取って、自分の立ち位置を確認してきました。
 そんなことをぼんやり考えていたら、今度は「16日午前4時50分ごろ、京都市上京区今出川通寺町西入ルの喫茶店「ほんやら洞」から出火した。市消防局によると、木造2階建て延べ約100平方メートルが全焼し、隣接する建物の一部も焼けたという。ほんやら洞は、哲学者鶴見俊輔さんら多くの文化人や若者が来店し、文化の発信拠点となっていた」(京都新聞)。
 学生らの文化発信の拠点として知られる「ほんやら洞」は、私が大学3年生の頃に開店した喫茶店でした。alternative、Counter Culture.....。そんな言葉が頭を過りますが、半世紀前の映像が少しずつ霞んでいくような気がします。ちなみに鶴見俊輔さんは鶴見和子先生の弟さんです。
 気分を変えましょう。
 先週の日曜日、ライラックの木を地植えにしました。「ラフマニノフ」の映画に感化されて苗木を購入して2年、鉢植えで育ててきましたが、そろそろ地植えにしておおらかに育てようと思い立ちました。いずれ大木になることを夢見ながら、庭の片隅に深さ50センチほどの穴を掘り、腐葉土やら肥料を施し、その上に土を戻して植え付けます。バケツの水を少しずつ流し込んで根を土に馴染ませ、最後は盛り土をして終わり。1週間経って覗いてみると、寒い季節にも関わらず硬い花芽がしっかりと育っています。この苗木が大きく育つまで私が生きながらえることができるか否かは別にして、今春も美しい花と香りを楽しませてくれることでしょう。

 季節は「大寒」、「款冬華」(ふきのはなさく=ふきのとうが蕾を出す)を迎えます。

 

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お気軽な録画テレビの視聴

2015-01-11 09:33:48 | Weblog

 今朝、ゴンタ爺さんとお散歩にでかけたら、近くの池に舞い降りたアオサギをカラスが追っかけている場面に遭遇しました。明らかにアオサギの方が体格が大きいのに、カラスも必死で追い払おうとしています。仲良くすれば住みよいだろうにと思いながら、これも厳しい生存競争なんでしょう。野鳥たちも必死で寒い冬と闘っています。
 仕事始めの一週間も、あっという間に終わりました。そんな週末、帰宅途中に「えべっさん」が始まった近くの神社に立ち寄りました。夜も遅い時間でしたから、参拝客はまばらでしたが、ここ大阪は今、商売繁盛の戎祭で賑わっています。9日が宵戎、10日が本戎、そしてきょう11日は残戎です。
 30数年前、私は職場に近いこの神社のすぐ隣に住んでいました。朝から晩までスピーカーから大音量で商売繁盛の掛け声が流れる、それはそれは賑やかなお祭りでした。たくさんの出店が立ち並び、子供たちを連れて行ったものでした。

 さて、今週のクラシックプレミアムは、27巻「モーツァルト(4)5大オペラ名曲集」でした。「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」などの名場面を聴きながら、さてさて、きょうのブログ更新のテーマは何にしようかと.....。
 まずは朝日新聞土曜紙面「be」。「マエストロ、節目の年に挑む」と題して小澤征爾さんがクローズアップされていました。今夏には80歳をお迎えになりますが、数年前に体調を崩しながら不死鳥のように復活した小澤さん、23回を数えるサイトウ・キネン・オーケストラは、今年から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に名前を変えます。
 この記事を読んで、「サイトウ・キネン・オーケストラ2014」を録画していたことを思い出しました。きのうの昼下がり、お元気になられたお姿に安堵しつつ、ベルリオーズの幻想交響曲を楽しみました。指揮者によってオケの響きがこうも違うものなのかと。小澤さんは中国・奉天に生まれ、翌年、北京に転居して5歳まで中国でお暮らしになったのだとか。念願の中国公演が実現する日もそう遠くはないのでしょう。
 きのうは夜、年末に録画していたNHKテレビ「戦後史証言~日本人は何をめざしてきたのか」も視聴しました。第3回「民主主義を求めて~政治学者・丸山眞男」です。日本の超国家主義を分析し「無責任の体系」を説いた丸山眞男の生き様を紹介したものでした。学生の頃、丸山眞男の愛弟子と言われる脇圭平先生に、私は時代を見つめる視点を学んだような気がします。
 今では開くこともなくなりましたが、目の前の本棚には、丸山眞男の「現代政治の思想と行動」と「日本の思想」(岩波新書)が、脇圭平先生の「知識人と政治」「フルトヴェングラー」(岩波新書)、訳「マックス・ヴェーバー 職業としての政治」(岩波文庫)と共に鎮座しています。難しい学理は横に置いて、これらの本が目の前に「ある」ことに意味がある、そんな空間に身を置く時間を大切にしています。
 「戦後史証言」で、私は丸山眞男の肉声に触れました。丸山は戦時中、広島・宇品で軍務についている時に原爆に遭遇します。目に見えない力で日本が戦争一色になっていく時代を自らの経験を交えて読み解いていきました。
 戦争責任の所在が曖昧になっているという歴史認識は、奇しくも昨秋、村上春樹が毎日新聞のインタビューに答えた「自己責任の回避」、皆が戦争の被害者になってしまい誰も責任を取っていないという視点と軌を一にするものがあります。村上は、それを福島第一原発事故にも適用しています。
 「無責任の体系」「自己責任の回避」。戦後70年を経て、今年は、戦争と平和について、そこに横たわる曖昧さ、脆弱性について考える1年になるような予感がしています。それは同時に、現実の社会で、政党と政党の間、組織と組織の間、あるいは企業組織の経営と事業部との間で、互いに相手の非を指摘しながら、結局は誰も責任を取ろうとしないことに対する警鐘にもなります。
 と、まあ、あまり難しいことを考えると頭が痛くなりますから、これぐらいにしておきましょう。きょうは残戎(のこりえびす)。音楽に戯れ、書物に埋もれて、長かった年末年始休暇の残福のような3連休を楽しく過ごすことにいたしましょう。 

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3年ぶりの「大吉」

2015-01-04 09:35:20 | Weblog

 元日の昼下がり、大阪でも雪が舞いました。1時間ほど経った頃、街に子供たちの楽しそうな声が響いたので窓を開けてみると、なんと5センチも積もっていました。孫君たちがお昼寝から目覚めた頃には10センチにもなっていました。
 さっそく孫君たちを庭に誘い出して雪遊びをしました。都会地の雪には珍しく真綿のような柔らかな雪だったので、両手で掬って家の中に入りました。お皿の上に乗せて、自己流「雪うさぎ」を作りました。耳は笹の葉っぱ、目はナンテンの実です。遠い遠い昔、母親が作ってくれたほど上手には作れませんでしたが、孫君たちは興味津々でした。
 という次第で、2015年の穏やかなお正月を迎えました。初詣に行った地元の不動尊で引いた御籤は3年ぶりに「大吉」でした。
「朝日かげ たヾさす 庭の 松が枝に 千代よぶ 鶴の こえの のどけき (天の御助を受け 諸々の災去りて喜びあり 心を正直に 行いを慎み 貧者を慈しみ 弱きを助け 信心怠りなければ益々思うまゝになります 色に溺れ酒に狂えば凶なり)」。
 新しい年に幸先の良いスタートを切れそうですが、「色に溺れ酒に狂えば凶なり」と戒めの言葉も(笑)。ご用心ご用心。過去11年間のブログを遡ってみると、大吉が4回、中吉が2回、小吉が3回、吉が2回でした。それなりの波があるのも事実です。奢りを戒め自らの歩むべき道を考えるという意味で大切にしたいものです。
 今年は家内と次男君の3人で、地元の不動尊と氏神様にお参りしたあと、京都・八坂神社と知恩院にまで足を伸ばしました。最近、知恩院にお参りすると、肩の力が抜けて妙に心穏やかになるのはなぜでしょうか。ほっとひと息です。
 そうそう、年末の29日、大阪フェスティバルホールで大阪フィルハーモニー管弦楽団の「第9シンフォニーの夕べ」を聴きました。前列から3列目、指揮者の斜め後ろと少し前過ぎましたが、指揮者ユベール・スダーンさんの熱演で1年間を振り返るに相応しい時間を楽しむことができました。
 そして夜の8時半、コンサートの余韻を胸に、夜の中之島・堂島川沿いを歩いて淀屋橋駅に向かいました。今年は大阪都構想が大きな政治的テーマになる大阪市庁舎の正面壁面にはイルミネーションが輝き、LEDの光が御堂筋を照らしていました。
 この日いただいたパンフレットの中に楽しい演目を見つけました。信時潔作曲、北原白秋作詞の交響曲「海道東征」です。2015年は戦後70年、信時潔没後50年を迎えます。信時潔については、仕事の関係で知ることになり、かつてお孫さんの裕子さんに一度だけお目にかかったことがあります。「海ゆかば」の作曲で知られ、それが誤解を招いているところなきにしもあらずですが、戦後70年を迎えた今年、歴史修正主義が蠢くなかで改めて戦争と平和を考える時宜を得た企画です。11月20日、ザ・シンフォニーホール。仕事が入らないことを祈るばかりです。
 そして、もうひとつは「祝典大狂言会2015」。こちらは4月25日にフェスティバルホールで開かれます。演目は「靭猿」「川上」「歌仙」。こちらも予定に入れておきましょう。 

 さてさて、1週間ゆったりと過ごした年末年始休暇も、今日でおしまいです。「これ何て言うの?」とあどけなく尋ねる2歳の孫次男君の言葉への好奇心に人間の成長を感じながら、一方では最近物忘れがひどくなりスマホ電子備忘録への依存度が高まる初老の私がいます。休暇最後の一日は備忘録を整理して、新しい年をゆっくりと、しかし強かに歩み出すことにいたしましょう。

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