心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

新作能「オルフェウス」を楽しむ

2021-08-28 10:19:01 | Weblog

 暑さも峠を越える時季「処暑」を迎えたというのに、そんな素振りすら見せない今日この頃です。いつもどおり1時間ほど朝のお散歩にでかけると全身たっぷりと汗をかきます。家に帰って冷水シャワーを浴びてひと息。さっそく定例のブログ更新に入りました。

 そんな8月下旬の日曜日、初めて「新作能」なるものを観てきました。山本能楽堂で上演された新作能「オルフェウス~森は深々と。光を受けて輝けり」です。ギリシャ神話の「オルフェウス」を題材に、2019年9月ブルガリアの古代ローマ劇場「プロヴディフ」で初演されたもので、今回もヨーロッパ三大演劇祭のひとつ、ルーマニアのシビウ国際演劇祭に日本からオンライン参加です。
 曲のあらすじを案内チラシからご紹介すると、ざっと以下のとおりです。
 名を得た琴弾きが旅の途中、山の中で不思議な老人に出会う。ところが琴弾きは、美声の持主である老人の歌声に音を合わせることができない。老人から「慈しみの気持ちをもって奏でること」だと教えられる。そこで琴弾が、慈しみの気持ちをもって竪琴を奏でると歌声に調和した優しく美しい音色を奏でることができた。老人は神代の琴弾き(オルフェウス)だった。夜に入って、神代の琴弾き(オルフェウス)は、妻である森の精霊(エウリュディケー)を伴って現れ、共に舞を舞う。ついで神々の使い(ヘルメス)が竪琴を携えて現れ、その竪琴を琴弾きに授けて夜明けとともに姿を消す。森は朝日に輝いていた。
 上演中には、ハープ奏者の松岡莉子さんが神代の琴弾(オルフェウス)を彷彿とさせる美しいハープ演奏で場面を盛り上げるなど、古典作品とはひと味違う能の世界を楽しみました。
 「能は14世紀に成立した日本の古典詩劇」であるとは多田富雄先生の言葉(「能の見える風景」)ですが、完成度の高い曲目ばかり演じていては能という芸能から活力が失われかねないということで、明治以降新しい曲目が創られ上演されるようになりました。それが「新作能」と言われるものです。
 ちなみに、2年前の9月にブルガリアで現地の人たちと演じた際の映像がYouTubeにアップされていましたので、ご関心のおありの方はご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=IDaTd5LHqq8

 この日は、山本能楽堂に行く前、コロナのため長い間大阪市内に出かけなかった家内を連れて義妹のお墓参りに一心寺に行ってきました。その帰り道、四天王寺さんに立ち寄ってみると、太子会の骨董市が開かれていました。
 コロナ禍での開催でしたから、いつもの賑わいはありませんでしたが、ぶらりお店を覗いてきました。そこで出会ったのが能面です。木彫りの本格的なお面は庶民には手が出ません。お手頃な能面から「翁」をいただいて帰りました。
 ここで話はがらりと変わります。きのうの読売新聞夕刊に「朝比奈隆 偉大なる遺産」と題する記事が載っていました。それに触発されて手にしたのが、大阪青年会議所創立25周年記念(1975年)レコードでした。その1枚目に交響幻想曲「淀川」があります。淀川改修100年を記念してお披露目された曲です。
 作曲は位相解析学の世界的な数学者でもある大阪市立大学教授の松下眞一先生。演奏は朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団、合唱は大阪女性合唱団・相愛女子大学合唱部・関西学院グリークラブとあります。淀川の源流から河口までを4楽章に分けて描くこの大曲、「淀川賛歌」の合唱でフィナーレを迎えます。大阪府民の母なる河「淀川」。昨夜、そのLPに久しぶりに針を降ろしました。
 さあて、緊急事態宣言期間の延長で、ここ当分、目立った予定はありません。かと言って遠出をするわけにも行かず、さあてどうしたものか。ゆったりまったりの日々を過ごすことにいたします。

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2年ぶりに開催された京都・下鴨納涼古本まつり

2021-08-21 15:10:51 | 古本フェア

 緊急事態宣言下、不要不急の外出は控えたいと思いますが、今朝は山本能楽堂の能講座を受けてきました。テーマは「放下僧の巻」、9月4日の「とくい能」で演じられる曲になります。そしてそして、明日は新作能「オルフェウス~森は深々と。光を受けて輝けり」を観に再び山本能楽堂に出かけます。今回の公演はヨーロッパ三大演劇祭のひとつ、ルーマニアのシビウ国際演劇祭に日本からオンライン参加する意欲作でもあります。
 家に帰ってひと休みしたあと、さっそくブログの更新に取り掛かります。部屋の窓を開けると、遠くでツクツクボウシが鳴いています。へえぇ、こんな都会地でもツクツクボウシが鳴くんだ。七十二候ではこの時季を第三十八候立秋次候「寒蝉鳴」(ひぐらしなく)と言うそうですが、さすがにヒグラシの鳴き声はまだ確認できません。

 さて、先週の日曜日、待ちに待った「京都下鴨納涼古本まつり」に行ってきました。開催初日の11日は晴れていたのに、その後3日間は雨のため中止。それが15日、午後から雨が止んで曇りとの予報が出ると、主催者の京都古書研究会からネットを通じて「営業再開」の告知があり、急ぎ駆けつけました。
 お昼前に到着した時は人も疎らでしたが、時間の経過とともに糺の森には老若男女多くの古本ファンが繰り出しました。馬場の両脇には古書店がずらりと並びます。右側のお店を見て回るだけでおよそ1時間半、左側に移って1時間半。ずいぶんな時間を古本と戯れました。いつの間にか糺の森は木漏れ日が輝く格好の古本まつり日となりました。
 この日リュックに入れて連れて帰ったのは、「ギリシャ劇と能の再生~声と身体の諸相」(水声社)、高階秀爾著「バロックの光と闇」(小学館)、フルトヴェングラー著「音と言葉」(白水社)、宇野功芳著「フルトヴェングラーの名盤」、ひろさちや著「ほっとする仏教の言葉~捨てて生きる」(二玄社)、人間文化研究機構監修「酒と日本文化」(平凡社)。以上6冊。そのうち「音と言葉」は手元にある本の状態が悪くなったため2代目になります(笑)。
 なんとなく難しそうな本が並びますが、真夏の夜のひととき音楽を聴きながら拾い読みをするも良し。いったいどんな経路を経て私の手元にやってきたのだろうと思うも良し。しばし古本の感触を楽しみました。
 そうこうするうちに8月も4週目に入ります。山間ではヒグラシが鳴き始め、暑い夏もそろそろ終りでしょうか。終息の目途がつかないのはコロナウイルスの感染拡大だけ?
 ここ大阪も来月12日まで緊急事態宣言期間が延長になり、シニア向けの講座も早々と休講延長が決まりました。この勢いはまだまだ続きそうな予感がします。我が身を守ることに専念する政治の世界だけが騒々しい今日この頃です。

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71回目の夏 ~ 雨の日にサティを聴く

2021-08-14 10:29:26 | Weblog

 庭先にあるイチジクの樹に、夏の一番果が1個だけ食べ頃を迎えました。さっそく朝の食卓に登場です。老夫婦で半分ずついただきました。なんと美味しかったことか。樹にはまだたくさんの実がついています。熟するまで気長に待つことにいたします。
 それにしてもここ数日、雨の日が続きます。嫌ですねえ。そんななか雨の合間を縫って今日も朝のお散歩に行ってきました。お不動さんの境内もしっとり濡れていましたが、本堂からは朝のお勤めのお経が響いていました。
 私はこのお盆休みに京都の下鴨神社で2年ぶりに開催されている京都古書研究会主催の「下鴨納涼古本まつり」に出かける予定でした。屋外の古本まつりですから2日目から休業が続いています。この雨ではどうしようもありませんね。さきほど天気予報を覗いたら、明日の午後からは曇りマークが付いています。最終日の16日までに雨が止んでくれたら良いのですが....。
 その一方で、コロナウイルスの感染拡大が止まりません。恐ろしいほど急カーブで増加しています。お国では昨日あたりから緊急事態宣言の期間延長が取り沙汰されています。これでシニア向けの講座もまた休講になるのでしょうか。
 今月帰省する予定だった長男、次男一家もやむなく断念です。ならばワクチン接種を終えた老夫婦が出かけようかとも思いましたが、府県を越えた移動自粛が要請されていますから、こちらも断念。遠くの孫たちとはオンラインで近況報告とあいなりました。

◇   ◇   ◇

 そんなわけで、ここ数日、ぽっかりと空いた時間を持て余しています。昨日は、途中まで読んだままの本を広げてみたり、アルド・チッコリーニ奏でる「サティ:ピアノ作品集」(輸入盤CD5枚組)をぼんやり聴いていました。今は、同じくサティのLP「夢と覚醒の交錯」を聴きながら、ブログを更新中です(笑)。
 ピアノはフィリップ・アントルモン。「きみがほしい」「3つのジムノペディ」「自動記述」「気むずかしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「太った木の人形のスケッチとからかい」など、けったいな曲名が並びます。
 エリック・サティのピアノ曲は、雨の日にお似合いです(と、私は思っています)。といっても、サティのことは意外と知りません。そこで、ずいぶん前に古本市で買った「新訂:大音楽家の肖像と生涯」(音楽之友社)を開いてみました。
 「変わり者であることにおいてフランス近代音楽家中でサティの右に出る人物はいない」「彼は皮肉屋で冷笑を事とし孤高を好む」「彼は常に満々たる反抗心といたずら気を持ち、わがまま者」「子供のように単純で、率直で無邪気で、そのためかえって事物の本質を掴み、感じ取る直観力と直感力をもっている」。予想外の紹介ですが、曲の名前の付け方からしても、さもありなん。
 末尾には、「彼の言動はひねくれた、人騒がせな印象を与える。しかしその動機は純粋で、まじめで、単純だった。そこに彼の本当の生命があった」とあります。雨の日の憂鬱さを解きほぐしてくれるのは、案外そんな彼の自由奔放さによるものなのかもしれません。
 話は変わりますが、私は今夏、この世に生を受けて71回目の夏を迎えました。明治生まれの父は73歳まで現役を貫き、東京、京都、大阪で仕事に励んだあと出雲の実家に戻って83歳でこの世を去りました。戦時中、家族を東京から実家に疎開させた後に生まれた私は、企業戦士を貫いた父と一緒に暮らしたことはありません。兄たちは既に独立して東京と大阪にいましたから、私は母親と姉たちに囲まれて育ったことになります。
 そんな私は、父が用意した大企業への就職を断り、私の身の丈にあった会社に就職して43年、自由奔放に働かせていただきましたが、思うところあって65歳のとき少し早めにリタイアさせていただきました。振り返ってみると、サティの世界と少しだけ相通じるものがありそうな気もします(笑)。
 今思えば良い選択だったように思います。その後は、学生時代に舞い戻ったかのように、日々を楽しく過ごしています。母より8年も長生きできましたし、父の亡くなった歳まではまだ10年近くあります。私を温かく包み込んでくれる「人」と「風景」に感謝しながら、残された人生をゆったりまったり楽しく過ごしていきたいと思っています。

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暑い夏にフォーレのレクイエムを聴く

2021-08-07 20:11:13 | Weblog

 十三節気「立秋」。第三十七候では「涼風至」(涼しい風が初めて立つの意)というのだそうですが、秋の始まりどころか夏真っ盛り。連日36度越えの暑さが続きます。ふぅ。.........ここ数日、開花したバンダを部屋に飾って愛でております。 
 夏の暑さといえば、3年前の夏、歩き遍路で高知は竹林寺、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺、青龍寺を歩いたことがありました。深夜の高速バスで大阪駅前を出発し翌朝6時前に高知駅に到着したあと、雨が降る中を歩き始めましたが、10時を過ぎて禅師峰寺から雪蹊寺に向かう9キロの道程で気温が急上昇、気が遠くなるほどの暑さが私を襲いかかりました。
 その状況を2018年8月30日の記事「歩き遍路(高知編)~竹林寺から青龍寺へ」はこう記しています。

 「10時を過ぎる頃になると、気温もどんどん上昇して夏の日差しが戻ってきました。雪蹊寺までは9キロ近くあります。とりあえず、遍路道唯一の船の路、種﨑渡船場をめざしました。土佐湾沿いに平坦で変化のない車道6キロを、ただひたすら歩き続けました。次第に全身を熱の塊が覆い始めます。それでも前を見つめて歩き続ける.....。
 もう限界かと思ったそのとき、1軒の小さなハワイアンカフェGarlishを見つけて飛び込みました。店内は冷房が効いていてほっとひと息。生き返った心地でした。でも食欲はなく、頼んだのはフレンチトーストとコーラだけ。ところが、お皿に盛られたサイコロ状のトーストとフルーツに蜂蜜がたっぷりかかっていました。なんと美味しかったことか。生気を取り戻しました。
 このお店に40分近くいたでしょうか。食後しばらくすると、お姉さんがお接待といってかき氷をサービスしてくれました。ほんとうにありがとうございました。そのあと軽快に歩くことができたのは言うまでもありません。」
 雪蹊寺でお参りを済ませると、早朝からの疲れなのか境内のベンチに横たわった途端に深い眠りにつきました。雨から晴天という急激な環境変化に身体がついていけなかったようでした。
 さてさて、そろそろ本題に入ります(笑)。先日、比較的近くに暮らしながらコロナのために行き来を控えていた孫次男君が、我が家の近くにあるスイミングスクールの帰りにお泊りにやってきました。久しぶりに孫君の泳ぎっぷりを眺めましたが、ずいぶんうまく泳げるようになりました。
 翌日には孫長男君も午前中の中学校の部活(テニス)を終えたあとやってきました。両親は仕事なので、2人でのんびりお婆ちゃんのお家で寛ぎました。あとで聞いた話では、孫長男君はお婆ちゃんに「高校生になったらお婆ちゃんの家から通いたい」と。すると、孫次男君「僕もお婆ちゃんの家から通いたい」と。ちょっとした環境変化に孫たちは敏感です(笑)。
 暑いからと家に閉じ籠ってばかりいても身体がなまってしまいます。朝はお爺ちゃんと一緒にお散歩に同行、午後にはお買い物がてら近所の本屋さんにも足を延ばしました。
 そこでお爺さんは、前々から気になっていた村上春樹の新刊「古くて素敵なクラシック・レコードたち」を見つけてしまいました(笑)。1万5千枚ものコレクションの中からクラシック作品100曲について全部で486枚をとりあげて村上さんの思いを綴るエッセイです。ちなみに、表紙の上の段の真ん中にあるLPはグレン・グールドです。
 1曲について4,5枚のLPがジャケットの写真付きで紹介されている本をぱらぱらめくりながら、のんびり拝見しました。そこには、私の手元にあるLPもちらほら。とりあえずフォーレのレクイエム作品48のうち、アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団Angel(1962年)を取り出して聴いてみました。
 このレコード、村上さんは高校生の頃に初めて出会い「フィッシャー・ディスカウとロス・アンヘレスの歌唱が比類なく素晴らしく感動した。何度も繰り返し聴いた」と記しています。ところが私はと言えば、多くの時間を共に過ごした彼女と別れて心が萎えていた学生時代に聴きました(笑)。聴く側の心の在り様はまったく違います。でも、若き日に同じLPを聴いていたことになります。こんなお爺さんも、今夏71歳になります。

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古本を通じて半世紀前の私に出逢う

2021-08-01 10:41:21 | 古本フェア

 今年もあっという間に8月、葉月を迎えました。8月生まれの子に「葉子」と名づけたのは何十年も前のことです......。昨日は午前中に山本能楽堂でお能の講座(謡とお囃子の巻)を受講、夕刻にはザ・シンフォニーホールで「オールバッハ名曲選!! 真夏のオルガンコンサート2021」(オルガン奏者:大木麻理さん)を楽しみ、久しぶりにゆったりまったりの時間を過ごしました。
 余談ながら、この日の夕食は福島駅界隈にある淡路島の穴子屋さんで美味しい穴子料理をいただきました。地酒を味わいながらの外食なんて1年ぶりのことでしたが、残念ながら明日から緊急事態宣言が再度発令されます。コロナ対策は万全だったお店なのに残念なことでした。とはいえ、穴子とバッハ?、何の脈絡もありませんね(笑)。 さてさて、3年前の2月に世界ラン展からお連れしたバンダ(Vanda Pure Wax Pink)が、先日やっと花開きました。花芽に気づいて1カ月。我が家で初めて開花したバンダの姿に見惚れるばかりです。
 それにしても暑いですねえ。先週の講座のテーマは俳句でしたが、受講生の実作で圧倒的に多い季語は「蓮」、ついで「蝉」「西瓜」でした。そう言えば、大川沿いを朝お散歩していらっしゃる知人から「蝉の鳴き声が喧しい」とのメールをいただきました。なにやら最近はクマゼミが大繁殖しているようです。子どもの頃はアブラゼミやミンミンゼミが多かったのですが、これも温暖化のせいでしょうか?物悲しいヒグラシの声が山間に響く晩夏が待ち遠しいです。
 そんな真夏のある日、阪神百貨店の催事場で開催された夏の「古書ノ市」に行ってきました。最終日とあって人は疎らでしたが、百貨店の古書展とあって1冊1冊の本がきれいに手入れされていて気持ちよく選書ができました。
 この日手にしたのは「能・狂言辞典」(平凡社)、別役実著「当世もののけ生態学」(早川書房)、高村薫著「空海」(新潮社)、そして我が師・脇圭平と芦津丈夫の共著「フルトヴェングラー」(岩波書店)の4冊。〆て2300円なり。
 「当世もののけ生態学」は、夏を迎えて子どもの頃、近所のお爺さんから夜な夜な怖~いお話を聞いたことを思い出しての衝動買いでした(笑)。
 岩波新書評伝選「フルトヴェングラー」は、手元に岩波新書をもっていますが、ハードカバーが気に入ってお連れしたものです。半世紀も前に西洋政治思想史ゼミの師・脇圭平先生の影響を受けて育った私にとって愛読書のひとつです。書棚には、先生の著書「知識人と政治」、ウェーバーの「職業としての政治」(訳)なども鎮座しております。
 この書は「フルトヴェングラーとその時代」「芸術家フルトヴェングラー」「座談会:フルトヴェングラーをめぐって」の3部構成になっていますが、著者のお二人からは最後の座談会を先に読むことが推奨されています。政治学者の丸山政男と脇、芦津の3人による臨場感あふれるお話は、いつ読んでもワクワクします。
 真夏の昼下り、蝉の鳴き声を聞きながら長椅子に横たわって静かに古本と戯れるも良し。....8月半ばには京都・下鴨糺の森で納涼鴨川古本祭りが待っています。
 京都といえば、今週末に母校で「障がい学生支援制度発足20周年記念シンポジウム」があります。久しぶりに当時の仲間と参加する予定でしたが、コロナの感染拡大が懸念されるためオンライン開催になってしまいました。
 支援制度発足20周年ということは、私が在学して以降も当分の間は大学としての支援体制は整っていなかったということになります。当時、視覚障がいの親友たちの学習環境の改善を大学側にお願いしましたが、思うような進展はなし。ところが今回、支援体制発足20年周年とあります。古希を過ぎた”万年青年”たちはシンポジウムに興味津々、終了後には河原町で冷たいビールを飲もうという悪だくみまで企画していましたが、残念ながら自宅でZoomと睨みっこです。

◇         ◇       ◇

 きょうは、昨夜のオルガンコンサートの余韻を楽しむかのように、グレン・グールド奏でるオルガン演奏で、バッハのフーガの技法を聴きながらのブログ更新となりました。 

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