心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

京の紅葉三昧

2017-11-24 23:39:05 | Weblog

 10月初旬のカナダ・ローレンシャン高原の紅葉に始まって、島根の故郷、四国の遍路道そして京の街と、今年はぞんぶんに紅葉を楽しんだ秋でした。それもはや終盤を迎えようとしています。
 紅葉の見納めとばかり、今週はまず京都・南禅寺にでかけました。案の定、平日というのに境内はおおくの観光客で賑わっていました。でも、きれいなものはきれい。久しぶりに南禅寺の紅葉を楽しみました。
 次に向かったのは、この夏、仏像を見る会で「みかえり阿弥陀」を拝観した永観堂です。こちらもおおぜいの観光客で賑わっていました。
 そして最後は詩仙堂です。春先のウォーキングで門前を通ったことはありますが、境内の中に入ったのは今回が初めてでした。さすがに見ごたえのある風情でした。帰りがけ、すれ違った舞妓さんの後ろ姿を振り返りながら、紅葉の季節にお似合いの風情を感じたものでした。
 ご覧の通り、きょうは写真中心のブログ更新となりました。実はこの飛び石連休を利用して、東京の長男君が末の孫を連れて帰ってきました。上の子らは学校があるため残留のようですが、仕事がひと段落したということで急にふらりとやってきました。きょうは京都の動物園にでかけ、その足で知恩院にお参りをしてきました。こちらでも、きれいに色づいた紅葉を楽しむことができました。京の紅葉も、見頃はあと数日といったところでしょうか。観光客が多くて私鉄のダイヤが乱れ気味です。明日明後日の土日は相当な混雑が予想されますので余裕をもってお出かけください。
 あすは、1カ月ほど前にひと晩だけ泊まりたいと言ってきた次男夫婦がやってきます。それを聞きつけた、近くに住む長女の孫君二人もお泊りをしたいと。その上、きのうは街歩き企画で滋賀県・近江八幡にでかけましたので、落ち着いてブログを更新する時間もありません。やむなく今回は写真を中心に京都の紅葉を楽しんでいただくことにしました。.......なんだか言い訳がおおすぎますね(笑)

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12番札所・焼山寺の「へんろころがし」

2017-11-16 21:17:09 | 四国遍路

 11月10日、大阪駅で11時発の高速バスに乗り、再び徳島に向かいました。今回の「歩き遍路」は、藤井寺から12番札所・焼山寺への山越え、そして翌日は13番大日寺、14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺へと巡るものでした。
 阿波の国では「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」と言われ、「登り坂でころがる」「下り坂でころがる」「心がころがる(めげる)」、そんな意味で「へんろころがし」と呼ばれる嶮しい道のりです。藤井寺から標高938mの焼山寺山の中腹にある焼山寺までは12.9kmもあります。歩き遍路にとって最初の大きな関門になります。
 低気圧の影響で夜中に雨が降っていましたが、夜明け前には雨もやみ、6時10分に旅館「吉野」を出発しました。藤井寺の境内にある「へんろ道」入口から登っていくと、すぐに急な坂道が待ち受けていました。登っても登っても坂、坂、また坂。呼吸も荒くなります。やっと少し平坦な道に入って小休止。こんなに早くくたばるようでは先が思いやられます。さらに歩を進めると見晴らしの良い場所に出ました。
 上り坂となだらかな道が交互に現れます。落ち葉を踏みしめながらさらに歩を進めると、本で見たことのある「長戸庵」(標高440m)が見えてきます。四国霊場番外「修業山大師堂」です。ここまでが3.2kmの道のりです。リュックを下ろしてベンチに腰かけひと休みです。水分補給も欠かせません。ベンチの横に佇むお地蔵さんが可愛くてついつい写真を撮ってしまいました。
 案内板には「昔、弘法大師が四国巡拝中、当山に登り来て腰をおろし休憩をなされた時に、丁度、足腰を痛めた旅人が通りかかり、大師が加持するとたちまち痛みがとまった。足腰のなおった旅人は、お礼のため一宇の堂を建て大師の像を祭って、修業山長戸大師堂と名づけた」と記されていました。
 またしばらく歩くと、さらに見晴しの良い場所に着きます。尾根伝いの道には、すこし肌寒い風が吹いていましたが、汗がひいていく心地よさを感じました。その後林道に出たり、尾根伝いの道を歩いたり、急な坂道が目の前に現れたり.....。四国の山々の景色を眺めながらひたすら歩き続けました。聞こえてくるのは風の音と小鳥のさえずりだけです。.........急な坂道を滑り落ちそうになりながら、注意深く下っていくと、番外霊場「柳水庵」(標高500m)が見えてきました。ここまでが3.4kmです。
 「弘法大師がこの地で休憩をとられた時、水場がなく柳の枝で加持したところ、こんこんと清水が沸き出した」と伝えられています。いまも湧き出る清水を掬って喉を潤しました。境内に「巡礼中の皆さまへ」と題する真新しい掲示版がありました。最近焼山寺山周辺でツキノワグマと思われる目撃情報があるとの注意喚起でした。.....怖い話ではありますが、足の疲労感が半端ではなく、少し下ったところにある休憩所でひと休みです。ここは泊まることができて、前泊された叔父さんにお会いしました。
 その後、部分的に平坦な車道を歩くこともありましたが、引き続き嶮しい道のりが続きます。杉林の中に続くジグザク道、いつ終わるとも知れない急な坂道を山の斜面にへばりつくように登っていきます。もう限界に近い精神状態に陥りそうでした。「なぜ歩き遍路をしているんだ」「いまなぜこんなことをしなければならないんだ」「やめとけばよかった」.........。すると、背後から「もう少しだ。頑張れ」という声が聞こえてきたような気がしました。お大師さんの声?まさか。 そうこうするうちに、道の右側に突如、樹齢1200年の大杉と、その根元に立つお大師さんの大きな立像がわたしを迎えてくれました。「浄蓮庵」(標高745m)です。ここまで2.2km。大きく深呼吸です。
 「左右内の一本スギ」の案内板によれば、「稀にみる1株のスギの巨木で地域の人達から一本スギと呼ばれている。弘法大師が焼山寺へ向かう途中、木の根を枕に仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂を建立して安置した。その時にお手植えしたスギであるとの伝説がある」とありました。いくつかのお堂と家が建っていましたが、いまは誰も住んでいませんでした。
 ここで息を整えたあと再び出発です。今度は下り坂をくだっていきます。集落が見え、しばらく平地を歩いていると、遠くに焼山寺山が見えてきます。清流のせせらぎが心を和ませてくれます。そうかと思えば、またも目の前に急な坂道が現れます。この登ったり下ったりの連続が人の心を転がすのでしょう。いくら歩いても歩いても坂道が続く杉林の中を、最後の力を振り絞って登っていくと、遠くの方に見覚えのある焼山寺の駐車場に向かう車道が見えてきました。焼山寺(標高700m)もあと一歩です。
 紅葉が眩しい焼山寺山を眺めながら山門に向かって参道を歩いていると、昨年出会ったお猿さん(石像)がわたしを待っていました。やっと到着です。長い石段を登り山門をくぐって深呼吸。手水場で心身を清めたあと、本堂と大師堂にお参りをいたしました。バスツアーでは得られないほど大きな達成感が身体中に充満してきました。
 「健脚5時間、平均6時間、弱足8時間」と言われる焼山寺への道のりを、わたしは5時間半ほどで歩きました。かろうじて健脚グループの端っこに仲間入りです。一服したあと、旅館「吉野」さんからいただいたお接待「おにぎり」2個を美味しくぺろりといただきました。
 この日はこれで終わりではありません。お世話になる植村旅館まであと10.2kmもあります。アスファルト道から再び土道に入り、落ち葉を踏みしめながら歩き始めます。途中、大きな銀杏の木が見えてきました。番外霊場「杖杉庵」です。四国遍路の元祖として知られる衛門三郎の霊跡と言われるところです。
 その後も集落内の道を歩いたり、道路わきから嶮しい土道に入ったりしながら、なおも上ったり下がったり。玉ヶ峠を越えるとやっと平坦な道になり、しばらく歩いていると遍路小屋神山に辿り着きました。ここから旅館までまだ40分はかかりますが、こうしてこの日の歩き遍路は無事終わりました。
 12kmといっても平地と山の上り下りではずいぶん違います。宿の客に言わせれば、「へんろころがし」はウォーキングでもハイキングでもない。登山なんだと。全くその通りでした。疲れ果てたその日の夜は、9時半には床についていました。
 翌日は、朝7時に出発しました。平坦なアスファルト道を、鮎喰川に沿って延々14km歩きました。でも、坂道と違って気分は爽快でした。昔のお遍路さんたちのことを思いつつ、あたりの景色を楽しみながら、遍路小屋「おやすみなし亭」をめざしてただひたすら歩き続けました。その途中、農家の方に美味しい熟柿をいただきました。
 「おやすみなし亭」は、地元の有志の方々が建築され、運営されている遍路小屋で、外には電力会社から提供された風力発電施設が立っている本格派です。小屋の中に入ると、机の上に、お湯の入っているポットとインスタントコーヒー、お菓子などが置いてありました。ガラスケースの中にはお水も置いてありました。疲れを癒す最高のおもてなしです。地元の方々のお遍路さんへの思いを強く感じました。
 机の上に一冊のノートが置いてありました。ここを利用したお遍路さんの感謝の言葉が散りばめられていました。驚くのは、その3分の1が外国の方々だったことです。アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、オランダ、ドイツ、イタリア、オーストラリア.....。そういえば、初日に泊まった旅館「吉野」さんも、私を含めて12名の宿泊客のうち半数の6名がオーストラリアの方々でした。それが世界遺産登録をめざす推進運動を後押ししています。そのぶん家族経営の旅館はたいへんですが、なんとなく通じ合えているから嬉しい光景でした。無料wifi環境も完備しています。
 さて、「おやすみなし亭」を出ると、大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、井戸寺と、およそ2km間隔でつながる街中の遍路道を巡ります。といっても昔の遍路道です。今回も無事に歩き通すことができた満足感(達成感)に浸りながら、秋の深まる四国路を歩き通しました。
 今回の歩き遍路では、四国の山間部の高齢化と過疎化の現状も目の当たりにしました。山の斜面に開墾されたスダチなどの果樹をお世話する人手が減り、荒れ放題になっているところもありました。その意味で日本の将来に一抹の不安を感じさせる旅でもありました。一方では水資源のための森林保全が進んでいる現状にも触れました。山あいの川の青々とした水の美しさに見とれてしまいました。いろんなことを考えさせてくれた「歩き遍路」でした。
 次回は年明けを予定しています。18番札所・恩山寺を皮切りに、立江寺、そして「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称される鶴林寺と太龍寺、さらに平等寺と薬王寺を2泊3日の日程で計画中です。 

 
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秋の京都三題

2017-11-09 20:52:57 | 古本フェア

 水彩画教室に行ってきました。きょうのテーマは「缶かビンか箱」。わたしはウイスキーの空き瓶を題材にしましたが、ガラスの表面の描き方に苦労しました。まだまだ息の長い取り組みになりそうです(笑).......。

 ところで、秋の三連休の初日、京都百万遍・知恩寺で開かれた第41回「秋の古本まつり」(京都古書研究会主催)に行ってきました。恒例の四天王寺さんと大阪天満宮に春・秋とも行けなかったので、昂ぶる気持ちを抑え、開場の午前10時をめざして出かけました。境内には3冊500円のコーナーから十数万円もする全集、和書、洋書、絵本まで多種多彩な古本が並べられ、楽しいひとときを過ごしました。

 この日手にしたのは、中村良夫著「風景学入門」、丸山奎三郎著「生の円環運動」、村武精一著「アニミズムの世界」、西川祐子著「森の家の巫女~高群逸枝」、河野信子著「火の国の女~高群逸枝」、白洲正子著「いまなぜ青山二郎なのか」。
 きれいにお手入れをして、さあてどれから読もうかと。はじめに手にしたのは、中公新書「風景学入門」でした。序章「風景を考える」をぱらりめくると、英国のワーズワースが登場します。ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスが登場します。そして米国のエマーソンやソローの名前、さらに南方熊楠や柳宗悦、章立ての後半には空海の名前までも登場します。
 200頁ほどの新書ですが、「風景学」を旗印に、最近わたしが関心を寄せている人々の記述が散りばめられ、非常に興味をそそるものでした。体系的に学んだことのない風景学の世界に、古本を通じてご対面です。水彩画の構図の取り方にもお勉強になりそうです。
 一方、高群逸枝といえば「女性論」で名を馳せた方ですが、わたしにとっては若き日の四国遍路の旅を綴った「娘巡礼記」(岩波文庫)が彼女との出会いでした。さきの「風景学入門」には、「風景とは、地に足をつけて立つ人間の視点から眺めた土地の姿である」とあります。反面、わたしをつつみ込む風景がわたしの心にささやく、そんな場でもあります。相互の関係性が「歩き遍路」にはあるのかもしれません。
 わたしの「歩き遍路」、明日から第二弾が始まります。今回は藤井寺から12番札所・焼山寺へ、そして大日寺、常楽寺、国分寺、観音寺、井戸寺へと巡ります。
 京都三題と名づけたもうひとつの京都は、来月の「まち歩き」企画の下見(下打ち合わせ)です。一昨日、京都国際会館と岩倉具視幽棲旧宅、実相院に行ってきました。国際会館は現役の頃何度か利用したことがありますが、今回は建築物としての京都国際会館を見つめることになります。当日ご案内をいただく方に伺うと、開館してはや50年になるのだと。そういえば、学生の頃、宝池でデートした際に覗いたことがありました(笑)。
 設計者は、丹下健三氏の片腕として広島平和記念資料館などの設計に関与した大谷幸夫氏。沖縄コンベンションセンターや金沢工業大学などの設計を手がけた方です。
 昼食会場に予定しているプリンスホテルに立ち寄ったあと、地下鉄の国際会館駅前からバスで実相院に移動しました。岩倉具視幽棲旧宅は実相院のすぐ近くにありました。京都はいま、大政奉還150周年で盛り上がっていますが、ガイドをお願いした方の話では、この旧宅で岩倉は坂本竜馬や中岡慎太郎らと会合を重ねたのだそうです。縁側の向こうの和室で歴史ドラマが繰り広げられた、想像の世界が広がります。今では珍しい大正ガラスをはめ込んだガラス障子も素晴らしいものでした。
 敷地内には、岩倉具視の遺品類を収蔵する対岳文庫(写真4枚目)なる建物もありました。なんと昭和初期を代表する建築家の一人、武田吾一の設計によるものでした。
 予想外に早く用事が片付いたので、連れと一緒に京都国立博物館で開催中の「国宝展」を覗いて帰りました。平日にもかかわらず、入館待ち時間が70分、辛抱強く並んで入館しました。
 考古、書跡、絵画、陶磁、彫刻、絵巻物、染織、金工、漆工と見て回って、ふと思ったこと。それはデジタル情報の保存の在り方でした。筆(ペン)で文字を書く習慣が減り、文字のほとんどがパソコン入力になってくると、書跡という区分は先細りになってくるのではないでしょうか。まさに絶滅危惧種です。展示されている千年も前の筆跡を追いながら、言葉の意味は分からなくても、綴った方のお人柄が偲ばれます。いやいや、お人柄なんて要らない。正しいコミュニケーションができれば、デジタル情報で十分という意見もあるかもしれません。でも、なにか寂しい。言葉の使い方に工夫も要るでしょう。印刷したものを保存していくことになるのでしょうか。代替策を講じなければ、削除キーを押せば一瞬のうちにすべてが消えてしまいます。
 同じことは、岩倉具視幽棲旧宅の対岳文庫でも思いました。手書き文字であれば画像処理をして書き手の人となりを半永遠に残すことはできますが、電子情報では限定されてしまいます。2年前に、同じ京都国立博物館で観た「国宝鳥獣戯画と高山寺」展でも同じことを思ったものでした。
 実は、きのうカレッジの授業の一環で尋ねた、俳書を中心とする書籍類を収蔵する「柿衛文庫」(伊丹市)でも思いました。芭蕉や蕪村、一茶ほか著名な方々直筆の書を見せていただきましたが、作者直筆の文字から「ひと」と「こころ」がずしりと迫ってきます。俳句をたしなむ方々は筆をもって綴られるのだろうとは思いますが、さて、他の多くの文書は今後、デジタル時代にどう向き合っていくべきなのでしょうか。

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懐かしい故郷の風景

2017-11-02 21:35:48 | 旅行

 久しぶりに生まれ故郷に帰ってきました。先週の土曜日、小雨降るなか、新幹線で新大阪から岡山へ。岡山から「特急やくも」に乗って出雲に向かいました。駅では、姉と義兄が待っていてくれました。まずは出雲大社にお参りです。本殿にお参りをしたあと、若くして亡くなった甥の御霊が祀られている祖霊社にお参りをしました。10年という月日のなんと早いことか......。その後、島根ワイナリーに立ち寄ってワインの品定めをして姉の家に向かいました。
 その日は姉のご家族の歓待を受けて、美味しいワインをいただきながら、夜遅くまで語らいました。認知症の初期症状が心配された姉ですが、意外としっかりしていてひと安心です。ちなみに、義兄と同居の甥一家は音楽を生業としています。新築なった音楽室を覗いてびっくり。グランドピアノが2台、うち1台はスタインウェイ製でした。

 翌日、実家のある奥出雲に向かいました。途中、義兄の計らいで日蓮宗の松尾山 金言寺(きんげんじ)に立ち寄りました。田畑が広がる山間にひっそりと佇むこのお寺は、この時期、大イチョウの紅葉で観光客が絶えないとか。小雨降るなか、幹周6.5m、樹高22mにも達する大イチョウの雄姿とご対面でありました。
 実家には一時間ほどで到着です。こんどは義姉の歓待を受けました。さっそく無量山・安楽寺にお墓参りです。1374年創建の浄土宗のお寺で、京都・知恩院の末寺になります。ご先祖の方々に長年の失礼を詫びお参りをさせていただきました。帰り際、本堂の横にある薬師堂を覗くと、薬師如来、観音菩薩と並んで弘法大師のお姿が見えました。真言宗の寺が多い四国八十八カ所を歩いている私にとって、なにかしらほっとした思いがいたしました。
 今回は2泊3日の旅程です。翌日は、朝早くにもう一度お墓参りをしたあと、家内を連れて古き良き時代の面影を訪ね歩く時間を設けました。最初に訪ねたのは、明治6年開校の小学校です。通学していた頃は木造校舎でしたが、いまは近代的な校舎に生まれ変わっています。でも、正門の横に立つ二宮尊徳の像は昔のままでした。放課後に友達とこの周りで遊んだことを思い出しました。
 次に訪ねたのは、出雲風土記にも登場する伊賀多気神社です。祭神はスサノウノミコトの御子神・五十猛命。例年11月7日に秋祭りがあります。小さい頃は広場で行われる相撲大会に出たこともあります。すぐに負けましたが(笑)。七五三のときには、着飾って小さな米俵を背に担ぎお参りをする風習がありました。本殿横の大きな樹木の前でみんなで記念写真を撮りました。そのときの樹木は老体ながら今も健在でした。
 次は稲田神社。ヤマタノオロチ神話に登場する稲田姫を奉る神社で、近くには稲田姫の生まれたときに使われた「産湯の池」や、臍の緒を切った竹のヘラを逆さに挿しておいたところ萌芽して繁茂したと伝えられる「笹の宮」があります。幼稚園や小学校では恰好の遠足先で、桜の季節や紅葉の季節になるとお弁当をもってよく出かけました。この日は、社務所で営業しているお蕎麦屋さん「姫のそば ゆかり庵」で、美味しい田舎蕎麦と山菜の天婦羅をいただきました。
 お昼が過ぎて、そろそろ帰阪の時間が迫ってきます。ふつう伯備線の最寄り駅まで車で移動するのですが、時間に余裕のある今回は、JRの鈍行列車の旅と洒落込みました。まずは木次線の出雲横田駅から備後落合駅へ向かいます。途中、標高564mの出雲坂根駅からスキー場のある三井野原駅(標高726m)へは、3段式スイッチバック方式で登っていきます。山の斜面をジグザクに登っていくわけです。そして、ループ橋が見下ろせるお山のてっぺんをひた走ります。お客さんは一両列車に10人足らずでしたが、運転手さんは見せ場では速度を落として観光ガイド役を務めるなど、めいっぱいのサービスでした。なにかしらアットホームな鈍行列車の旅でありました。
 備後落合駅で芸備線に乗り換え、次は伯備線の新見駅に向かいます。中国山地の山を越えたこのあたりにくると、線路も平坦になり列車も徐々にスピードを上げていきます。新見駅で「特急やくも」に乗り換えると、さらにスピードアップ、岡山駅で新幹線に乗り換えると、もはや別世界。スピードだけでなく人の数も爆発的に多くなります。これだけのギャップに「心」が追いついていくには、少し時間を要しました。
 ところで、出雲横田駅で列車を待っているとき、家内が見知らぬお婆さんと楽しそうにお話しをしていました。「どこから来なさったかね」「おたくらは恋愛結婚かね。わたしらの若い頃は、結婚といえばみんな仲人さんに決めてもらったもんだ」「わたしゃ都会に出たことはないが、ここで十分楽しい生活ができている。幸せなことじゃ」「最近の若いもんは山のもの(キノコや栗やアケビなど)を採ろうとしなくなった。美味しいのになあ」「きょうはよう冷えたなあ。まもなく雪かきの季節がやってくる。これが身体に一番こたえるんだわ」....。お友達でもあるかのように、次から次へと話は尽きません。列車に乗って家内いわく。「なにか寂しいねぇ」「地方創生なんて言ってるけど、何か違うような気がしない?モノとコト。お金のかけ方が違うような気がしてきた」と。この素朴な気持ち、きょうもまだ引き摺っています。
 ここ奥出雲地方。住環境はずいぶん良くはなっているけれど、過疎化と高齢化の急速な進展に、ひょっとしたら追いついていないのかもしれません。道路が整備され車移動が増えた分、列車やバスの利用が減り赤字路線のため減便が進みます。お年寄りにとっては痛し痒し。なかなか難しい問題です。スーパーも町の中心部に一カ所あるけれども、スーパーの出店によって町の小さな商店が姿を消しています。それなりの対策は講じられているようですが、だだっ広い田園地帯では車がないと日々の生活も大変だろうと思ったりもします。
 とは言え、久しぶりの帰省で、我が故郷を再発見することができた旅でもありました。来年は父の33回忌、兄の7回忌があります。また帰省するつもりです。

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