先週に続いて今週も、雨が降ったり止んだりの毎日ですが、朝最寄りのバス停でバスの到着を待っていると、この時期になってもウグイスさんが得意げに囀っています。ことしは生駒の山にお帰りにならず、都会の小さな森の中でお過ごしになるおつもりなのでしょうか。いずれにしても、ウグイスの囀りに励まされて職場に向かうことができる環境を大事にしたいものです。
さて、きょうは、ほど良く乾燥したハーブの一種タイムの葉っぱを刻んでタイム茶を作りました。ものの本によれば、抗菌作用や抗ウイルス作用に優れ風邪やインフルエンザなどの感染症に効果を発揮するのだとか。気管支炎やぜん息などの症状の緩和にも役立つともあります。さらに神経性の疾患や疲労の回復に役立つとか。なんでもありですね。さあてどうなんでしょう。最近、夜のティータイムは紅茶ではなくお手製ハーブティーが主流になってきました。 そうそう、先週の日曜日は父の日でした。次男夫婦から文庫版の革製ブックカバーをいただきました。添えられたメッセージカードには、「おとうさん いつも ありがとう」と、お嫁さん直筆の文字。その「いつも」と「ありがとう」の間に、「笑いを」が追記挿入されています。「おとうさん いつも 笑いを ありがとう」。えっ。私ってそんなに笑いをふりまいているのかなあ。心のこもった嬉しいプレゼントでした。
そんなわけで、土曜休日のきょうは、二人をお招きして久しぶりに近所のお寿司屋さんで夕食を楽しみました。二人とも働いているので、なかなか会う機会がありませんが、結婚して半年、良い関係を維持できているようで安心しました。
話題を変えます。巡礼に関する今週の学習は、森正人著「四国遍路~八八ヶ所巡礼の歴史と文化」(中公新書)でした。「巡礼とは」「起源を探る」「江戸時代の四国遍路」「近代の巡礼者たち」「貧困、差別、行き倒れ」「近代化への道」「レジャー化する四国遍路」の7章から構成されていて、遍路の歴史と文化を概観することができました。
それにしても四国遍路の動機は時代とともに変化しているようです。貧困・病気・差別に苦しめられた巡礼者が主流を占めていた時代もありますが、現在はどちらかと言えば、自分探しやハイキング、あるいは観光としての巡礼者が多くなっているようです。宗教としての巡礼もあれば宗教とは違うところでの巡礼もあります。
そう言えば先日、家内が知り合いのご老人に私が四国遍路を考えていることを話題にしたそうですが、そのお方「仕事人生の中でよほど悪いことをしたんだろうなあ」と。それを聴いて笑ってしまいました。いずれにしても、その意味・目的というものをあまり深刻に考えない方が良さそうです。非日常の世界に身を置くことで見えてくるものを素直に楽しみたいと思っています。
その四国八十八ヶ所遍路の旅の第1回ツアーが来週土曜日に迫りました。今回は早朝出発で夜の帰着という日帰りバスツアーになります。お遍路さんと言えば、白衣、菅笠、金剛杖その他特有の姿をイメージしますが、私はトレッキングシューズと動きやすいズボン、頭陀袋の代わりに普段使いこなしているショルダーバック、菅笠の代わりに帽子という出で立ちを想定しています。ただ、第一番札所の売店で白衣だけは手に入れて羽織ろうかとも思っています。
徐々に盛り上がってくるものを抑えきれず、ここ1カ月の間立て続けに四国遍路に関する新書に目を通しました。これからは新書の参考文献に登場する図書に目を向けていくことになります。そして手にしたのが眞念著「四國偏禮道指南(しこくへんろみちしるべ)」(講談社学術文庫)と高群逸枝著「娘巡礼記」(岩波文庫)でした。
いやいや、私の悪い癖が出ています。出かける前から頭でっかちになっては、妙な先入観が入って「風景」を素直に体感できなくなってしまいます。そのことを肝に銘じつつ、「娘巡礼記」を真新しいブックカバーに入れて、読み始めました。それにしても四国遍路は奥が深い。そもそもの成り立ちが時代とともに生成しているからなんでしょう。結局は、現代の遍路は一人ひとりの在り様を見つめながら結願に向かって汗をかく以外になさそうです。
ところで、ブログ「心の風景」は以前、数種のカテゴリーに分類していましたが、雑記帳の様相を色濃くしてからはWeblogに一本化して今日に至っています。しかし、四国遍路は少し事情を異にします。そこで今回の更新時に、カテゴリーに「四国遍路」を追加し、過去の記事も一部移動いたしました。さあてどんな展開になることやら。次回のブログ更新は日曜日になります。
雨が降ったり止んだり.....。梅雨の季節になると、家内は梅干と梅酒を仕込みます。梅干は子供や孫たちの大好物ですから力が入ります。そして数日もすれば、一年で最も日が長い「夏至」を迎えます。田舎の小川ではゲンジボタルが舞っていることでしょう。我が家の庭ではブルーベリーが食べごろを迎えています。
きょうは、先週に続いて京都に向かい、祇園・花見小路通りを突き抜けたところにある建仁寺の両足院に行ってきました。お目当ては半夏生(はんげしょう)の庭園特別公開です。半夏とは、サトイモ科の薬草「烏柄杓」のことで、夏至から数えて11日目が雑節の半夏生とされるのだとか。第三十候夏至末候(7月2日から6日頃)に登場する言葉です。まあ、難しい蘊蓄はこのへんにして、今回も写真をみていただきましょう。
見終わったあとは、庭園を愛でながらお抹茶をいただきました。肌に感じる空気の心地よさは何とも言えず、クーラーの中では体感できない贅沢な場と時間を楽しむことができました。
そのあと私たちは知恩院に向かい、亡き両親に7月半ばに引退する旨の報告をいたしました。すると、肩にかかる重しのようなものがとれて、実に爽快な気分になりました。気を良くして、学生時代ばかりかクラブOB会でも出入りするビアホールで、家内と祝杯をあげました。1時間ほどいて美味しい冷たいビールを中ジョッキで3杯。家内は小ジョッキ1杯。楽しい時間を過ごしました。
聞けば来月半ばの連休には子供たちが退職祝いの会を開いてくれるのだとか。四国遍路のバスツアーも7月に続いて8月の予約も完了し、ここ1年はそちらに軸足を移しながら、気の向くままに歩き、全身で「風景」を体感する1年にしたいと思っています。(笑)
ところで、話はがらりと変わりますが、先日たまたま出会ったブログ「クラシック音楽・ライヴエアチェック日誌」の3月28日付き記事「関西のクラシックレコード店名物定員中岡教夫さん死去」に固まってしまいました。そうです。昨年までWaltyクラシカルを経営しておられた中岡さんが、食道ガンでお亡くなりになっていました。「関西音楽新聞に訃報記事があり、レコード芸術の読者欄にも投書があった、まさに、関西レコード界の名物が逝った」と記されてありました。
考えてみると、「堂島のWALTY Classical(旧ワルツ堂)さん、当面休業」の記事をアップしたのは、ちょうど1年前の6月14日でした。そして1か月後の7月18日には閉店セールにおじゃました際のことを「WALTY Classicalさん、閉店へ」に綴りました。堂島のワルツ堂以来、レコード、CD、DVDを品定めしているとき、いつも店内にいらっしゃった中岡さんは、私にとってはひとつの支えでもありました。ご冥福をお祈りします。(下の写真は最終の閉店セールでいただいた飾り物です)
そして先日、大阪駅前のヒルトンホテルでの会合の帰りに、WALTY Classicalのあった駅前第1ビル地下1階を歩きました。既にその形跡はなく、今はリラクゼーションのお店に変わっていました。ひとつの時代が終わったのかと少しへこみましたが、お隣のDISC J.J.さんにおじゃまして、LPレコード1枚を買って帰りました。アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団によるハイドンの交響曲第22番変ホ長調<哲学者>と交響曲第90番ハ長調です。
ハイドンといえば「古典派音楽の3大巨匠」の一人です。あとの2人モーツアルトとベートーヴェンに比べると、やや地味な存在ですが、中学校の音楽教室の壁には必ず掲げてあった写真を思い出します。ところが、先の2人ほど意識して聴いた作品がないのも事実です。ここにきて全曲聴いてみたいという思いが募っています。これも歳のせいでしょうか。
....週末の夜は、森正人著「四国遍路~八八ヶ所巡礼の歴史と文化」(中公新書)を眺めることにいたします。
きょうの土曜休日は、京都・宇治の三室戸寺、通称あじさい寺に行ってきました。かの平等院とは2キロほどの距離にあって、西国観音霊場十番の札所、約1200年前に創建されたお寺です。この時期、50種・1万株の西洋アジサイ、額あじさい、柏葉アジサイのほか新種のあじさいを楽しむことができます。きのうの朝のテレビニュースで紹介されたためか、若い方をはじめたくさんの方々がお越しになっていました。本堂のある境内で、ベンチに座って休憩をしていたとき、お隣のご老人が言うには、この時期、三室戸寺は雨の日が一番美しいと。なるほどと思いました。.......妙な言葉より、まずは写真をご覧いただきましょう。
夕刻、長女のご自宅におじゃまして、久しぶりに孫君たちと近くの料理屋さんで夕食会をして帰りました。...きょうは7時間もお留守番をしていただいたゴンタ爺さん、帰宅すると、あきれ果てたのかお眠りになっておりました。
先週は弱々しかったゴンタ爺さんですが、今週は比較的落ち着いています。ちゃんとお散歩ができるようになりました。でもひとつだけ事件が.....。お散歩に行くとき、抱っこをして玄関口まで行って、外に出た瞬間、右の手のひらに湿っぽい温もりが。我慢できなかったのでしょうね。お漏らしをしてしまいました。申し訳なさそうな顔をしていました。様々な機能が徐々に弱くなってきているでしょう。仕方ありません。いいよ、いいよと言ってあげました。
飼い主である私も先日、3カ月検診のため仕事帰りに病院に行ってきました。ずいぶん待たされたあと、検査結果に特段の懸念はなし。休肝日のことは話題になりませんでした。(-_-;)
「でも、お薬は続けましょうね」と女医先生の優しいお言葉。次回診断日の話になって「来月でリタイアするのでいつでも結構です」と言うと、「運動量が違うのに現役の時と同じ量の食事をしていると健康によくありませんから、仕事をお辞めになって当分の間は食事に気をつけてくださいね」。優しいアドバイスが胸に響きます。確かにそうです。時間だけでなく身の周りのすべての微妙な変化に身体を慣らしていかなければなりません。
そう言えば、きのうの毎日新聞夕刊で「お遍路逆打ち人気。4年に一度、レアな功徳」という記事に目が留まりました。四国八十八カ所霊場を巡るのに、ふつうは一番札所の霊山寺から回るのだそうですが(順打ち)、うるう年の今年は八十八番札所の大窪寺から逆に回る「逆打ち」が功徳があり、人気があるのだと。そのため人の流れが変わり、お店や宿が困惑しているのだそうです。わたくしは、ぶれることなく計画どおり「順打ち」で進めます。
四国遍路に関する今週の学習は、「山折哲雄の新・四国遍歴」(PHP新書)でした。お遍路というよりも、四国の文化を海と山の両方から眺めた旅行記です。山折さんが注目したひとつに、平安時代、瀬戸内海に君臨した水軍のことがありました。江戸の末期に活躍した「咸臨丸」の乗組員の半数近くが、丸亀港からほど近い塩飽諸島の出身だったとか。四国の歴史と文化の奥深さ、幅広さを思ったものでした。
また、山折さんは「青少年のいじめや自殺といった問題と向き合い、歴史や民俗、宗教学の視点から解決への糸口を探って、精力的に著作や講演を重ねている」のだそうで、「若衆」という青年の自治組織、その場としての「若衆宿」にも注目します。地域の防災や祭りなども担うなど、若者がある種の社会性を身に付けることに大きな役割を果たしたのだそうです。終戦を境にドラスティックに軸足を移した日本、その前後に大きな文化の断絶があります。その評価には、まだ少し時間がかかりそうです。
この時間になって、身体に疲れが感じられます。スマホの万歩計、きょうは1万歩のちょっと手前でした。今夜は早く眠ることにいたしましょう。
家を出て100メートルほど歩くとバス停に通じる坂道があります。先日、出勤途上の坂道で2羽のカルガモさんに出会いました。夫婦?それとも子供たち?付近に大きな池があるわけでもなく、どこからやってきたんだろう。ポケットからスマホを取り出してパチリ。数キロ先に行けば大きな池があることを教えてあげたかったけれど、私の姿に驚いたのか、どこかに飛んで行ってしまいました。
ところで、1週間前に刈り取って陰干しにしていたドクダミの葉がうまい具合に乾燥したので、それを刻んで乾燥剤と一緒に瓶にしまいました。これがいわゆる十薬というものです。さっそく煎じて試飲すると、独特の臭いはありますが、お茶です。ものの本によれば、強心作用、利尿作用のほか、毛細血管の強化作用があるので高血圧症の脳出血の予防にもなるとか。とりあえず今の私には不要不急のものですが、庭の草むしりをしながら、時々こんな健康茶を作って遊んでいます。
健康と言えばここ数日、ゴンタ爺さんの調子が芳しくありません。数日前、お散歩に出かけると30メートルほど先にある公園の入り口付近で後ろ足がへなへなとなり、地面に横たわってしまいました。立たせようとしますが、すぐに寝そべってしまいます。仕方なく抱っこして連れて帰りました。リハビリのつもりでお散歩をしてきましたが、どうやら後ろ足に力が入らないようです。
そこで思いついたのが後ろ足の運動機能回復訓練でした。仰向けにして両足首をもって前後左右に動かします。最初は嫌がっていましたが、何度かするうちに自分でも足を動かそうとします。いい雰囲気です。するとどうでしょう。きょうの朝のお散歩は、いつもの道を時間をかけて完歩してくれました。これからは、ゴンタ爺さんのご機嫌を伺いながら、素人理学療法士として老犬介護に努めます。頑張れ、ゴンタ!!
さて、今週は石川文洋著「四国八十八カ所~わたしの遍路旅」(岩波新書)を読み終えました。新聞社の報道カメラマンとしてベトナム戦争を従軍取材するなかで、多くの知人の死に直面された鎮魂の旅でもある歩きお遍路の記録ですが、読みながら一緒に旅をしているような錯覚を覚えました。 計画していた四国八十八カ所お遍路の旅バスツアー第1回目の日程が確定して、7月に入ると、まずは第一番札所霊山寺から第6番札所安楽寺までを訪ねます。.....何気なく検索機能を使って「四国巡礼」をキーワードにブログ「心の風景」の過去11年間の記事を探してみました。一瞬にして3つの記事が表示されました。
初出は2007年11月4日付「美しく老いる」です。大学時代のクラブのOB会で、四国巡礼を続けている先輩との出会いがありました。次いで2011年9月23日付「橙色のコスモス」。記事には「新聞広告でときどき目を凝らしてみるものがあります。四国巡礼の旅。かの南方熊楠が、独り熊野の山奥に籠って植物採取に励んだように、日常を拒否して巡礼の旅に憧れる。そんな気持ちになることが、ときどきあります。でも、本当の自分ではないような気がするし、いや本当の自分であるような気もする。そんな不思議な年代になったよう」と。そして三つめは2012年6月3日付「内に秘めたパッション」。ここでは愛媛県今治市に出張したことで「リタイア後の四国巡礼の旅への思いを強くした」とあります。やはり心の片隅で燻っていたテーマだったようです。
先週今週と、在職中お世話になった方々との夕食懇談が続いていますが、来週の月曜日は3カ月ごとの定期健診の日です。守れなかった「休肝日」をどう報告しようかと悩みます(笑)。大腸癌、前立腺癌の「要精検告知」から3年。今のところ兆候はありませんが、2年後に予定している歩き遍路に向けて体調を整えておかなければなりません。
きょうの夕方のニュースでは、近畿地方も梅雨入りになったようです。でも、私の街に雨は降っていません。静かな夜です。窓の外からホトトギスの鳴き声が聞こえてきます......。きょうは、ウィルヘルム・ケンプのピアノで、シューマンの「森の情景」を聴きながらのブログ更新でした。私が社会人になる直前の1973年2月に録音されたLPレコードです。