心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

男女の恋心~文楽と歌劇と能楽

2014-03-30 09:12:00 | Weblog

  3月30日、第十一候 春分 末候「雷乃発声」(かみなりすなわちこえをはっす)。「桜の花が開くと寒冷前線の通過などにより、しばらく姿をひそめていた雷が鳴りやすくなる」季節。天気予報どおり、昨夜から雨が降っています。荒れ模様で雷注意報が発令されているようですが、昔人の季節感の確かさを思います。
 そんな3月の下旬、新大阪駅のプラットホームには母親と一緒に歩く子供の姿が目立ちました。新幹線に乗って後の席には、女子学生のグループが話に興じています。世の中は春休みです。こうした周囲の微妙な変化を肌で感じながら、広島出張を繰り返した私も、今回が最後になりました。4月からは大阪を拠点に担当職務の任にあたることになります。
 最後の広島出張は2日間でした。初日は、先代のトップのお墓参りを挟んで諸々の打ち合わせ、そして夜は懇親会。翌朝少し早めに起きると宿所の片付けです。必要な物だけダンボールに詰め込んで自宅に送り、不用品は処分してもらいました。部屋を出て7階でエレベーターを待っているとき、ふと遠くの山肌にモクレンの白い花が見えました。3年前に着任したときと同じ風景がそこにはありました。
  午後、東広島市から呉市に移動、さらに広島市内に向かいます。春の陽気に誘われて桜の花が咲き始めていました。この日は現場視察とヒアリング、そして夕刻はまたまた懇親会。広島のお酒をたっぷり楽しんで、いつものように最終の新幹線に飛び乗って帰阪しました。お疲れ様でした。
 そして昨日の土曜休日は、気分を一新。フェスティバルホールで杉本文楽「曽根崎心中」を見てきました。2年前に国立文楽劇場で見た作品ですが、何が違うのかと言えば、まずは舞台風景。文楽劇場が具象的であったのに対して、杉本文楽は抽象の世界。暗闇の中でスポットライトを浴びる人形の存在と内面が浮き彫りにされているように思いました。なによりもコンサートホールでの上演ですから、音響にも工夫がこらされていました。能楽が鼓であるのに対して文楽は三味線。それに横笛が場面を支えます。昨秋、マドリード、ローマ、パリで観客を魅了したといわれる所以です。
 大坂の醤油商の手代、徳兵衛と天満屋の遊女お初の悲しい恋の物語です。「上演台本+解説」によれば、「恋を心中によって成就させることによって、二人の魂が浄土へ導かれるという革命的な解釈が、近松門左衛門によって披露されたのが人形浄瑠璃『曽根崎心中』である」とあります。
 徳兵衛の仕事ぶりを見込んだ醤油商の主人は、姪と祝言を上げさせて彼に跡を継がせようとしますが、徳兵衛はそれを断ります。立腹した主人は継母に渡した多額の結納金を返せと迫る。なんとか金の工面をした徳兵衛ですが、悪友から3日限りの借金をせがまれ貸してしまいます。ところがお金が戻ってくるどころか、悪友は金を借りたことはないと言い張る。徳兵衛とお初は意を固め、夜中にお初の店を逃げ出し、曽根崎の森でこの世に別れを告げる。ざっとこんなシナリオです。
 演出の杉本博司氏は「現代社会は死をなぜ隠蔽しようとするのでしょうか。そこには宗教の不在と科学の圧勝に見える世情もあります」「人間の意識の中では死こそが最大の関心であったことを現代人は忘れてしまったように思われます」「現代人に求められているものとは、死へと導かれる美しい理念、命を賭するほどの生きる理由、だと思います」と言います。深い言葉です。
 上演後、太夫、三味線、人形師の方々全員が舞台の上に勢揃いして満場の観客にお礼をされた場面は、なにやら歌劇のフィナーレを思わせました。
 歌劇と言えば先週の日曜日、Eテレの番組「クラシック音楽館」で、ミラノ・スカラ座日本公演 歌劇「リゴレット」(ヴェルディ)の録画放映がありました。2時間あまりの上演を最後まで見てしまいました。この歌劇も男女にまつわる悲劇です。娘ジルダの心を弄ぶ女好きのマントヴァ侯爵に復讐しようとする父親、せむしの道化師リゴレットの悲劇です。殺し屋を雇って侯爵を殺そうとしますが、娘ジルダは父リゴレットと侯爵との間で揺れ動く心に苦しみます。最後に下した決断は、自らが殺し屋に殺されることによって、二人を守ることでした。なんとも悲しい物語でした。
 先月大槻能楽堂で見た「井筒」も、鎌倉時代の恋心がテーマでした。こうして振り返ってみると、洋の東西を問わず語り継がれた多くの物語が共通のテーマを追っているような気がします。言葉や文化は違っても、人間の本質的なところは何も違いはしない。にもかかわらず、あちらこちらで戦争という殺し合いが起きる。そこに宗教が絡むと出口が見えなくなってしまう。恐ろしいことですが、これもまた人間社会の側面なんでしょうか。
 そんなことを思いながら、フェスティバルホールを出ると、家内のお買い物に同行して曽根崎を通って梅田に向かいました。むかしむかし、このあたりは森だった。その森の中で明け方、徳兵衛とお初が手を取り合って心中した。ふっと人形浄瑠璃の場面、薄暗い舞台に浮かび上がる二人が命を絶つ場面を思い出しました。満場の拍手に包まれ幕を閉じました。
 帰り道、久しぶりに、大阪駅前第2ビル地下の「名曲堂」に立ち寄りました。ちょうどクラシック半額セールをやっていましたので、LPレコード「グレゴリオ聖歌集第1巻」を買って帰りました。きょうは、それを聴きながらのブログ更新でした。

「恋を菩提の橋となし。渡して救ふ観世音誓ひは。妙に有り難し」(人形浄瑠璃「曽根崎心中」第一段「観音廻り」)。

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モーツァルトの『交響曲第40番ト短調K.550』

2014-03-22 23:30:42 | Weblog

 先週発売の「クラシックプレミアム」には、モーツアルトの3大交響曲として知られる、交響曲第39番、40番、41番(ジュピター)が収められていました。カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。そのうち、第40番ト短調K.550をこよなく愛した人がいます。小林秀雄です。

『もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。ともかく、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑沓の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で慄えた。』(作品「モーツアルト」冒頭から)
 その頃、小林秀雄は中原中也の愛人・長谷川泰子と恋におち、同棲を始めたけれども、長くは続かず、大学卒業と同時に彼女から逃げ出し、関西を転々としていました。作品「モーツアルト」の書き出しの部分は、まさにその荒んだ頃の風景だったろうと思います。
 小林秀雄講演集CD第6巻「音楽について」の中に、小林のこんな肉声が残っています。

『あれは僕が大学を出た年ですからね。あんな驚いたことはないですよ。あんな経験をまたしません。あんな鮮明な、ああいうふうなことは、想い出とか何とかというんじゃないんですからね。サッサッサッ、本当に音が聴こえるんですからね。だから、もう驚いちゃったんですよ。ああいう経験は、青年時代でなければできないなあ。音を思い出すとか連想するとか、そんなことはできますけれどね、あんなふうに知らないうちに、夢の中にみたいに。』

 大阪・道頓堀の雑踏の中を歩く小林秀雄の姿、青春の迷いのなかで苦悩する人間の姿を垣間見る思いがします。ト短調シンフォニーの美しさとは切り離すべきと思いつつ、どうも私はこの曲を聴くと小林秀雄の青春時代のひとコマを思い出してしまっていけません。久しぶりに、CDに収録されいる、R・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏をSPレコードの電気録音版で聴きました。1927年の演奏なのだそうです。そしてカラヤンの演奏はその43年後の1970年に収録されたものでした。今年は、その44年後にあたります。SPレコードの演奏から87年を経過していることになります。
 三連休とはいえ、中日の今日は半日仕事でした。明日は、孫君たちと一緒に家内の両親のお墓詣りにでかけます。久しぶりに一緒に夕食でもして帰りましょう。そんなわけで、週末の夜のブログ更新とあいなりました。
 さきほどコーヒーがほしくなって階下に降りると、愛犬ゴンタ君がぐっすりとお眠りでした。それも大きなイビキをかきながら。ずいぶんなお歳ですから、ぐっすり眠るのが日課のご様子です。平安な日々を暮らしております。
 そうそう、昨夜は東京から甥がやってきました。甥といっても50代半ばのベンチャー企業の社長さんですが、11年ぶりの来訪でした。春の選抜高校野球に21世紀枠で出場した母校を応援するためで、お昼頃に品川駅から甲子園球場に直行して応援した後やってきました。残念ながら母校は1回戦で敗退してしまいましたが、ご本人は甲子園で応援できたことに満足しているご様子。二人で遅くまでお酒をいただきながら昔話に花が咲きました。
 概ね文章が固まったので、コーヒーブレークです。そっと窓を開けてみると、ひんやりと夜気を感じますが、夜のお空にはぼんやりとお月さんが浮んでいました。あと1週間もすれば、桜が咲くかもしれませんね。来週の土曜日は、フェスティバルホールで開かれる杉本文楽「曽根崎心中」をご鑑賞の予定です。日曜日は、春休み中の孫長男君らを連れて京都にお花見にでもでかけましょう。

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桃始笑から菜虫化蝶へ

2014-03-16 09:44:18 | Weblog

 今朝、愛犬ゴンタとお散歩にでかけました。明るい陽の光が街を照らし、丘の上の大きな柳の枝先は淡く柔らく見えます。家々の庭先では桃の花が満開でした。七十二候では、桃始笑(ももはじめてわらう=桃の花が咲き始める)から菜虫化蝶(なむしちょうとかす=青虫が羽化して蝶となる)へと移り変わる季節。きょうは館野泉さんのピアノで「夜の海辺にて--カスキ作品集」を聴きながらのブログ更新です。この曲、何の関係もありませんが、村上春樹の「カフカの海」を彷彿とさせるものがあって、気に入っています。
 夜と言えば、小林秀雄の「無常という事」の書き出しを思い出します。
 「比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問われていはく、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり」。これは、「一言芳談抄」のなかにある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが(以下、略)

 木々が聳える比叡の御社、それも夜も更けた頃、かんなぎ(神に仕えて祭りを行い神楽を奏し、祭りの初めに神おろしなどをする人)を真似た若い女性が、静まり返った夜気の中で朗々と歌う。鼓の「ていとうていとう」という音が響く。その心を問われた女性は生死無常、人生のはかなさを憂う・・・・・。
 能楽に通じる世界がそこにはあります。能楽堂に響く鼓の音色。空気を引き締める凛とした響き。ジャズピアノとは異なるけれども、同じように頭の中が空っぽになる。あまりの心地よさにいつの間にか眠ってしまいそうになる。不思議な世界が広がります。そこには人の世の泥泥しさは微塵もなく、独りの人間が立っている。そんな自分がいる。
 広辞苑を紐解くと、「無常」とは一切の物は生滅・変化して常住でないことの意。生死無常、諸行無常と難しい言葉が並びます。
 なにやら小難しい書き出しになってしまいましたが、先週は、火曜、水曜と広島に行き、いったん戻ったあと週末に再び広島入りして、昨日の夕刻自宅に戻りました。広島では定年退職者を囲んでささやかな懇親会を催しました。大阪では新体制を機会に幹部の懇親会がありました。職場を去る方もいれば、新たに仲間入りする方がいます。人事異動の季節を迎えて、なにやら人の世も慌ただしくなってきました。毎年のように繰り返される風景が、そこにはあります。
 私も、春を迎えて仕事内容に少し変化がありそうです。定年年齢を前にして、昨年末に仕事関係の書籍をすべて処分してしまいましたが、さあてどうしたものか。能楽の世界を極めようと、NHK講座で古文のお勉強を始める準備をしていたのに、なにやら強引に現実の世界に引きずり降ろされそうな気配です。
 週末、広島に向かう途上、古文の入門書を探しに紀伊国屋書店に立ち寄りました。売り場を探し回っていて経営書のコーナーを通りかかると、なぜかそこで足が止まってしまいました。ここ数年、新しいお勉強は止めて、どちらかと言えば仕事とは全く異なる世界から仕事(現実社会)を見つめながら、それまでに蓄えた知見をもって何とか凌いできました。なのに、その日手にしたのは野中郁次郎、マイケル・E・ポーター、そしてフィリップ・コトラー関連の書でした。鞄の中には既に「鶴見和子曼荼羅(華の巻)」が入っていて、それでなくても重いのに、真新しい3冊の本が加わり、肩にずしりとくる重さ。結局1泊2日の出張中「華の巻」は一度も開くことなく、コトラーのマーケティグン論をおさらいしておりました。
 定性分析や定量分析によって人の動きを探る。思いを量る。大切なことですね。でも、人を突き動かすものはもっと奥深いものではないか。理論だけで推し量ることのできない何かが隠されているのではないか。40数年も仕事人生を送っていると、理論という言葉に振り回されて辟易してしまうところも無きにしも非ず。でも、時代を鳥瞰する視点をもたないと何も見えてこないのも事実。なにやら釈然としないまま、広島に向かいました。
 今朝の朝日新聞の朝日求人欄「仕事力」に平田オリザ先生がご登場です。前回の第1回目は「人と違えと育てられた」、第二回目の今日は「社会性を獲得するために」でした。昨年、「わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か」で関心をもった先生ですが、高校生の頃には自転車で世界一周旅行をされた。帰国すると父親が創設した劇場の経営を引き継ぐ。多額の借金をかかえて金融機関との駆け引きで社会性を学ぶ。劇団経営を通じて、「自分が正しい」という思い込みを崩すことの大切さを学び、他者の暮らしや価値観を学ぶ。あのすばらしい著書の背景に、このような生き様が隠されていたのかと。
 PCの前に座って、思いつくままにテキストに書き込んでいたら、きょうも意味もなく長文になってしまいました。このブログにお越しいただいた方々のことはなんにも考えずに、ただただ書き綴った駄文になってしまいました。それはともかく、悲喜こもごもの春。なにかが蠢く季節。春分の時季も、すぐそこまで来ています。それぞれの「春」が目の前に訪れようとしています。

※写真説明
上:開花した新種のクリスマスローズ
中:本来なら昨秋のはずが、季節外れで種を放つブルースター
下:ライラックの花芽。開花まで定点観測をいたしましょう。
付録:私の仕事の出発点とも言えるバス停。その法面にいま、水仙の花が満開です。 

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蟄虫啓戸

2014-03-09 09:38:04 | Weblog

 ばたばたしているうちに、3月も9日。七十二候では「蟄虫啓戸(ちっちゅうこをひらく)」と言い、「地中の虫たちが大地の扉を開く意」なのだそうです。なにか気分が晴れやかになる表現ですね。今朝は、珍しくサン・サーンスのクラリネットソナタを聴きながらのブログ更新です。
 初春の陽気に誘われて、昨日は宝塚の清荒神さんに年に一度のお参りに行ってきました。片道2時間弱の道のりです。このブログでも何度かご紹介していますが、「火の神」「かまどの神」として広く庶民に信仰されているお寺で、正式には清荒神清澄寺と言います。御札をいただいて帰ります。家内安全、商売繁盛、厄除開運と、良いことだらけです。近代科学主義の時代にあってもなお、神仏にすがる人の思い、教義以前の人の「こころ」、アニミズムの世界が広がります。お地蔵さんにピントがあって梅花がぼけてしまいましたが、なんとなく春らしいので写真をアップしました。
 お参りを終えて大阪・梅田に着いたのが午後4時半。グランフロント大阪に立ち寄りました。でも、どこから人が沸いて出てくるのかと思うほどの賑わいです。何よりも若者が多い。興味本位に、養殖マグロに成功した「近畿大学水産研究所」店で近大マグロをいただこうと思いましたが、開店前から長蛇の列。諦めました。この大学、マグロ人気で志願者数が早稲田を抜いて全国トップになったとか。食の力ってすごいですねぇ。この日は、南館7階のイタリア料理のお店でゆったりと食事をして帰りました。その帰途、大阪三越伊勢丹のデパ地下を覗いたら、両手で抱えるほど大きなサツマイモが1個100円。きょうは、ほかほかの焼き芋がいただけるかもしれません。
 ところで、先週は3日間を広島で過ごしました。ふと、こんな二重生活をして何年になるのかなあと思いながらブログを調べてみると、ありました、ありました。2011年の4月。東北大震災の直後でした。あれから3年が経過します。時が経つのは本当に早いものです。
 週の前半には、世界的にも有名な化粧筆(熊野筆)の産地、熊野町を訪ねました。翌日はトップを広島に迎えて広島駅前のホテルの最上階で懇親会。このホテルにもいろいろお世話になりました。そして帰阪すると、週末に大阪で重要な会議。こんな生活が3年間続いたことになります。お疲れ様でしたと言いたい。と、偉そうなことを言いますが、広島・西条は酒どころでもあります。美味しいお酒に酔いしれた3年間でもありました。
 さて、朝日に輝く我が家の庭では、クリスマスローズが満開です。一昨年に手に入れた苗にも大きな蕾が膨らんで今にも開きそうです。こうして、じっと地面をみつめていると、様々な草花が動き始めています。イチゴの苗も、ここに来て大きく新芽が伸びてきました。5月連休の頃には孫君たちとイチゴ狩りを楽しむことができるかもしれません。そうそう、昨年植えたライラックの若木。これも蕾を大きく膨らませています。冬の寒さに耐えて今年も香しい花をさかせてくれるでしょう。
 こうしてみると、虫どころか人間様も大地(こころ)の扉を開く季節を迎えたのかもしれません。さあて、大きく育ったカブを幾株か引き抜いて長女のお家にお裾分けをいたしましょう。

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詩人まどみちおさんと鶴見和子先生

2014-03-02 09:19:32 | Weblog

  童謡「ぞうさん」や「1ねんせいになったら」などで知られる詩人まど・みちおさんが先日お亡くなりになりました。104歳でした。難しい言葉が氾濫している世の中にあって、ひらがなばかりのやさしい言葉で綴られた童謡の世界。多くの子供たちの心を捉えました。ご冥福をお祈りいたします。
  むかしむかし、子供たちが家内と一緒に大きな声で歌っていた「やぎさん ゆうびん」。姪の「ゆうこちゃん」が田舎の離れで大きな声で歌ってくれた「ぞうさん」。古き良き時代の風景が浮んできます。
 そんな「ゆうこちゃん」が、先週の土日、子供を連れてやってきました。ゆとり世代最後の大学生になる息子のアパート探しです。日曜日にはそのお供をしました。聞けば「ゆうこちゃん」も40半ば。我が子の初めての独り立ちに、不安と期待が入り交じって、母親らしい一面をのぞかせていました。小さい頃から「ゆうこちゃん」と呼んでいたので、久しぶりに会った今でも「ゆうこちゃん」なのでした。

 その翌日は、仕事帰りに1カ月ぶりの上洛でした。夕刻から始まるセミナーに参加しました。テーマは「ブータンの魅力とGNHの現在」。いわゆる幸福度に関するお話しでした。幸福度という極めて個人的なものをどうやって量るのか。そもそも、人はどんな状態を幸せというのか。幸せって一体なんなんだ。と考えていくと、だんだん難しくなってきます。その日の結論は、社会発展モデルの進化系という言葉でお開きとなりましたが、判ったような判らないような。でも、ひとつの課題をいただいたので、そういう意味で充実した2時間でした。
 週の後半には、私にとって大きな発見、大きな感動がありました。鶴見和子先生の蔵書に触れる機会を得たことでした。京都の某私立大学におじゃまする用事があったのですが、その大学の図書館で大切に保存されていることは以前から承知していました。用事が済むと、さっそく図書館に直行です。4千冊あまりの蔵書が並ぶ書庫をひとつひとつ見て回りました。図書、研究資料、ノート類がきれいに整理されてありました。東京にお住まいだった鶴見先生は、後年、宇治の老人ホームに入居されましたが、その際、自宅の多くの図書をこの大学に寄贈されたようでした。その後、お亡くなりになった際、ホームの蔵書も寄贈されたのだそうです。学生に自由に読んでほしいというご希望だったようです。
 書庫をみると、私の蔵書と同じ本もちらほら。それだけ、私が鶴見先生から多くの影響を受けたんだと改めて思いました。そのうちの何冊かを、恐る恐る手にとってみました。赤や黒の鉛筆で線を引いた頁が何か所があります。余白にはメモ書きもあります。これが読み込むということなんでしょうか。先生がどういうところに注目され、何をお考えになったのか。その足跡を伺い知ることができるような気がします。全身に震えが充満してくるのを覚えました。(写真の本は、最近再読している岩田慶治著「アニミズム時代」。丹念にお読みになった跡を伺うことができます)
 研究ノートも多数ありました。生々しい自筆を追いながら、先生の思いが伝わってきそうでした。ふだんは書庫の奥に大切にしまってあるのだそうです。私が研究者だったら、その1枚1枚を丹念に読み解き、ひとつの論文を書くことができるのでしょうが、なにせ素人の物好きにすぎません。でも、たいへん貴重な出会いをさせていただきました。
 詩人まど・みちおさんは1909年(明治42年)生まれ、鶴見和子先生は1918年(大正7年)のお生まれ。ほぼ同世代の方々ですが、敗戦後の日本の行く末に大きな足跡を残されました。その夜は、久しぶりに鶴見和子曼荼羅Ⅰ「基の巻」を手に取って、「思想の冒険 序論」を読み返しました。また昨夜は鶴見和子曼荼羅Ⅶ「華の巻(わが生き相<すがた>)の古本をアマゾンに注文しました。

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