心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

過去、現在、そして未来に思いを馳せる

2015-02-22 09:23:44 | Weblog

 昨日のぽかぽか陽気とは打って変わり、早朝小雨が舞ったのでしょうか、しっとりとした街の風景を眺めながら、ゴンタ爺さんと朝のお散歩にでかけました。途中、公園で咲き始めた梅の花を愛で、一緒に春の訪れを喜んだものです。
 散歩が終わって家に帰ったとき、ホウレンソウの畑にヒヨドリが数羽。最近、葉っぱが半分になっているホウレンソウが目立っていたので気になっていましたが、犯人はヒヨドリさんだったようです。冬場、餌に不自由したのでしょう。よい。よい。
 先週は久しぶりに呉市に出張しました。用事を済ませて広島駅に戻ると夕刻の4時半。ふらっと途中下車して市内に向かいます。お目当ては、アカデミイ書店金座街本店です。広島勤務時代によく通ったお店です。それほど広くはないけれど、選書が良いのか、寄ると必ず何かを買って帰ります。今回は、新潮古典文学アルバムシリーズ「平家物語」と平凡社カラー新書「能の歴史」でした。しめて750円なり。この日は知人と流川で一献傾け、最終の新幹線で帰阪しました。
 なぜ今頃「平家物語」かって?一カ月ほど前に観た能「正尊」に触発されて、その後スキマ時間に角川ソフィア文庫の「平家物語」を斜め読みしています。なにやら不思議な世界に足を踏み入れてしまいました。
 ただ、私には、日本史の情報が頭の中にインプットされていません。明治維新以後は、なんとなくわかりますが、江戸時代以前の出来事はまったくもって別世界です。「平家物語」を眺めていても、いろんな人が登場するのに、その関係性が見えていません。それでも、ページごとの場面展開に、現代と変わらない人の心が透けて見えます。塩野七生さんの「ローマ人の物語」に共通する昔人の心象が、ぼんやりと見えます。
 11世紀。欧州ではローマ帝国が崩壊して中世の時代に入った頃、十字軍がエルサレムを建国した頃。その頃、日本は源平合戦の世の中でした。百年単位のタイムラグはあるとしても、ローマ史を読んでいるのと同じ感覚で平家物語を斜め読みしてしまいます。
 話はがらりと変わりますが、先日、縁あって私立高校の卒業式を覗いてきました。卒業生の入場に始まり、卒業証書の授与、校長先生の式辞、在校生の送辞、卒業生の答辞と、いわば定番のセレモニーです。その間の卒業生の一糸乱れぬ動きに、何かしら物足りなさを感じていました。
 ところが、閉式の辞も終わり、やれやれと思いきや、ここで場面が大きく展開します。40名前後のクラス毎に起立をして、担任の先生の引率で退場しようとするまさにその時、卒業生の数名が大きな声で「○○先生、ありがとう!!」と声を張り上げました。すると、他の生徒たちも叫ぶ。これを聞いた担任の先生の目に涙が光ります。生徒の目にも涙が溢れます。退場する途中で生徒たちは、今度は保護者席の前で立ち止まり、整列してまたもや「ありがとうございました」と深々と頭を下げました。指示されたわけでもなさそうで、10数クラスの卒業生たちが、順番に思い思いの言葉、表現で先生、保護者に「ありがとう」と叫ぶ。
 我が子でも我が孫でもない彼らの姿を見ていて、自然と涙が出てきました。なんの涙なのか分かりません。でも、止まらない。私自身の高校時代を思い出したのか。それとも若者に対する私の認識不足を恥じたのか。こんなに真っ直ぐに育った生徒たちに対する意外性?エールなのか。
 学校の方に伺うと、「あの子たちはいつも私たちには判らないパフォーマンスをするんですよ」と微笑みます。この学校、少子化の時代を迎えて定員割れが続き、ある時期には学校の存続さえ危ぶまれた都会の小規模校ですが、古き良き校風は今もしっかりと引き継がれていました。今週から国公立大学の2次試験が始まります。多くの生徒たちが目標とする大学への合格切符を手にすることを願ってやみません。
 そういえば昨日、孫次男君の幼稚園の入園が決まったとの知らせがありました。まだ2歳児ですが、集団生活の中で育てたいという母親(長女)の願いです。昨秋、抽選で外れていたのですが、この時期、親の転勤の関係でしょうか、入園辞退がちらほら出てくるのだそうです。昨日は2名の枠に4名が手をあげ、これまた抽選で決まったのだそうです。クラスは「いちご組」だとか。
 孫長男君の場合は、当時、長女が働いていましたから、1歳から保育所に通っていました。それを思うと少し遅くなりましたが、集団生活が育む「生きる力」は、孫次男君にとって大きな第一歩になることでしょう。
 先日立ち寄った大阪の百済寺跡。記録によれば、8世紀の頃、大陸の百済から渡来した王族の子孫によって建てられた寺院だそうですが、まさにローマ帝国が姿を消した頃、平家物語が生まれる前の時代です。今は公園になっている百済寺跡に立って、自分の立ち位置を考えると、古えの世界が、なんとも近しい存在になってきます。どうも最近、こんな視点から現実の世界を見つめてしまっていけません。歳なんでしょうか。境内の一画には、寄贈された雛人形が飾ってありました。来週はもう3月、ひな祭りの季節を迎えます。

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寒い季節に心温まる音楽の世界

2015-02-15 09:04:53 | Weblog

 週末から寒い日が続きますが、旧暦では第三候立春末候「魚上氷」(うおこおりにのぼる=氷の間から魚が動き始める)の季節を迎えました。熱帯魚の水槽を覗くと、プラティの幼魚が二匹三匹と目につきます。でも、限定された環境ですから、寒い季節には親魚が一匹二匹と姿を消します。水槽の世界も新陳代謝が進んでいます。 
 さて、先週の日曜日は、昼下がりにフェスティバルホールにでかけました。チケットセンターで手続きをすますと、独身生活の気軽さもあって、昼間だと言うのに地階のパブで一杯。昂ぶる気持ちを抑えます。開演20分前に入場すると、なんと職場の同僚の姿も。そう言えば、彼は大学時代グリークラブで活躍した経歴の持ち主でした。
 ほぼ満席の中で、ヤクブ・フルシャが指揮するプラハ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏が始まりました。ステレオ機器の性能が向上したとは言え、やはりホールで聴く演奏は違います。聴衆が一斉にステージに釘づけです。
 まずは「スメタナの交響詩モルダウ~わが祖国」、ついでミッシャ・マイスキーのチェロでドボルザークのチェロ協奏曲。素晴らしい演奏に拍手が鳴りやまず、マイスキーのアンコールでは、ドボルザークの「森の静けさ」とバッハの無伴奏チェロ組曲の一節が披露されました。
 そして最後に、交響曲第9番 ホ短調「新世界より」。小さい頃からよく聴いた定番の曲ですが、それでも新しい感動があります。こちらもアンコールに応えて、スラヴ組曲から2曲が演奏されました。フルシャさんのサービスメッセージ「まいどおおきに」に、大阪のお客も大満足でした。
 そんな週の半ば、朝日新聞夕刊の「華麗な人」欄に、舘野泉さんの記事を見つけました。「鍵盤舞う5本の指」の見出しです。2002年、フィンランドでの演奏会で倒れたあと右半身不随になりながらも、その後左手の5本の指で演奏できる曲を演奏しようと「舘野泉 左手の文庫募金」を設立、その募金をもとに作曲を依頼されました。2012年、2013年には全16回にわたって「左手の音楽会」が全国各地で開かれ、私も聴きに行きました。舘野さんのピアノ曲を聴くと、不思議と生きる力をいただきます。
 今日は音楽ネタが多いですねえ。最後にもうひとつ。昨日の朝日新聞国際政治面に「イラク 不屈のタクト」と題する記事を見つけました。「演奏続ける国立交響楽団」「”銃より楽器”テロ乗り越え」の小見出しが踊ります。
 混乱が続くイラクで、音楽による連帯をめざして活動を続ける国立交響楽団の指揮者カリム・ワスフィさん(42歳)を追った記事でした。テロの脅威を乗り越え、1月に開いた定期演奏会には1千人を超える聴衆が集まったのだと。マーラーの交響曲第1番「巨人」を演奏したとあります。そのワスフィさん、「過激派の青年たちと話せるなら、15分で彼らの銃を楽器に持ち替えさせてみせる」と言います。なんと輝かしい言葉であることか。
 先日、プラハ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いていた時、ふっと「イスラム国」のことが頭を過ぎりました。彼らに、ほんの一瞬でも我に帰る瞬間があったなら、このホールでシンフォニーを楽しむ心の余裕が持てたならと思いつつ、「新世界」を聴いていました。戦争と平和。混乱と安寧。どんなに過酷な環境に置かれても、熱い心をもって語る人がいます。見習いたいものです。
 今日は、久しぶりに舘野泉さんのCDから「シャコンヌ 演奏活動50周年最新録音」を聴きながらのブログ更新でした。奥様も東京からお帰りになり、我が家も久しぶりに普通の生活に戻りました。

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未来予想漫画とリアルゲーム

2015-02-08 09:23:25 | Weblog

 旧暦の立春を迎えました。デジタルカメラをもって庭に出て、我が家の春を探します。少し苦しいかなあ。でも、蕾が開いたスイセン、今にも花開きそうな名前不詳の草花、やっと花芽が見えてきたクリスマスローズ、まだまだ蕾の固いライラック.....。昨日の朝は霜が草木を覆っていましたが、そろそろお目覚めでしょうか。いやいや、もう少し待ってみようと様子伺いでしょうか。
 我が奥様は今朝、長男君第三子のサポートに、喜々として上京いたしました。取り残されたのは私とゴンタ爺さんです。というわけで、今週は独身を謳歌することになります。まずは音楽鑑賞といきましょう。取り出したLPは、スメタナの交響詩「わが祖国」でありました。スメターチェック指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。録音は1980年9月、プラハ、芸術家の家、とあります。グレン・グールドが亡くなったのが2年後ですから、LPとしては最後の時期のものでしょうか。それがCDに取って代わり、いまはハイレゾに変わろうとしています。
 先週も、いろいろありました。新しい気づきもあれば、悩ましい出来事もあり、最後は朗報も。この歳になると、表層的な出来事には無頓着になります。目の前の課題に真正面から向き合い、最適解を見出していく、そんな時間が流れていきます。
 そんなある日、職場の同僚から面白い本を見せていただきました。文庫本「昭和ちびっこ未来画報~ぼくらの21世紀」(青幻舎)です。彼は、私が進める新規事業の参考になるかも、と渡してくれました。内容はと言えば、1950~1970年代にかけて、いろんなメディアに掲載された「未来予想図」を集大成したものでした。
 それを私は懐かしく眺めました。幼少の頃、漫画少年だった私は、枕元に何冊もの漫画本を置いて、それを見ながら眠った記憶があります。当時の漫画雑誌には、付録として小さな漫画本がたくさん付いていましたから、どんどん漫画本が増えます。そんな漫画の中に、未来を予感させるものがありました。月旅行、空中を自在に移動する乗り物、ロボット、そんな未来を夢見ながら眠ったものでした。
 改めて眺めてみると、半世紀前の未来予想漫画の多くが現実のものになっていることに気づきます。ロボット、リニアモーターカー、ロケット....。途轍もない空想の世界、夢を抱き続けることが大事なんだと、改めて思ったものでした。

 ところで、先週は、異業種の仲間とのお勉強会にも顔を出しました。今年度最後の例会ということもあって、3時間みっちり話し合いました。ひとつの課題を様々な角度(業界)から眺めると、これまで見えなかったものが見えてきます。これが言葉の幅を広げていきます。
 その後、ファシリテーターの発案で、お遊びの時間が用意されていました。リアル脱出ゲーム「人狼村からの脱出」です。DVDを見ながら謎解きをするのです。・・・・・人狼村に16人の村人がいます、そのうち3人は村人に扮した狼です。夜な夜な村人を襲います。人狼の牙は徐々に我々に迫ってきます。村中に隠された謎を解きながら、その村を脱出しなければなりません。制限時間は90分。チームに分かれて、手渡された数枚のカードの謎を解いていく、そんなゲームでした。私のチームは老若男女5名の混成チームでした。みんな普段使わない脳みそをフル回転させて、謎を解いていきました。
 私の得意とするところは、もっぱら場面を鳥瞰するところでしょうか(笑)。図、形に関する謎は私の担当です。一方、数字や知力が求められる問題、これは若い方にお任せすることになります。もう一歩のところまで辿りつきましたが、残念ながらどのチームも脱出することはできませんでした。でも、良い汗をかきました。その後の懇親会が盛り上がったのは言うまでもありません。

 と、まあ、こんな暮らしをしながら最終章に向かって浸走るということなんでしょう。きっと。この日も、定年で一線を退かれる方がいらっしゃる。見方を変えれば、組織の新陳代謝、組織が生きているということなんでしょう。私も、職場にへばりつくことはしまいと、それが組織の持続可能性に通じるのだろうと思っています。
  さて、今日は午後、小雨舞う中之島にお出かけです。ヤクブ・フルシャが指揮するプラハ・フィルハーモニー管弦楽団、 ミッシャ・マイスキーのチェロで、ドボルザークのチェロ協奏曲を聴いてきます。あと、交響曲第9番 ホ短調「新世界より」、そして、スメタナの交響詩「モルダウ」~「わが祖国」から、です。

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四角い言葉と丸い言葉

2015-02-01 09:16:23 | Weblog

 ここ数日、寒い日が続きますが、今週の半ばには「立春」を迎えます。今朝、ゴンタ爺さんと早朝散歩に出かけると、途中ランニングをしている父子に出会いました。向かいの家のご主人と長男君です。まだ幼稚園児なのに早朝特訓中のようでした。こうして子は強く育っていくのでしょう。
 さてPCに向かって、何を聴こう....。取り出したのはLP「ヨーロッパ民謡のすべて」(ロジェー・ワーグナー合唱団)でした。懐かしい赤盤です。庭の千草、埴生の宿、やさしき愛の歌、グリーンスリーヴス、帰れソレント、わが母の教えたまいし歌、と続いたところで、ふと思い出しました。そう、今日は母の命日です。40年前の今日、癌を患っていた母は帰らぬ人になりました。就職して2年目、期待の支社が誕生した年でした。長い人生のうちの18年間しか一緒に暮らしていないのに、私にとって母の存在はあまりにも大きい.....。
 ブログ更新のテーマを考えながら部屋を見渡すと、鶴見和子曼荼羅(藤原書店)に目が止まりました。本棚には、九巻中八巻が鎮座しています。各巻それぞれに本の内容を象徴する言葉が添えてあります。基の巻、知の巻.....。それを繋ぐと基知魂土水華歌環となります。Ⅱ巻「人の巻」は最後のお楽しみです。なにせ各巻400頁から600頁の大作ですから、今は完全読破する心の余裕がありません。どうしても摘み食いになってしまいます。
 先週は、「土の巻(柳田国男論)」を持ってベッドに入る毎日でした。いつの間にか深い眠りについてしまいますが、不思議なもので、いくつかの言葉が頭の片隅に残っています。翌朝、通勤電車の中でふっと浮かんでは消えていきます。こんな反芻を繰り返しながら、心の奥底に重たいものが沈殿していくのがわかります。
 Ⅵ巻「魂の巻」は「水俣・アニミズム・エコロジー」がテーマです。昨夜、石牟礼道子さんに焦点を当てたNHKテレビ「戦後史証言(日本人は何をめざしてきたのか)」の録画を見ました。代用教員だった石牟礼さんが、『苦海浄土』で水俣病を文明の病として描き、日本の近代を問うてきた姿が画面いっぱいに表現してありました。そこには、時代に真正面から向き合っている、一人の女性の姿がありました。既に高齢の域に達しておられるけれども、肩肘はらず、ものごとを真っ直ぐに見つめていらっしゃる石牟礼さんを拝見いたしました。
 録画を見終わって、本棚の奥から学芸総合誌「環」2000summer号を探し出しました。特集「日本の自然と美」です。その中に、鶴見和子さんと石牟礼道子さんの対談「魂と”日本”の美~水俣から学ぶ」が載っていたからです。久しぶりに読み返して、「四角い言葉と丸い言葉」の項を何度も読み返しました。
 英語やドイツ語やフランス語で考える観念的な言葉、裃を着た言葉(標準語)を「四角い言葉」、普通の人の言葉、普段使っている言葉を「丸い言葉」と言い、魂を入れて丸い言葉を磨いて玉にすることが述べてあります。目の前の出来事を安易に「自然破壊」「環境問題」といった言葉(概念)で括ってしまうと、水俣が見えなくなってしまう。言葉に惑わされ、真実がみえなくなってしまう愚を突いた、含蓄のある表現です。だから言葉に魂を入れる、ということになります。「丸い言葉を使っている人、あるいはその言葉さえ使えない人、そういう人たちの心を聞くべき」と。
 対談の終わりに鶴見さんは言います。「異なるものが異なるままに、ともに支えあって生きるという、私はそれだと思う。人間は自然の一部だけれど、やっぱり違う種なのよね。だから違うものが同じになっちゃいけないのよ。」「アニミズムをつきつめていくと、多様なものが、多様なままにまとまりをつける論理というものが必要になるの。それが曼荼羅ではないかと考えているの。私は。」
 最近、物知り顔にダイバーシティという言葉を使いがちですが、さてさてその真意、魂は如何に。ずしりと重いテーマをいただきました。そしてなによりも、今朝の、「イスラム国」によるジャーナリスト・後藤健二さん殺害を伝える痛ましいニュースは、「多様性」という言葉をいかに「丸い言葉」で考えることができるかという課題を提起することになりました。
 この対談は、鶴見さんがお亡くなりになる6年前の2000年3月、入居されていた京都ゆうゆうの里で収録されたものでした。「環」のこの号には、免疫学者・多田富雄さんと能研究者・松岡心平さんの対談「日本美の誕生--世阿弥とその周辺をめぐって」も掲載されています。休日の昼下がりにでも眺めてみたいと思っています。

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