心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

年の瀬を迎えて想うこと

2018-12-06 19:57:48 | Weblog

 第六十一候大雪初候「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる=空が閉ざされ真冬が訪れる)」、第六十一候大雪次候「熊蟄穴(くまあなにこもる=熊が穴に入って冬ごもりする)」。.......小さい頃、田舎で暮らしていた頃の風景が浮かんできます。でも、残念ながら、この都会地では実感がわきません。

 先日、久しぶりにのんびりと朝のお散歩を楽しみました。このところ景気が良いのでしょうか。私の街では世代交代に併せて家の建て替え工事が散見されます。昭和の家が壊され真新しいデザインの家が新築される。これも時代の流れなんでしょう。街に子供たちの歓声が響きます。新しい世代による新しい街の誕生を予感します。
 街といえば、今週の日曜日に町内会恒例のお餅つき大会がありました。高度成長期に造成された街ですから、伝統的な地域のお祭がないぶん、こうしたお祭りは地域共生という意味での絆づくりに大切な行事です。町内会のみんなで盛り上げます。今年もたくさんの人出で賑わいました。
 娘も孫たちを連れてやってきました。「おぞうに」「やきもち」「ぜんざい」「きなこもち」の各コーナーには長蛇の列です。みんなお行儀よく並んで順番を待ちます。お餅をたくさんいただいた孫君たちの次のお目当てはお楽しみ抽選会です。抽選券を片手に発表を待ちますが、残念ながら今年も参加賞でした。それでも、お菓子をたくさんいただいて嬉しそうに帰ってきました。
 そんな孫次男君、私が水彩画の仕上げをしていると「僕も描きたい」と。そこで、画用紙と筆とパレットを渡すと、すこ~し考えたあと、さらさらと描き始めました。なんとも奇妙な絵ですが、筆のタッチといい色づかいといい、なかなかの出来栄えです。これはなにかと尋ねると「じしゃくむし」と言います。それが何なのかよく分かりませんが、孫君とお爺さんの水彩画展ができあがりました。
 話は変わりますが、先週末、近隣にお住まいの、かつて同じ職場でお世話になった研究職の方々、今では80歳も半ばの方々とのランチ会がありました。少し筋は違うのですが、どういうわけかその仲間入りをしてしまいました。要はお世話係といったところでしょうか。
 みなさん年金生活者ですから会の名前は「二千円の会」と言います。二千円の範囲内で軽い食事とビールを楽しむ。もちろん会話を楽しむのが第一の目的です。現役の頃は相当な個性をお持ちの方々で、時には激論を交わしたこともある方々ですが、今では穏やかな笑みを浮かべてお話しになります。人間って、齢を重ねるに従って優しくなっていくものなんですね。つくづくそう思いました。
 老いる........。以前、シニアカレッジの授業の一環で「私の軌跡と夢シート」を作成したことがありました。A4の紙に、タテに「60年前」「40年前」「20年前」「現在」そして「10年後」、ヨコに「年齢」「家族構成」「仕事」「私の軌跡と夢」「日本の様子」「世界の様子」と区切った一覧表が印刷されています。そこに、私自身の過去と現在そして未来を書き込んでいくのですが、自分の歩みを鳥瞰するという意味で興味深いものでした。
 大学の名誉教授であるその先生は、「自分の軌跡を振り返り、終活に活用してください。日本の様子、世界の様子はネットの検索機能で調べてください」と。出された宿題がおもしろい。インターネットで歌手・竹内まりやさんの「いのちの歌」「人生の扉」「みんなひとりで」を検索して、歌詞を読み、曲を聴くこと。
 さっそく、音楽配信サイトmoraさんからダウンロードして聴いてみました。何度か繰り返して聴いているうちに、曲と歌詞が融合してその世界にのめり込んでいく自分に気づきます。「生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに」「ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ」「生まれる時ひとり 最期もまたひとり」。いつのまにかしっとりと心にまとわりついています.....。
 竹内まりやさんといえば出雲大社の参道沿いにあるお家でお生まれになった方です。昨年の秋、出雲大社に詣でたとき、義理の兄が車を運転しながら、あれが竹内まりやの家だよと教えてくれました。その曲を聴いたのは今回が初めてでした。そしてその義兄は今年5月に他界しました。

 師走を迎えて、訃報のお知らせが毎日のように届きます。私自身がそういう年代になってきたということなんでしょうが、改めて人の生き仕方を思う年末でもあります。

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京都、京丹後、奈良を巡ったシニアの秋

2018-11-29 21:28:30 | Weblog

 1週間があっという間に過ぎていきます。それどころか今年もあと1カ月となり、なんとなくそわそわ感が漂う季節になりました。と言いながら、自分で自分を忙しくしているところがないでもありません。私の悪い癖ですね(笑)。アシスタントの仕事も必要以上に深入りしてしまい、家でじっくりと読書を楽しむ時間より、Google siteによるホームぺージづくりに没頭してしまう始末。先週の会議でゴーサインをいただいたので、いよいよ仕上げの段階です。ここにきて家内もあきれ顔です。
 そんな家内を京都の東福寺に誘いました。もちろん紅葉がお目当てでしたが、京阪電車の東福寺駅を降りると心斎橋筋を歩いているような賑わいです。これは大変と急遽コースを変更して西国15番札所・今熊野観音寺と泉桶寺に向かいました。こちらは観光客もぐんと少なく、ゆったりと紅葉を楽しむことができました。もちろん「ぼけ封じ観音さま」にもご挨拶をしておきました。では、しばし京都の紅葉をご覧あれ。
 帰り路、くねくねした京の路地道を歩いていると、窯元紅葉まつり(大陶器市)で賑わっていました。ギャラリーや陶器市、工房などをぶらり覗きながら駅に戻りました。ふだん陶器は弘法市(骨董市)で買うことが多いので、この日は見て歩いただけでした。
 今週は前々から計画していたシニア7人組のカニ旅行にも出かけました。行先は京丹後市は離れ湖畔のお宿。向かうバスの中でワイワイガヤガヤおしゃべりしていたら、あっという間に到着です。夕食は当然にカニ尽くしですが、美味しいお酒をいただきながら、ここでもワイワイガヤガヤ。それでも話し足りないと男性部屋に集まってまたもや話の続き。なんともお気軽なシニアたちでありました。でも、一体何を話していたのかと問われると、思い出せない。まあ他愛ないお話しだったんだろうと思います。いずれにしても、様々な人生を歩いてきた方々とのお話しは新鮮で楽しいものです。
 そうそう、帰りのバスの待ち時間に、丹後地域地場産業振興センター(アミティ丹後)に入ると、その一画に「野村克也ベースボールギャラリー」なるものがありました。京丹後市は野村監督の出身地です。野村さんから寄贈いただいたというトロフィーや楯等の寄贈品の数々が展示されてありました。野球ファンならため息が出そうなギャラリーなんでしょうね。
 今週はこれだけでは終わりません。一日おいて、校外学習で奈良は元興寺文化財研究所に出かけました。昔の紙や木管、貴金属など貴重な文化財を近代科学の粋を尽くして保存処理を行っている所です。若い技術者たちが気の遠くなるような繊細な作業を黙々とこなしている風景を目の当たりにすることになります。彼ら彼女らの努力によって、歴史に埋もれた文化財が陽の目を見る。驚くばかりでした。講義と見学のあと、元興寺にお参りして帰りましたが、ここ奈良も紅葉のまっさかりでした。
 聞くところによると、この研究所の建物は昔、LPレコードを作っていたテイチクの社屋だったのだそうです。LPからCDに変わりハイレゾに進化していく流れの中で、一度はパナソニックの工場になったようですが、いまは文化財保護の拠点に様変わりです。屋上から遠くに見える若草山や興福寺の五重塔を眺めながら、歴史の悪戯というのかなんとも感慨深いものを感じたものでした。
 こうして、京都、京丹後、奈良と巡った1週間が終わろうとしています。大きな時の流れのなかに戯れた1週間でもありました。少し飛ばし過ぎましたので、ここでいったん小休止することにいたしましょう。

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皇帝ダリアが花開く秋

2018-11-22 21:18:48 | Weblog

 今朝、出かけるときに庭を眺めたら皇帝ダリアの上部に大きな花が咲いていました。たくさんある蕾のうちのひとつですが、我が家にやってきて2年目にしての開花です。春先から伸び始め、今では私よりもすいぶん高く3メートル近くなりました。度重なる台風の到来で、残念ながらいくつかは倒れてしまいましたが、最後まで踏ん張ってくれた茎に花が開きました。高すぎて望遠レンズがないと細やかな花びらを確認することができません。
 そんな秋の某日、またもや上洛をいたしました。今回のお目当ては「没後50年、藤田嗣治展」(京都国立近代美術館)です。あまり深い理解もないままに会場内に入ると、西洋絵画を思わせる空気が部屋の隅々にまで充満していました。案内によれば藤田は、80年を超える人生のおよそ半分をフランスで暮らした画家で、20代後半にパリへ渡り、30代に入るとフランスにて頭角を現した画家です。その藤田の描く絵の変遷を辿りながら、一枚一枚を丁寧に観て回りました。
 第二次世界大戦の一時期、帰国した藤田は作戦記録画を多数発表しますが、そのために戦後批判を浴びることになり、1959年再びフランスの地に舞い戻ります。以後、フランス国籍を取得し、その地で生涯を終えました。西洋風の油絵でありながら日本の繊細な心が滲み出る藤田の絵画を楽しみました。パンフレットには「乳白色の下地と繊細な描線に代表される彼の香り高い芸術は、多くの人々を魅了してきた」と紹介されてありました。
 そんな美術館を後にして、いつも通り神宮通りを歩きながら青蓮院の前を通って知恩院に向かいました。法然上人御堂に上がって、お経が響くなか両親や亡き兄姉たちに手を合わせ安寧の日々に感謝します。ふと、ケルンの大聖堂の空気感に近いものを感じました。やはり宗教というものの根っこは同じなんだろうと思ったものでした。
 阿弥陀堂の付近に小さな人だかりがありました。よく見ると季節外れの桜の花(?)。考えてみると毎年この時期になると咲いているような気がします。ということは、毎年この時期にお参りをしているということなんでしょう。円山公園の紅葉を愛で、四条通りのお店を冷やかしながら帰途につきました。新装なった南座の姿も。
 話は変わりますが、今週の授業「近代文学」のテキストの中に、夏目漱石が誕生について綴った「硝子戸の中」の一節が紹介されてありました。
「二月九日、江戸牛込馬場下横町に生まれる。父直克五十歳、母ちゑ四十二歳。(中略)私は両親の晩年になって出来た所謂末っ子である。私を生んだ時、母はこんな年歯をして懐妊するのは面目ないと云ったとかいふ話が、今でも折々は繰り返されている」と。
 これって私と同じだと思いました。夏目家の場合は五男三女、我が家は四男五女。末っ子という点は共通しています。なによりも、私を産んだ父母の年齢がほほ同じということです。漱石は一時期、養父母に預けられ、実の両親を「お爺さん」「お婆さん」と呼んでいたとか。私が小さい頃、一番上の姉を時々「お母さん」と呼んでいたと亡き姉が話してくれたことがありました。そういう点でも共通するものがあります。でも、だからどうだということではありません(笑)。なんとなくぼんやりと時代というものを思った次第です。

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紅葉の秋に文楽とコンサートを楽しむ

2018-11-15 21:34:47 | Weblog

 ブログの更新。ディスプレイに向かって、さて何を書こう。なかなか浮かんでこないときは「にっぽんの七十二候」を紐解きます。いつの間にか立冬を過ぎて第五十六候「地始凍(ちはじめてこおる)」。大地が凍り始める季節のようですが、どうやら来週は寒くなりそうな気配です。
 さて、今週の授業は古典文化「文楽」がテーマでした。名誉教授の先生から4時間にわたってお話しを伺ったあと、国立文楽劇場に引率して午後4時から始まる第二部の「?山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)中将姫雪責の段」と近松門左衛門作「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)徳庵堤の段・河内屋内の段・豊島屋油店の段」を観劇しました。心の機微に触れるお話しですが、どこまで理解しているのかと問われると自信はありません。でも、生駒の山並みと実りの秋を迎えた河内平野の田園風景が描かれた背景をバックに、いつの間にか3人の人形遣いの存在を忘れて「生きている」人形の仕草に惹き込まれていきます。日本の文化の奥深さを目の当たりにする瞬間です。
 数日前の日曜日には、ウラディーミル・アシュケナージが指揮するアイスランド交響楽団のコンサートにも出かけました。1曲目は、辻井伸行のピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18、2曲目は同じくラフマニノフの交響曲第2番ホ短調作品27でした。80歳を過ぎたアシュケナージのすばらしい指揮ぶりに、ただただ聞き惚れたコンサートでした。と同時にラフマニノフの再発見でもありました。
 7百名あまりの文楽劇場、2千人をゆうに超える聴衆が聴き入ったフェスティバルホール。日常の喧騒から離れて、ひとつの作品に皆が酔いしれる。そんな心を共有できる不思議な空間.......。
 そうそう、コンサートの前には、紅葉の季節を迎えた大阪城公園にも立ち寄りました。紅葉見頃とのことでしたが、もう一歩といったところでしょうか。それでも結構な人出で、大都会の小さなオアシスのようでした。人びとは何かを求めて、あちらに行ったりこちらに行ったり。
 きのうは京都にも行ってきました。カレッジの校外学習先である立命館大学国際平和ミュージアムを見学するための下打ち合わせです。現地集合・現地解散のため、JR・近鉄電車、阪急電車、京阪電車それぞれの拠点駅からのルートとバスの時刻を綿密に調べて、京都の街に不案内なシニアの皆さんに細心の注意を払います。
 そんな京都も、平日にもかかわらず多くの国内外の観光客が訪れていました。帰り道、市バスに乗っていたら外国人の女性客が運転手さんに不安そうに英語で道を尋ねていました。どうしよう。と、そのとき若い運転手さんが流暢ではないけれどもカタコトでもない英語で親切に受け応えしている姿を目の当たりにしました。これぞ”国際観光都市・京都”。四条河原町で降りた外人さんは、何度も何度も運転手さんにお礼を言っていました。嬉しいですねえ。かく言う私は、ふだん使う機会がないものだから、ここにきて日常会話にも事欠く始末。残り少ない人生を思うと、今ここで語学に打ち込む時間的な余裕もなく、ますます低下するばかりです。あとは当たって砕けろってことにしておきましょう(笑)。

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Google siteでホームぺージを試作??

2018-11-01 21:07:23 | Weblog

 先日、スマホのスケジュール手帳ジョルテを苛っていたら、なぜでしょうか。これまで蓄積していたデータが表示されず、真っ白な画面になってしまいました。どうしよう.....。PCとの同期もしていなかったので、ここ数年間の日々の出来事と今後半年先の予定がすべて消えてしまいました。年内の2カ月については、家内と予定を共有するために書き込んでいたカレンダーで何とか記憶を呼び起こすことができましたが、その先は闇の中。当分、お会いする方々にお尋ねすることになりそうです。というわけで、気分一新。Googleのカレンダーを使うことにしました。これならスマホもPCも同期していて安心です。ボケ防止に使っているKeepメモも、ここに来て陽の目を見ることに。
 それはそうと、この歳になってホームぺージを苛うとは思いませんでした。アシスタントのお仕事の延長線でHPの面倒もみてくれないかと。「いやあ、20数年前にMicrosoftのFrontpageを使って個人的にホームぺージを作って遊んだことはありますが、ひとつの組織のホームページの面倒なんてみられません」。と言いながら、ホームぺージ・ビルダーを買ってきて、この一カ月の間に独学でデータを更新する技は身につけました。でも、書店にはもっと簡単につくれるマニュアル本がずらりと並んでいます。そんなとき、システム屋さんからGoogle siteの利用を勧められました。ワード感覚で作れるとのこと。さっそく試してみると、最大公約数的な標準的なツールに限定されるけれども、素人でも肩の力を抜いてホームぺージを作ることができそうです。ということは、技術的な奇抜さよりも、何をどう伝えるかという根幹に力を注ぐことができるということでもあります。
 そんな次第で、この1週間、Google siteと睨めっこです。現在のホームぺージをちまちま修正する作業はどなたかにお願いして、新しいサイトを一から作り上げてみることにしました(笑)。この歳になって、こんなことをするとは。営利目的の組織ではありませんから、月末のホームぺージ委員会に試作品を提案して承認されれば、年内に切り替えることを目論んでおります。さあて、どうなりますことやら。(ここまでの写真、本文とは関係ありませんね。ネタ切れというか、先日、京都府立植物園に行った際に撮影したものです。)
 ところで最近、奥様がご機嫌斜めなのです(-_-;)。アシスタントのお仕事に振り回されていて、なんだか現役時代に逆戻りしたような日が続いたからでしょう。反省です<m(__)m>。そんなわけで、先日、気分転換に京都府立植物園に出かけました。台風の影響が生々しい園内でしたが、それでも秋の花が咲き始めていて、ほっとする時間を共にしました。

 その日は、地下鉄の一日乗車券を利用して、京都のアンティークフェアにも立ち寄りました。年に何回か開かれる催しですが、あくまでも冷やかしです。最近は、日本刀の鍔(つば)が人気なようで、結構なお値段で売られていました。かの小林秀雄が刀の鍔を集めていたことを何かの本で読んだことがありますが、私にはもうひとつ理解できませんでした。結局、この日は錫製の酒器セットを値切って買って帰りました(笑)。
 京都には、その二日後にも出かけました。こちらは大学サークル同窓会の最終打ち合わせのためです。いつもどおりビアレストラン「ミュンヘン」で、ビールを呑みながら2時間。しっかりとお話しができました。その後、古くからあるフランソア喫茶室で美味しいコーヒーをいただいて帰りました。帰りがけ、四条大橋を歩いていると、耐震工事が完成したばかりの南座が眩しく輝いていました。歌舞伎とはご縁がないので、入ったことはありませんが、その存在感だけは近しいものがあります。
 ざっとこんな一週間でした。きょうは一日中、アシスタントの会議と打ち合わせでしたが、夕食を終えてほっとしていると名古屋に来ている長男君から電話がありました。何か電話した?と。そういえば、お昼休みにスマホの住所録をgoogleに統合していて、誤って長男君のスマホに電話をしたようです。そんな話をしていたら、家内が長男君に「土曜日はお休み?名古屋に行っていい?これから温泉宿を探してみる」と。こんな行き当たりばったりの楽しい生活を送っている初老の夫婦ではあります(笑)。

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シニアもスマートウォッチで健康管理

2018-10-25 21:07:07 | Weblog

 週も半ばを過ぎると、なんとなく疲れが出てきます。それでも静かな夜のひととき、週に一度のブログ更新を楽しんでおります。さあて、きょうは何をテーマにしようか......。
 そうそう、「歩き遍路」の続きをひとつ。写真を整理していたら、こんな写真が見つかりました。道に迷う直前、以布利トンネルに入る手前のところです。ここで左に曲がって以布利港に向かっていたら良かったのです。残念!。左の看板「大阪・海遊館 以布利センター」に見とれて、そのまま前方にある以布利トンネルに進んでしまいました。大阪南港にある海遊館の大きな水槽の中をゆうゆうと泳ぐジンベイザメなど黒潮にのって回遊してくる魚たちは、この地から大阪に運ばれているのでした。

 「歩き遍路」に関してもうひとつ。一カ月前から愛用しているスマートウォッチですが、その機能のひとつに睡眠管理があります。「深い眠り」「浅い眠り」「覚醒時間」ごとに時間を記録してくれます。通常でも「深い眠り」は2時間前後で、大半は浅い眠りのようですが、高知に向かう夜行バス乗車中の「深い眠り」は、なんと29分。浅い眠りも1時間20分というものでした。夜行バス乗車2回目の今回は比較的すっきり眠れたと思っていましたが、実際のところは厳しいものでした。前回の「歩き遍路」で、雪蹊寺の境内のベンチでお昼寝をしてしまったのも、夜行バスの疲れが残っていたということなんでしょう。
 ちなみに、スマートウォッチでは、ウォーキング中の「歩数」や「速度」「心拍数」などを記録してくれます。心拍数は変化するたびに振動で教えてくれます。でもねえ。奥様は「機械に管理されるのは嫌!」とのことでした(笑)。
 ところで、今週は出ずっぱりの1週間でした。月曜日は「古典文学」講座。今期は松尾芭蕉の「奥の細道」がテーマです。この日は「武隈の松・末の松山」を読みました。昔は足が主な交通手段です。「歩き遍路」とだぶりながら先生のお話しを興味深く聴きました。火曜日はカレッジ。水曜日は会議、そしてきょうは午前中、水彩画教室があり、ぱっくりと口を開けた大きなザクロを描きました。それが終わると昼食もそこそこに事務局で打ち合わせでした。
 そんな慌ただしいなか、大学サークル(現在は廃部)の同窓会も迫ってきました。私の担務は回答葉書に記された先輩諸氏の近況報告をWordに入力するお仕事です。四百字足らずの文章ですが、皆さん結構なお歳ですから、それぞれの「老いの生き方」が凝縮されていて、ずしりと迫るものがあります。ついつい一枚一枚のお葉書を見つめてしまいます。「生老病死」。非常に重たい言葉です。(下の写真は部室のあったヴォーリズ設計の致遠館。近江八幡観光物産協会の絵葉書から)
 さあて、明日は来年度に新規講座をご担当いただく外部講師の先生との打ち合わせがあります。....気がつけば、
カレッジ一色の一週間になりそうです。ふぅ~。現役の頃とは違いますから、少しトーンを落とす必要がありそうです。

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孫長男君と坐禅体験

2018-10-04 20:36:44 | Weblog

 台風一過。前日の風雨が嘘のように晴れわたった夕暮れ時、お婆さんが幼稚園に通う孫次男君を連れて歩いていると、西の空にそれは美しい夕陽が見えたそうな。それを見たお婆さんは孫次男君に言いました。「見てごらん。綺麗だねえ」と。すると孫次男君、「わぁ綺麗。インスタ映えするね。”いいね”たくさんもらえるかもね」と答えたのだとか。最近の子供たちは何でも知ってるねえというのが、私たち初老夫婦の夕食どきの会話でした(笑)。
 そんな10月某日、小学校の創立記念日でお休みの孫長男君の面倒を私が見ることになりました。さあて、どうしよう。思いついたのが坐禅体験でした。興味を示してくれたので、さっそく予約を入れて東福寺塔頭毘沙門堂「勝林寺」に向かいました。もちろん、孫長男君は初めての体験です。お寺が見えてくると、それまで元気だった彼から出た言葉は「叩かれたら痛いの?」でした(笑)。
 この日の体験申込は十数名。うち小学生は1名だけ。手続きを済ませて坐禅をする部屋に向かうと、爽やかな秋風とお香の匂いが漂っていました。まさにお寺の風情です。あたりを見わたしていた孫長男君も、なんとなく落ち着いた様子でした。定刻の午後1時、住職さんが現れました。まずは、お寺の歴史についてお話しがあり、続いて姿勢や足の組み方、手の置き方や呼吸の仕方などについて説明がありました。そして、15分間の坐禅が始まります。
 座敷に静寂が広がるなか、時々、警策をもった住職さんが体験者の求めに応じて両肩を打ちます。ふあっとした心に喝をいただくような、そんな心もちになります。私の隣に座った孫長男君も、見よう見まねで警策をいただきました。
 通常は1本のお線香が燃え尽きるまで続けるのだそうですが、この日はいったん休憩を挟んで、もう一度15分間の座禅を体験します。いつもサッカーや塾やらで忙しい孫長男君。この日ばかりは、お爺さんとゆったりまったりの時間を味わったようでした。
 マンションでしか暮らしたことがない孫長男君にとって、静まりかえったお寺の空気は別世界だったよう。もちろん土と向かい合う生活なんて知りません。バーチャルな世界とリアルな世界の境目が分からなくなっているご時勢に、何かをつかんでほしいと思うお爺さんの思いが伝わったのかどうか.......。
 いま、読売新聞の企画記事「時代の証言者」が政治学者・佐々木毅先生にスポットを当て「学問と政治」をテーマに連載しています。実は、かつて法学部政治学科に学んだ私が2年生の時に読んだ本の中に、佐々木先生の「マキアヴェッリの政治思想」(岩波書店)がありました。いまも書棚の奥に鎮座していますが、これが佐々木先生の助手論文であったことを、この記事で知りました。回が進むにしたがって、南原繁、福田歓一、丸山政男など昔聞いた名前が登場します。大学を出たあとずいぶん経って、塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」に出会い、以後「ローマ人の物語」などイタリアの歴史物語に関心をもったのも、いま思えば学生時代のこんな出会いがあったからなんでしょうか。
 後に東大総長までお務めになった佐々木先生は、秋田高校のご出身でした。第2回「山に育てられた少年時代」は、なんとなく私の田舎の風景と重なります。第11回「丸山政男先生から刺激」、第12回「論文マキャベリで勝負」、第15回「研究室、破壊され悲痛な夜」あたりになると、まさに私の学生時代と重なってしまいます。丸山政男の門下生だったゼミの先生の影響なのでしょう。以後、全く別の世界に生きてきたのに、時代精神を共有してきたような錯覚を覚えます。こんな新聞記事に触発されて、古き良き時代を思い返す楽しさ。そんな歳になってしまいました。
 さてさて、このところアシスタントのお仕事が立て込んでいるため、ブログの更新もやっつけ仕事になりました。あす金曜日は父の33回忌法要のため出雲に帰省しなければなりません。とは言っても、せっかく島根に帰るのだからと、新幹線と特急「やくも」&「スーパーはくと」利用で4日間乗り放題というお得感満載のトクトク切符「山陰めぐりパス」(12,000円)を購入して帰省することに。紅葉には少し早いようですが、松江や足立美術館、大山などに寄り道をする予定です。.......ところが、なんと台風25号が近づいています。素通りしてほしいと願っていますが、さあてどうなることやら。

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舞楽を楽しむ~住吉大社の観月祭。そして....。

2018-09-27 23:16:37 | Weblog

 きょうは午前中、今期最後の水彩画教室がありました。これまでに描いた水彩画を白板に張り出して先生から評価と今後の課題を教えていただくのですが、厳しい先生の評価をクリアしたのは3点だけでした。焦らずじっくり研鑽を重ねていくしかありません。
 水彩画教室が終わると、急ぎカレッジの事務局に移動して打ち合わせ、夕刻からは新旧アシスタントの歓送迎会がありました。久しぶりに組織の一員として動くことになりますが、さあてどうなんでしょう。気負うことなく気楽にお付き合いをしていきたいと思っています(笑)。
 さて、本題に入ります。先日、読売新聞のご招待で住吉大社の観月祭に行ってきました。天王寺駅前から大阪唯一の路面電車(阪堺電車)に乗って15分、住吉大社鳥居前で降りると、熊野街道と紀州街道に挟まれた一画に住吉大社はありました。もちろんその昔、遣隋使、遣唐使を送り出した住吉の浜は跡形もありません。
 鳥居をくぐり、第三本宮、第四本宮、第二本宮、第一本宮と参拝したところで、第一本宮の大屋根に痛々しい修理の傷跡が目にとまりました。聞けば先日の台風21号の被害のようです。ほかにも境内の至る所で樹木が被害を受けていました。
 さて、受付をすませると、反橋の絵馬殿内のお茶席に向かい、お茶のお接待をいただきました。
 午後6時半、反橋上の舞台では、献詠歌「天地人」位の披講、献詠歌「佳作」の吟詠、献詠句の朗詠が行われました。和歌や俳句に疎い私は、ただただそのリズム感を楽しむばかりです。
 だんだんとあたりが暗くなってきますが、肝心のお月さまは厚い雲の中です。「住吉踊奉納」が始まりました。「第四本宮のご祭神、神功皇后様の凱旋時、堺七道の浜で土地の人達が踊って出迎えたと伝わる祭りで、大傘を立てて音頭取りが歌うのにあわせ、保存後援会の童女達が団扇をうち振り足をはねて「心」の字をなぞって踊ります」とあります。目を閉じると、住吉の浜の波音が聞こえてきそうな、そんな風景を心に抱いたものでした。
 いよいよ「奉納舞楽」の始まりです。まずは、奉納に先立って舞われる儀式的な演舞「振鉾」です。唐楽・赤色系装束の舞人と高麗楽・緑色系装束の舞人が、横笛と太鼓・鉦鼓の伴奏で舞います。暗闇のなかに浮かび上がる幻想的な世界を楽しみました。と、そのとき、雲の隙間からお月さんがうっすらと顔を覗かせました。会場に大きなどよめきが起こりました。お隣に座っていたお婆さんは「これは奇跡だ」と感激です。
 演目「承和楽」。833年に仁明天皇ご即位の時、勅によってつくられた和製舞楽なのだそうです。逆にいえば、平安時代に舞楽は輸入されていたということです。その舞楽が国風化、整理統一され、以来、寿の舞として宮中の饗宴等で舞われたのだと。笙、箒簟、龍笛の三管が奏でる壱越調調子を伴奏に4人が舞います。
 つづいて「林歌」。太鼓と高麗笛による高麗乱声を伴奏に舞います。そして最後に「長慶子」が奏せられ、この日の観月祭は幕を閉じました。岸和田のだんじり祭りに続いて、大阪に古くから伝わるお祭りを体感したことになります。

 ここで話はがらりと変わります。4月から聴講していたNHKテレビこころの時代(宗教・人生)=「マンダラと生きる」(全6回)が先日、最終回を迎えました。毎月1回の放送でしたから、その分、じっくりと頭の中を整理する時間をもてたのは良かったように思います。
 驚いたことに、かの心理学者ユングが、精神を病む人々がマンダラによく似た図形を描くことに気づいたのだと。そして、マンダラとかかわることで深い癒しが得られることを発見したのだと。その後、ユング派の精神科医や心理学者たちがマンダラ型の塗り絵を考案して治療に使い始めたのだそうです。テキストには何種類かの塗り絵が添えてありました。
 マンダラは強い対称性をもち、基本的に円形で閉鎖系、幾何学的な形態と言われます。大日如来を中心に周りにたくさんの菩薩が描かれていて、そんなマンダラを、わたしは朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの大師堂で対面することがあります。金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅のふたつです。ただただ見つめるだけです。
 きょうは歓送迎会のあと天満橋のジュンク堂で空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」(加藤純隆・加藤精一訳=角川ソフィア文庫)を買って帰りました。副題に「こころの底を知る手引き」とあります。お大師さんというよりも、思想家・空海のものの見方と考え方に関心があります。

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シニア7人組で岸和田のだんじり祭りを見物する。

2018-09-20 16:27:29 | Weblog

 今週の日曜日、知人たちと岸和田のだんじり祭りを見物に出かけました。この時期、テレビニュースでは時々見かけるお祭りですが、長年大阪に暮らしているのに現地に足を運んで見たのは初めてでした。
 難波から南海電車に乗っておよそ30分、岸和田駅に降りると、駅前広場には既に大勢の人たちが集まっていました。商店街から飛び出してくるだんじり(地車)を今か今かと待っていると、「オーラ、ソーラ」と威勢のいい掛け声が聞こえてきます。曳き綱の先頭には法被を着た子供たちがいます。そして、だんだんと学年があがり、青年団の方々が登場すると、いよいよ広場で90度に旋回する「やりまわし」。だんじりの屋根の上では大工方が格好良く飛び跳ね、勢いを得て猛スピードで目の前を駆け抜けていきました。これが、かの「だんじり祭り」かと圧倒されました。 
 しばらくして、かつてNHKテレビの朝ドラ「カーネーション」の舞台になったという岸和田商店街に移動しました。そこにはコシノ三姉妹(コシノジュンコ、コシノミチコ、コシノヒロコ)の生家「オハラ洋装店」があります。決して道幅が広くはない商店街の、そのお店の前をだんじりが走っていきます。その後を老若男女、子供たちが追っていきます。みんなでお祭りを楽しんでいる様子。見ている私たちまでもウキウキしてきます。
 だんじり(地車)は、1基1億円もすると言われています。町々で競い合ってだんじりを飾り、祭りに参画する。町が団結する恰好の場なんでしょう。岸和田市のウェブサイトによれば、「約300年の歴史と伝統を誇る岸和田だんじり祭は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まり」とあります。一方、金達寿著「行基の時代」(朝日新聞社)によれば、奈良時代に行基が灌漑用に築いた泉州一大きな「久米田池」の水を農業用水として使う農民たちが感謝の意と五穀豊穣を願って始めた行基さんのお祭りであった、とあります。
 いずれにしても、祭りの起源が農村の生活に密着したものだったのは確かなようです。時代の変遷とともに若干の変化はあったのでしょうが、大人も子供も総出で盛り上げた地域のお祭りです。これが日本のお祭りなんでしょう。共同体としてのムラの絆を強め、ムラの文化醸成に一定の役割を果たしてきたように思います。高齢化社会を迎えて「公助」「共助」という言葉をよく耳にしますが、単なる掛け声や理屈ではなく、身体中からほとばしる、祭りのもつ根源的な共同体意識なくして成立しない概念だろうと思ったものでした。
 ところで、一緒に出かけたのはシニアの仲間7人組(男性4名、女性3名)。街歩きが縁で、昨年の暮れから2カ月に一度の頻度で集まっています。マンションのオーナーもいれば元看護婦長さんもいる。1級建築士さんもいれば元営業マンや技術者、元公務員さんもいる。だから話題が豊富で話が尽きません。いつの間にか私が会長役を仰せつかってしまいました(笑)。
この日も、お祭りの見物が終わると難波に戻って懇親会という名の呑み会です。.....11月にはカニ旅行、年明けの1月にはフグ料理。いつも次々回まで日程を決めて散会するのが習わしです。なんと呑気なシニアたちであることか.....。
   話は変わりますが、一昨日奥様とご一緒に、アリス=紗良オットのピアノリサイタルに行ってきました。この日の演目は、ご本人いわく光と陰をイメージした、ドビュッシーのベルガマスク組曲、ショパンのノクターン、サティーのジムノペディ、ラヴェルの夜のガスパールなど。フェスティバルホールがほぼ満席という人気ぶりでした。だんじり祭りとは打って変わって、こちらも贅沢な時間を過ごしました。
 どうも最近、楽しいことが多すぎます。働きもせずにこんなに楽しく暮らして良いのかどうか、ついつい考えてしまうことがあります(笑)。それでも、来月上旬には父の33回忌法要があり帰省します。その翌週は土佐の国への「歩き遍路」。並行して久しぶりのお仕事となるカレッジの開講準備、大学OB会の開催準備と、適度な緊張感も漂う今日この頃です。これもありか....。
 昨日は、幼稚園年少組に通う東京の孫次男君からお手製の敬老の日プレゼント、小学生の孫娘と孫長男君からはお手紙をいただきました。68歳ってまだまだ若いと思っていますが、私が幼少の頃68歳の大人って全くもって「お爺さん」としか映らなかったことを思うと、さもありなん。歳相応ということなんでしょう。

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初秋の夜にブログを綴る。

2018-09-13 20:58:19 | Weblog

 つい数週間前まで暑い暑い夏に辟易していましたが、9月に入ってなんとなく秋を感じていたら、ここ数日は9月下旬並みの涼しさだとか。季節の移り変わりを思います。今夜は久しぶりに左手のピアニスト舘野泉さんのCD「シャコンヌ」を聴きながら、ブログを綴っています。
 そうそう。名古屋で某プロジェクトに参画している長男君が先日、ひょっこり帰ってきました。それも、当日の朝、母親に宛てた一本のメールで。忙しそうで東京の家に帰れない日が続いている様子です。束の間の息抜きといったところでしょうか。一泊しただけですが、母親の手料理に久しぶりに安堵したのか、夜はぐっすり眠れたのだと。それにしても奇遇です。その数日前には彼の初任地である鹿児島に行っていたのですから。
 そんな彼とお酒を呑みながら久しぶりにいろんなお話しができたのは楽しいことでした。彼の手首をみると、見慣れないバンドが着いています。なんだと尋ねると、活動量計多機能スマートウォッチだと。歩数、距離、時間、消費量、心拍数のほか時刻やメール着信通知、睡眠管理、長座注意などが付いた、まさに多機能バンドです。働き盛りの彼には最適のツールかもしれません。
 有酸素運動の把握や「歩き遍路」中の体調管理に便利そうなので、新しいもの好きの私もさっそくAmazonに注文しました。おもちゃのような値段ですが、スマホともきっちり連動できていて、ここ数日腕時計の代わりに手首に着けて歩いています。

 そんなある日、カレッジの美術の授業の一環で、大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の「プーシキン美術館展~旅するフランス風景画」を観てきました。午前中の授業では、風景画の生い立ちを、古典主義、ロココ、自然主義、印象主義、ポスト印象主義、フォーヴィスム(野獣派)、キュビスム(立体派)という流れで概説いただいたので、その流れに沿って絵画と向き合うことができました。
 とはいえ、心惹かれるのは印象派でしょうか。モネの「草上の昼食」、ルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」。そして、LPレコードのジャケットで親しんだアンリ・ルソーの作品にも見入ってしまいました。「馬を襲うジャガー」。
 2年間通ったカレッジも、いよいよ今月で終わりです。2年前、リタイアした直後に何気なく近所の図書館で見つけた一枚の入学案内パンフレット。それがカレッジとの出会いでした。あっという間の2年間でしたが、仕事一筋に生きてきた私にとって、その後の生活を豊かにしたのは言うまでもありません。
 ひとつの組織を上から見つめてきた長い仕事人生から、一転して学生時代に舞い戻ってしまいました。隣の机の人との語らい、班の仲間たちとの呑み会などを通じて、それまでとは全く異なる新しい関係性を持てたことは大きな収穫でした。そのうえ、午前と午後の4時間にも及ぶ退屈させない先生方の授業に、シニアたちは惹き込まれていきました。なんとも贅沢な時間でした。
 特別講座や水彩画教室は継続して受けていきますが、本科を卒業後はアシスタントとして授業運営のお手伝いをすることになりましたから、これもまた新しい人々との出会いが待っています。先日、初めて全体会議と部門会議に出席し、そのあと新人研修を受けました。ずいぶん昔にやっていたことの裏返し。なんの気負いもなく、終日おとなしく説明を伺ってきました。これからはシニアの方々の学びに微力ながらお手伝いができればと思っています。それはまた、私自身のボケ防止にもなるだろうと達観しています(笑)。
 そういえば先日、久しぶりに大学の先輩方とOB会の打ち合わせをしました。「場所はどこですか」と尋ねると「いつものお店、河原町四条のミュンヘンに集まって」と。ぇえ?思わず「お昼からビアレストランですか」と言ってしまいました(笑)。午後3時に集まり夕刻までビールを呑みながら打ち合わせという名の呑み会でありました。
 うっかりしていたことがありました。実は11月のOB会の午後、アシュケナージ&辻井伸行のコンサートチケットを買っていたことに気づきました。これはたいへんと思いつつ、思いはコンサート。やむなく午前中の新島襄の墓参にだけ参加して、大阪中之島のフェスティバルホールに直行することにしました。なんと頼りない幹事であることか......。その代わり事前の準備は手抜かりのないようにいたします。
 この日集まった先輩たちは、シニアの卓球に勤しむ人がいれば、第九の市民合唱団員として練習をしている人もいる。悠々自適の人もいれば、海釣りに興じる人もいる。未だにワインの買い付けに世界を飛び回っている人もいる。ほんと、みんなちがって、みんないい。そんな近況報告にほっとする時間でもありました。ミュンヘンのあとは向かいの喫茶店「築地」で話しは延々と続きました。
 2カ月に一度のペースで出かけている「歩き遍路」、次回は10月の半ばを予定しています。今回は第37番岩本寺と38番金剛福寺。元気なら最終日に39番延光寺にまで行けたらと思っています。とりあえず足摺岬の金剛福寺宿坊の予約を済ませました。大阪・高知間の高速バスのチケットも手配完了。あとはどんなコースを歩いていくか思案中です。

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