心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ホテルからのブログ更新

2008-11-30 07:31:39 | Weblog
 きょうは珍しく東京からのブログ更新です。私の出張に合わせて長男君が孫のお宮参りをしたいと言い出したからです。仕事を終えると、昨夜、家内と二男と合流し、きょう日曜日、甲府入りとあいなりました。長男君の孫とは初対面となります。
 さあて、2008年という年も、いよいよ後1か月となってしまいました。右往左往しながらも、時間はとまってはくれません。今年も「あっという間」の1年になります。こんなスピードで時が流れると、わたしの余命もあとわずか、なのかもしれません。
 ところで、NHK「知るを楽しむ:私のこだわり人物伝」は、12月からマハトマ・ガンジーと松下幸之助です。丸の内の丸善で目に止まったのですが、先日の2連休にとき、ガンジーのDVD映画を見たところでした。なぜ今頃?実は半月前、遅ればせながらヤン・カールソンの「真実の瞬間」を読んで、それに触発されるかたちで金井寿宏先生の「サーバント・リーダーシップ」なる本に目を通していたところ、ガンジーに触れる箇所があり、改めてガンジーの一生を見つめてみたいと思ったからでした。なかなか見ごたえのある内容でした。これだけ、物が溢れ、欲が溢れる時代、考えさせられるところ大、そんな印象を受けました。
 先週は暇にまかせて、DVDでは「踊る大捜査線」№2も見ました。以前、金井先生の「踊る捜査線に学ぶ組織論入門」を楽しく読んだことがあり、改めての鑑賞となります。この先生、キャリアデザイン、リーダーシップ、組織関連の著書が多いのですが、とにかく楽しい方です。難しい専門書もあれば、ビジネス新書もある。「ウルトラマン研究序説」という楽しい本もある。ほっと一息つける時間を与えていただけます。人間、いつもしかめっ面をしていては楽しくありませんからね。わたしのサラリーマン人生、永遠に続くわけでもないわけですから。そろそろ、その先を見据えて、社会的存在としての「私」を見つめていかなければと思うこの頃です。
 どうも、BGMなしのブログ更新は内容が堅くなってしまいます。この続きは孫のお宮参りを終え帰阪したあとに写真と共に追記することにいたします。
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情けないお話

2008-11-23 10:01:44 | Weblog
 少しひんやりとする日曜日の朝、愛犬ゴンタと落葉を踏みながらお散歩をしました。朝靄のなかに薄っすらと朝日が輝く、そんな風景に二人見いってしまいました。さぁ、休日の朝は、まずブログ更新と行きましょう。きょうはドビュッシーのピアノ曲にレコード針を下しました。
 さて、先週も週の半ばに東京に出かけていました。帰阪した翌日、つまり一昨日の夜は宝塚で会合、そして昨日の土曜日は大阪城を望むビルの一画で開かれたシンポジウムに参加して、1週間を終えました。一見、元気に飛び回っているようですが、実は必ずしもそうではないのです。歳なのでしょうか。
 まず、東京出張の朝は急に寒くなったので今年初めてコートを着て出発しました。翌朝、颯爽とホテルを出発して、少し寒い??あれ?そうだ、コートを着てきたんだ。でも、着ていない。へんだな。あ、そうだ。新幹線の棚に置いたまま降りてしまった。(-_-;) 少し時間に余裕があったので、東京駅八重洲口中央のJR西日本の落し物コーナーを覗いてみました。降車した新幹線番号と号車、そしてコートの色を伝えて数分、係員の方が大事そうに腕にかかえて持ってきてくださいました。JRの好感度アップ。諦めていた自分が恥ずかしい。そんな思いがしました。
 帰阪の翌日、宝塚に行きました。宝塚南口というメモをもって職場を飛び出していきました。阪急梅田駅から宝塚線に飛び乗って30分。終点の宝塚駅に到着し、南口を探しますが見当たらない。駅員さんに聴いてびっくり。宝塚南口とは駅名のことで、阪急今津線の宝塚駅の次の駅。これには少し慌てました。ひと駅乗ってぎりぎりセーフとあいなりました。
 この日は、それだけではありませんでした。少しお酒も入っての帰り道。今度は阪急今津線に乗って西宮北口駅で神戸本線に乗り換え梅田駅に到着すると、今度は地下鉄御堂筋線です。改札口を通ってホームを見ると電車が来ている。しめたとばかりに電車に飛び乗りました。??何か変。お化粧の匂いが漂う妙な雰囲気。気がつけば、周囲はお勤め帰りの女性客ばかり。女性専用車両でした。ドアの近くで一人小さくなって次の駅を待ちました。(-_-;)
 最近、限られた時間、神経を集中させることが得意になった反面、その緊張感が解けたあとの落差が大きくなったような気がします。やっぱり齢のせいでしょうか。それとも、緩急の幅がだんだん狭くなり、最後には立ち上がれなくなる?これも怖いお話です。
 ともあれ、久しぶりの連休ですから、この2日間、何も考えず、だらあっと、ゆったりとした時間を過ごすことにいたします。そうそう、先日、東京に行った際、神保町に立ち寄りました。時間がないので1軒だけと決めて入ったのは、老舗の音楽専門店「古賀書店」さんでした。たくさんの楽譜本、音楽関係本の中からグレン・グールドの本を見つけて大阪に帰りました。きょうは、グールドの曲を聴きながら、この本を眺めることにいたします。
 
(注)写真は、昨日のシンポジウム会場から眺めた秋の大阪城界隈の風景です。右に大阪城の天守閣が、左には大阪ビジネスパークが見えます。部屋の蛍光灯が映ってしまいました。
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忙中閑あり

2008-11-16 09:08:17 | Weblog
 きょうは5時過ぎに目が覚めました。小雨が静かに降っています。それほど寒くはないのですが、木々の紅葉を見ると、何か寂しいものがあります。いま、シベリウスのピアノ小品を聴きながらパソコンに向かっています。
 先週は週の半ばに2日間、広島に出かけていました。帰阪した翌日、つまり一昨日の夜は、京都は御池界隈で会合があって、夜遅く店を出ると酔い覚ましとばかり最寄駅まで歩きました。夜の京都を歩くのは久しぶりでしたが、うっすらと濡れた歩道に色づいた木の葉がちらほら。秋の深まりを思いました。30数年前の学生の頃を思い出しました。
 この日は、同業他社の集まりでした。様々な経営課題について、酒を片手にああでもないこうでもないと語り合う、お気軽な会合ですが、今回から20代の若い男女2名も仲間入り。何かをつかもうという意気込みに、若い頃の自分の姿が重なって見えてきて、なんとも楽しい時間を過ごすことができました。
 そして昨日の土曜日はと言えば、夕刻から労組との交渉が大詰めでした。ほぼ1年をかけて話し合ってきた人事制度改革案がテーマです。過去、微調整を経ながらも硬直化してしまった制度を、全く新しい視点から再構築をめざしたもので、実に半世紀ぶりの大改革となります。調印を終えて、運用する側の責任の大きさに改めて身の引き締まる思いがいたしました。
 同時並行で、もうひとつの懸案事項がヤマ場を迎えています。先日は、遅めの夕食をしていたところに新聞記者から電話。ほろ酔い気分もふっとんでしまいましたが、翌朝改めてお話することにいたしました。記者の書き方ひとつで良くも悪くもなる記事のこと、誠意をもってお答えをしましたが、さあて、どうなることやら。
 昨年4月に職場が変わって1年と半年が過ぎました。その間に取り組んできた諸課題が、今、複合的に絡み合いながら荒れ狂っています。同僚は「なぜそんなに急ぐのか」と気遣ってくれます。ひと昔前なら、その理屈もなりたったのでしょうが、時代が、それを許さなくなっている。まさに、「創造的破壊」の中から次のステージが見えてくる、そんなことを夢見ながら毎日を過ごしています。....なんて、勇ましいことを言っていますが、内心は不安もいっぱい。でも前を向いて歩くのみ。走るのみ。これも、最後のご奉公なんでしょうよ。きっと。
 きょうは仕事のことは忘れましょう。日曜日だから、1日中ぼんやりと音楽を聴いて過ごしたいところですが、実は、なんと孫君のお守役を仰せつかりました。母親は保育園の秋のバザーの担当、父親は日曜出勤。家内までもお仕事とあっては、手の空いているのはお祖父さんだけ、ということにあいなりました。「ちょっとだけ子供の面倒をみてくれない」という娘の甘い願いに、嬉しそうに安請け合いをしてしまいました。(^^♪ これから電車に乗ってお出かけです。
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秋に想う心の風景

2008-11-09 09:40:48 | Weblog
 きょうはモズの鳴き声で目が覚めました。めったに聞くことはないのですが、それでもこの時期、おめにかかります。ときどき、庭のピラカンサの枝に獲物をさしておく「はやにえ」に出くわすこともあります。里山を造成してできた街だからでしょうか。いまでは遠くに見える生駒の山々からやってきます。
 ところで、先週はめずらしく姉から手紙をいただきました。写真も同封してありました。ひさしぶりに故郷の山に登り、紅葉に感動したのだと。お墓参りもしてきたのだと。昨夜電話を入れると、両親のお墓参りもご無沙汰だから、あなたも時には帰っていらっしゃい、と。
 生け花の先生をしている姉は、最近ではずいぶん活躍の場が広がって、全国を飛び回っている様子。海外にまで足を伸ばして日本の華道を紹介してくることもあります。姉は小さい時からお花が大好きでした。私が草花に関心を寄せるようになったのも、ひょっとしたら姉の影響なのかもしれません。
 どうも兄の調子が悪いらしい。私は9人兄弟の末っ子ですから、年長者はもう、70歳を超える世代。考えてみれば、ひと世代違うのです。少子化なんて考えられない時代のことです。まぁ、そのぶん、「家」を背にする必要もなく、のんびりと暮らすことができました。しかし長男兄は違います。40歳前後の働き盛りに、大企業の管理職を退き妻子揃って田舎に戻り、家を継ぎました。いろいろ大変だったろうと思います。近いうちに、いちど帰ることにいたします。
 それにしても、秋は、人の「こころ」をしんみりとさせます。今朝、小雨が舞うなか、愛犬ゴンタとお散歩をしました。紅葉が進み、小さな里山に立つ柿木には、鳥たちに食されずに残った数個の実が淋しそうに小雨を眺めていました。草木もしっとりと濡れて、動くでもなく、じっと秋の深まりを眺めています。
 まぁ、こういう時間もあってもよいか。そう気を取り戻しながら、パソコンに向かいました。きょうは、シャルパンティエの組曲「イタリアの印象」、マスネの組曲「絵のような風景」のLPレコードを聴きながらのブログ更新です。

(注)写真は、バス停付近の斜面を彩る草花です。ここでは、四季折々の花が咲き、バス利用者、そして愛犬ゴンタの目を楽しませてくれます。これを育てているのは、笑顔の挨拶が印象的な老夫婦です。
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アナログとデジタルの共生

2008-11-03 10:22:55 | Weblog
 2週間、出ずっぱりの日々を終えて、一昨日は遅めの夕食を済ませると、デスク周りの整理もほどほどに深い眠りにつきました。気がつけば秋の陽が部屋の奥にまで差し込む、そんな時間に目が覚めました。ふだんの倍の時間、そう10時間は眠っていたことになります。
 今年も、11月を迎えて、あと2か月となりました。でも、年内に片づけておかなければならないことは山ほどあります。1日の早さ、1週間の早さ、1か月、1年の何と早いことか。昨日、ひょっこりやってきた孫君も、1歳の誕生日を過ぎて、自分の意思表示ができるようになりました。何もかもが動いています。成長しています。時間は止まってはくれません。
 ところで、ご愛用の「超整理手帳2009年版」も、来週から使い始めになります。いま書店に行けば、手帳の特設コーナーが花盛りですが、昔ながらの手帳からシステム手帳まで実に様々で、それぞれに作者の思いと知恵が込められています。その中で超整理手帳を愛用するのは、やはり「一覧性」でしょうか。日々の事柄に目が行きすぎて前が見えなくなったとき、蛇腹を広げて8週間を鳥瞰する。裏表で16週間を鳥瞰する。そこには本人自筆の文字が並ぶ。けっして上手くはないけれども、理屈ではない自分自身の「思い」、人間臭さのようなものがそこにはあります。
 最近は、デジタル文字に若干の違和感があって、再び「情報カード」を使い始めました。B6の白いカードです。ただ、それだけです。ご愛用の万年筆を使って、その時々のテーマについて自分の思いを書き出していきます。極太のブルーの文字が真白い紙のうえに散らばります。紛れもなく「私」の字なのです。格好よく言えば私なりの暗黙知の形式知化の作業でもあります。
 同じことはパソコンを使えばもっと楽にできます。切ったり貼ったりしながら効率的に構想をまとめていくことができます。きちんと記録に残すことができますし、後で簡単に検索もできます。でも、何かしっくりこないのです。デジタルの記号たる所以でしょうか。思い違いかもしれませんが、パソコンに向かっていると、なぜか論理の世界で右往左往している自分に気づくことがあります。
 パソコンの普及によって私たちは何かに急き立てられているような気がしないではありません。何か前のめりになっている自分に気づきます。そんな自分の、立ち位置を鳥瞰する術を失いつつあります。とは言っても、パソコンにはパソコンなりの利点はあります。超整理手帳や情報カードは、いったん役目が終わると、スキャナでデジタルに変換して記録しておきますから、パソコンを全面的に否定しているわけでもありません。自らの立ち位置を見つめながら、しかし、どのように「時代」を読みとっていくべきか。これは案外、永遠のテーマかもしれません。
 ちなみに、広辞苑によれば、デジタルとは「ある量またはデータを、有限桁の数字列(例えば2進数)として表現すること」。これに対してアナログとは「ある量またはデータを、連続的に変化しうる物理量(電圧・電流など)で表現すること。比喩的に、物事を割り切って考えないこと」とあります。蘊蓄のある言葉です。
 きょうは、グレン・グールドのLPレコードの中からバッハの「平均律クラヴィーア曲集(第1巻)」を聴きながらのブログ更新でありました。いまの時代にグールドが生きていたら、おそらくデジタル音源に興味津々だろうと思います。
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