心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

護摩木の炎を見つめて

2016-07-30 15:24:12 | 四国遍路

   「にっぽんの七十二候」を開くと、第三十五候大暑次候「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」とあります。「熱気がまとわりつき、蒸し暑さが増すころ。草木は太陽の光をめいっぱいに浴び、パワーを蓄えるがごとく、濃い緑に色づく」の意味だそうです。この時期の気候を良く表しています。そんな我が家の畑ではミニトマトが食べごろです。今年はアイコという品種を植えましたが、なかなかの出来栄え。きのう、アイコを袋にいっぱい詰めて、孫君のお家に届けました。
 そんな暑さにもめげずに枝を伸ばしているのが月桂樹です。清荒神さんで小さな苗木を買ってきて何年経つでしょう。幹回り直径20センチほどに成長しています。先日、脚立を持ち出して伸び放題の枝先を選定しましたが、その何枚かの葉っぱをきれいに洗って陰干しにすると月桂樹の香りがますます強まります。これも自然の恵みなんでしょう。家内は料理に使いますが、私は芋焼酎のオンザロックに浮かべて楽しみます。
  ところで前回の記事の続きになりますが、新井満著「自由訳 千の風になって」の文庫本あとがきに「千の風が吹いた日」という、8ページほどの文章があります。そこに北海道道南地方に聳える駒ヶ岳と大沼国定公園のことが触れてありました。電通を定年退職後は一年の半分を、大沼の別荘で、月子という15歳になるミニチュアダックスフントと過ごしていたようですが、英詩の翻訳に行き詰っていた2000年の夏、この月子と森を散策中に遭遇した風、その姿に出会い、あの「千の風になって」が生まれたのだと記されていました。灯ろう流し、千の風になって、新井満との出会い、そこに一匹のワン君が介在する。妙な出会いというべきなのかもしれません。
 いつまでも過去に引きずられていてはいけません。今朝も不動尊に早朝散歩に出かけました。そしてきょうは本堂で7時半から始まる「お護摩祈願」にも参加させていただきました。冷房が行き届いてひんやりとした堂内で、儀式は恭しく始まりました。不動明王御真言、般若心経が私には宗教音楽のように聞こえてきます。と、大きな太鼓の音で現実に戻る。煩悩が充満した我が身を恥じ入ることになります。そのうち護摩木炊きの儀式が始まり、薄暗い堂内に炎が踊ります。
 パンフレットによると、「お護摩の火は不動明王の知恵を象徴し、まきは煩悩を表しています。僧侶はまきという煩悩を不動明王の知恵の炎で焼き尽くし、信徒と共に、信徒の願いが清らかな願いとして高まり成就することを祈ります」とあります。昔、庭の落ち葉を集めて焚火をしたときのことを思い出しました。めらめらと燃え盛る炎が生きているように思えて、ずっと見入っていました。
 般若心経を聞きながら、なぜ真言密教に拘るのかを自問しました。すぐに浮かんできたのは南方熊楠でした。高野山真言宗管長を務めた土宜法龍と熊楠との往復書簡の理解に手こずった私は、それ以降の熊楠理解が曖昧になっています。そんな熊楠に、アメリカ社会学を学んだ鶴見和子先生が光を当て、南方曼荼羅と言う言葉を世に広められた。でも、いまだ上っ面の理解しかできていません。護摩木の燃え盛る炎を見つめながら、この際、いちど真言密教にのめり込んでみよう。そんなことを思いました。
 ちょうど1年前のこの時期、高野山夏季大学を聴講するため数日間、私は高野山の宿坊に泊まりました。そこで、ひとりの哲学者としての空海に出会いました。私に四国遍路を後押ししたのも、この実体験によるものです。そんなわけでここ数日、空海に関する入門書を開きながら、空海の人となり、空海の教えと密教の世界を考えています。次回の四国遍路の旅は8月8日です。
 仕事を離れて早いもので10日が経ちました。きのう、お世話になりながらお別れのご挨拶ができなかった方々にご挨拶状を送りましたが、退職にあたっての諸手続き、机の中の書類整理、仕事関係のメルマガの配信停止など些細なことに意外と時間がかかりました。できるだけ早く過去を清算して、次のステージに向かいたいと思っています。
 とは言え、来週も2回呑み会があります。4日には広島に出かけてきます。翌5日から7日までは孫君たちを連れて東京へ向かいます。帰阪した翌8日は四国遍路の旅と続きます。そうこうするうちに下鴨納涼古本祭りが始まります。そんなわけで、次回のブログ更新は不定期。8月10日頃を目途にアップできればと思っています。

コメント (2)

「千の風になって」誕生の地~大沼国定公園

2016-07-26 08:52:55 | 旅行

  仕事を離れて1週間。ここ大阪では久しぶりに雨が降っています。雨が降っても日課になりつつある早朝散歩ですが、きょうも近くの不動尊に往復40分をかけて散歩してきました。このお寺には本堂と太子堂があって、驚いたことに四国八十八箇寺の祠が立ち並んでいます。そんな神聖な場所に、ポケモンGOを操るご老人の姿がちらほら。これも世の流れでしょうか。(笑)
 ところで、先週、北海道に小旅行にでかけてきました。最終日の宿泊先は函館駅から特急で30分ほどのところにある大沼国定公園(亀田郡七飯町大沼)でした。とりあえず温泉に浸かって夕食をとる。うぬ?灯ろう行列、慰霊祭、灯ろう流しの文字が踊る「大沼湖水まつり」のチラシが目に留まりました。さっそくホテルの送迎バスで大沼国定公園に向かいました。
 陽は既に落ち、ちょうど灯ろう流しが終わろうとしているところでした。暗闇に包まれた大沼公園の水辺に浮かぶ灯ろう。幻想的な風景が広がります。家内と二人でベンチに座ってぼんやりと眺めていたら、急に愛犬ゴンタのことを思い出してしまいました。園内に大音量で「千の風になって」の曲が流れていたからなのかもしれません。少ししんみりとしました。
 翌朝、空港に向かうまでの半日間、もういちど大沼国定公園に向かいました。大小126もの小島が浮かぶ湖を遊覧船で巡ったあと、「森の小径」「大島の路」を散策しました。湖面にはスイレンやコオホネの花が彩りを添えます。「大島の路」では「千の風になって」のモニュメントに出会いました。「千の風になって」といえば、秋山雅史さんしか思いつかない私です。なぜ大沼公園にモニュメントがあるのか?
 そんなことをおしゃべりしながら、催し広場に向かうと、夕刻に予定されている「千の風音楽祭in大沼」のマイク調整真っ最中でした。チラシには、名曲「千の風になって」は作家の新井満さんによって七飯町大沼湖畔の森の中で誕生しました、とあります。すると、まだお客さんのいない舞台の上で誰かが「千の風になって」を歌い始めました。なんと新井満さんその人でした。写真を撮って帰ろうと舞台に近寄ると、今度はトアエモアのお二人に出会いました。なかなか楽しそうな音楽祭でしたが、残念ながら帰阪の時間が迫っていました。
 灯ろう流し、千の風になって......。ふたりとも、愛犬ゴンタが亡くなったことがまだ尾をひいているようです。帰宅して、新井満さんについていろいろ調べました。私より4歳年上で、作家、作詞作曲家、写真家、環境映像プロデューサー。小説家としては「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞。CD「千の風になって」では日本レコード大賞作曲賞を受賞。
 また「千の風になって」は、作者不詳の英詩「a thousand winds」を翻訳したもので、新井さんは南風椎氏が翻訳した写真集「1000の風」に出会い、イメージを広げていきます。ネットではこれを問題視する方もいらっしゃいましたが、訳と作曲を通じて新井さんはひとつの心象風景を表現されています。その閃きを得たのが大沼公園の森の中だったということでした。
 ネットで調べてみると、出だしの部分はこうです。

(原詩)
Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,

(新井満「千の風になって」)
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

 この曲は、新井さんの幼友だちの、48歳という若さでお亡くなりになった奥様への追悼文集がきっかけだったよう。新井満著「自由訳 千の風になって」(朝日文庫)によれば、「追悼文とはその名の通り、あとに残された人々が死者を偲んでつづる”天国へ送る手紙”であろう。ところがこの詩は、死者が天国で書いて”天国から送り届けてきた返辞”ともいうべき内容なのである。そのような詩に生まれて初めて出会って、私は素直にびっくりしてしまった」と記しています。もうひとつ気になる言葉がありました。それは「アニミズム」です。こちらはおいおい考えていくことにいたしましょう。いずれにしてもこの曲は、新井さんのほか、秋山雅史さん、ヘイリーさんなど多くの方々が謳っています。

 今回の北海道小旅行は、往復の航空券とホテルだけ予約して、あとは現地に行って考える、いつもの行き当たりばったりの珍道中でした。札幌では、真昼間から「さっぽろ大通りビアガーデン」で各社の美味しいビールを存分にいただきました。夜は観光バス「札幌夜景ディナー(藻岩山&大倉山さっぽろ夜景コース)」で夜の札幌を楽しみました。
 翌日は、早朝に札幌を出発して函館に向かいました。特急北斗に乗って4時間半もかかりましたが、若い頃「青春18きっぷ」で全国を旅した家内は、るんるん気分でした。私はその間、音楽を聴きながら読書でありました。
 函館では、昨年大学時代の友人たちからお誘いを受けながら仕事の関係で行けなかった、同志社創設者・新島襄の「海外渡航の碑」とブロンズ像にご挨拶ができました。新島襄は1864年、1隻の小舟で沖に出て湾内に停泊するアメリカ商船ベルリン号にたどり着き、密出国に成功した進取の精神の人でありました。 こうして北海道小旅行は終わりましたが、その翌日には、秋から始まるお勉強会のガイダンスに出席して、徐々に新しい生活スタイルを固めつつあります。そして昨日から夏休みを迎えた孫君2人がお泊りです。ゴンタが亡くなりひっそりとした我が家に、久しぶりに歓声が響いています。

コメント (2)

南方熊楠の墓前に報告

2016-07-16 22:45:08 | Weblog

 昨夜、自称「感謝の会」という呑み会を終えて帰宅すると、大きな花束が届いていました。43年4カ月にわたる仕事人生も、いよいよあと1日を残すばかりです。ただ、感謝の会の方は、在職中に終えることができず、同業他社の方々を中心に幾組かは退任後もしばらく続きます。そして今日は、子供と孫たちが「退職祝いの会」を某ホテルで開いてくれました。人生のひと区切り、ここ数日、感謝、感謝の日々を過ごしています。
 そういえば次男君の奥さんが言うには、愛犬ゴンタが亡くなったことを聞いた次男君は、その夜、布団を被って涙していたとか。彼が高校1年生の頃、我が家にゴンタを迎えて以後、ずいぶん可愛がってくれました。最近は仕事が忙しくてほとんど実家に帰ってきませんが、彼の心優しい一面を知りました。親として嬉しいことでした。
 ところで私は、週の半ばにお休みをいただき、和歌山県の田辺市に出かけてきました。お目にかかったのは生存されている方ではありません。長い仕事人生の中で私を精神的に支えてくださった、生物学者であり民族学者でもある南方熊楠のお墓参りです。
 早朝、雨が降るなかJR天王寺駅から特急くろしお号に乗って2時間。その日の和歌山の天気は相当の雨量が予想されていたので、雨は覚悟の墓参でしたが、なんと紀伊田辺駅に着くと微かに青空が覗いていました。さっそく駅前でタクシーに乗り、弘法大師が開創したとされる高山寺に向かいました。そしてお掃除中の墓守さんに南方熊楠のお墓の場所を尋ねます。太平洋を望む高台にあって、ロンドン時代を懐かしむかのように熊楠は眠っていました。傍らには娘さんの文枝さん夫妻のお墓もありました。あの偉大な南方熊楠のお墓が目の前にある。そう思っただけで身の引き締まる思いがいたしました。鶴見和子先生もなんどか足を運ばれたのではないでしょうか。
 南方熊楠の人となりに拘ってきたのはなぜか。最初の出会いは30数年も前のことでした。職場の仲間と白浜温泉に遊んだとき、訪ねたのが南方熊楠記念館でした。当時は、和歌山にこんな人もいたんだ程度の認識しかありませんでした。その後ずいぶん経ってから、鶴見和子先生の「南方熊楠~地球志向の比較学」(講談社学術文庫)に出会い、それからのめりこんでいきました。
 奇人、変人などと称されることもあった熊楠。私と違って強烈な「知力」を持ちながら、人との関係性にやや難あり。天才と〇〇は紙一重という言葉がありますが、私とは遠い世界に生きる熊楠に、なぜか惹かれる私がいました。博覧強記の人であり、ひとつひとつの作品は読解困難にして極めて専門的ですが、時代を見つめる揺るぎない「視点」に、私は惹かれていきました。先日、退任慰労会の席でトップから「会社きっての政策マン」と評していただきましたが、たぶんにお世辞が入っているとしてもその表現に類似するところがあったとすれば、それは熊楠によるところ大と言わなければなりません。
 お参りを済ませると、しばし誰もいない境内を散策しました。江戸時代に建立された多宝塔が目の前にそびえます。本堂と太子堂ではロウソクとお線香を供えました。ついつい四国遍路の旅を思い出してしまいます。ゆったりとした時間が流れていました。
 次に向かったのは個人会員でもある南方熊楠顕彰館でした。膨大な熊楠の資料を整理・分析し展示する施設です。隣接する南方熊楠邸も拝見させていただきました。書籍を通じて何度も見たことのある昔の風景が目の前にあります。ないのは熊楠本人の姿だけです。大きな楠の木、センダンの木、安藤みかんの木。在りし日の熊楠を思い浮かべます。
 夏蝉の鳴き声が充満する庭から母屋を眺めていると、頭の中が朦朧としてきました。外界から遮断され、真空の中に佇んでいるような気持になりました。すると、長い仕事人生の中で積み上げていった煉瓦が一枚また一枚と剥がれ落ちていくような錯覚に襲われました。ここでやっと、柵(しがらみ)から解き放たれた一人の人間としての私が、ぼんやりと見えてきました。そして、奥出雲の実家の庭に佇むもう一人の私が浮かんでは消えていきました。......なんだか今昔物語のようですね。(笑)
 気分も爽快に次に向かったのは、423年に熊野権現(熊野本宮大社)から勧請されという闘鶏神社。こちらは弁慶の父、熊野別当湛増が源平合戦に際して紅白の鶏を闘わせたという故事で知られます。熊楠はこの神社の森で植物採集をしました。ちなみに熊楠の妻・松枝の父は、この神社の神官でした。
 以前から一度は訪ねたいと思っていた紀伊田辺。リタイアを前に、やっと実現しました。過ぎし日を清算し、新しい生き仕方を考えるきっかけを得ることができたように思います。

 きょうは少し深刻な内容になってしまいましたね(笑)。でも、ひとつの分岐点に立つわけですから、時にはこんな記事があってもよいかと......。自ら求めた道です。徐々に新しい自分のペースを形成していこうと思いますが、その前に、来週の後半は家内と北海道に小旅行にでかけてきます。その次の週は長女の孫君2人を連れて東京の長男宅へ。なので次回のブログ更新は帰阪後の26日頃になります。

コメント (2)

メランコリーな雨の休日

2016-07-09 10:44:23 | 愛犬ゴンタ

 きょうは朝から雨が降っています。そんな土曜休日、朝のお散歩もなくなり、なんとなく落着きがありません。ゴンタ爺さんが亡くなって6日が経ちました。自力では立ち上がることができなかったけれど、老夫婦の家に一定の存在感をもっていたゴンタが急にいなくなった。ぽっかり穴があいてしまったよう。この空間に慣れるまでには、もう少し時間がかかりそうです。昨夜は、ゴンタの幼少の頃から亡くなる少し前までの写真21点をA4用紙1枚に散りばめた写真集をつくり、3人の子供たちに送りました。
 さて、今週は久しぶりに広島に出かけてきました。そして、空き時間をひろしま美術館で過ごしました。広島勤務時代によくおじゃました美術館ですが、決して大きな美術館ではないけれど、ゴッホやミレーやルノワールやモネやマネ、ピカソやマティス、ロートレックやシャガールの素晴らしい作品を身近で楽しむことができること、時間帯によっては入場者が少なく、展示室を独り占めにできること。そこが気に入っています。とはいえ、構造上、絵画に悪戯ができなくなっていて、警備員の方の監視も徹底しています。
 今回も、セブラックのピアノ曲を聴きながら、ゴッホの「ドービニーの庭」を前に椅子に座って30分ほど、ぼんやりと眺めていました。ゴッホ終焉の地と言われるオヴェールで、死の数週間前に仕上げたのだそうです。(下図は購入したポスターを撮影したもの。現物はもう少し明るい色調です)
 ゴッホが生まれたのは浦賀にペリーが来航した1853年、それより20年ほど後に生まれたのがセヴラックでした。南仏の農村を舞台にしたセブラックと、オランダに生まれフランスで活躍したゴッホ。ほぼ同時代を生きた音楽家であり、画家だったわけです。なにやら私のなかで強引につなげてしまっていますが、何かしら時代の空気を感じます。
 年の初めに、島田紀夫著「セーヌで生まれた印象派の名画」、井出洋一郎著「農民画家ミレーの真実」という新書を読みました。絵画にしろ音楽にしろ、作品を点として見つめることはできても、時代の大きな流れの中で見つめることができていません。おいおいお勉強をしていくことにいたしましょう。

 さて、今週の四国遍歴のお勉強は、高群逸枝著「娘巡礼記」でした。300頁のうち三分の二まで読み進んだところですが、大正の初期、二十四歳の若い女性が綴った四国遍歴の記録です。巡礼の道々九州日日新聞に送った原稿は、「娘巡礼記」として百五回の連載になったよう。
 ウィキペディアによれば、高群逸枝は「若い頃より詩人として活躍し、九州新聞などで短歌や詩を発表する。のち、東京にその活躍場所を求めて移転する。アナーキズムと出会って女性史研究を志し、平塚らいてうと共に女性運動を始める傍ら、女性史研究を進め、『母系制の研究』や『招婿婚の研究』などの業績を残し、女性史研究分野の発展に寄与した」とあります。まだまだ女性の地位が低かった時代、こうした自律した女性の登場が日本と言う国を大きく変えていったということなんでしょう。
 
 こうして、気の向くままに本を読んだり音楽を聴いたり絵画を観たりしていると、ある瞬間にふたつが交差することがあります。人の心の在り様を思います。時代の流れのダイナミズムを感じます。楽しいなあと思う瞬間です。南方熊楠の萃点に近いものがあります。
 きょうは夕刻、大槻能楽堂自主公演能 ナイトシアター"ろうそく能”を観に行く予定なので、出かける前にブログを更新させていただきました。聴いたLPレコードは、ラザール・ベルマンの「若き日の肖像」(2枚組)。スクリャービン、ラヴェル、ドビュッシー、リスト、ラフマニノフと盛りだくさんでした。

コメント (2)

愛犬ゴンタ爺さんが亡くなりました。

2016-07-04 23:44:04 | 愛犬ゴンタ

 今夜、ゴンタ爺さんが亡くなりました。数日前から足腰が立たなくなっていましたが、食欲も旺盛で、きのう新しいドッグフードを買ったばかりでした。こんなに早く逝ってしまうとは思いませんでした。16歳8カ月でした。
 私のリタイヤが先か、それともゴンタが先かと思っていた矢先、自称「感謝の会」という呑み会の最中に亡くなったようです。急ぎ帰って、背中を撫でてあげましたが、まだ若干の温もりもあって、それがゴンタの私への最後の思いだったのではないかと思います。明日は、お休みをいただいて、お見送りをしたいと思っています。











 
コメント (5)

四国遍路とお授戒

2016-07-03 14:28:22 | 四国遍路

 あれよあれよと言う間に2016年も半年を過ぎて、7月文月を迎えました。そして40数年にわたる仕事人生も幕を閉じようとしています。そんな最中、昨年12月に申請していたマイナンバーカードの交付がありました。システムトラブルとかいろいろあったのでしょうが、申請から交付まで半年を要したことになります。今後は社員証にかわってこれが私を証明するものになります。でも、紙切れ1枚でしか、「私」を証明できないというのも寂しいものです。
 さて、昨日は、四国八十八ヶ所遍路の旅(全12回)の第1回バスツアーに参加してきました。朝7時半に出発して、明石海峡大橋、大鳴門橋を通って徳島県に入り、第一番札所の霊山寺を皮切りに、極楽寺、安楽寺、地蔵寺、大日寺、金泉寺の6カ寺を巡りました。霊山寺では、道中で着る白衣と納経帳をいただき、バス会社からは蝋燭とお線香、納め札、般若心経などを掲載した冊子が配られ、ご住職から授戒を受け十善戒のご講話を頂いた後、いよいよ四国遍歴の始まりです。


 いま思えば当たり前のことなのですが、四国遍路が仏の道を歩むものであることを改めて実感することになります。先達と呼ばれる方のご指導を受けて、行く先々のお寺では、山門で一礼し、手を清め、本堂に参り、太子堂に参る。それぞれの所で蝋燭とお線香をお供えします。そして納め札を納め、お賽銭を入れて拝礼したあと、先達の先導でお経を唱えます。小さい頃から聞いたことはあってもお経を自ら唱えたことのない私にとっては、違和感がなかったといえば嘘になります。とはいえ、千年杉や樹齢800年の大銀杏の木を見上げると、私の存在なんてちっぽけなものです。

 でも、考えてみれば弘法大師空海の跡を辿っての巡礼ですから、不自然なことはないのでしょう。単なるバスツアーではないわけです。お授戒では、ごく当たり前のことがなかなかできないことへの警鐘なのでしょう、平易な言葉の奥に人間の弱さを思わせます。

 不殺生 殺さない。命あるもの全てに対し、恐れることは何も存在しないと示す。
 不偸盗 盗まない。理由のないものを欲しいとは思わない。
 不邪淫 異性に対する邪な行為にふけらない。
 不妄語 誤った言葉や、悪意や敵意をもって言葉を使わない。
 不綺語 飾った言葉を使わない。へつらわない。
 不悪口 人を傷つける言葉を言わない。口には、人を傷つける斧があると言われます。
 不両舌 二枚舌を使わない。誰に対しても真実を喋ります。
 不慳貪 貪りを離れ、少なきを分かちます。
 不瞋恚 瞋り、高ぶる心を捨て、人を慈しみの心で見ます。
 不邪見 邪な見かたを離れ、物の本質をありのままに見ます。

 お授戒の場所がお寺の中であるというだけであって、言わんとしていることは極くふつうの社会生活の中で当たり前のことが述べられています。ご住職のご講話を聴きながら、この十個のうちのいくつかのために、人間不信になり、自ら仕事人生に終止符を打つ決意をした私自身の心のありように改めて気づくことになります。
 総勢42名の参加者の3分の1は5回以上も遍路をされているベテランの方々、あとの3分の2は初めての方ばかりです。また、参加者の3分の1はご夫婦での参加、あとの3分の1はお友達とご一緒、残り3分の1が私のような個人参加でした。お隣の席の方も、お仕事を終えての初参加でした。道中、いろいろお話しをしながらご一緒しました。
 行く先々で歩き遍路の方々とも出会いました。ご夫婦での遍路もあれば、若者の遍路もある。40歳前後のお遍路もあります。ただ、この時期の遍路は暑すぎます。それも修行と言ってしまえばそうなんでしょうが、挑戦するときは考慮したいところです。
 生まれて初めて般若心経を唱えるという非日常体験をしたためか、帰りのバスの中ではなんとなく疲労感が漂いました。本を読む気もせず、舘野泉さんのピアノ曲、セブラックの「ひまわりの海」を聴きながら、南仏のひまわり畑を夢見ながら、2時間あまりを過ごしました。......こうしたカルチャーショックをなんどか経験するうちに何かが見えてくるのでしょう。一人の人間として生き仕方がみえてくるのだろうと思っています。 きょうもまた、セブラックの「ひまわりの海」を聴きながらのブログ更新でありました。

コメント (6)