心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

舞楽を楽しむ~住吉大社の観月祭。そして....。

2018-09-27 23:16:37 | Weblog

 きょうは午前中、今期最後の水彩画教室がありました。これまでに描いた水彩画を白板に張り出して先生から評価と今後の課題を教えていただくのですが、厳しい先生の評価をクリアしたのは3点だけでした。焦らずじっくり研鑽を重ねていくしかありません。
 水彩画教室が終わると、急ぎカレッジの事務局に移動して打ち合わせ、夕刻からは新旧アシスタントの歓送迎会がありました。久しぶりに組織の一員として動くことになりますが、さあてどうなんでしょう。気負うことなく気楽にお付き合いをしていきたいと思っています(笑)。
 さて、本題に入ります。先日、読売新聞のご招待で住吉大社の観月祭に行ってきました。天王寺駅前から大阪唯一の路面電車(阪堺電車)に乗って15分、住吉大社鳥居前で降りると、熊野街道と紀州街道に挟まれた一画に住吉大社はありました。もちろんその昔、遣隋使、遣唐使を送り出した住吉の浜は跡形もありません。
 鳥居をくぐり、第三本宮、第四本宮、第二本宮、第一本宮と参拝したところで、第一本宮の大屋根に痛々しい修理の傷跡が目にとまりました。聞けば先日の台風21号の被害のようです。ほかにも境内の至る所で樹木が被害を受けていました。
 さて、受付をすませると、反橋の絵馬殿内のお茶席に向かい、お茶のお接待をいただきました。
 午後6時半、反橋上の舞台では、献詠歌「天地人」位の披講、献詠歌「佳作」の吟詠、献詠句の朗詠が行われました。和歌や俳句に疎い私は、ただただそのリズム感を楽しむばかりです。
 だんだんとあたりが暗くなってきますが、肝心のお月さまは厚い雲の中です。「住吉踊奉納」が始まりました。「第四本宮のご祭神、神功皇后様の凱旋時、堺七道の浜で土地の人達が踊って出迎えたと伝わる祭りで、大傘を立てて音頭取りが歌うのにあわせ、保存後援会の童女達が団扇をうち振り足をはねて「心」の字をなぞって踊ります」とあります。目を閉じると、住吉の浜の波音が聞こえてきそうな、そんな風景を心に抱いたものでした。
 いよいよ「奉納舞楽」の始まりです。まずは、奉納に先立って舞われる儀式的な演舞「振鉾」です。唐楽・赤色系装束の舞人と高麗楽・緑色系装束の舞人が、横笛と太鼓・鉦鼓の伴奏で舞います。暗闇のなかに浮かび上がる幻想的な世界を楽しみました。と、そのとき、雲の隙間からお月さんがうっすらと顔を覗かせました。会場に大きなどよめきが起こりました。お隣に座っていたお婆さんは「これは奇跡だ」と感激です。
 演目「承和楽」。833年に仁明天皇ご即位の時、勅によってつくられた和製舞楽なのだそうです。逆にいえば、平安時代に舞楽は輸入されていたということです。その舞楽が国風化、整理統一され、以来、寿の舞として宮中の饗宴等で舞われたのだと。笙、箒簟、龍笛の三管が奏でる壱越調調子を伴奏に4人が舞います。
 つづいて「林歌」。太鼓と高麗笛による高麗乱声を伴奏に舞います。そして最後に「長慶子」が奏せられ、この日の観月祭は幕を閉じました。岸和田のだんじり祭りに続いて、大阪に古くから伝わるお祭りを体感したことになります。

 ここで話はがらりと変わります。4月から聴講していたNHKテレビこころの時代(宗教・人生)=「マンダラと生きる」(全6回)が先日、最終回を迎えました。毎月1回の放送でしたから、その分、じっくりと頭の中を整理する時間をもてたのは良かったように思います。
 驚いたことに、かの心理学者ユングが、精神を病む人々がマンダラによく似た図形を描くことに気づいたのだと。そして、マンダラとかかわることで深い癒しが得られることを発見したのだと。その後、ユング派の精神科医や心理学者たちがマンダラ型の塗り絵を考案して治療に使い始めたのだそうです。テキストには何種類かの塗り絵が添えてありました。
 マンダラは強い対称性をもち、基本的に円形で閉鎖系、幾何学的な形態と言われます。大日如来を中心に周りにたくさんの菩薩が描かれていて、そんなマンダラを、わたしは朝のお散歩で立ち寄るお不動さんの大師堂で対面することがあります。金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅のふたつです。ただただ見つめるだけです。
 きょうは歓送迎会のあと天満橋のジュンク堂で空海著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」(加藤純隆・加藤精一訳=角川ソフィア文庫)を買って帰りました。副題に「こころの底を知る手引き」とあります。お大師さんというよりも、思想家・空海のものの見方と考え方に関心があります。

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シニア7人組で岸和田のだんじり祭りを見物する。

2018-09-20 16:27:29 | Weblog

 今週の日曜日、知人たちと岸和田のだんじり祭りを見物に出かけました。この時期、テレビニュースでは時々見かけるお祭りですが、長年大阪に暮らしているのに現地に足を運んで見たのは初めてでした。
 難波から南海電車に乗っておよそ30分、岸和田駅に降りると、駅前広場には既に大勢の人たちが集まっていました。商店街から飛び出してくるだんじり(地車)を今か今かと待っていると、「オーラ、ソーラ」と威勢のいい掛け声が聞こえてきます。曳き綱の先頭には法被を着た子供たちがいます。そして、だんだんと学年があがり、青年団の方々が登場すると、いよいよ広場で90度に旋回する「やりまわし」。だんじりの屋根の上では大工方が格好良く飛び跳ね、勢いを得て猛スピードで目の前を駆け抜けていきました。これが、かの「だんじり祭り」かと圧倒されました。 
 しばらくして、かつてNHKテレビの朝ドラ「カーネーション」の舞台になったという岸和田商店街に移動しました。そこにはコシノ三姉妹(コシノジュンコ、コシノミチコ、コシノヒロコ)の生家「オハラ洋装店」があります。決して道幅が広くはない商店街の、そのお店の前をだんじりが走っていきます。その後を老若男女、子供たちが追っていきます。みんなでお祭りを楽しんでいる様子。見ている私たちまでもウキウキしてきます。
 だんじり(地車)は、1基1億円もすると言われています。町々で競い合ってだんじりを飾り、祭りに参画する。町が団結する恰好の場なんでしょう。岸和田市のウェブサイトによれば、「約300年の歴史と伝統を誇る岸和田だんじり祭は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、米や麦、豆、あわやひえなどの5つの穀物がたくさん取れるように(五穀豊穣)祈願し、行った稲荷祭がその始まり」とあります。一方、金達寿著「行基の時代」(朝日新聞社)によれば、奈良時代に行基が灌漑用に築いた泉州一大きな「久米田池」の水を農業用水として使う農民たちが感謝の意と五穀豊穣を願って始めた行基さんのお祭りであった、とあります。
 いずれにしても、祭りの起源が農村の生活に密着したものだったのは確かなようです。時代の変遷とともに若干の変化はあったのでしょうが、大人も子供も総出で盛り上げた地域のお祭りです。これが日本のお祭りなんでしょう。共同体としてのムラの絆を強め、ムラの文化醸成に一定の役割を果たしてきたように思います。高齢化社会を迎えて「公助」「共助」という言葉をよく耳にしますが、単なる掛け声や理屈ではなく、身体中からほとばしる、祭りのもつ根源的な共同体意識なくして成立しない概念だろうと思ったものでした。
 ところで、一緒に出かけたのはシニアの仲間7人組(男性4名、女性3名)。街歩きが縁で、昨年の暮れから2カ月に一度の頻度で集まっています。マンションのオーナーもいれば元看護婦長さんもいる。1級建築士さんもいれば元営業マンや技術者、元公務員さんもいる。だから話題が豊富で話が尽きません。いつの間にか私が会長役を仰せつかってしまいました(笑)。
この日も、お祭りの見物が終わると難波に戻って懇親会という名の呑み会です。.....11月にはカニ旅行、年明けの1月にはフグ料理。いつも次々回まで日程を決めて散会するのが習わしです。なんと呑気なシニアたちであることか.....。
   話は変わりますが、一昨日奥様とご一緒に、アリス=紗良オットのピアノリサイタルに行ってきました。この日の演目は、ご本人いわく光と陰をイメージした、ドビュッシーのベルガマスク組曲、ショパンのノクターン、サティーのジムノペディ、ラヴェルの夜のガスパールなど。フェスティバルホールがほぼ満席という人気ぶりでした。だんじり祭りとは打って変わって、こちらも贅沢な時間を過ごしました。
 どうも最近、楽しいことが多すぎます。働きもせずにこんなに楽しく暮らして良いのかどうか、ついつい考えてしまうことがあります(笑)。それでも、来月上旬には父の33回忌法要があり帰省します。その翌週は土佐の国への「歩き遍路」。並行して久しぶりのお仕事となるカレッジの開講準備、大学OB会の開催準備と、適度な緊張感も漂う今日この頃です。これもありか....。
 昨日は、幼稚園年少組に通う東京の孫次男君からお手製の敬老の日プレゼント、小学生の孫娘と孫長男君からはお手紙をいただきました。68歳ってまだまだ若いと思っていますが、私が幼少の頃68歳の大人って全くもって「お爺さん」としか映らなかったことを思うと、さもありなん。歳相応ということなんでしょう。

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初秋の夜にブログを綴る。

2018-09-13 20:58:19 | Weblog

 つい数週間前まで暑い暑い夏に辟易していましたが、9月に入ってなんとなく秋を感じていたら、ここ数日は9月下旬並みの涼しさだとか。季節の移り変わりを思います。今夜は久しぶりに左手のピアニスト舘野泉さんのCD「シャコンヌ」を聴きながら、ブログを綴っています。
 そうそう。名古屋で某プロジェクトに参画している長男君が先日、ひょっこり帰ってきました。それも、当日の朝、母親に宛てた一本のメールで。忙しそうで東京の家に帰れない日が続いている様子です。束の間の息抜きといったところでしょうか。一泊しただけですが、母親の手料理に久しぶりに安堵したのか、夜はぐっすり眠れたのだと。それにしても奇遇です。その数日前には彼の初任地である鹿児島に行っていたのですから。
 そんな彼とお酒を呑みながら久しぶりにいろんなお話しができたのは楽しいことでした。彼の手首をみると、見慣れないバンドが着いています。なんだと尋ねると、活動量計多機能スマートウォッチだと。歩数、距離、時間、消費量、心拍数のほか時刻やメール着信通知、睡眠管理、長座注意などが付いた、まさに多機能バンドです。働き盛りの彼には最適のツールかもしれません。
 有酸素運動の把握や「歩き遍路」中の体調管理に便利そうなので、新しいもの好きの私もさっそくAmazonに注文しました。おもちゃのような値段ですが、スマホともきっちり連動できていて、ここ数日腕時計の代わりに手首に着けて歩いています。

 そんなある日、カレッジの美術の授業の一環で、大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の「プーシキン美術館展~旅するフランス風景画」を観てきました。午前中の授業では、風景画の生い立ちを、古典主義、ロココ、自然主義、印象主義、ポスト印象主義、フォーヴィスム(野獣派)、キュビスム(立体派)という流れで概説いただいたので、その流れに沿って絵画と向き合うことができました。
 とはいえ、心惹かれるのは印象派でしょうか。モネの「草上の昼食」、ルノワールの「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」。そして、LPレコードのジャケットで親しんだアンリ・ルソーの作品にも見入ってしまいました。「馬を襲うジャガー」。
 2年間通ったカレッジも、いよいよ今月で終わりです。2年前、リタイアした直後に何気なく近所の図書館で見つけた一枚の入学案内パンフレット。それがカレッジとの出会いでした。あっという間の2年間でしたが、仕事一筋に生きてきた私にとって、その後の生活を豊かにしたのは言うまでもありません。
 ひとつの組織を上から見つめてきた長い仕事人生から、一転して学生時代に舞い戻ってしまいました。隣の机の人との語らい、班の仲間たちとの呑み会などを通じて、それまでとは全く異なる新しい関係性を持てたことは大きな収穫でした。そのうえ、午前と午後の4時間にも及ぶ退屈させない先生方の授業に、シニアたちは惹き込まれていきました。なんとも贅沢な時間でした。
 特別講座や水彩画教室は継続して受けていきますが、本科を卒業後はアシスタントとして授業運営のお手伝いをすることになりましたから、これもまた新しい人々との出会いが待っています。先日、初めて全体会議と部門会議に出席し、そのあと新人研修を受けました。ずいぶん昔にやっていたことの裏返し。なんの気負いもなく、終日おとなしく説明を伺ってきました。これからはシニアの方々の学びに微力ながらお手伝いができればと思っています。それはまた、私自身のボケ防止にもなるだろうと達観しています(笑)。
 そういえば先日、久しぶりに大学の先輩方とOB会の打ち合わせをしました。「場所はどこですか」と尋ねると「いつものお店、河原町四条のミュンヘンに集まって」と。ぇえ?思わず「お昼からビアレストランですか」と言ってしまいました(笑)。午後3時に集まり夕刻までビールを呑みながら打ち合わせという名の呑み会でありました。
 うっかりしていたことがありました。実は11月のOB会の午後、アシュケナージ&辻井伸行のコンサートチケットを買っていたことに気づきました。これはたいへんと思いつつ、思いはコンサート。やむなく午前中の新島襄の墓参にだけ参加して、大阪中之島のフェスティバルホールに直行することにしました。なんと頼りない幹事であることか......。その代わり事前の準備は手抜かりのないようにいたします。
 この日集まった先輩たちは、シニアの卓球に勤しむ人がいれば、第九の市民合唱団員として練習をしている人もいる。悠々自適の人もいれば、海釣りに興じる人もいる。未だにワインの買い付けに世界を飛び回っている人もいる。ほんと、みんなちがって、みんないい。そんな近況報告にほっとする時間でもありました。ミュンヘンのあとは向かいの喫茶店「築地」で話しは延々と続きました。
 2カ月に一度のペースで出かけている「歩き遍路」、次回は10月の半ばを予定しています。今回は第37番岩本寺と38番金剛福寺。元気なら最終日に39番延光寺にまで行けたらと思っています。とりあえず足摺岬の金剛福寺宿坊の予約を済ませました。大阪・高知間の高速バスのチケットも手配完了。あとはどんなコースを歩いていくか思案中です。

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3泊4日の鹿児島観光旅行

2018-09-06 23:10:13 | 旅行

 歩き遍路の帰途、高知駅前の広場に立つ土佐三志士(武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎)を見上げながら、幕末から明治維新にかけて活躍した人物の大きさを改めて思いました。
 その隣にあるパビリオン龍馬伝幕末志士社中には、「龍馬伝」の撮影に使われた坂本龍馬の生家セットが再現されてあり、パネルのひとつには「薩長同盟締結」と題して、西郷隆盛と桂小五郎の写真が掲載されていました。
 時代の変わり目に生きた先人たちの高い志と勇気。時代が動くとはそういうことなんだろうと。美辞麗句ではなく、人間の顔と心が見える政治。いま政治家に問われているのはそういうことではないかと思ったものでした。
 ところで、1カ月ほど前にJALパックの格安チケットが手に入ったので、高知の歩き遍路から帰った1週間後に、今度は家内と3泊4日の鹿児島旅行に出かけました。NHK大河ドラマ「西郷どん」を見ていて思い立った旅行です。(写真は「西郷どん」のオープニングシーンに登場する雄川の滝)
  実は鹿児島は、長男君が社会人になって最初の勤務地だった街です。そのため何度か出かけたことがありました。そのたびに天文館の居酒屋で美味しい地鶏料理と芋焼酎をいただきながら長男君と語り合ったものでした。彼は5年ほどいたでしょうか。結婚した翌年に甲府市に転勤となり、その後東京本社に異動して今日に至っています。そんな鹿児島に、久しぶりに初老の夫婦が出かけたというわけです。
 鹿児島空港に到着すると、まず霧島方面に向かおうとしましたが、なんと急に土砂降りの雨。やむなく予定を変更して鹿児島市内に向かいました。ホテルに入るには少し早かったので、鹿児島中央駅前で「まち巡りバス」に乗って仙厳園へ。庭園から眺める桜島、そして明治日本の産業革命遺産を今に伝える尚古集成館。いずれも、もう一度行きたかった所でした。
 その後、城山のホテルでゆったりまったりの鹿児島の夜を満喫しました。露天風呂から眺める桜島、素晴らしい景色でした。(下段、露天風呂から眺める桜島の写真はホテルでいただいた写真のコピーです)
 今回の旅行は、観光バスを使って鹿児島県の観光スポットを凡そ総なめにすることを考えました。そこで二日目は、指宿・知覧観光バスに乗って薩摩半島を巡りました。長男君とは一緒に行けなかった長崎鼻、開聞岳、池田湖、知覧特攻平和会館、武家屋敷と、足早に見て回りました。
 特に印象深かったのは、爆弾を搭載した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした若き特攻隊員たちの遺品などを展示した知覧特攻平和会館でした。戦争とは何か、平和とは何か、人の幸せとは何かを考えさせられました。同行した家内は、入館するなり特攻隊員が遺した手紙を見て涙が止まりません。子を思う母親の一面を垣間見た思いがいたしました。
 三日目は、薩摩半島とは反対側の大隅半島を巡る観光バスに乗って、溝の口洞穴、黒酢の郷「桷志田」、荒平天神、そして最後はお目当ての雄川の滝を見ました。あいにく雨が降ってきましたが、駐車場から徒歩で1.2キロの先にある雄川の滝の風景には感動しました。
 最終日は、早朝、鹿児島中央駅から列車で国分駅まで行き、そこで霧島バス一日乗車券(のったりおりたりマイプラン)で、霧島神社と霧島温泉郷に向かいました。ほんの数時間の観光でしたが、霧島の自然風景、霧島神社の美しさ、神秘な世界を堪能しました。鹿児島には、まだまだ自然が残っています。この自然を大切にするのも今を生きる私たちの役目かもしれません。
 この4日間、いろんな角度から桜島と向き合ってきました。あるときは雲の傘を被り、あるときは噴煙を上げ、まさに生きている火山であることを主張していました。
 とはいうものの、自然の美しさの裏には刃もあります。室戸台風以来という台風21号は関西国際空港を機能不全にしましたし、街の至る所で台風の傷跡が認められます。台風一過、こんどは北海道で大地震です。被害に遭われた方々には辛い日々が続きます。心からお見舞い申し上げます。

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