心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

桜を求めて我が街を歩く。

2018-03-29 21:51:26 | Weblog

 仕事を離れて1年と8カ月、年の流れを会計年度ではなく暦年で見ることが多くなりましたが、卒業式や入学式の季節を迎えると何となくウキウキ感が漂います。そんなある日、孫次男君のピアノの発表会がありました。何を思ったのか急にピアノを習いたいと言い出して半年。やや緊張した面持ちでしたが上手に演奏していました。爺ばかですね(笑)。
 さて、つい先日まで冷え冷えとした日が続いていたのに、ここ数日で一気に春めいてきました。というよりも、春を通り越して初夏です。桜の開花宣言から満開までの期間があまりにも短かったので、草木だけでなく人間様もびっくりです。そんな春の陽気に誘われて、桜を求め我が町をぶらりお散歩と洒落込みました。
 歩き始めて10分。いつものお散歩道の、とあるお宅の前の道端にたくさんのツバキの花が無造作に散らばっていました。急な気温の変化に驚いたんでしょう。皆が散った花を避けて歩いているためか、みずみずしい花びらのままです。ついつい見入ってしまいました。
 しばらく歩くと小さな貯水池が見えてきます。真冬には一面氷で覆われたこともありましたが、暖かな春の日差しに誘われてお魚たちも嬉しそうに泳いでいました。
 お不動さんが見えてきました。大師堂の傍に立つ弘法大師さんも、春の到来を喜んでいらっしゃるご様子。境内の一画に立ち並ぶ四国八十八カ所の小さな祠も華やかさを増しています。第一番札所・霊山寺の祠に手を合わせると、なんとなく四国・徳島の光と空気を頬に感じるから不思議です。
 そのお不動さんから10分ほど歩いたところには弘法井戸があります。その昔、この街道を通って高野山へ向かった人々が喉を潤したと伝えられています。春休みなんでしょう。崖の上の公園から子供たちの歓声が聞こえています。
 さらに歩を進めると、孫次男君が通う教会付置の幼稚園が見えてきます。こちらも桜満開。そして長女のマンションが見えてきます。
 ひと息ついて、今度は生駒山の方向に向きを変えて40分。今週末から夜桜のライトアップが予定されている公園に向かいました。桜並木の下では何組かの花見客が談笑しています。池ではカモたちが戯れています。広場では子供たちがボール遊びに興じています。
 そして最後に自宅近くの公園を覗きました。こちらは桜が早や散り始め?と思いきや、枝先にいるスズメの悪戯?桜の花びらを突いては落としています。ウグイスやメジロなら上手に花の蜜を吸っているのに、スズメは不器用?そもそもスズメって花の蜜を食していたんでしょうか。
 スズメさん!!お願いだからもう少し桜の花を楽しませてください。
 ざっとこんな具合で、急がず慌てず、暖かい春の陽を全身に浴びてお散歩を楽しみました。たまにはこんなゆったりとした時間を過ごすのも良いです。
 そうそう、先日受診した3カ月検診では、癌検査はクリアしたものの、生活習慣病に関わる若干のアドバイスをいただきました。毎日励行しているウォーキングの距離を、もう少し伸ばしてみることにしましょう。それよりも、週末のお花見と称する呑み会をほどほどにすることの方が先決かもしれませんね(笑)。

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初春の明日香村を歩く

2018-03-22 20:26:32 | 西国巡礼

 きょう水彩画教室の帰り、環状線の大阪城公園駅からおおぜいの着飾った若者たちが乗ってきました。大阪城ホールで大阪大学の卒業式があったようです。3月も下旬、彼ら彼女たちの前途洋々たる旅立ちを思いました。おめでとう♬
 そんな華やいだ季節のある日、長い仕事人生を終えたシニアの学生たちは、雨の合間を縫って奈良の明日香村にでかけました。関西に暮らしながら明日香村を歩くのは初めての私ですが、観光マップをみると飛鳥の時代の遺跡が広範囲に点在しています。今回訪ねたのは飛鳥寺と岡寺でした。天王寺・阿部野橋駅から近鉄に乗って橿原神宮前駅下車、そのあとバスに乗って飛鳥寺に向かいました。
 いただいたパンフレットによれば、588年蘇我馬子が発願し596年に創建された日本最初の寺なんだそうです。創建当時は、壮大な伽藍をもつ本格的な寺院だったけれど、1196年落雷により焼失、その後1632年に再建されますが、その規模はずいぶん小さなものでした。
 さっそくご住職のご案内で日本最古の仏像「本尊飛鳥大仏(銅造 釈迦如来坐像)」にご対面です。法隆寺金堂の釈迦三尊像を制作した鞍作止利の作だそうですが、1196年の落雷で大きく損傷したあと仏師ではない鋳造職人によって慣れない修復が施されたためか国宝にはなっていません。創建当時の姿をそのまま残しているのは頭部だけだそうです。創建時と同じ場所に座して1400年、飛鳥の大仏さまは、手を合わせる人々に何を見、何を思ってきたことでしょう。
 ボランティアガイドさんから、往時の伽藍があった場所や蘇我入鹿首塚を案内いただいたあと、田畑が広がる明日香村をぶらり歩きです。歴史風景を後世に残すため、このいったいは原則として建物を建てることができないとか。屋根瓦の色も制限され、木を一本切るにも許可が要るのだと。村の方々の、そんな努力が今の明日香村を支えています。
 古い町並みの一画で昼食をとったあと、次は西国三十三カ所第7番札所・東光山龍蓋寺「岡寺」に向かいました。この岡寺は「日本最初のやくよけ霊場」と言われ、「663年草壁皇子のお住みになっていた岡の宮を仏教道場に改め、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され、創建1300有余年の歴史」を有するのだそうです。
 こちらのご本尊は如意輪観音像(重要文化財)。日本最大、最古の塑像観音像で、弘法大師がインド、中国、日本の三国の土で造ったものと伝えられています。観音像を拝観したあと、開山堂や書院、三重塔、奥の院などを見て回りました。このお寺はシャクナゲの名所としても知られています。
 観光マップをみると、橘寺、天武・持統天皇陵、高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳など見所たくさんの明日香村です。もう少し足を伸ばすと、西国三十三カ所の第6番札所「壺阪寺」、第8番札所「長谷寺」もあります。機会をみて、また歩きたいと思いました。この日は、夕方5時前に阿部野橋駅に戻り、反省会という名の呑み会があって、元気なシニア学生たちは夜遅くまで語り合いました(笑)。

 そうそう書き忘れていました。先週末、「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVI」を聴きに京都岡崎にあるロームシアター京都に行ってきました。この日の演目は、ラヴェルの歌劇「子どもと魔法」(全1幕)」とプッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」(全1幕)でした。
 残念だったのは、「子どもと魔法」を指揮される予定だった小澤征爾さんが、直前になって病気のため降板されたこと。毎年、長野県松本市で開かれるセイジ・オザワ 松本フェスティバルに行ったことがないので、ぜひお目にかかりたかったのですが適いませんでした。一日も早いご回復を祈念するばかりです。(下の写真は配付資料に入っていた小澤征爾さんからのメッセージ)
 ロームシアター京都のメインホール。4層バルコニー構造(約2000席)の本格的なホールは初体験でした。なんと、前の列に前職でお世話になった研究開発部門の方がご夫婦でいらっしゃっていました。奇遇というべきか、仕事を離れての人と人の出会いは楽しいものです。

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「修業の道場」土佐の国へ ~ 海辺の道をひたすら歩く

2018-03-15 21:57:11 | 四国遍路

 遠くに幾つもの岬が重なる山の麓を走る国道55号線。海岸に打ち寄せる波の音をBGM替わりに、ただひたすら歩き続けた3日間でしたが、高知県東洋町の野根を過ぎたあたりで、妙な音の変化に耳を澄ませました。ざあぁと打ち寄せる波の音のあとに、ゴロゴロォ~という音があたりに響き渡ります。
  以前、何かの本で読んだことがあります。このあたりは通称ゴロゴロ海岸といわれ、黒潮がうち寄せる波と引く波に石がまきこまれてゴロゴロォ~、ゴロゴロォ~と鳴り響きます。しばし立ち止まって、その風景と波の音に聴き入りました。
 どこまでも続く国道55号線。室戸岬はまだまだ先のようで視界のなかに入ってきません。5キロほど歩いたところにあった「法海上人堂」で、しばしひと休みです。荷物を下ろして水分補給。コンビニで買った2個のおにぎりをほおばりながら、ふっと心に浮かんだのは「歩いてよかった」でした。バスツアーでは素通りしてしまいそうな風景を全身で感じるのが「歩き遍路」の醍醐味です。
 10分ほど経った頃、一人の男性がやってきました。前日、別格4番「鯖大師」でお会いした方でした。わたしと同じ初心者ですが、私より長い区切りで結願をめざしているのだと。若い頃は山登りを趣味にされているようなので、間違いなく健脚です。お別れの言葉は「じゃあ、また、どこかで」でした。

 4月下旬を思わせる陽気のなか、私は大阪駅で高速バスに乗って一路徳島に向かいました。「歩き遍路」第四弾は「修行の道場」といわれる土佐の国、室戸岬をめざす65キロです。徳島駅でJRに乗り換えて牟岐駅下車。今回の出発点になります。 
 1日目は18キロ先の海陽町宍喰をめざしました。いくつかのトンネルを抜けて内妻峠を越えると太平洋が見えてきます。しばらくすると、野口雨情の石碑に出会います。「八坂八濱の 難所てさへも 親の後生なら いとやせぬ」。北原白秋、西條八十とともに三大童謡詩人として知られ、「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」などたくさんの童謡を作詞しました。ふと思い出しました。10年ほど前、東京・麻布十番界隈で呑んだとき、野口雨情の童謡「赤い靴」に登場する「赤い靴の女の子」の「きみちゃん像」に出会ったことがありました。(「秋に二話」2007-09-30)
 平坦な海沿いの道から本来のお遍路道に入ります。急に荒々しい道に代わりますが、それも束の間。別格4番「鯖大師」の多宝塔の裏に出てきました。本堂、大師堂をお参りして小休止したあと、ふたたび歩き始めました。
 海部駅あたりに来て、国道を離れ海辺の道を歩いてみることにしました。これが失敗。愛宕山の麓で行き止まりになってしまいました。ここまで来たら愛宕山に登って鳥瞰してみるしかない。これがたいへんでした。お山をぐるりと回って元の海部駅界隈に戻ってしまいました(笑)。
 野口雨情の詩に「八坂八濱」という言葉がありましたが、このあたりは10数キロの間に八つの坂と八つの浜がある難所だったところです。川かと思ったら海が内陸まで入り組むほどの地形でした。そういう道を歩きながら、初日の宿所である民宿「はるる亭」に到着しました。なんと温泉付きの民宿で、美味しい魚料理とすこしばかりのお酒をいただきました。
 2日目は朝7時に出発。この日は3日間で最も長い28キロになります。しばらく歩いて水床トンネルを抜けると、徳島を越え、土佐は高知県東洋町に入りました。しばらくして番外霊場東洋大師です。境内の縁台の上でワン君が気持ち良さそうに日向ぼっこしていました。
 さて、これからが長丁場です。道端には「ここ 最終自販機。この先10㎞ 佛海庵まで給水ポイントなし」との忠告看板。民宿のご主人からも「飲料水の用意を」と言われていました。コンビニも自販機もなんにもない、ただただ海沿いに歩く旅。ここからはiPodに入れた音楽(ラザー・ベルマンによるリストのピアノ曲「巡礼の年(全曲)」)を聴きながら、遠くに見える岬をひとつひとつクリアしていく、そんな歩き旅になりました。ところがです。ピアノの音の向こうに聴こえる波の音に変化が....。これが前段で綴ったゴロゴロ海岸です。
 法海上人堂、佛海庵を経て、2日目のお宿は民宿「徳増」でした。夕刻、食堂に行ってびっくり。「鯖大師」と「法海上人堂」でお会いした男性に再会しました。80歳を過ぎたベテランお遍路さんを交えて、一献傾けながら楽しいひと時を過ごしました。そのお爺さんは「歩き遍路」の常連さんで、各地に定宿をお持ちのよう。それを聞いた初心者二人は一瞬顔を見合わせてしまいました。この日の夕食では、かのマンボウ料理も堪能しました。
 3日目はいよいよ24番札所・最御崎寺(ほつみさきじ)です。今回唯一の四国八十八カ寺になります。体調はすこぶる良好で、夫婦岩、三津漁港を経て順調に歩を進めました。そうこうするうちに室戸岬が見えてきます。「室戸青年大師像」、弘法大師が悟りを開いたという「御蔵洞」へ。岩山に御厨人窟と神明窟という洞窟がありますが、いまは立ち入り禁止になっていました。納経書にお印をいただいて失礼をしました。
 いよいよ遍路道を歩いて山上の最御崎寺に向かうことになりますが、長らく平坦な道を歩いてきたためか、標高165メートルほどのお山の上に登るのにひと苦労しました。でも、白亜の室戸岬灯台から眺める太平洋は圧巻でした。仁王門から境内に入り、本堂、大師堂をお参りして納経所に向かいました。と、ここでまた、宿所でご一緒した男性にお会いしました(笑)。
 帰りは、室戸スカイラインを歩いて室戸岬の西側に下りました。その途中、次回に巡る予定の行当岬を一望できるところがあったので、そこで小休止。なんとも言えない風景にただただ見入ってしまいました。
 以上で今回の「歩き遍路」は無事終わりました。お参りしたのは一カ寺だけでしたが、気候が良かったこともあり、土佐の国はひと足早く「春」を迎えていました。田圃では田植えの準備が始まっていました。道中、蛙やウグイスの鳴き声が響き渡っていました。そうそう、途中でお猿さんに同行いただいたこともありました。またあるときは、頭上にトンビの姿も。海岸に打ち寄せる波も、なんだか生きているように思えてきました。山国育ちの私にとって海は神秘的な存在でもあります。独りで歩いていても決して独りではない。そんな気持ちの良い汗をかいた3日間でした。
 夕刻、室戸の高速バスターミナルから一路大阪へと向かいました。3日間歩いてきた道を遡る感じですが、なんと、出発点の牟岐駅まで戻るのにバスで1時間半しかかかりませんでした。もう一度歩いてって言われたら少し戸惑ってしまいますが、自分なりによく歩けた「歩き遍路」だったように思います。

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春.....。大学時代の先輩と酒を呑む

2018-03-09 15:02:21 | Weblog

 春に向けての胎動なんでしょうか。暖かくなったり、寒くなったり。そのたびにコートを着たり脱いだり。こうして少しずつ「春」を迎えるのでしょう。地上の生命が蠢く、なんとも楽しい季節を迎えました。
 カメラを手に庭に出てみると、暖かな春の陽に誘われてクリスマスローズが咲き始めていました。チューリップの芽が大きく伸び、小さな草花が陽の光に花びらを広げています。つい半月も前には、花壇の土に霜柱が立ち、か弱い草花が心配になりましたが、どっこい寒い冬を生き延びてくれました。
 そんな陽気に誘われて、大阪城の梅林にお花見に行ってきました。都会の喧騒から離れ、ほのかな梅花の香が漂う別世界。土曜日ということもあって、大勢の花見客で賑わっていました。この梅林でのお花見はずいぶん昔、長女をベビーカーに乗せて出かけて以来のこと。いまは夫婦ふたりだけのお花見です。
 そんなある日、大学時代の先輩方と京都木屋町の枝魯枝魯さんで酒を酌み交わしました。実は2月にジビエ料理を楽しむ会を予定していたところ、姉が急逝したために私だけドタキャンになってしまったので、再度の寄り合いとなった次第。月末になれば高瀬川沿いは桜の花が咲きそろうのですが、まだ花芽は固く提灯が灯るだけです。でも、お店の中は温かい空気に包まれ、福井・三宅彦右衛門酒造の純米吟醸「早瀬浦(はやせうら)」を呑みながら京の夜を楽しみました。
 大学紛争華やかりし頃、いつも先頭を突っ走っていた先輩たちです。組織に束縛されることを嫌い、何度かの転職を経て某企業へ。そこで踏ん張って企業の成長に一定の役割を果たした先輩。社長以外の仕事はみんなやったよ(笑)と。文学青年だったもう一人の先輩は、組織に迎合することを嫌い、しかしワインやお酒の仕入れの仕事にのめり込み、いまでは業界では知られた存在に。つい半月前フランスに買い付けにでかけたばかり。ポストには縁がなかったけど昇格(昇給)はしたよ(笑)と、自由人らしい先輩の言葉に心なごみます。その一方で、当時リーダーだった先輩は次期社長と目されながら病気のために一線を退いたとの話も。残念ながらこの日も姿を見せることはありませんでした。人生いろいろ、互いの人生を振り返りながら、夜遅くまで語り明かしました。

♬ 一進一退を繰り返しながら「春」は確実に忍び寄ってきています。そのわずかな変化を肌で感じ心で感じる。そんな季節になりました。ということで、あさって「歩き遍路」にでかけてきます。今回は2泊3日で春の海辺の遍路道を室戸岬まで歩きます。お天気も良さそうで心が弾みます。
 「歩き遍路」にもいろいろな方法があります。四国八十八カ寺を歩き通す「通し打ち」、何回かに分けて歩く「区切り打ち」です。その「区切り打ち」も、全区間を大きく分けて歩く方法と、2泊3日程度に細かく分けて歩く方法があります。私の場合は、それに該当します。のんびり急がず慌てず、春の四国路を楽しんできます。

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横浜の街歩き ~ お上りさんの「東京見物」(その4)

2018-03-02 21:15:46 | 旅行

(前回更新の続きです)
 東京見物の最終日は、時間の許す範囲で横浜の街をぶらり散策しました。朝、チェックアウトを済ませると、手荷物をホテルに預けておでかけです。まずは家内いち押しの「bills 横浜赤レンガ倉庫」に向かいました。シドニーに本店があり”世界一の朝食”と謳われる人気のパンケーキ屋さんなんだそうです。すでに店内はほぼ満員でした。明治時代の赤レンガの色合いを楽しみながら少しリッチな朝食をいただきました。
 そのあと、真向いのレンガ倉庫1号館に入って何軒かのお店を見て回りました。横浜の歴史を紹介したパネル展示を見てびっくり。前夜のNHK大河ドラマ「西郷どん」に映っていたペリー黒船来航の写真がありました。お国の一大事に、いよいよ西郷どんが江戸へ上がる場面でしたが、あれから150年が経過します。
 横浜税関、神奈川県庁、横浜市開港記念会館など大正建築を眺めたあと、バスに乗って三渓園に向かいました。横浜の実業家が明治の時代に手がけた日本庭園で、広大な敷地内には京都や鎌倉などから移築された室町から江戸時代の歴史的建造物が何棟も建ち並んでいました。ちょうど梅の花が見頃で、それをバックに結婚記念写真を撮影中の何組かのグループがいました。
 印象深かったのは、飛騨・白川郷から移築された江戸末期の旧矢箆原住宅(合掌づくり)です。白川郷には何年か前に行ったことがありますが、横浜のこんな所でお目にかかれるとは驚きでした。ちょうどお雛祭りの時期、奥の間には雛人形が飾られていました。
 横浜といっても、ごく限られた範囲しか見て歩くことはできませんでしたが、神戸の街の雰囲気に近しいところがあって、かつ港の歴史、明治開国という時代精神を彷彿とさせる素晴らしい街でした。また訪ねたい街です。
 ところで、明治維新の息吹を胸に秘めて帰阪した翌日は、大阪・淀屋橋界隈の「街歩き」企画本番でした。今回は30名近い方々のご参加をいただきました。まずは、明治・大正建築界の第一人者で東京駅の設計で知られる辰野金吾の設計による日本銀行大阪支店。ふだんは簡単に入れないところですが、所定の手続きを経て約1時間にわたって建物の歴史と日銀の仕事内容、お金のお話しを伺いました。次いで、大阪倶楽部、大阪ガスビル、高麗橋野村ビルなど戦災にも耐えた明治大正建築物を見て回りました。
 この数日間、横浜と大阪の明治大正建築をまじかに見て、当時の時代精神を思い浮かべました。周りの風景はずいぶん変わっているけれど、時代の変革期を見つめてきた建物群に、大きな迫力、存在感、何よりも生きる力、活力をいただいたような気がいたします。

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お上りさんの「東京見物」(その4) 世界ラン展2018

2018-03-01 20:52:41 | 旅行

 最近の天気予報はずいぶん精緻になりました。低気圧が日本列島を横断するため未明から強風が吹き荒れるとの予報が、そのとおりになりました。ここ大阪では「春一番」が吹き荒れ、今夜はこれから北海道が荒れそうだとか。お気をつけください。(下の写真は次男君の自宅界隈の公園に咲いていた河津桜)
 さて、前回お知らせしたように、先週末から今週初めにかけて東京に行ってきました。初日は羽田空港から東京ドームに直行して「世界らん展」を見て回ったあと、はとバスツアーを物色して定宿のある錦糸町へ。2日目は早朝新宿に向かいバスに乗って日光東照宮へ。3日目は東京から横浜に移動して次男君夫婦の新居をご訪問、その夜は横浜の街をぶらり散策。なんとも呑気な旅でありました。ひと口に東京といっても、日光へは東京都→埼玉→栃木と県をまたいで北に向かいます。横浜は神奈川県。それでも大阪人は「東京」でひと括りにしてしまいます。私だけかも(笑)。
 初めて見た「世界らん展」ですが、ふだんは野球場のはずのドーム内が展示会場に様変わり。華道家の特別展示やら様々な品種の洋ランが展示されていて、なかなか見ごたえのあるものでした。どうやったらこんなに美しい洋ランを育てることができるのか、ため息をつくばかりです。即売コーナーやお土産コーナーなどもあって、多くの愛好家で賑わっていました。
 会場内には丹精込めて育てた様々な品種の洋ランが所狭しと並んでいたほか、会場の一画には洋ランをモチーフにした絵画などを展示したアート、フラワーデザイン、ディスプレイなどの展示コーナーもありました。我が家のカトレアが咲いたら、私も水彩画を描いてみることにいたしましょう。
 最終日の午後だったこともあり、即売コーナーでは格安販売が始まっていました。連れて帰りたいものがたくさんありましたが、東京見物の初日とあってはそれも適いません。それでも、バンダほか数種の洋ランを手に会場を後にしました。
 翌日は、はとバスで日光東照宮に向かいました。浦和、蓮田、久喜、羽生、舘林、佐野を経て、岩舟でいったん高速を降りてフルーツパークで「いちご狩り」。美味しい「とちおとめ」をたくさんいただいたあと、鹿沼、宇都宮、大沢を経て日光に向かいます。このあたりにくると、残雪がちらほら。ずいぶん北の方に移動してきたことに気づきます。こうして初めての日光東照宮の参拝を終え、渋滞に遭うこともなく予定よりずいぶん早く午後6時半過ぎには新宿に戻ることができました。
 3日目は横浜に移動です。錦糸町から電車に乗って横浜駅で地下鉄に乗り換えて次男君夫妻の新居に到着しました。比較的閑静な街にあるマンションでの楽しい暮らしぶりにひと安心。そのあと、みんなで横浜の街に繰り出し、夕食は中華街で美味しい料理を堪能しました。これで神戸、長崎、横浜と三大中華街を制覇したことになります(笑)。
 次男君のお薦めで、山下公園の港からシーバスに乗ってホテル近くのみなとみらいの桟橋まで、海上から横浜の街の眺めを楽しみました。港町独特の美しい風景が印象的でした。
 翌4日目は、帰りの便を遅めに設定したために、ゆったりと横浜の街を散策して帰阪しましたが、こちらの模様は日を改めてアップすることにいたしましょう。

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