心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

愛犬ゴンタのイラスト

2014-12-28 09:03:30 | 愛犬ゴンタ

 今朝は5時半頃ゴンタ爺さんに起こされたので、未だ薄暗い6時前に朝のお散歩に出かけました。空には星が輝き、人の往来のない街のなかで気持ちの良い汗を流しました。
 ひと足早く年末年始休暇に入った私ですが、特に遠出の予定はありません。1年の締めくくりとしての心の安寧を貪りながら、明日はフェスティバルホールで大フィルの「第9」コンサート、その翌日は先行部隊として一人でやってくる孫長男君とお出かけ、大晦日になってやっと、1月に出産を控える長男一家を除く家族全員が集合です。またもや行き当たりばったりの休暇になりそうですが、今は孫長男君とどこに行こうかと思案中です。
 そんなわけで、昨日今日と年末の大掃除の真っ最中です。でも、今秋、家のリフォームをしましたから、去年ほど大騒ぎするわけでもありません。合間をぬって、書棚の整理に汗を流しました。ここ数年仕事関係の本は大半を整理したはずなのに、今回もダンボールひと箱分を古本屋に送り届けます。綺麗になった書棚には、新刊書よりも古本が目立ちます。原点回帰?それとも単なる郷愁?私にもわかりません。
 ところで、クリスマスの日に、知人の方から嬉しいプレゼントをいただきました。愛犬ゴンタの額縁付きイラストです。メッセージによると、このブログに掲載したいくつかの画像をもとに、アイオアにお住まいのイラストレーターの方に作成いただいたのだそうです。特にゴンタの眼の表情にはお気遣いをいただいたようですが、真っ白い紙に描かれたゴンタが私を見つめています。ありがとうございました。
 そうですね。ゴンタの眼、大切です。私とゴンタは眼でコミュニケーションができます(笑)。その昔、母親から「犬の眼を見つめては駄目。噛まれるよ」と言われました。飼い犬といっても先祖は獣、いつ本性が現れるかわからない、そういうことを言いたかったんでしょうか。
  でも、私はゴンタの眼を見つめてコミュニケーションをしてきました。小さい頃は、ゴンタの方が眼をそらしていました。そのうちゴンタもじっと私の眼を見つめるようになりました。優しく接するときも、厳しく躾けるときも、眼を見つめあって語りかけてきました。お互いに心のコミュニケーションができるようになりました。私がめげそうなときは励ましてくれました。ゴンタが体調が悪そうなときは、私に訴えかけてきました。背中を撫でてやると、安堵して眠りました。
 人間関係に疑心暗鬼になりがちなご時勢、私にとってゴンタはセラピー犬なのかもしれません。一方のゴンタは、お気に入りの足拭きマットを枕がわりにお昼寝です。最近は、眠るのが楽しみのゴンタ爺さんです。
 さて、2014年も残すところあと3日となりました。冬至を過ぎて、新しい年とともに徐々に昼の時間が長くなっていきます。窓の外に眼をやれば、石垣のてっぺんにユキヤナギの黄色い葉っぱが秋を惜しむかのように揺れています。落葉もまじかです。
 今年もいろんな本を読みました。年の初めは能楽堂に通ったのを皮切りに、世阿弥の「風姿花伝」など能楽に関する本を数冊、仕事の変化でいったん仕事関係が増えましたが、夏の頃から中断していた塩野七生著「ローマ人の物語」を再開しました。二千年も前の出来事ですが、人の世の統治(ガバナンス)の難しさはいつの時代も変わりません。ここに宗教が絡んでくるとなお複雑になる。これが人の世なんでしょうか。この全集文庫もあと3冊を残すばかりとなりました。でも最近、また浮気心が頭を擡げます。
 昨年、NHK大河ドラマ「八重の桜」に触発されて以後、明治維新前後の人の生き様に興味をもったのも楽しいことでした。ヴォーリズ満喜子の種まく日々を綴った玉岡かおる著「負けんとき」は「天涯の船」以来の圧巻でした。広島の古書店アカデミィ書店金座街本店で見つけた大庭みち子著「津田梅子」、四天王寺の古本まつりで見つけた小泉八雲著「日本瞥見記」、そして東京・神保町の澤口書店で見つけた新井恵美子著「岡倉天心物語」。日本の社会が大きく変わる時代に生きた先達たちの生き様、人間臭さのようなものを感じ取ることができました。船に乗って凡そ20日間をかけて渡米する時代のことです。
 そして先日、近所の書店でNHKテレビテキスト「100分de名著」の2015年1月号をみると、なんと岡倉天心の「茶の本」がテーマでした。これに触発されて、私の読書遍歴は、当分、明治期に集中することでしょう。難しい専門書に眼を通す前に、著者の生き様に触れる。それによって専門書に記された言葉のひとつひとつが生きていることを実感します。紙に印字された文字から人となりが浮かび上がってきます。なんと楽しいことか。

 そうそう、gooブログから届いた年末のご挨拶によると、10周年を迎えたのだと。ということは、ブログ「心の風景」もgooブログとともに歩いた10年だったことになります。
 お決まりのご挨拶になってしまいますが、この拙いブログにご訪問いただいた方々に御礼を申し上げなければなりません。なんの意味もない初老の戯言にお付き合いをいただき、ほんとうにありがとうございました。皆様にとって来るべき2015年が素晴らしい年でありますように。では、良い年をお迎えください。

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ジャネーの法則

2014-12-21 09:29:53 | Weblog

 今朝、ゴンタ爺さんと朝のお散歩を終えると、庭の落ち葉を両手ですくって家の中に入りました。モミジとニシキギとカリンの葉っぱです。それを布の上に散りばめて、パチリ。秋の名残の御裾分けです。
 そうそう、お爺さんとお婆さんの二人暮らしの我が家に、先週からクリスマスの飾り物が鎮座しています。陶芸教室に通うお婆さんが、土を捏ねてヨーロッパ風の小さなお城を作りました。そのお城の中には小さな電灯が付けてあって、夜になると点滅します。写真では見えづらいでしょうが、お城の前には愛犬ゴンタのお人形まで置いてあります。なかなか手の込んだ作品でした。そんな雰囲気に誘われて、お爺さんは昨夜、ネットを駆使して4人の孫たちにクリスマス・プレゼントの品定めでした。
 あと10日もすれば、2014年も幕を閉じます。時の経つのは本当に早いものです。と、そんな話をしていたら、先輩の方から「ジャネーの法則って知ってるかい」と。さっそくウィキペディアで調べてみると、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネが紹介した法則で、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明したものでした。簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たるというのです。さもありなん。

 さて、先週も1週間のなんと早かったことか。月曜日は午前中会議、午後は某福祉法人にお邪魔しました。火曜日は終日様々な会議と打ち合わせでしたが、その日の午後、東京から「明日お越しになりませんか」とのお電話。翌日東京に向かいました。その日の夜には忘年会があったので仕事が済むと急ぎ帰阪。木曜日は朝から晩までいろいろ。そして金曜日は会議のあと広島に出かけて夜の宴に出席、最終の新幹線でご帰還でした。さすがに土曜日はお昼前にお目覚めでした。 そんな慌ただしさも今週いっぱいです。週末には年末年始休暇に突入します。そうそう、東京に向かう新幹線車中で、琵琶湖の湖西方面に目をやると、比良山系は雪景色、湖北に進むと箱館山山頂も雪で真っ白でした。スキー客で賑わっているのでしょうか。その山懐に我が家の山小屋があります。雪の中でじっとご主人をお待ちかねなのかもしれませんが、ここ数年、私が出かけることはありません。
 東京は今回も虎ノ門界隈でした。と、林立するビルの一画に神社を見つけました。名前は「虎ノ門 金刀比羅宮」。海上守護、大漁満足、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信されている神社のようです。この神社が創始された頃は、当然コンクリートの鎮守の杜なんてなかった。だだっ広い関東平野には田畑が広がり、遠くに東京湾を臨む長閑な農村だったのでしょう。
 とりあえず、中央省庁訪問が成功裏に終わりますように、苦しい時の神頼みではありませんが、お賽銭を捧げてお祈りをしました。これが効いたのでしょうか、その日の仕事は極めて順調に進みました。(笑)
 気分をよくして夜7時開始の忘年会に直行しました。美味しいワインをいただきながら、なんとも楽しい時間を過ごしました。

 ジャネーの法則に従えば、これからの数年はあっという間に過ぎていくのでしょう。先日訪ねた老人施設は相当ハイレベルな方々がお住まいのようでしたが、大都会のど真中に佇むビル空間には、なにか馴染めないものを感じました。「虎ノ門 金刀比羅宮」さんはよく辛抱なさっている。さてさて、私にとっての「終の棲家」って一体どこなんでしょうね。

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師走の街を歩く

2014-12-14 09:56:00 | Weblog

 ジョルテ(電子手帳)をみると、先週もいろいろありました。やはり年内に片付けておきたいことが多すぎるんでしょうね。週の前半2日間は終日缶詰めの会議、水曜は梅田界隈に出かけ、木曜は一息ついて忘年会、金曜は京都に出かけ、土曜日は東京にまで足を伸ばしました。そんな仕事の合間に、しっかりと心に「ゆとり」をもつ、これは私の得意ざわでもあります。(笑)
 水曜日は、仕事が早く片づいたので、夕暮れどきの梅田・茶屋町界隈を散策しました。雑踏のなかに紛れて、街の風景、匂いを肌で感じました。日が暮れた頃、街のいたるところに人の輪が。覗いてみると、若者のグループが蝋燭の入った小さなガラスコップを並べています。そして一つずつ火を灯しています。ぱっとあたりが明るくなりました。そこに人々が集まってくる。なんと、「100万人のキャンドルナイト」の催しでした。心温まる風景でありました。
 京都では、同業他社の某女史のお話を聞きました。彼女は仕事の再定義と発信、なによりも自分を取り巻く環境、他者を感じる力の大切さを力説してくれました。そういえば、「心の風景」のタイトルに込められた思いも、そんなところにありました。前のめりになりがちな私にとって忘れてはならないことです。
 そして昨日は久しぶりに東京にでかけました。いつものように、少し早めに家を飛び出すと、午後の仕事の前に向かったのは神保町でした。お昼の1時間ほどをかけて古書店街を散策しました。この日は、澤口書店でしっかりと品定めをしました。そこでお目にかかったのは新井恵美子著「岡倉天心物語」(神奈川新聞社)。夏に読んだ「津田梅子」に続いて明治初期に活躍した人々の生き様に関心があります。ちゃっかり、その横に並んでいた竹久夢二著「風のように」(龍星閤)もいただいて帰りました。こちらは大正ロマンの人。しめて2600円なり。そうそう、澤口書店さん、お隣に4店目も開店されましたが、2階に上がってみると、なんとコーヒーをいただける喫茶店風の空間に様々なジャンルの本が並んでいました。新しいスタイルの古書店をめざしていらっしゃるようでした。
 神保町から内幸町に移動すると、午後の仕事までに少し時間があったので、虎ノ門界隈を散策しました。伺ったのは、のっぽの虎ノ門ヒルズ。ちょうど都心部に高層ビルを建てる仕事をしていたので、低層階の雰囲気を見て回りましたが、なんとも広々とした穏やかな空間に、都会のオアシスを見つけたよう。ここでも主役は若い女性たちの存在でした。3階のコンビニも、コンビニらしくないコンビニ。いろんな気づきをいただきました。
 この日の目的地は霞ヶ関ビルでした。部屋の窓から外を眺めると、目の前に先ほど立ち寄った虎ノ門ヒルズ、その横に東京タワー。驚いたのは、景色の向こうに東京湾が見えたことです。地面を歩いていると気づきませんが、こうして高いところから東京を眺めると、位置関係が手に取るようにわかります。こんなに海が近かったのかと。黒船がやってきた時代、江戸城のお方はさぞ驚かれたことでしょう。
 帰途、新幹線の中で「岡倉天心物語」を読みました。平易なタッチで書かれた読み物ですから、どんどん読み進んでいきました。江戸から明治への時代の転換期にあって、福井藩の下級武士だった父親が商人となって横浜で生糸の商売をする。それも外国人相手。英語を覚える余裕はないので、見よう見まねの会話。どうしてもというときは中国人の通訳を呼んできたのだと。そんな環境で育った覚三(天心)は、店の片隅で外国人客とのやりとりを聞いて英語を学んだのだと。大きくなると、アメリカ人宣教師の英語塾で磨きをかけ、後に東京開成学校(後の東京大学)に進み、フェノロサと出会うことになるわけです。
 長い間鎖国を決め込んだ日本が、大きく扉を開いた時代。日本の若者はアメリカ人宣教師から英語を学んだという意味で、近代化に果たしたアメリカ人の存在の大きさを思いました。実は朝、東京に向かう車中では「ローマ人の物語」40巻「キリストの勝利」を読み終えたばかりでした。ローマの多神教に入り込んだ一神教のキリスト教。なんともややこしい時代でしたが、宗教の善し悪しは別にしても、日本の近代化に宣教師の果たした役割は大きかったということです。
 先週は日曜日の町内「餅つき大会」に始まって、いろいろな楽しいことがありました。ジョルテを開くと、今週も会議、忘年会、広島出張と続きます。そうこうするうちに2014年という年も幕を閉じることになります。そうそう、きょうは総選挙でした。3軒隣の候補者の方、当選できたらよいのですが。

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「次の社会像」とは

2014-12-06 22:55:20 | Weblog

 ブログを更新するたびに眺めている中経文庫「日本の七十二候」。いつも昔人の季節に対する感性の豊かさに感心です。それによると、この時季は第六十一候 大雪 初候「閉塞成冬」(そらさむくふゆとなる)と言うのだそうです。空が閉ざされ真冬が訪れる寒い季節の到来です。
 昔人の言葉どおり、西日本の日本海側は大雪のようです。私の故郷もずいぶん積もっているのだとか。そんな日の夕刻、ゴンタ爺さんとお散歩にでかけました。15歳のお誕生日を迎えたばかりなのに、寒さにはめっぽう強いのです。寒さで逆に元気を取り戻したご様子でした。尻尾をピンと立ててお歩きになっておりました。
 ところで、師走を迎えると、何となく落ち着かなくてそわそわします。そんななか、仕事帰りに京阪電車淀屋橋駅の改札口で妙な看板に出くわしました。「もう少しで2014年も終わりですね」「な....なんですって」。素人っぽい作品ですが、無言で早足で歩く乗客の足を、ほんの一瞬止めてしまう、なんとも微笑ましいものでした。駅員さんの「遊び心」に心和みます。

 今週は久しぶりに福岡に出張しました。博多駅を降りると、西鉄バスセンターから福岡タワーへ。街の大きさに改めて驚きながら、途中ヤオフク球場を横目に目的地に到着です。7月にもこのあたりに来たことがありますが、いくつかの大きな病院が目につきます。私が訪ねたのも病院でしたが、患者としてではなく仕事として行く病院には、別の意味で興味深いものがありました。あっという間に3時間も経ってしまいました。ご対応いただいた方に感謝です。
 と、悠長なことを綴っていますが、今週は何やかやと悩ましい問題が私を付き纏いました。出張の翌日も朝からバタバタ、午後まで続きました。それでも3時を過ぎた頃にやっと開放されたので、思い切って職場を後に京都に向かいました。お勉強会です。
 今回のテーマは「関係性から読み解くGNH(国民総幸福)」。講師は名古屋大学の上田晶子先生でした。関係性というと難しく聞こえますが、要するにご縁。ブータンの人たちの言葉を借りると、相手に過度の期待はしない。期待するから不満がある、期待するからがっかりする。「自分だけの視点から広く長い周囲を含んだ視点へ」「物質的な豊かさは一時のもの。精神的な豊かさはもっと続くもの」「関係をうまくやろうとすると、自己を律することが必要になる」。さまざまな事例を具体的に示しながら、GNHが提示しているものを優しく読み解いていただきました。
 手元のブータン王国ティンレイ首相講演録をめくると、GNHには「持続可能かつ公正な社会経済開発」「わが国の脆弱な山岳環境の保護」「伝統文化の保護と振興」「良きガバナンス」と、4つの柱があります。そこに9つの領域を示します。「基本的な生活」「健康状態」「教育と教養」「環境の多様性と弾力性」「伝統文化の多様性と弾力性」「地域社会の活力」「時間の使い方」「精神的幸福」「ガバナンスの質」。
 ふと、12月1日付朝日新聞夕刊にあった佐伯啓思先生の「アベノミクスに隠された争点~脱成長追求型、新たな社会像示せ」という一文を思い出しました。「急激に人口減少・高齢化へ向かう、かくも豊かになってしまった日本は、もはや成長追求型で競争主義的な価値観によって支えられる社会ではない。その次の社会像を提示していかなければならない」と。
 競争ゲームに余念のない日々に埋没して、カチカチになった脳みそを極めて学術的な、私にとっては異次元の世界にも思われる空間に身を置いて、しばし思いを巡らしました。人の言葉をこんなに素直に受け止められることに何かしら清々しいものを感じながら、夜の静寂、川端通りを歩いて神宮丸太町駅に向かいました。
 さてさて、明日は早朝から街の「師走餅つき大会」の準備です。孫君たちも朝早くからやってきます。そんなわけで、土曜の夜のブログ更新とあいなりました。土曜の静かな夜、ヨーロピアン・ジャズ・トリオの「モナリザの微笑み」をBGMに、拙いブログの更新でした。この辺で切り上げて「ローマ人の物語」第40巻(キリストの勝利<下>)をもってベッドに入りましょう。窓の外は、寒そうな北風が吹いています。

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