ここ大阪は、昨日の午後から雨が降り出しました。そして梅雨入り宣言。当分湿っぽい日が続きそうです。今は小止みになっていますが、庭の草木たちは俄然元気が出てきました。紫陽花も美しい姿を見せ始めています。
そんな梅雨に先立つ先週末、シニアの仲間たち十数名と新緑まぶしい箕面の大滝で森林浴を楽しんできました。ずいぶん昔、秋の紅葉の時季に職場の仲間らと出かけて以来の訪問です。阪急箕面駅前から川に沿って続く片道2.6キロほどの道のりを、新緑を愛で、野鳥の囀りを楽しみながら歩きました。
平均年齢が70歳を超える仲間たちです。おしゃべりしながらのウォーキングで笑い声が絶えません。予約を入れておいた旬彩和食「紅葉」さんでも、箕面ビールを片手におしゃべりは続きます。午後2時を回り、さらに話し足りない方々(私を含む7人、内男性2人)は、阪急石橋阪大前駅界隈の居酒屋で真っ昼間から延長線にのぞみました(笑)。 この日、話題になったのは雑誌ニュートン7月号の第2特集記事「70歳の取扱説明書」でした。「前向きに老いるための」という副題が付いています。「70歳の身体機能は20年前より5~10歳若返っている」「”社会とのつながり”がなくなると、ドミノ倒しのように要介護一歩手前の状態になる」「70歳はまだまだ若い。リタイア後も生産的な老後をすごそう」「寝たきりや独りぼっちでも、幸せ。老年的超越の状態とは何なのか」といった興味深い見出しが躍っています。ふむふむ、皆さんご納得でした。
ちなみに第1特集記事は「chat GPTの衝撃」です。数日前にパソコンに設定してその良し悪しを試し始めたところでした。
話しは横道にそれますが、先日、NHKサイト「らじるらじる」で聞き逃し番組を検索していたら、「カルチャーラジオ歴史再発見」に目が留まりました。4月から全10回で「生誕1250年空海と日本の仏教」(講師:奈良国立博物館名誉館員・西山厚先生)を放送していました。各回30分です。既に9回まで終わっていますが、奈良時代の仏教、若き日の空海、密教とは何か、空海IN長安、請来目録の世界、最澄との出会い、異なる二人、最澄との別れ、徳一と空海が放送されています。
空海については何冊かの本に目を通しています。でも仏教の専門用語が登場するため、もうひとつ読み込めていません。文字ではなく「言葉」で聴く番組に興味をそそられました。さっそくWindows11にあるサウンドレコーダーを使って音声をパソコンに録音、それをipodに入れ直して、眠る前や電車での移動中に聴いています。
その空海、来月6月15日が誕生日、生誕1250年を迎えるのだそうです。朝お散歩で立ち寄るお不動さんでも、この日は弘法大師ご誕生1250年記念慶祝法要が予定されています。あいにく当日は朝からNPOの会議があるので適いません。
この歳になっても、私の好奇心は留まるところを知りません。雑誌ニュートンはプロダクティブ・エイジングの例として「有償労働」「ボランティア」「介護」「家事」「庭仕事」「孫の世話」を上げています。さあて、私の健康寿命は何歳まで伸びることでしょう。
そういえば先日、ひょんな所で現役時代のトップにばったりお会いしました。少し立ち話をしましたが、7年前に社長室で握手をしてお別れしたのが昨日のことのように思い浮かびます。今は悠々自適にお暮しのようなので、近々一献傾けるお約束をして別れました。新潟の美味しいお酒でもいただきながら、「70歳の取扱説明書」について話し合ってみようかと思っています(笑)。
きのう、伸び放題になっていたアケビの蔓のお手入れと庭掃除に汗を流し、そのあと熱帯魚の水槽を掃除していたら、いつの間にかお昼になっていました。加齢とともに動作が鈍くなってきたからなのか、1週間もあっという間に過ぎていきます。
今年は柑橘類(レモンとスダチ)に実がつきません。何が原因なのか分かりませんが、とりあえず来期に向けて枝のお手入れをしておきました。そのとき、無花果の葉っぱになにやら得体の知れない虫が羽を広げて休んでいます。Googleレンズで調べてみると、クチバスズメという名の蛾でした。初夏を迎えて昆虫たちの活動が目立ってきました。
先週の水彩画教室は、久しぶりに教室から外に出て写生会でした。場所は天満橋の八軒家浜(はちけんやはま)船着場です。都島区の毛馬閘門で淀川から別れて大阪湾に注ぐ大川沿いにあります。昔は京の都から舟で下ってこの船着場で降りて、ここから住吉大社や熊野詣に向かったのだそうです。
その数日後、京阪電車「石清水八幡宮駅」から歩いて10分ほどのところにある「さくらであい館」で開かれた歴史講座「淀川絵図で水の道をくだる」を覗いてきました。会場は桂川、宇治川、木津川の三河川が合流する背割堤にあって、桜の季節には大勢の花見客で賑わう所です。八軒家浜から北上して京の都に向かう中間点でしょうか。東に石清水八幡宮、西には山崎を望むことができ、紀貫之の「土佐日記」にも登場する歴史的な場所です。
この日は、京都産業大学の鈴木康久先生から、資料「淀川水系 河川絵図集成」に沿って、淀川にまつわる舟運や沿岸の土地利用、河川の管理などの歴史について興味深いお話しを伺いました。なによりも、河川を人の暮らしの対立軸として見るのではなく、交通(舟運)と生業の視点も交えて、測量図とは違いデフォルメされた河川絵図を丁寧に読み解いていただいたところに新しい学びがありました。(下の二枚目の写真は淀川両岸図巻の部分抜粋「大山崎付近」。画面右下に石清水八幡宮のある男山)
その余韻を引き摺ったためか、家に帰ってからも、樋口覚著「淀川下り日本百景」を開いてみたり、LPレコード棚に眠っていた松下真一作曲「交響幻想曲<淀川>」(朝比奈隆指揮、大阪フィル)を聴いたりと、淀川の表情を思い浮かべながら夜のひとときを過ごしました。
川と人の暮らし....。八岐大蛇神話にも登場する斐伊川沿いで生まれ育った私にとって、河原は恰好の遊び場でした。水遊びをしたり、魚釣りに興じたり、磁石で砂鉄を採取したり。豊富な水は私たちに多くの恵みを与えてくれました。そんな斐伊川も、機嫌を損ねると荒れ狂う大蛇に変身します。穏やかな夏のある日、何の変哲もない岩壁の縁で小さな子が渦に巻き込まれて亡くなるという痛ましい出来事もありました....。その後、京都に出てくると、鴨川べりを歩いて大学に通いました。社会人になり結婚した当初は淀川にほど近い所に居を構え、休みの日には子どもを連れて広々とした河川敷で深呼吸をしたものです。
旅で出会った川もたくさんあります。石狩川、墨田川、大井川、吉野川、仁淀川、四万十川....。海外に出かけると、テムズ川、ライン川、ドナウ川、セーヌ川、ハドソン川、ナイアガラ川。行く先々でいろんな表情を見せる「川」に出会いました。悠々と流れる大河もあれば、小さな街中でアルプスの雪解け水が勢いよく流れる川を前に足が竦んだこともありました。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」とは鴨長明「方丈記」の一節ですが、早いもので2023年という年の折り返し地点がぼんやり見えてきました。まずは毎日を新しい気持ちで迎えることができることに感謝です。
昨日は3カ月検診が無事に終わりました。いくつかの宿題を除いて取り立てて大騒ぎするほどでもありませんので、週末には仲間たちと箕面の滝にでかけます。これで今年の新緑は見納めです。
先週、ブログを更新した日、急に思い立って兵庫県は三田市に出かけました。特に思い入れがあったわけではないのですが、ちょうどお部屋が空いていたので神戸ホテルフルーツ・フラワーを覗いてみることにしました。自宅を出ておよそ2時間。宝塚を過ぎた辺りから車窓の風景が一変します。新緑につつまれた田園風景が広がり、ちょっとした旅行気分でした。
西洋のお城のようなホテルは、道の駅神戸フルーツ・フラワーパーク大沢の一画にありました。有馬温泉と同じ泉質を誇る神戸大沢温泉「金仙花の湯」や遊園地などが併設されていますが、GW明けのこの日の客は私たちのような孫疲れ(笑)の老夫婦が大半でした。
駅前の観光案内所でいただいたパンフレット「ぶらり歴史めぐり街めぐり」を開いてびっくり。「明治・大正・昭和の激動の時代を駆け抜けた白洲家三代」とあります。ここ三田市は白洲次郎を生んだルーツでした。つい先日、白洲正子の「西行」を読み直したばかりでしたが、心月院の白洲家墓地には白洲次郎と正子の五輪塔の板碑が寄り添うように建っているとも記されています。
さてさて、そんな思いに浸った先週末、5回目の四国遍路ツアーに行ってきました。今回は「逆打ち」で、高知市の30番善楽寺から南下して室戸岬の24番最御崎寺まで7カ寺を巡ってきました。山々は若葉に覆われ、田植えが終わったばかりの田圃では初夏の光が眩しい、そんな日本の原風景を堪能しました。
29番国分寺付近にはその昔、紀貫之が国司として数年間を過ごした土佐国衙跡があります。その任を終えて都に帰る模様を著わしたのが「土佐日記」ですが、貫之御一行様は25番津照寺辺りの室津港から船に乗って大阪に向かい、淀川をのぼって京の都に帰っていったのだそうです。
その夜はバスでお隣にお座りの方と高知市内で一献傾けながら遍路談義に花を咲かせました。これも一期一会ということなんでしょう。
翌日はまず27番神峯寺に向かいました。前回歩いて登ったのもちょうど5月の今頃の季節でした。今回はお山の麓で大型バスから乗り合いタクシーに乗り換えて楽々の登山です。200段近い石段を登って境内に向かいました。道中、遍路道の入口に「マムシ注意」の看板がやたら目につきました。そろそろ動き出す時季でしょうか。
26番金剛頂寺、25番津照寺を経て、最後は室戸岬の灯台近くにある24番最御崎寺をお詣りしました。ここに来て心配していた雨がぽつりぽつり。灯台を見ることもなく足早にバスに戻りました。自由気儘な歩き遍路と違って、綿密な旅程に沿っての集団行動ですから、残念ながら空海が修行したという御厨人洞を覗いたり室戸岬公園を散策したりする時間はありませんでした。
そう言えば数年前、徳島の23番薬王寺から室戸岬に向かって延々と続く海岸沿いの遍路道をほぼ1日をかけて歩いたことがありました。はるか遠くに見える岬をめざすも、そこに到達するとその先にまた同じような岬が遠くに霞んで見える。そんな繰り返しに心がめげそうになったこともありました。それでも歩き通した自分が信じられません。人間って本当に不思議な生きものです。その道程を今回はバスで2時間ほどで走り過ぎて行きました。
今回も至るところでフランスやスペイン、ドイツ、アメリカ、韓国からやってきた歩き遍路さんに出会いました。シニアのご夫婦の姿もあれば「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を身にまとった20代の女性の姿もありました。アメリカからおいでのようでしたが、笑顔で「こんにちわ」とご挨拶をいただきました。見知らぬ国の薄暗い山の中の遍路道を独り黙々と歩き続ける辛さ。いやいや、何か巡礼を楽しんでいらっしゃるようにもお見受けしました。
四国八十八カ所遍路の旅への思いは人それぞれです。国や宗教の違いを越えてなお惹きつけられる何かがあります。来月は二泊三日で高知市の31番竹林寺を皮切りに足摺岬を経て愛媛県は宇和島にまで足を伸ばします。
GW後半、警報レベルの大雨となりましたが、雨のあがった翌日、庭には皇帝ダリアがすくすくと伸びていました。もう一節伸びたら先端をちょん切って枝分かれを促すことになります。
気づけば、旧暦では「立夏」を迎えて「蛙始鳴」の季節です。むかし湖北の山小屋でGWを過ごした頃は、遠くの田圃から蛙の鳴き声が森の中にまで聞こえていました。
さて、この連休は、孫たちを相手にドタバタの日々を過ごしました。5月3日、近所にいる孫次男君を連れて、京都駅に長男君一家の第一陣をお迎えに行きました。しばし歓談したあと京都水族館、東寺、東福寺を巡って長女宅へ。
その日の夜遅くに第二陣が到着しました。中学3年の孫娘と小学6年の孫長男君が母親に連れられてやってきました。二泊三日の小旅行です。「どこに行きたい?」と聞くと「大阪を満喫したい」と。その孫娘、来月修学旅行で京都・大阪にやってくるそうなので、私が提案した候補地はことごとく「行く予定」で却下。でも、「たこ焼きとお好み焼きは食べたい」と言います。
というわけで、翌日は大阪万博公園に出かけました。モノレールに乗って万博公園駅に到着すると、もの凄い人出です。駅から入場口まで人、人、人で埋め尽くされていました。そんなとき、「道頓堀くくる」というたこ焼き屋さんを発見。さっそく第一の希望、「たこ焼き」を堪能していただきました。
人の波が少し落ち着いたところで万博公園に向かいます。入場してすぐのところに、かの大阪のシンボル「太陽の塔」が聳えています。それに感激した孫たちは、そのあとも巨大立体アスレチック迷路やおもしろ自転車広場などで遊び、最後は「ららぽーとEXPOCITY」でショッピングを楽しみました。
最終日は、鶴橋のコリアタウンに向かいました。こちらも人、人、人の波。お好み焼きの「風月」を見つけて早めの昼食です。東京のもんじゃ焼きとはひと味違う大阪の食文化を楽しみました。これで孫娘二つ目の希望が適いました。その後はいろんなお店に立ち寄ってお買い物でした。
こうして「大阪」を目いっぱい楽しんだ長男君一家は東京に帰っていきました。後で聞けば、新大阪駅に向かう途中、梅田界隈にも立ち寄ったのだとか。好奇心旺盛な孫たちでありました。
慌ただしいGWを過ごした爺さん、婆さんは、ここでひと休みです。ゆったりまったりの時間を過ごしました。春を楽しませてくれたチューリップやムスカリ、スイセンなどの球根を掘り起こしたり、枝豆の苗を買ってきて植え付けたり。その合間に、古本祭から連れて帰った西行の本をぱらぱらと眺めたりしました。
そういえば、今回連れて帰った辻井喬「西行桜」ですが、著者の辻井喬さん、実はセゾングループの代表等を務めた実業家・堤清二さんのペンネームでした。「能楽に素材をとり、舞台を現代に移した妖しくも哀しい世界」をテーマに、能「竹生島」「野宮」「通盛」「西行桜」の舞台をイメージした4編の現代短編小説からなります。「夢幻、現実、滅び」。能舞台を思い浮かべながら、ついつい読んでしまいました。数々の受賞歴をお持ちの辻井さん。こんな多彩な方がいらっしゃること自体に驚きました。この歳になっても、まだまだ知らないことはたくさんあります。
本といえば、「ららぽーとEXPOCITY」のジュンク堂書店で、高知県観光博覧会ガイドブック「らんまんの舞台・高知/牧野博士の新休日」というフリーペーパーを見つけました。朝ドラ「らんまん」を契機に高知に関心をもってもらおうというわけです。見やすくきれいな冊子だったのでいただいて帰りました。
高知県立牧野植物園に隣接する竹林寺には、来月の四国遍路ツアーでお参りする予定です。とりあえず今週末は5回目の四国遍路ツアーで高知に向かいます.........。今日はこれから兵庫県の三田に出かけます。来週初めには、以前からお約束していた方にお会いするため京都に出かけます。そうこうするうちに爽やかな初夏を通り越して、蒸し暑い梅雨の季節を迎えることになるのでしょうか。
このところ雨が降ったと思ったら初夏のような陽気になったりで落ち着きませんが、今日は爽やかな朝を迎えました。晴れ渡った青空のもといつものように朝のお散歩にでかけると、街の風景は一気に若葉に覆われていました。気持ち良くウォーキングを楽しむことができました。
この時季、雨が降った翌日は、庭の木々も一斉に若葉が茂ります。昨日は伸び放題になっているモミジを剪定しました。このモミジ、40年ほど前に田舎の庭にあった子どもを連れて帰ったものです。我が家の庭にも慣れて静かに四季の移り変わりを楽しんでいます。
さてさて、待ちに待った春の古本祭に出かけてきました。今回の選書のテーマは「西行」です。東北やら四国に旅した際に西行の足跡にであったことがありますが、和歌に馴染みのない私にとっては別世界の人。その後、白洲正子の「西行」に出会い、能「西行桜」を観て、その人となりに淡い関心を寄せていました。今回、もう少し知っておきたい人物にランクインした次第です。
「決然と世を捨て、歌の道を突き進んだ西行。孤独を生きる力にして詠んだ渾身の和歌は、乱世の無常を通じて、不滅の芸術となった。謎多き天才歌人の生涯に新たな光を当てる」。これは古本祭で買った別冊太陽「西行」の表紙に記された言葉です。テーマは「捨てて生きる」。なんとなく意味深な、そして興味をそそる雰囲気を漂わせています。「花にあこがれ花に狂う」「私の好きな西行の歌」「西行の生涯」に分かれ、写真と文章で西行の世界に迫っています。
春の古本祭で私が出会ったのは、別冊太陽のほか、饗庭孝男著「西行」、辻邦生著「西行花伝」、辻井喬著「西行桜」。他に佐和隆研著「空海の軌跡」。私には和歌の基礎的な素養がないので、Amazonkindle(電子図書)でその入門編も(笑)。
このところ、まさしく晴耕雨読を実践しています。時間が経つのがなんと早いことか。庭ではクレマチスが咲き終わり、レモンやピラカンサの花が咲き始めました。以前植えておいたトマトも順調に育っています。昨日は種蒔きもしました。なにわの伝統野菜の種、昨年青森の棟方志功記念館に行った際にいただいたハマナスの種などなど。これから夏にかけて目が離せなくなります。
明日は、東京の長男君一家が三々五々やってきます。というのは、塾に通っている子は母親と一緒に別行動。夜遅く到着です。第一陣の子たちの希望を聞くと、京都を「観光旅行」がしたいとか。というわけで、明日はまず京都の観光案内をしてからになります。それを聞いた在阪の孫次男君から「京都に連れてって~」とのLINE。なにやら騒々しいGWになりそうな予感がします。