心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

孫たちと興じた「夏」

2024-08-09 22:08:27 | 旅行

 第37候立秋初候「涼風至」(すずかぜいたる)、見えぬ風にかすかな秋の気配。なんと素晴らしい言葉なんでしょう。まだまだ暑い日が続いているというのに、暦の上では「立秋」を迎え、季節のご挨拶も残暑見舞いに変わりました。

 先週末から3日間、神奈川に出かけてきました。全く雨の降らない日が続いていたので、出がけに庭にたっぷりと散水し、クリスマスローズ等の鉢には、蓋に小さな穴を開けたペットボトルに水を満杯にして土に突き刺すなどの応急処置をしました。
 ところが、天の恵みか、2日目の夕刻に大阪ではゲリラ豪雨があったようでした。3日目には何と、伊丹発の飛行機が激しい雷雨のため、羽田到着が1時間も遅れ、結局1時間半遅れで帰阪することに。家に帰ると庭には草木の元気な姿と対面することができました。やれやれ。

 神奈川旅行の初日は、長男次男一家を交えて総勢11名が三浦海岸のリゾートホテルに集いました。幼稚園児から高1まで5名の孫たちは、海辺に行ったりホテルのプールで遊んだり、元気一杯に走り回っていました。
 お部屋はマンション仕様で、20畳の和室と洋室3室があり、男の孫たちは一室に籠もってゲーム三昧、大人たちは温泉に浸かってひと休みのあと、大宴会でした。
 翌日は、横浜・桜木町まで移動して、まずは駅前からロープウェイに乗って横浜ワールドポーターズ前まで。ショッピングやゲームセンターなどでしばらく時間を潰したあと、大観覧車「コスモクロック21」に乗ってみなとみらい界隈を一望、その後ランドマークタワー界隈を散策し、前回も訪れた鼎泰豐で台湾料理を楽しみました。夕食のあとは、翌日仕事の都合で帰った者を除く7名がホテルにチェックインして一夜を過ごしました。
 最終日は、赤レンガ界隈を散策するなどして、午後には皆と別れましたが、長男を除く家族4名はその日の夕刻にある花火大会を見て帰ることに。なんとも元気なことでした。爺さん婆さんはそこまでお付き合いはできませんので、長女の孫次男君を連れて羽田へ。ドタバタ珍道中は、これにて終了とあいなりました。
 これで、今夏の予定は終了と思いきや、横浜の次男君一家が、お盆にお嫁さんの実家に帰るついでに我が家にやってくることに。暑い夏は、まだまだ続きそうです。かく言う私は、合間をみて恒例の京都・下鴨納涼古本祭を覗いてきます。

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2週間経って思い出す異文化体験

2024-06-14 23:24:33 | 旅行

 旧暦「腐草為螢」(ふそうほたるとなる)。腐った草が螢に生まれ変わるの意だとか。そう言えば、先日、斐伊川の源流に近い山懐の温泉宿に泊まった時、庭先に数匹の螢が舞っていました。久しぶりの帰省にお出迎えいただいたのかもしれません。
 ここ大阪は、本来なら梅雨入り宣言があってもおかしくないのに、連日蒸し暑い日が続いています。地中海クルーズから帰ってはや2週間。少し疲れが出てきたのか、数日前から風邪気味で、もうひとつ力が入りません。早めにお布団に入っても眠れず、今頃になって地中海クルーズのことがぼんやりと浮かんできます。 
 
 深夜、眠たい目を擦りながらバルセロナ行の飛行機を待っていたドーハの待合室で、アラビア語と英語で書かれた大きな広告に目がとまりました。アラビア文字の姿かたちが英語や日本語と全く違います。現地の方々が漢字を見たら同じことを思うのと同じように、「文字」と「文化」の多様性というものを改めて思ったものでした。
 表現の違いと言えば、クルーズ船内で毎夜開かれたシアターショーを楽しむ観客の陽気な姿もそうです。ミュージック&ダンスショー、マジックコメディ、クラシックロックショーなどアップテンポなプログラムが多かったせいもありますが、最初はシアターの異様な雰囲気に圧倒されてしまいました。クラシックかジャズの演奏会しか行ったことのない私ですから、文化の違いというよりも私個人の偏見なのかも知れません。でも、不思議なもので、いつの間にか場の雰囲気に馴染んでいる自分に気づいたりもしました(笑)。
 乗客の多くはシニア世代の方々でしたが、老若男女大きな声で囃したり、笑ったり、口笛を吹いたり、拍手をしたり、スタンディング・オベーションをしたり。演者と観客が一体となってショーを盛り上げ楽しんでいる風景が印象的でした。この陽気さ、明るさ、屈託のなさって一体なんなんでしょう。
 YouTubeにThe ChoIr of Manの映像がありましたのでご紹介します。イギリスの伝統的なパブを舞台にしたミュージカルです。YouTubeの映像は舞台設定は同じですが時期とメンバーが少し違います。

  Choir of Man NCL Encore Jan 24 - Some nights - Parting Glass - Outplay

 咳き込んで眠れない夜。ぼんやりと、しかしはっきりと2週間前の地中海クルーズのことが思い出されます。何度も行けるところではないので、ニースの海岸でごく当たり前のようにある石ころを記念に持って帰りました。それぞれ5センチほどの大きさですが、これが私のお土産です。
 だからというわけではありませんが、旅行中に大きなスーツケースのキャスターのゴムが壊れてしまいました。久しぶりの海外旅行でローマの街の石畳を引きずって歩いたからでしょう。修理代は僅かなものですが、さっそく保険会社に手続きをしました。

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帰国後、ドタバタの1週間

2024-06-09 06:23:02 | 旅行

 地中海クルーズから帰った2日後、その余韻に浸る間もなく朝からNPOの関係でお出かけでした。ところが、その翌日、横浜の次男君一家が年休消化(?)のためとかで、急に2泊3日の日程でやってくることに。ところが我が家は長旅から帰ったばかりで受入準備ができていません。急遽、三田にある神戸フラワーパークホテルに出かけることにしました。
 このホテルは遊園地や温泉、道の駅などが併設されているため、4歳の孫娘も楽しめ、私たちも長旅の疲れを癒すことができます。ますます大きくなった孫娘と楽しい一日を過ごした後、翌日には元気に横浜に帰っていきました。
 その翌日は、終日NPO関連の会議で潰れましたが、さらに次の日には週末に開かれる母の50回忌法要のため島根の実家に向かいました。久しぶりに岡山で特急「やくも」に乗りました。なんと381系から新型車両に模様替え。快適な列車の旅を楽しみました。
 とは言え、先月下旬から出ずっぱりです。途中、生山駅で下車し、中国山地の山奥にある小さな温泉宿でひと休みしました。何年かぶりでしたが、女将さんに温かく迎えていただきました。
 露天風呂で疲れを癒したあとは、囲炉裏を囲んで山菜料理や岩魚やニジマスなどを肴に、純米吟醸「七冠馬」「深山の香」をいただきながら森の夜長をゆったりまったり過ごしました。
 翌朝早く実家に向かいました。1年ぶりの帰省です。少子高齢化の波は避けがたく、半世紀前のような賑やかさはありませんが、昔のままの風景が広がっていました。子どもの頃に遊んだ城趾や斐伊川の流れを眺めながら遠い昔のふるさとの風景を思い浮かべました。
 さっそく母の50回忌法要が始まりました。ずいぶん長い時間、お経が続きました。・・・・・「もうずいぶん働いてきたんだから、もういいよね」。お経を聞きながら母に語りかけました。すると母が言いました。「もう頑張らなくてもいいのでは」「ゆっくりしてはどう」と。
 法要のあとの宴には十数名の縁者が集いました。私の世代の者が減り、法要のたびに顔ぶれが変わっていきます。そして宴が終わると再び全国に散らばっていきます。こうして「家」は引き継がれていくのでしょうが、代々続く「家」を守るのは大変です。
 かく言う私も、後期高齢者の扉がぼんやりと見えてきて、世代交替の時期を迎えています。そろそろスローライフに軸足を移していくことになります。

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地中海クルーズを楽しむ。

2024-06-02 00:47:06 | 旅行

 穏やかな海を静かに進む大型客船の13階客室バルコニーから果てしない水平線を眺めていたら、カモメが数羽ふわりと浮かんできます。地中海の日没は午後9時過ぎ。ゆったりまったりの地中海クルーズを楽しんできました。
 異国での4泊5日のショートクルーズです。乗客約四千人、乗員スタッフ千数百人。日本人らしき姿はほんとんど見かけず、多言語の会話が終始BGMのように流れていました。
 昼間は観光地を巡り、夜はディナーを楽しんだあと、ショーやアトラクションを見たり、持って来た本を開いたりしてのんびり過ごしました。ちなみに今回のパッケージは、食事と飲みものは一部の例外を除いて全てフリー。船内にある7つのレストランを食べ歩きました。外国人の皆さんの食べっぷりの凄いことに驚きますが、こんな食事を続けていたら体重が増えてしまいそうです(笑)。

ドーハ経由でバルセロナへ

 機中泊とホテル泊を含めて9日間の旅程でした。ウクライナの影響でしょうか、今回は関西国際空港からドーハ経由でバルセロナに向かいました。関空を飛び立ち、中央アジア各国の上空を経てアラビア半島のドーハ空港に着いたのは真夜中。そこで乗り換えてバルセロナに向かいましたが、こちらの航路もカザ上空は避け、黒海南端をかすめながら進むルートでした。世界の至る所で戦争が繰り広げられている現実を思いました。

須賀敦子の世界、古代ボエニ戦役の足跡を思い浮かべる

 イタリア上空にさしかかったところで航路マップを見ると、ディスプレイ上に東からトリエステ、ベネチア、ミラノの位置が確認できました。ぼんやりと須賀敦子の世界を思いました。
 今回巡るバルセロナ、ニース、フィレンツェ、サンジミニャーノ、ローマに加えて数年前に訪ねたシチリア、さらにアフリカ大陸が視野に入ってくると、帯同した塩野七生のローマ人の物語「ハンニバル戦記」の世界が透けて見えてきます。(笑)
 その昔、カルタゴ(現在のチュニジア共和国チュニス界隈)の若き司令官ハンニバルは、数万の兵士と象の部隊を引き連れてスペインに入り、極寒のアルプスを越えてイタリアに攻め込んだと言います。そう言えば、スペインや南フランスにも古代ローマの遺跡が点在していました。

バルセロナ、ニース、フィレンツェ、サンジミニャーノ、ローマを観光

 スペイン第二の都市バルセロナは美しい街でした。この時期、街のあちらこちらでジャカランダの花が咲いていました。
 圧巻は何と言っても1882年着工後いまだ建設が進められているサグラダ・ファミリアでした。ガウディ没100年にあたる2026年の完成をめざして急ピッチで工事が進んでいます。教会内には陽の光がステンドグラスを通して美しく輝き、敬虔な雰囲気に包まれていました。
 翌朝カンヌ港に入港後、カンヌ国際映画祭が終わったばかりのニースに向い、南フランスの美しい海岸と旧市街地をのんびり散策しました。
 たまたま旧市街地の広場で骨董市が開かれていました。じっくり品定めする時間はありませんでしたが、店先の品の色彩が美しく日本の弘法市とは全く異なる風景が広がっていました。
 3日目はイタリアのリボルノ港に入港後、バスでフィレンツェ観光に出かけました。
 旧市街地を散策したあと、ミケランジェロ広場から眺めたフィレンツェの街は、私の心の奥にしまっていた風景を再び蘇えさせてくれました。
 4日目は、リボルノ港からバスでトスカーナにあるサンジミニャーノに向かいました。城壁で囲まれた中世の小さな街並みを今に伝える観光地です。
 そして最後はローマです。チヴィタベッキアに入港すると、大型客船とはお別れです。下船手続きを済ませてバスの乗ってローマ市内に向かいました。ローマでの滞在はおよそ1日半。2階建バスに乗って古代ローマの史跡を巡り、コロッセオやフォロロマーノ、トレビの泉、スペイン広場、サンタマリアマッジョーレ教会などを見て回りました。

 クルージングの海外旅行は今回が初めてでした。美術館などをじっくり見て回る余裕はありませんでしたが、街の風景と空気感を楽しむことができ、初老の夫婦にとっては快適な船旅でした。観光地の移動は基本的にバスですから通常のツアーよりも歩く距離は短く、足膝が悪い家内も何とか歩き通すことができました。旅の最終日、当初出かけるのを躊躇していた家内と美味しいワインをいただきながら話しました。後期高齢者になる前に、次は北欧から英国に至るクルージングを楽しもうと。今後の膝の具合と相談になります。どうなることやら。

※6月1日の夕刻、帰ってきました。ずいぶん長文になってしまいましたが、この旅行記はローマ空港から関西国際空港に向かう飛行機の中でスマホのメモ帳に綴ったものです。時差ぼけもあって眠れないので、予定を早めて本日ブログを更新させていただきました。

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近鉄週末フリーパスで伊勢志摩を満喫

2024-04-05 20:38:13 | 旅行

 春の陽気に誘われて(奥様のお誕生日祝いも兼ねて)、近鉄週末フリーパスを手に伊勢志摩に出かけてきました。初日は大阪・鶴橋から伊勢市に向かい、伊勢神宮の下宮と内宮をお参りしてきました。ちょうど桜の開花宣言が発表された頃で、境内の桜もやっとお目覚めのご様子でした。
 お参りしたあと、五十鈴川駅まで戻り今度は鳥羽へ移動。初日のお宿は、3日前にネットで予約したばかりの民宿美浦荘です。浦村の牡蠣料理に旬鮮船盛+煮魚という老夫婦には食べきれないほどの美味しいお料理をいただきました。温泉はありませんが「牡蠣エキス風呂」があって、それがなんとも言えない肌触り。身体の芯から温もることができ、このところお疲れ気味の心身を癒すことができました(笑)。
 翌日は、以前から気になっていた松阪に向かいました。駅から徒歩で15分ぐらいでしょうか。松阪城址が見えてくる途中、観光交流センターに立ち寄りました。江戸時代の参宮街道の賑わい、本居宣長、三井高利(豪商三井家の祖)をはじめ情報の流通が生んだ豪商たちを紹介する映像を20分ほど拝見して、この町の成り立ちをお勉強したあと、本居宣長記念館をめざしました。(下の写真は記念館で購入した本居宣長記念誌の表紙)
 私が宣長の存在を身近に知ったのは、まだ現役の頃でした。仕事が終わったあと立ち寄った古本屋さんで小林秀雄著「本居宣長」と出会いました。当時、小林秀雄に関心があったということもありますが、600頁にも及ぶ難しそうな本なので、すべてを読み通す心の余裕も時間もない忙しい頃でした。かすかに、松阪の商家小津家の出で、京都に学んだあと医者になり、同時に日本人の心を追い求めた国学者でもあったことを知りました。とりわけ印象に残っているのは、山桜を愛した人であったということです。こんな言葉があります。

花はさくら、桜は、
山桜の、葉あかくてりて、
ほそきが、まばらにまじりて、
花しげく咲たるは、
又たぐふべき物もなく、
うき世のものとは思われず
(『玉勝間』「花のさだめ」)
 
 自分のお墓には山桜を植えてほしいという遺言を残すほどに桜を愛した本居宣長でした。企画展では、その遺言と現在の写真を見ることができました。また、筆で書き記した様々な著作物を見ながら改めて文字の保存、デジタルとアナログのことについて考えてしまいました。記念館を出たあとは、12歳から72歳まで住んでいたという本居宣長旧宅(移設)を訪ねて帰途につきました。
 二日目のお宿は、2日前に予約した湯の山温泉のアクアイグニスというお洒落なお宿です。松阪から四日市駅に向かい、そこで湯の山線に乗り換えて湯の山温泉駅をめざしました。千三百年前から続く鹿が自らの傷を癒しに来たという名湯・湯の山温泉でほっこり時間を過ごしました。
 行き当たりばったりの旅行とは言うものの、さすがに老夫婦です。最終日にもう一カ所訪ねる計画をもっていましたが、さすがに疲れました。のんびりと朝湯に浸かったあとは帰り支度とあいなりました。と言いながら、四日市まで戻ったところで、その日の夕食のためにと新鮮な海産物を買い求め、特急列車「ひのとり」に乗って帰ったのでした。

 こうして2泊3日の小旅行は終わりました。近鉄週末フリーパス(土日を含む3日間)4,400円(特急料金は別。4月から5000円に値上げ)に対して、実際に乗った区間の乗車料金が7,590円相当ですから、ずいぶんお安く楽しむことができました。さあて次回はどこに行こう。

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お上りさんの東京見物(その8)~ソレイユの丘、箱根、ゴッホ展

2023-11-04 13:49:28 | 旅行

 第五十四候霜降末候「楓蔦黄」(もみじつたきなり)。....ブログを更新しないで2週間が経つ間に、街のあちらこちらで秋の風情が深まってきました。といっても庭の楓はまだ色づき始めたところです。これから日に日に深まってくるのでしょう。

 先週、3泊4日で横浜・東京に出かけてきました。今夏、横浜の次男君一家が帰省する予定だったところ、孫娘が急に体調を崩して適わなかったことから、NPOの仕事がひと段落したこの時期、こちらから訪ねたのが今回の小旅行でした。それならと、東京の長男君一家も子の塾の合間を縫ってやってきて、先週土曜日は10名が勢揃い。横浜ランドマークにある鼎泰豊さんで夕食会でした。
 翌日曜日は、次男君一家と三浦半島にあるソレイユの丘に出かけました。遠くに相模湾、富士山を望む岬に立つ「長井海の手公園ソレイユの丘」(入園料無料)です。 広い園内にコスモスの花が咲き誇り、野菜の収穫、動物とのふれあいなどを満喫できる公園で、これまでも何度かおじゃましたことがありました。この日は孫娘と一緒にお芋と人参の野菜収穫体験をしたあと、いろんな遊具で遊び、BBQを楽しみました。
 夕刻、次男君一家とお別れをすると、錦糸町のホテルに向かいました。リタイアして以後、東京で泊まるのは墨田区錦糸町か両国が定着しています。大通りから少し街中に入ると、下町の風景をぼんやり体感できるのも良し。東京スカイツリーが真正面に見え、国技館やすみだ北斎美術館、亀戸天神も比較的近場にあります。
 土日を子や孫と過ごした後は、老夫婦「お上りさん」の珍道中です。翌日は、はとバス「黄金色の海が広がる箱根仙谷原のすすき草原と芦ノ湖周遊」に出かけました。47回目の結婚記念日を迎えたこの日、かつて旅したのも伊豆、富士五湖界隈でした。
 芦ノ湖で遊覧船に乗ったり、箱根駒ケ岳ロープウェイで山頂に登り富士山を眺めたり....。いろいろな角度から富士山の雄姿を眺めていると、数年前に旅したシチリアのエトナ火山を思い出しました。そして最後は仙石原すすきの原に立ち寄り、秋の深まりを肌で感じた一日でした。
 最終日は、新宿にあるSOMPO美術館で開催中のゴッホ展「ゴッホと静物画~伝統から革新へ」に出かけました。日本の美術館には珍しく、一部の作品を除いてすべて写真撮影OK。ゴッホだけでなく、ドラクロワ、ラトゥール、ピサロ、ルノワール、マネ、モネ、ゴーギャン、セザンヌ、シャガールなどの静物画にもお目にかかることができ、お得感満載の展覧会でした。
 夕刻の飛行機の時間まで少し時間がありましたので、近くに聳える東京都庁にも立ち寄りました。何度かおじゃましていますが、今回もまずは32階の食堂で昼食。頼んだのは「都庁ラーメン」(590円)でした。ちなみに奥さまは「柳川丼」(600円)でした。
 その後、いったん1階まで下りて、専用エレベーターで42階の展望台(無料)に向かいました。都内を一望でき、「お上りさん」には打ってつけの観光スポットですが、この日は外国人観光客がおおぜい押し寄せていて、外国にいるような雰囲気でした。
 このあと、羽田のビアレストランで喉を潤してから伊丹に向かいました。
....今月半ばには、四国八十八カ所遍路の旅が待っています。今回が最終回で結願です。来月に高野山にお礼参りをしてこの1年間の締めくくりとなります。

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年の瀬を迎えて、心は「ゆく年くる年」

2022-12-28 19:40:45 | 旅行

 年末の大掃除の合間を縫って、今日は近くのお不動さんで行われた「納め不動特別大護摩供厳修」に行ってきました。それが終わると本堂前の広場では「柴灯大護摩供厳修」、山伏姿の僧侶たちが中央の炉壇で燃え上がる炎の中に、願い事が書かれた壇木と護摩木を投げ入れるお焚き上げです。「ゆく年」に感謝しつつ「くる年」の心願成就を願いました。
 ところで、先週に続いて今週も一泊二日の旅行に行ってきました。北陸・山中温泉です。先週末、ずいぶん雪が降りましたから一時どうなることかと思いましたが、雪もおさまり晴れ間がのぞく旅日和。地面のいたるところに30センチ前後の積雪はありましたが、良いお天気に恵まれました。遠くに雪景色を眺めながら露天風呂に浸かり、地酒を楽しみ、ほっこり時間を楽しみました。
 旅行のメインは、雪の永平寺を尋ねることでした。2日目の朝、片山津温泉→山中温泉から永平寺に至る1日1往復の大型観光バス「永平寺おでかけ号」に乗って向かいましたが、月曜日だったからでしょうか、なんと行きも帰りも乗客は私たち2人だけ。申し訳ない気持ちになりましたが、贅沢なバスの旅でした。それでも永平寺に着くと参拝客で賑わっていました。いろんなアクセスがあるということなんでしょう。
 曹洞宗大本山「永平寺」は、1244年に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。吉祥閣から長い階段を登って僧堂、仏殿、法堂、承陽殿、大庫院、山門の順に見て回りました。一般的な寺院に見られるような煌びやかさはありませんが、凛とした空気があたりに充満し、物質世界とは異なる「精神世界」に包まれて身が引き締まる思いがいたしました。
 時々、修行僧とすれ違いますが、中には外国人の青年僧の姿もありましたし、参拝客の中にも外国人の方々をちらほら。なんとなく高野山に似た空気感がありました。
 修行僧の方々は、冬の寒い時期なのに法衣をまとい修行に励んでいらっしゃいます。修行僧の一日は、「坐禅」、朝のおつとめ「朝課」、作法に則り食事をいただく「行鉢」、そして回廊の雑巾がけなどをする「作務」があると、パンフレットには記されてありました。
山門まで行くと、恐ろしげな顔付きの四体の四天王(南方増長天王 西方廣目天王、北方多聞天王 東方持国天王)が出迎えてくれます。
 あたりの雪景色に目を移せば、高い杉木立の傍らに鐘楼があります。大晦日の夜、NHK「ゆく年くる年」で時々登場する鐘楼です。しんしんと雪が舞う中で新年を迎える映像が脳裏をかすめますが、この日は数日前の残雪が心を和ませてくれました。
 そうそう、今回の小旅行には、玉岡かおるの長編歴史小説「帆神~北前舩を馳せた男 工楽松右衛門」を連れていきました。特急サンダーバードの車中やホテルでほっこりしているスキマ時間を見つけては頁をめくっていました。
 1年前に発行されたのですが、なかなか文庫本化されないので、出がけについつい単行本を買ってしまいました。この年末年始のうちに読みたいと思いながら、明日からは三々五々、子や孫たちがやってきます。読書どころではありません(笑)。
 最後の最後まで落ち着きのない生活が続いていますが、ブログ「心の風景」の年内の更新はこれをもって終了します。お越しいただいた皆様には、いつも他愛ない記事をご覧いただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いをいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください!

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初冬の奈良「長谷寺」参り

2022-12-20 13:22:50 | 旅行

 先日、思うところあって4年ぶりにお伊勢参りをしてきました。近鉄伊勢市駅で下車して伊勢神宮外宮をお参りし、次はバスに乗って内宮に向かいましたが、お天気にも恵まれ年末の慌ただしい時期にもかかわらず多くの皆さんがお越しになっていました。
 お参りしたあと、家内は「おかげ横丁」のとあるお店に予約しておいたお正月飾りを30分ほどかけて仕上げました。そのあと鳥羽の温泉宿に泊まって寛ぎましたが、なんと同じ日のほぼ同じ時間帯に知人もお伊勢参りしていることを、その夜LINEで知りました(笑)。
 大阪から伊勢に向かう途中、奈良県桜井市あたりを走っている車窓から、うっすらと雪化粧した山々を遠くに見ることができました。日本海側に雪が降っているのは出がけのニュースで知っていましたが、ええ?関西でも雪が降っている?
 二日目、大阪に帰る途中、奈良・長谷寺にお参りすることにしました。長谷寺駅に近づくと山肌の日陰に1センチほどの積雪が見え隠れしています。へぇ、雪が積もっているんだ。
 長谷寺は近鉄長谷寺駅から徒歩20分とあります。駅前にタクシーが止まっていたら乗るつもりでしたが、季節外れのお参りですから人っ子一人いません。歩いて向かいました。まずは駅前から急な石段と坂道を下っていきます。その後、初瀬(伊勢)街道との交差点を横切って門前町に向かって進みます。どうやら駅と長谷寺は、山間を流れる大和川(初瀬川)を挟んで両岸の中腹に位置しているようでした。
 やっとこさ仁王門前に到着すると、目の前に写真でよく見る石階段(登廊)が飛び込んできました。登廊の風情を楽しみながら、本堂へ続く399段を登っていきます。
 そしていよいよご本尊の十一面観世音菩薩(写真は長谷寺案内パンフレットから借用)にご対面です。「御身の丈三丈三尺(10メートル余)、右手に錫杖を持ち、平らな石(大磐石)の上に立つ」お姿です。参拝者をやさしく見守る十一面観世音菩薩をただただ見上げるばかりでした。しばし、心温かく心洗われるような空気感に浸りました。
 初めてお参りした長谷寺は、西国三十三カ所観音霊場の第八番目「真言宗豊山派総本山 大和國長谷寺」です。四季を通じて牡丹、桜、紫陽花などが咲き「花の御寺」とも言われていますが、残念ながらこの時季は寒桜が静かにひっそりと咲いていました。
 これで西国三十三カ所観音霊場は15カ寺お参りしたことになります。お参りするたびに感動をいただいて帰ります。
 年明けからは、みたび四国八十八カ所遍路の旅に出かけます。高い宗教心があるわけではないのですが、千年を越えてなお人々に慕われている寺々を廻り、四国の大自然の中に身を置きながら心の安寧を求める。....最近、右膝の調子が芳しくないので、今回は旅行社のバスツアーをベースに、気候と体調の様子を見ながら可能ならば歩き遍路を交えて3回目の結願を果たしたいと思っています。

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三泊四日で神奈川、東京の街の風景を楽しむ

2022-11-25 23:02:21 | 旅行

 今週はあっという間の1週間でした。月曜日に横浜に向かい、その翌日には鎌倉の鶴岡八幡宮で孫娘の七五三を祝い、小町通を散策したあと三浦海岸のリゾートホテルに向かい、家族水入らずのひと時を過ごしました。
 その翌日は、三浦半島の農園でみかん狩りと野菜の収穫体験でもしようかと思っていましたが、なんと朝から雨。予定を変更して神奈川県立近代美術館葉山館の特別展「マン・レイと女性たち」に向かいました。そのあと横浜のみなとみらい界隈を散策して次男君一家とお別れしました。
 その夜、爺さん婆さんは品川のホテルに一泊し、翌日は婆さんのたっての希望でホテル雅叙園東京に向かいました。お目当ては現在公開中の映画「線は、僕を描く」の舞台となった百段階段「色彩空間で観る水墨画の世界」を見学すること。そして美味しいランチをいただくことでした。
 そんな駆け足の旅でしたが、孫娘の七五三を除くと二つだけ印象に残っていることがあります。そのひとつが「マン・レイと女性たち」です。近代美術館のHPには「芸術家として歩み始めたニューヨーク、シュルレアリスム運動に参加し写真活動を開花したパリ、第二次世界大戦を逃れ移住したハリウッド、晩年に再び戻ったパリの4章で構成。絵画、彫刻、オブジェなど多様な作品からマン・レイの生涯を辿る」と紹介されています。私にとっては馴染の薄いシュルレアリスムの世界ですが、今年に入ってフランス文学講座で話題になることが多々あり、実はきょうの講座も詩人アポリネールがテーマでした。この歳になってもまだまだ知らないことばかりです。
 もうひとつは江戸のお話しです。目黒駅から歩いてうろうろしながら雅叙園の玄関口に辿り着いたとき、何やら妙な看板に目が留まりました。見ると「お七の井戸」とあります。いわく、「八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜1万日の行を成し遂げた。明王院という寺院は、現在のホテル雅叙園東京エントランス付近から庭園に架け1880(明治13)年頃まであった。この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前に、お七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている」とありました。
 このお話しは井原西鶴の「好色五人女」に取り上げられ、歌舞伎や文楽などで上演されていますが、私も何年か前に国立文楽劇場で観たことがありました。なんとも江戸らしいお話しではありませんか。
 雅叙園から送迎バスで品川駅に向かう途中には、都会のど真ん中を流れる目黒川沿いに紅葉真っ只中の桜並木が見えました。春の桜花の季節にはさぞ美しい花を咲かせてくれるのでしょう。川沿いはコンクリートで固められていますから寂しい感じはしますが、これまた江戸の風景を垣間見る思いがいたしました。
 以上、ドタバタの3泊4日の神奈川、東京の旅でしたが、いろいろ思うことの多い秋の旅でもありました。これで年内の長旅は終了です。

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青森小旅行 ~ 大自然と棟方志功の世界に魅せられて

2022-09-02 13:20:18 | 旅行

 8月の末、二泊三日で青森に行ってきました。朝早く家を出て青森駅前に到着したのが10時半。いつものJALパック利用(飛行機と宿所の手配のみ)です。連泊する酸ヶ湯温泉に行くまで少し時間があったので、まずは棟方志功記念館を覗いてみました。
 特段に熱い思いがあったわけではなかったのですが、ちょうど夏の企画展「模様化の魅力~大自然・縄文」を開催中。30分ほどビデオを見たあと作品のひとつひとつに接していると、ついつい棟方作品に見入ってしまっている私がいました。
 作品名に「頌」とか「柵」の文字が多いので、どういう意味なんだろうと思っていたら「柵」について棟方の言葉が紹介されていました。「四国の巡礼の方々が寺々を廻られるとき、首に下げる、寺々へ納める廻札、あの意味なのです。この札は、ひとつひとつ自分の願いと信念をその寺に納めていくという意味で下げるものですが、わたくしの願所にひとつひとつ願かけの印札を収めていくということ、それがこの柵の本心なのです」。お土産に、飾れるはがき「『追開心経頌』より『自在の柵』」(1957年作)を買って帰りました。
 一方では、フィレンツェのウフィツィ美術館でみたボッティチェリ「ビーナスの誕生」に感銘を受けて制作した「貝族の柵」、ベートーヴェンの運命をテーマに制作した「運命頌」など、棟方ならではの自由奔放さを垣間見ることもできました。
 駅前に戻って、お昼に「のっけ丼」をいただいたあと、いよいよ送迎バスに乗って酸ヶ湯温泉に向かいました。この温泉を拠点に3日間、中日は奥入瀬、最終日は八甲田山に寄って帰阪、そんな小旅行です。
 酸ヶ湯温泉は、江戸時代から湯治客で賑わうレトロな温泉旅館でした。意外にも棟方志功が生前よく訪ねた温泉で、館内のいたるところに棟方の作品、写真などが飾られていて、午前に尋ねた棟方記念館を引きずって歩いているかのような錯覚を覚えたりもしました。
 農閑期には湯治客で賑わうのでしょうか。共同炊事場もありました。八甲田山の山懐に位置し、長い間積雪の多い冬場は休業していたようですが、東北新幹線開通と共にバス道の除雪も組織的に行われるようになり、現在では年中営業に代わっています。私にとってはもう一度行きたい温泉地候補となりました。
 奥入瀬は、若い頃に一度来たことがあります。今回は、宿から十和田湖行きの路線バスに乗ってブナ林を走って1時間、奥入瀬に到着です。一日に二往復しかない路線バスですので、銚子大滝バス停で下車、しばし散策したあと、折り返しバスに乗って奥入瀬渓流館まで戻り、そこで昼食を兼ねて小休止。14:40発の2便目のバスに乗って15:38に酸ヶ湯温泉に戻りました。あとは、温泉に入って疲れを癒し、美味しい地酒に酔いしれました(笑)。
 最終日は、宿の前から青森駅行きの路線バスに乗って八甲田山ロープウエイ駅前に向かいました。なんと八甲田山というお山はなく、いくつもの連なる山々を総称して八甲田山というのだそうです。標高1500メートルほどの山頂に着くと、遠くに津軽富士と言われる岩木山を望むことができました(写真では山頂が雲に隠れて見えません)。
 山頂では、青い森ネイチャーガイド協会のガイドさんに30分ほど自然遊歩道に沿ってご案内いただきました。ずいぶんなお歳のガイドさんでしたが、八甲田山をこよなく愛する方で詳しく説明していただきました。
 遊歩道の脇に、紫色のきれいな花が咲いていました。Googleレンズで調べたら、なんと悪名高いトリカブトでした。
 山を下り青森駅まで戻ったところで、空港行きバスの出発時刻まで暫し市内を散策しました。かつての青函連絡船が係留されている陸奥湾遊歩道の柵の上では1羽のカモメが羽休みをしていました。 こうして青森の大自然を堪能した小旅行も終わりました。清々しい空気感、気持ち良い温泉、そして美味しい食事と地酒。これを機に東北の街々をもう少し巡ってみたいと思うようになりました。

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