心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

南方熊楠生誕150年

2017-06-30 21:04:09 | Weblog

 昨夜、ずいぶん雨が降りました。雷も凄かったようですが、寝つきの良いわたしは夢の中でした(笑)。朝起きても天候がすぐれず、きょうは一日中、家の中で静かに過ごしました。梅雨ですからね、仕方ありません。ところが、お昼の2時を過ぎたあたりから、周囲が明るくなって、あっという間に青空がひろがりました。それでも、机上のラジオは、今夜から明日にかけて雨が降ると言っています。どうなんでしょうね。
 さて、先日の日曜日に、伊パレルモ・マッシモ劇場の日本公演に行ってきました。お目当ては、アンジェラ・ゲオルギュー(ソプラノ)が歌うプッチーニの歌劇「トスカ」です。前回ゲオルギューにお目にかかったのは、12年前のソロ・コンサートですから、ずいぶんご無沙汰をしていたことになります。(注:記事「ゲオルギューに感動」2005.11.20付)。そのときも大盛況でしたが、今回も素晴らしい歌唱力を存分に楽しませていただきました。アリア「歌に生き、恋に生き」、二重唱「このやさしい手」などは、年甲斐もなく感動するばかり。幕が降りたあと十数分間にわたって満場の拍手が鳴りやみませんでした。
 ゲオルギューのどこに魅力を感じるかって?力むのではなく、まさに語りかけるように自然体の豊かな歌唱力、そこに惹かれてしまいます。もちろん、カヴァラドッシ役のジョルダーニ(テノール)、男爵役のカターナ(バリトン)も素晴らしかった。オペラに馴染みのない家内も、吸い込まれるように見入っていました。帰りがけ、フェスティバルホール地階のパブでビールをいただきながら、会話が弾んだことは言うまでもありません。
 ここでやっと本題に入ります。火曜日の夜、京都河原町の丸善であったトークイベント:南方熊楠生誕150年記念『南方熊楠は「民族学者」か?』に行ってきました。ご登場になったのは、龍谷大学の松居竜五先生と京都大学の菊地暁先生。特に松居先生は、著書を何冊か目にしていましたので、興味津々で出かけました。
 研究とは縁遠いわたしにとって、学術書は、小説やエッセイと違い、言葉の定義の確認を含めて著者の考え方を理解するのにひと苦労します。だから、こういうトークイベントで、著者の生の声を聞きながら平易な言葉でお話しを伺うと、難しく考えてしまいがちな言葉の一つひとつが、すんなりと頭の中に入ってきます。言葉と言葉の繋がり、大枠の意味合いがぼんやりと見えてくるから不思議です。熊楠研究について松居先生は、南方熊楠の書庫、南方熊楠とコンピュータ、図鑑の中の宇宙、ロンドン抜書の世界、マンダラと生態系、十二支考という達成、という切り口でお話しになりました。
 南方熊楠については、このブログでも何度かとりあげてきましたが、最初の出会いは鶴見和子先生の「南方熊楠~地球志向の比較学」(講談社学術文庫)でした。どこまで熊楠のことを理解できているかは別にして、長いお付き合いをしています。リタイアが迫った昨年の7月には、わたしにとってはひとつのけじめとして、和歌山県田辺市にある熊楠邸を訪ね、お墓参りもしました。(注:「南方熊楠の墓前に報告」2016.7.16付)
 ことしはちょうど生誕150年という節目の年にあたり、いろいろな事業や行事が企画されています。年初には、オリジナル・フレーム切手「南方熊楠生誕150周年 和歌山が生んだ『知の巨人』」が発売されました。田辺市にある南方熊楠顕彰館では様々な催しが企画されていて、さる5月には田辺市名誉市民の称号が墓前に贈られています。年末から来年3月にかけては、東京上野の国立科学博物館で「現在の科学から見た南方熊楠」をテーマに「南方熊楠展」が開催される予定です。
 新聞・雑誌でも最近、特集記事を目にすることが多くなりました。NHKの「ラジオ深夜便」7月号でも特集されています。そしてなんと、近畿地方では6月28日から「南方熊楠生誕150周年記念 近畿宝くじ」が発売されています。わたしも記念に購入しました。
 ついついモノに拘ってしまいますが、熊楠は、この世の中、あらゆるものが、「心」と「モノ」のまじわりあうところに生まれる「コト」として在ることに注目します。そこに欧米の科学主義・合理主義とは異なる視点、考え方を提示します。単なる生物学者ではない。単なる博物学者でも民族学者でもない。欧米に追いつけ追い越せと四苦八苦してきたわたしたちの考え方に楔を刺すような、そんな大きなスケールで時代を見つめています。先行き不透明な時代だからこそ、そんな熊楠の知見が、いま注目を集めているのでしょうか。
 熊楠は臨終の床で「天井に紫の花が咲いている」という言葉を遺しています。それは夢うつつに現れたセンダンの花だろうと言われています。そのセンダンの木(写真)が熊楠邸の庭にあります。そのセンダンの花に、わたしは5月、京都御所で出会いました。遠目に見るとフジの花のように美しく、木全体が淡い紫色に包まれていました。
 とりとめのないお話しになってしまいましたが、熊楠のことを平易にお話しできるようになるには、まだまだ勉強が足りません。リタイア後も、手を動かし、足を動かし、全身を動かすだけでなく、時には硬直した頭脳を揺さぶるようなテーマを追う。そんな楽しさを味わいながら、これからの老後の生き方の、ひとつのスタイルを形成していきたいと思っていますよ(笑)。

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初夏の北海道小旅行

2017-06-23 22:27:48 | 旅行

 今月の音楽講座は「インプロヴィゼーションを楽しむ~バロックとジャズと」でした。クラシックとジャズのお二人のピアニストにお越しいただき、前半はバロック音楽の通奏低音をテーマに、後半は即興音楽をテーマに、演奏を交えて先生の楽しいトークに耳を傾けました。
 印象的だったのは、キース・ジャレットのザ・ケルン・コンサートの一曲「枯れ葉」と、バッハの「インヴェンション」。原曲からジャズに変化していく楽しさを体感でき、音楽というものの懐の深さを思いました。そういえば、その時なぜかグレン・グールドのピアノ演奏が頭の中をよぎりました。クラシックとジャズの境界線に位置づけられるのかもしれませんね。
 ここで、話題を変えて本題に入ります。今週、初夏の北海道を小旅行してきました。訪ねたのは「大雪山観光圏」といわれる空知・上川・十勝地区です。層雲峡温泉、銀河流星の滝、旭山動物園、美瑛・青い池、ファーム富田、トマム、紫竹ガーデンを、2泊3日の日程で巡りました。北海道旅行も5回目になると、層雲峡温泉や富良野あたりは二度目の訪問になりますが、広大な風景の中に身を置くことで、わたし自身の生き仕方(スタイル)を振り返ることができる、そんなふわっとした開放感が気に入っています。
 今回、印象深かったのは、トマム山の麓に広がる星野リゾート トマムでした。のっぽのタワービルが4棟、他にレストランやプールや露天風呂、レジャー施設が点在し、その間を連絡バスで移動するスケールです。平日にもかかわらず大勢のお客さんで賑わっていました。
 早朝5時から出かけたトマム山(1,239m)の雲海見学では、ゴンドラで15分かけて空中散歩を楽しみ、雲海テラスから遠くの山々を望みます。この日の雲海は、あいにく小規模でしたが、野鳥の囀りを聞きながら、日高、十勝の山々が連なる壮大な風景が、わたしの心を和ませてくれました。
 美瑛の「青い池」も、素晴らしい景色でした。案内板の説明によれば、白金温泉から湧出しているアルミニウムを含んだ水が美瑛川に混じってコロイドを生成し、それが太陽光と衝突して波長の短い青い光が散乱するために青く見えるのだそうです。幻想的な景色に見入ってしまいました。
 3日目に向かった帯広の「紫竹ガーデン」は、1万8千坪のイングリッシュガーデンです。観光地化した富良野と違い、素朴なお花畑が素敵でした。「こんなところで働けたらいいのになあ」というのが、初老の夫婦の会話でした。(笑)
 昨年、孫君たちが行った旭山動物園は、動物たちの行動や生活を見せる「行動展示」を導入したことで全国的に注目を集めた動物園です。わたしも童心に帰って、いろいろな動物たちを見て回りました。この時期のお客さんは、子どもよりも、外国人観光客とシニア世代の旅行客で賑わっていました。
 こうして2泊3日の小旅行は終わりました。帰りは羽田経由の伊丹空港行の飛行機でしたが、羽田で時間待ちをしていると、後ろから「〇〇さん」という声がしました。総合文化コースの同僚女性でした。聞けば釧路湿原に行ってきた帰りだと。実は昨年ドイツ旅行に行ったとき、ケルンのケーキ屋さんでお茶を飲んでいるときに偶然出会ったのが、その女性でした。奇遇とはいえ二度目の遭遇にお互い驚きました。彼女は今秋スイスに行く計画のようですが、わたしは北米ですから、三度めの遭遇はないのでしょうよ。きっと。

 
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初夏の京都・宇治界隈、そして.......。

2017-06-17 21:25:33 | 歩く

 今週は出かけることの多い一週間でしたので、珍しく2日連続のブログ更新です。まずは先日、仏像鑑賞会の催しで京都は宇治に行ってきました。関西人にとっては定番のコースですが、ボランティアガイドさんの説明を聞きながら、平等院(1052年創建)で平安時代後期の阿弥陀如来座像とご対面、そのあと鳳翔館で雲中供養菩薩像ほかを鑑賞しました。
 午後は、宇治上神社にお参りしたあと、平等院から敦賀を経て大陸を見通す「北陸古道」を歩いて三室戸寺(770年創建)に向かいました。この日の気温は30度。汗をかきながらも、時折心地よい微風に励まされ気持ちの良いウォーキングができました。
 三室戸寺は、昨年もこの時期におじゃましたお寺です。梅雨入りしたのにいっこうに雨が降らない時節柄、アジサイも元気がありません。それでも、精一杯の姿を披露してくれました。
 三室戸寺は西国三十三霊場のひとつ、10番札所です。正式には「明星山三室戸寺」といい、創建は770年、ご本尊は千手観世音菩薩です。なにやら四国八十八カ所のようです。納経所で「納経帳」を求め、一筆したためていただきました。西国三十三霊場は近畿一円に点在していますから、これからはお参りするたびに朱印をいただくことにいたします。
 
 そしてきょうは、大阪市中央区今橋の大阪倶楽部(1924年竣工)におじゃましました。1920年代の大阪建築界のホープである安井武雄(片岡建築事務所)の初期の作品で、大正モダニズムの名建築と言われています。 実は、読売新聞社「わいず倶楽部」が参加者(定員20名)を募集していた、「大阪倶楽部での午後の室内楽&館内見学」に当選したからです。大阪倶楽部の歴史を聞いたあと、館内をいろいろ見て回りました。ちょっとした調度品に大正昭和の香りを感じました。
 4階のホールで開催された「午後の室内楽」は、ヴァイオリンの中田潔子さん、チェロの渡邉辰紀さん、ピアノの山本美穂さんのピアノ三重奏で、バッハのシャコンヌ、フォーレの「夢のあとに」、ラヴェルのピアノ三重奏曲などを楽しみました。およそ300名ほどの方々がお集まりでしたが、わたしは最前列の演奏者の前に陣取って聴き入りました。

 最後に余談をひとつ。きのう内視鏡検査を受けました。朝の9時から始まって、終わったのは午後1時前。モニターに映し出される大腸の中を眺めていると、自分が「生き物」であることに改めて気づきます。
 先生から「きれいですねぇ」と言われながら見入っていると、「あれっ」と先生の手が止まります。素人でもわかるポリープが数個あります。「4ミリほどだから、どうだろうねぇ。とりあえず生検(組織採取)しておきましょう」と。4年前より数が増えています。さあてどうなんでしょうね。乞うご期待ということにしておきましょう(笑)。

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ヴォーリズ建築を訪ねて

2017-06-16 21:35:10 | 歩く

 美術講座で水彩画のお勉強を始めました。小中学校以来、お絵描きの世界とは縁がありませんが、なんでも挑戦してみようと、画材を揃えて授業に臨みました。入門的な講義を聴いたあと、まずは鉛筆で自分の手を描いてみる。次に、持参したモチーフを描いてみる。理屈ではなく、描く対象と真正面に向きあって感じたままを描く.....。なんとなく面白くなってきました(笑)。この秋から、ご指導いただいた先生の水彩画教室に通ってみることにしました。だめですねえ。関心が次から次へと広がってきて(笑)。
 絵を上手に描くことはできなくても、絵を観たり、歴史的な名建築を体感するのが好きな私です。今月の街歩き企画は「ヴォーリズ建築」をテーマに、兵庫県西宮市の関西学院大学と神戸女学院大学におじゃましました。
 まずは関西学院大学の上ヶ原キャンパス。ここには時計台をはじめヴォーリズ設計の建物が16棟もあります。そのコンセプトは「赤い瓦屋根とクリーム色の外壁を特徴とするスパニッシュ・ミッション・スタイル」でした。
 時計台2階の大学博物館におじゃますると、窓の形がいかにもヴォーリズらしく、また、窓ガラス自体にも趣きがあって、古き良き時代を彷彿とさせます。過去何度かおじゃましたことのある大学ですが、いつ来ても素晴らしいキャンパスでした。ちょうどこの日は、ランバス記念礼拝堂で結婚式が行われていました。
 関西学院大学の正門を出てしばらく歩くと、神戸女学院大学が見えてきます。実は7年前、東京出張の折に空き時間を利用して、エッセイストの須賀敦子さんが学んだ聖心女子大学を見学に行きましたが、正門で守衛さんに制止された苦い経験があります(参考:2010年1月31日付記事「有栖川記念公園界隈」)。もちろん今回は事前に見学の申し込みをさせていただきました。
 案内パンフレットによると、神戸女学院は、神戸山本通からこの岡田山キャンパスに移転するにあたり、1929年、新校舎の設計をヴォーリズ建築事務所に委託しています。ヴォーリズの妻である一柳満喜子が神戸女学院ピアノ科の1期生だったこともあり、ヴォーリズは特別な思いを込めてキャンパス全体の設計にあたったのだそうです。
 その設計思想は、「美しい心を育むための品格ある建築」「建物それ自身が生徒の上に積極的影響を及ぼす」ものだったとか。「学舎が教育する」というヴォーリズの思想が、神戸女学院のリベラルアーツ教育の理念と合致すると謳っています。
 図書館、総務館、文学館、理学館に囲まれた内庭、そして礼拝堂、講堂。そして廊下と階段。どれひとつとっても、ヴォーリズらしい心配りが感じられる温かみのあるキャンパスでした。
 12棟の建物が国の重要文化財に指定されています。戦時中には、校舎を徴用されたり、調度品に用いられた鉄類を供出させられたり、焼夷弾の被害を受けたりもしたそうです。近年では阪神大震災でも被災しましたが、その都度改修を重ねてヴォーリズ建築を守り、それを教育の場として今も活用されています。そんな大学の姿勢に好感をもちました。素晴らしい大学でした。
 若い頃、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学、バーミンガム大学、ロンドン大学、ローマ大学、ナポリ大学、ジュネーブ大学、ハイデルベルク大学、ゲーテ大学、パリ大学ソルボンヌ校などを、急ぎ足で巡ったことがあります。広大なキャンパスにある大学、街の中に溶け込む大学、様々な大学の在り様を見て回りましたが、どの大学にも確固とした設計思想がありました。ちなみに、今秋計画しているカナダ・アメリカ旅行では、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学にも立ち寄る予定です。 

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満願成就~四国八十八カ所遍路の旅

2017-06-11 13:43:38 | 四国遍路

 昨年7月から毎月でかけていた四国八十八カ所遍路の旅が、先日、結願(満願)のときを迎えました。見よう見まねで始めた遍路の旅でしたが、慣れない般若心経に戸惑いながら、第一番札所・霊山寺をスタートして1年、先日、八十八番札所である大窪寺に到着しました。今回は1泊2日の日程で11カ寺を巡る旅、同行の皆さんには格別のお気持ちが充満していました。もちろんわたしも、四季折々巡り歩いた寺々を思い浮かべながら、最後のお勤めをさせていただきました。
 第八十三番札所・神毫山一宮寺(高松市) ご本尊は聖観世音菩薩
 第七十九番札所・金華山天皇寺(坂出市) ご本尊は十一面観世音菩薩
 第七十八番札所・仏光山郷照寺(宇多津町)  ご本尊は阿弥陀如来
 第八十一番札所・綾松山白峰寺(坂出市)   ご本尊は千手観世音菩薩
 第八十二番札所・青峰山根香寺(高松市)   ご本尊は千手観世音菩薩
 第八 十 番札所・白牛山國分寺(高松市)    ご本尊は十一面先手観世音菩薩
 第八十六番札所・補陀洛山志度寺(さぬき市)ご本尊は十一面観世音菩薩
 第八十五番札所・五剣山八栗寺(高松市)    ご本尊は聖観世音菩薩
 第八十四番札所・南面山屋島寺(高松市)  ご本尊は十一面先手観世音菩薩
 第八十七番札所・補陀洛山長尾寺(さぬき市)ご本尊は聖観世音菩薩
 第八十八番札所・医王山大窪寺(さぬき市) ご本尊は薬師如来
 朝の7時40分に小雨降る大阪・梅田を出発したバスが最初に向かったのは高松市の一宮寺でした。仏教が伝来して約160年後に創建されたという古い歴史をもつお寺です。みんなで気を引き締めてお参りをしました。本堂前に薬師如来が祀られる小さな祠がありました。石扉の中に頭を入れると、地獄の釜の煮えたぎる音が聞こえるのだそうです。悪いことばかりしている人が頭を入れると抜けなくなるという言い伝えもあります。さっそく頭を入れてみると、確かにゴォーという音が聞こえてきます。でも、頭が抜けなくなることはありませんでした。(笑)

 次に向かったのは天皇寺でした。鳥居をくぐって左に歩を進めると本堂と大師堂があります。平安時代末期、保元の乱に敗れ、この地で亡くなった崇徳天皇の亡骸がしばらくこの寺に安置されていたそうで、隣接する白峰宮には、皇室の印をつけた馬の立像がありました。
 郷照寺がある宇多津町は、塩の産地として知られています。そんな讃岐の国に、弘法大師が中国から小麦を持ち帰り、うどんの作り方を伝えたと言われています。讃岐うどんの誕生です。四国霊場唯一の時宗のお寺で、一遍上人が訪れ、念仏道場に定めました。地元では「厄除うだづ大師」として信仰を集めているのだそうです。
 白峰寺は、讃岐平野に聳える5色山のうち白峰に佇むお寺です。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建したと伝えられています。青葉が映え、清々しさが漂う、そんな境内を参拝しました。そろそろアジサイの季節を迎えます。
 根香寺に到着して山門付近の茂みの中に現れたのは、牛鬼の像です。昔、人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいたのだと。それを弓の名手が退治したという伝説です。山門をくぐると、いったん石段で下の参道に下り、少し平地を歩いた後、また石段を登っていきます。小鳥のさえずりを楽しみながら、初夏の陽に輝く明るい青葉の下を歩いて本堂に向かいます。万体観音洞という地下回廊をお参りしました。
 ここで初日の予定は終了。高松市内の温泉宿に宿泊しました。同宿者は5名。上は82歳、下は62歳。これまでにも何度かお目にかかった方々でしたので、ひと足早く結願を祝して乾杯、遅くまで語り合いました。
 翌朝7時40分に宿を出ると、まずは國分寺に向かいました。奈良時代に聖武天皇が全国に建立した国分寺のひとつです。昔の県庁所在地のようなものですから、開創当時はずいぶん広い敷地の中に本堂などが点在していたのだろうと思われます。
 大師堂で住職のお話しを聞く機会がありました。こちらでは四国霊場開創千二百年記念事業として、弘法大師の大日如来像再現活動を行っています。いまは現存しない「蓮華座の八方に獅子を置く」「光背に金剛界三十七尊を備える」「五仏を十字形に配する冠を戴く」、そんな如来像の制作を進めています。その主旨に賛同し、みんなで寄付をしました。
 志度寺の開創は、推古天皇33年(625)にさかのぼります。その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけました。他のお寺と同様に、幾多の困難を乗り越えてきました。ちなみに志度は、本草学者、蘭学者、医者、発明家などとして知られる江戸時代の奇才・平賀源内の古里で、門前の自性院には源内のお墓がありました。
 屋島の東、源平の古戦場を挟み標高375mの五剣山の中腹に、八栗寺はあります。一般的にはケーブルで向かうことになります。弘法大師が唐に留学する前にこの山に登ったとき、8個の焼き栗を植えたところ、無事帰国して再び訪れると、焼き栗が芽吹いていたことから、八栗寺と名づけられたそうです。山の上にある中将坊は、さぬき三大天狗が祀られています。
 山門付近で二人の青年に声をかけました。1番札所から歩いてきたのだそうです。「大変だったねえ」と言うと、「あと少しです」と明るい声が返ってきました。わたしも、青年を羨ましく思う歳になってしまいました。(笑)
 屋島寺は、源平合戦の舞台・屋島にあります。その昔、唐からやってきた鑑真和上が奈良に向かう途中に立ち寄り、屋島台地に一宇を建立したのが始まりなのだそうです。本堂の横には、大きなタヌキの像が二体。聞けば、四国のタヌキの総大将・蓑山大明神になったタヌキなんだと。淡路の芝右衛門、佐渡の談三郎とともに、日本の三大名タヌキと言われているのだとか。その土地その土地で、いろいろな言い伝えがあります。
 ここでいったん昼食休憩。美味しい讃岐うどんをいただいたあと、展望台から瀬戸内海を眺めました。その昔、こんなところで源平合戦が行われました。
 長尾寺の本堂の欄間には箒の彫りものがあります。物覚えが悪いインドのお坊さんが「毎日欠かさず箒で掃き仕事をしなさい」と言われ、来る日も来る日も掃除していたところ、悟りをひらくことができたようです。亡くなったあとお墓にいくと、見慣れない草がはえていました。「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草を茗荷(みょうが)と名づけたという言い伝えです。それがミョウガを食べ過ぎると物忘れするという伝聞の所以だそうです。科学的には全く根拠のないお話しです。先達さんからお聞きしました。
 いよいよ結願の寺、大窪寺です。切り立った岩山の麓にありました。八十八カ所を巡り歩いた日々を振り返りながら、それぞれに深い思いを胸に般若心経を唱えました。歩き遍路の方々にとっては、バスツアー以上に、感無量の思いを抱かれたのではないでしょうか。わたしも白衣の背に、結願証明の朱印をいただきました。この八十八番札所にて、結願記念の集合写真を撮りました。
 そして最後は1番札所・霊山寺に「御礼参り」です。1年前と同じ木下紀宝さん(尼僧)のお出迎えをいただき、みなで般若心経を唱えたあと、法話をお聴きしました。「無事、結願を迎えられたのは、ご家族、ご縁者の方々の支えがあってのこと。みんなに感謝しましょう」「花の種は、オンリーワンの美しい花を咲かせます。他と比べたりはしません。自分にしかないひとつの花を咲かせましょう」「人生あと50年。いずれお迎えが来ます。肩叩きがあったときが、あなたにとっての最適なときです。年齢ではありません」と。最後は、順番に弘法大師像の前で手をあわせますが、その一人ひとりの背中に手を当てて、これからの人生の後押しをしていただきました。 ということで、四国八十八カ所遍路の旅は無事に満願を迎えました。来月は、御礼参りのために和歌山県の高野山にでかけることになります。

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都の御所めぐり(22キロ)

2017-06-03 20:45:11 | 歩く

 今週はふた晩続きで荒天候に襲われました。遠くで雷が鳴ったかと思うと、急に風が強くなり、雨が地面を叩きつける。びっくりです。でも、翌朝は何事もなかったようなお天気。おてんとう様はよほど腹立たしいことがあったのでしょうか........。
 気がつけばもう6月、梅雨の季節を迎えようとしています。昨年末ウィーンで買ったカレンダーの今月の写真はベートーヴェンでした。さあて、ことしはどこに行こう。家内と話し合った結果、昨年予約できなかった紅葉のカナダ&アメリカに行くことにしました。
 さて、明るい青空が広がった昨日は、街歩き企画の下見のため、大阪と京都の中ほどに位置する山崎界隈におじゃましました。あいにく大山崎山荘美術館は工事のため休館中でしたが、世界的にも注目される文化遺産「聴竹居」、千利休ゆかりの国宝茶室をもつ「妙喜庵」などの位置を確認し、歴史資料館などを見て回りました。これにサントリー山崎蒸留所を加えれば、なんとか形になりそうです。初夏の陽光に青葉が映える、そんな街を歩きました。
 「歩く」と言えば先日、京都のウォーキング協会主催の企画に参加してきました。テーマは「都の御所めぐり」。その昔、天皇はじめ皇族方の邸宅だった御所8カ所を巡る22キロの道のりです。朝9時に嵐山中之島公園に集合したあと、嵯峨御所(大覚寺)→御室御所(仁和寺)→花園御所(妙心寺)→花の御所跡→京都御苑(京都御所、仙洞御所)→二条御所→六条御所(長講堂)を経てJR京都駅をめざします。徒歩22キロという距離は、わたしにとっては最長の距離でしたが、なんとか歩き通すことができました。
 まずは嵐山の目抜き通りを通って嵯峨御所をめざしました。行く先々でスタッフの方が御所の案内板を掲げていただけるので助かります。ここ大覚寺は、9世紀に嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住んだところです。般若心経の根本道場でもあります。田植えが終わったばかりの初夏の農道を歩いていくと、日本三大名月鑑賞地として知られる大沢池に到着します。
 次に向かったのは仁和寺です。宇多天皇が仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだことから「御室御所」とも呼ばれています。かの大手電気機器メーカーであるオムロン創業の地でもあります。
 かつて花園御所と呼ばれた妙心寺は、現役の頃、管理職研修の一環として十数名の幹部候補生を連れて座禅研修をしたことがありました。不慣れな正座に難儀し、急には立ち上がれなかったことを覚えています。(笑)
 二条城に隣接する公園で昼食休憩をとったあと、一路北上します。「花の御所」は、同志社大学今出川キャンパスの烏丸通を挟んで向かい側にありました。14世紀の頃、足利義満が造営した将軍家の邸宅「室町殿」ですが、崇光天皇の仙洞御所で、四季の花木を植え、花亭・花の御所と呼ばれていたそうです。知らなかったなあ。
 大学の正門を横目に京都御苑に入ると、京都御所、仙洞御所と通過していきます。そうそう、広大な御苑の一画に人だかり。よく見るとセンダンの花が満開でした。センダンの木全体が淡い紫色に染まっていました。
 京都御苑を出て南下していくと、烏丸御池の京都国際マンガミュージアムのある場所に、かつての二条御所跡(二条殿)がありました。ありますといっても、今は石碑があるだけで、かつての面影はありません。案内板によれば、16世紀の後半、足利義昭の二条城を廃して織田信長の京屋敷として造られたものだそうです。後に信長はこの屋敷を誠仁親王に譲ったことから、以後、二条御所(誠仁親王御所)と呼ばれています。現在の二条城は地下鉄でひと駅ほどのところにあります。
 烏丸通をさらに南下し五条通で東に折れてさらに住宅街を南下していくと、京都タワーが見えてきます。いよいよ最後の御所「六条御所(長講堂)」が、住宅街の一画に突然現れます。後白河天皇の持仏堂なのだそうです。残念ながら、わたしは日本史に詳しくありません。(笑)
 こんな調子で、22キロを歩き通しました。歩き終えたあとの生ビールの旨いこと。仲間としばし歓談をして帰途につきました。この日は先頭集団のスピードに合わせたためか、中間地点を過ぎたあたりから右足の付け根に違和感があり、その日の夜までなんとなく痛みが残りました。今ではすっかり治りましたが、今年中に30キロのペースをつかみ取りたいと思っていますので、これからは股関節のストレッチをきちんとして臨むことにいたします。

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