心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ヒグラシに想う

2007-08-26 10:43:34 | Weblog
 8月最後の日曜日、暑さも幾分和らぎ、肌に清清しさを感じます。それでも、気温は30度。何が違うのかといえば、湿度が違うのです。60%を割っています。耳を澄ますと、蝉の鳴き声もミンミンゼミからヒグラシやツクツクボウシに変わってきています。いろいろなものが、徐々に秋に向かって動き始めました。
 それにしても、ヒグラシのなんともの悲しい鳴き声でしょう。哀調を帯びた声でカナカナと鳴きます。小さい頃から、この季節になると、近くの山から聞こえてくるヒグラシの声は、楽しかった夏の終わりを告げる、そんな思い出があります。夏の暑さに疲れた川面に赤く染まった夕日が映ってみえる、そんな夕暮れどきの場面が浮んできます。人生のなんたるかに思いをめぐらす、なんとも御ませな子供を思いますが、こうしたもの悲しい思いが、今もわたしの「こころ」の奥底には流れています。
 一昨日、仕事の関係で京都に行きました。百万遍界隈の大学で開かれた会合に顔を出したあと、なぜか鴨川河畔に出て、そこから独り歩いて河原町に向かいました。暑かったけれど、なにか昔の頃を思い出して、ときどきベンチに座ったり、木陰に入ったり、余りの暑さに絶えかねて喫茶店に寄り道したり。無意識のうちに35年も前の風景を捜し求めているようでもありました。
 御池あたりで方向を西に変えました。市役所の前を通り過ぎると、小さな古いビルがあります。入り口はなんとも味気ない、というよりも不気味な雰囲気を漂わせたビル。薄暗い入り口を奥の方に入っていくと、これまた薄暗い階段がある。3階に登ると、これまた薄暗い部屋があります。ドアを開けると、無造作に並べられた中古レコードの山。ジャズが多いけれど、一画にはちゃんとクラシックのコーナーもある。わたしより少し年配のおじさんが積み上げられたダンボールの横のレジにいる。先客が2人。一人は若い学生さん、もう一人は年配のレコードファンと思しき紳士。静かに時間が過ぎていきます。
 ふと思いました。ヒグラシのもの悲しさと中古レコード、なにか似ているところがあると。案外、わたしの人生にも通じるところがあるのかもしれません。今回は、シベリウス没後50年にちなんで、シベリウスのレコードを10数枚ゲットして帰りました。きのう1日をかけて陰干しをしたり、レコード盤の汚れを落としたり。きょうは朝から1枚づつ聴きながらブログ更新をしています。
 ところで、今週末から来週前半にかけて中国北京に出張します。次の週の週末は福岡にお出かけです。そんなわけで次回更新は不定期になります。
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57歳の夏

2007-08-19 10:18:28 | Weblog
 暑い暑い「夏」です。気温40.9度なんてとんでもない、と思っても現実にそんな記録を達成したところもある。「最近、何か変だね」というのが我が家の暑い夏の会話の一コマでした。そんな暑い夏に生まれて57年。そう、57回目の誕生日を迎えました。古い昔なら、そろそろご隠居の年齢かと思いますが、本人にはそんな気持ちはさらさらなく、幼稚な世界観のなかで戯れています。
 出産間近い娘も、わたしと同じ夏生まれです。そんな娘の、母親としての仕草・表情を垣間見て、人間の逞しさのようなものを感じました。ちゃんと子供を育てていくのでしょう。きっと。我が家では、ふたりの8月生まれの誕生日のお祝いは、いつも一緒でした。ことしは遠出をするわけにもいかず、家族そろって京都・知恩院にお参りしたあとは、少し足を伸ばして貴船に向かいました。市内との温度差10度前後と涼しく、美味しい川床料理を楽しみました。
 ところで、お盆休みも終わって静かになった昨日、久しぶりに大阪日本橋のLPレコードショップと古書店を散策しました。手にしたのは、「曼荼羅の世界」、「遠野物語を歩く~民話の舞台と背景」そして雑誌「現代思想」創刊号でした。その創刊号の編集後記に、こんなくだりがありました。「いま、ぼくらの周囲には、さまざまな価値観、さまざまな真理像が、バラバラなかたちで、脈絡もなく並存しあっている。そして、このごろ、そのことの不自然さが、多くの人々に指摘されはじめている」。30数年を経て新鮮に感じるから不思議です。創刊第一巻第一号は、1973年1月の発行です。わたしが大学を卒業し社会に足を踏み出す直前の頃にあたります。現在とは異なる形での大学改革(解体)が叫ばれた時代。右から左までの多様な出会いと体験を通じて、混沌とした精神状態のままで、社会に放り出された時代。人生も後半戦に入ると、このあたりを自分なりにもう少し整理しておきたいという焦燥に駆られます。南方熊楠との出会いも、そう。曼荼羅も、記号論も、構造主義も、要するに「さまざまな領域に通底する原点」を見定めたい。そんなことを強く思う歳になりました。
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伊吹山ハイキング

2007-08-12 10:13:51 | 旅行

 お盆休みになりました。海外旅行やお里帰りと、わが街も少し静かになるのかと思っていたら、ふだんよりも子供たちの数が多いのに気づきました。久しぶりにお孫さんたちが実家に帰ってくるご家庭、単身赴任のご主人が帰ってくるご家庭、なにやら賑やかです。昭和40年代後半に開けた街ですから、住民年齢は意外と高く、わたしなどは新参者に属します。といっても、我が家もふだんは夫婦2人だけ。ご近所同様に、この季節になると子供たちが帰ってきます。それに今年は、娘が大きなお腹をして帰ってくるので、だんだんと高齢者世帯に仲間入りすることになります。
 ところで、昨日、気分転換に滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山(標高1,377m)に登ってきました。といっても、山頂駐車場まで車ですから、実質的には100m登っただけです。でも、さすがに山頂です。気温は、麓より10度も低い25度前後。琵琶湖を眼下に眺めながら、心地よい風を楽しみました。この山頂では四季折々の草花を楽しむことができます。たくさんの高山植物が大事に保全されていて、この日もシモツケソウ、イブキジャコウソウ、ルリトラノオ、コオニユリなど美しい草花が、わたしの疲れた「こころ」を癒してくれました。
 実は数日前、FORESTという環境音を収録したCDを何気なく聴いていて、伊吹山ハイキングを思い立ったのです。あまりの暑さに耐えかねてクーラーがフル回転する部屋のなかで、ぼんやりと聴いていて、「これは違う」と思いました。森の空間のほんの一部を切り取って、それを表現しようとすること自体に違和感のようなものを感じました。鶯の鳴き声も、しんとした森のなかで聴いて初めて鶯なのであって、人工空間のなかでは機械音にしか聞こえてこない。雑踏のなかで時々出くわす野鳥の「音」に近い。それが自動車や電車の金属音でかき消される。これは違う、と。そんなわけで、急に思い立った夏山ハイキングでありました。山頂で、鶯のさえずりを楽しみました。歩道のすぐ近くにいました。
 なにやら衝動に駆られての行動であったのかも知れません。ここまで書き終えて、ふと目の前の窓に目をやると、庭木の梢の陰でヒヨドリが1羽、羽根を休めて、わたしを見つめています。わが街にもおおきな自然の営みがあります。

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夏、太陽エネルギー、扇風機

2007-08-05 09:49:42 | Weblog
 このところ、朝早く目が覚めます。昼間とはうって変わってひんやりとした空気が好きです。三方の窓は網戸をして開けっ放しですから、蝉の合唱とともにお目覚めということになります。そんな気持ちの良い朝に、ベットに横たわったままで読みかけの本を眺める。そう、1時間ほどはじっくりと本とにらめっこです。少し難しい本も、すんなりと理解できるのは、気のせいでしょうか。
 ところで、ひょんなことで昨日は、三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットに行ってきました。太陽エネルギーを使ったソーラーカーの耐久レースがお目当てでした。若い方々が技術とチームワークを競うこのレース、かれらの額の汗が輝いて見えました。それにしても、ソーラーカーがこんなにも早くスムーズに走るとは思いませんでした。まだまだ改良の余地はあるとしても、いずれガソリン車にとって代わる時代がやってくることを実感した1日でした。
 会場の一画には、簡易なソーラー電池を使った工作教室があって、子供たちに混じって扇風機づくりを楽しみました。おもしろいことに、単3型電池ほどの大きさの木製円柱の一方にアルミ板をつけ、それに電線を繋ぎ、その先にソーラー電池の端子を結ぶ。もう一方を扇風機の端子に繋ぐ。そして太陽に当てると軽快に扇風機が回るという仕組みです。文系人間にとっては何とも不思議な、光のエネルギーを動力に変換することの原理のようなものを身をもって体験しました。
 扇風機といえば、わたしの部屋で回るこの扇風機は、わたしが社会人になった年の夏に購入したものです。SANYO製EF30HMという機種なのですが、もう30数年を過ぎます。3人の子供たちも、この扇風機の恩恵を受けて育ちました。大きくなると、羽根にウルトラマンのシールをベタベタ貼っていた時期もありました。それも、いまはきれいに洗い落とし、ときどき油もさして現役続行中。さすがに居間には最新型が鎮座していますが、わたしの部屋では今も支障なく働いてくれています。ものを大事にしようなんて言うつもりはありません。古くなればなったで、いとおしく手放せなくなる。わたしとってはLPレコードと同じです。
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