心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

晴耕雨読を地で行く日々

2024-04-26 21:50:02 | Weblog

 先日、小雨が降るなか天王寺の一心寺にお参りにいったとき、墓地の木々に絡まるツルに白い花がいくつも咲いているのに出会いました。なんだろうと写真にとってGoogleレンズで検索したら、「ナニワイバラ」でした。
  原産地の中国南部や台湾などで見られるバラ科バラ属の落葉ツル性の低木の花、とあります。江戸時代に大阪難波の植木商人が中国から輸入していたため、この名前が付けられたのだそうです。境内には、ジャカランダの樹が葉を広げつつありましたが、数年前にその種を拾って育てた苗木が、我が家で1メートルほどに成長しています。
 その日は、てんしばの「産直市場よってって」から珍しいものを連れて帰りました。メダカです。3鉢おいてありました。そのうちのひとつ「黒ラメ」メダカ3匹です。我が家には既にヒメダカが7匹いますが、窓辺が賑やかになりました。
 こうしたさり気ない環境の変化が私の心を和ませてくれます。庭の木々も徐々に青々としてきました。花壇や鉢植えも、気づかないうちに芽が出たり、花が咲いたり。今日は皇帝ダリアの芽が顔を出しているのを見つけました。毎日どこかに変化を見つける今日この頃です。
 そう言えば、先日、「外国人が見た日本文学『方丈記』」と題する講座を覗いてきました。仏教的な無常観を描いた文学、災害を描いた文学、閑居文学などと言われる「方丈記」は、1212年鴨長明によって書かれた作品です。コロナ禍にあって、英国紙が鴨長明の生き仕方について取り上げたこともあったようですが、800年も前の古典文学がどのように海外に紹介されていったのか。そして、その通用性はいかに。
 明治期以降、お雇い外国人やら外交官、研究者等を通じて英訳されていったようですが、夏目漱石や南方熊楠も英訳しています。講義では、鴨長明とルソーやワーズワース、「森の生活」を著したソローなどとの比較にも話しが及び、これまで「点」としてしか眺めていなかった人物が「線」になって繋がっていくワクワク感がありました。
 そこで本棚から取り出したのが新井満の「方丈記」です。古典の原文に目を通したあと、新井さんの自由訳を眺め、読み慣れない古典をひとつの流れとして読み進んでいく楽しさを思ったものでした。新井満と言えば、「千の風になって」の作詞・作曲で知られ、芥川賞作家でもあります。残念ながら数年前75歳でお亡くなりになりました。その新井さんに、私はリタイアした直後に出かけた北海道旅行で、亀田郡七飯町の大沼公園でコンサートのリハーサル中の新井さんの歌を誰もいない広場の一画で間近で聴いたことがありました。
 さあて、明日からゴールデンウイークが始まります。といってもシニア世代にとっては「毎日サンデー」ですから、こんな時期に人混みの多い所に出かける勇気もありませんが、今夕何気なくスマホでドタキャン宿をチェックしていたら、ありました、ありました。京都の亀岡温泉に、宿が取れました。ということで、急遽、明日出かけることにしました。いつも行き当たりばったりですが、少しだけのんびりしてくることにいたします。
 この時期は春の古本祭りが目白押しでもあります。今日から四天王寺で春の古本祭りが始まりました。5月1日からは京都の都メッセで春の古書大即売会が開かれます。先日、須賀敦子「塩一トンの読書」で知ったマルグリット・ユルスナール著「ハドリアヌス帝の回想」を、日本の古本屋サイトを通じて横浜茅ケ崎のちがさき文庫さんから購入したばかりですが、来週には古本祭りにも出かける予定です。歳をとっても好奇心が衰えない私です。

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塩一トンの譬え(その2)

2024-04-19 22:49:25 | Weblog

 数日前まで近くの公園の葉桜を惜しみつつ眺めていたのに、早くも初夏の装いです。街中に淡い若葉が芽吹き、我が家の庭でもライラックの花が咲き蝶が舞っています。カリンの木には小さな実が付き、ここ数年不作だったレモンの樹にもたくさんの蕾がついています。残念なのは、今年もスダチの木に花芽が付きそうにないことです。なぜだろう??
 そんなある日、NPOの帰りに立ち寄ったジュンク堂書店で、須賀敦子の「塩一トンの読書」(河出文庫)に出会いました。須賀さんのエッセイや数多くの書評が収められています。最初に登場する「塩一トンの読書」は、須賀敦子全集第3巻にも納められていて、このブログには「塩一トンの喩え」と題して2010年1月10日付で投稿しています。あれから14年経っていますが、いま改めて読み返してみると、以前とは違う思いが募ります。
 このエッセイは、「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」というイタリア人の姑の言葉から始まっています。そして、須賀さんは言います。

・古典といわれる作品を読んでいて、ふと、いまでもこの塩の話しを思い出すことがある。この場合、相手は書物で人間ではないが、すみからすみまで理解しつくすことの難しさにおいてなら、本、とくに古典とのつきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。
・「あの本のことなら知っている」。ある本「についての」知識を、いつの間にか「じっさいに読んだ」経験とすりかえてはいないか。
・ずっと以前に読んで、こうだと思っていた本を読み返してみて、前に読んだときとはすっかり印象が違って、それがなんともうれしいことがある。

 帰りの電車の中で、たかだか文庫本8ページほどの文を追いながら、私はそんな須賀さんの気持ちになりきってしまいました。14年前は、どちらかと言えば、人間理解の難しさに直面していました。当時の仕事のことを考えると、さもありなん。それが今は「本」との向き合い方にある種の課題を投げかけられているような気がします.....。

 ここで話題はがらりと変わりますが、先日、宝塚の清荒神さんにお参りに行ってきました。本来なら年末年始に行くべきでしょうが、出かける機会を逸し、いつもこの時期になります。
 阪急電車清荒神駅から清澄寺に続く参道には、以前はお店がずらりと並んでいましたが、今では多くのお店が閉まって閑散としています。店主の世代交替のためでしょうか。若者向きのおしゃれな店が数店開店していますが、かつての賑わいはありません。唯一お客が絶えなかったのは、駅前の宝塚コロッケの「北川精肉店」でした。安くて美味しいコロッケで有名なお店です。これも老夫婦の楽しみでもあります。
 ところで、清荒神駅の近くに宝塚市立文化施設ベガ・ホールがあります。その入口にウィーン市立公園にあるヨハンシュトラウス二世像のレプリカが立っていました。ウィーン市から宝塚市に寄贈されたのだそうです。
 過去2回ウィーンを訪ね2回とも対面したシュトラウス像です。当時は市内公園の至る所にあった音楽家の像を地図を頼りに歩き回ったのを覚えています。(上の写真左はベガ・ホールの玄関口にある像、右はウィーン市内公園にある像です。)
 来月の下旬には、コロナ後久しぶりにヨーロッパに出かけてきます。と言っても、スペイン、南フランス、イタリアを巡るショートクルーズの旅です。そろそろ人生の店じまいが始ろうとしています。

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歩く(その1)~小関峠を越えて三井寺へ。

2024-04-12 23:50:11 | 歩く

 昨日今日と急に暖かくなってきました。桜も散り始め、いよいよ新緑の季節にまっしぐらです。そんなある日、ほぼ咲き終わったクリスマスローズの花後の管理に汗を流しました。花茎を切り、古くなった葉茎を整理し、お礼肥を施します。さっぱりした姿になりました。これで来年はまた美しい花を咲かせてくれることでしょう。
 ところで、先週末、春の陽気に誘われて、山科から小関峠を越えて三井寺に行ってきました。京阪四宮駅を下車、琵琶湖疎水に沿って気持ちのよいお散歩を楽しみました。5キロほどの道のりです。まわりの景色を楽しみながら、時には鶯の囀りに耳を傾け、それほど起伏もない山道を歩いていると、何組かのハイキングの方々にお会いし、朝のご挨拶です。皆さん楽しく歩いていらっしゃいました。
 小関峠にある峠の地蔵をお参りしたあと街に下ると三井寺の入口が見えてきます。長い急な石階段を登ったところに境内が広がっていました。お天気もよく、たくさんの花見客で賑わっていました。西国14番札所・長等山三井寺の観音堂をお参りして納経帖に記帳していただいたあと、広い境内を散策しました。

 ちょうど、黛まどかさんの「奇跡の四国遍路」を再読したばかりです。次回は新緑の季節に、能「蝉丸」の舞台にもなった大谷から石山寺に向かう10キロコースに挑戦してみようかと思っています。
 黛さんの著書を読んでいると、歩くことによって全身に五感が広がることが記されています。これは歩いた者でなければ分からない体験かもしれません。薄暗い山道、だだっ広い田園地帯、潮騒が聞こえる海岸沿いの山道。頼るのは時々見失いそうになる遍路道の矢印のみ。あとは、ぴ~んと張ったアンテナで自分の位置をなんとなく感じつつ、歩を進めることになります。それは人の生き仕方に近いものがありました。
 そんなことを考えながら、京都三条駅まで戻ってブックオフに立ち寄りました。そこで目にとまったのが、若松英輔著「霧の彼方 須賀敦子」でした。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。須賀敦子が著した「ユルスナールの靴」のプロローグの最初に出て来る言葉です。この言葉が、その後の私に「歩く」ことの意味を考えさせることになりました。
 あと数年で後期高齢者になろうとしているのに、未だ立ち位置を見いだせないでいます。でも、そうこうしているうちに歳を重ねていくんでしょう。これもまた良し。心のアンテナを張って全身で春の息吹を感じつつ、もうしばらく楽しんでみたいと思っています。

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近鉄週末フリーパスで伊勢志摩を満喫

2024-04-05 20:38:13 | 旅行

 春の陽気に誘われて(奥様のお誕生日祝いも兼ねて)、近鉄週末フリーパスを手に伊勢志摩に出かけてきました。初日は大阪・鶴橋から伊勢市に向かい、伊勢神宮の下宮と内宮をお参りしてきました。ちょうど桜の開花宣言が発表された頃で、境内の桜もやっとお目覚めのご様子でした。
 お参りしたあと、五十鈴川駅まで戻り今度は鳥羽へ移動。初日のお宿は、3日前にネットで予約したばかりの民宿美浦荘です。浦村の牡蠣料理に旬鮮船盛+煮魚という老夫婦には食べきれないほどの美味しいお料理をいただきました。温泉はありませんが「牡蠣エキス風呂」があって、それがなんとも言えない肌触り。身体の芯から温もることができ、このところお疲れ気味の心身を癒すことができました(笑)。
 翌日は、以前から気になっていた松阪に向かいました。駅から徒歩で15分ぐらいでしょうか。松阪城址が見えてくる途中、観光交流センターに立ち寄りました。江戸時代の参宮街道の賑わい、本居宣長、三井高利(豪商三井家の祖)をはじめ情報の流通が生んだ豪商たちを紹介する映像を20分ほど拝見して、この町の成り立ちをお勉強したあと、本居宣長記念館をめざしました。(下の写真は記念館で購入した本居宣長記念誌の表紙)
 私が宣長の存在を身近に知ったのは、まだ現役の頃でした。仕事が終わったあと立ち寄った古本屋さんで小林秀雄著「本居宣長」と出会いました。当時、小林秀雄に関心があったということもありますが、600頁にも及ぶ難しそうな本なので、すべてを読み通す心の余裕も時間もない忙しい頃でした。かすかに、松阪の商家小津家の出で、京都に学んだあと医者になり、同時に日本人の心を追い求めた国学者でもあったことを知りました。とりわけ印象に残っているのは、山桜を愛した人であったということです。こんな言葉があります。

花はさくら、桜は、
山桜の、葉あかくてりて、
ほそきが、まばらにまじりて、
花しげく咲たるは、
又たぐふべき物もなく、
うき世のものとは思われず
(『玉勝間』「花のさだめ」)
 
 自分のお墓には山桜を植えてほしいという遺言を残すほどに桜を愛した本居宣長でした。企画展では、その遺言と現在の写真を見ることができました。また、筆で書き記した様々な著作物を見ながら改めて文字の保存、デジタルとアナログのことについて考えてしまいました。記念館を出たあとは、12歳から72歳まで住んでいたという本居宣長旧宅(移設)を訪ねて帰途につきました。
 二日目のお宿は、2日前に予約した湯の山温泉のアクアイグニスというお洒落なお宿です。松阪から四日市駅に向かい、そこで湯の山線に乗り換えて湯の山温泉駅をめざしました。千三百年前から続く鹿が自らの傷を癒しに来たという名湯・湯の山温泉でほっこり時間を過ごしました。
 行き当たりばったりの旅行とは言うものの、さすがに老夫婦です。最終日にもう一カ所訪ねる計画をもっていましたが、さすがに疲れました。のんびりと朝湯に浸かったあとは帰り支度とあいなりました。と言いながら、四日市まで戻ったところで、その日の夕食のためにと新鮮な海産物を買い求め、特急列車「ひのとり」に乗って帰ったのでした。

 こうして2泊3日の小旅行は終わりました。近鉄週末フリーパス(土日を含む3日間)4,400円(特急料金は別。4月から5000円に値上げ)に対して、実際に乗った区間の乗車料金が7,590円相当ですから、ずいぶんお安く楽しむことができました。さあて次回はどこに行こう。

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