心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

クリスマスローズ

2005-03-27 10:21:27 | Weblog
 今夕から雨という生憎の天気予報なのに、きょう日曜日は早朝から晴天に恵まれ、小鳥たちの囀りも心なしか嬉しそうに聞こえてきます。愛犬ゴンタと朝のお散歩に出かけると、公園横の大きな柳の木の枝先には淡い緑芽が育ち、樹木全体が春の装いです。
 我が家の花壇でも、あちこちに草花の芽が顔を出しています。ブルーベリーの花芽も大きく膨らんで開花目前。春の陽光に囲まれて気分も爽快です。そんな花壇の一画では、クリスマスローズが満開です。もう終盤を迎えたと表現した方が正確かもしれません。3月に入ってひと足早く春を運んできてくれましたから。毎年、一株ずつ鉢を買ってきては庭に植えてきました。今ではずいぶん大きく育ち、早春の花壇に彩りを添えています。
 気分を良くして、きょうは昨日手に入れたばかりの中古レコード、ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(メータ指揮)を聴きながら記事を書いています。あと数日で4月。新年度を目前に控えて、束の間の休息を楽しんでいます。
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春分の日

2005-03-20 23:49:19 | Weblog
 春分の日のきょう、長男君が帰ってきました。8ヶ月ぶりのご帰還です。大学を出て3年、ずいぶんしっかりとした言動と身のこなしに、親としてはほっとひと息つく瞬間でもあります。さっそく、彼が可愛がってもらった母方のお爺さんのお墓参りに出かけました。春の陽が心地よく感じられる一日でした。
 桜の季節はもう少し先になりますが、春は、人々にとってひとつの節目を思わせます。若い方々にとっては、学び舎を巣立つ「卒業」の季節、新たな期待に胸躍る「入学」の季節、あるいは不安と希望が交差する「就職」の季節です。
 そんな季節を前に、私の今月の給与明細書には、次月から末っ子の扶養家族手当支給打切のお知らせが記載されていました。基準年齢を満了したからです。これで私の子供たち全員が給与上の扶養家族から卒業することになります。何とも感慨深いものがあります。残ったのは家内だけ。これも、夫婦にとっては新たな旅立ちなのかもしれません。
 明日は、娘夫婦もやってきて久しぶりに家族全員勢揃いです。
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プッチーニの『ジャンニ・スキッキ』

2005-03-13 19:06:13 | Weblog
 週末になると、帰宅途中、中古レコード店に寄り道することが増えました。せめてもの慰みといったところでしょうか。きのうも3枚ほど手にしましたが、そのうちの1枚がプッチーニの喜歌劇「ジャンニ・スキッキ」です。 実は何年か前に、フィリッパ・ジョルダーノが歌う「わたしのお父さん」を聴いて気に入って以来、洋ランを愛でるたびに口ずさんでいました。ただ、筋書きは知らなかったのです。見つけたレコードは、1959年にレコーディングされた英国盤ですが、傷もなく十分楽しめるものでした。ところで、その筋書きですが、舞台はフィレンツェの街、詩人ダンテの「神曲」からヒントを得たというから、これまたびっくりでした。先週の京都フィレンツェ展の続きを見ているようでした。
 対訳を片手に全曲を聴いて、私が思い描いていたものとは少し違っていました。内容はこうです。...フィレンツェの富豪ヴォーゾが死んで親族たちの関心は遺産相続に傾く。ところが見つかった遺言状にはすべて街の修道院に寄付するとある。これはたいへん。どうしたものかと嘆く。そのとき、親族の一人であるリヌッチオが、親族たちから結婚を反対されている恋人ラウレッタの父親ジャンニ・スキッキに助けを求める。しかし、ジャンニは断る。そのとき、娘ラウレッタが「優しいわたしのお父さん」と哀願する。...まさにその歌が「わたしのお父さん」だったのです。
 ジャンニは、娘の願いを聞き入れて、悪知恵を考えます。死んだヴォーゾに成り代わって新たに遺言状を作るというのです。ジャンニは、ベットに横たわって街の公証人に、古い遺言状を破棄し、親族たちに財産を分けていきます。ところが最も価値のある屋敷とロバと水車小屋はジャンニに贈る、と伝えました。「持参金無しの娘とは結婚させない」と娘の結婚に反対した親族たちへの仕返しでもあったのです。遺産を手にしたリヌッチオとラウレッタが愛を確かめあう中、ジャンニ・スキッキは聴衆に向かって許しを請うて幕が閉じる、というものでした。う~ん。
 近所の書店でダンテの神曲(第1巻)を探してきました。
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京都フィレンツェ展

2005-03-06 13:07:58 | Weblog
 数週間にわたった風邪からようやく開放された昨日の土曜休日は、まず散髪から始まりました。さっぱりしたところで、午後からは家内とデートでした。行き先は、京都市美術館で開催されている『フィレンツェ--芸術都市の誕生展』でした。春めいた暖かさのなか、岡崎公園を散歩しながら会場に向かいました。
 館内は、ジオット、ミケランジェロ、ボッティチェリなどルネッサンスの代表的な巨匠たちのフレスコ画、板絵、カンヴァス絵のほか彫刻、貴金属製品、織物、写本彩色画などが展示され、京都の街から中世イタリアにタイム・スリップしたよう。かつてウフィツィ美術館やアカデミア美術館などフィレンツェの街を散策したことがあるので、とても懐かしく思い出されました。たいへん素晴らしかったです。写真もコピーもパソコンさえもない中世の時代に、精細なタッチで制作された人間の創造と英知に、現代の我々の後退性さえ思ってしまいました。ものが溢れすぎているからでしょうか。
 出口付近の売店で買った絵葉書は、ドメニコ・ディ・メケリーノの「神曲の詩人ダンテ」、アントニオ・デル・ポッライオーロ「若い女性の肖像」、ロレンツォ・ヴァイアーニ「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ガルティア・デ・メディチの肖像」でした。この催しは4月10までです。
 リタイアしたら、またフィレンツェの街を訪ねてみたい。そんなことを思いながら京都の街をあとにしました。それまでは塩野七生さんの歴史小説で辛抱しておきましょう。(^^♪
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