心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ローマ人の物語

2006-08-27 10:19:25 | Weblog
 暑さが止み新涼が間近い日を「処暑」と言います。具体的には8月23日頃で、この日を境に猛暑とお別れを告げ、徐々に涼しい季節を迎えるのだそうです。そう言えば、このところ朝夕の空気が僅かながら肌に優しい、そんな感じがします。まずは四季を体感できることの幸せを思います。
 さて、8月に入って、このブログも珍しくお休みをいただきました。取り立てて遠出をしたわけではないのですが、暑い暑い「夏」を静かに過ごしました。いつもながら湖北の山小屋では伸び放題の草刈に精を出し、午後は冷たいビールを楽しみながら読書三昧。夕方になるとヒグラシの声に何かしら哀愁のようなものを感じ、夜は夜でこの世とは思えない満天の星空に感激する毎日。少し足を延ばすと、地元の方々が農作業の疲れを癒すための小さな温泉場があって、そこにちゃっかりお世話になったり。なんとも贅沢な時間を過ごしました。
 この暑い夏、久しぶりに塩野七生さんの歴史小説「悪名高き皇帝たち」(ローマ人の物語)を読みました。文庫本にして4冊ですが、あっという間でした。カエサルが暗殺されたあと初代皇帝となったアウグストゥス、その後に続いたティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの皇帝の生きざまを、膨大な歴史資料をベースにしながらも塩野さん特有の大胆な創造力で、なんとも壮大な歴史物語として楽しむことができました。皇帝たちが繰り広げる権力闘争、その裏に我が子にかける母親あるいは妻の期待と政略。全権を掌握しているがゆえに、殺すか自殺に追い込むしかない皇帝の交替劇。シリア属州におけるギリシャ文化とユダヤ文化の衝突などは、いまだ混乱が収まらないレバノンとイスラエルの問題につながっています。多神教のローマとキリスト教、キリスト教とユダヤ教、ローマとケルト文化(アイルランド)。なんとも大きな課題を、わたしたち人類は2千年を経た今日も引きずって生きています。
 2千年前の日本といえば、弥生時代です。土器やら青銅器やら銅鐸などが作られた時代ですが、徐々に定住生活に移行し、それに伴って貧富の差や身分の差が芽生えてきた時代。集落から村ができ、豪族が生まれ国を支配するようになる時代。中国の光武帝から金印を授けられた時代。大和朝廷よりも前の時代です。そんな時代に、西はブリタニアから東はユーフラテス河、北のライン河口から南はサハラ砂漠までを制覇したローマ帝国。その背景には、被征服者を抹殺し服従させるだけではなく、民族の自治、自由裁量の余地を残して、ゆくゆくはローマ市民に同化させようというカエサルの政治哲学がありました。まさにパクス・ロマーナを支える礎となるものでした。
 私が古代ローマ帝国に関心を抱くのは、まさにこの『多様性と共生』の概念です。広大な国土と人々をどう維持・発展させたか。それは、宗教、民族、文明の衝突が叫ばれて久しい2千年後の今日、わたしたちに大きな課題を提示しています。生易しいことではないことは承知しています。しかし、非常に重要なテーマです。当時と何が変わり何が変わっていないのか。局地的に繰り広げられる戦争、テロ、親殺し、子殺し。忌まわしい事件が多発する昨今の状況を思いながら、ぼんやりと我が身の生ざまを思ったものです。読み終わったところで、引き続き塩野さんの「危機と克服」(上・中・下)を買いました。わたしの夏は、まだまだ終わりそうにありません。
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56回目の夏

2006-08-13 10:30:27 | Weblog
 夏の朝の涼しいうちに愛犬ゴンタの散歩をすませます。それでも7時を過ぎると、ひんやりとした微風を感じながら、しかし暑い一日を予感させる快晴の青空を意識してしまいます。人も、動物も、植物も、忍耐力との闘いといったところでしょうか。そんな夏の一日の始まりです。
 ところで、朝、散歩をしていると、力なく萎れている草花の横で元気な花木を見つけます。玄関脇にある百日紅、庭に涼しさを感じさせる芙蓉...。意識して眺めると、散歩コースにあるお家の庭には、そのいずれかが満開です。蝉の大合唱と夏の花。考えてみると、私は今夏、この世に生を受けて56回目の「夏」を迎えたことになります。
 お盆ということで、少しまとまったお休みをいただくことにしました。最後の最後まで予定が固まらず、例年のように遠出をすることはできませんが、まずはゆったりとした時間を楽しむこと。湖北の山小屋で静養すること。知人と酒を飲み交わすこと。家族全員勢揃いすること。それぐらいしか予定はありません。それでも、仕事というものから距離を置いて、素直に自らの生き方というものを考えることができる貴重な時間になります。本を読む、レコードを聴く。いずれをとっても、妙な柵に縛られることもなく、ものごとを素直に受け止めることができるから不思議です。昨日は、暑いなかで庭木のお手入れをしました。明日は、DIY(Do It Yourself)。ホームセンターで材料を仕入れてきて、自家製オーディオラックの製作に挑戦です。その横で家内は陶芸に汗を流します。
 お盆といえば、仏壇の掃除をするのが小さな頃の私の仕事でした。お寺でもないのに位牌の多さに閉口しながら、祭壇から降ろして、埃を落として、乾拭きをして、陰干しをすると、ほぼ半日。母親が仏壇を拭いている間に、お供えする胡瓜や茄子のお馬さんを作るのも私の仕事でした。それをしなくなって何年経ったのだろうと思いながら、さぁ、今日はこれから京都・知恩院にお参りです。
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シュワルツコップを想う

2006-08-06 10:43:47 | Weblog
 暑い暑い「夏っ!」。久しぶりの土曜休日だった昨日、我が家の外気温は37度に達していました。これじゃぁ体温と一緒っ(^_^;)。できるだけ身体を動かさず、屋内で静かな一日を過ごしました。1日の大半を塩野七生さんの文庫本「悪名高き皇帝たち」上巻を読んで過ごしました。ミンミン蝉の大合唱の中で、イタリアはナポリの沖合いに浮かぶカプリ島に思いを馳せるのも楽しいものです。
 ところで、先週末、遅めの夕食をとりながら夕刊を眺めていると、「旧独出身の名ソプラノ シュワルツコップさん死去」の記事が飛び込んできました。この記事を読んですぐに思い浮かんだのは、私の大好きな赤盤レコード『歌の翼に』でした。「乾杯してよ」「愛の歓び」「歌の翼に」のメロディーが脳裏をよぎりました。記事には90歳とありました。あぁ、そうなんだ。そんな年代だったんです。マリア・カラスと並び称される名ソプラノで、私のレコードコレクションの中にも何枚かあります。感情を過多に表現することなく、あくまでも知的にポエティカルに歌うシュワルツコップの歌曲は、私にとって古き良き時代の「心のゆりかご」であり、私の幼稚な精神世界の中である種の存在感をもっていたソプラノ歌手でした。
 彼女のレコードジャケットには、「マリア・テレサの良い時代の香りをこめて描いたリヒャルト・シュトラウスの名作”バラの騎士”で、ウェルデンベルク侯爵夫人のマルシャリンを歌っては、当代にならぶものはない」と紹介されています。「ドイツ・オペラにおける世界的なプリマ・ドンナであるとともに、歌曲にもその深い情緒的な歌唱とその背後に秘めた知性の美しい調和をみせている」とも紹介されています。別のジャケットをみると、インタービュー記事の中で、コンサートの衣装のデザインは、ミラノで活躍するプッチーニのお孫さんにあたるヴィキさんにお願いしているというエピソードもありました。
 ただ、夕刊記事には「引退後、第二次世界大戦中、旧ナチス党員だったことが明らかになり、米国などで批判された」(朝日新聞)ともあります。20世紀、激動の時代を芸術と政治の間で揺れ動きながら、必ずしもすべてが順風満帆でなかったのかもしれませんが、シュワルツコップは、多くの音楽愛好家たちにドイツオペラ、ドイツ歌曲の『心』『詩』を伝えてくれたように思います。
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