心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

有栖川記念公園界隈

2010-01-31 10:09:21 | Weblog
『広尾で地下鉄を降り、信号をいくつか渡って、「ホタル観賞会」という立て看板のある、池のそばの入り口から有栖川公園に入った。ケヤキの暗い木陰に、うすい、これ以上うすくなったら消えてしまいそうな空色のアジサイが、ひょろひょろとのびた茎の先に水滴のついた花をつけて揺れる道を、足をすべらないように気をつけながら上がっていく。(中略)小さいころ、私たちはこの公園のすぐ近くに住んでいたので、ひまさえあれば、ここに来て遊んだ。(中略)公園の角の信号を右に折れて、光林寺にゆく広い坂道を、私はゆっくり降りはじめた。50年まえ、質素で閑静だったそのあたりは、いったいどんな人々が住んでいるのかと思うほど、贅沢な共同住居群になり変わっていて、ひっそりとしているのだけが、むかしとおなじだった。』(須賀敦子「クレールという女」から抜粋)

 先週東京に出張した際、朝早く眼が覚めて、はて仕事が始まる9時30分までどうしようかとベッドの中でうつらうつら考えていました。そして、ふと、須賀敦子さんが幼少の頃過ごした麻布界隈を散策してみよう、と思い立ったのです。Googleで聖心女子大学の場所を確認すると、朝食もとらず午前7時、私はホテルをあとにしました。地下鉄日比谷線の銀座駅まで歩いて、そこで広尾駅を探すと、ありました、ありました。
 地図をもっていないので、あとは勘任せです。広尾で地下鉄を降り、案内板を確認しながら、信号を渡って坂道を歩きはじめたところで朝食をとっていないことに気づき、通りの小さな喫茶店で小休止。テラスに座って人の通りを眺めていると、いやに外国人が多い。そういえば、このあたり大使館が多いことは須賀さんのエッセイに書いてありました。店の方に位置関係を訪ねると、私が向かう方向は有栖川記念公園のようで、聖心女子大学は大通りの反対側に位置することが判りました。

 でも、とりあえず、須賀さんが良く遊んだという有栖川公園に向かいました。入口の案内板には、江戸時代、盛岡藩主南部美濃守の下屋敷であって、明治29年に有栖川宮御用地、大正2年に高松宮御用地となったとあります。大きな池があって、水鳥たちが羽根を休めていました。遠景を望むと、木立の向こうに六本木ヒルズが見えました。

 早朝とはいえ、そんなにゆったりもしておれないので、そろそろ聖心女子大学に向かおうと、公園を後にしました。ノルウェイ―大使館、スイス大使館の前を通り過ぎると、外苑西通りに出ます。信号を渡って、また坂道を登ろうとすると、今度は贅沢な共同住居群が林立している街並みに変わります。広尾ガーデンヒルズです。

 大学らしき看板はあるけれど、門が見えない。守衛さんに尋ねると、正門はもっと上のほうだという。数分歩いて日本赤十字の病院に突き当たるけれども、大学の正門が見当たりません。いったん街の外側に出て、なお坂道を登りました。少し不安になりながら、左に折れました。スロヴェニア大使館、東京女学館高校を過ぎたあたりで、左側の奥まったところに武家屋敷風の立派な門がありました。ひょっとして、これが正門?辺りを見回すと、道路沿いの看板に聖心女子大学とあります。キリスト系の大学に似合わない門構えです。やっと辿り着いたと勇んで門をくぐろうとしたところ、守衛さんに入校を制止されてしまいました。事前の許可を得ていなかったためでしょうが、その門から少し入ったところには、須賀さんが学んだ日本家屋の校舎があったはずです。
 時間を気にしながら1時間30分。ほどよい汗を流しました。その爽快さが、その日1日中、私の心を満たしました。内容の濃い仕事ができたのは言うまでもありません。帰宅後Googleで位置関係をもう一度確かめました。するとなんと、その界隈に隣接して、数年前に訪ねた麻布十番がありました。ビルの一画にあった日本近代音楽館も、そんなに遠くないところにありました。これまでピンポイントで訪ねてきた東京の街。やはり、車ではなく、自分の足で歩く、歩いて感じることが必要なんだと、改めて思ったものです。
 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」は、こんな文章で始まります。
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ドビュッシーを聴く休日の朝

2010-01-24 10:07:16 | Weblog
 愛犬ゴンタのお散歩コースに、200mほど朝日に向かって直進する個所があります。今朝その道を歩いていると、早朝の寒さにもかかわらず、うっすらと頬と額に温もりを感じて、なんだか春が待ち遠しくなりました。といっても、これから2月にかけて、まだまだ寒くなることでしょう。いま、我が家の檸檬の樹には、たくさんの実がなっています。それを1個、2個ともぎ取ってはお風呂に入れて楽しむ、そんな贅沢な生活ができるのも、この寒い季節です。
 さて、日曜日の朝、この時間になると、決まって私はパソコンの前に座り、1週間を振り返ります。きょうのBGMは、ドビュッシーのピアノ曲(月の光、亜麻色の髪の乙女.....)。このところ、どちらかと言えば、ビル・エヴァンスやら、バッハの名曲をジャズのリズムで演奏してくれるジャック・ルーシェらのジャズピアノを聴くことが多いのですが、ときにはグレングールドの「ゴールドベルク変奏曲」に手を伸ばしてみたり、リストの「超絶技巧練習曲」を弾くラザール・ベルマンの演奏を聴いたり。どうも最近、私の音楽箱は何かと騒々しいのです。
 でも、パソコンの横には、ずらり須賀敦子全集全8巻が並びます。先週、第4巻の「遠い朝の本たち」を読み終えて、そこでいったん本を閉じました。それに続く作品が書評を中心としたもので、まだまだ読書量の少ない私には少し重荷だったからです。そんなわけで、昨夜手にしたのは第7巻「どんぐりのたわごと」。イタリアから日本の友人たちに向けて編集した冊子「どんぐりのたわごと」が1号から15号まで収録されています。読み始めると教会のこと、それも翻訳が多いのですが、須賀さんのキリスト教に対する考え方のようなものが垣間見えます。それは、若い頃に私を悩ませた私自身の宗教観を考える時間を与えてくれるようにも思います。

 ここで話題を変えましょう。昨日、仕事帰りに京阪百貨店で開かれていた「関西らんフェスタ」を覗いてきました。パンフレットには「日本一規模のデパートらん展」というサブタイトルがついていました。数日前に、百貨店業界の2009年の売上高が前年比で二桁のマイナス、という新聞記事が目に留まりましたが、ここは全くの別世界。多くのお客さんで賑わっていました。

 ことし私は、カトレア系とパフィオ系を中心に、展示と即売コーナーを見て回りました。そんな会場の一画に、誕生月ごとの蘭が飾ってありました。....1月はリカステ(穏やかな優しさ)、2月はセロジネ(親切心)、3月はシンビジューム(好奇心旺盛)、4月はオンシジューム(献身)、5月はカトレア(溢れる行動力)、6月はデンドロビューム(冒険心)、7月は風ラン交配(秘めた思い)、9月はエピデンドラム(おおらかな気持ち)、10月は胡蝶蘭(純粋な気持ち)、11月はマスデバリア(バランス)、12月はパフィオ(芯の強さ)。そして、私の誕生月である8月は、バンダ(情熱)。「真夏の太陽そのままのようなあなたは、いつも前向き!太陽の国のシンボルである蘭はあなたそのものです。周囲をハッと驚かせる艶やかさをいつまでも忘れないで!」と。....私にはちょっと似合わないなぁ、と心の中で苦笑いしながら、月ごとの説明パネルを一枚ずつカメラに収めました。

 ドビュッシーの曲を聴いていると、何の脈絡もなく、私の心が宙を舞う、そんな心もちになります。何かがぼんやり浮かんできては消えていきます。ひとつのことに留まらないで、別のことに思いをやる。頭のなかで何かがころころと転がっているような、そんな空気が、朝の陽の光に輝く部屋に充満します。
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寒い季節に心の体操

2010-01-17 10:22:24 | 愛犬ゴンタ

 寒い寒い1週間でした。日本海側は連日の降雪予報。奥出雲に設置されたライブカメラも、日に日にまっ白い世界に変わっていく様子を伝えています。東北のとある地方では、3メートル近い積雪を記録したところもあったとか。思えば、私もかつて、一度だけそんな大雪に覆われた経験があります。玄関を出ると、2メートルはゆうに超える雪の壁。雪の階段を上って、平地(?)に出ると、街が真っ白な雪国に変わっていて、それがなぜか嬉しくて、るんるん気分で小学校に行ったことを覚えています。でも、そんな大雪は一度だけで、その後、積雪量は年を追って少なくなっています。
 冬が寒いのは当たり前のこと、でありたいですね。地球温暖化が叫ばれている時代、この寒さにほっとするのは、私だけでしょうか。異常気象もほどほどに、やはり自然を肌で感じる、そんな生き方をしたいと思います。ここ大阪は、今朝、めずらしく霜が降りました。愛犬ゴンタとお散歩をする道すがら、薄っすらと白化粧をした草木が朝日に輝いて見えました。


 ところで、きょうは、ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」を聴きながらのブログ更新です。新しい年を迎えて、なんだか音楽の趣向に浮気心が芽生えています。仕事を終えて、夕食を終えて、部屋に入って、最初に手にするのがエヴァンスのCDです。ドアを閉めて、ジャズピアノの音をガンガンン鳴らしながら、そんな音の世界にほっとする。なにも考えないで、音の渦のなかに身を置く。ただ、それだけの時間、それが私の心を落ち着かせます。
 どうやら、ここにきて、メタモルフォーゼの時期を迎えたようです。混沌とした状況のなかで自らの立ち位置を考える、あるいは百家争鳴の状態のなかでもがいている心の葛藤、そんなとき私の前にはいつも、心に巣食う既成概念を打ち壊そうとする、もう一人の私が現れます。この二人で、ああでもない、こうでもないと議論をしていると、急に目の前が明るくなることがあります。この癖は、還暦の年を迎えた今でも、変わりません。これもまた楽し、ということなんでしょうよ。きっと。
 そうそう、寒い季節になると、都会の夜空にもお星様がきらきらと輝いて見える日があります。日本海側に大雪警報が出ようものなら、それは神秘的な星空が頭上に現れます。夕食を終えて、縁側にたつと、我が家の真上には、ちょうどオリオン座が、まさに頭上に輝いているのを確認できます。四隅に輝く明るい星、そのなかほどに三つの星が鎮座している、あのオリオン座です。
 新聞報道によれば、そのオリオン座のひとつである一等星「ベテルギウス」が超新星爆発に向かう兆候を示しているのだとか。そう言われても、ぴんときませんが、赤色超巨星と呼ばれ、直径が太陽の一千倍の星というから、想像を絶する大きさですが、大量のガスを放出していて、星の末期の兆候を示しているのだと。ああ、もう訳のわからない世界です。
 そんなスケールで物事を考えれば、日々の出来事のひとつひとつが小さく見えてしまいます。エヴァンスのジャズピアノを聴きながら、硬直した脳味噌をひとつひとつ解きほぐしていく、その爽快感。良いですねぇ。その爽快感をもって須賀敦子さんのエッセイを読むともっと楽しい。こうして、成長を続けて、ことし還暦を迎えるわけです。

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塩1トンの譬え

2010-01-10 10:27:35 | Weblog
 今年は暖冬かと思いきや、なかなか厳しい季節を迎えています。日本海側ではずいぶんな大雪のようですが、元来、雪国に生まれ育った私としては、心配するよりも何かしら古き良き時代を懐かしむ気持ちの方が強い今日この頃です。今朝がた、愛犬ゴンタと30分ばかりお散歩をしましたが、ここ大阪は「晴れ」。寒いけれども、新年の清々しさを感じる朝を迎えています。玄関口の石垣に植えた多肉植物の朧月(おぼろづき)が、寒さにもめげず、まるで花のように弁を広げています。
 さて、新年早々の1週間は、月曜日から金曜日まで毎日、新年会でした。月曜日は官民合同の新年互礼会、火曜・水曜は職場の、木曜は経済団体の、そして金曜は広島の職場の新年会でした。暦が変わっただけで、現実は何も変わってはいないのに「あけましておめでとうございます」って、なにか変?でも、これもひとつのメリハリなんでしょう。

 ところで、先週の金曜日は、夕方7時から始まる新年会の前にいくつもの懸案があって、自宅を出たのは夜明け前の午前5時45分、それでもバス停には5人ほどが待っていました。私鉄からJR環状線に乗り換え、大阪駅で京都線に乗り換えて、淀川鉄橋を渡ったあたりで徐々に明るくなり始める、そんな早朝のことでした(写真)。ふと思ったのですが、早朝は、みんな黙々と歩いている、黙々と電車に乗っている。日中の騒々しさは全くなし。身体は動いているけれど、みんなまだ眠っていました。
 その日、広島を発ったのは夜の9時を過ぎていました。帰りの新幹線のなかで、なにかどっと疲れを感じて、でも気を取り戻して、例のごとくワインを飲みながら、須賀敦子全集第3巻を読み終えました。で、面白い表現だなあと思ったことがありました。「エッセイ/1993~1996」」の最初に登場する「塩一トンの読書」です。なんだろうと読んでいくと、ミラノで鉄道員の息子ペッピーノと結婚して間もない頃、姑から「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」という話を聞いたことから始まります。はじめきょとんとしていた須賀さんは、塩なんてたくさん使うものではないから、舐めつくすには相当な長い時間がかかる、気が遠くなるほどつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだ、ということを理解します。そのあと、須賀さんは古典といわれる作品を読むときの譬えに広げていきます。
 塩1トン、うまい譬えだなあと思いました。身近にいる家内とは30数年一緒に暮らしていても、まだまだ知り尽くせていないところがある。職場の一人ひとりになれば、なおさらです。新年会で親しくご挨拶をする関係ではあっても、会社の規模が拡大するにつれて、むしろ人の理解は浅くなってはいないか。これが何十万人もの従業員を抱えるグローバル企業であれば、まさに「仕事」を軸にした関係性しか、存在しない?いやいや、それほどに人間理解というものは、難しいということです。塩1トンの譬えは、さまざまな関係性を気づかせてくれました。
.....そんな次第で、全集第3巻は、新神戸駅を通過したところで読み終えました。昨年11月から読み始めた須賀さんの全集、いよいよ第4巻目に入ります。でも、どこまで深読みしているかは自信がありません。隙間時間の読書で、私は、須賀さんのエッセイに心地よい音楽を耳の奥に感じながら、きわめて感性的に眺めている。都会の喧騒のなかにあって、イタリアはトスカーナの田舎道を歩いているような錯覚さえ覚えながら。
 
 昨日は、お正月と孫の世話で大忙しだった家内の慰労を兼ねて、午後、早めに職場を離れ、大阪の街を散策しました。そして、とある小さな地鶏料理専門店で、ふたりの新年会を開きました。実はこのお店、年末にある若いご夫婦と一緒に食事をしたお店です。新婚早々のお二人、そして30数年連れ添った夫婦、「一トンの塩」の意味の大きさを改めて思いながら、美味しい地鶏料理とお湯割り焼酎を楽しみました。
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厄年にして還暦を迎える2010年

2010-01-03 09:49:42 | Weblog
 年末年始休暇も、あっという間に終わろうとしています。年末27日は予定どおり京都国立近代美術館で開催中のボルゲーゼ美術館展に行き、印刷物では伺い知れない絵画の醍醐味を味わうことができましたし、翌28日には宝塚の清荒神さんに1年ぶりのお参りもしました。
 我が家に最も花を添えたのは、やはり孫君の登場でしょうか。たどたどしくはあっても、自分の心を言葉で表現できる初期段階に成長した孫君からは、自分の思い・感情を素直に表現できることの大切さを、改めて思い知らされました。逆に言えば、私たちは成長するとともに、こうした「素直な心」を失っていってはいないか、とも思いました。「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」。時間になると決まって階下から「おじいちゃあん、ご飯ですよぉ」と呼んでくれる孫君。帰りがけには、玄関口まで見送ってやろうとした私たちに、「また来るね」「おじいちゃん、おばあちゃん。寒いでしゅから早くお家に入ってください」とも。孫が可愛いということ以上に、自己と他者の区別ができる心の成長ぶりに驚き、また感心もいたしました。D.レビンソンの「ライフスタイルの心理学」で言えば、「幼児への過渡期」に位置づけられる孫君の、見るもの聞くものすべてをスポンジのよう吸収できる生命力に、若干の嫉妬さえ覚えたものです。

 「思う事、思うがままに なしとげて 思う事なき 家の内哉」。孫君と初詣をした際にひいた御神籤で、私は、初めて「大吉」を手にしました。これは良い年になりそうだと意気揚々と引き揚げようとしたとき、今年の運命を支配する星表を知らせる案内板が目に留まりました。なんと、私の星は「計都星・大凶・五黄」とあって、「迷いやすく、万事意の如くならない凶年」とあるではありませんか。これってどういうこと??気を取り戻して冷静に考えてみると、「大吉」であろうと「厄年」であろうと、要するに日々の営みに手抜かりのないよう諭す、人の知恵であろうことに気づきました。浮かれるでもなく、落ち込むでもなく、まっすぐに前を向いて歩む。これが今年、私に課せられた課題なんでしょう。きっと。

 さてさて、言葉の美しさという意味では、やはり最近読み進んでいる須賀敦子さんのエッセイにすぐるものはありません。お正月にBS朝日で再放送中の「須賀敦子 静かなる魂の旅」三部作も素敵でした。映像のなかに須賀さんの言葉が輝いて見えました。
 気になったのは、元旦の新聞全面広告で知った塩野七生さんの新シリーズ「十字軍物語」。今夏から刊行予定だそうです。塩野さんは「21世紀の今なお、世界情勢の多くは、キリスト教世界とイスラム世界の対立によって動いている。しかし日本は、このどれにも属していない。にもかかわらず、影響を避けることはできない状態にある」と言います。そして、「もしあなたに、これらを読みつづける好奇心と忍耐があるとしたら、そのときにはあなたも考えると思う。この二つの一神教の世界に比べれば、わが日本の多神教の文明も捨てたものでもない」と。
 ここでふっと現実の世界に立ち戻ることになります。一神教と一党独裁、人類はさまざまな歴史を経て、いまなお悶々とした時代を生き続けています。何をもって「正」といい、何をもって「邪」というのか。理屈だけが先行してはいないか。私自身の宗教観を含めて、残された人生の生きざまを考える1年になりそうな予感がします。
 厄年にして還暦を迎える2010年。さあ、明日の新年互礼会から今年の仕事が始まります。そのあと、徐々に日常の現実世界に舞い戻っていくことになります。

【写真】
上段:京都国立近代美術館から平安神宮の鳥居と京都市美術館、遠くに東山を望む
下段:今年も多くの参拝者が押し寄せた近所のお寺の本堂前
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