心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

子供の頃の戦争ごっこ

2010-10-31 09:14:25 | Weblog
 10月も終わりだと言うのに台風14号が日本沿岸をかすめていきました。先日は奄美大島に記録的な大雨をもたらしたばかりです。なにやら波乱含みの2010年を象徴しているかのようでもあります。

 そんな秋の休日、庭先ではこの夏に購入した鉢花、ユーフォルビアダイアモンドフロストという長たらしい名前の可憐な白い花が、まだ咲いています。買ったときは立派な鉢植えだったのですが、夏を過ぎる頃、玄関口に地植えしたところ根も張って元気そうです。原産地はメキシコなのだとか。いったい地球上には何種類の草花があるのでしょうか。名古屋では生物多様性の会議が、動植物など遺伝資源の利用を定める「名古屋議定書」と生態系保全の世界目標「愛知ターゲット」を採択して閉幕しました。
 ところで、先週も比較的穏やかな1週間を過ごしました。といっても仕事のひとつひとつが重たいテーマばかりなので、肉体的というよりも精神的な疲れが溜まります。立場を考えると致し方ないと思いながら仕事歴も37年。笑ったり、泣いたり、怒ったり、祝勝の宴をもったり、....。いろいろな方々といろいろな場面で楽しく仕事をさせていただきました。

 そういえば先日、田舎の町が主宰する関西会の世話役を命じられ、初めての会合に顔を出しました。そこで懐かしい方にお会いしました。懇親会の席で横に座った初老(私もそう)の御方。私を繁々と見つめて「城の下の△△さんでしょう。覚えていますよ。よく喧嘩をしましたね」と。でも、そのとき私は何のことだかわからず、「いやあ、昔のことなので」とお茶を濁したのですが、聞くところによると、隣町の山間に青水晶を産する所があって、隣町からやってくる子供たちを快く思わなかった彼らは、入山拒否の戦陣を張ったのだと。一触即発の睨みあいをしたことが何度かあったそうです。青水晶と言う言葉になにやら不思議な思いをいだきながら、そのときは朧月を眺めるようにぼんやりと遠く昔のことを考えていました。でも、数日後、鮮明に思い出したのです。
 小学生の頃よく化石探しや鉱石探しをして遊んだことがありました。話題になった場所は私の町から子供の足で40分ぐらいでしょうか。6人ほどで隣町にでかけて、道路の拡張工事のためにドリルで削られた崖下を丹念に探すと、時に水晶の小さな原石に出くわすことがありました。運よく5個ほどの青水晶の原石を見つけた帰り道、村の子供たちとばったり出会い「それを置いていけ!」と迫られました。でも私たちは「それは僕たちが採ったものだ」と言い張って、走って帰りました。それが気に入らなかったのでしょう。もう一度採りにでかけたときは、山間の入り口に竹の棒をもった10名ほどの子供たちが待ち構えていました。さすがに、そのときは殺気を感じて逃げ帰りました。
 要するに、子供たちの「宝物」の奪い合いです。そんなことを何度か繰り返すうちに、いつの間にか「戦争ごっこ」になっていきました。もちろん子供のことですから、紙爆弾とかその程度の武器(?)しかありません。それでも真剣に泥まみれになって戦ったことを思い出します。少しずつ鮮明に思いだしていくと、人間の記憶力ってなかなかものですね。つい数日前に起こったことのように思い出せるから不思議です。次回の打ち合わせのときには、当時のことをじっくり話しあいたいと思っています。
 なにやら脈絡のないお話をしていますが、昔を懐かしむほど自分も老いの境地に近づいたということなんでしょうか。きょうはこれから、知人のお家にご不幸があったので、和歌山まででかけます。暑い夏から急に寒くなったからでしょう。最近、訃報が続きます。


写真説明
上段:玄関口にひっそりと咲くユーフォルビアダイアモンドフロスト
下段:小さなコップに差した朧月。書棚の上でいつも私を見つめています。話題とは無関係ですね。
コメント

時代の連続性と非連続性

2010-10-24 16:25:10 | Weblog
 秋の休日、いつものように愛犬ゴンタと朝のお散にでかけました。10月もあと1週間、今年もあと2カ月を残すばかりとなりましたが、ここにきて小鳥たちの囀りに元気が戻ってきたように思います。秋は、野鳥たちに恵みをもたらす季節でもあります。

 先週は1日だけ広島に日帰り出張した以外は、ここ大阪で比較的落ち着いた1週間を過ごしたように思います。そんな週末、淀川河川敷のお掃除ボランティアに参加してきました。軍手にゴミ挟みをもって、だだっ広い河川敷でゴミ拾いをするのですが、主催者発表では老若男女700名あまりの参加者があったのだそうです。秋の昼下がり、気持ちの良い汗をかきました。ちなみに私は大きなバケツ一個と空き缶数個、あとはお菓子の袋に煙草の吸殻でゴミ袋がいっぱいになりました。

 河岸の秋を堪能したあとは、久しぶりに古本屋さんに寄り道をして帰りました。きのう手にしたのは学芸総合誌「環」2000年夏号、そして山本七平著「渋沢栄一 近代の創造」でした。前者は、久しぶりに鶴見和子さんや多田富雄さんのお名前を見つけたから。後者はと言うと、最近、ISO26000(組織の社会的責任規格)のお勉強をしていることと、もうひとつは明治を舞台にした時代小説を読んでいるため、ついつい。
 以前、玉岡かおるさんの小説「お家さん」をご紹介しましたが、それに引きずられるように、ここ2週間、今度は「天涯の船」(新潮社上下2冊)を通勤電車の中で読み耽っています。明治維新を境に日本の方向性ががらりと変わった激動の時代に、海を渡って米国に留学した若者たち、特に女性たちの生き様を追ったこの小説は、どこまでが本当でどこまでが虚構なのか判りませんが、時代の風景を感じさせます。
 一方、「渋沢栄一 近代の創造」の中で山本さんは、徳川時代から明治以降の急速な近代化の時代の流れに、「連続性」と「非連続性」の二つの視点を提示します。物事が変わる、いや変える時代のエネルギーを、こんな視点から見つめていく。確かにそうです。政権交替した次の日から日本ががらりと変わるわけではないのです。政権に関与する人が変わる、物事の評価軸が変わる、なによりも時代を見つめるパラダイムが変わっていく。どちらが先とか後とか不毛な議論は不要。年代表で区切られたように時代が変わるわけではないのです。そう考えると、戦後日本のパラダイムシフトは意外と時間を要している、と言えるかもしれません。

 さて、きょうブログの更新が遅れたのは、日曜日を利用して孫君の七五三のお祝いをしたからでした。長女一家に両家のお祖父さんとお祖母さんが一緒になって、近くの不動尊に出かけました。私だけ少し早く長女宅に到着すると、当のご本人は、蝶ネクタイにスーツ姿で家中を走り回っていました。少し気取ってカメラに収まったあと、薄暗い本堂内に入っていくと急に神妙になり、お祝いの儀式が終わるまで大人しくしていました。そのあとレストランで大好きな「お子様ランチ」を食べ終えた頃には睡魔に襲われ、椅子に座りながら、こくりこくり。なんとも愛らしい寝顔を眺めながら、この子が私の歳になる頃にはどんな世界が待っているのだろうかと、ふと思いました。とにもかくにも、孫君の運動会と引っ越し、そして七五三と行事が続いた長女一家の10月も、なんとか落ち着きを取り戻したようです。
コメント

東大寺コンサート「平成音声会」

2010-10-17 09:37:22 | Weblog
 先週末、社外での打合せを少し早目に切り上げると、難波駅から近鉄電車に乗って奈良に向かいました。新聞社主催の光明皇后1250年御遠忌慶賛奉納『平成音声会(へいせいおんじょうえ)』(東大寺コンサート)に招かれたからです。奈良駅に到着したのは、もう陽が暮れかけた時間でしたが、久しぶりの南都の街を楽しみました。

 駅から歩いて東大寺に向かう途中、興福寺の看板が目に止まったので少し寄り道しました。境内に入ると「興福寺創建1300年=国宝特別公開2010」を開催中で、運よく金曜日は通常より1時間遅い午後6時まで開館しているというので、中学校の修学旅行以来45年ぶりに拝観させていただきました。五重塔初層、東金堂後堂と見て回って、そのあと国宝館にも足を運び、非日常の世界に暫し時を忘れたものです。
 国宝館では、三つの顔と6本の腕をもつ三面六臂、そう、あの阿修羅像に、数年前京都国立博物館でお会いして以来のご対面です。あの不思議な静寂のなかで空を見つめる阿修羅、「君は何を思う」と何度となく問いかけながら、しかし私の心の落ち着きのなさ、動揺ぶりに気づきます。人が作ったものであるにもかかわらず、決してモノではない。そこに一人の人間が空を見つめて立っている。その悲しげでもあり、いや、すべてをお見通しでもある阿修羅の、あまりにもおおきな存在に何も言えない。次々と目の前に現れる仏様の像の前に、ただただ立ち尽くすしかありませんでした。
 どきっとする出会いもありました。それは「迦桜羅」と名付けられた鳥頭人間です。そう、35年前のことです。私の母親が亡くなって、葬儀を済ませて大阪に舞い戻った日の夜に見た夢の中に現れたのが、裃を着た何人もの鳥頭人間でした。母をどこかに運んでいく風景がぼんやりと浮かんできて、・・・・。それはそれは不思議な体験でした。翌朝、母は酉年だったからかなぁと、あまり深入りすることなく、いつの間にか忘却のかなたに置いてきたのです。興福寺の国宝館で再会するとは夢にも思いませんでした。

 そんな不思議な出会いのあと、本来の目的である「平成音声会」の会場である東大寺に向かいました。そのコンサートは、かの大仏殿前の野外特設会場で午後6時30分開演なのでした。大仏様の前が招待席になっていて、左右の芝生はブロックごとに区切った客席が用意されていました。主催者発表で5千人。でも天平の時代、東大寺の落成式には1万を超える人々がお祝いに詰めかけたといいますから、大仏様の存在感の大きいことがわかります。
 コンサートの出演者は、林英哲さん率いる「和太鼓」、THE BOOMというグループ、歌手のSalyuさん、ヴァイオリニストの川井郁子さん、最後は歌手の平原綾香さん、というメンバーでした。私にとっては何となく知っている方々でしたが、さぞ大仏様も喜んでいらっしゃったことでしょう。聞けば、天平の時代のお披露目コンサートでは、日本はもちろん、中国、朝鮮、遠くは今のベトナムからも奏者がやってきたそうですから、元々大仏様は音楽好きなのでしょう。
 今日の朝刊を見ると、1面に「興福寺中金堂で立柱式」の記事が載っています。そういえば、先日参拝した際、大きな天幕が張られた一画で会場設営準備が進んでいました。江戸時代に焼失した仏堂の再興のようで、2018年に落慶の予定だそうです。なんともスケールの大きなお話です。リタイアしたら、ゆっくりと奈良の街を散策したいと思っています。

コメント

都会の小さな秋

2010-10-10 09:58:46 | 愛犬ゴンタ

 北海道出張を終えて我が家の玄関口に立ったら、暗闇の中からうっすらとキンモクセイの香りが漂ってきました。懐かしい香り、そう秋の夜を思いました。そんな秋の休日、早朝に愛犬ゴンタと近くの里山を散策しました。昨夜までの雨もあがり、空には淡い青空が覗いて見えました。

 今回の出張先は、千歳空港から車で40分ほどのところにある苫小牧市でした。初めておじゃました街です。宿泊先のホテルの名前が苫小牧ではなくて王子とはなぜだろうと思いながら、車窓に流れる街の景色を眺めていたら判りました。苫小牧は王子製紙の城下町のような街でした。部屋の窓からは、街並みの向こうに海が見えます。遠くに望む樽前山は活火山のようで、溶岩ドームからは白い煙が昇っています。こんな自然環境のなかに、この街はありました。
 そういえば、甲府にいる長男君のマンションを訪ねたときも、遠くに雪を頂く北アルプスの山々を仰ぎ、地球という大自然のなかで共に生きていることを実感したものです。こんな感覚は、大阪では味わうことができません。せいぜい小さな自然を見つけては、自分の感性をぞんぶんに膨らませ、地球人としての存在を実感することになります。

 ところで、天満橋のジュンク堂書店で、創刊されたばかりの季刊誌「kotoba」に出会いました。「多様性を考える言論誌」という副題が付いています。特集は「生物多様性はなぜ必要なのか」でした。分子生物学者の福岡伸一先生の小論には「自然の精妙さに目をみはり、美しさに打たれる感性--センス・オブ・ワンダーは、私たちを支え、生物多様性の重要さを気づかせてくれる」とあります。「国家間のエゴや効率思考が先行すれば、生物多様性の理念はあっという間に損なわれてしまうだろう」「地球環境はしなやかであると同時に、薄氷の上に成りたっている」とも。
 考えてみれば、世の中の多くの事柄が薄氷の上に成りたっているのではないか、そんな気がしないでもありません。いえいえ、そんなに悲観的に物事を考えてはいけません。先日、ノーベル化学賞を受賞された根岸先生がおっしゃった「楽観主義」という言葉に、なにやら救われた感もあります。都会のなかで小さな秋を見つけるのもいいじゃあないか。そんな感性こそ大事にすべきなんだ。そんなことを考えながらレジに並びました。もう一方の手には、「DIAMONDハーバードビジネスレビュー」も。今月の特集は「戦略の実現力」ですが、サステナビリティ「持続可能な経営」が気になりました。

 そうそう、明日は、長女一家が我が街に引っ越しする日です。本来なら今日の日曜日にあるはずだった孫君の運動会が、雨模様のため、明日に延期になり、最後の運動会と引っ越しが重なるという最悪の事態になってしまいました。すると俄然、お祖父さんとお祖母さんの出番です。明日は、早朝から長女の家に出向き孫君を連れて運動会に参加することになります。孫君、今年はどんな走りを見せてくれるのでしょう。親馬鹿ならぬ、爺馬鹿の様相ではあります。

コメント

心のデフレーション

2010-10-03 09:52:53 | Weblog
 つい先日、汗を拭いながら8月のカレンダーをめくったばかりだったのに、あっという間に10月です。おや、日曜日にどこへ行くのでしょうか。パタパタとヘリコプターの飛ぶ音が頭上に聞こえますが、爽やかな秋の朝のこと、お空から眺める街の景色はさぞ美しいことでしょうよ。きっと。
 ところで、先週の月曜日、自宅から携帯メールがあり「テレビが壊れた」のだと。ぇえ?買い変えてまだ数年しかたっていないのにと思いながら、帰宅してみると確かに壊れていました。マニュアルを確認しながら何度か配線をやり直しましたが、真黒い画面が変わることはありません。さっそくメーカーに電話を入れて2日後に来ていただくことになりました。その間、我が家の居間はラジオが外界との距離を縮めてくれました。
 見るでもなしにテレビの垂れ流し状態から、急に静かになった居間の雰囲気に、何か昭和の時代を思い出して、なんだかほっとしました。家内はと言えば、どこからか機織り機を持ち出してきて、私にとっては気の遠くなるような手仕事をし始めました。静かに流れるラジオの音が、心を和ませてくれました。
 といっても、私は元来がラジオ人間です。枕元では「ラジオ深夜便」をBGM代わりに、いやいや子守唄代わりと言った方が良いでしょう。とにかく、一晩中点けっぱなし状態です。ボリュームは落として、聞こうと思えば聞こえる程度の音量ですから、静かなものです。それならいっそ消してしまえば良いのにと思いながら、なぜか長い夜の沈黙に心が耐えられなくて、いつの間にかこんな習慣が身についてしまいました。 
 文明の利器に、わたしたちは取り囲まれて生きています。モノに囲まれて生きています。先日、ある経済団体の会合で某社の方がおっしゃっていました。「日本は高品質高付加価値のモノをたくさんつくってきた。たくさん買っていただいた。それが日本の強みだった。でもいま、事情が一変している。安い物が大量に出回るようになった。高品質高付加価値というモノへの拘りがなくなってきているように思う。モノの値段だけでなく、人の「心」までデフレになってしまった」と。
 モノに対する価値観というものが、大きく揺れ動いているということなのでしょうか。いや、モノだけではないですね。「心」の在り様自体が揺れ動いている、右に振れたり、左に振れたり、みんな自信がない。だから、モノに飽きた若者がバーチャルな世界に居場所を見つける。現実との乖離。

 そんなとき、ラジオの放送を聞いて、日本の田園風景、森の「匂い」のようなものを感じる。これもバーチャルか、と思いながら、スピーカーの奥に人間の「心」を感じ取ろうとしています。ときどき、庭に出て、両手で土の温かさを感じる、匂いを感じる。なんだかほっとする。.....やはり、自分の素手で土を感じ、素足で大地を踏みしめることの大切さを思います。
 そうそう、明日から3日間、同業他社の経営診断のため北海道に出張します。北の大地を踏みしめながら、私の心を診断する3日間にもしたいと思っています。
コメント