心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

お上りさんの『東京見物』(その3)

2017-08-31 22:22:10 | 旅行

 暑かった夏もそろそろ終わりでしょうか。早朝散歩にでかけると、うろこ雲が浮かぶ秋の空、爽やかな空気に包まれます。台風の影響もあるのでしょうが、こうして四季の移り変わりを肌で感じる今日この頃です。

 さてさて、前回予告したように、先週末から4日ほど東京方面をうろうろしてきました。お上りさんの『東京見物』も、いよいよ第三弾になります。定宿になった錦糸町界隈のホテルを拠点に、長男宅におじゃましたり、上野の美術館に行ったり、はとバスに乗って富士山5合目まで足を伸ばしたり.......。
 到着したその日は、家内が東京の温泉に行ってみたいと言うので、ネットで探した板橋区にある前野原温泉(さやの湯処)に行ってきました。錦糸町から秋葉原で乗り換えて赤羽駅下車、バスで15分のところにあります。東京で温泉ってどうなんだろう?どこにでもある街中の天然温泉ですが、源泉掛け流しがポイントです(笑)。そのあと都心に戻り、東京の夜を楽しみました。
 その翌日は長男一家と品川駅で待ち合わせ。孫たちお気に入りのアクアパーク品川に向かいました。大阪の海遊館や京都水族館とは趣を異にして、「デジタル技術と生きものが融合したタッチパネル水槽」「サンゴのカフェバー」「音・光・最新のテクノロジー、そして生きものたちがコラボしたエンターテインメント」が売りのよう。2歳、6歳、9歳の孫たちは興味津々でした。この日は終日、孫たちと過ごしました。
 3日目は、早朝、不慣れな新宿駅西口をめざし、はとバスツアーにでかけました。中央自動車道をひた走り、まずは富士山麓の鳴沢氷穴へ。狭い地下道を降りていくと万年氷のある場所で氷点下零度の世界を楽しみました。実はここ富士箱根伊豆国立公園は、40数年前の新婚旅行先でもありました。
 その後、富士スカイラインを通って富士五湖へ向かいました。残念ながら天候が優れずホテルから富士山頂を望むことはできませんでしたが、昼食後に五合目に向かうと、到着した途端にさあっと霧が晴れて目の前に美しい富士山頂が現れました。一瞬であっても山頂が望めたのは幸いでした。
 その後バスは山梨県笛吹市に向かい、巨峰狩を楽しんだあと、一路東京をめざし夕刻7時過ぎに新宿西口に到着しました。長い1日でしたが、40数年前のことが昨日のことのように浮かんできた思い出深いバスツアーになりました。
 そして最終日は、朝、上野公園に向かいました。今回は、東京都美術館で開催中の「ボストン美術館の至宝展」です。お目当てはゴッホのルーラン夫妻ですが、古代エジプト美術、中国美術、日本美術、フランス絵画、アメリカ絵画、版画・写真、現代美術と続き、美術館が収集した80点の作品が展示してありました。日本美術のコーナーでは、フェノロサ、岡倉天心のことを思い出したものです。ちなみに入場料はシニア料金が千円(通常千六百円)でした。
 こうして今回の『東京見物』は終了しました。帰途、機上からまたも富士山頂が見えました。

 帰阪した翌日、わたしはカレッジ、家内はステンドグラスの工房におでかけでした。そして夕刻、大阪駅で合流すると、ザ・シンフォニーホールをめざしました。タイトな日程になってしまいましたが、2カ月前にチケットを買っていたから仕方ありません。まずはホールの近くにあるお店(壺天さん)で夕食をすませました。このお店、いつも美味しい串かつが気に入っています。
 この日のプログラムは「西本智実指揮 イルミナートフィルハーモニーオーケストラ with さだまさし」でした。ボロディンの「ダッタン人の踊り」、ベートーヴェンの「交響曲第7番」、その間にゲストのさだまさしさんの歌がありました。それにしても、西本さん、いつ見ても凛々しい指揮ぶりに感銘を受けます。

 大阪の孫長男君は8月下旬から学校が始まっていますが、東京の孫娘は明日から学校が始まると言っていました。みんなそれぞれに空手や水泳、ピアノ、習字、算盤などを習っていますが、我が子、孫たちが元気でいることを確認することが今回の旅の目的でした。でも、老夫婦もけっこう楽しんだ「お上りさんの『東京見物』(その3)」でした。
 日に日に秋らしい空気が漂ってきます。当分の間、すこ~しおとなしくしておきましょう(笑)。

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哀愁を帯びたヒグラシの鳴き声

2017-08-25 20:36:53 | Weblog

 暑い一日が終わり陽が西に傾きかける頃、カナカナカナと哀愁を帯びたヒグラシの鳴き声が聞こえてきました。こんな都会地にもヒグラシがやってくるんだと、縁側に腰かけ、しばし耳を傾けます........。お盆が過ぎ、楽しかった夏休みが終わりに近づいてくる頃の古き良き時代、幼い頃の田舎の風景が蘇ってきます。
                            (ウィキペディアから引用)
 何年か前に兄が亡くなり、実家の面倒を義姉がみるようになって、なんとなく足が遠のく田舎ですが、先日、義姉から残暑見舞いの葉書をいただきました。家を継ぐことの大変さにふれながら、最近少し体調を崩したこと、私の友人が急逝したこと......。そういえば、前に帰省したのはいつだったっけ....。というわけでこの秋に帰省することにしました。
 田舎にはもうひとつ心配事があります。出雲の姉のことです。昨秋、新米10キロを送ってくれたのですが、その半月後に同じ商品が送られてきました。何かの間違いではと電話すると、重複して送ってしまったと。初期の軽易な認知症の疑いがあるとの診断結果が出たのは、それからしばらく経ってからのことでした。昨夜、久しぶりに電話をすると、いつもの元気な声が返ってきます。ほんの少しだけ話が途切れることがないではありませんが、歳相応と思えばなんともない。でも、少し心配ですから、帰省の折、姉のお家にも寄ってくることにしました。
 さて、長い夏休みも終わり、再びカレッジに通い始めました。今週のテーマは「夏目漱石『坊っちゃん』精読~<沈黙>のメッセージ解読」でした。
 「坊っちゃん」を読んだのはずいぶん昔のことなので、校長の狸、教頭の赤シャツ、うらなり君、同僚の山嵐などの登場人物がかすかに浮かんでくる程度です。これでは昼休憩を挟んで4時間の授業は持たないだろうと、事前に再読して臨むことにしました。ところが、手許に本がありません。ネット上の「青空文庫」(無料)のお世話になりました。電子図書に不慣れな私ですが、意外とスムーズに読むことができました。
 準備万端で臨んだ講義は、「教師小説としての『坊っちゃん』」から始まりました。明治期の学校体系、坊っちゃんが卒業した東京物理学講習所(現東京理科大学)の、入学は無試験、卒業はその2~5%という厳しい教育方針、師範学校の文化史など、小説の時代背景について興味深いお話しをお聴きしました。さらに、「うらなり君の沈黙」の項では、旧家の長男、家長としての生き方。「もう一人の坊っちゃん」の項では、かつて下女だった清との関係性から、坊っちゃんのひととなりに迫ります。
 小説を寝転がって読むのと研究対象として読むのとではずいぶん違います。これを「深読み」っていうのでしょうね。先生は講義の初めに、「ルビンの壺」の写真をお示しになりました。心理学者エドガー・ルビンが考案したトリックアートです。大きな壺にも見えるけれども、向き合った2人の顔にも見える。多面的な読みの勧めでした。
 来週は漱石の「こころ」がテーマです。引き続き、青空文庫からダウンロードして再読することにいたします。
                             (ウィキペディアから引用)
 夏目漱石といえば、田舎の祖父の書斎にあった漱石全集を思い出します。いまでは古書店でしかお目にかかることができない初期の全集です。夏休みも半ばを過ぎ、それこそヒグラシが鳴く頃になると、宿題の読書感想文を書くために、半義務的に読み漁った記憶があります。その祖父も東京物理学校で学んだ明治の人でした。
 その翌日には、音楽講座にも出かけました。今回のテーマはなんと「日本におけるジャズの発祥と発展~レコードの調べにのせて」。興味津々です。ふだん断片的にしかジャズを聴いていない私としては、ジャズの歴史を総覧する意味で、楽しい2時間でした。
 解説に併せてレコードを聴いたり、ピアノ演奏を聴いたりしながら、ジャズの誕生を振り返ります。ディキシーランド・ジャズ、ビッグバンド・ジャズ、スウィング・ジャズ、ビ・バップ、クール・ジャズ、ウエストコースト・ジャズ.........。最後の30分は女性ボーカルを交えたバンド演奏で、夏の暑さもふっとんでしまいました。
 そして講義の最後には、音楽メディアの変遷にふれ、最近のレコードの復調とその魅力についてもお話しをいただきました。この音楽講座は、あと1回を残すばかりです。10月からは水彩画教室を選択しています。
 こんな調子で、この夏も終わろうとしていますが、格安切符が手に入ったので、明日から数日、東京にでかけてきます。まずは東京の長男、孫たちに会いに行きます。あとはいつもの行き当たりばったりの珍道中になります。「お上りさんの『東京見物』」シリーズも、いよいよ第三弾です(笑)。

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67歳の夏

2017-08-18 11:19:39 | Weblog

 先日、67歳のお誕生日を迎えました。その夜に読み終えた文庫本、玉岡かおる著「ひこばえに咲く」(PHP文芸文庫)。父が経営する銀座の骨董店の跡を継いだ娘が手にした一冊の「画集」を契機に、様々な人間模様が繰り広げられていきます。過去、現在、そして未来。「人生は何度でも花ひらく」「絵は、今自分が生きて暮らす現実をはるかに飛び越し、まったく違う世界へいざなう時空間の扉のようなのだ」........。ふだんあまり小説を読むことのないわたしですが、玉岡さんの作品は、実在の人物をモデルにしているという点で、ある種の「時代」を追っているところがあり、文庫本になると必ず目を通しています。
 さて、8月に入って、京都・東福寺塔頭寺院のひとつ毘沙門堂「勝林寺」で、座禅と写経の体験をしてきました。蝉の声を聞きながら30分ほどの座禅でした。座り方、姿勢、息の仕方などの指導を受けたあと、ただただ雑念を排して座り続けます。途中2回ほど警策で肩を撃たれましたが、その音と痛みよりも心がしゃきっとする清々しさが嬉しい。
 僧侶いわく、「雑念を捨てることが難しかったら、ひたすら蝉の声に耳を傾けてみてはどうか。ただただ頭の中を空っぽにすることで、外の世界を素直に受け入れる自分に出会える」と。般若心経で言うところの「空」の世界、「無」の境地なのでしょうか。このあと、別室で般若心経の写経をしました。真夏の京の昼下がり、まったりとした時間が流れていきました。
 この日は夕刻から、仏像鑑賞会の打ち上げを兼ねて、鴨川の納涼川床で美味しいお酒と京料理を楽しみました。
 その2日後、わたしは再び上洛しました。お目当ては恒例の「第30回下鴨納涼古本まつり」です。下鴨神社糺の森に関西の古書店40店舗が勢揃い、80万冊の古本が並びました。あまりの多さに戸惑ってしまいますが、蝉しぐれのなか2時間あまりをかけて丹念に見て回りました。
 最後に、出店で冷たい缶ビールで喉を潤しながら、その日の収穫を確認します。ことしは「風景」という言葉に拘って、青菁社の「心の風景」「暦の風景」「色の風景(Ⅰ)」。写真をふんだんに挿入した、ほっとする本です。そして、小林秀雄全作品集3「おふえりや遺文」。宇野功芳著「ブルーノ・ワルター レコードによる演奏の歩み」。岩波新書から内田義彦著「読書と社会科学」、金子隆芳著「色彩の心理学」.......。新刊ではもちろんありませんが、なんとなく、私の関心を誘う言葉が散らばっています(笑)。
 ここまではいつもの暮らしですが、相前後して我が家に孫君たちがやってきました。そして横浜の次男夫妻も。ひっそりとした我が家が久しぶりに賑やかになりました。この夏は少し遠出をして、滋賀県・近江八幡の休暇村で近江牛のBBQを楽しみました。孫君たちは琵琶湖での水遊びに大はしゃぎ。老夫婦は休暇村の温泉「宮ヶ浜の湯」でひと休みでした。翌日は、水族館「海遊館」にお出かけでした。たいへんな人出でしたが、ひんやり冷房の効いた館内は老夫婦にとっては過ごしやすいシェルターのよう.........。あっと言う間の賑やかな数日間でした。ちなみに、東京の長男一家は仕事の関係で帰省できなかったので、今月末に出かける予定です。
 孫たちが帰っていったあと、どっと疲れが出てきました(笑)。きのうの夜は、いずみホールであった第20回サマーミュージックフェスティバル大阪2017に行ってきました。5回にわたって開催されるフェスティバルの初日で、きのうのテーマは「先付にシューベルトとメンデルスゾーンの想い出を」でした。関西で活躍する日本の演奏家による室内楽です。シューベルトの歌曲、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番など素晴らしい演奏でした。
 パンフレットに記載された出演者データファイル。出身校、所属、血液型、今凝っていること、好きな作曲家、影響を受けたアーティストなどについて簡単に紹介されています。そのうち「今凝っていること」が面白い。「子供と一緒にカブトムシの飼育」「メダカの飼育」「ふなっしー」「尺八」「旅の計画」「パクチー」「高速値上がりにともないなるべく一般道を使いたい」「野菜づくり。花壇に花をいっぱい咲かせたい」「断捨離」「蒸し茄子を毎日」。わたしたちと何ら変わらない思いをお持ちの演奏家の方々が、目の前のステージで素晴らしい演奏をされている。いろいろな曲を聴きながら、人ぞれぞれの人生に思いを馳せました。楽しいひとときでした。
 というわけで、67歳の夏も慌ただしく過ぎていきます。感慨?さあてどうなんでしょう。ひと昔前ならご隠居といったところでしょうが、高齢社会では未だ労働人口の中に加えた方が良いという見方もあります。でも、長年いろいろな思惑が渦巻くなかで、組織改革、事業革新に汗をかいてきた人生。もういいでしょう..........。そんな折、前職の関係者2組から呑み会のご案内をいただきました。
 すべてを忘却の彼方に追いやって、肩書ひとつない一人の人間として生きていく。これもありか。「うつくしいものを美しいと思える」人としてありたい。薄っぺらな1枚の紙切れ(名刺)の繋がりから、真に「人」としての繋がりに軸足を移していく。雑念を排し、過去、現在、未来を真正面から見つめることができる人でありたい........。おっと、すこ~し内省的な記事になってしまいました。お誕生日特集だから、まあいいか(笑)。

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【続報】WALTY Classical 中岡さん手づくりのアンプについて

2017-08-08 23:40:33 | Weblog

 ことし1月28日付の記事「WALTY Classical 中岡さん手づくりのアンプをご存知ですか」で、次のようなお知らせをさせていただきました。

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 先週末(2017年1月21日)、ブログに一通のコメントをいただきました。1年半も前の記事「WALTY Classicalさん、閉店へ」(2015年7月18日)へのコメントでした。投稿いただいたのは、20年ほど前からワルツ堂閉店まで、アルバイトをされていたハタナカさんという方でした。
 「大変恐縮で突然ではありますが、中岡さんが製造された手作りのアンプを御持ちの方を探しております。ワルツ堂時代からご来店して下さっておられ、中岡さんと親しいお客様にだけ製作されておられました。元従業員の方々にも連絡もさせて頂いてお願いをさせて頂いている状況なのです。中岡さんを慕っておられたお客様方々でしたら、どなたかに繋がれると確信しながら、連絡させて頂きました。何卒宜しくお願い致します」と記されています。」
 元店主・中岡さんがお亡くなりになって1年が経とうとしています。もし、このブログをご覧になっている方で、ハタナカさんがお探しの「中岡さん手づくりのアンプ」をお持ちの方がいらっしゃれば、恐縮ですが左欄「メッセージ(メッセージを送る)」(非公開です)から私宛にメールをいただければ幸いです。よろしくお願いをいたします。

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 あれから半年が経過した先日、諸遊さんという方から1通のメールが届きました。そこには「中岡の兄ちゃんとは40年前の知り合いでした、第二店でお世話になりました。一度自宅に訪問をしモニターレッドを譲り受けアンプもあの時買わされました。今となればおいておけばと後悔しています」とありました。
 ハタナカさんがお探しになっているアンプだろうと思います。さっそく諸遊さんにお礼のメールを差し上げ、いただいたメールの内容をこのブログで紹介することのお許しをいただきました。手元にはないけれども「譲り渡した先は大切に使われているようです」と書き添えてありました。
 嬉しいメールでした。さっそくハタナカさんにお知らせしたいのですが、ブログにコメントはいただいているものの、わたしはメールアドレスなど連絡先を知りません。ハタナカさん、もしこのブログをご覧になっていらっしゃれば、ぜひ左サイドの中ほどにある「メッセージ(メッセージを送る)」欄から、わたし宛てにメールをいただきたく思います。諸遊さんからはメールアドレスをお伝えすることについてご理解をいただいています。ご連絡をお待ちします。

 中岡さんがお亡くなりになって、早いもので1年半が経とうとしています。わたし自身は、JAZZ&クラシック音楽専門店「ワルティ堂島」以来のささやかな出会いしかありませんが、多くのCD店がひっそりと店じまいを始めた2010年の秋、休店宣言をされました。
 ところが、中岡さんの熱い思いがあったのでしょう。翌年の夏には、クラシック専門の中古CDショップ「WALTY SECONDHAND +(プラス)」として復活しました。店舗は決して広くはないけれど、奥に自慢のステレオを置いて、音楽大好きの中岡さんと店員さんが、にこやかに接客をされていました。「あのワルティさんですよね」。ついつい嬉しくなってお声をかけたことがありました。
 その後も仕事帰りに立ち寄ってはCDの品定めをしました。2014年5月31日付の記事「土曜の昼下がりにワルティさんを覗く」には、次のような記述があります。

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 土曜休日の昼下がり、久しぶりに大阪駅前第1ビル地下1階にあるWALTY(ワルティ)さんに立ち寄ってきました。いつものようにご主人と店員さんのお二人がいらっしゃいます。店員さんに「お店の中を撮ってもよいですか」と尋ねると、にこりと笑って「どうぞ」と。店の奥では常連さんがステレオの前に陣取ってお気に入りのCDを視聴しています。いつもの風景がそこにはありました。この日手にしたのは館野泉さんのCD「シューマン:クライスレリアーナ&幻想曲」と「シューベルト:ピアノ・ソナタ21番、20番、18番」でした。
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 ところが2015年の6月、WALTY Classicalさんのシャッターに、「重要なお知らせ」と題するこんな貼り紙がありました。「店主入院加療の為、当面休業させて頂きます。再開の目処が立ちましたら、シャッター面告知、留守電メッセージにて改めてお知らせ致します。大変ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願い致します」。
 そして1か月後、「5月より入院加療中の店主の病状が今も思わしくなく、残念ながらワルティクラシカルの再開は困難であると判断致しました」。「店主中岡は店頭には立てませんが、皆様のご来店心よりお願い申し上げます」と、ワルツ堂の閉店に続いて二度目の閉店セールのお知らせがありました。
 グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチ、内田光子、舘野泉、ミッシャ・マイスキーなどのCDを10枚買いました。それに加えて、どうしても欲しいものがありました。商品棚に静かに立てかけてあったステンドグラス風の小さなガラス細工です。縦横15センチ、厚み1~3センチの置き物です。500円でよいとのこと。いまは私の部屋の棚に飾ってあります。
 レジを済ませて、ふと私の口から出た言葉。それは「長い間、ありがとうございました」でした。大都会の片隅にひっそりと佇む心のオアシスを、またひとつ失いました。
 ちなみに、以前の記事中にも紹介しましたが、中岡さんの在りし日の懐かしいお姿が動画としてYouTubeにアップされています。 http://www.youtube.com/watch?v=8U3DrY5xQrw

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うつくしいものを美しいと思える「こころ」

2017-08-04 21:28:04 | 旅行

 暑い暑い日に、私の部屋のエアコンが壊れました。ずいぶん長い間使ってきましたから、寿命なんだろうと思います。そんなわけでここ数日間、扇風機で過ごしました。そしてきょう、やっと新しいエアコンが届きました。これでなんとか暑い夏を乗り越えることができそうです。
 そんな暑い夏の夜、ブログに音楽のパーツを張り付けるのに四苦八苦しました。仕組みが分かっていないためですが、なんとか左サイドのトップに表示することができました。ただ、gooご指定のパーツなのでお気に入りの曲というわけにはいきません。クリックしなくても自動的に曲が流れるようになれば良いのですが、それもまだ実現できていません。
 さて、先週末に加賀温泉郷に行ってきました。カレンダーを見て何日間か予定が入っていないことを確かめると、やおらネットを駆使して温泉宿を探す、いつものことです。......暑い暑い夏に、蝉しぐれのシャワーを浴びながら露天風呂に浸る。そしてお風呂上りの爽快感。冷たいビールがたまりません(笑)。
 何十年も前には、夏になると、子どもたちを連れて片山津温泉、山代温泉、山中温泉などに出かけたものです。もちろん子どもたちはプールや海水浴がお目当てです。そんな加賀温泉郷を久しぶりに訪れてみると、宿の賑やかさとは裏腹に、街の中はなんとなくひっそり感が漂っていました。
 翌日は、伝統工芸体験ができる「ゆのくにの森」に行きました。単なる観光スポットと思っていましたが、苑内は広く、輪島塗、陶芸、漆器、手漉き、ガラス工芸、金箔、オルゴール、そば打ち、お菓子作りなど様々な創作体験に、手づくり大好きな家内は興奮気味です。ざっと散策する予定だったのに4時間も滞在してしまいました。
 建物はどれも由緒ある古民家を移築したものだけに、伝統美と家屋がうまく調和した気持ちの良い空間でした。昼食のあと、ギャラリーで開催中の「相田みつを」展を覗きました。相田みつをの作品には以前、東京の相田みつを美術館で拝見したことがありますが、独特の筆遣いで心の歌(詩)を表現した作品の数々が、古民家に溶け込んでいて、こころ豊かな時間を過ごすことができました。
 資料をみて、相田みつをが26年前に67歳で亡くなっていることを知りました。67歳。今夏、私は同じ歳を迎えます。幼稚性という課題を突きつけられた感があります。......帰り際に買った香皿に、こんな言葉が描かれていました。
 うつくしいものを
 美しいと思える
 あなたの
 こころが
 うつくしい

 その翌日、京都市美術館別館で開催中の第103回「光風会展」に出かけました。知人から案内状をいただいたためですが、国内のこの種の展覧会を観る機会は滅多にありません。筆遣い、色の出し方、構図と、丹念に眺めていると、ふと「うつくしいものを美しいと思える」瞬間があります。大げさな言い方をすれば、制作者と観る者の心が通じ合う瞬間があります。時間と空間。理屈ではなく、全身で体感することって、こういうことなんでしょうね。
 この日の午後は、京都大学の正門前で仲間と合流して、「こころの未来研究センター創立10周年記念シンポジウム」に出席しました。このセンターは、「こころとからだ」「こころときずな」「こころと生き方」を柱に、心理学、認知科学、認知神経科学、公共政策、美学・芸術学、仏教学など多岐にわたる学際領域から、「こころ」の総合的研究拠点をめざしているユニークなセンターです。実験室に閉じこもるだけではなく、「こころ」の視点から社会を見つめる。時代をみつめる。大事なテーマです。
 研究者でも専門家でもない私が、このセンターに現役時代から注目してきたのは、ポスト成長時代を生きる私たちに根源的な課題を提起をしていると思うからでした。南方熊楠も指摘しているところですが、専門分化が進み、木を見て森を見ない傾向が強まり、全体最適の視点を見失っている。さまざまな分野で見られる現象です.....。一本の木の向こうに広大な森を見る。言うは易く行うは難しの取り組みに、ひとつのモデルとして注目しています。
 難しいことはヨコにおいて、とにかく先生方のお話しを傾聴しました。みなさん、お一人お一人の軸足をしっかりお持ちになって、大きなテーマを見つめていらっしゃる。年配の先生方と若手の先生方とのディスカッションでは、次代を担う若手研究者を育てようという空気が充満していました。そうした諸々の取り組みに、私は現役時代から刺激を受けてきたように思います。
 ことし創立120周年を迎える京都大学に10年前に産声をあげた「こころの未来研究センター」。この先が楽しみでもあります。特設の書籍売り場で、一般人でも読めそうな本を探していたら、河合俊雄著「村上春樹の『物語』~夢テキストとして読み解く」に出会いました。
 いずれにしても、「うつくしいものを美しいと思える」素直な「こころ」が必要なんでしょうよ。きっと。

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