心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ことし1年を振り返る

2016-12-29 00:53:56 | Weblog

 人気グループのSMAPが解散しました。最後の番組の一部を見ながら思ったこと、それは芸能の世界も実社会も、人間関係を維持することの難しさは同じだということでした。それぞれに個性ある若者たちで構成されたグループだからこそ素晴らしい総合力を発揮できていたのに、いったん拗れてしまうと関係修復が不可能になってしまう。それぞれの心情を語ることもなく静かに姿を消していきました。ラストステージは「世界に一つだけの花」でした。改めてその歌詞を読むと、「個性」と「多様性」を高らかに歌い上げている。「個性」が内包する危うさを思いました。いずれにしても、SMAPさんには「お疲れ様でした」と言うほかありません。
 話は変わりますが、きのう元の職場から平成28年の給与所得源泉徴収票が送られてきました。これまでは年末調整ということで税金処理は職場任せでしたが、これからは個人で確定申告をすることになります。寄付金控除など還付を求める手続きを除いて本格的な申告は初めてです。さっそく本屋さんで確定申告のガイドブックを買い求めてきました。
 タイトルを「ことし1年を振り返る」と設定しましたが、今夏にリタイアして以後、その前後では時間の流れが大きく変わりました。変わったのは時間だけではありません。年末の大掃除で本棚を整理していると、ハーバードビジネスレビューといったビジネス本は完全に姿を消し、思想、宗教、民族学、心理学、芸術関係の本がやたら増えていることに気づきます。といっても摘まみ食いに過ぎません。古本祭で買い求めた古本を足場に読書の幅を広げていく、そんな具合ですから、まず終着点というものがありません(笑)。
 人間関係も様変わりしました。これまでとは全く異なるキャリアの方々との出会いに、すごく新鮮さを感じています。以前からお付き合いをしていた方々とお話しする機会もありますから、そういう意味ではずいぶん幅が広がったと言えるかもしれません。
 きょう四国遍路の次回の旅行日程表が届きました。ここにきて「乱れ打ち」状態です。1月上旬には高知県に入り、24番から30番札所を巡ります。京都のウォーキング団体からは、来年のスケジュール表が届きました。毎月2~5回もの例会がありますが、他のスケジュールと体調を考慮して月に数回程度の参加をめざそうと思っています。カレッジの方は週1回の授業のほかに、お遊びの域を出ませんがプロジェクト企画を準備中です。これも楽しいことです。

 こんな気儘な生活。長年ひとつの組織の持続可能性を追及する生き方をしてきたことを思うと、百八十度の転換になります。でも、ひとつの組織に身も心も捧げて雁字搦めになっていたことを思うと、残された健康寿命の間はのんびりと過ごしてもよいのではないか。そんなことを考えています。
 気がかりなのは、晴耕雨読を掲げながらそれを十分に実現できていないことです。鎖を解かれた自由人のように、目の前に現れるテーマに新しい喜びを覚え、次から次へとのめり込んでしまう。そこからまた別の興味をいだいてしまう。般若心経のお勉強もまだまだ不十分です。だめですねぇ。まあ、当分は仕方ないということにしておきましょう(笑)。そのうちに的が絞られてくることでしょうよ。きっと。
 そういえば先日、湖北の山小屋がある町役場から空き家所有者の意向に関するアンケートが届きました。その地にささやかな別荘を構えて20年ほど経つでしょうか。子どもが小さい頃はよく出かけていましたが、仕事が忙しくなって以後、その回数が減り、最近は行くこともなくなりました。大雪のために大木が倒れ、その措置のために出かける程度です。現役の頃はヘンリー・D・ソローの「森の生活」に惹かれ、リタイアしたら建て直して山小屋生活でもしようかと思ったこともありますが、あまりにも便利になりすぎた都会生活から逃げ出せないでいます。 
 さて、年も押し詰まってきました。数日前から孫娘がやってきています。それに併せて近所の孫君二人がお泊りにやってきています。愛犬ゴンタがいなくなって静かになった我が家が、久しぶりに賑やかです。明日には長男一家、明後日には次男一家が帰ってきます。
 こうして家族が集まるのは両親が健在である間だけでしょう。昨夜、出雲の姉と電話で話しましたが、孫たちが大きくなると、お正月だからと孫を含めて勢ぞろいすることはだんだん難しくなるのだと。いまこの時期を大事にしたいと思っています。
 さて、ブログ「心の風景」を開設して4,404日を数え、13年目に入りました。最近、初期の頃に比べてやたら文章が長くなっているのが気にはなっていますが、いったい何のために誰のために綴っているのかわからなくなることがあります。いやいや限りなく日記に近いものであるとすれば、なぜ不特定多数の方々に公開しなければならないのか。これまで何度もやめようと思いつつ、ここまでくると惰性を通り越して、続けることに意味を見出したりしています(笑)。そんな幼稚で拙いブログなのに、ことし1年お越しいただきました皆さま方、コメントをお寄せくださった皆さま方に、御礼を申し上げます。ありがとうございました。
   ことしもあと3日。相変わらず自然災害の多い一年でしたが、それぞれの一年が幕を閉じようとしています。では、来る2017年という年が皆さま方にとって輝かしい1年になることを願いつつ、ことし最後のブログ更新といたします。どうか良い年をお迎えください。

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ドイツ、オーストリアの旅③(芸術のまちウィーン)

2016-12-20 22:30:36 | 旅行

 「クリスマスマーケット」をテーマに昨夜ブログを更新したばかりですが、今朝のニュースを見て驚きました。「ベルリンのクリスマスマーケットにトラック突入。12人が死亡、48人が負傷。 テロか」。現地時間19日午後8時、カイザー・ウィルヘルム記念教会の広場に集まった老若男女をなぎ倒す痛ましい事件でした。
 私が夜8時頃にクリスマスマーケットを楽しんだのは、場所は違いますが、ほんの数日前のことでした。人々のクリスマスに寄せる素朴で温かな心が無残にも踏みにじられてしまいました。被害に遭われた方々には心からお悔やみを申し上げます。
 さて、ツアーの最終日、私と家内は、フリータイムをお買い物にではなく、市民の日常を体験するクリスマスマーケットとナッシュ市場(食料品市場)、そして名だたる音楽家の銅像巡りに充てました。そのひとつがカールズ教会広場のクリスマスマーケットでした。目を輝かせる子供たちの姿と私の孫たちの姿が重なって、彼らの動きを楽しく追っていました。ナッシュ市場、これも楽しい時間でした。細長い市場の両側に食料品店が並び、京都で言えば錦市場、大阪なら黒門市場を思わせる庶民の市場でした。そこにウィーンの市民の生活を思いました。
 もうひとつのお目当ては音楽家の銅像巡りでした。昼食会場だったオーストリア料理店ミュラーバイスルから5、6分ほどのところにある市立公園で見つけたのが、ヨハン・シュトラウス2世像、ブルックナー像、シューベルト像、ブラームス像。その南にあるベートーヴェン広場にベートーヴェン像。それを少し下ったところには、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地で、新年のニューイヤー・コンサートの会場になる楽友協会があります。
 カールズ教会広場でクリスマスマーケットを楽しんだあと、次に向かったのはオペラ座でした。それを過ぎるとゲーテ像があります。そして、王宮庭園内にあるモーツアルト像に出会うことになりますが、ここでタイムリミットでした。
 集合場所に集まると、みんなで夕食会場のビアホールに向かいます。ウィーン最後の夜を美味しいビールで乾杯です。こちらも一期一会。楽しい8日間の締めくくりとなります。でも、ツアーはまだ続きます。最後のプログラムはモーツァルトが若干6歳の時に演奏したというパルフィ宮殿で、モーツァルトやシュトラウスの小品を楽しむコンサートがありました。ホテルに戻ったのは10時を回っていました。
 おっと、芸術をテーマにしたブログでひとつ書き忘れていました。その日の午前、ヴェルヴェデーレ宮殿で、グスタフ・クリムトとエゴン・シーレなどの絵画を見ました。なかでもクリムトの「接吻」「ユディトⅠ」「アダムとイヴ」「けしの野」などは、レコードのジャケットをはじめ時々みかける絵画であり、それをまじかで見ることができました。ガイドさんの説明では、クリムト後期の作品に登場する女性の顔は、ジャポニズムの影響を受けている、つまり能面にヒントを得たのだそうです。初めて知りました。
 こうして8日間を振り返ってみると、駆け足の観光旅行ではあったけれど、ドイツとオーストリアの歴史と人の生き仕方の一部を体感できたという意味で心に刻む旅となりました。ブログでは、宗教という視点と芸術という視点からご紹介してきましたが、まだまだ言い尽くせないこともあります。それらはおいおいブログの中でさらりと触れていくことにいたします。

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ドイツ、オーストリアの旅②(クリスマスマーケット)

2016-12-19 23:36:20 | 旅行

 きょうの午後、大学病院で3カ月健診を受けました。特に指摘されることはないだろうと高を括っていたら、先生いわく「体重が増えていませんか」と。(-_-;)(-_-;)(-_-;)実はドイツ・オーストリア周遊の旅で、体重が2キロも増えました。美味しいソーセージにビールとワイン、それにじゃがいもが加われば誰でもそうなります(笑)。「先週、ドイツに行ってたんです」「リタイアして旅行ですか。いいですね。でも気をつけてくださいね。次回の健診のときは元に戻しておいてくださいね」「はい」。若い女医先生に従順な私でありました(笑)
 旅先では、お水がタダで出てくるわけではなく、お水の値段はビール、ワインとそんなにかわりません。どうしても美味しいビールかワインを注文してしまいます。少し辛めのソーセージやチーズなど出ようものなら一杯ではすみません。現地の方々の恰幅の良さはこういうところにあるんでしょう。
 ワインと言えば、寒い夜に、クリスマスマーケットで立ち飲みしたグリューワイン(ホットワイン)も楽しいものでした。マグカップは持ち帰ることができるので、毎年異なるデザインのカップを集める方もいらっしゃるとか。私も4個集めました。
 クリスマスマーケットは日本でも各地で開かれていますが、発祥はヨーロッパのよう。宗教的・文化的な意味合いが日本とはずいぶん違うような気がします。各都市の教会や市庁舎など広場で開催され、クリスマス用の飾りものや手工芸品、ソーセージ、お菓子などを売る屋台が並びます。クリスマスまでの4週間にわたって印をつけていくカレンダーも売られています。長くて寒い冬の夜、徐々に高まる心に灯をつけていく。そんな人々の思いがぼんやりと見えてきます。
 私が訪ねたクリスマスマーケットは、ケルンの大聖堂前広場、ローテンブルクの市庁舎前(マルクト広場)、ウィーンの市庁舎前広場とカールス教会前広場。なかでもローテンブルクは、城壁で囲まれた中世都市の雰囲気を今に伝える旧市街地のマルクト広場にたくさんのお店が並び、老若男女が繰り出します。クリスマスに対する思いは仏教の国に生きる我々とはずいぶん違うような気がします。
 カールス教会前広場では、幼稚園児たちが先生に付き添われて楽しんでいます。広場の一画には牧草を敷き詰め、子豚と山羊を配し、子供たちが遊べる広場に人気がありました。心底クリスマスを楽しんでいるように見えます。
 私も小さい頃、浄土宗の家なのになぜなのかわかりませんが、田舎の小さな教会の日曜学校に通っていました。クリスマスが近づいてくると、なにやらわくわく感があって、お姉さんやお兄さんたちの演じるキリスト誕生の劇を見た記憶があります。クリスマスカードをもらったり、可愛いプレゼントをいただいたり。長い人生の中のほんのひとコマに過ぎませんが、夜のローテンブルクの街を歩きながら思ったものでした。

 
 
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ドイツ・オーストリア周遊の旅(その1)

2016-12-18 22:45:05 | 旅行

 四国遍路の旅から帰った2日後、慌ただしく関西国際空港を旅たちました。「ドイツ・オーストリア2カ国周遊8日間」のツアーです。我が家にとっては結婚40周年記念という冠がついています。ツアーの参加者は30名ほど。リタイア夫婦、新婚夫婦、お友達同士、学生同士、一人参加とさまざまでした。

 私にとってドイツは2回目の訪問になります。仕事の関連で1カ月ほどヨーロッパを遊学したのは20年も前のことでした。イギリス、イタリア、スイス、ドイツ、ベルギー、フランスと慌ただしく移動したこともあり、消化不良を起こした旅でしたが、今回はドイツとオーストリアに限定し、しかもフランクフルトとウィーンは連泊だったので、気持ち的にゆったりとした旅を楽しむことができました。
 愛媛県の岩屋寺を引きずりながら12時間のフライトを経てフランクフルト空港に到着した私たちは、翌日、ライン川(世界遺産)下りのクルージングを楽しんだあと、ケルンの大聖堂(世界遺産)に向かいました。ちょうどこの日は日曜日とあって午後のミサの真っ最中、それが終わる4時15分までの90分は自由時間でした。ケーキが美味しいと有名なカフェで一服しているとき、なんとカレッジの仲間(女性)にばったり出会ってしまいました。奇遇というべきか、なんとも世間は狭いものです。
 教会内は老若男女おおぜいの信者で溢れかえっていました。驚いたのは敬虔な賛美歌だけではなく、アカペラの歌声や手拍子などリズム感溢れる歌声が、大きな教会堂に響き渡ります。教団それぞれの象徴なんでしょうか、大きな旗を持つ若者がいます。手に手に蝋燭を入れた小さな容器を持つ者がいます。宗教は違っても、敬虔さという意味では違いはありません。四国の山寺で般若心経を唱えるのに近い雰囲気が漂っていました。大人たちの足元には子供たちの姿。小さいころから宗教心を育まれているのでしょう。
 2日後に訪れたヴィース巡礼教会(世界遺産)は、その歴史秘話から巡礼が絶えない教会のようでした。中央に据えられている「鞭打たれるキリスト像」は当初、あまりにも悲惨な姿に信者が動揺し修道院の屋根裏に放置されていたのだとか。その後、洗礼の立会人として訪れた農婦がそれを哀れに思い自ら譲り受け熱心に祈りをささげた。すると、キリスト像に涙を流したようなしずくが残っていたとか。この話は瞬く間に広まり、多くの巡礼者たちが訪れるようになったのだそうです。こうした宗教的な秘話が人の心を惹きつける。弘法大師とともに歩く四国遍路に近いものがあります。ロマンティック街道沿いの小さな村シュタインガーデンの草原にぽつんと立つ白亜の教会。ヨーロッパを体感することになります。
 今回のツアーはお城巡りもひとつのテーマでした。なにやらメルヘンの世界を彷彿とさせるものがありました。美味しい白ワインをいただきながら、ライン川(世界遺産)の両側に聳え立つお城を眺める、ローレライの歌で知られる岩山を眺めるクルーズも楽しいものでした。世界でもっとも美しい湖畔の町のひとつといわれるハルシュタット(世界遺産)での湖遊覧、ホーエンシュバンガウのノイシュバンシュタイン城は、児童向けの絵本に登場しそうな風景でした。
 山の中腹にあるノイシュバンシュタイン城には徒歩で40分ほどかかるのですが、山登りが苦手な家内のために馬車で登ることにしました。足腰のしっかりした2頭の馬に頼ったわけですが、一番前の席に座っているとお馬さんのしんどさが伝わってきます。可哀想になってしまいました。家内も下山は歩いて降りると。
 都市間の移動はすべて観光バスでした。1日に300キロもの長距離移動になることもありました。でも、四国遍路の旅で慣れていましたし、たくさんのクラシック音楽を入れたiPodをポケットに忍ばせていましたので、特に苦になることはありません。要所要所で数時間から半日単位で自由時間が設定されていて、比較的のんびりした旅を楽しむことができました。
 日本とドイツの間は空路で片道12時間かかります。その間、寝ていれば良いのですが、狭い空間の中、多くの方々が席の前のモニターで映画を見たり音楽を聴いたり。私は、オペラを2本見ましたが、それでも全体の半分の時間に過ぎません。
 目の前のモニターで現在地を刻々と示す画面に目をやると、時々ふだん見る日本地図とは異なる画面が現れます。ヨーロッパから日本を見つめる視点です。下図では、上が日本(大阪)、ロシアを挟んで下がヨーロッパ大陸になります。一瞬目を疑いましたが、アジア大陸とは別格で日本という国が存在しているのではなく、どう見てもアジア大陸のひとつの島に過ぎない。そんな日本という国の位置づけを思いました。ユーラシア大陸の東の果てに、日本という小さな島国がある。日本がアジアの一員にほかならないということであり、韓国、北朝鮮、中国とどう向き合うべきかを考えさせます。
 8日間にわたる異文化体験を一回のブログでご紹介するには無理がありそうです。近いうちに、「クリスマスマーケット」「芸術のまちウィーン」という視点から、別途ブログにアップしたいと思っています。

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心穏やかな四国遍路の旅

2016-12-09 01:32:26 | 四国遍路

 先週に続いて今週も四国八十八ヶ所遍路の旅に出かけてきました。今回も愛媛県で八ヶ寺を回ってきました。そのうち、初日にお参りした岩屋寺と大宝寺が、山の上にあって相当きついものでした。林立する杉の木に囲まれた参道を登っていくと、山の岩肌の一画に岩屋寺はありました。どうしてこんなところにお寺を建てたんだろう。厳しい修行に耐えた僧侶たちの姿が浮かんで見えるような気がいたしました。
 第四十四番札所・菅生山大宝寺(上浮穴郡) ご本尊は十一面観世音菩薩
 第四十五番札所・海岸山岩屋寺(上浮穴郡) ご本尊は不動明王
 第四十六番札所・医王山浄瑠璃寺(松山市)  ご本尊は薬師如来
 第四十七番札所・熊野山八坂寺(松山市)  ご本尊は阿弥陀如来
 第四十八番札所・清瀧山西林寺(松山市)  ご本尊は十一面観世音菩薩  第四十九番札所・西林山浄土寺(松山市) ご本尊は釈迦如来
 第五 十 番札所・東 山 繁多寺(松山市) ご本尊は薬師如来  第五十一番札所・熊野山石手寺(松山市) ご本尊は薬師如来
 
 人はなぜ修行するのか、なぜ祈るのか。.........40名ほどの団体がお大師様に向かって般若心経を唱える。回を重ねるごとにお経のリズムがあってくる。不思議なものです。
 行く先々で身体の弱いところに効くお呪いの言い伝えに出会います。まん丸い石の玉を撫でるとボケにならない、仏さまの足型を踏みしめれば足腰が強くなる、仏さまの手型に手を添える、小さなお地蔵さんを抱っこする....。境内のいたるところにパワースポットがあったりします。ふつう信じられないようなお呪いを、ついつい信じてしまう私がいます(笑)。医療が万全ではなかった時代、人々は仏にすがる思いだったのだろうと思います。  そんなことを同行者の方々に話したところ、相部屋でご一緒した方も、足腰に自信がなさそうでした。それでも頑張って、山の上に立つ岩屋寺に時間をかけて登りました。これも「祈り」なのでしょう。「お礼参り」もあります。同室のもうひと方は数年前、レベル4の肺がんが見つかり一時は死を覚悟したけれども、なんとか持ち直したのだと。そこで今、「お礼参り」をしていらっしゃる。聞いて驚いたのは抗がん剤の費用が月に100万円もかかったのだとか。癌も薬で治る時代がやってきたという意味で意を強くしましたが、100万円はあまりにも高い。なんとかならないものか........。
 四国遍路の旅は、ある意味で「一期一会」の出会いです。様々なキャリアの方々とご一緒に寝食を共にし、道後温泉を楽しむ。一献傾ける。そして語る。たくさんの気づきをいただきます。わたしにとっての「お接待」なのかもしれません。鬼軍曹のような顔立ちから、お若い頃は相当辣腕を振るわれたんだろうと思しき方が「お遍路にでかけるようになって心が穏やかになった」と。イライラすることがなくなったのだと。そういえばわたしも、最近そんな気がいたします。これもひとつの効用なのかもしれません(笑)  さて、きょうはこんな時間になってしまいました。週末から少し遠出をしてきますので、明日はその準備に追われそうです。というわけで次回のブログ更新は不定期になります。10日ばかりお休みをいただきます。

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孟宗竹と格闘

2016-12-04 00:21:55 | Weblog

 1週間ぶりにブログを更新したきょうの午後、雑誌を片手にベッドの上に転がっていたら、いつの間にか深い眠りについていました。目が覚めたのは午後の4時。真昼間に2時間半もお昼寝するとはお気軽なものです。月曜日から金曜日まで出ずっぱりだったので、リタイアした身には少し酷だったのかもしれません。そのぶん今頃になって頭が冴えわたっています。というわけで、急きょブログの続きをしたためることにいたしました(笑)。
 きのうは奈良県の山奥まで出かけて「門松づくり」のための孟宗竹の伐採作業に汗を流しました。ふだん使わない筋肉を酷使したため、きょうは一日中全身に気怠さが残っています。【写真は野生のグミの実です。甘い渋みが疲れを癒してくれました。】
 直径16センチほどの孟宗竹を高さ15センチに輪切りにして、それを60個ほど用意する。これが私たちに課せられたミッションでした。地元の方のご案内で、夜中に数頭のイノシシに踏み荒らされたという畑の傍を歩き、林の中の古城跡をめざします。すると杉林の手前に竹林が現れました。
  ところが直径16センチほどの孟宗竹がなかなか見つかりません。竹林の奥まで分け入ってやっと見つけることができました。しかし伐採しようとしても、20メートルはある孟宗竹は簡単には倒れてくれません。根元にロープを括りつけて用心深く引っ張って倒しました。次は直径の太い部分を切り出し、それを200メートルほど下の作業場まで運びます。これを三回も繰り返しました。ふぅ~。でも本番はこれからです。節を残して15センチに輪切りにしていく作業、これが思いのほかきつい作業でした。
 昼食休憩をはさんで全作業を終えるのに4時間もかかってしまいました。外国人留学生たちに日本文化を知っていただくお役に立てばと思いつつ、理想(思い)と現実(体力)のギャップに、ふぅ~。なかなかの重労働でありました。でもまあ、都会生活では味わうことのできない体験をさせていただきました。帰り道、みんなで山の蕎麦屋さんに立ち寄って美味しいお蕎麦をいただいて帰りました。
 さて、あすは町内会の「餅つき大会」です。年々参加者が増え続け、近所の小さな公園はたくさんの人で賑わいます。もちろん、朝早くから孫君たちもやってきます。そして、その翌日はことし初めてのささやかな忘年会。一日置いて再度四国遍路の旅へ。
 師走を迎えて、あれやこれやと気ぜわしくなってきます。旧暦ではこの時季を「橘始黄(たちばなはじめてきなり)」と言うのだそうです。橘の実が黄色に色づくことを言っていますが、ものの本によれば、枯れることのない常緑樹の橘は「永遠」を表すのだとか。私も健康寿命までの間は「橘」のようにしっかりと地に足をつけて歩んでいきたいものです。

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「乱れ打ち」。今回は伊予の国へ

2016-12-03 10:26:03 | 四国遍路

  7月から始めた四国八十八ヶ所遍路の旅も、今回で5回目を数えます。第一番札所から順番に巡る「順打ち」でスタートしたのですが、4年に一度の閏年にあたり「逆打ち」に人気があって、旅行会社の企画も輻輳しています。そのうえに個人的なスケジュール調整も絡み、なにやら「乱れ打ち」の様相です。今回は土佐に入らず伊予の国、愛媛県は松山市と今治市にでかけてきました。
 今回お参りしたのは、つぎの八ヶ寺でした。ご本尊によって唱える真言が違いますが、まだまだ本来的な意味は理解できておらず、わからないままに先達さんの言われるとおりに唱えています。
 第五十二番札所・瀧雲山太山寺(松山市) ご本尊は十一面観世音菩薩
 第五十三番札所・須賀山圓明寺(松山市) ご本尊は阿弥陀如来
 第五十四番札所・近見山延命寺(今治市) ご本尊は不動明王
 第五十五番札所・別宮山南光坊(今治市) ご本尊は大通智勝如来
 第五十六番札所・金輪山泰山寺(今治市) ご本尊は地蔵菩薩
 第五十七番札所・府頭山栄福寺(越智郡) ご本尊は阿弥陀如来
 第五十八番札所・作礼山仙遊寺(越智郡) ご本尊は千手観世音菩薩
 第五十九番札所・金光山国分寺(今治市) ご本尊は薬師如来
 今回印象深かったのは太山寺でした。本堂自体が鎌倉時代に建築された古いお寺で、鐘楼堂の壁画を覗いてびっくり。なんとも恐ろしい絵が目に飛び込んできました。本堂と大師堂のほか、目の霊仏一畑薬師にお参りました。
 もうひとつは、圓明寺の境内にひっそりと佇むキリシタン灯ろう(十字架形灯ろう)です。案内板に「高さ40センチほどの合掌するマリア観音とおぼしき像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われた」と記されています。先達さんのお話しでは、昔は隠れキリシタンの人たちの巡礼もあったらしく、お寺も見て見ぬふりをしていたのだとか。「祈り」というものが宗派を越えてあることを改めて考えることになりました。そういえば、白衣を纏い菅笠をかぶって歩き遍路を続けている外国人の青年にも出会いました。
 日に日に陽が短くなる季節です。延命寺に着いたのは午後5時を少し過ぎていましたが、お寺のご配慮でお参りすることができました。この境内の片隅、暗がりの中に、開祖・行基菩薩供養塔がぼんやりと浮かんで見えていました。
 二日目は6時30分朝食、7時40分に宿所を出発しました。まずは別宮山南光坊。山門の仁王さんが印象的でした。次にお参りした泰山寺は、度重なる火災に遭いながらも復興に努めてきたお寺で、かつて山門で睨みをきかせていた仁王さんは、まだ本堂横の廊下に仮住まいでした。
 そのあと、穏やかな朝の陽を浴びて農道を歩きながら栄福寺をめざしました。本堂を見上げると、宝珠をくわえて邪気を払う龍の透かし彫りが目を引きます。また、足の悪かった少年遍路が奇跡的に歩けるようになったお礼として奉納した箱車も置いてありました。このほか義足や杖などたくさんの補助具が奉納されているとのことでした。ウォーキングを始めた私も、参拝記念に「足腰の健康守(仏足・錫杖)」というお守りをいただき、リュックに着けました。
 仙遊寺は、遠くに「しまなみ海道」を望む山の上にあります。道の両側にはミカン畑が広がり、この日は園児たちがミカン狩りを楽しんでいました。観音様の優しいお姿にほっとひと息です。
  国分寺の境内には握手修行大師の像がありました。傍に「お大師様と握手して願い事を一つだけ。あれもこれもはいけません。お大師様も忙しいですから」という看板をみて笑ってしまいましたが、私もきっちり握手して帰りました。(笑)
 今回のバスツアーで行動を共にしたのは私より1歳年上のMさん(男性)でした。夜、食事を終え温泉で疲れを癒した後、いろいろとお話をしました。65歳でリタイアされたMさんですが、今年2月奥さまに癌が見つかり、なんと6月にお亡くなりになったのだそうです。(当然のことながら)そのショックから立ち直れないでいらっしゃいましたが、7月から一念発起され四国遍路の旅を始められたのだそうです。いろいろご苦労も絶えないのでしょう。見かねた末の娘さんご夫妻一家が来春から実家に引っ越してご一緒にお住まいになるのだとか。話を聞いている私も少し安堵いたしました。
 四国遍路への旅立ちは、人それぞれに事情があります。それぞれの思いを胸に静かに歩いていくことになります。そのため、同宿同士でもあまり込み入ったお話しはしなかったし、むしろ避けていらっしゃる方が多かったように思います。ところが、バスも隣り合わせ、二人相部屋で過ごしたためか、この日初めて出会ったMさんは違いました。こころを開いてお話しをしてくださって、ゆったりした時間がながれていきました。私自身、学ぶことの多い二日間でした。細い細い線にすぎませんが、来年1月からご一緒に歩くことにしました。

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